アサダワタルレクチャー@オウケンカフェ

2014年11月26日(水)、2014年度第6回ゼミナール@オウケンカフェとして、日常編集家のアサダワタルによるレクチャーが行われた。以下はそのレクチャーに対するレポートである。

飯田拓真
 日常編集家アサダワタルさんのレクチャーに参加して、とても楽しい時間を過ごすことができた。失礼ながら私は今回までアサダワタルさんのことは知らなかった。話の初めはこの人何やっている人なのだろうかと疑問でいっぱいだった。自己紹介が終わり、活動の話が始まるととても面白い活動だらけで一気にアサダさんに引き込まれた。日常を素材にして場を作る。このコンセプトから、日常を使って楽しんじゃおうと言わんばかりのワークショップ、活動の数々がとても新鮮で大きな衝撃を受けた。
 うちの子買い出し料理教室がいいなと思った。町を楽しみ、知るための活動のようなもので、親子で料理教室に来てもらい、簡単な料理に入れる具材を子供たちに考えてもらい、それらを買い出しに子供とスタッフだけで行くというもの。親御さんは教室に残ってもらい、子供たちの好きなように町を歩きながら買い出しに行く。それをスタッフが撮影して、料理を食べる時に鑑賞する「初めてのお使い」のようなものだ。買い出しは普通の日常であるのに、そこに子供たちの自由な行動が入ると親御さんやスタッフたちからしたら新鮮で面白いのだ。普通の料理教室なら食材は用意されており、買い出しという日常からは切り離された料理の本当に教室というような感じがするが、買い出しという日常とつなげることでこんなにも面白みが増すのかと衝撃を受けた。
 もう1つ、これは自分で遊びでやってみたいと思うものがあった。それは尾行サークルというものだ。3人ひと組で、ある1人に目星をつけて、その人と全く同じ買い物をするというものだ。ルールは何よりもバレてはならないということである。そして8品までとし4,000円を上限としたりする。そしてなにより絶対にバレてはならないのだ。これをレクチャーで聞いたときはなんてこの人は柔軟な考えを持っているのだろうかと思いつつ、それはダメだろうとも思いながら面白おかしく話を聴いてやってみたいと思ってしまった。
 アサダさんの、日常をコミュニティや場にしていく活動の住み開きは建築学科生としても考えさせられるものがあった。コミュニティやそれを誘発させる空間とはなんなのか。これはどんなに考えても完全な答えが出ることはないだろう。だからこそあらためて考えさせられた。アサダさんの日常からワークショップや最小の場の形成を図っていく活動は簡単ではないし、柔軟な発想も必要で、最初のこの人は何をやっている人なのだろうかという思考はなくなり、ただただ面白い人だなと思った。SNSが発達する今の世の中で、本当の意味でのコミュニケーションは取れているのだろうか。違う気がする。アサダさんはこう答えていた。「日常でも、SNSでも使い方通りそのまま使っていてもダメで、そんな使い方しないだろ、というような説明書にはない使い方をすることで、そこにコミュニティや場が生まれるのだと思う」という考えも答えの1つで、この他にもきっと答えはあるはずで、建築を交えた答えを提案していくことはどうすればいいのかを考えていくきっかけとなるレクチャーだった。本当に面白いレクチャーをありがとうございました。

李智善
 アサダワタルさんのレクチャーが始まってどのくらいかは何の話か、ここからどう展開して行くのか分からなかった。もっと正直に言えば、“表現活動”、“日常の再編集”という言葉からの話が、建築とどのような関係があるのかと思いながらレクチャーを聴き始めた。面白い話が続き、ただその話に夢中になって聞いていたら、だんだんアサダワタルさんが言いたいことが分かるようになり、建築との関わりが見えてきた。また自然に日常についての私の考えと比べることになり、ちょっとだけの考え直しによって、もっと楽しい日常を作っていくことができると思った。
 レクチャーの中で日常ということは意識しないと流れてしまうことで、そのような日常の中の素材を集めて配置し、全体を取りまとめることが日常の再編集という話があった。このような活動の目的はものすごい活動をすることでなくても、流れている日常を特別に考えてそれを他の人と一緒に共感しながら楽しもうということである。そこでコミュニケーションの“場”が作られる。この考えを実践する例としてアサダワタルさんが行った活動は、ある映像を流して人が集まる場を作ったり、皆で練習して公演を開いたり、借りてそのまま忘れていたものを展示して見る人の記憶を刺激することによってそこで話の場を作り上げたり、また誰かの日常を尾行したりするなどの細心な活動から大胆な活動まで非常に幅広かった。 このように誰にでもあるようなことから人々と話し合いの場が作られることを見て、学校での私たちの普段の生活も一緒だと思った。時々、日常から離れて……という文句をテレビや本から見るが、私たちが時間の流れとともに流してしまう日常の生活がどのように扱われるかによって、その日その日の気持ちをよくすることができると思った。
 すばらしい形態を作ることではなく、人々の生活を繊細に組織する建築でもこのような考え方が重要であると思った。人たちが集まる場所にはどこでも話し合える場を作ることができ、アサダワタルさんのコミュニティーを作るやり方は建築物を作ることとは関わりが薄いかもしれない。しかし、人々が生活する空間やその環境を作る建築にとって、流れてしまう日常を軽く考える瞬間に、空間に対する繊細さを失うことにつながるかもしれないと思った。
 ある人には楽しいまた面白いことを探してそれをやることに見えるかもしれないが、周りの当然なことを大事に考え、自分なりの活動を行ったり、自分の考えを他の人にアピールしたりするアサダワタルさんから色々考えさせてもらえる時間であった。

相馬衣里
 既定概念を破るにはいつも閃きが伴います。決して簡単なことではありませんし時間が要ることをわたしの人生でも感じてきましたが、アサダワタルさんはその壁を破って自称日常編集家として今現在ご活躍されているそうで、私はどうしても気になることが出てきてしまいました。それは、どうやって自分の好きなことをお金に変えて生きているのだろうか?ということです。彼は若い頃に様々な分野の活動をされていたそうですが、現在のわたしもまた、興味の対象にはすぐに手を出してしまいます。面白いと思ったことには身体を向けずにはいられないのです。今回のレクチャーを聞いてアサダワタルさんは自分にそっくりだと感じました。わたしもアサダワタルさんのように友人に「エリは将来なにがしたいの?」とよく言われます。自分でもさっぱりわかりません。ありがたいことに不器用ではない方なので、何かに取り組むとそこそこのクオリティーは出せるし、自分で学ぶことでこなせてしまいます。しかし一定のレベルから抜け出すことができないことが悩みでもあります。大変だし体力も要るし気持ちが追いつかなくなることもありますし、もちろん失敗も多々ありますが、お金が貰えたり、人を動かしたり、評価されたことを思い出すと、つまらなかったと思ったことは一度もありません。しかし、将来的にその技術やこのままのプランニングで現代社会を生き抜いていけるとは思えません。私はアサダワタルさんのように自分に似ている人がしっかり生きている姿を目の当たりにして「あ、この人……今の私の延長線上でちゃんと生きているんだ〜。このまま行っても大丈夫かもしんないなぁ〜。」と少し安心しました。もちろん彼の生き様、苦労を全てを拝聴したわけではないのですが、少し自信が湧きました。
住み開きの活動については、空き家や空きスペースの再利用方法の提案としては魅力的な活動だと思います。私の地元もそうでしたが、田舎にはこういった問題があふれ返っています。そしてどれも極めて深刻であります。八戸のコミュニティセンターの利用方法についての提案や世田谷の民家の提案はぜひ全国に向けてもっと発信して欲しいなと思いました。秋田県もそうでしたが、田舎や錆びれた街には面白い活動が沢山あるにも関わらす、発信力に乏しい傾向があるなと以前から感じていました。それは現地の人が隠れ家的要素を含めて落ち着いた雰囲気を崩さないように構築していったものだからなのか、ただ単に発信する術を知らないのかは知りませんがとても勿体無いと思います。アサダワタルさんをはじめ、こういった活動に携わる人々にはもっと発信することの大切さを知ってほしいです。作り手だって「こう言ったものがあったらいいのにな」を考えてプランニングして行くと思うのに、作っただけで満足するのではもったいないです。東京に出てきて私は田舎に憧れを抱く人が沢山いることを知りました。田舎の人は逆に「東京から来た」と言うだけで珍しがって大歓迎!大宴会の準備スタートです。絶対に「あったらいいのにな」と感じている人は現地でも全国でも数多くいるはずです。私は高校生時代から数々の町おこし活動を見たり携わったりしては、「どうしてこうなった?」と感じるものや「税金の無駄遣いだろ」という結果に至ってしまうケースを数多く見てきました。その活動の多くは子供やお年寄りに目を向けがちだなと感じていました。しかしアサダワタルさんの住み開きのような活動はわりと若者もターゲットにしていたりします。説明しにくいですが、建前としての「若者をターゲット」ではなく、「現代の本当の若者」という意味です。私はこういった活動がもっと増えたらいいなと思いますし、それを基礎としてどんどん地方に普及していければいいなとも思います。

吉田泰基
 日常を素材にして「場」を起こす。このテーマをもとにアサダワタルさんは、文化や音楽や映像、時には街の人までも素材にして環境づくりをおこなっているという。しかし、単に場を起こすと言っても、それには大きな問題が伴う。予算や公共性、政治、建物、時間などが密接に関わるためプロジェクトとそのものがそれらにより打ち切りになったこともあるという。よって、これらのことに振り回されない、もっと身の丈にあった小さな場のプロデュースを考えたという。それは場の最小単位でもある家に着目した、「住み開き」というアートプロジェクトである。家を代表としたプライベートな生活空間などを、本来の使い方ではなくもっとクリエイティブな手法で、セミパブリックな場として開放し、たくさんの文化やコミュニケーションを融合しようという試みである。例えば、お寺を劇場にしトークイベントやワークショプ、銭湯の休館日に浴室内をホール代わりに多岐にわたるアーティストを招いてインベントを行うなどがあった。単なる場が、表現をきっかけにいろんな分野のいろんなコミュニティを編み直すことができていたのは驚いた。建築のソフトな部分の編集ではあるが、ここまで変わることは、これから建築を考える上でハードの部分と合わせて考えていけたら良いと感じた。私は、はじめそのような行為はデザインや用途、建築などを否定するかのように思われたので、講義の中盤からは、とても興味深く聞くことができた。他に面白いと感じたのは借りパクしたCDでコミュニケーションを誘発することであった。日常の中の何気ないことを場に落とし込むことによって、新たなコミュニティを生み出していた。
 そして、全体を通して場としての記憶も繋げているのではないかと感じた。岡さんの家のように本来その家に眠っている記憶を場として開くことによって繋げていた。住み開きに対して建築だけでなくたくさんの良い可能性がまだまだ秘めているように感じた。
 私も、通過していく何気ない日常の中のちょっとした発見や楽しいことのあらゆる可能性を考えられるように意識して過ごしていきたい。

渡辺莞治
 日常を再編集することで、自分自身や人との繋がり、あるいは社会の本質が見えてくる。人は安定しているものに居心地の良さを感じ、日常を心の拠り所とする。在り来たりな日常を再編集することで、自分自身や社会が作り出した壁を取り除くことができる。流れていく時間と感情を止め、少しの表現する場を組み入れることでコミュニティを形成させる。その中で現実的な話として、公共性という壁から予算や費用といったお金や場の継続に左右されることなく、日常であるからには、自分たちの等身大のスケールで表現することが大切であることが分かった。
 「家」は私的で人のスケールが感じやすい日常空間である。小さいけれど豊かな空間を、少しだけ地域に開くことでコミュニケーションも豊かになっていく。ここで重要なことが、自分のペースで無理なく行っていくことだと気付かされた。それぞれの地域の生活環境の中で「住み開き」が育っていく。また、この「住み開き」のニーズが高齢者に高いことも分かった。空き部屋や高齢者の孤独死などが増えている現代社会の問題を、日常を再編することで解消していく。日常的に生活していても隣人の日常は、まったくと言っていいほど覗くことができない。もちろん、ある程度のプライベートは確保しなければならない。ちょっとだけ開きちょっとだけ場を共有することで、コミュニティの繋がりは大きくなる。人が日常の中で出会うコミュニティは限られているが、若者と大人、高齢者のように幅広い新たなる出会いを生み出す。表現をきっかけとし、ジャンル、コミュニティ関係なく再編集されていく。建築を地域に開くことはハード、ソフトの両面で重要である。情報化、多目的化した社会や震災の影響を見ると地域の繋がりの力を感じさせる。「住み開き」の活動の他に「八戸の棚Remix!」で私の興味が湧いたことが、料理教室の買い出しとして商店やスーパーをまわることで街を楽しみながら再発見できることだ。人の生活を決定づける街は、興味のあることや通勤通学といった職業などに左右され、人それぞれの街の日常がある。その街を再編集することで、今まで気づかなかった街の新しい場との出会いがある。
 また、アサダワタルさんのお話の中で、アール・ブリュットをもとに日常から生まれる表現を大切にしている福島の「はじまりの美術館」の話題が挙がった。この土地は、明治からの時代の継承と酒蔵やダンスホール、縫製工場といった用途の変化があった場を受け継いでいる。私も、この土地を見て、様々な要素が絡み合った場がまだ地域についていけてないように思えた。もちろん、これからがはじまりであるから、これから少しずつ地域と共に成長していくことを期待している。今回も、地域とアートといえど、地域それぞれのスケールがあり、そのスケールに合わせてプロジェクトを組み立てていかなければいけないことを感じた。人のスケールに合った日常を感じやすい「家」から再編集していくことで、現代の社会に効率よくコミュニティを形成していく。私は、これから物事の整理、抽出、混在という再編集のステップを自分自身のスケールで表現していきたい。

ゼミナール | Posted by satohshinya at December 3, 2014 13:08 | TrackBack (0)

大館・北秋田芸術祭2014見学会

2014年10月26日(日)、2014年度第4回ゼミナールとして、「大館・北秋田芸術祭2014」の見学会が行われた。以下はその見学会に対するレポートである。

瀧澤政孝
 大館・北秋田芸術祭はこれまで訪れた芸術祭と違い、秋田内陸縦貫鉄道の沿線の北秋田と大館商店街を中心とする大館市にまたがって展開し、地域に根差したアートの展示が行われている。私は秋田という自然の豊かな地域の特徴を活かした展示にとても興味を持った。「美術館ロッジプロジェクト」では森吉山の森吉神社避難小屋にアート作品を展示し、小屋につくまでの登山や登山道からの美しい景色等を楽しみながら感覚を研ぎ澄ませた状態で鑑賞させる試みで、そこでは町中や美術館を訪れて作品を鑑賞するといったありふれた行為では得られない感覚や発想が生まれるのである。また「秋田 森のテラス」では秋田の原風景の中を散策することで、懐かしい感覚を思い出したり、自然だけに囲まれるという非日常体験をすることができる。これらは豊かな自然を持つ秋田だからこそできた独自性のあるアート空間であり、地域の魅力をより一層引き立たせると思う。
 大館・大町商店街での展示は商店街内の店舗に作品を展示するものであった。大町商店街は、昔は秋田のメインストリートの1つで最も賑わっていた場所であったが、今では閑散としてしまっている。実際使われなくなった建物の中に入ることで、作品と共に商店街の現状というものがひしひしと伝わってくるようだった。現在ではもう一度昔の活気を取り戻そうとする地元の人々の働きで、正札竹村デパートをアートホテルや展示スペース、集会場を完備したアートセンターにリノベーションすることが提案されている。こうした動きの中で、芸術祭によりさらに商店街が注目され、町の再興がより早く進むものと考えられる。私は今回芸術祭とはアートのためのものだけではなく、その地域、そして人々のためのものであることに気づかされた。
 またアートだけでなく建築にも触れる機会があった。「大館樹海ドーム」は木造のドーム建築で、格子状の構造体は美しくて迫力があった。ここは多くの人が集まるスポーツ施設やイベント会場として、地元の人々に交流の場を提供していた。周辺には人々の集まる集会施設が見当たらなかったので、このドームの地域への貢献はとても大きなものであると感じた。また空き家になっている民家を再利用するための「民家リノベーションコンペティション」では実際に応募作品を見ることができた。土地の形状や方向性をそのまま利用したり、民家の要素を抽出して形態は全く変えてしまったりと、色々な人のリノベーションへの考え方を見ることができてとても勉強になった。
 今回のゼミでは色々なアート作品に出会えたと同時に、地域再興にも利用されるほどのアートの影響力を学ぶことができた。これからもアートの色々な側面を見て学んでいきたいと思う。

柳スルキ
 この3日間の秋田の芸術祭巡りはただただ楽しかった。秋田犬、忠犬ハチ公と米のイメージしかなかった秋田には住んだことはないけれども、どこか懐かしさや最近の時間の流れを感じた。今回の作品の多くはおばあちゃんを題材にしている作品が多かったような気がする。中でも2年次から注目していた折元立身さんのおばあちゃん全開の作品は、とても不思議で見ていてとても楽しかった。他には増田拓史さんの「食の記憶」や都築響一さんの「おかんアート」などが地元のおばあちゃんをピックアップしていて、街が成り立っている基盤のようなものを感じた。
 廃れていってしまう商店街や街にアートを持ってくることに不思議な感覚が残る。純粋にアートが凄いと思うと共にこの街は大丈夫なのかと不安になる。皮肉のようでならない。このようなプロジェクトによって引き付けられたのに代わりはなく、むしろこのプロジェクトがなければこの街には来なかっただろう。アートで人と人とが出会うけれどもその先はどうなっていくのだろう。もちろん、コミュニティやアートや街の未来について考えたいと思う。アートの押し付けから発展していく何かについて、もっと考えるべきなのかなと感じた。

渡辺莞治
 大館市大町商店街の空き店舗を展示スペースとして使用している「ゼロダテ美術展」。多くのアート作品を鑑賞すると同時に商店街を歩き、大館の空気感を味わうことができた。商店街の魅力のひとつに安心して歩けることが挙げられる。地域の人の生活と関わる商店街では、広い歩道の確保が大切である。大分県の豆田町商店街の事例を挙げると、自動車優先の道となっていて、安心して歩けるものではなく、歩行者の姿はほとんどない閑散とした状態である。商店街は、あくまでも観光客目当てではなく、地域に密着したものでなければならない。今回、印象深かったことは、ハチ公小径の休憩所での出会いであった。この場所は老舗百貨店である正札竹村デパートの一部を解体して、その跡地にイベントが行える通路を設けたものである。私が訪れたときには、学生のバンド演奏が行われていて、パンケーキやホットコーヒーが無料で提供されていた。メインストリートから旧正札竹村デパートに入り、壁に設置された照明によって、ここに導かれたような感じがした。 様々なアートに触れ合っている中で、つかの間の休息と現実といったところでしょうか。学生という将来を担う若い世代が、どのように商店街と接していくか考えなければならない。バンド演奏が終わるとテーブルとイスは片づけられてしまい寂しい雰囲気もあったが、かつて文化の発信地であったこのビル周辺から今後の熱気を感じ取れたような気がした。
 「アート」と「商店街」というキーワードの組み合わせに期待を込めて、もっと盛り上がりのある情景を想像していた。私たちの世代は商店街との関わりは薄く、今では多くの商店街がシャッター商店街となっている。商店街の衰退の理由として、社会のニーズの変化だけでなく、商店街に関わる商店支援者や商店主の意欲の欠落が挙げられるのではないだろうか。近年では、商店街衰退の策として、レトロ、キャラクター、B級グルメ商店街など多くの町おこしが行われたが、成功例は数少ない。他の土地での成功例をそのまま模倣しただけでは失敗してしまう。今回の「ゼロダテ」を含め、アートによって地域を盛り上げようとするプロジェクトにおいて重要なのが、その土地にあったアートを介入させなければならないことである。なんでもかんでもアートを地域に落とし込めば良いのかという疑問点が、私の中で浮上した。中村政人さんのトークの中で「もっと地方のアートプロジェクトを増やすべきである」と言っていたが、もちろんその通りだと感じた。 様々なアートプロジェクトが地方で行われても、その活動や作品を知っている人はほんの一部で、まだまだ地域密着型アートの認知度は低い。 「ゼロダテ美術展」も今年で8年目である。繋がりとしてのアートは、芸術という孤高の存在であるかのように地域から切り離されてしまっては、アートのひとり歩きになり、街の文化が取り残されてしまう。同じ東北人として、今後の秋田でのアートプロジェクトに注目と期待をしている。閉ざされた商店街をどう開いていくか、地域とアートの関わり方と今後の展開を試行錯誤していく必要性を感じた。

田村将貴
 物事には常に限界がある。物理的なことや、精神論でもある。限界がきたものは朽ち果てていったり、新たなものに生まれ変わったり。建築は生き物ではない。時代が進むにつれ取り残されていくものもある。意外にも街はそのようなものであふれているのではないか。活気づいた街を保つことは非常に難しい。都市開発のプロセスがあり、時代の流行り廃り、地域の特色など様々なことに順応していかなくてはならない。今回訪れた北秋田、大舘もそうであった。昔ながらの商店街は朽ち、主要道路沿いに大型ショッピングセンターなどが立ち並ぶ典型的な市街地へと化してしまった。大舘・北秋田芸術祭では、「発展途上になった街を見直し、アートというプログラムで新たな街づくりをしようと試みる」というのが自分の見解である。一貫してこの芸術祭で印象にあったのは過去の話。「わたしが若いころには……」と語りかけてくるような姿勢だ。朽ちた商店街は後ろめたい過去になってしまうのだろうか。過去をしっかりと受け止めることで見えなかったものも見えてくる。それがアートを通して現代の人々に伝わっていくのだ。地域性に富んでいると過去の話も富んでいる。「昔ながら」とはまさにそういうこと。アートという媒体を通して、「昔ながら」を形態化することで人々の記憶にとどまるだけでなく、「モノ」としてあり続けることが重要ではないかと感じた。アートでの街おこしはやはり難しい。ファサードのないものであるため、内部互換でやりくりするのにはやはり限界があると思う。アートの基準点を探すことが良いのではと自分のなかで思った。アイコンとしての建築が終わりを迎えるように、作品としてのアートも立場が変化していかなければならないのではないか。今回の芸術祭は、地域性がテーマのようにも思えたが、結果論であるようにも思えた。地元を愛する心や、思いを体現していくうちに自然と出来上がったように思えた。求心力、話題力が非常に強いアート作品は、一種のメディアとしてそこにおかれていたのではないか。地域性をアピールし、地元民にすらも地元を回帰させるようなメディアとして人々に訴えかけていたように見えた。これにより箱モノとしてのアートの敷居が低くなり、人々の日常の中に落ちついていくような存在になった。大舘・北秋田で伝わってきた「昔ながら」の話を過去の話というのは失礼だと最後に感じた。なぜなら今もなお伝わる形を変えながら、生きているからである。

今村文悟
 大館・北秋田芸術祭は大館市の商店街と北秋田市の山深い秋田内陸縦貫鉄道沿線を舞台としている。秋田の自然の中を歩きながらみるアート、商店街を歩きながらみるアートは、秋田の日常の中に非日常が挿入されていて面白い空間になっていると感じた。
 「森のテラス」では秋田の自然の中を歩き、緑画をみるという自然の価値を再認識できる場所になっていた。旧浦田小学校での「魚座造船所」は小学校が新たな集いの場となっていた。「美術館ロッジプロジェクト」は森吉山の避難小屋という何の設備もない美術館とはかけ離れた場所での展示。山を歩くことで普段とは違う感覚になってから普段入ることのない場所で、作品をみる視覚以外でも感じることのできる作品だった。
 大館大町商店街は現在では使われていない店舗での展示が主だった。ランプシェードを作るワークショップも開かれていて、参加型のプログラムがあったことも印象に残った。商店街を再生させる試みとして旧正札竹村デパートを正札アートセンタとする構想がある。残されたハードに新しいソフトを入れることで、新しいコミュニティの場を作り出すことができる。このような取り組みがこれからは大切になっていくのだと思う。人口縮小時代にはいっている現在、ハードの整備よりも先にソフトの整備が必要だと感じている。
 この芸術祭はアートプロジェクトを通してコミュニティデザインを行っていると思う。大町商店街でも鷹巣でも無料で誰でも利用できる休憩所があった。そこを一つのコミュニティの拠点としょうとしている。テーブルとイスもある、テレビもある、卓球台もある、でも使う人は見掛けなかった。ハードの整備やアートによって商店街に活気を取り戻すよりも先に、まずそこに住んでいる人たちのコミュニティを考え直すことが必要だと思う。そこに住んでいる人たちが参加できる、参加しやすいプログラムを住人と一緒に考えることが次の段階へ進むきっかけになると思う。それができて初めてソフトとハードを一緒に作るアーキテクチャが意味を発揮するのではないかと思う。自分が生まれた北九州でも最近はシャッターをおろしている店が多くなった。駅の近くにはマンションが建ち、どことも変わらない風景になりつつある。これは日本のどこでも起こっていることで自分たちが考えていかなければいけない問題だと思う。大館・北秋田芸術祭を見たことでアートによるコミュニティデザインの可能性を感じることができた。これからも「建築」「アート」「コミュニティデザイン」について考えていきたいと思う。

永田琴乃
 私はほとんどアートについての知識もないが、時々美術館へ行くことはあり、芸術祭に訪れるのも今回の研修旅行で数回目のことだった。ただ、夜行バスで行けば片道約半日もかかる秋田県に訪れるのは初めてで、出発前は現地の気温のことばかり心配していた。運が良かったのか心配のしすぎだったのか、着いてみれば思っていたよりもうんと暖かく過ごし易い、2泊3日の研修旅行はとても楽しく充実した3日間であった。
 初日に訪れた旧浦田小学校、ここで強く印象に残ったのは、芸術家によるアート作品ではなく、何気なく飾られた学生達の写る航空写真だった。昇降口を入ってすぐ、下駄箱の上に飾られていた記念写真らしきものにふと目が奪われる。50人いるかいないかの学生と、おそらく先生も参加しているように思う「130周年 浦田小学校 2005」の人文字に、何故かとても胸が締め付けられた。航空写真では一人一人の表情はまったく伺うことが出来ないが、なんだかとても楽しそうで、撮影時の様子が頭に広がった。そんな記念写真が、今はもう使われていない小学校の玄関に飾られている。こうして芸術祭に訪れた人たちでさえじっくり見るか見ないかわからないような、写真の中の幸福感とのギャップに、心地悪さと切なさのような感情を持ったのかもしれない。
 2日目に訪れた大館大町商店街での“対談:岩井成照×中村政人”では、後半に岩井さんが発した「人がいないことに価値を」という言葉が印象的であった。街とアートを結びつけたその意図には、かつての賑やかさを取り戻したいという希望が込められているように、私は終始感じていた。だとすると、岩井さんの言葉を素直に飲み込むことは難しい。しかし、日々の中で「人がいない豊かさ」を私自身感じることは多々ある。あえて自分がどちらかと言うのならば、この大館・北秋田芸術祭、特に大館大町商店街でも、人気の無い静かな通りを様々なところからやってきた私たちのような観光客が点在する。地図を持ちアート作品を探し彷徨っている光景を、どこか不思議で面白く感じ、楽しんでいたようにも思うのだ。
 しかし、時々出逢う街の人々はというと、やはり嬉しそうにこの街のことを話してくれたり、「どこから来たのか?」と気さくに話しかけてくれたりする。「昔は賑やかだったの」と懐かしそうに寂しそうに聴かせてくれる。そして街の人たちと小さな関わりを思い返した後には、この芸術祭の向かう先が「人がいない価値」では無く、もっと活気のあるものに進化していくことであると、改めて確信するのであった。 
 住人の思いとは裏腹に街は何かしらの変化を続ける。そこに、例えばアートこそが寄り添い彼らの思いと街を紡いでいくことが出来るのではないか。この大館・北秋田芸術祭ではその始まりを覗き見ることが出来たように思う。

江澤暢一
 大館・北秋田芸術祭は今まで体験してきた芸術祭の中でも特異なものであったと感じている。今まで行ったことのある芸術祭は公園などの広場の中や複数の施設など限られた空間の中に並べられているイメージが大きかったが、今回の大館・北秋田芸術祭は会場の広さ・展示物の大きさなどスケールに大きな差があった。大館・北秋田芸術祭の中で印象に残ったものの1つが「森のテラス」内にあった自然の音を聞くための展示である。今までの展示の多くは創作物を鑑賞するものであり、自然との関係もただ自然の中に配置されている程度であった。しかし森のテラスにあった展示は、そもそも展示といえるのかわからないが、自然そのものが芸術品であり、自然とのかかわりが希薄になった現代こそできるアートなのだと思い、これこそ現代アートなのではないかと思った。また、同じく「森のテラス」内にあった村山修二郎さんの緑画という作品も酸化などのためごく短期間で表情を変えてしまう。そういった刻一刻と表情を変化させるアートも現代アートならではなのだと感じた。一方で、旧正礼竹村デパートの再利用のように過疎化してしまった商店街にアートを持ち込み、そこで芸術祭を行うという取り組みも見ることができた。こちらのエリアは前者の自然の中にあった展示品と異なり地元の人ともふれあい、会話をしながら芸術品を楽しむことができ、こちらにも独特の面白さがあった。特にxCHANGEやリビングルームなどは実際に地元の人と会話したり、地元の人が芸術祭自体に参加しながらも生活をしているというのがヨコハマトリエンナーレなどにはなかった特徴であり、よさでもあると感じた。日本全国で同様の芸術祭が行われているとの話を講義にて聞くことができたが、ただ地方に人を呼び込むためだけでなく、地域のコミュニケーションの活性化の一端を担っていると勝手に感じていた。しかしその考えは一方的なものであったとすぐ私は気づかされた。最終日ふと立ち寄った地元の和菓子屋さんは直接芸術祭に関わっていない方だったのだが、その人の話では4回目となるこの大館・北秋田芸術祭だが、「プラスの影響はなんらない」との話を聞いた。「芸術祭の開催中もそれ以外も商店街を通る人に大差はないし、芸術祭を見に来た人は商店街など素通りしてしまう」とのことであった。地域復興などに芸術が用いられることが多く、それ自体は楽しい企画だと思うが、上記のような意見が地域住民の中にある以上、全国各地で行われている芸術祭もそういった主催者側と地域住民との相違点があるのではないかと考えることとなった。
 2泊3日の大館・北秋田芸術祭見学会は芸術祭で多くのアートや使用しなくなった建築物などの再利用方法などを見ることができた以上に、講義や現地の人の話を実際に聞くことができた点で学校の講義で学ぶことは難しい事柄も勉強でき、とてもいい経験になったと思う。

ゼミナール | Posted by satohshinya at December 3, 2014 12:41 | TrackBack (0)

黄金町バザール2014見学会

2014年10月9日(木)、2014年度第3回ゼミナールとして、「黄金町バザール2014」の見学会が行われた。以下はその見学会に対するレポートである。

瀧澤政孝
 今回訪れた黄金町は独特の歴史を持つ町であった。黄金町の高架下一帯では、昔、人身売買や麻薬取引などが行われていて、夜は一人では歩けない危険地帯であった。そこで行政が介入することで高架下一帯が一掃され、そこには新しいアートスタジオやギャラリー、カフェがつくられ、また元々高架下にあったお店は高架脇に移転することで、高架下一帯が芸術文化の発信地として生まれ変わった。スタジオやギャラリーや広場といった建築が集まる場を提供し、そこではアートによって人々が繋がっていったことで、新たな町の魅力が形成されていったのだと思う。黄金町のこの事実を知って、私は建築とアートには何かを変える力のようなものがあると感じた。しかしこの町が変わったのはそれだけではないと思う。確かに建築とアートが変わるきっかけになったと思うが、それだけでは一過性に終わってしまう可能性がある。だが黄金町では精力的に長期レジデンスアーティストの募集や黄金町バザールなどのイベントの開催、ボランティアによる町内パトロールなど、町の人々が進んで取り組みを行っている。私はこれが黄金町の新たな魅力の維持に繋がっているのだと思う。今回の黄金町バザールで高架下が見事に展示空間に変わっているのを見て驚いた。なお高架下の建築構造は、法規により高架の柱に頼ることができないので、100mm角の鉄骨柱をW型にしたものや木造のものなど、様々で表層のイメージとは異なる素材感で内部空間が構成されているのでとても面白かった。
 そして、チョンノマのコンバージョンがとても新鮮であった。外観は個室ひとつずつについている小さな窓が並んでいて、昔のチョンノマの部屋割りを示す窓割りが残されていた。また、現代の用途に合わせて表層的に区切られているのだが、それは元々の建築の境目とはずらして行われているため、近づいてみたときに少し違和感を感じたが、それがチョンノマとしての「昔」の姿とスタジオとしての「今」の姿の両方を表している独特のファサードを形成しているのが興味深かった。なかに入ってみると本当にひとつひとつの個室がとても小さく、階段も急で天井も低く、本当に最小限のスペースしかなく衝撃だった。
 多くの展示作品の中で気になったのは、李仁成さんの高架下に展示されていた様々な平面イメージを大きなパネルにした作品である。最初見たときはサーモグラフィーの画像と間違えるような鮮やかな色が印象に残っていた。思わず何が写っているのか立ち止まって考えた。
 黄金町バザールは横浜トリエンナーレと比べて規模が規模が小さかったがどの作品も強烈なインパクトのあるものばかりであった。それは町民だけではなくアーティストたちなど多くの人々がつくり出した黄金町の魅力が作品の個性を引き立たせていたのではないかと思う。今回は個性のある展示空間が作品の個性を引き立たせるという展示の魅力に少しながら気付くことができたと思う。

渡辺莞治
 明るさと暗さの二面性が強く見える黄金町。黄金町駅から日ノ出町駅間の高架下で繰り広げられている物語、そこで生まれるコミュニティ。「仮想のコミュニティは、アートのフィクションとしての性格がコミュニティに対して能動的な役割を果たすかも……」とガイドブックに書かれている。薬物売買やちょんの間などの小規模店舗という暗い過去から、行政とアートの介入によって地域の人が安心できる街へと生まれ変わっている。黄金町バザールは、国内外のアーティストが集まり実験的なアート展示を行っている。多くの作品を見てきたが、漠然としているメッセージではあったが、どれも強烈で印象深かった。警察の摘発によって無くなっている過去ではあるが、今でもちょんの間の名残が少なからず残っていて、暗い過去と明るい未来が混沌としている街。きっと黄金町の歴史からこの場で作品をつくったり展示することは、アーティストにとっても刺激的で可能性が広がるのであろう。少なからず私は、街を歩き、アートに触れ、その二面性を感じた。その中でも、李仁成さんの作品が印象的であった。 壁や柱などには、無数の傷があって、その傷には私たちの歴史が刻まれている。多くの作品が、新しい黄金町をイメージさせるようなものに感じたが、その中でも過去を消してはならないというメッセージを残しているような作品でもあるように感じた。
 小規模店舗の縦長につくられた急な階段や小さい部屋、隣同士が雑然としていて高架下に広がる路地裏のようなスペースがアート・街歩きの楽しさを加速させてくれた。アートが落とし込まれたこの街には、少しずつ能動的な空気が流れ始めている。地域住民や警察といった街全体が力を合わせなければ、街は意識的に変わることはできない。アートというツールによってつくられた新たなコミュニティは、街の人々の意識と性格を変えているのではないだろうか。今回、ヨコハマトリエンナーレと連携し、規模も大きくなり、国内外の文化的交流も含めた大きなコミュニティがつくらている。これはアートによってつくられた仮想のコミュニティであるが、このアートプロジェクトを通してリアルなコミュニティの街の安全・安心をつくりだしている。私は、黄金町を訪れ、街・人・社会・アートなどそれぞれが変わり出そうとしている力を感じた。また、ヨコハマトリエンナーレのテーマ「忘却」の「忘れる・思い出す」というものが、この街の歴史と未来に関わっているようにも感じる。地域の人は、思い出したくもない触れたくもない過去かもしれないが、完全に払拭された、言うなれば「忘却の街」には違和感を感じてしまう。アートというツールに介入され仮想のコミュニティを見せられたこの街が、今後どうなっていくのか気になる。アートで街を繋ぐという試みは、街の背景や社会・時代の状況、人の心などその街特有の問題をもアートが包み込まなければならないことが分かった。小さい街の中に大きな力とアートを感じ、仮想とリアルなコミュニティを見ることができ、その難しさとアートによって繋がれたコミュニテイの強さを感じた。

末次華奈
 黄金町の印象はなんだか人が少なく閑散としているものでした。平日だからでしょうか。私が想像していた、まち全体を主体として行われているというものではないようです。駅から少し進むとそこに会場はあります。高架下を中心とした川沿いにある昔の特殊店舗や小規模飲食店などをリノベーションした建物です。なるほど、やはり黄金町にはやはりどこか異様な雰囲気がありました。しかし建物を取り壊さずに再利用しているという点で、このまちの異様な雰囲気をも地域の特性として活かしつつ、まちづくりをしていくという意志を感じました。高架下のガラス張りのスタジオやギャラリーでは、アーティストたちが何かに取り組んでいる姿が見え、面白い風景ではありましたが近付きがたいというのが始めの印象でした。昔から住んでいる人たちにとって、アートとは興味深いものなのでしょうか。
 まちおこしになぜアートをもってきたのでしょうか。10年ほど前は、美術館でのまちおこしが流行していたといいます。黄金町のまちおこしは若手アーティストを使われなくなった昔の施設に住まわせ、人の居なくなった場所を活性化させようというものです。明るくないまちの歴史をふまえ、親しみやすいまちへと変わろうとする力を感じました。しかしこのような、まちで行われるアートのお祭りには幅広い人々が訪れるため、「予備知識が無くても楽しめる分かりやすいアート」と「複雑で難解な深いテーマのアート」の板挟みになってしまうのではないでしょうか。このような様々な問題を抱えて継続していくのは、非常に大変なことだと思いました。黄金町が日常的に人が訪れる場所に変わっていくには、どうしたら良いのか。難しい課題だと思います。
 私が気になったのは演劇センターFによる特別企画です。一見ただのバーのように見えますが、パフォーマンスの上演やワークショップが行われる手づくりのスペースです。地域を巻き込んだ演劇を上演しており、観客と役者が商店街を歩きながらお店を巡る作品や、両岸から糸電話で会話したりと面白そうなものが沢山ありました。放課後は地域の小学生たちが集まり、くつろいだり何かを企画したりしているようです。アートでまちおこしをするならば、まちに根付いてこそだと思います。異物がまちにやってくるのとは異なります。
 アートに知識のない私から言えることは、とにかくまず気軽に歩いてみるのがいいということです。様々な国のアーティストたちが自由に展示している作品は、多種多様で新しく感じます。その中でも、嫌いなものや気味が悪いものを発見するのもまた面白いです。よくわからないという感じ方も理解のうちの一つなのではないでしょうか。

田村将貴
 高架下建築とは現代において、珍しいことではなくなった。昭和時代から繁栄していた場所の一つであり、法規ギリギリもしくは違法であろうとも言える建築すら見られていた。日の当たらないところに影はできることのように、決して治安がよい場ではないことは一目瞭然である。黄金町の高架下もまた、犯罪によって栄えた場であった。いつの時代も人々は群れをなして生活をしてきた。動物の本能行為とも言えるこの行為は大衆だけでなく、ホームレスや犯罪者らもやはり群れをなすのである。
 群れをなすことにより様式、文化が統一された地は、実はリノベーションに適しているのではないか。犯罪の巣窟であった黄金町の高架下周辺は、地域民によってアートとそれに従ずるレジデンス空間へと生まれ変わった。前者に倣いこれもまた群れである。高架下や、周囲の建物にインスタレーションとして、美術展開されていった。私は建築とインスタレーションについて考えた。私が見てきたインスタレーションは、ホワイトキューブであったり、一定の空間が提示された中でのものだった。そういう意味では同じだが、黄金町バザールの展示空間は少々異なる。住宅などの空き家をインスタレーションとして扱うのは初めてだった。壁や天井、しつらえを変えることで自らの思いのままの空間にする。美術館などでよく見られるインスタレーションのための空間は、それに適応させようとするデザインが少しはされているのではないか。空き家のインスタレーションにはそのような慈悲は一切なく、アーティストを挑発するかのごとく無謀とも言える展示空間を叩きつけてくるのだ。黄金町バザールでみたそれらは、素晴らしかった。全てとは言わないが、アーティストの手にかかればそんなものは関係なかった。建築を強制的に従属させるわけではなく、アートで包み込むかのようだった。アートと建築は似ていると私は思っている。コンテクスト、シークエンスを読み取り、デザイン、設計をする。もちろんそこに、己の理想や思想が入るわけである。建築をインスタレーションと言っていいかとなると私は悩む。建築は決して自己満足で終えてはいけない。本来はアートのようなアイコンでもない。アートは語りかけてくれるかもしれないが、建築は語りかけるような操作をしなければいけない。設計者が逐一説明するようなことがあってはいけないのだ。あくまで建築を作品と呼んでいいのは完成当初だけではないだろうか。不特定多数の人々に使われ、人間環境に溶け込んでいくそれは、もう作品ではない。黄金町の高架下もそうして年月をかけ、人間環境の中に溶け込み、いつしか異物にも見えるインスタレーション空間が当たり前に人々の生活に刷り込まれていくのではないだろうか。犯罪は非常に繁殖力が強く、一気に人々の生活の中に根付いてしまう。アートもそうなるとは言い難いが、黄金町バザールで高架下の新たな可能性を知ることができた。やがて黄金町のアート活動が人々の生活に根付いていくことを願っている。

下村燿子
 初めて黄金町バザールへ行ったのは1年生の時でした。その頃現代アートが何かすらよく分からず、現代美術館へ行ったことのなかった私にとって、黄金町は異様な世界に映りました。黄金町駅から日ノ出町駅の間の高架下にギャラリーやアトリエや広場があり、入り組んだ狭い道を入ると周囲にはコンバージョンされたギャラリー。わくわくしながら歩いたり、見たことのない様な現代アートを見て気持ち悪い、奇妙だと感じたり。時には面白いものを発見したり。とにかく初めての詰まった場所でした。2年前は単なる好奇心のみで見ていましたが、去年と今年を経て少しずつ、アートをつくった作家の思いや、地域に住む人々の町を変えたい気持ちや、黄金町のNPOで働く人々に着目しながら町を歩けるようになってきました。
 私が今年の黄金町で一番衝撃的だったのが、太湯雅晴の展示でした。公共の場での創造的行為をテーマとして活動するアーティストです。スタジオであるハツネウィングに入ると、そこには何もなく、ただA4の紙に印刷されたドキュメントが4枚壁に貼り付けてあります(拘って書いたようなものではなく、ささっと文章のみで書かれたもの)。読むと、自身の活動について説明してあり、以下のような内容でした。スタジオに飲食店を呼び設置し、通りがかる人々を集めようと思ったが、実際に飲食店を呼ぶことが中々難しく、結局設置するに至らなかった。なのでこのスタジオには何もなく、私がここで過ごし生活した痕跡だけが残っている、と。文章を読み終わったとき、思わず笑ってしまいました。展示物がないとは無責任だけれど、逆に潔い。展示物のない展示場所。1階の奥のスペースや、2階に上がって各部屋を見ても、どこにも何もありません。物はなにもなく、ただ作家がここで過ごしていたんだよなぁと思いを巡らせるしかありませんでした。何も展示しないことが作品である空間は、この黄金町でしかできないことではないのかと思いました。
 黄金町の中で好きな場所は、ちょんの間のコンバージョンである黄金スタジオです。以前は1階が飲食店、2、3階は2畳程の部屋として使われていました。階段は急で、人がすれ違うのがやっとなほど幅が狭く、上階は天井が低く、3階に至っては窓がありません。違法に使われていた異様なこの建物が、いまはアートを展示する場所になっています。この狭さだからこそ、部屋に入ると、アートとの距離がとても近く、より作品の躍動感や、アーティストの思いを感じることができる気がします。
 黄金町は日本でここにしかない特別な場所。これほど大きく、アートによってまちづくりがなされた場所はないように感じます。黄金町がこれから先、どんどん普通の町へ変化していくに連れて、同時にアーティスト達がアートによって、良い意味で黄金町を異様な町にしてくれたら、と思います。

木村肇
 黄金町とは、京浜急行本線で横浜より三駅目の「黄金町」駅と、手前の二駅目「日ノ出」駅との間、大岡川沿いの地域を指す。現地を訪れたところ何か特別な事が行われているような印象は受けなかった。しかし、黄金町の本性は駅前ではなく、京浜急行本線の高架下周辺にあった。黄金町の高架下や小規模な建物や既存の店舗、空地などを会場にして行われるアートフェスティバルが「黄金町バザール」である。今年で6年目になる今回のテーマは「仮想のコミュニティ・アジア」で、公募審査により選考された国内外のアーティストの新作を黄金町の町中に展開し、横浜をアジアにおける文化の重要な発信拠点として位置づける試みをしている。
 黄金町は独特な歴史を持っている。第二次大戦後、人々が集まり闇市が形成され高架下などの飲食店では違法な買春行為が行われるようになった。間口1間ほどの1階の店舗で酒などを提供し、狭い階段を上った2階の1~3畳の部屋で買春を行う形態の店舗が多く「ちょんの間」と呼ばれていた。麻薬も流れ込み、「麻薬銀座」として悪名を馳せていた。その後、阪神淡路大震災を受け、高架の耐震工事により約100件の店舗が周辺に拡散してしまい、まちが急速に壊れていった。これに危機感を覚えた地域住人の働きにより違法店舗は一掃されたが、閉鎖された250もの空き店舗をどうするかという問題が生まれた。そこでアーティストを呼び込みまちの活性化を図った。平成20年の「第3回ヨコハマトリエンナーレ」に合わせ、空き店舗を利用してアートベントを開催した。それが「黄金町バザール」の始まりである。
 この歴史を元に今回のアート作品について見てみると、原田賢幸さんが作成した「机の染みは昨日のものか。それとも。」はちょんの間の跡地に身近な家電製品や日用品と音(声)を融合させたインスタレーションで、感情の喚起と共に、日常の変容を試みた作品は麻薬銀座時代の黄金町を彷彿とさせる薄気味の悪い混沌とした雰囲気を醸し出していた。他にも、フィリピン人アーティストのポール・モンドックさんが作成した「スメバミヤコ」は、廃車や積み上げられた金のレンガ、剥製の鳥や植物など異質な素材を巧みに組み合わせて、創り出された不思議な世界は高架下の空地に設置されている。ここにあった少女を模した能面が毛布に包まっている作品は買春をしている少女の姿を現しているのだと思った。
 全体を通して見てみると、様々な国のアーティストが集まっているだけあって黄金町周辺は異世界の様な奇妙な雰囲気があり、1つ1つの作品を見て回っているとあっという間に時間が経っていた。
 暗い歴史を持つ黄金町だが、「黄金町バザール」などのイベントにより、今は様々なアーティストの集うまちに変わりつつあると感じた。そこで起こる人々の交流は様々な化学変化をもたらし、昔の犯罪者達がつくり上げた悪く暗い混沌とは違う、新しいこれからに向けて輝く奇妙な混沌が今の黄金町の特徴なのだろう。

ゼミナール | Posted by satohshinya at October 29, 2014 15:57 | TrackBack (0)

ヨコハマトリエンナーレ2014見学会

2014年10月4日(土)、2014年度第2回ゼミナールとして、「ヨコハマトリエンナーレ2014」の見学会が行われた。以下はその見学会に対するレポートである。

瀧澤政孝
 今回訪れた横浜トリエンナーレは、横浜美術館と新港ピアの2箇所のメイン会場の他に、その周辺の町中にも作品が展示されていた。横浜の町が大きな美術館となっているのだ。町中の作品はどれも町並みにとけ込みながらも独特の存在感を発揮しているように見え、印象的であった。町中に展示されている作品は幾何学的で抽象的であったり、ヴィム・デルボアの「低層トレーラー」のような機械的であったように、都市にとけ込む要素を持つものが多く展示されていて、展示空間である都市と作品の関係が考えられた上での選択ではないかと感じた。作品が空間の一部として成り立ちながらもそれぞれの存在感や個性を示している今回のような展示空間を体験することができ、とても勉強になった。
 また美術館は展示空間をつくり込みすぎないことが大切であることを知った。あまりつくり込んでしまうと展示空間が限定的になり、作品に合わせた自由な展示が行えなくなってしまい、使いにくい展示空間になってしまうとのことであった。ある程度フレキシブルな空間である方が様々な作品をより効果的な方法で展示することが可能となる。今回のような映像や写真をはじめとする様々な表現形式の作品が一ヶ所に集まる企画展では特に重要なことである、と感じた。これは他の建築にも言えることであると思う。建物を設計する段階でつくり込み、各室で機能や人の行動を完全に分けるよりも、あえてシンプルな空間をつくることで様々な状況に対応することができ、それによって新たな活動が生まれる可能性もあるのだ。
 そして、もっとも印象に残ったのが横浜美術館内のTemporary Foundationである。円形の空間を壁が二分して、それぞれでテニスコートと裁判所の法廷が再現されていた。テニスコートの方は壁が鏡になっていて円形の空間内にテニスコートだけがあるように感じられる。テニスコートは空間の半分しかないのだが、まるでコート一面がそこに存在するように見えるのである。薄い壁によって同じ空間でも全く違う空間体験をすることができるのがとてもおもしろかった。そしてこれは建築にも応用できるのではないかと思った。敷地がとても狭い場所であっても、鏡の設置によって空間を実際よりも広く見せたり、ないはずの奥行きを視覚的に生み出すことができるので、より多様な空間を生み出すことができるのではないかと考える。
 今回のゼミで展示空間を考える際には作品の個性やそれを実際に展示する過程、その空間を体験する人が何を感じるのかを理解しておく必要があることを学んだ。今はまだこのことを知っただけであるので、これからは作品や空間体験をについてゼミを通して学び、展示空間を考えられるようになっていきたいと思う。また今回はあまり見れなかったが、照明計画などの光の扱い方も学んでいきたいと思う。

吉田泰基
 トリエンナーレと呼ばれる美術展覧会を訪れるのは初めてである。トリエンナーレのそもそもの意味が3年に1回開催される美術展覧会と聞き、もっと壮大で分かりやすいアートを想像していた。初めは期待通り、ゴシック建築の繊細な窓をモチーフにしたヴィム・デルボアの低床トレーラーが壮大さを予感させるかのように展示されていた。また、エントランスにも、マイケル・ランディの巨大なアート・ビンというゴミ箱が展示されていた。ゴミ箱を「忘却の容れ物」と解釈し、そのゴミ箱を美術館の中心に置くことによって、私たちの大事な忘れ物がよく見えてくる。ここまでは、私的妄想と合わせて理解ができる。
 しかし、その期待はあっさり裏切られた。第1話から入り、最初の部屋には、ガジミール・マレーヴィチのシュプレマティスムの小品が何の説明もなく展示されてある。だが、はたしてアートにそれほど馴染みのない人がいきなりこれを見て、それが何なのか、何がいいたいのかわかるだろうか。その後も、ミニマル・アートのほとんど白紙の如き絵画がやはり何の説明もなく展示されている。ここで、ようやく現代アートの難解さに気付かされる。以降、難解すぎるアートと向き合いながら進み、釜ヶ崎大学エリアに入る。ここは、雑然と作品が展示されているが、今までとのギャップなのか、暖かみを感じる分かりやすいアートであった。3話、4話、5話は、1話と比べると比較的背景なども想像しやすく、リラックスして鑑賞することができた。そして、今回一番心に残っているが第6話である。いつの間にか監獄のような趣向が出てきたり、赤く塗られた法廷など、説明や理屈抜きに訴えてくる作品が多かった。素人の私には、このような監獄や法廷などのインスタレーションに身を置いて感じ取る、楽しくも知的なアートが分かりやすい。新港ピアの方の第11話の「忘却の海に漂う」は、一番まじまじと時間を掛けて見ていたように思う。特に、原爆の被害者などの一個人を対象にしたスナップ写真。普段は、メディアなどを通して漠然とした被害の数値や概要を見てきたが、ここでは生活感を感じさせる物が多く、一個人の存在をリアルに感じることができた。正直、鳥肌が立ちっぱなしであった。
 全てを回り終えて、今回のヨコハマトリエンナーレのキーワードである「忘却」について、まだぼんやりとだが、森村さんが表現したかったことが見えてきた。「忘却」というキーワードは、大したインパクトのあるわけでもなく、未来志向でもないが不思議な世界を演出してくれた。これをきっかけに、小さな物が大きく見えるようになった気がする。

相馬衣里
 約2年前、上京したての私が初めて行った美術館も横浜美術館でした。前回は奈良美智の展示で、キャッチーな作品が大方でしたが、今回の横浜トリエンナーレは、人間に関する倫理的な題材をモチーフにした作品が多く、鑑賞していて少し気分が重くなりました。展示によってこんなにも建物の印象、空気、雰囲気がガラッと変わるものなのかとすごく印象的に残っています。
 それでは、今回私の印象に残っている作品についてお話したいと思います。まずは、横浜美術館に出展されている毛利悠子さんです。私は見学会の数日前に、今3331 Arts Chiyodaにて行われている「DOMMUNE UNIVERSITY OF THE ARTS」の展示を見に行ったばかりだったため、そこでも同じくインスタレーションの作品を展示していた毛利さんの作品が印象に残っています。どちらも日用品から家電、楽器などをモーターで規則的に稼働させる作品で、その佇まいは両作品とも似ていたのですが、その場に立った瞬間に感じるものは全く違っていて驚かされました。DOMMUNEの方は明るい雰囲気と未来に向けたエネルギーを感じられる作品でしたがこちらは真逆で、背徳的で情緒的で脆く湿ったようなものを感じました。例えるならば陰と陽です。もしかすると、彼女は同時期にこの二つの作品の製作にかかっていたのかもしれません。どのようなことを考えながら製作に取り組んでいたのかとても気になって眠れませんでした。それから、アンディー・ウォーホルの撮る写真の作品が意外と良いことに驚きました。私は、絵画の人だと思っていたので、彼の写真作品にお目にかかれて光栄でしたし、その作品がまた私の好きなタイプの写真だったため、彼の活動に今まで興味がありませんでしたが惹かれました。写真に関して言うと、来月から東京国立美術館で展示会を控えている奈良原一高の王国の一部も観覧することができて良かったです。構図も素敵ですが、皮肉がたっぷりこめられたような作品に、私は「頭がいい人の写真は格好付けていてダサいのに可愛さがあるなあ」と思いながら感慨に耽ました。
 普段このヨコハマトリエンナーレのように、人間やメディア媒体に関する風刺であったり、シニカルな作品が多い展覧会はその雰囲気が苦手で自主的には赴かなかったのですが、今回はやはり市民に向けた展示ということもあり、楽しく観覧できました。しかしながら、今期私の中で一世風靡をもたらしたDIC川村美術館で絶賛開催中の五木田智央展を超える作品に出会えなかったのは残念でした。私はよく音楽のライブを見に行くのですが、良いライブを見た後は必ず早く家に帰ってギター弾こう!という気持ちになります。この法則に乗っ取ると、様々なアーティストの本気に触れて、私の中でもなにか沸き立つものがあったので、このメラメラが消えないうちに私も何かに昇華しようと思えたため、この展示は良い展示だったということになります。無駄にしないようにわたしの人生に取り組んでいきたいと思います。

渡辺莞治
 「世界の中心には忘却の海がある」とつけられたタイトルは、難しい内容であって漠然としている。その不思議な世界の中に私たちのリアルさが放り込まれている。私たちが忘れていたものや目を背けていたものを思い出すためにも、マイケル・ランディの「アートビン」という巨大なゴミ箱が美術館に置かれていたかのようにも思える。今まで見てきたアート作品で、廃材を使った作品はあったが、このように作品を捨てるという行為から生まれる参加型の作品は初めて見た。今回見たのは、あくまで作品の途中経過であり、また後日見たら違った印象になるのかと思うと、わくわくする。ものがありふれている現代社会に生きる私たちを真っ新な状態にする、今作品の「忘却」 に相応しい序章である。人は無意識のうちに取捨選択して生きているが、意識的に忘れる・思い出すことが今作品に触れ行える。
 沈黙とささやきをテーマとした中で、ジョン・ケージの「4分33秒」という作品があった。休符で構成された楽曲は、ざわめきや吐息、風の音などが聞こえる。この不確定な音たちは演奏ごとに変わっていくために、作品はその場その場で変化し、いわば、かたちを持たない作品である。このような音に耳を傾けるもので、マリー・シェーファーが提唱した「サウンドスケープ」という思想がある。この思想は、日常生活や暮らし、環境などに耳を傾けるもので、音から情報を読み取るというものである。私たち自身に能動的に委ねられた作品によって、今までは目を向けなかった物事に気づき新しい発見が生まれる。
 とくに私の印象に残った作品は、作者を非人称にすることで作品全体からはみ出している「非人称の漂流」である。作品自体からも脱却する試みの斬新さは、他の展示にはない違和感があった。この違和感がよりリアルな現実へと、私たちの気持ちをスイッチさせる。手放す、捨てる、あるいは忘れる。捨てることで新しく得たものは、いずれまた捨てられるかもしれない。ここに、社会の変容性を感じた。建築も芸術もこれまでに新しい試みが行われ、数々のアヴァンギャルドな作品が生まれてきたが、現代アートのような実験的アプローチによって、今日の私たちはリアルに気づかされる。
 現代アートの国際展である、ヨコハマトリエンナーレ。横浜美術館、新港ピアをはじめ様々な会場で連携し、作品が展示されている。同時多発的な、このアート会場の連携は、アート作品に触れるだけではなく、街歩きをする楽しさもある。普段、横浜にいる人たちにとってもいつもと違った街の風景が演出される。一般的に難解な現代アートを街の中に落とし込むことで、人は能動的な時間を過ごす。会場が美術館やエントランスだけでなく、 カフェや書店の中など様々な場所に展示されていて、街と混ざり合う面白さとより街の中にアートを配置している印象を受けた。会場間の無料バスも便利であり、まわりやすかったが、同時に作品と展示会場の誘導する難しさを感じた。この見学会で、街と作品との向き合い方や展示構成・配置などについて勉強することができた。このような大きいスケールの展示に触れ合い貴重な体験であった。

末次華奈
 どうして人は忘却するのでしょうか。目を背けたいような見たく無いものや、見えないもの、記憶からこぼれ落ちたものたちが思いも寄らず、実は世界の中心に広大な海として静かに存在している。そんな忘却めぐりが今回のヨコハマトリエンナーレのテーマです。
 このような芸術祭に初めて参加したので、目に留まるもの全てが新しく新鮮で非常に面白いと思いました。始めにエントランスホールで私たちが見たのは、ショーケースにも見える巨大なゴミ箱でした。マイケル・ランディの「アートビン」です。芸術のためのゴミ箱を創造的失敗のモニュメントと彼は言っています。ゴミ箱の中身は成功のために生まれた失敗たちですが、人からは忘却され捨てられてしまいます。ゴミ箱を生活の中心に置いてみると、こうした大切な失敗に改めて目を向けることができ、これからの成功や輝かしいものに繋がるのではないでしょうか。こちらの作品を見て、今回のテーマを実感することができました。
 忘却されたものは沈黙しています。沈黙しているものは、声に出して語られた言葉よりもずっと深く、真実を語るのだと気付かされました。木村浩さんの「言葉」は絵画作品でありながら私たちに言葉を使って語りかけてきます。「このことについては、黙っていることにする。」ゾッとしました。嫌なところに触れられたような、触れられたくない過去を知られているような。誰に向けて描かれたものなのかはっきりしませんが、見た者の心を揺さぶる強いメッセージを感じました。
 芸術家達は、このように人々が知らないふりをしていたり、うっかり見落としてしまった忘却されたものに敏感に反応し、作品を通して問いかけます。第6話「おそるべき子供たちの独り芝居」という表題に、お前たちは大人になって見えていたものが見えなくなってしまったんだと叩きつけられ悔しくなりました。芸術家たちのひとり遊びに多くのことを気付かされ、ただひたすら欲望するだけの子供時代に嫉妬してしまいます。坂上チユキさんの微細な作品には強い意志を感じました。「師走の毛虫」「くるくる回りすぎて首が雑巾絞りになった水鳥」「鳥の接吻」描く対象は子供のようで純粋な響きを帯びていますが、あまりにも緻密で複雑な描写に驚きました。大人になりきれなかった子供たちのひとり遊びは、確かな技術を伴うおそるべき子供たちの遊びだといえます。
 曇った眼で様々なものを忘却してしまった私たちは、こうした芸術家たちが発する微かな囁きを生き方や考え方を捉えなおすヒントとして大切にしなければなりません。横浜というまちは決して人が少ないというわけではありませんが、アートによって人々がつながり、まちづくりが行われ、ここから世界に発信していくという力を感じました。私のような芸術にあまり知識のない人でも、何かを得られるものだと思います。

柳スルキ
 ヨコハマトリエンナーレとは、何を目的としているのだろうか。おそらく、アートでまちづくりを測ろうということなのだろうが、把握しきれい部分がある。ガイドブックには、『ヨコハマトリエンナーレは、現代アートの最先端を提示しつつ、多くの市民や団体などと連携をとることで、アートを通じてまちにひろがり、世界とつながることで、横浜のまちづくり、そして日本全体の芸術文化の発展に寄与することを目指しています。』とある。現代アートは、知識や国の文化や背景などの事前知識などの必要がなくとも、多くの人にとって平等のように思える。現代アートの形はさまざまあるので、とっつきやすいのかもしれない。これらの点で国内はじめ世界の現代アートが言語を介せずとも受け入れられるからこそ、このようなイベントがまちづくりとして適しているのかもしれない。しかし、海外研修旅行でもさまざまなアートにふれたが、私にとって現代アートは私たちに訴えかけるよりも前にそれ自体で完結しているような感覚にさせる。
 今回のヨコハマトリエンナーレでは、アートのとりいれ方に疑問をもった。実際回れたところが横浜美術館と新港ピアと象の鼻テラスだけだったのもあると思うが。そもそも、横浜は観光地でもあり、国際線の船まで出ているので人は少なくないはずだ。横浜美術館を回ったときは触れる作品が少なく、誤って触れてしまうとすかさず係の人が注意にかかる。これは当たり前のことだが、係の人と少しばかりもめる人もみうけた。これは当事者だけでなくその空間にいる人全体のストレスになっていた。残念ながら、アートで人がつながるような感覚はなかった。新港ピアでは盲目の方が連れの人と腕を組みながら回っていた。五体満足で身体的に何も不自由のない自分にとってはとても新鮮で、どのようにアートを体験するのかが気になる点だ。せっかく、いろいろな人を受け入れ、つなげていく場所ならば、主催側から専門の知識を持った人が案内をしてもいいはずだと思った。その後に向かった象の鼻テラスでは、ちょうど森永さんの聴く服やライゾマティクスとソウル・ファミリーの触覚デバイスの用いた共同プロジェクトが展示してあった。これは、事前に雑誌で確認していたので、大変興味深かった。ここでは、ワークショップが行われているようで目的に合致しているように思えた。しかし、常時は端の方に展示が追いやられていて、多くの人は展示よりも休憩しにくるという感覚のようであった。
 まちづくりにアートを持っていくことに反対するというわけではない。2年の夏と冬に瀬戸内国際芸術祭に行ったことがある。このときは、アートが人を、まちを活性化させることに対しての臨場感を感じた。もともと禿山状態だった島に緑とアートをとりいれると、どんなに暑かろうが長蛇の列をもって人が尽きなかったのだ。これは、瀬戸内海の島の状態に適しているアートのとりいれ方だったからだと思う。
 現代アートでも、海外研修中に行ったティンゲリー美術館のようにスイッチ式で体験のできる展示ならもっとおもしろく幅が広がるのではないかと思った。今回は現代アート特有の自己完結な感覚が強いように思えた。自分自身もアートとまちの関係についてより考えていきたいと思えた1日だった。会期中に回っていないところにも足を運ぼうと思う。

武井菜美保
 紙の燃える温度とその世界に在る忘却の海、というのが今回の題であった。これに対するイメージは、いらない雑誌を燃やすような火ではなくて、もっと暴力的で戦争に用いられるような炎だ。しかし燃え始めの部分は既に炭化しきっていて、黒々と広がっていく。燃える前と後では、同じ場所であったはずでも別世界である。
 序章2の巨大なゴミ箱の中身は真っ白な箱に飾られているときと、くちゃくちゃになってゴミ箱の中にいるときとでは、同じものであるはずなのに見え方や感じ方が全く異なる。むしろゴミ箱にあるときのほうが印象的であるような気もする。そんなゴミ箱が忘却だけを語る容れ物だなんて嘘である。
 序章で語られたことは1~4話からも読み取れるように思う。その中の釜ヶ崎芸術大学に関する話を聞けたのは、今回の展示の流れを読み取るのに大きな助けになった。釜ヶ崎に暮らす彼らは、その日の暮らしのためにただただ働くことに集中し、その日をどうにか生き抜いていく。夜思い返すのはただひたすらにまっさらな情景で、疲れていて眠る。そういったまっさらなところに居た人々が、その情景に物足りなくなって、芸術を用いて色をつけていく。そうして個々の扉が開き、やがては釜ヶ崎からも出て、横浜までにも色が広がってきた。そういう芸術の色により見出された希望のようなものが、あの色とりどりの空間から強く感じられた。
 しかし第3話では、先ほどの絵に描いたような充実が何か暴力的なものによって燃えてしまう。人々は無くしたり、亡くなったりする。また皆が扉を閉ざしてしまう。しかし誰もが「一からスタートしてみたい」と思ったことがあるであろう。これが、つまりはスタートにもなりうる。忘却の海は、新しい創造を可能としている。こうして人々は忘却の海に解放された。
 第6章の「恐るべき子供たちの独り芝居」という題からは、ジャン・コクトーの恐るべき子供たちを彷彿とさせられた。海で漂流する人々は、この小説の姉弟と同じように巧妙に自分だけの世界をつくりだす。でもその世界のつくりかたはあまりにも異様で、その世界はあまりにも狭いので、端から見たら異様だ。しかしそういった世界をもってるということと、その世界の狭いがゆえの完成度に魅了される。しかしこの展示はもっと先をも語ろうとしている。
 10、11章は、それまでよりも受け取りやすかったり、明るかったり、その世界観に私を巻き込もうとしていた。ただそれは、無理やりにではなく、皆一緒に手を繋ごうというような半強制的な似非平和集団でもなく、私達に語りかけながらも入るか入らないかの選択肢は確実に自らの手の内にあるといった感覚である。それとともに、またここが忘却の海になることもありうることも理解しつつも、それをスタートととらえる感性をもっていて、励もうというような明るさがあった。これはもしかすると芸術家や、なにか創るようなことに携わる人に向けたメッセージなのだろうか。
 トリエンナーレの展示は私の自己解釈であるにしろ物語の流れが見えた。全く別々のアーティストの作品を並べることで空間は確実につながっていた。こういった方法で空間を操作できるというのはとても大きくて私には重たいけれども勉強になった。またその後みた「東アジアの夢」の展示ではポップコーンの香りや石油の匂い、目玉や骨など一つ一つの作品が力強く、個々で成立していて刺激的だった。これはきっと物語としての大きな流れがないからだ。トリエンナーレでは個々の印象よりも全体の流れのほうが印象的であった。
 別の展示と比較することで気づくことができる。今度は別の展示をしているときに横浜美術館に行って今回の印象と比べて見ようと思う。

江澤暢一
 私にとって現代アートとはよく分からないものだ。
 美術品の価値を理解できているわけではないし、よく分からないというのは見ていて「つまらない」「退屈」ということではない。漠然と「きれい」「こちらの方がいい」などといった感想は人並みに持っていると思う。しかしその作品について考えたとき、その作品が何を表し、作者が何を表現したかったのか? そのようなことまで感じとれたことはほとんどないと思う。今年の夏に海外研修旅行でさまざまな美術品を見てきたが、キャンバスを白く塗った作品など、どういう作品なのか理解できないものもあった。
 今回見学を行ったヨコハマトリエンナーレも漠然とした感想を持つ程度で終わってしまうような気がしていた。しかし、実際はそんなことばかりではなかった。今回の展示は各国のアーティストの作品をストーリー上に乗せて、ある一定の区域ごとに1話・2話……と設定されており、1つずつにテーマが設けられていた。ただ眺めるだけで終わってしまっていたかもしれない作品も、これがあったからこそ私は自分なりにその他の作品と比べるなどして楽しむことができた気がする。第1話にあったJohn CAGEの「4分33秒」という作品もそのひとつだと感じている。いつもなら遠目で見るだけの作品だったかもしれないが、「沈黙とささやきに耳をかたむける」という全体のテーマがあったからこそ考えることができたと思う。展示の中で最も印象に残ったものがGregor SCHNEIDERの作品である。作品が目の前にある扉かとも最初は思ったが、扉の中に入ると中に広がる空間と湿度に驚きを覚えた。先に進むとすぐにブロック塀に囲まれた沼地にたどり着いた。そこにはひとつ照明が用意され、泥が照らされているだけの展示だったが、光に照らされた空間は非常に美しく、思わずいたる所で何回もシャッターを切った。興味を持ったので帰ってから調べてみたが、開催当初は実際に沼地に入ることもできたようで、作品に触れて体験することができること自体がインスタレーションの醍醐味なのだろうと感じる一方、その体験をできなかったことが悔しいと思った。もう1つは新港ピアでみた土田ヒロミさんの写真作品である。本来、時間の一瞬を切り取る写真で時代を超えた2枚の写真の対比だけでも印象深いが、被写体の広島の人々の写真はカメラ目線だけれども笑っているだけでなく、ひとりひとり複雑でさまざまな表情を見せていた。そんな作品が印象的であった。
 今回、展示されていた現代アートも適切な解釈がどれほどできたのかはわからないし、正しい解釈はほぼできていないだろう。そういった意味では、よく分からないといった状況に変化はない。しかし、私はトリエンナーレを通して「どんな作品なのか?」考えることが現代アートの楽しみ方のひとつなのだと思った。また、そういった機会がひとつの街を巻き込むような規模で、トリエンナーレのような企画が日本中さまざまな場所で見られるようになればいいなと思った。今回はゼミナールというきっかけであったが、今後はきっかけがなくとも自ら足を運ぼうと思う。

ゼミナール | Posted by satohshinya at October 29, 2014 0:41 | TrackBack (0)

北澤潤レクチャー@オウケンカフェ

2014年9月24日(水)、2014年度第1回ゼミナール@オウケンカフェとして、現代美術家の北澤潤によるレクチャーが行われた。以下はそのレクチャーに対するレポートである。

下村燿子
 現代美術家ときいて、今まで見てきた現代アートを想像した。誰かに説明してもらって、作品の意図が理解できたり、単に見ることで何かを感じたり、想像を掻き立てられるもの。北澤さんが紹介したのは、“作品”ではなく、自身の活動や、それによって生じた空間・人々の新しい関わりについてだった。はじめは、これは現代アートであるのか?と思った。
 私が面白いと思ったプロジェクトは2つあって、ひとつは「リビングルーム」。商店街の空き店舗にカーペットを敷き、近くの団地に住む人からいらない家具を譲ってもらい、そこに居間をつくる。そこにある家具は、欲しいものがあれば自分の家から持ってきた家具と交換して、もらうことができる。子供たちがリビングルームで過ごし、近所の人は家具を交換しにやって来る。ピアノがやってきた時はコンサートをし、調理器具がやってきた時はレストランをし、映写機がやってきた時はホームシアターをし……。リビングルームはその時々そこにあるもので、空間の役割が変わり、リビングルームにいる人々は、空間によって役割が変わる。どんどん変わっていく空間と、物を交換しにくる人のようす、変わっていく人の役割。できごと自体は異常なのに、リビングルームのなかで皆がしていることは日常のこと、それがとても面白いと思った。
 もうひとつは「マイタウンマーケット」。被災地の仮設住宅で、手作りのゴザをつくり、その上にまちをつくる。ゴザひとつに対してまちをつくる建物(銀行、図書館、美術館、プラネタリウム……)がひとつ。子供たちがつくりたいと思ったまちを考え、大人たちに手伝ってもらいながら、マイタウンマーケットが開催される日に向けて準備をする。一見、文化祭のようでもあるが、子供一人がひとつの建物を担当する。やりたい建物が自由につくれて、大げさに言えば、夢を叶えられる。こんな建物をつくって、自分が館長さん!という夢。子供の、創造したい欲を掻き立てて、実現できるプロジェクトだ。普段は住むだけの仮設住宅街に、まちができて、皆がそこで遊ぶようすはとても楽しそうで、スライドでみた写真の子供たちは、生き生きとして、マイタウンマーケットを開催する側として活躍し、大人びて見えた。
 どちらのプロジェクトも、つくられているのは“もうひとつの日常”で、そのなかでつくられる、普段から逸脱した人々のコミュニティを、“コミュニタス”と呼ぶと北澤さんは説明した。“もうひとつの日常”のなかで、“もうひとりの自分”になれるそうだ。そもそも、北澤さんが“もうひとつの日常”をつくりはじめたのは、ある作品をつくる時に、その作品をつくろうと思った自分は何がつくったのか?という疑問があったから。作品をつくる過程をつくったのは“日常”であり、そこで北澤さんは、日常をもうひとつ意図的につくり、そこで過ごしたそうだ。“もうひとつの日常”で過ごすことは、何かを創造したいと思う“もうひとりの自分”になること。それがとても不思議で、小さい頃からこういった体験ができた子供たちが、羨ましくも感じた。
 北澤さんのプロジェクトのなかで過ごした人々は、「創造すること」を思い出す。北澤さんのつくった空間のなかで、過ごし、たくさんの創造をする。それは、リビングルームの変わり続ける空間であったり、マイタウンマーケットのまちなみであったり、そこで新しくできた人々の繋がりであったり。目に見えないものが多いけれど、あえて言うなら北澤さんの作品とは、プロジェクトそのものではなく(北澤さんはプロジェクトを作品と言わなかったが)、人々の新しい繋がりや、子供たちがつくったものや、“もうひとつの日常”で過ごした思い出、だと思った。
 今回のオウケンカフェで、また新しい種類のアートの話を聞いて勉強になった。自分の知らない世界の話を聞くと、次の日から少しまわりが違って見える。これからも色々な人の話を聞きたいと思った。

渡辺莞治
 作品ではなく、きっかけづくりを試行し提案しながら活動している現代美術家の北澤潤さん。「芸術の現場を社会に」これは、社会に分かりやすいように芸術のプログラムを配置することと、地域の人たちが積極的に参加することで形成されている。「リビングルーム」では、関わっている人やものを常に変化させていくことで、多機能であり多目的な空間をつくっている。場所は変わらないのに、物々交換というルールのみで時間と共に空間の機能や質が変化していく。これは、既存の建築に手を加えて機能を変えていくリノベーションのようだが、意図していることはそれだけではない。北澤潤さんは、何気なく過ごす日常に問いかけを投げかけることで、人が持つ好奇心や欲求に揺さぶりをかけている。専門的知識を持ったアーティストではなくても、人は誰もがパフォーマーになれる。それは、「何かをやってみたい」という第二次的欲求を形にすることから始まる。イギリスの演出家のピーター・ブルックは、「何もない空間にひとりの人間が横切り、 それを別の誰かが見ている。演劇行為が成立するためには、これだけで十分なのである」と述べている。ジャンルに縛られない空間だからこそ、地域の人たちのイマジネーションが掻き立てられて、プログラムを知っている人も知らない人も誰でも気軽に参加することができる。そこには、たまたま通りかかって参加した人もいるかもしれない。美術館や劇場内で行われる作品は、鑑賞目当ての目的を持った人たちが集客される。しかし、街そのものを巻き込むパフォーマンスは、芸術に触れるという目的をもたない人たちも芸術と出会うことができる。これこそ、 「芸術の現場を社会に持ち込む」という彼の意図することではないのか。
 街に揺さぶりと問いかけを起こした人物に劇作家である寺山修司がいる。彼は、「街は、いますぐ劇場になりたがっている。さあ、台本を捨てよ、街へ」と述べている。市街劇「ノック」は、地域住民の玄関のドアを突然ノックすることで物語が始まる。 演劇という世界に巻き込まれた地域住民は、何も知らずに観客になったり、時にはパフォーマーになることができる。彼は、団欒となったリビングや居心地の良い地域に安心しきった人たちに揺さぶりをかけ、もうひとつの日常をつくらせている。これは、街の日常を非日常的な演劇に落とし込み、曖昧な時間と空間にしている。
 もうひとつの日常を生み出すアートは、新しいコミュニティをつくり出す。現在のアートプロジェクトにおいて、アーティスト自体の存在価値が変化しているのではないのか。私は、アートも建築もコミュニティ形成の一つのツールであると考えている。北澤潤さんも、芸術と生活の境界線である「限界芸術」について触れていたが、アールブリュットやアウトサイダーアートのような芸術という枠にとらわれないアートを尊重する社会が今後必要になってくるではないのか。今日、地域性が問われている中で、アートや建築といったツールを通して地域から発信されるものを私たちは読み取らなければならない。私は、もっと「建築と地域」「アートと地域」「建築とアート」について探りたくなった。

末次華奈
 現代美術家の北澤潤さんに貴重なお話をして頂きました。北澤さんの芸術は作品のない特殊なもので、芸術家といったら良いのか、何なのか悩みました。
 北澤さんは発端として、日常に違和感を感じたとおっしゃいました。日々自分を形成していく日常に対し、常に受け身である自らから脱出するため、日常をどう主体的に更新するのか考えた末、もう一つの架空の日常の創造ということに辿り着いたそうです。これが非日常というわけです。この思想から浮島やリビングルームなどのプロジェクトへの具体化が北澤さんの表現の部分なのだと気が付きました。北澤さんは作品をつくっているわけではありませんが、確かに現代アートを手掛けるアーティストであると納得しました。
 私は特にサンセルフホテルに興味を持ちました。ホテルマンを団地の人たちが務め、団地の空き住戸が客室に変身します。客室にはホテルマンの優しい工夫が凝らしてあり、年齢に関係なく人をおもてなしする気持ちがこもっています。そして宿泊者は自ら太陽の光を集め、生活に必要な電気を発電します。非常にユニークです。そして一日の終わりにはホテルマンと宿泊者が協力して団地を照らす太陽をつくります。最後には関わっていた全ての人たちが夜の太陽に照らされて、一つの空間を共有することでアートプロジェクトの一体感を得ることが出来るのではないでしょうか。北澤さんのアートプロジェクトには二つの立場から参加することが出来ます。サンセルフホテルの場合は、ホテルマンと宿泊者です。どちらもアートプロジェクトのお客様であり、主催者でもあるのです。北澤さん自身はプロジェクトの立案のみで、微かな助言をするだけです。あくまで、地域の人たちのプロジェクトということにこだわりがあるようです。
 どのプロジェクトも大変前向きなものです。北澤さんが提案した新しいプロジェクトに地域の人たちが反応して集まり、地域の人たちによる地域の人たちのためのものに変化していきます。この現象は一見自然で、温かいものに見えますが、現代の人々の行動と一致しないような気がしてなかなか受け入れられませんでした。好奇心だけで人を集めることが可能なのでしょうか。ネガティブな方向からしか物事を見られない自分が嫌になりましたが、これらのプロジェクトに現実味を感じられませんでした。参加して見なければわからないものなのかもしれません。しかし、この点にこそ北澤さんの技術と徹底した工夫が施されており、これがこのプロジェクトのタネです。
 これは誰しもが抱える変わらない日常への不満を打破するプロジェクトであり、非日常に存在する自分を思うとワクワクしました。

竹田実紅
 私にとって現代芸術とは少し変わったもの、不思議なものと感じ、美術館などで作品を見ても、善し悪しがいまいちわからないものであった。今回のオウケンカフェでは、現代美術家のお話を聞けるということだったので久しぶりに参加した。「もう一つの日常を生み出すアートプロジェクトについて」と題し、北澤潤さんが今まで行ってきたプロジェクトの紹介をしてくださった。商店街の空き店舗を居間にするプロジェクト、仮設住宅をマイタウンマーケットにするプロジェクト、アパートの一室をホテルにするプロジェクト。どれも興味の持てるものだった。それは、北澤さんが現代美術のフィールドで活躍するアーティストではあるが、活動内容は建築家が行ってきたことと似ているからかもしれない。しかし、内容は難しくレクチャーが終わった後は何か自分の中に大きな衝撃、刺激を受けたような実感はあるもののそれが何なのか、どう感じたのかを自分の言葉で説明することが出来なくもどかしさすら感じた。「なにかをつくる」その時の思考は家族や友達、日常で体験したことなどが影響している、つまり日常によってつくらされているのかもしれないという考えは、今までの私にはなくはっとさせられた。その日常をゆるく揺さぶるためにもう一つの日常をつくっているのだという。レクチャーを聞いていると北澤さんの考えがスーっと入ってくるが、ふと考えるとやはりまだ理解できない。でもなんか面白そうで楽しそう。これも北澤さんのテクニックなのだろうか。一番心に残っているのは「きっかけをつくるのがアーティストの仕事」という言葉だ。市民が係わるきっかけをつくる、手法や技術で好奇心やワクワクをひっかけ引っ張り出すのがアーティストだという。問いかけをし、見えない設計をする。紹介してくださったプロジェクトはどれも今では市民の方が主導となり、活動しているということだった。あくまでもきっかけをつくるだけ、なのだろう。これは建築家としても同じだと思う。独りよがりな建築、自分の作品なのだ、とするのではなく、市民の人に建築やその空間によって好奇心やワクワクを引き出す、何か考える、行動するきっかけを与えられるような建築をつくれたらと思った。今いる日常が当たり前だと感じ、疑問も持たずに生活していたが、ふと視点を変えたら見えてくるものがあるのかもしれない。これからは、オウケンカフェだけでなく様々なイベントやプロジェクトに参加していきたい。

大川碧望
 現代美術家の北澤潤さんは物をつくるのではなく空間をつくることで現代美術を表現していた。活動内容は、国内外の自治体や公共団体などと協力し、その地域住民の日常を取り込むプロジェクトである。今回の講演を聞いて考えたことは、現代美術家とはなんなのかということである。美術家ではなく現代美術家と呼ばれるのはなぜか。現代につくっているから現代美術家と呼ばれるわけではないと感じる。今回の講演を聞き、現代美術家は今の社会だからこそできることをやっていると感じた。
 今回北澤さんが紹介したプロジェクトは「マイタウンマーケット」、「リビングルーム」、「SUN SELF HOTEL」である。「マイタウンマーケット」では、仮設住宅の中に新たな領地をござや囲いでつくっていき、自分たちのつくったお金や店舗、役割で一日過ごしていく。主体は子供であり、大人は子供たちのやりたいことを手伝っていく。「リビングルーム」では、空き店舗にいらないものを集め居間をつくり、物々交換というルールをもうけることで毎日変化する空間をつくっていく。「SUN SELF HOTEL」では、空き部屋を太陽光発電で電機を集め、地域住民のもてなしによってホテルをつくっていく。どのプロジェクトにも共通していることは、「刹那的であること」、「もうひとつの何かを感じること」だと感じた。刹那的であることは、見逃したくない衝動を感じさせその場所にとどまること、やる気向上を促すと考える。また、今回の講演で何度も登場した「もうひとつの日常」はいつもと違うもうひとりの自分、いつもと違うもうひとつの場所では、非日常を味わうことで日常に戻っても次の自分になることができる。北澤さんのアートプロジェクトでは「もうひとつの日常」をつくり出すことで「もうひとりの自分」を感じ本来の創造性を思い出すこと掲げている。
 北澤さんのプロジェクトでは、現代の祭りを地域のものでなく観光にしてしまっていること。通過儀礼がなくなってしまっていること。現代の社会になくなっている「人間の創造性」を呼びおこし変えていくという一種の社会に対する問いかけとなっていると感じた。現代美術家が美術家と呼ばれないのは絵画や彫刻、銅像などわかりやすい「物」をつくっていないからということもあるが、現代社会の現状や問題を取り込み、アートというツールを使い社会へと問いかけるからではないかと感じた。これは、建築家にも必要なことだと考える。
 私がアートプロジェクトを考えるときに一番考えてしまうのは人や空間よりも箱になってしまうのではないかと思う。今回のアートプロジェクトはその空間よりもツールをどのように設定するかがよく考えられていると感じた。建築家という言葉にとらわれることなく、その場所で人が過ごすことで変わっていく日常を意識したいと思った。私たちが提供できるのはツールだけであり、その空間を限定することはできても支配することはできないと感じた。その空間を限定する方法を表現することが必要だと考える。今回の講演では違う視点で建築を考え直すことができた。建築家は、日常と非日常を考えることが多いと考える。日々の日常で問題を発見し建築を考え、自分の限定方法を探りたいと思う。

菊池毅
 このたびのオウケンカフェでは現代美術家の北澤潤さんに貴重なお話をお聞きする機会に恵まれた。
 北澤さんの活動は行政、教育機関、医療機関、企業、商店街、町内会、NPOなどさまざまな人たちを巻き込み展開されている。その内容というのはこのレクチャーのなかでお話をして頂いたなかからおさらいをしてみると、リビングルーム、マイタウンマーケット、サンセルフホテルといったものだ。これらについてもう少し詳しく以下に触れてみたい。
 まずはリビングルームから。これは商店街のとある空き店舗にカーペットを敷き、地域住民のための誰でも過ごせる居間空間をつくってしまったものだ。そしてこの居間を構成するものは居間に集まった人々と彼らによって持ち込まれた物たち。どこにでもあるかのような居間の空間は構成する人と物が絶えず変化・更新をし続け、どこにも無い居間の状況をかたちづくる。
 マイタウンマーケットでは、震災の為かつて暮らしを営んでいた場所に留まることが叶わなくなった人たちが住む仮設住宅に手づくりの町の姿を立ち現させる。仮設住宅の集会所からはじまるこの手づくりの町は、そこに住む人の思い思いをつなぎ合わせて映画館、図書館、カフェ、銭湯、バス停などのさまざまな姿をつくり上げ、これから再建されるであろう町について思考するきっかけをつくっている。
 サンセルフホテルにおいては団地の空き部屋から人と人、人と自然の新しい関係性の在り方を問いかける。太陽という存在を介在させて、サンセルフホテルに泊まりに来た宿泊客とホテルマンは協働作業で客室の空間をつくり出す。
 これらのプロジェクトを通して、このたびのお話を伺って思うのは北澤さんの肩書きを形容することばはアーティストでは足りないように思う。そもそもアートというものに疎い私には、はじめてこれらの出来事を目の前で示されたときには正直なところ何が起きているのかわからなかった。自分のアートの認識を修正しなければ成らないことが起きている。カントが定義した美ともゲオルグ・ガダマーが認識する芸術にも当てはまらないことではないだろうか。ただ確かなのは彼が手掛けるアートプロジェクトによってさまざまな人が非日常の空間、光景に参加させられ知らず知らずのうち何かしらの役を演じそれに耽いっている。
 ダダイズムのマルセル・デュシャンは美術とは何かを問い、アンディ・ウォーホルが芸術を大衆化させたように北澤さんのアートプロジェクトは自分のなかのアートの認識を変えようとしている。北澤さんのこれからの活躍に期待させられるお話の機会であった。

ゼミナール | Posted by satohshinya at October 29, 2014 0:15 | TrackBack (0)

アート/アーキテクチャ

2013年10月23日(水)、第2回ゼミナールとして、佐藤慎也によるレクチャー「アート/アーキテクチャ」が行われた。以下はそのレクチャーに対するレポートである。

川村修一
 常識というもので、私の建築が縛られていたのだと知った。今回のレクチャーで常識は、作るものだと感じた。新しいものに挑戦することは、様々な批判や偏見が募るだろう。だが、常識通りやることなど、誰にでもできる。新しいデザインや技術を積極的に追求するからこそ、建築は面白みがあるのではないのかと感じた。社会は止まることなく進んでいく。建築も止まることなく進んでいくことが必要であり、私のような若い世代が挑戦し続けていかなければならないのだと感じた。HAGISOパフォーマンスカフェのような新しい観点からの建築には驚きを覚えた。このようなカフェが短期間でも存在していたのだということを考えると新鮮であった。パフォーマンスメニューを作り、カフェのメニューと混在させた発想にはびっくりした。HAGISOパフォーマンスカフェのような形のものが、常識となるかもしれない、今、常識ではないことも将来では、常識として浸透しているかもしれない、建築には可能性がたくさん存在しているとわかった。佐藤慎也先生の学生時代の修士設計を見られたのは、新鮮だった。学生時代をどのように過ごしていたのかということにも、とても興味がわいた。プロジェクトや研究室の決め方や作品の紹介の仕方などにも、慎也先生独自のスタイルが存在していて、自分もそのような独自のスタイルを確立させたいと思った。今後のプロジェクトに、興味がわいた。

小坂翔太
 建築とはただ建物を建てることではなく、もっと幅広いものである。また建物をただ作るだけでは造家でしかなく、そこで建てられた建物は、見た目に画が良くとも利便性がなければ意味がない。使われて初めて建築は生きる。確かに意匠がどんなに良くても、人が集まらない建築はあまり良いところに見えない。逆に良く見る意匠のものでも使いやすさ、利便性が良ければ人が集まり、そこがとても活気付いた場所になる。そんな場、建物を作るのが建築でありアーキテクチャである。また、それらが生む空間は建物だけでなく、そこを生かした活動を計画することにより、より良いものになる。そんな今まで考えてきた建築についての概念がわからなくなった、そんなレクチャーでした。
 レクチャーの中には慎也先生の今までの活動の内容もあり、また修士設計も紹介され、貴重なものを見ることができました。今回のレクチャーで印象に残ったのは居間 theaterのHAGISOパフォーマンスカフェでした。ジュークボックスから流れる音楽が場の雰囲気をつくるように、パフォーマンスも店内の環境の一部という発想がすごいと思いました。パンフレットにも工夫が凝らされており、新しいカフェの形式であると感じました。また、何度このカフェを訪れても違ったカフェ体験ができるのはすごいと思いました。店の雰囲気を作っているパフォーマンスには様々な種類があり、さらにその見せ方にも4種類ある。中でも「まどのそと」はとても異色で面白いなと思いました。ただおすそわけも良いけれど、やはりひとりじめしたいなと思いました。
 貴重なお話ありがとうございました。

儘田祐樹
 佐藤慎也研究室は、知り合いがいて何をやっているのかはだいたい理解していると思っていたが、私が知っている活動内容は表面的なものでしかなかった。
 HAGISOも、カフェであり注文をすればパフォーマンスが見れることしか知らなかった。学生達が、シェアハウスとして使っていた木造アパートを改修し、アート・カフェなどの機能を入れて、文化の拠点となるような場所を作っていると知ったのは、今回のレクチャーを聴いて知ることができた。
 このような活動は、とても重要だと私は考える。慎也先生もおっしゃっていたが、今の時代に新しい建築物や新しい空間を作っていくのは、非常に難しいことである。現在は建物が多い割には、使われていないものが多い。これからの建築というのは、現在使われていない建物や耐震の問題で改修しなければいけない場所を、どのように使っていくかが問題である。最近は、近隣の人とコミュニケーションをとることは少ない。その中で、空いた建物にカフェ・ギャラリー・アートを取り入れた機能を備えれば、人は集まり会話が始まっていくのではないかと考える。建築は、住宅の設計や気持ちのいい空間を作るだけのものではないと改めて感じることができた。

小林澪奈
 今回のレクチャーは研究室の今年度のプロジェクトなどの紹介でしたが、今までどんなことをやっているのかよくわからなかったのですが、こういうことをしているのだとわかりました。
 レクチャーはまず慎也先生の修士設計から今までやったものの紹介から始まりました。20年前は現代アートやインスタレーションが少なかったなか、修士設計でそれらをやったことや、高宮さんの設計した1号館では丸いベンチなどをデザインしたことを知りました。それから劇場の研究から稽古場、練習室をテーマに研究していくうちに、作る側と接する機会が多くなったと聞きました。
 その後、今年度のプロジェクトである「居間 theater vol.4 HAGISOパフォーマンスカフェ」、「Festival/Tokyo13 四谷雑談集+四家の怪談」、「黄金町芸術学校」、「淡路島在住アトウレス家」、「としまアートステーション構想」の話などを聞きましたが、特に興味が湧いたのは居間 theaterです。今はYouTubeもあるので日本や海外のコレオグラファーやダンサーの映像を見ることは簡単だと思いますが、実際に目の前で見るという機会はダンスをやっていたりしなければほとんどないと思います。そういうなかでカフェとパフォーマンスを共存させることで、遠かったものが身近になるのかなと思いました。おすそわけではたまたま居合わせた人も見ることができるので、パーフォーマーにとっても今まで興味がなかった人までも知ってもらうことが出来るのでいいと思いました。

森徹
 今回のレクチャーでは、先生のプロフィールの説明から始まり、そして、これまでに係わったプロジェクトに関するものの話が大半でした。その話の中ででいくつか興味を引いたものがありました。
 それはまず、アーキテクチャの定義についてです。私は、アーキテクチャの意味が建築のみだと思い込んでいたので、社会設計・コンピュータシステムの二つの意味をも含んでいたことは寝耳に水のような話でした。物事の意味は、一つとは限らないということを知るいい機会だったと思いました。また、建築という言葉が、考え出されたのがそれほど古いものではないことも、驚かされました。もっと古くからある言葉だと思っていたからです。外国から、アーキテクチャという概念が伝わったことで、日本語で訳すときに建築という言葉が作られたのを知り、もしこのときに、建築という言葉じゃなければどのような言葉になったのかなと少しおかしく考えてみたりします。今使われている建築という翻訳は、非常にマッチしていると思います。
 次に、HAGISOパフォーマンスカフェについてです。もとあった建物をリノベーションすることは、それほど、目を引くものではありませんが、カフェとアートを一体化させるという考え方には驚かされました。カフェならカフェ、アートならアートと考えていたので、奇抜で興味深い考え方だなと思いました。
 最後に、フェスティバル/トーキョー13の『四谷雑談集』+『四家の怪談』についても、こういった書籍を基にするのもありなのかと、少し目を見張りました。
 建築を立てる際に、その土地、その土地になる物語を基にするという考え方は、出来そうでなかなか出来ない考え方だと思います。私は、こういった、少し視点が変わった、物事の見方が出来るようになりたいと思いました。

ゼミナール | Posted by satohshinya at November 1, 2013 20:35 | TrackBack (0)

中崎透レクチャー@オウケンカフェ

2013年9月25日(水)、第1回ゼミナール@オウケンカフェとして、アーティストの中崎透によるレクチャーが行われた。以下はそのレクチャーに対するレポートである。

野口菜々子
 9月25日に行われたオウケンカフェに参加し、中崎透さんのレクチャーを聴いた。中崎さんの話し方は、レクチャーといいつつもお酒を交えていたからか、とてもくだけたものだった。また、内容も難しいものではなかったために聴きやすかった。
中崎さんはアーティストということであったが、活動はアーティストと呼ぶには幅が広かった。現在は山城大督さん、野田智子さんと一緒にナデガタ・インスタント・パーティーというグループを組んで活動もしている。
 私は今回のレクチャーで、袋井市のニュースタイルカルチャーセンターの話題が1番印象的であった。もともと廃墟と化したような場所に少し手を加えることで、ワークショップや講演会、展示会などを行う。こうすることで、幅広い年代の人たちの交流をもたらし、さらには地域の活性化などを考えていると私は理解している。まず、中崎さんはここのことを「どまんなかセンター」と名付けたが、理由は“袋井市のどまんなかにあるから”というところから話が始まった。この時点で会場には少し変な空気が流れていたと思う。数人は小さく笑っていたかもしれない。次に、会場を借りるための苦労話や、地域の高齢者や子どもたちのプロジェクトへの参加について、おもしろおかしく話してくださった。本人の人柄なのか、お酒の力なのかはわからないが会場には笑いが起きていた。最も笑いが起き、なおかつ興味をそそられたのは、小学生?を冒険させるような企画だった。最初からこのような企画になるように狙って子どもたちに場所を貸したわけでもないのに、子どもたちに場所を与えたにもかかわらずゲームしかせずにたまり場になっていることから、この企画を遂行したようだ。おそらく、子どもの年齢・性別を全く違うものに指定し、限定していたら企画は全く違ったものになったであろう。 中崎さんがたの即興のアイディアがプロジェクトをおもしろくさせていることが、すごいと感じた。
 オウケンカフェの全体の感想としては、カフェと名前のつくわりに普通の講義と変わらないと感じた。飲み物が有料で用意されていたが、利用者が少なく、もちろん私も利用しなかった。前半の1時間はレクチャー、後半の1時間は聴講者と中崎さんとの交流を目的としていたのだろうと思ったが、実現はされていなかった。前半は中崎さんのおかげか、二瓶さんの大きな笑い声のおかげか、空気はなごやかであると感じた。しかし、後半は全体交流というより、堅苦しい質疑応答でしかなかった気がした。もっとイスの配置を変えるなり、しんや先生のポケットマネー(!)で参加者に1杯ずつお酒を出したりするだけでも交流の場としてよくなると考える。

儘田祐樹
 私のオウケンカフェのイメージは、かしこまって授業みたいな感じのレクチャーなのではないかと思っていた。最初の1時間は、講演会みたいな雰囲気だった。しかし、質疑応答の時間になったときに普通なら、ゲストの方が「質問なんて何でもいいですよ」という風にはならないと思う。ゲストが中崎さんだったから、そういうゆるい雰囲気になったというのもあるかもしれないが、学生と第一線で活躍している人が和やかにトークをすることは普段はできないので、オウケンカフェは学生にとっていい経験になると思う。そして、これからもオウケンカフェに参加して、質疑応答の時間になったときは、積極的に質問をしたいと思う。
 中崎さんのレクチャーを聞いて思ったことは、建築家とアーティストは似た領域にいるのではないかということだ。例えば、1人で物をつくるときに中崎さんは自分の中で決めたら、どんどん進んでいくとおっしゃっていた。建築の場合も、コンペなどは決まった条件がありながらも、ある程度は自分の好きなことができる。しかし、グループでやる場合は違う。中崎さんは3人で話し合い他の2人に理解を得てから提案を進めてから行うと言っていた。建築の場合も、グループでやる場合は、なぜそのような提案が出てきて、そこにはどんな空間ができてくるのかを説明しなければならない。このようにアーティストと建築家は、人と人の関係が違ったとしても、同じ領域にいるように感じる。中崎さんの今までの活動の中に、地域住民とコミュニケーションをとりながらつくっていくものがあった。初めは、何ができるのかは全く分からない。地域の人が思っていることをアーティストが具現化するという風に私には見えた。場所によって、アーティストがつくったものは全く違うものになると思う。地域にいる人によって、地域特有の形や色が出る。建築の場合はどうだろうか。私の考えだが、これからの日本に新しい建物や新しい形を生み出していくのは難しいと思う。今、使われていない建物があれば全部壊すのではなく、リノベーションや増築をして地域の人に使われていく方がいいと考える。どのようにして、地域の人に使われていくのかと考えたときに、中崎さんがやっていた地域の人とコミュニケーションをとるという行為が必要だと思う。中崎さんがやっていた活動は、これからの建築家がやっていくようなことだと感じた。施主さんという少数を相手にするのではなく、地域の住民や大人数を相手にすることによって、違ったものが生まれてくるのではないかと思う。中崎さんの今後の活動に、私は大変興味が湧いてきた。

仲村祥平
 今回、中崎透さんの話を聞いて、普段聞くことのできない人の考えや活動を聞くことができて、作品の面白さ、また関心が湧きました。中崎さんの作品を見ていると、中崎さんがおっしゃっていたように本当につくるということは自由なのだと思いました。自分はパッケージや看板のデザイン、グラフィックにも興味があるので、講義のはじめに出てきた看板をモチーフにした作品にも、かなり食いつきました。というのも、1つ1つ違うデザインの看板を並べて、全体で1つの作品としてみせる表現って面白いなと感じたからです。
 また、中崎さんが活動している「ナデガタ インスタント パーティー」の活動も興味深いです。プロジェクトを実施する場所や状況に応じて、最適な「口実」を立ち上げることから作品制作を開始する。インスタレーション、イベントなどに様々な人々を巻き込み、「口実」によって「現実」が変わっていくプロセスそのものが彼らの作品行為である。とても興味がそそられる活動だと思います。調べてみてもう終わってしまっていたイベントなのですが、「地域とつくる舞台シリーズ いたみ・まちなか劇場」伊丹でドミノ!というイベントを見つけました。まず、全ての作品でも言えるのですが、地域の人が関わるというのが面白いと思います。作品の一部に自分がなれるからです。プロセスが作品と言うように、自分も作品の一つになれるって面白いです。また、ネットを見ると、ドミノ倒しに参加しようというぺージで、ステップ1からステップ5まで、参加からイベントの流れの説明が書かれていて、その中で楽しい物をつくろう!とユニークなグラフィックと一緒に書かれていて、それを目にしたところからもう作品の一部につながっているような感覚になりました。どまんなかセンターや24時間テレビでも共通して、様々な人が集まる、そこで生まれた出来事一つ一つがストーリーになっていく、そこに視点をおいて作品という面白さがあると思います。また、そこでの出会いから人と人のつながりが生まれて、作品の枠をこえて新しい何かが生まれる場にもなっていると思う。自分はふつうなら作品というのは展示されて、それを見るために人々が集まる。そして、作品を見て何か感じたり考えさせられたりする。そんなイメージがありましたが、中崎さんがおっしゃっていたように、自由で、はじめは面白そうじゃん!という気持ちから始まるのだなと感じました。そして、人が集まってその中での出来事がストーリーとなる作品というのは、考え方を変えると、はじめからどんな作品になるか分からないという面白さがあると思いました。このようなことをしようという「口実」と場所、環境だけが固定されている訳で、その中で、自由で、様々な出会いやトラブル、出来事の中で中崎さんは作品をつくっているのだなと感じました。中崎さんの話を聞いて、これからの作品も見てみたいと思いました。

小坂翔太
 人には誰しもたくさんの可能性を持っている。中崎透さんのレクチャーはそう思わせるものでした。中崎さんは個人としてだけでなく、山城大督さん、野田智子さんと共に「Nadegata Instant Party」としても活動されている。今回紹介してくださった展覧会はどれも今まで見たことのない観点、工夫からとても不思議な形で作品を展覧されていました。しかしそのどれもが、我々見た者皆が目を凝らし夢中になってしまう、そんな作品であると感じました。私は実際に作品を見たわけではないためスライドで見た物と見え方は異なると思いますが、そう思わせてくれたのは中崎さんのプレゼンテーション力も関係していると思いました。作品紹介の時や、質問応答の際も周りの空気、雰囲気を見て感じ、工夫してお話されており、周りを和ませる力がすごいと思いました。また、発想も大胆で各出展場所において最適な「口実」を立ち上げることから作品制作を始め、インスタレーション、イベントなどに様々な人々を巻き込んで「口実」によって「現実」が変わっていくプロセスを作品として展開していると聞き、もはやすっからかんの私の頭では考えることは愚か浮かんでさえしないようなことであり、すごいと思いました。その話術、大胆な発想から今までの作品は成り立っているのだと思います。
 紹介してくださったものは全て興味深いもので、かいわれ大根も候補ではありましたが、一番印象に残ったのは「24 OUR TELEVISION」でした。「24 OUR TELEVISION」は2010年、国際芸術センター青森で行われた100名を越える市民スタッフと共に地元メディアをも巻込んだ、24時間だけのインターネットテレビ局であり、某テレビ局のものと似ているようで異なる。インスパイヤーはされていると思いますが、内容、構成は全く異なり「感動」というよりは「面白おかしく」が主体のような気がしました。「24時間指マラソン」は感動さえしないもののついクスッとしてしまう企画でした。また、エンディングでスタッフ全員が歌っていた歌がとても気になりました。「トイレのかみは~」など歌詞に不思議なフレーズがあり、一日経つと忘れはすると思いますが、一日中フトンに入っても頭の中で流れ続けるようなとてもインパクトのあるものでした。そしてなにより、番組全体の雰囲気がとても良い印象があります。先ほど挙げた「24時間指マラソン」では、指しか動かしていないのに熱を出すというアクシデントを起こしながらも無事ゴールし、スタッフ全員で歓喜し拍手喝采が巻き起こっていました。24時間という長い時間が終わったという安堵感もあると思いますが、番組成功に対し、皆で泣き、笑い、励まし合う姿は、普段そんなこと思わない私でも感動し参加してみたいなどと思わせるものでした。
 中崎さん、Nadegataが手がける作品はどれも人間の「素」から生まれる行動、言動、表情から成り立ち、無限のバリエーション、可能性を持ったものであると感じました。そしてその可能性を最大限に生かすことにより、見る人をより魅了する作品ができるのだと感じさせられました。貴重なお話ありがとうございました。

森徹
 このレクチャーでは、来てもらったアーティストが、その人がどのような場所で、どういった内容の仕事を行っているかを語るのを聞くことで、それに対して、どのようなことを感じ、どのようなことを発想できるかというものであると感じました。厳密に言うと、建築家とアーティストという一軒無関係に見える職業同士の、どのようなことが同じで、どのようなことが違うか、また、その仕事に対して、どう思いながら行動しているか、それが、私たち建築関係者にどのような影響を与えるかといったことを客観的に考察できる場でもありました。
 私は、このレクチャーを受ける前は、建築のレクチャーに、どうしてアーティストが来るのかを疑問に思っていました。しかし、このレクチャーを受け、アーティストの話を聞くことで、その考えは大きく覆りました。建築の人だから、建築の人から建築のことを学べばいいのではなく、一見関係ないように見える職種の人の話でも、自身とは違う概念の話を聞くことで、自身の固定概念に気づくことが出来るということに気づきました。いったん固定概念にはまり込むと、それ以外の見方が出来にくくなってしまいます。私は、どちらかというと固定概念にはまりやすい傾向があったので、このレクチャーは、その自身の問題に対して、大きな改善になったと考えています。
 アーティストが語ってくれたレクチャーの内容で、この人はこんなことを思うのかといったことが多々あります。例えば、雨漏りのする古い民家(?)に対して、普通の建築の人は、雨漏りしていると価値が下がるという考えが一般的だと思いますが、その人は、雨漏りするところにかいわれだいこんを置くことで、あえて変わったインテリアに置き換えています。このことから、物事に対する考え方、対処法は、一つではなく、また、各々の発想力の有無によって、大きく様変わりすること、そして、思いついた対処法のみにとらわれてはいけないということを指し示していると感じました。
 このレクチャーの終わりのほうに質疑応答の時間がありましたが、私は特に質問を思い浮かべることが出来ませんでした。何人かが質問をしていましたが、その質問の内容は、確かにレクチャーの内容に関係することで、語ってはいなかったことでした。このことも、自身が教えられた物事に対して、そうなんですか、と思い込み、それに対する疑問を思い浮かべられないという問題点を大きくあらわにしました。
 今回のレクチャーは、私の固定概念や問題点などを大きく浮き彫りにしました。自身の問題点を把握することは、その問題点の対処につながるので、このレクチャーを受けて大変よかったと考えています。

朝川奈帆
 私は、オウケンカフェがどんなものか知りませんでした。「カフェ」とつくのだからきっと講談会よりはゆるい雰囲気の中、ゲストのお話を聞けるのかなと解釈していました。実際は、ゲストである中崎透さんのお話を静かに聴くという、普段学校で受ける講義のようでした。ただ、学校の講義と違ったのは、講義をする人がお酒を飲んでいるという点でした。そのせいか、多少砕けた感じでお話をされていて、ずっと座ってスライドを見ながら聴いているのも飽きなかった印象がありました。
 まず興味を持った話は、どまんなかセンターです。かつて洋裁学校だった建物をリノベーションし、期間限定で地域に提供するというのは面白い提案だなと思いました。そこでは写真展をやったり、演劇やお茶会を開いたりと、ちょっとした地域センターのような空間になっていて、皆が好きなことを出来るから周りの人とのコミュニティが更に広がっていき、活気に満ちた場所になったのだろうなと思いました。こういった場所を作って提供したのは中崎さんたちNadegata Instant Partyというユニットですが、最終的にこの建物と、そこを使って何かを成し遂げる人たちの動きで、その場所が生きていくのだなと実感しました。期間限定なのがもったいない気もしましたが、期間が決まっているからこそ、皆そこに集まって何かをしようかと考えるのではないかとも思いました。
 もう一つ印象に残ったのは24 OUR TELEVISIONです。明らかに真似をしていると思いましたが、こちらは青森のインターネット放送局を使い、24時間、一般公募したスタッフと共に番組を作って放送していくという内容でした。番組はバラエティに富んでいて、生ドラマやニュース、クイズやダンスなど、テレビでやるバラエティ番組となんら変わりない内容の濃いもので驚きました。あと、指マラソンのくだりには思わず笑ってしまいました。マラソンしたいけれども、疲れるから指だけ走る、といったブッ飛んだ発想が他ではできないオリジナリティのあるものだなと感じました。ですが、途中の走者が倒れるというアクシデントは、実際に走っていないのに何故倒れるのだろうという疑問も感じました。スライドで最後の部分を動画で見たとき、盛り上がっていて楽しそうだなと思いましたが、中崎さんの「大勢の人間を一つの所に 一日監禁すると異常なテンションになる」みたいなことをおっしゃっていたのには笑ってしまいました。
 アーティストとして、こういった活動をして世間に関わっていくという、中崎さんの仕事にとても興味が湧いたお話でした。私たちが勉強している建築という建物を建てる仕事と似ているようで全く違う、接点のないような感じでしたが、空間を作るだけではなくその先の誰かに使ってもらって初めてその空間は生きていくのだなと感じました。活動費なんかは自腹で、貰えても安いとおっしゃっていましたが、面白いと思ったことを大切にするというスタンスで活動を続ける中崎さんのお話はとても実になりました。

加藤栄里
 初めてオウケンカフェに参加させて頂いたが、武蔵野美術大学を卒業し、現在非常勤講師として武蔵野美術大学にお勤めになっている中崎透さんの講義を聞き、建築とは違った観点で空間構成からできる建築を見ることができた。講義の中でも紹介されていた、「どまんなかセンター」や「24 OUR TELEVISION」は今までに聞いたことのない新しく、面白い企画だと思った。
 「どまんなかセンター」は元洋裁学校をリノベーションし、期間限定の施設として住民が自由に使用できる場所となっていて、自然とにぎわいができていたのには驚きだ。勝手に個展を開いていた方、看板の文字を自ら名乗り上げて書くと言ってくれた方など、いろんな人が協力し合ったことによってコミュニティーができていることがこの「どまんなかセンター」で改めてわかった。さらに、別館では地域住民が撮影した写真展が行われていていることを聞き、この施設では個々のスキルをみんなにお披露目することができる場でもあるなと感じた。
また、一番面白いと興味を持ったのが公園などでPSPやDSをしている子どもたちに部屋を貸してあげると言うと、だんだん子どもたちが集まり子どもたちの「たまり場」となっていったことだ。これは子どもだからこのように自然と「たまり場」ができたのではないかと考えた。大人に場所を貸すと言っても、きっと「遠慮」や「警戒」というのが初めに出てしまい「たまる」ということはしないだろう。このように自然と住民たちのコミュニティーが生まれ、施設となっていくところが空間構成から見る建築なのかと思った。
 「24 OUR TELEVISION」に関しては本物に近いことを行っていたことに驚いた。指マラソンや限界大運動会などに100人もの人が集まって行っていたことは、大学生らしさがでているなと思った。指マラソンは指を動かすだけで、そんなに辛くはないものでとても地味だと最初は笑ってみていた。だが、話を聞いていくうちに指をずっと動かすということはなかなかないことなので、普通のマラソンより辛いものなのではないかと感じた。限界運動会は皆徹夜明けの中、運動会をしてみようというもので、大学生じゃないとこの考えはでないのではないかと思った。他にも、クイズ大会やドラマなどもやっていて、地域の方を交えて一緒に番組を作っているのが地域の紹介や活性化にも繋がっていくのではないかと感じた。
 このオウケンカフェで中崎透さんのお話を聞いて、建築があって、コミュニティーが出来るものだと思っていたが、人々がいて、何かを行い、建築というものが出来上がっているなと感じ、私の中での建築の可能性というものが広がった気がした。また、中崎透さんのお話を聞く機会があれば、ぜひ参加したいと思う会であった。

安西彩香
 今回初めてのオウケンカフェに参加し、ゲストであるアーティストの中崎透さんのお話を伺った。アーティストと聞くとどうしても絵を描き、白い箱の中に展示することを思い浮かべる。しかし中崎さんは映像ドキュメントや演劇手法、インスタレーションなどを組み合わせながら作品を展開している現代アーティストだった。彼の創り出すアートは「空っぽな中から口実を立ち上げ、その過程をストーリー化させ、口実を現実にしていく」という言葉そのものである。最初は正直なにを言っているのかわからなかったが、今回話を伺った2つの彼の創り出した作品からその言葉の意味を学ぶこととなった。半分廃墟となり現在使われてない場所に魅力を見いだし、その場所をつかって活動の拠点とし、人々とアートをつくっていく。まるでアートというよりもある種のワークショップのようにも見えた。しかしそうやって彼は確かにその場に魅せるものをつくり、いつのまにかその場にあったアート作品を創り出しているのであった。もう一つ紹介していただいて面白いと思ったのが、24ourテレビジョンという地域配信型のコンテンツである。このコンテンツは某テレビ番組の真似であるようにも見えるが、たった24時間だけ開局されたテレビ局で何ができるのかをテーマにしている。アート作品に、時間も関わってくる変わった作品となっている。正直、笑いあり涙ありといった感動した内容とは言えないであろう。しかしそこには確かに未来を創り出す力や、絆が見えたような気がした。そしてどちらのプロジェクトも地域の方と密接に関わっており、人が集まらないと意味がない。集客する大変さはわかっているつもりだがそれを苦にせず自然と人が集まってくると言ってしまうのが中崎さんのすごいところである。アートとは堅苦しいものではなく、小さい箱に閉じ込めておくものでもなく、みんな集まって楽しんで創るもの、そうおしえてもらった中崎さんの講義であり、オウケンカフェだった。

ゼミナール | Posted by satohshinya at October 2, 2013 6:54 | TrackBack (0)

岸井大輔レクチャー

2012年12月20日(木)、第7回ゼミナールとして、劇作家の岸井大輔によるレクチャーが行われた。以下はそのレクチャーに対するレポートである。

小井智矢
 劇場外演劇をつくる上で、岸井さんは「まちから創る」「まちへの入り口を創る」「まちを創る」ということを考えているそうです。演劇はたったひとりでは成立させることができず、演劇と集団とは切っても切れない関係にあるといえます。演劇を成立させる上で、人が集まることが必要であり、人が集まるということはそこにひとつのユニットが生まれることである。このユニットが建築ではまちといえる。演劇をつくることで、集団を生み出す。それは、まちを創ることともいえる。この考えが、岸井さんの「まちを創る」という考えなのではないかと感じました。
 岸井さんは、劇場がなくても演劇は出来る。専用の機器や場所がなくとも、人が集まれば演劇は行える。また、演劇といえば、言葉(セリフ)や時間(尺)などの制約があるイメージではあるが、必ずしもそうではない。自由であっていい。という考えがあります。これは、設定、演劇をする人、セリフなどに必ずこうでなければならないというものはないということです。だから、岸井さんのつくる劇は、劇場外という自由な場所で行われる。また、場所が自由なだけではなく、演じる人も演じているといった感覚を相手に与えない自然体であり、観客として参加するはずの第3者も演者側になっている。その例として、POTALIVEやTAble(としまアートステーション構想)といった岸井さんの演劇がある。
 POTALIVEでは、あと1カ月で取り壊しになるマンションに住む住人にインタビューするという企画でツアーを行ったそうです。これは、ツアーだということだけ聞かされ住人が演者であることを客に伏せることで、客は住人と自然に、「今の心境は?」といった会話が行われる。この日常で当たり前のような会話もまた、岸井さんからすれば演劇のひとつである。例えば、この現場には住人と訪問者の二人しかいなかったとする。そして、その部屋をカメラで録画しているとする。こう考えれば、この二人の会話は画面の中で演技をする二人という風に捉えることが出来る。また、これが舞台上の出来事だとすれば、ツアーの客は劇としては演者側になり、客が本当の住人だと勘違いして住人の今の心境を聞くといったことは、「劇中の住人と訪問者との会話」という劇のワンシーンとなる。こうした、「起きることすべてが演劇」であるかのような考えが岸井さんの劇の特徴であり、劇は自由であるといえることなのだと感じました。
 ただ、今回のレクチャーを聴いていて、「人はみな、人と接する時に嘘をつくなどの演技をしている部分がある。だから、どんな出来事も人がいれば演劇に繋げられる。」といったことを岸井さんがおっしゃっていて、確かにその通りだと思いました。しかし、常に「観客のいない演劇」をつくろうとしているようにも感じました。そして、観客のいない演劇は演劇といえるのか、演劇として成り立つといえるのかが疑問でした。最後の方に岸井さんが、「鑑賞者のいない演劇を今まではつくろうとしていたが、やっぱり、演者も客も互いに鑑賞をしているから、劇と鑑賞は切っても切れない」という言葉を聞いて、自分にはやっぱり客のいない演劇は成り立たないのではないだろうかと感じました。客がいるから演者が演じているということを捉えてもらえる。嘘をつくのも自分自身を客観的に見て演技をしているとわかるから、演者として成り立つのではないだろうかと思いました。このレクチャーで、日常の自然な会話といった劇ではないものを劇であるとするという考えにすごく興味がわき、実際に劇場外演劇を見てみたいと感じました。

小林幸弘
自分は高校で演劇部に所属していたので、劇作家の方のお話が聞けると知ってとても興味が湧きました。しかし、岸井大輔さんがして下さったお話の内容は、自分が想像していたものとは全く違った内容でした。自分の中にある演劇の定義は、照明機器や音響機器などの舞台装置が設置されている屋内で、役者が台本にそった演技を観客に披露するというようなものです。このような固定概念が強く、うまく岸井先生のお話を聞くことが出来ず、解釈も曖昧になってしまったような気がします。動画を撮影して映画のようにするでもなく、一般に言うような屋外演劇のそれとも違った新しい演劇を知る機会になりました。自分の解釈では、岸井先生が新しく設けた演劇の定義は、一般の演劇の拡大解釈のように感じられました。
演劇の歴史や成り立ちの説明から始まり、岸井先生の考える演劇の定義や、これまでどういった活動をしてきたかなどのお話を聞きました。舞台として設定した街に毎日少しずつ時間を延ばして通って演技をしてみたり、相手(観客)に演劇だと伝えないで演技をしたり、挙句の果てには流木で作った船を山の上まで運ぶというようなものまであった。比較的共感できる点もあれば共感できないような内容もあり、一般の形式に則った形で演劇をしていた自分にとっては、とても考えさせられるような内容の講義でした。
講義の内容で、自分が一番気になったのは「ポタライブ」です。岸井先生が作り出したポタライブは、劇の舞台となる街の近所を案内人が観客と一緒に移動して、道中で行われている役者のパフォーマンスを見ながら散歩をするというような内容です。サイクリング用語で気ままな散歩という意味の「ポタリング」と、実演という意味の「ライブ」を掛け合わせた造語で、とても意外性があり、面白く、革新的であると感じました。普通の演劇と違い、役者のパフォーマンスを楽しめるだけでなく、題材とされる街や場所の歴史を知ったり、普段の雰囲気を感じることが出来るという点が、ポタライブの大きなメリットだと思います。デメリットとしては天候に左右される点、観客の数に大きな制限が掛かる点、近所の雰囲気を感じ取り脚本を作成するまでに手間がかかる点など様々な問題点があると思います。しかし、3ヶ月毎に引越しを繰り返して演劇を続けるという行為は、並々ならぬ努力だと思います。
講義後、インターネットで岸井先生や、先生の演劇について調べてみたところ、やはり観客の方の楽しみ方もそれぞれ違って、一緒に歩く相手(観客)が毎回違うから、季節や一般の人の見え方が毎回違うからなど様々な感想がありました。演劇の新しい形式を作り出すのはとても大変なことだと思いますが、岸井先生が講義の序盤に仰っていたように、元々演劇は人が集まって出来たものなので、岸井先生の演劇も同じ考えの人々が集まってより良いものに進化していくと思います。

田島麻衣
私が一番初めに岸井さんに感じた印象は、とても気さくな人だなと思いました。初対面の私たちに、さりげなく話しかけたりして嬉しく思いました。ですが、人見知りだと聞いたときは驚きました。それは、岸井さんが街の人々と話をして上手くなったと聞き、やはり、街の人とのコミュニケーションは大事だということが分かりました。私は、岸井大輔さんのことは、知りませんでした。ですが、元々演劇に興味があり、岸井さんには演劇作家ということでお話が聞けて嬉しかったです。
としまアートステーション構想とは、豊島区民をはじめ、アーティスト、NPO、学生など多様な人々が、区内各地域の様々な場所で自主的・自発的にまちなか環境にある地域資源活用したアート活動の展開を可能にする「環境システムの構築」と「コミュニティ形式の促進」を目的としています。
この中で、岸井大輔さんは、豊島区の街並みを見ることでした。この街歩きのテーマは“TAble”です。この意味は、「としま(T)に潜在する可能性 (Able)が形をなす」という言葉の組み合わせからつくられた言葉です。そして、豊島区の中での“境(さかい)”を皆さんと一緒に見ていく行事があります。これは、豊島区の中での“境(さかい)”を見て歩く行事ですが、区との“境(さかい)”なのに歩けなかったり、入れなかったりする場所があるそうです。そして、この行事は歩いて見るだけでなく、その地域の人に“たずねる”こともするそうです。
この行事は豊島区の区界を半年かけて歩き回り、調べていくそうです。そして、調べ集まったものは、見たい人に見られるようにしてくれるということで、機会があれば見に行きたいと思いました。
私は、岸井さんの話を聞いて、興味をもったので岸井さんのことを調べてみました。その中で、“『世界の演出』のための試論”というのがありました。この中に4つの題材があります。少し紹介すると、
《1つめは「集団には、好みの問題もある。集団は美の問題でもある。」
2つめは「劇団についての審美的な判断は、演劇が扱ってきた。」
3つめは「アウトライン1 芸術以外の諸ジャンルとの関係」
4つめは「アウトライン2 俳優・観客・戯曲・劇作家・演出」
以上全体を語る言語を蓄積し、演劇ジャンルの拡張を創りだしたい。世界の演出プロジェクト1年目にして考えるわれわれの目標である。》
このように世界に進出するという目標をもっていて、1つの目標が達成したら、また次の目標をたてる、ということに感動しました。岸井さんは劇作家なのですが、私の考えていた劇作家とは違い、とてもアクティビティを感じました。劇は劇でも屋内ではなく、外の一部を舞台として考える劇もあるのだと分かりました。私は、“建築と芸術”という関係に興味があります。今後、今回の岸井さんのお話を参考にして、この関係について学んでいきたいと思います。貴重なお話、ありがとうございました。

清水孝一
岸井大輔さんは新たな演劇の形を生み出す劇作家である。演劇に対して自分なりの考えを持ち、新しいが日常により密接した演劇を行おうと模索しているように思い、興味深かった。
まず、演劇とは何なのか。フィールドがあり、スペースがあって初めて演劇を行う場が整う。例えると都市があり、劇場がある状態である。また演劇には、複数の人が必要である。一人では行えず、演劇を行う主体者と鑑賞者がいなければならない。岸井さんの考える演劇は主体者も鑑賞者も演じていると考えている。お互いが「見る、見られる」の関係になっており、鑑賞者の反応も演劇に影響を与えている。その演劇に対しての考えが岸井さん独自の演劇を生み出している。この考えを聞いて、演劇は一方的に見るものではなく、人と人の向き合いが行われ、それを行う場として、劇場が存在するのだと理解を改めた。
一般的に演劇というものは、都市にある劇場で行うものだと考えられやすい。しかし、岸井さんは都市の代わりになるもの、劇場の代わりになるもの、演劇の代わりになるものをつくろうとしている。岸井さんが演劇を行う目的は演劇が成功したという結果ではなく、演劇を行う過程や演劇という行為自体である。要するにそれによって、人と人の交流を生み出したいのである。まちのあらゆる場所が劇場の代わりとなり、演劇が行われる。日常の中に演劇を紛れ込ませ、自然なかたちで取り込んでいる。これは演劇の主体者と鑑賞者が近づいて交流が生まれやすく、劇場で行う演劇よりもより演劇らしいといえるのではないかと感じた。
岸井さんは東北地方太平洋沖地震の影響を受けて、阪神淡路大震災後の海の漂着物で船を造り、それを持ち、山に登るという演劇を行っていた。その船を見た人は自然に阪神淡路大震災の話をしてくれるという。そういう状況をつくることを目的としてこの演劇は考えられた。話をしてくれる人は演劇に無意識で関わることができ、より自然で自由な演劇になる。時にはハプニングが起きたりして、演じる主体者も予想できないことが多い。それが唯一の演劇とさせ、新たな人と人との関係性を生み出し、劇場では起こりえない可能性が秘められていると感じた。
建築と演劇、特に岸井さんの考える演劇は共通する部分があると思った。建築が演劇でいう演じる主体者とするならば、建築がきっかけや影響を与えて、鑑賞者である人々が反応する。建築にも岸井さんの考えるような自然に人々に何かきっかけを与えて、行動を起こさせる仕組みは取り入れるべきだと感じた。これからは人が建築に対して受け身にならず、密接して向き合っていけるような建築を考えていけたらよいと思う。

松森みな美
 岸井大輔さんのしている劇作家という名前から、劇をつくるひとというイメージが湧きますが、確かにそうなのですが、それだけではありませんでした。演劇というものに対してどんな捉え方をしているか、によってその言葉の定義や印象はだいぶ変わります。ほとんどの人が想像するであろう演劇というものは、劇場があり、そこで観客は客席に座り劇を鑑賞する、ことかもしれません。しかし、現代ではそのプロトタイプと呼べるような演劇からは逸脱し、鑑賞者が受動だけにとどまらないようなものに大きく変化し始めています。
 岸井さんが仕掛けたPOTALIVEというものの一つを例にあげると、取り壊しが決定された70年代に建てられた三鷹のとある団地を、取り壊し前日に巡るというものがあります。その団地は住民たちの手により様々に手が加えられ長い時間をかけて住みこなされてきたものです。(バス停に面する壁に穴があけられていたりなど)なにも知らない観客は、駅で集合して岸井さんの案内でその団地を巡ります。途中、住民に扮した役者の様々な話を聞き、最後の最後にその団地が実は明日から取り壊されることを観客は知ります。その瞬間に、今まで見てきた生活の断片だと思ったものが、団地の住民だと思ったものが全て虚構だったことに気づきます。私は演劇には詳しくないけれど、この三鷹の団地を巡るという行為は、最後のこの瞬間で初めて演劇になったと感じました。もう一つ例をあげると、街に三ヶ月間だけ滞在するというプロジェクトがあります。街の特色によってそのプロジェクトの内容は大きく変わりますが、例えば千葉県の船橋という街は、駅周辺の住民にアンケートをとると「10年以内に引っ越すつもり」という人が8割もいます。そのような一時的なベッドタウンとしてしか捉えられていないという問題を抱える船橋という場所に、ふるさとを見つけようというのがテーマでした。その具体的な内容とは、住民がいつも通るような駅ビルの一つのスペースを借りて、そこでずっとオープンな生活を続けることでした。オープンというのは、コタツでくつろいでいたり、ご飯を食べたり、歯を磨いたりを全て通行人に見える状態で行うというようなものです。演劇だと銘打ってはいるものの、そこを通る人は始めこそ警戒したり不思議に思うかもしれませんが、いつでもその人がそこにいるという共通認識が住民の中に生まれ、徐々に仲良くなっていきます。しかし、それも三ヶ月間だけです。三ヶ月が経つと、そのスペースからは一切のものが跡形も無くなります。その瞬間、あれは本当に演劇の一つだったのかと住民たちは思うのでしょう。知らず知らずの間に鑑賞を強いられた観客たちは不意に演劇が終わったことに気づいてしまいます。
 このように、岸井さんの手がける演劇というのは鑑賞者を劇の中に巻き込んだ演劇です。こういった活動を知ると劇作家というものが、戯曲家のことではなくイベントの仕掛人だったということが分かります。幼い頃に遊んだおままごとや人形劇が自分の原点であるという岸井さんは劇場で行われる演劇に対し違和感があると言います。コントロールできる空間で美しいものを見ることもいいけれど、それは批評性を奪うことになるのではないかと。
 一見ワークショップのようでもある、この観客協力型・参加型演劇ですが、成果物を求めるワークショップとは大きく異なります。演劇の定義に対し必要なものは集団と鑑賞だという岸井さんの定義に加えて、最後に観客を突き放し、自分が一切の責任を背負いながら道化になることが一番演劇らしいと私は感じました。劇を俯瞰して操るような戯曲家から大きく逸脱した現代の劇作家は、むしろ、自らがみんなに希望を与えたいと行動を起こす、情に溢れた役者という印象を受けました。
 講義のはじまりに、岸井さんは下の様な図を用いて、「僕がしていることは、このCの部分に当てはまることなんです。」と解説していました。講義が終わったあと、このCに入るものが何かを私なりに考えてみました。村がどんどん大きくなり都市に、それが更に肥大化した、様々な情報が飽和してしまった今の世の中、Aに当てはまるのは状況という言葉がふさわしいような気がします。多様化し、カテゴライズできないものばかりが求める断片Bに差し込んでいくCという希望、それこそが岸井さんの探している現代の演劇なのかもしれないと感じました。
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ゼミナール | Posted by satohshinya at December 28, 2012 6:17 | TrackBack (0)

田所辰之助レクチャー

2012年1月12日(木)、第6回ゼミナールとして、建築史家の田所辰之助によるレクチャーが行われた。以下はそのレクチャーに対するレポートである。

吉田悠真
 久しぶりに田所先生のお話を聞くことができて凄く興味深く聞かせてもらいました。最初のスライドに出てきた「建築家の夢」というタイトルで示された図は今まで偉大なる建築家が設計してきたものばかりで、しかもそれがちょっと近未来的な構図になっていたのがなんとも不思議なものでした。「ユメ」ってそもそもなんだろう?と考えたときに、建築だけに非常に大きな「ユメ」を想像してしまいます。
 建築の「そと」という考え方、万博で示されたガラスと鉄の建築「クリスタルパレス」は今まで石で作っていたのとは大きく異なり、世の中に建築材料革命を起こしたキッカケになったのだと思います。そしてそれは建築家が作ったものではなく、エンジニアが作ったということには驚きました。エンジニアから建築家へのシフトという時代の流れも非常に関心を持てるものでした。
 分離派への流れ、建築プログラムの書きなおしという考え方そのものは今の建築に通ずることだとおもいます。又、ファンズワース邸のテラスの良さをどう表現するかという話は自分も凄く共感できるところです。そもそも自分があのプランを見たときに何が良いのか全くわかりませんでした。ライトの「落水荘」の良さは万人受けするものだと一目でわかるのです。しかし、前者の方は「なにがよいのだろう?」と疑問しか生まれませんでしたが、話を聞いて実際現地に足を運んでみなければ分からない奥深さがあるのだと思います。「詩的空間」とは、3人の先生の話題にも上がったH先生の考え方ですが、時代に吸収されないアートのような建築とはまさにこれ(プランを見てもわからない建築)だと思います。人々が見てそれぞれの印象の受け方、感じ方に違いが生まれてどうとでもとれるようなそんな建築です。実際のアート、例をあげてみれば有名なピカソの絵もみていて何を表現したいのか全くわからないし、それどころか「子供が書いたような落書き」にしか見えない(失礼ですが)こともしばしば……。しかし、どこがいいかと言えば説明できない、人々に何か訴えかけるような生意気さがあります。
 ファンズワース邸のデッキにはそんな何もないただの外部ですが、そこになんらかの空間があることにおける、気持ちのゆとりや開放感を作りたかったのだと改めて感心しました。世の中の建築には、効率性ばかり求めるあまり大切なものを失っているような気がします。それは万人受けする意図的空間ではなく、そこにあるだけで「なんかいい」「なにもないこの空間があるからいい」そんな抽象的な空間を演出するのが非常に難しい世の中になっている。それは、建築をやっている以上クライアントに説明する説明責任が問われるからだ。ものができてから、これでどうですか?とは言えない。模型や図面で説明することはできるが、やはり実際のスケールでみるのとは大きく異なり違うものだ。
 その点、アートは自分のやりたいように自由に表現し見る人が自由に受け取る。というメリットがある。先生が取り組んでいる「としまアートステーション」はそんなアートのメリットと建築の良さを複合的に考えた新しい考え方かもしれない。しかし、3人の先生方がラストに話題にしていた建築には、「コンセプトが必要」だということに関してはすくなからず共感でき、「コンセプトがないのがコンセプト」「コンセプトをいかに不在にできるか」ということをテーマにした発想は今後いかにクライアントにそれを分かってもらえるかが焦点となる気がする。そして、3人の先生方の最後の討論?は短大時代を思い出し、非常に懐かしい感じがして、楽しく聞かせてもらうとともに、建築を本当に考えるよい機会となりました。

鶴﨑敬志
 今回のゼミナールは田所先生を迎えての講義ということで、私個人としては短大時代に所属していた研究室が田所研究室ということもあって、懐かしいと共に久しぶりの講義に楽しみにしていました。
 講義の内容で印象に残ったものとして、M. ボンディの「人間は空間に滲み込む、空間を考えることによって建築は、生まれる」という言葉で、そもそも空間とは何か、建築にとって空間はどれだけ重要になっていくのだろうと考えさせられた。先生の意見として、空間から建築を考えるのは良くなくて、空間から進めていくと範囲を狭めてどことなく、こじんまりとしてしまうらしい。しかし、設計の課題でエスキースをやっていると、コンセプトを決め、そして空間を考えながら進めていく。そこの矛盾がとても難しく、空間というものの定義付けを自分の中で作っていくことは、課題の一つであり問い続けなければならないと感じた。
 次に空間の定義から、問いという言葉に代わるが、今回の議題の中に「問いは外にあるもの」は確かにある。しかしわれわれの拠点は「建築」であるという題目が出てきた。建築は遅いメディアで創造主体はどこにあるかということで、建築は情報に遅れをとっているというのに思うところは、クリスタルパレスは1851年に建てられた、ガラスの建築であるが、当時は、建築としてみなされていなかったらしく評価を得られなかった。しかし、50年以上たった、20世紀初頭になって、初めて建築として評価されるようになり、ガラス建築が生まれた。この50年以上もの間全く見向きもされなかったガラス建築が革新的な近代建築となるのだが、かなりの時間を要した。そのことからわかるように、これまでの様式を大事にしていたことから、ある意味、型にはまった建築しか建てることができず、もしくは世間が新しいものを受け入れなかった。それが、範囲を狭めてしまっていて、受け入れられるのに50年という長い月日をかけてしまったのだと思う。ただ、新しいことへの順応性というのは、必ずしも良いとは限らないわけだが、建築は、言ってしまえば無限の世界だと思っているので、建築の可能性というものに、傾けていけば遅いメディアといわれなかったのかなと私は感じた。そういった意味では、今回の講義の中に出てきた、建築家の三大巨匠である、L. ミース・ファン・デルローエという人物は新しい事への挑戦の仕方が長けていたのかなと思う。1934年にやった、展覧会を催したときに、岩塩を使った壁と炭鉱を使った壁、その二つの壁が展示された。そしてファンズワース邸は、トラバーチンを使い、テラスを作った。その二つの事柄はいずれも物質感を出したいという、ミースの考えから始まっている。そこから、出てくるものは今までの格式ばった建築様式から、自由度の高い建築を設計するようになったと思っている。
 建築に対する人への影響を大きくしたミースも、最初からできたわけではなく、問いかけや建築に対する意識を自分の中で高めていたと勝手に想像するわけだが、それが欠けていたら巨匠と呼ばれることは、少なからず無かったと思うので、三人の先生が講義で話していた中で、個人的にキーワードであった「空間の定義」、「意識」、「問い」というのは、これからも考えていかなければならないなと思い、一層の関心が高まったと同時に楽しい講義だったと思う。

これからの建築と建築家
沖田直也
 建築は19世紀までは「様式」が重要な要素であり、建築家は様々な「様式」を操れることがステータスであった。しかし、1851年のロンドン万博におけるクリスタルパレスで、鉄骨を用いた構造を持つ建物が出現した。この建物は建築家ではなくエンジニアがつくったもので、「様式」をステータスとする当時の建築家たちには様式のかけらのないクリスタルパレスが建築として理解できなかった。それから20世紀初頭になって建築家たちがS造・RC造を用いた大空間の建物を建築として理解し、「空間」を建築に取り入れ始め、それ以前の建築にも事後的に「空間」が見出された。これ以降建築の要素は「様式」から「空間」に変わることになる。そして、コルビジュエのドミノシステムのように、一つ一つの箱に機能を与え、それを組み合わせて建築をつくるという「機能主義」が発達していった。
 しかし、建築というものは他のメディアと比べて変化の速度が遅いものであり(クリスタルパレスが登場してから「空間」を建築として捉えるに至るのに50年くらい)、インターネットが発達し、一刻ごとに変容していく現代社会においていつまでも「空間」にこだわらず建築の新たなる要素が出てくるべきではないかという。そこで、「空間」に変わる新たなる要素を見つけ、「空間」から抜け出すには「建築に何が可能か」という問いを立てなければならない。その「建築に何が可能か」と言う前に「人間になにか可能か」ということを問われるべきではないか。
 現在は、建築の要素が「様式」から「空間」に変わっていったように、「空間」から新たな何かに変わっていく時期なのかもしれない。その新たな何かがどんなものかは「建築」の外に出なければならない。しかし、我々は「建築」というものにとらわれている。境界づけることによって「空間」ができてそれを所有することによって建築、ひいては生活が成立するのであるからである。新たな何かを見つけるにはいっその事「建築でない何か」を考え、提案していくことがいいのかもしれない。そのヒントはおそらく東日本大震災の津波に流された瓦礫の山にあるとおもう。今回のレクチャーでは「建築」の定義を考えさせられるいい機会になった。
これからは「建築」と「建築でない何か」、さらに「アート」と「現代社会の情勢」を観察し、「空間」に変わる新たな建築をつくり出し、いつかは「建築ってなんだっけ?」の疑問を解決したいと思う。

齋藤真理
 田所先生のレクチャーでは様々な建築についての興味深い話を聞くことができ、また先生達それぞれ色んな意見や考え方があり、普段では聞くことのできない話もあり楽しく勉強させていただきました。
 レクチャーの初めに「建築家の夢」という絵画が写されました。その絵画には有名な建築物が混在して一度に描かれている、なんとも言えない画となっていました。それは建築家にとっての夢とは?ということを考えさせられるように感じました。
 次に建築の「そと」という考えについてです。その例としてあげられたのは万国博覧会で造られたクリスタルパレス(水晶宮)で、当時としては鉄骨構造の建築に鉄とガラスを組合せたプレハブ工法がとても画期的だった建物です。そしてこの建物は建築とは関わりのなかった人が創り上げたことに驚きを覚えました。クリスタルパレスは温室の技術を展開し建築となりました。そうした技術による展開が建築となり新たなものを生み出すということに非常に関心を持ちました。私たちにも普段関係性のないと感じるものでも、そこから新たな発想を得て展開させる考え方を常に持っていれば、まだまだ未知数の可能性はあるのではと感じました。
 次にミース・ファン・デル・ローエのファンズワース邸についてです。ファンズワース邸は以前から知っていましたが、住居の少し下がった所にあるテラスはトラバーチンの床がただ広くある空間で、何のためにあるのだろう?どうしてこんなに広くあるのだろう?と思っていました。田所先生の実際に行ってみないとこの空間の良さが分からないとおっしゃっていた言葉に、確かに実際に行って見なければ物質感や匂い・空間を感じることは出来ず、行ってみて初めてその空間の良さが分かり、「そと」のような「なか」のような曖昧なこの空間の存在理由があるのだろうと考えさせられました。ファンズワース邸のテラスのように空間を贅沢に使ったものは、最近では見受けられないように思います。この空間の贅沢さが建物としての贅沢さにも繋がるように感じました。
 そしてこのファンズワース邸は建築とアートという関係性を持っているようにも思いました。建築はコンセプトをもって造られ建築を通して見る側へと発信されると考えます。アートは見る側が多様な解釈をし、何かを感じとり自分の中に収めるという流れがあるように考えます。建築は造る側と見る側の考えを共有しますが、アートは創る側と見る側の考えが人それぞれ違うのです。このファンズワース邸ではテラスの部分が言わばアートと呼べるのではないだろうか?と話を聴いていてふと思いました。(先生達にとっては何を言うてるんだと思うかもしれませんが……)建築とアートについて先生達の熱い討論でも出ていたコンセプトというキーワードでは、コンセプトのあり方を深く考えされられたように思いました。コンセプトとは、「どういう意味を持つのかの説明では?」「コンセプトを持たないことがコンセプト」「コンセプトは他者へのコミュニケーション方法では?」など色んな見解が出ており、建築について深く考えるきっかけとなりました。

穂積利宏
 今回は田所先生のレクチャーであった。
 様式の組み合わせから空間づくり、そして、こと(人の行為、状況など)づくりへと建築が移行している中で、田所先生の話はその様子がとてもわかりやすく説明されていてとても興味深かった。
 19Cコールが描いた「建築家の夢」にはその当時のあるべき建築家の様子が端的に表現されていた。当時の建築家は、それまでの色んな様式をどれだけ知っていて、それを操れるかが評価につながっていた。そして、古い形をまねながら、その中に新しい形を見つけてきた。機能主義の中、1851年ロンドン万博のパビリオンとして誕生した「クリスタルパレス」。円筒法による板ガラスの大量生産が可能にした大空間建築物の代表で、全長約563メートル、幅約124メートル、高さ約22メートルの大空間は、細い鋳鉄の骨組みに、約30万枚という大量の板ガラスをはめこんで建てられた。設計者は、造園技師出身のジョセフ・パクストン。「鉄とガラス」を素材にしたプレ・ファブリケーション[プレハブ]工法によって、約4ヶ月という、非常に短い期間でこの大空間を完成させた。このクリスタルパレスが一つの起点となり、建築界に「様式だけじゃないかもしれない」という考えを広めさせた。その一石が「芸術家の家」で、ボックスの組み合わせによって構成され、時期は異なるものの、コルビジュエのドミノと組み合わさることで新たな建築の可能性を開いた。しかし、建築の外部以外を建築家が設計するようになったのはこの50年後であった。
 さらにミース・ファン・デル・ローエが、建築の操作を転換させた。ミースは、ドイツのアーヘンに、墓石や暖炉を主に扱う石工の父親をもち、大学で正式な建築教育を受けることなく、地元の職業訓練学校で製図工の教育を受けた後、リスクドルフの建築調査部で漆喰装飾のデザイナーとして勤務した。このような背景も手伝って、1927年の女性モード展ではシルク、ベルベットを垂らして空間を仕切ったり、1934年のドイツ民族ドイツ労働展では岩塩、石炭の壁をつくり、そこに周りとの大きなギャップを作ったりした。このように異質なものや小さな変化が次の時代への架け橋になることが、田所先生の話でよく分かった。
 このように建築の在り様が刻々と変化する中、次のような問いかけが行われた。
 建築に何が可能か。
 バリケードの中で、「建築に何が可能かと問う前に「人には何が可能かという問いがなされるべきである。」に対して、山中先生の師である原広司さんはM. ポンティの発言「人間は空間に滲みこむ」を引用して答えた。まさに前述の「ことづくり」そのものである。さらに原さんは建築の可能性について
① 共有性
② 反復性
③ 投企性
④ 場所性
を挙げた。
 創造主体をどこにおくか。建築の「外部」はどこにあるか。「見えないところで、ある状況を成立させる」ということも建築家の仕事である。これらはとても基本的で、誰もがなんとなくは考えていることである。しかし、改めて意識して考え、それを継続していった先には時代を切り開く新たな建築の姿があるような気がした。
 最後に、今回のレクチャーのエピローグで拝聴できた、佐藤慎也先生の建築に対する考えは非常にありがたかった。私は、設計のプレゼンの際に使われるコンセプトやダイヤグラムの嘘くさい言葉の羅列に嫌気がさしている。私は曲線が好きだ。直線でやっていれば突っ込まれないところを、曲線にした瞬間に突っ込まれる。確かに現実には、曲線にすることでコストが何倍にもなったり、施工がむずかしくなったりといった理由で敬遠されがちだ。さらには建築には施主がおり、アートのように見る人の解釈に委ねるということができない。合理主義からくる、コトバへのカテコライズの稚拙さに対して言わないという対抗手段しか持っていませんでした。しかし、先輩方の2LDKに23人住ませる、建築をつくらない、というような試みで「ケンチク」に対して向かっていった例を聞いて、とても刺激を得た。

山本真子
 今回の講義は、建築史家の田所先生を招いてのレクチャーだった。主な建築史の流れと共に、建築の可能性について語る。
 はじめに様式折衷主義の頃のトーマス・コールの「建築家の夢」についてだった。過去の偉大な建築物を集めると、結果的には様々な様式が入り混じった混沌としたものになるのだが、それを「夢」と言えることの可笑しさを感じた。
 その後産業革命後のロンドンでのクリスタルパレスなどのガラス建築の話に移る。この時代になると建物の「空間」の意味合いが変わってくる。今までの重い石造りの内部空間から、ガラスと鉄骨の軽い開放的な空間に変わる。作者も建築家から技術者へ変わった。しかしこれらは先端技術を使用した革新的な出来事であったが、これが様式だと認められるまで50年も時間を要した。このことから「建築」というものの遅さ、いや「建築家」の遅さを感じた。建築家が様式主義に洗脳されている間に、技術は、時代は、人は進んでいたのだ。
 そして時代は構成主義建築、機能性と合理性を備えた建築であふれるようになっていく。そこで田所先生は疑問を投げかける。構成だけではこの先泥沼で、バリエーションが増えるだけである。「空間をつくる」という考えを改めるべきだと。確かに現代の建築は空間構成でなりたっており、似たようなものばかりである。そして空間構成が得意な人々が建築を担うようになった。
 ここまでの流れを踏まえると、建築の創造主体が建築家→技術者→構成者と変わってきている。このまま構成をするだけで建築をしている気になっているのであれば、本当に未来は暗い。先端技術を使い新たな構成の仕方はこれからも永遠に生み出されるであろうが、それでは建築家の定義も曖昧になってくる。
 現代はインターネットの普及により新しい技術も情報も、人の気持ちも感動もすぐに共有される。飛行機によって世界のどこにでも短時間で行けるようになった。つまり、昔のロンドンでの第一回万博のようなことはおそらく一生起こらないのである。つまり現代の人々はもう建築家の提唱する「空間」には興味を示していないのだと思う。その流れは3.11以降さらに加速していると感じている。津波で建物が流され壊れ、瓦礫が残る平野になった場所もある。しかし、青空の下で土を踏みながらそこにある「空間」は感じることができる。空間とは建築によって定義されるものではなくて、そこで行われる人間の行動によって定義されるのだと考える。
 こういったことから人間の活動の「場」をつくるという佐藤先生の試みは、新しい建築家?の形だと思っている。3.11を境に、あって当たり前のものが失われた後に残るのは人間の関係性だと、日本国民全員が思った今だからこそ、もう少し建築家の可能性は「人間」に任せても面白いのではないかと思っている。こんなことを言っては本末転倒なのですが。
 最後に、今回の講義は大変興味深かった。空間とはなにかを考えるきっかけにもなったし、山中先生やmosakiのお二人を交えた討論は大変面白かった。ありがとうございました。

阿津地翔
 今回のゼミナールはゲストとして日本大学の先生である田所先生が講師として招かれてその講義を聞きました。
 最初は慎也先生がこれまでに研究室等で実際にした活動のスライドを見ました。湯島もみじの施工現場では学生時代のmosakiのお二人や少し前の慎也先生や岡田先生の写真を見られて面白かったです。現場の楽しい雰囲気が伝わって来ました。今までにも出てきた茨城県取手市での「+1人/日」、劇場外演劇、住み開きなど佐藤慎也研では他の研究室ではしないようなことを沢山していて毎回とても楽しそうだなと感じます。
 田所先生の講義では初めにに19世紀の中盤にトーマス・コールが描いた「建築家の夢」という絵がスライドに出てきました。手前には尖った屋根で窓から光が漏れているシルエットのゴシック様式の建築、奥には何本もの柱が綺麗に並んでいるローマの宮殿、さらに奥には大きなエジプトのピラミッド、それらを建築家が横になって眺めている風景が描かれていました。夢の中で建築家が見ているこれらの石でできた建築とは逆に鉄とガラスでできた建築が次のスライドでは出てきました。1851年の第一回万国博覧会の会場として建てられた建築であるクリスタルパレス(水晶宮)です。こういった建築が無かった当時、いきなり、建っているガラスの壁の建築を見た人々がどう思ったのかとても気になりました。しかしクリスタルパレスのような建築は万博から50年以上経った20世紀初頭になってやっと建てられるようになったという話を聞く限りでは当時の人々にはあまり受け入れられなかった様に感じました。先生は建築は遅いメディアと言っていましたがそれも分かったような気がします。そして1920年代に入ると建築に機能を求める機能主義の建築が建てられるようになりました。田所先生の言ったコルビジュエの考えたドミノシステムに壁を被せたものという例えはとても分かり易かったです。そこから建築の空間の話をされました。最後に、建築は遅いメディアである・「創造主体」をどこに?・建築の「外部」はどこに?と、問いかけのようなまとめで終わりました。田所先生の話の後半は自分には難しくてメモを取るのがやっとという話ばかりでした。今までのゼミナールの講義の中でも特に難しく感じました。
 配布されたプリントの内容も興味深いものでした。美術館の事業報告書に建築が美術としてカテゴライズされているのを見て、いつから建築は近代美術になってしまったのか?という投げかけがされていました。建築が美術館に展示されて様々な人に建築をもっと知って貰うのは良いことだと思いますが、プリントに書いてあるように美術館で見せるための建築を作るのはまた話が違うと思います。人の目を奪い、好奇心を湧かせる様な外観も大事だとは思いますがそれだけだと「美術館で見てもらう美術品のような何か」になってしまうと思いました。これから美術館に建築というちゃんとしたカテゴリーができることを強く願います。

建築家は「空間」をつくるもの?
内野孝太
 「建築は、以前は様式によってつくられており、近代以降に空間という考え方が生まれた。そして、様式によってつくられていた建築にも、事後的に空間が見出された。そうだとすると、様式という言葉が捨てられたように、空間という言葉を捨てることで、新しい建築をつくることができるのではないか。」
 このような議題のもとに田所先生によるレクチャーが行われた。「空間」とは何かを改めて考える機会になり、大変感謝致します。
 建築は「様式」→「空間」に移行され、「空間」→「?」とは何か。そこで現れる空間というものは、恣意性をなくし、作り手の所有物とは異なり、使う人によって規定され得るものであると。作り手の作家性というのは空間として現れず、そこには多様である使い手により、空間が構成されるという行為が行われる。建築はハードの側面よりソフトの側面が強くなり、その先にある「コト」づくりに重点が置かれる。その時、決め方に意図的なものを排除し、そのことが設計趣旨をなくし、そして、空間より先にある「コト」が生まれるのではないかと感じた。
 空間というのは建築において人々に使われることによって成り立つ。実際、使う側の人に、はいどうぞって場を提供しても、簡単にコミュニケーションが生まれるとは思わないし、空間がどうのこうのって言うより、挨拶とか凄く基本的なことで形成されている気がする。そこで、空間に何らかの仕掛けを用意するとなると、自分が意識的に設計をしないことができなくなってしまうのでないか、その空間にどれ程「自分」が出てくる・出てこないのか。また、どの部分に制限をかけることで、その空間を成り立たせているのか。上記の点が気になるところではあります。
 「様式」は建築家ではなくエンジニアの手によって「空間」に移行をしていった。「空間」は誰の手(それは作り手ではなく使い手かもしれませんが)によってアップデートされていくのか。これから私たちが考えていかなければならない問題というのを、提示されたレクチャーだったと思う。
 最後に、慎也先生が「周りへの影響、波紋のことを目的とし得ない」というようなことを仰っていたが、とても意外であった。現状、活動が波紋のように広がっていくことは少なからず存在すると思う(ソーシャルメディアなりで)。しかし、空間をつくる際と同じで、その広がり方に恣意性をなくし、考え得ない外の領域に派生することを期待しているのではないかと。このレクチャーと共に慎也先生が何処に向かおうとしているのか気になった次第であります。

渕上久美子
第6回ゼミナールでは1年生の時授業でお世話になった田所先生がレクチャーを行ってくださいました。また、山中先生も参加してくださり、レクチャーのあとに座談会といいますか、空間についてや、設計主旨について3人でお話されていました。
まず田所先生のレクチャーでゴシックやロマネスクなど様式の名前がでてきて、1年の時にレポートを書いたことを思い出しました。最初のスライドの建築家の夢ではさまざま様式が集まり、1つの絵に収まっている。改めて、世界各地で様々な様式が育てられていたのだと感じました。様式を選んで作ることができるのがステータスであった時代もあったという話を聞いて、昔の建築家と、現在の建築家は考え方や求められるものが違うようになったのだなあと思いました。
建築史の講義でこの時代は何様式である、など勉強しましたが、現在、様式は全くなくなったのでしょうか。今回のテーマが“様式という考え方が、空間という考え方に変わった。そして様式によってつくられた建築にも事後的に空間が見出された。”とありましたが、何十年後にはこの時代の建築は何であったと講義されるのでしょうか、気になります。でも現在は情報がありすぎて、いろんな種類のものがあふれかえっており、同じものを繰り返し深めていくことが少なくなったように感じるので、ひとまとめに名前を付けるのは難しそうです。むしろ、テーマがさだまらないことがテーマになるのでしょうか。
今回のレクチャーでいただいたプリントの中に建築展について問うものがありました。
建築はアートなのか?というものでしたが、私はアートになりうると思います。美しい建築がたくさんあるからです。また、手の込んだ模型は美術作品だし、設計図や、パースなどは小説や漫画のように空想して楽しむこともできるからです。でもそれは付属的なものであって、私は建築とは人が住むための物、利用するための物であるから機能的であることの方が重要だと考えます。またもう1つの、所有するという考えについて書かれたプリントも大変興味深かったです。土地を買って、家を建ててこの空間は自分の物であると、自分たちで法律まで決めて言い合っているが、実際に所有することはできていないのだと思うと、自分のやっていることはいったいなんなのだろうと考えてしまいます。
建築に何十年も関わってこられた先生方が建築とはなにか、と考えても話が平行線をたどるなんて、建築とは奥が深い、なんてむずかしいんだろうと改めて思いました。今回の講義は、空間とは、建築とは、そして建築家とはなにか考えるきっかけになりました。

ゼミナール | Posted by satohshinya at January 15, 2012 7:09 | TrackBack (0)

中島佑太レクチャー

2011年12月12日(月)、第5回ゼミナールとして、アーティストの中島佑太によるレクチャーが行われた。以下はそのレクチャーに対するレポートである。

平野雄一郎
 コミュニティアーティストとして活躍している中島佑太さんの講義を聞いた。コミュニティをデザインしようと色々な事に挑戦している人であった。このような事をしている人の話を聞くのは初めてだったのでどのような事を聞かせてくれるのか楽しみだった。今回は最初のプロジェクトがとても印象に残ったので、それについて思ったこと感じた事を書こうと思う。
 そのプロジェクトは茨城県取手市のアートプロジェクトで、ローカルラジオを通して地域の活性化を促そうとするものだった。団地内の近くの小さな商店街は現在かなりシャッター通り化していて活気がなくなっている。そこでつぶれてしまったクリーニング屋を改装して小さなスタジオを作り、そこでローカルラジオを発信してコミュニティの発信地としようとするものだった。ラジオにはいくつか種類があって、FMラジオのように全国に発信するものと、コミュニティ放送と言って市町村までの範囲で放送するもの、ミニFMと言って無許可•無認定で誰でも好きにどこでも放送する事が出来るものに分かれる。ここにはミニFMの規模のローカルラジオを展開した。これは他の2つと違って放送できる範囲はしごく限られている。団地内だけや商店街の端から端まで程度である。けれども、もともとこのプロジェクトのコンセプトが、誰でも来られていつでも話せるラジオというものであったので、地域限定のコミュニティにはうってつけであった。知り合いにしか放送されないのでプライベートな事やたわいもないことが放送できるようになっている。中島さんはこれを作る上で井戸端会議を想像したと言っていた。井戸端会議は普通の生活をする上でとても身近なものであり、これは家族間の情報の交換や今日一日にあった出来事を報告しあったりするものだと思っていて、今井戸端会議というものがなくなりつつあるのは実際に井戸そのものがなくなったからだと推測していた。しかし、井戸端会議というフレーズやイメージはなくても食卓上で風景は引き継がれているのではないかと自分は思う。風景が引き継がれるのは、落ち着けたり素でいられると思う人が多いからではないか。自分も一日の終わりとしているのにはとても落ち着くところだと思っている。中島さんはここに注目してこのコンセプトを掲げたのだと思うし、実際にやってみた結果、リアルな声や団地内のコミュニケーションが盛んになったとおっしゃっていた。また、コミュニケーションをデザインするときにリスナーがいるのといないのとではかなり違うものになるとおっしゃっていた。例えば、ラジオは話し手と聞き手がいて初めて成り立つもので、どちらかがいないとラジオではなく自己満足となってしまう部分がある。話し手聞き手がそろっていればそれでデザインしたことになるかと言われるとそうでもない。
 これらの話を聞いていてコミュニケーションをデザインする事はとても難しい事だなと感じた。確かに見えないものを言葉で表す事は面白いと思う。しかしこのラジオプロジェクトも地域の社会問題など小さな問題が浮き彫りになるという欠点と隣り合わせになりながら行っていた。一つ間違えれば全く面白くなってしまうし、その地域を批判するものにもなりかねないと感じた。この微妙なさじ加減は、全体を見渡せる視野を持って自分がその地域に住んでいるという心持ちを持つ事が不可欠なのではないかと思った。

西本亜里紗
 井戸がなくなったから井戸端会議がなくなり隣の家や地域との交流がなくなった。ということは、井戸をつくってここからなにかを発信すれば現代版の井戸端会議(コミュニケーションツール)が出来るのではないか!という発想が、抽象的ではなくそのもので表現するという点で自分の感覚にも共通している部分があったのでとても共感できた。もっとも、私なんぞとは比べものにならないくらいの発想であるが、プロでもこのように感じながら表現しているのかと思うと少し嬉しくなった。
 従来の井戸端会議は人伝に広げていくものであったが、コミュニケーションが希薄になってしまった現代に井戸だけを作ってもあまり意味がない。ただ話すだけの場ではなく、話している事を電波に乗せることで、そこにいる人以外の多くの人にも広げ、コミュニケーションをとろうとしたのはとても面白いと思った。また、地域という狭い範囲で放送することで、井戸で話している人達はリスナーのイメージが持てる!というのが魅力的だった。また、そのリスナーを意識することでいつもよりもより深い、内輪同士ではないコミュニケーションが生まれる。
 アートプロジェクトは形に残らないものであると言っていたが、電波に乗せて届けてきた思いは人々の心に残っているだろうし、また目に見える形として歌や合唱団を残せたのはとてつもなく大きな成果であると感じた。
 韓国でのポジャンマチャ計画は、言葉だけがコミュニケーション手段ではないと実証できた例であると感じた。そして子どもの存在というのはどこの国に行っても大変大きいものであると改めて思った。まだ先入観がなく好奇心が旺盛な分、どんな人とでも分け隔てなく付き合ってくれる点で、子どもは大人よりもコミュニケーション能力にものすごく長けていると感じている。
 この計画も半分は子どもたちの協力のもとに実現したのではないかと感じている。子どもたちの弁解や看板のおかげて材料探しもスムーズにできるようになり、街の人々も協力してくれるようになったのだ。ただ、もちろんそれだけでは全てうまくいかなかっただろう。いつ誰が来ても手伝うことができるように作業をわかりやすく、簡単にすることで、より多くの人々とコミュニケーションを作業していくなかでできていたのではないか。
 他国でのプロジェクトであったことから、その国の歴史や風習がとても重要な事だとわかった。今回の計画での材料集めでは、そこで生活する人たちが使うゴミまで奪ってはいけないし、日本では当たり前のことが外国からしてみれ必ずしもそうでないことであるかもしれないのだと学んだ。郷には入れば郷に従えとまさに言葉通りであった。
 多種多様な形態があるコミュニケーションという方法であるからこそ、多様なアートが生まれる。コミュニケーションという目に見えない手段を使って形に表現するのはとても難しいことだと感じたが、形に残る以上に人の心に残る作品が出来るのだろうと思った。

田崎敦士
 「取手アートプロジェクト・88MHzゆめ団地」や「韓国 アートインレジデンス(移民労働者街)」ではいずれも、中島さんのコミュニケーションアートによって地域住民を基本とした新規コミュニティーが生まれていました。また、アーティストやプロジェクトが干渉することで、元からその地域に築かれていた関係性は、少し変質しているように思いました(あくまで地域コミュニティーの枠からは外れないで)。普段「見かけたことがある程度の隣人」と関係をもつきっかけを作るHUB的な役割を、アーティストやプロジェクトが担っていました。
 ここで、アーティストやプロジェクトが地域から出て行った・なくなった後も、そのようにできた新規コミュニティーが持続していくのか疑問に思いました。
 プロジェクトに参加してくる地域住民たちは、アーティストが作り出すクリエイティブなものに魅力を感じてやってきている。そう考えるなら、アーティストやプロジェクトが地域から出ていった・なくなった時、必然的に新規コミュニティーは自然消滅していくと思います。せっかくできた新規コミュニティーが持続せず、単発的なものに終わってしまうのは、どこか勿体ない気がします。アーティストやプロジェクトがHUB的な役割に留まってしまうと、このような問題は解決されないのだと思います。
・新規コミュニティーを持続可能にするためには
 1つの方法として考えられるのが、アーティストがその地域に永続的に関わっていくこと。継続的にクリエイティブなものが生まれ、それに魅かれた地域住民たちが集まってくるといった構図が描けます。 
 また別の方法として考えられるのが、地域住民たちで新しい組織を作り上げ、プロジェクトを運営させ継続させていくこと。地域住民が組織を作りそれを代々受け継いでいけば、そのコミュニティーが消滅する可能性はすくなくなります。
 しかしこれらの方法はいずれも問題があり、アーティストが自分の人生をその地域に捧げなければならないことや、地域住民たちでできた言わば素人組織が、他の地域住民たちを惹きつけるようなものを生み続けられるか、といったことです。
 コミュニティーデザイナーの山崎亮氏は、プロジェクトの計画段階から地域住民を参加させ、その後の運営方法などの勉強会を開き、数年してから完全に住民にまかせるというスタンスをとっています。この方法が成功しているかはまだデータが足りませんが、私は少し可能性を感じました。
 今後、新規コミュニティーを持続可能なものにしていく方法が、様々な実験的プロジェクトによって見いだされていければ良いと思いますし、自分も何か考えていきたいと思いました。

長澤彩乃
 第5回佐藤慎也ゼミナールでは、アーティストの中島佑太さんを迎えたレクチャーが行われた。中島さんは、1985年群馬県前橋市生まれ、2008年 東京藝術大学を卒業。小学校時代から続けてきた野球の経験をもとに、スポーツにおけるコミュニケーションに着目しながら、他者との会話から引き出される物語をきっかけにした継続的な出来事をデザインするプロジェクトを各地で展開しているコミュニケーションアーティストである。最近は、サイドストーリー(アートプロジェクトの傍らを流れるアーティストと地域コミュニティーとの関わりの物語)が持つ、アートプロジェクトのメインストーリーを価値化する可能性に興味を持っているという。サイドストーリーがメインストーリーを支える、メインストーリーがサイドストーリーを価値付ける、という関係にある物語を記録・収集し、アーティストと地域コミュニティーの関わりがもたらすものが作り出す新しい領域のことを考えている。今回のレクチャーでは、そんな中島さんが自信の活動について、いくつかをピックアップして紹介してくれた。
 まず、2008年に参加した取手アートプロジェクト。取手アートプロジェクト(TAP=Toride Art Project)とは、1999年より市民と取手市、東京藝術大学の三者が共同でおこなっているアートプロジェクトである。
 若いアーティストたちの創作発表活動を支援し、市民と広く芸術とふれあう機会を提供することで、取手が文化都市として発展していくことをめざしている。中島さんが参加した2008年よりTAPは、主要事業として全国から作品プランをあるテーマのもとに募集する「公募展」と、取手在住作家の活動紹介である「オープンスタジオ」を隔年で開催してきた。活動内容としては、団地の店舗跡地にラジオ局をつくりミニFMに町の人の声をそのままのせて放送するという企画を行った。井戸端会議の名の下に、井戸を模したオブジェを囲んでのコミュニティーは地域の発展にもってこいのものであると思う。井戸を囲んでハーモニカを演奏したり歌ったり踊ったりすることや、団地値上げ反対運動などという時にシビアなテーマも放送することで、地域の人々がリスナーとしても、放送をする側としても楽しめる新しいコミュニティーである。私の家の近所は住宅街でありながら、近所付き合いは年々希薄になっているように感じるので、このような活動は羨ましく思った。
 この他に、言葉も通じぬ韓国で、ゴミを集めながらポジャンマチャと呼ばれる屋台を作っていった話もあった。中島さんのコミュニケーションアーティストとしての制作活動のモットーとして、いつ、誰がきても手伝ってもらえるということがある。これを中島さんは、制作活動場所のなく、言葉の通じない地でも通用させていてコミュニケーションを重んじる姿勢を感じた。
 今回のゼミナールで、アーティストという少し曖昧な職業の人の生き様というか、かっこよさに強く感銘を受けた。今後私も、自分の活動にポリシーの持てるような大人になりたいと思う。

アーティストの中島祐太さんの話を聞いて
西野拓人
 群馬県の前橋市を活動の拠点とし、自身が行っていた野球の経験から「一人では出来ないことをしていく」というスタンスでアートプロジェクトを行っている、アーティストの中島祐太さんの話を聞き感じたことを次にまとめる。
 まず、最初に中島さんが話された取手アートプロジェクト「FMゆめ団地」について述べる。「FMゆめ団地」は、2008年に取手アートプロジェクトで中島さんが参加したアートプロジェクトの1つである。無認可でも放送できるミニFMを用いて、団地に誰でも参加可能なラジオ局を作るというプロジェクトで、団地の一室に井戸があり井戸を囲みラジオを放送するというものであった。ラジオ局の写真を見せられた時、私は何故ラジオ局の真ん中に井戸があるのかと不思議に思った。中島さんの話で井戸は井戸端会議を連想し設置したものであると聞き、最初はそれだけの理由かと思いつまらないなと感じた。しかし、その後、中島さんの話を聞きこの井戸はとても重要な意味を持っているものではないかと考えが変わった。中島さんの考えで、「郊外はコミュニティが元々希薄な場所であり、郊外の希薄なコミュニティは井戸端会議で主に行われていた。しかし、80年代になり上水道の発達などから集合住宅には屋上タンクが設置され、団地などには井戸がなくなり井戸端会議がなくなってコミュニティが依然より希薄になった」と聞き、このラジオ局はこの井戸によって井戸端会議を復活させ、団地という1つの街として完結した空間にコミュニティを作ろうとしているのではないかと思い、この井戸には郊外で行われていたコミュニティの歴史が詰まっていると考え、とても意味がある重要なものだと思った。また、アートプロジェクトは記憶には残るが形に残らないという話から、取手に合唱団を作ったと聞き、私はまだアートプロジェクトが一体どういうものかよくわかっていないが、アートプロジェクトだけに関わらず何かを形に残すということは重要なことだと感じた。中島さんが行った「FMゆめ団地」のアートプロジェクトと新たに合唱団を作ったというのは、新たな地域のコミュニティを行う場を作ったということで意味があるものだと考える。
 次に、「Joyful Pojang-macha Project」について述べる。「Joyful Pojang-macha Project」とは、中島さんが2009年から2010年にかけて韓国の郊外型アーティストインレジデンスに参加し現地で滞在製作したプロジェクトである。中島さんがプロジェクトでゴミを使い屋台を作っていく中で、町の人のゴミを奪ってはいけないと話されていた。私は、この話を聞いたときプロジェクトを行う地域で何かを行うとき、その地域の人たちが普段している生活の日常を壊してはいけないといことは、大切なことなのではないかと思った。なぜなら、アートプロジェクトを行い地域の活性化に貢献しようとしても、もともとあった地域の人たちの生活の基盤を壊してしまったら何のためのアートプロジェクトかわからなくなってしまうからである。私は、中島さんの話を聞きアートプロジェクトは地域の人の歴史やら今の生活がどうなっているのかなど知ることが重要な意味があるころだと感じた

かたちに残らないを活動について
田中達也
 中島佑太さんの講義をきいて、特に印象に残ったのは88メガヘルツFMゆめ団地における活動と、韓国でのコミュニケーション活動、被災地に対するボランティア活動である。これらの活動を聞いて、アーティストに対する自分の考え方が変わったように思う。美的要素を追求して自らの作品を表現するアーティストが多く知られているなか、中島佑太さんは自ら地域と深く接することで、そこにある生のコミュニケーションや文化を感じ、それを生かすような活動をしている。そこにもともとある要素を繋いでまとめているような印象を受けた。建築においても同じように考えなければならないところがあると思った。
 インパクトと独特の世界観を感じた活動は88メガヘルツFMゆめ団地である。郊外にある団地の一画を舞台としてFMラジオ局を開設するものであり、団地内であることと周辺の住民が参加する方式により、その場所に特別な人間関係が生まれているのが写真からでも伝わってきた。井戸を囲みながら雑談する形式をとっているのもおもしろい。昔の井戸端会議を倣った形式であり、コミュニケーションの発生要因のひとつであったという考えによる。団地に住んでいるという距離感をもつ住民が、井戸を囲んで雑談をすることになったときに、どのような人間関係が生まれるかは興味深いと思った。家族がFM放送されていることを意識しながら井戸を囲んで家族会議するとき、全員敬語で話すようになったという。これはその場所にコミュニケーションの変化をもたらす何かがあるということは明らかである。空間を提案する建築家にとっても関心を抱く活動であると思う。
 一方韓国での活動では、移民労働者街における地域特性に対して積極的に働きかけているのを感じた。88メガヘルツFMゆめ団地とは異なり、場所や機会の提供ではなく自らが直接働きかけている。活動時間が限られていて言葉が通じない環境のなかでの活動であり、そこでどのようにコミュニケーションをとるかを模索し、地域の活動からそれを見出している。これは私たち建築学科の学生も見習うべき行動力だと思う。地域を客観的に調査することで終わらずに、自分がその中を体験することでみえてくるものがあって、そこから新しい提案が生まれるかもしれないからである。具体的には街中にあるゴミを採集して屋台としている。その完成した屋台が重要ではなく、それに至るまでの過程と結果的に生じたコミュニケーションなどが大切であることは間違いない。
 被災地に対する支援においても同じことがいえる。救援物資が入っているダンボールがあまりにも無表情であることに着目し、そこにやわらかいパステルカラーの絵を描いている。ダンボール自体はおそらく用が済んだら捨てられてしまうが、被災者の心が和めばその意味は大きい。
 中島佑太さんの講義をきいて、今まで私は形として残るものに執着しすぎていたように思う。設計課題などはできあがる建物とその空間、つかわれ方などが評価されるが、実務では完成までの過程も含めて評価されるのが当たり前である。今回の講義で今の段階からそのような現実的な視点にたつことの必要性を感じることができた。

沖田直也
 今回のレクチャーでは中島佑太さんの活動についての話であった。アーティストと言っても色々と種類があるわけだが、中島さんは「コミュニケーション・アート」を取り扱う人である。
 一つ目に取手アートプロジェクトにおいて、ミニラジオ局「FMゆめ団地」を立ち上げたことである。団地内の空き店舗を利用して行ったのであるが、コンセプトは「井戸端会議をラジオにのせる」であり、井戸を模したものを作って井戸端会議を行ってもらい、それをラジオに流すというものである。中島さんいわく、昔は井戸があって主婦が水を汲みに行くときにほかの家の主婦と鉢合わせになって井戸端会議になっていたが、蛇口から水が出る時代になると水を汲みに行く必要がなくなり、井戸端会議がなくなることによって(近所の)コミュニティーが希薄になってしまったというのではないかとのことである。
 二つ目は韓国で行われたアーティストレジデンスである。これはアーティストが制作作業に専念できるようなイベントである。ここでは韓国の屋台「ポジャンマチャ」を作ることであり、期間内(約一か月)に作ること以外は何をしてもいいというのである。中島さんはベニヤ板や木材などのゴミを拾って作ろうとしたが、ハングルが分からなかったようなのでコミュニケーションにはとても苦労したとのことである。それでも「敷居を下げて誰でも入れるようにする」という言葉の下、簡単に作れる構造にした上で、他のアーティストや現地の子どもと協力して制作し、ようやく完成にこぎつけたとのことである。
 三つ目は現在計画中の前橋市立美術館「アートスクール」である。コンセプトは「アーティストがアーティストとして働く美術館」であり、館員として働く傍らで、制作作業・発表をしていくということである。
 最後にこのレクチャー全体の感想であるが、作られた作品をアートとしてとらわれがちであるが、作品を制作していく中で生まれる会話もアートになるということについてはこの話を聞いて理解できたと思う。建築においても作品そのものが評価されることが多いが、制作する過程におけるエスキースも大事であり、もっと評価されるべきであると思った。また、自分はよくデザインフェスタギャラリー原宿に行くが、最近は作品を観ることより作品をつくったアーティストとの会話のほうが楽しみになってきている。これも一つのアートではないのだろうか。さらに、建築家は建てることに固執しがちであるが、別に建てる必要はないと思う。そもそも建築家は芸術家から派生したものであり、(ここで言う)アーティストと同じものであるからである。ただ建築家は作った実績が分かりやすい形で残るものであり、それがほかの人に利用されるものであるというアーティストとは違うところがある。これからの建築家は建築を建てるだけでなく、コミュニティーも形成するということも考えるべきなのだと思う。

穂積利宏  
 今回のレクチャーはコミュニティアーティスト中島佑太さんであった。前橋市を拠点に地域アートプロジェクトに携わることが多い中島さんは基本的にワークショップという、形には残らない形式で活動されている。
 最初の「FMゆめ団地」、これは1999年から取手市と取手市民、東京芸術大学の三者が共同でおこなっているアートプロジェクト「取手アートプロジェクト」の一つである。テーマは井戸端会議。1970年代、井戸の存在が徐々に無くなり、井戸端会議がなくなった。その結果、隣人同士の会話が減り、関係も希薄化してしまった。そこで、この流れを逆行させてみようという発想からこのプロジェクトが始まった。コンセプトは、「来てしゃべるラジオ」。クリーニング屋を改装して単純に井戸をつくってそこをラジオ局にするというものであった。ここでは、戦争体験、家族会議、合唱などの様々なアクティビティが行われた。同じ団地内でしか聞こえないミニFMの性質上、発信力が弱いという欠点はあるが、リスナーのイメージを持てるというメリットがあった。そのため家族会議では家族で話しているはずが、ここにはいない誰かに向けた言葉、丁寧語に置き換えてしゃべられた。また、ギターの音にのせて踊る女性がラジオ局にいるときは見物人が来ないといった、団地内の小さな社会問題を浮き彫りにするという結果にもつながった。
 次に2009年韓国で行われたプロジェクト、「JOYFUL pojangmacha project」についてであった。場所はソウルから電車で1時間ほどのところにあり、アジアのほぼ全域からの移民労働者が集まっている。中島さんはそこで「ゴミを拾って屋台(ポジャンマチャ)をつくる」ことにチャレンジした。韓国は決まったゴミ捨て場はなく、自然発生的に出来あがる。また、日本と「ゴミ」に対する感覚が異なり、捨てる人がいれば拾う人もいる。拾ってきてそのまま使ったり、修理して売るといったサイクルが出来ている。そのため、中島さんは本来ゴミを拾っている人の分を出来るだけ奪わないようにバランスをとった。また韓国語はほとんど使わなかったり、手伝ってくれる子供と遊んだりと、中島さんが作品ではなく、その過程を大事にしていることが伺える。それは中島さんの「地元民と作品の構想の共有する」という考えからきているようであった。
 次は前橋市立美術館についてであった。中島さんの故郷である前橋市には、県庁所在地として唯一、公共の美術館がなかった。そこで、アートコーディネーターの藤井博さんなどとこのプロジェクトに参加された。地方の芸術家はなかなかお金がない。週5、6日でバイトしながら制作し、都会の高額のギャラリーを借りて展示会をするというのが普通に見られる。そこで、地元のアーティストが仕事をしながら美術館を運営していくという形が考えられた。例としては、美術館のカフェでバイトをする。または企画展の設営などである。地方の芸大で勉強している友人を持つ私から見て、とても画期的で未来のある形に思われる。
 最後は「文化保護縫合プロジェクト」についてであった。今年の3月、日本を襲った大震災。今も避難所生活をされている方が多い。そのような被災者の方たちには自分のものというものがほとんどない。避難所にはまだまだ暗く重い空気が流れている。そんな空気、気持ちを少しでもやわらげようというものが「ハコビ」であった。たくさん被災地に届く救援物資の段ボール。その中身は暖かい気持ちでいっぱいのはずなのに、外見はどうもさみしい。そこで、アーティストによって、塩釜に届く救援物資の段ボールにパステルカラーで色をつけたのである。さらに被災して、いつまた津波が来るか分からない状況から展示物を守るという意味で、多くはビルドフルーガスのものであるが、そういった展示物を前橋に送り、さらに前橋で展示会を行ったのである。そのような活動が、前橋と塩釜の中長期的な地域間交流を促すきっかけとなった。
 今回の中島さんのレクチャーを通して、建築を勉強する身として再確認できたのは、「一人よがりにならない」ということである。カッコよくプレゼンするためにやたら難しい言葉を多用したり、設計作品の最初から最後まで自分の感覚でやることの虚しさ、愚かさである。そして、自分のやりたいものがどこにあるかがブレないようにすることである。良い建築、作品を造って、そこを利用する人が気持ちよく過ごせることが建築に携わる者としての使命であることを改めて痛感した。

ゼミナール | Posted by satohshinya at December 20, 2011 1:11 | TrackBack (0)

2011年度ゼミナール情報

本年度のゼミナールは終了しました。レポート提出者は研究室まで出席票を持参してください。出席印を押印します。(2012.01.13)

第5回ゼミナールは、アーティストの中島佑太さんを迎えたレクチャーを行います。
日時:2011年12月12日(月)19〜20時30分
場所:スライド室1
レクチャーに参加後、12月19日(月)までに1,200字程度の感想レポートをこちらまで送付してください。レポート提出者のみ出席印を押印します。また、提出されたレポートは、すべてこのホームページ上で公開します。

第6回ゼミナールは、建築史家の田所辰之助さんを迎えたレクチャーを行います。
日時:2012年1月12日(木)18〜19時30分
場所:スライド室1
レクチャーに参加後、1月19日(木)までに1,200字程度の感想レポートをこちらまで送付してください。レポート提出者のみ出席印を押印します。また、提出されたレポートは、すべてこのホームページ上で公開します。(2011.12.02追記)

第4回ゼミナールは、mosakiの田中元子さん、大西正紀さんを迎えたレクチャーを行います。
日時:2011年11月8日(火)18〜20時(以前の情報から時間が変更になりました)
場所:5号館5階製図室
レクチャーに参加後、11月15日(火)までに1,200字程度の感想レポートをこちらまで送付してください。レポート提出者のみ出席印を押印します。また、提出されたレポートは、すべてこのホームページ上で公開します。(2011.11.04)

第3回ゼミナールは、「黄金町バザール2011「まちをつくるこえ」」の見学会を行います。
日時:2011年10月28日(金)
集合時間:10時45分
集合場所:京急線黄金町駅
入場料は各自負担でお願いします。
見学会に参加後、11月4日(金)までに1,200字程度の感想レポートをこちらまで送付してください。レポート提出者のみ出席印を押印します。また、提出されたレポートは、すべてこのホームページ上で公開します。

第4回ゼミナールは、mosakiの田中元子さん、大西正紀さんを迎えたレクチャーを行います。
日時:2011年11月8日(火)17〜19時
場所:未定
レクチャーに参加後、11月15日(火)までに1,200字程度の感想レポートをこちらまで送付してください。レポート提出者のみ出席印を押印します。また、提出されたレポートは、すべてこのホームページ上で公開します。(2011.10.26)

第2回ゼミナールとして、下記のシンポジウムに参加してください。
シンポジウム「人とまちをつなぐアート/その新たな展開と可能性」
パネリスト:北川フラム、中村陽一、佐藤慎也、東澤昭、蓮池奈緒子
モデレーター:森司
日時:10月24日(月)19:00〜21:30
場所:雑司が谷地域文化創造館 多目的ホール
シンポジウムに参加後、10月31日(月)までに1,200字程度の感想レポートをこちらまで送付してください。レポート提出者のみ出席印を押印します。また、提出されたレポートは、すべてこのホームページ上で公開します。(2011.10.22)

第1回ゼミナールの日時、内容を変更します。急な変更で申しわけありません。

第1回ゼミナールとして、今年度4年生の卒業論文中間発表や、大学院1年生の昨年の卒業研究発表、大学院2年生の修士論文中間発表など、研究室で行っている研究の発表会を行います。
日時:10月8日(土)14:00〜
場所:スライド室1
終了後に懇親会(4年生主催)を行います。参加希望者は、こちら(スケジュール情報サービス伝助)に書き込んでください。

先日、案内したシンポジウムは第2回ゼミナールに変更となります。

第2回ゼミナールとして、下記のシンポジウムに参加してください。
シンポジウム「人とまちをつなぐアート/その新たな展開と可能性」
パネリスト:北川フラム、中村陽一、佐藤慎也、東澤昭、蓮池奈緒子
モデレーター:森司
日時:10月24日(月)19:00〜21:30
場所:雑司が谷地域文化創造館 多目的ホール
シンポジウムに参加後、10月31日(月)までに1,200字程度の感想レポートをこちらまで送付してください。レポート提出者のみ出席印を押印します。また、提出されたレポートは、すべてこのホームページ上で公開します。

また、「としまアートステーション構想」の勉強会である「Zの会」が行われます。「住み開き」の提唱者、アサダワタルさんをゲストに迎えます。入場は有料となり、直接ゼミナールとは関係ありませんが、興味のある方はぜひ参加してください。
日時:2011年10月11日(火)18:00~21:00
場所:としまアートステーション「Z」
参加費:1,000円(1ドリンク・軽食つき)/要予約
ゲスト:アサダワタル
(2011.10.06)

2011年度ゼミナール情報は、こちらのページで告知を行います。(2011.10.05修正)

ゼミナール | Posted by satohshinya at December 2, 2011 6:40 | TrackBack (0)

mosakiレクチャー

2011年11月8日(火)、2011年度第4回ゼミナールとして、mosaki(田中元子、大西正紀)によるレクチャーが行われた。以下はそのレクチャーに対するレポートである。

池田宗平
 今回の第4回目の佐藤慎也ゼミナールでは、ライター/クリエイティブファシリテーターである田中元子さんと日大の建築学科のOBでもある大西正紀さんが「mosaki」という会社をつくるまでの経緯や活動内容を分かりやすく楽しくプレゼンしてくれた。
 この「mosaki」の会社をつくる前に田中さんと大西さんは1999年にインターネットを通じてDo+project同潤会青山アパートで知り合った。田中さんは原宿にある青山アパートを都会といえばここと思うほどに、また、街の住民や青山アパートを今まで見てきた人に愛されていたことが好きであった。しかし阪神淡路大震災後から徐々に設備の老朽化が進み、アパートの管理人なども困るほどになったため壊されることが検討されたが、唯一、大西さんと二人で青山のアパートが無くなるという事実を一般の人たちに知ってもらう活動や、五十嵐太郎さんがリノベーションスターティーズということで討議をしたが、やむなく青山のアパートは壊されることになった。田中さんと大西さんはとても悔しくて大西さんがロンドンから帰国「mosaki」を立ち上げ、建物が残らないことは負けとかそういうことではなく、一般の方に意識してもらうことで何かが変わるし、生まれるのではないかということをベースにした会社を作り上げた。
 「mosaki」の活動内容は、はじめての仕事が建築イベント巡礼の雑誌で「グラフィカルアーキテクチュア」というテーマであった。これを「建築以外を面白くしなければ、街や建築は生きていけない」をコンセプトに田中さんと大西さんが討論し編集しり、はじめての持ち込み企画では、ラブホテル・パチンコ・漫画喫茶・カラオケという欲望の建築(デザイン)を持ち込んだが編集者からインテリアであって建築でないからと却下されたが、「ミセス」や「建築ノート」という雑誌で建築家を取り上げたり、大学のパンフレットをつくったりなどした活動を行ったり、最近では、「けんちく体操」というもので活動をしている。この「けんちく体操」とは、建築史家の米山勇氏が発案したもので、建築物を模写する体操であり、外観だけでなく、構造や用途、個人的に抱いた第一印象などを身体で表現するものである。この「けんちく体操」の良い所は、答がないので、表現者が思って表現したことが答である。また、子どもが建築物に興味を持つようになること、また、実際に「けんちく体操」をやってみて思ったことが、真剣にやれば結構な運動になることや頭を遣ったり、どのような構造なのかという発見などに気づけることが良いと思った。
 以上のようなことを田中さんと大西さんは「mosaki」で活動し、建築家として携わっている。また、最後に田中さんは「けんちく体操」の活動などの仕事を通して、建築物に普段興味がない子どもが関心を持ったり、ヤンキーにも建物の良さが分かるような活動をこれからしていきたいと話し、大西さんは、建築という仕事でも僕らのような仕事もあるし、建築の仕事に将来行かなくても、今勉強している建築の設計などは、どの分野の仕事でも大切なことであるから、もっと僕らに幅広い視野の方向をみてもらいたいということを話していた。これを受けて、将来のことはまだわからないので、全力で今の建築という勉強を勉強し将来の方向性を広げられるように頑張ろうと思ったし、建築家という仕事も田中さんや大西さんがやっているような仕事もあるのかと思い、色々とためになった。
だからこれからもこのような建築に関わっている人の話を多く出席し、色々なものを吸収したいと思う。

鶴﨑敬志
 第四回のゼミナールは、mosakiの田中元子さん、大西正紀さんを迎えたレクチャーが行われました。大西正紀さんは、この日本大学理工学部建築学科の卒業生でOBにあたる人で、ロンドンの建築事務所に働いていたという経歴を持つ人でした。そして、今回話をされた内容は、二人が今まで手がけてきた仕事の内容で、とても興味深い話でした。
 まず、青山の表参道沿いにある同潤会アパートについて、話をされました。このアパートについては知っていて、関東大震災後に同潤会が建設した鉄筋コンクリート造の集合住宅のことで、この時代、日本近代で最先端を走る建物として貴重な存在だったという。それは、さらには集合住宅としてだけでなくその設備も最先端だったらしい。そういった存在の建物であったので、ファンの人も少なくない。それが近いうちに建て壊しとなり、そこでの顔がまたなくなってしまうということで、立ち上がったのが、この二人田中元子さん、大西正紀さんでした。結果だけいうと失敗に終わってしまったらしいが、このことに対し私は、確かに同潤会アパートはそこにあることが当然のように建っていてものが、なくなると、風情のある街並みであったのが、どことなく寂しく写り残念な気持ちになる。確かに、使われなくなり何も用途としてないものは、言い方は悪いがゴミとして処分されるのは、至極当然といえる。そういった摂理は時として仕方ないものではあるが、歴史がひとつ、そしてまたひとつなくなっていくということは、先の言葉を押すようだが、寂しいものである。そして、二人は取り壊しの件が失敗に終わったことで、急きょゲリラの展示会を催した。急な話ということで、このことを知る人が少なく、それでも来た人が何人もいて、その人たちの多くは、通りがかりに立ち寄った人が多く、偶々だという。その多くが同潤会アパートを愛する人たちで、取り壊しの件に対し残念がっている人がほとんどで、現状ただ待っていることしか出来ないということらしい。
 それから、けんちく体操についてで、正直これの存在は今日まで知らなかった。けんちく体操は、実際に建てられた有名な建築物を自由な発想でまねるものということであった。言葉で説明すると、ただそれだけなのではあるが、実際やってみると、いやはや疲れるものであると知った。それで、けんちく体操を通じて、老若男女問わず、たくさんの人たちに馴れしたんでもらいたいということである。実際、率先してやっているためテレビ出演や本にして出版したり、さらにはDVDでも出したというので、素直にすごいことだと思う。あとスライドを見て、そしてやってみてこのけんちく体操は面白いと思うし、体操としていいものであるし、なお且つ頭を使うのでこれだけ効率の良い体操も珍しいと思う。それなので日本にとどまらず、世界に発信してやってもらえたら素敵だなと思う。
 このゼミナールは自分にとって、とても勉強させてもらったということと面白い内容だったということが、素直な感想である。いろいろ知らなかったことも聞けたし少なからず自分の幅が広がったと思う。

吉田悠真
 mosakiのお二人のお話を聞いて建築のあらゆるシーンを垣間見れたような気がします。建築とは、設計する人もいれば施工する人もおり、注文するクライアントもいる。そんな中二人の活動は今ある建築の魅力を大勢の方々に広めていくというお仕事なのだとわかりました。しかも、ただこういう建築があるという単純なことではなく、雑誌や体操を通して今まで全く建築に関係なかったような人でも楽しんで知ることができる、そんな魅力を持っておりました。
 二人の結成から今に至るまでの話を伺い、ヒョンなことから出会うキッカケになったという、なんと羨ましい限りです。今は亡き青山アパートの取り壊しに関してお二人の活動が、色々と少なからず世の中の人々に影響を与えたのだと思います。そして、海外でのお仕事の様子は非常に参考になる部分が沢山ありました。会社の先行きや安定性なども重要な要素であり、それにいち早く気づく必要性も感じながらお話を聞いておりました。
 そしてお二人の会話に出てきた、「今のシゴトが楽しい」こんなことを10年後の自分が果たしていえるだろうか? そんなことを深々と考えてしまうキッカケにもなりました。おそらく給料や社風・待遇など色々な要素がある中で、お二人はもっと大切なものを今までのシゴトを通して見つけてこれたのだと思います。
 そして自分の中で特に印象が強かったのはやはり「けんちく体操」。これは本当に色々な年代層の人々が楽しんでやっていましたね。とくに小さい子供が夢中になってやっているのが凄く印象的で、ココまで子供たちを虜にする体操は他にはないものだと思います。そして、本やTVやDVDまで出しているというから驚きです。内容も見せて頂きましたが、もっともっと多くの方に認知されるようになれば世間一般の文化になるかもしれませんね。実は「けんちく体操」の話を聞いて少し関連があるものが頭に浮かびました。それは日曜日のゴールデンにやっている「鉄腕ダッシュ」という番組ですが、ちょっと前に人間影絵という企画をやっておりました。その内容は人が集まって動物や物語などをスクリーンに影を映してお客さんに観てもらうというものです。これは、けんちく体操にも応用できるかなと思います。今の段階では建物をバックに自分たちが真似をして写真をとるというものですが、それを今度はお客さんに大きなスクリーンで映して見てもらい、クイズ形式で当ててもらうという提案です。スケールも大きくなるのでより大きな感動があるのかもしれませんよ。建築を考えていく中でやはり自分が考えているのは、建築模型でもそうですがやはり大きいものには、それなりに圧倒され感動が違うものです。より、本物に近いスケールでやることはより大きな感動を呼ぶことになる気がします。
 そしてmosakiのお二人は質問をすごく聞きたがっておられたので、このレポートを読んでもらえればそれぞれ感じたことがダイレクトに伝わるのではないのでしょうか。

井上博也
第1 建築は誰のものか
 建築は誰のものかというテーマについて、青山同潤会アパートが事例に出された。mosakiは所有している人や賃借している人だけのものでなく、その建物を含む景色を見ている人のものでもあると言っていた。例えば、青山同潤会アパートを見に観光に来た人、青山同潤会アパートをバックに雑誌の撮影をする人やテレビのインタヴューを撮影する人などを挙げていた。
 このテーマをみて思ったことは、世の中を見ているとお金を出す人が強い力を持っているので、建築は土地・建物を所有している人や賃借している人のものであるということである。
 もっとも、こんな正論はmosakiも重々承知していると思う。それでもなお、上記で挙げた人々のような当該建築についての一般人の利益も守っていきたいという考えを持っていることがすごいと思った。権利者、建築家、一般人といったいろいろな立場の人が同一テーブルに立てるような活動をして、一般人の利益をも守ることの大切さを知った。
第2 建築とインテリアの区別
 建築系雑誌の企画でラブホテル・漫画喫茶・パチンコ店の特集をやったことが話された。その話の中で編集者はそれらの施設はインテリアの分野であり建築の分野ではないといったそうである。ただ、外観や空間だけでなく、インテリアを含めて、建築の質は決まると思うので、それらの施設も建築の分野に含まれるのではないかと思った。また、それらの施設を欲望デザイン・都市のマイルームといった婉曲的な表現を用いていることが楽しかった。
第3 講演会において質問があまり出ない理由
 今回の講演会終了後に、なぜ講演会等において質問があまり出ないのかということが話題になった。
 まず、質問することによって、周りからどう思われるかが気になるため質問しにくいという意見が挙げられた。また、質問に対して、「先ほど言ったように……」と返されるのが怖いという意見も挙げられた。
 私は、この話題について以下のように考えました。質問することで議論に発展していってしまう可能性があるので、それがおっくうということが考えられる。また、講演を聞いているモードから急に質問をするというモードに切り替えることが困難ということも理由であると思う。
第4 世界は広い
 普段はある問題を解決するために設計課題に取り組んでいるが、普段やっていることはどの世界に行っても通用する。世の中は、今私たちが見ている世界よりも広い。
 以上のような話も印象的だった。以上。

矢澤実那
 今回レクチャーで聞いた「mosaki」の二人が出会うきっかけとなった、「同潤会青山アパートメント」は、私も知っていました。しかし、私が知っていたことは、老朽化で取り壊しが決まって、その後取り壊され、「表参道ヒルズ」がその場所につくられたということだけでした。なので、今回話されていたように、取り壊されるまでに建物の保存を訴える運動が起こっていたり、取り壊されるまでにこのアパートの一室で、今までこのアパートの写真を撮りためていた人の写真を展示したり、これからの森ビルの計画内容などを掲示したギャラリーをやっていたりしたこと等は、全く知りませんでした。実際に田中さん達が最初に目的としていた結果とは、異なった結果になったのかもしれないですが、建物がなくなることが必ずしも負けということではなく、今まで特に意識されていなかった街中にある普通の建物に、一般の人の目を向けさせることのできる、とても重要な行動になったと感じました。求めていた結果と異なる結果になったとしても、この行動は意味のある行動だったと思いました。
 また、建築の世界というのは、専門知識が多くて、建築に興味のない人達は知ることの少ない世界だと思います。事実、私自身も、建築学科に入学するまでは建築についての知識は全くなく、入学前に建築の資料などを見てもほとんど理解できませんでした。したがって、建築についての知識があまりない一般の人達にも理解してもらえるように、建築のことを伝えていくことは、とても難しいことだと思います。けれど、一般の人達に建築を伝えていくために、「mosaki」の二人が行っている行動は、とても大変なことではありますが、すごく重要なことだと思いました。こういった行動を行っている人たちの活動がどんどん広がっていくことができたら、建築を勉強している人達や、建築の世界にいる人たちの活動の場も広がっていくのではないかと思いました。そして、建築についての知識がない人たちも気軽に建築に触れることができたら、今まで建築に抵抗感を持っていた人たちも自分たちの世界を広げるきっかけになると思いました。
 最後に、今回のゼミナールに参加して、「mosaki」の二人の話を聞くまでは、どんな活動を行っているのか知りませんでしたが、二人が行っている活動は大人も子供も関係なく、どんな人たちでも建築について興味を持つ機会が持てるような活動だと感じました。今はまだ、建築と聞くと抵抗感を強く持ってしまう人達が多いのが現状だと思いますが、「mosaki」の活動のように、建築の世界と、一般の人達の間を取り持つような人たちの活動がどんどん広がっていくことになって、建築に関わる人が専門知識を持った人たちだけでなくなったら、今よりももっと建築が分かりやすく伝えられるようになると思ったので、こういった人たちの活動はこれからもっと重要なことになると感じました。

mosakiのお二人へ
阿津地翔
 佐藤慎也研のゼミということで、お二人にレクチャーをしていただきましたがとても興味深い内容のレクチャーでした。プレゼンも上手でお二人のかけあいも面白かったです。
 いくつかのパートに分かれたレクチャーでしたが、なかでも「けんちく体操」は記憶に残りました。私はmosakiのお二人のことは知らなかったのですが「けんちく体操」のことは本や佐藤慎也先生のTwitter等で知っていました。しかし知っていたのは「けんちく体操」という言葉だけでどんな体操をするのかは知りませんでした。なので今回実際にしてみて少し驚きました。最初はなんでこんな体操をするのだろうと思っていましたがみんなでやってみると意外と楽しく、ずっと同じポーズを維持するのは大変で運動にもなることが体で実感できました。こういったワークショップをすることによって一般の人や子供の建築に対する興味が湧く人も大勢いると思うのでもっとこのような活動をいろんな地域でやっていってもらいたいと思いました。
 レクチャーの中でお二人の出会いや今までどんな活動をしてきたか、そして現在どのような活動をしているか、これからどういった活動をして行きたいかという内容もありましたがそちらも興味深かったです。
 お二人が出会うきっかけとなった、同潤会青山アパート取り壊しが決定したことによって発足したDO+という団体の活動内容も素晴らしいものだと思います。今までの団体のように単に建物の取り壊しに反対するだけではなく、取り壊されるアパートはこのような建物だった、そして壊された後はこういった新しい建物が建設される計画、ということを一般の人々に伝えるということは非常に大事なことだと思います。しかも田中さんは建築のことを大学で勉強していたわけでは無いのにこのような団体に入るというのは凄いことだと思います。とても建築が好きだと伝わってきました。私は建築学科であるのに、恥ずかしながら青山アパートのことは知りませんでした。レクチャーのスライドの中で出てきた青山アパートが現在の表参道ヒルズが建っている場所に立ち並んでいるのを想像したら良い雰囲気だと感じ、壊して欲しく無かったと思いました。しかし実際にその当時私が知っていたとしてもDO+のような団体に入るようなアクションは起こせなかったと思います。こういったアクションが起こせるかどうかでその人の人生に大きくかかわっていくかもしれないということをお二人に教えられた気がします。
 さらにレクチャーを聞いて感じたことは、建築関係の仕事といっても設計や施工するなど建物に直接関わるというものだけではなくて、お二人のように記事を書いたりする仕事もあるのだと気づけました。就職活動が本格的になる前にこのようなことに気付けてよかったです。
 お二人のこれからのさらなる活動を期待しています。

平野雄一郎
 今回私はmosakiのお二人に先入観を全く持たずに講義に臨みました。聞いているうちにいくつか気づいたことがありました。まずは、お二人の説明の仕方が聞きやすいという点でした。理由として、田中さんはメリハリのある話し方で聞き手にインパクトを与えるようにする、大西さんは冷静に考え田中さんのプレゼンに不足があればあとから付け加えるというようにバックアップをとる。と、それぞれおおまかに役割が決まっていたからではないかと思います。次に、お二人がとても楽しそうにプレゼンを行っていたことです。自分の中で考えているものを他人に共有して欲しいときは、自らが楽しそうに発表していないと伝わるものも伝わらないと思います。私が何かをプレゼンするときは、必ず楽しんでやるということを肝に銘じながら行っています。なので、とても話にのめり込むことが出来ました。
 今回、4つのセクションに区切って話していただいたのでそれぞれについて感想を述べたいと思います。最初は、モダニズムとか時代背景とか関係なしに多くの人々に愛でられている建築が好きというようにおっしゃっていました。私は実際に青山の同潤会のアパートを見たことがないけれど、アパートは残すべきだと思います。老朽化が問題視されていて、保存し続けるにはお金もかかるし残したところで何か利点があるのかなどの意見もあると思います。しかし、関東大震災という過去の大惨事をうやむやにするわけにはいかない、今後のためにも戒めとして人々に思い出させるためにも残すべきだと思いました。
 次に、田中さんが今活動していることについて話してくれました。ここでは建築以外を面白くしなければ町や建築は生き残っていけないというフレーズが印象に残っています。さらにインテリアと建築の線引きは必要なもの、とも言っていました。私は建築学科に入ってから、建築を主体にして様々なものを見てきました。しかし今は人々が建築以外のところから建築を見たときにどのように感じるのか・思うのかということに興味があります。欲望の建築というキーワードを使って話していた部分がありました。人間の「欲望」から建物を考える。これも一つの例だと思っていて、一般的に良いと思われていないところからも見ることが出来て、意外にそれが面白いという事があったりすると思っています。今更ながら思ったことが、建築以外というのはどのような分野を考えているのかとmosakiのお二人に質問して答えを参考にしてみたかったと思います。
 次にけんちく体操についてですが、着眼点がいいなと思いました。自分の体を使って建物を表すことって、意識していないうちにやっている事が多いのではないかと思います。旅行先で有名な建物の前で記念写真をとるときなど簡単な身振りで建物のまねをしている人を見かけたりします。この観光客の「お決まり」をビジネスに、それも世界に広げていこうというパワー・気迫は凄まじいものだなと思いました。さらにこのときに、講義を聞く側の人間がなぜ自ら進んで発言をしないのかという質問を投げかけてくれました。これについては、根本的な部分にあると思っています。少し前に話題になったゾマホンを例にとると、彼が最初に日本で注目を浴びた理由はあるテレビ番組でたった一人で自分の国の事を猛アピールした事から始まりました。彼に限らず日本以外の国の人は自分を主張する事に長けていると思います。日本人は日本の文化によってあまりしゃべりすぎないことが美学というものが頭の中にあるので、まずは聞いてくれている人をリラックスさせて、しゃべりすぎる事がこの場では良いという認識を持たせなきゃいけないと思います。
 最後に、これからmosakiのお二人がめざすこととして、人の心のスイッチを入れるための支えをしていくとおっしゃっていました。様々な可能性を秘めている事だと思います。とてもやりがいがあるし、なにより終わりのないプロジェクトではないでしょうか。人間には先入観というものが必ず生まれてしまいます。これを生まれさせないでいかにプロジェクトを進めるかが成功するかどうかの決め手になるのではないでしょうか。なんでもすぐに終わりを探してしまいがちな今の社会のなかで必要な事の一つだと思いました。

渕上久美子
 今回はmosakiの田中元子さん、大西正紀さんを迎えたレクチャーでした。講義の内容も面白かったですが、二人の掛け合いや、パワーポイントのみせかた、伝え方が、mosakiのルールの通り、とても楽しかったです。
 同潤会青山アパートメントを残すための運動の話では、建築が好きだったり、同潤会青山アパートが好きという眺める側の人は残したいという意見が多くあったが、実際に住んでいる人が施設として老朽化がすすんでいるので住みづらいためや、そのほかにもいろんな理由があり、アパートは取り壊されてしまったそうです。
しかし二人は、建物の取り壊しを止めることはできなかった、という、言ってしまえば敗北だったにもかかわらず、そこから学び、この原点の気持ちのまま新しいことに向かっていることをすごいと思いました。その後は「日経アーキテクチュア」などの建築雑誌や、婦人誌での掲載をされ、現在はけんちく体操の普及に力を注いでいるそうです。けんちく体操では特徴をとらえようと、みんなよく観察して表現し、そのなかで博士の説明をうけるので勉強になるそうです。手軽に参加できるうえに、大人、子供関係なくできるのがいいと思います。mosakiのモットーには感銘を受けるものが多く、これからももっともっとご活躍されてほしいです。
 建築には施工者や建築家などの作る側の人間だけではなく、そこに住む人や周辺住民、訪問者、事業者など多くの人がかかわっていて、いろんな思いがありますが、やはり利用者がその建築を快適に使うこと、その建築を愛することが大切なのだと思います。
 わたしは建築学科にはいり、先生方の講義や授業をとおして、建築に対して興味をもって生活するようになりましたが、それまでは普段生活する場所以外の建物を見上げたりすることはなく、建物があることを当たり前のことと思い、特に特徴を感じたりしないで過ごしていました。
 2人の活動はそんな考えの人を変える力があると思います。興味を持つきっかけを増やしてくれています。婦人誌での連載や、けんちく体操の普及は建築に対して興味をもつ入り口を大きくしてくれています。
私も、みんなが専門的になっていけばいいというわけではなく、あの芸能人かっこいいよね!などの会話のようにあのビル新しくなってすごいよね!と日常のなかで建築を感じる習慣がひろがればいいと思います。建築を、景観を、みんなが大事にするようになれば、日本の街並みもヨーロッパや海外のように伝統や特徴のある、住む人が誇りに思うような空間になると思うし、なってほしいです。
 今回のレクチャーをうけて、建築にかかわる仕事にもいろんな形があるのだと改めて知りました。建築について人に楽しく伝えられるようにもっと勉強していきたいです。

長澤彩乃
 今回の第4回佐藤慎也ゼミナールでは、mosakiの田中元子さん、大西正紀さんを迎えたレクチャーが行れた。レクチャーの内容は主に、mosakiという会社の誕生までの経緯と、その活動内容である。大西さんは我が日大理工学部建築学科の卒業生であり、現在就職活動の始まる大学3年生の私にとって今回のレクチャーは、多くの意味で非常に興味深いものであった。
 話はまず、青山の同潤会アパートを事例に『建築は誰のものか』というテーマから始まる。当時、原宿の顔……もっと言ってしまえば東京の顔といっても過言ではなく、人々から愛され慕われていた同潤会アパート。私がこのアパートを初めて知ったのは、小学生のころである。家族で青山に訪れた際、ツタが絡まり、なんだかとてつもなく古く存在感のある建物に対し私の母が、「このアパートは、こんなに古いけど、それが逆に街のおしゃれな目印としてのこしているのよ」というようなことを言っていたのが印象的だった。建築に特に関心のない私の母でさえ、そのように言った建物なのであるから、同潤会アパートがいかに人々から愛されていたかがうかがえる。この同潤会アパートが、老朽化を理由に取り壊しが決定する。そのとき、もうすぐなくなってしまう同潤会アパートの一室で、一般の人へ向けて同潤会アパートがなくなるということを広め、またそのことに対してもらったメッセージや、思い出深い写真を展示して、「人々に愛された同潤会アパート」を形にしようとしたのがこの2人であった。2人はこの活動を通して、建築とは誰のものかを考え、建築家としてではなく建築に無知な「一般の人の目線」でいることを念頭に、mosakiという会社を立ち上げた。
 mosakiが立ち上がると、2人は雑誌のコラムのような記事から始まり、持ち込み企画を任されたり、最近ではけんちく体操なるものなど、活動は多岐にわたる。今回のレクチャーでも実践したけんちく体操は、その名の通りからだを使ってけんちくを表現する体操であり、表現の仕方は自由だ。私は、けんちく体操の存在は正直今回初めて知って、はじめはその意図が分からず、言い方は悪いがこどもだましの遊びだと思った。しかし、実際にけんちく体操をやってみると、同じ建築を表現するにも人それぞれ表現方法はそれぞれ異なり、意外に奥が深いことに気づく。こどもから老人、それにヤンキーや「ヤンママ」なんて言われる人までもが楽しく建築に親しめるけんちく体操は、「一般の人の目線」でいることを理念にするmosaki以上に合った人はいない活動なのではないか。
 私は今回2人の話を聞いて、将来について深く考えさせられた。建築学科に在学する人の多くは、きっとはじめ、「建築家になりたい!」という熱い夢をもって入学したのではないかと思う。しかし、その中でも学年が上がっていくにつれて、その夢はどんどん変化し、中には夢を見失ってしまう人もいる。今回のレクチャーは「建築」と一口に言っても、いろんな道がある。視野をどんどん広げていこう。そんなことを教えてくれた。私も今、自分の将来のビジョンが見えず、どうしたらいいものかも分からなくなっていた。そんな私の心に、mosakiの2人の言葉は深く響き、今後も道に迷ったとき、このレクチャーを思い出そうと思った。

波多江陽子
 青山同潤会アパートの取り壊しをきっかけに出会った、田中元子さんと大西正紀さんの今までの事とこれからの事についてのレクチャーが行われました。2人は、私が今まで見たことのある建築家とはまた違う建築家でした。建築に対してソフト面からとりかかっている建築家で、そのお話はとても新鮮で興味を引くものでした。
 中でも印象に残ったのは、「建物を残せない事は『負け』なのか」というお話でした。私にはこれが言動の原点にあるmosakiの想いである、と感じられました。この想いをきっかけに、人々に伝えていく事、人々に意識をもってもらう事を重要視してmosakiとして様々な活動をしていました。行動のきっかけや発想の起源は単純な想いから始まり、そこからは自分次第で可能性が増していくのだと思いました。改めてきっかけを見逃さないことの大切さを考えさせられました。「けんちく体操」については、以前テレビでみたことがあり、その時は実際、「ふざけてる」と思っていました(ごめんなさい)。しかし今回で、「建築に真剣に向き合っている方々のすばらしい発見である」と見方が一転しました。体を使いながら頭を使い、建築に興味のない人もしらない人も学んでいない人も見事に取り込むことができる分かりやすいメソッドを用いていて、更には建築を学んでいる人(私自身)も身を持って建築を感じることができ、楽しかったです。けんちく体操に限らず建築に触れる機会が増え、多くの人々に意識を持ってもらうことにより、建築のハード面がますますいい方向に向かうこと、mosakiの2人もますます活躍することを期待しています。
 レクチャーをうけて、自分自身の建築に対する心構え(?)が変わり、それが一番の収穫でした。私が大学で建築を学び、そして目指すべきものは、建築士の資格を持つことや建物を考えること、見ること、つくること、学ぶことなど建築と自分が隣り合わせにある状態だと思っていました。しかし建築を、自分を通じ他の人に伝えることで、見てもらうと、考えてもらうことで建築に関わるという方法があることに気づかされました。mosakiのように文章にすることや編集の力で人と建築を結ぶ方法もあるし、またmosakiのようなアクティビストに編集してもらう絵を写す者になることや、企画を提案するための編集部員になることも一つの方法であると思います。その方法は様々で、今回のようなレクチャーはそれを知り、視野を広げる良い経験になると思いました。視野が広がることで可能性も広がり、とてもいい刺激をもらえたことが楽しかったです。このようなレクチャーはまた受けたいと思ったのは、mosakiのレクチャーが聞きやすかったのはもちろん、多くのことを吸収できた気になるためで、人の話を聞くことは大切であることを改めて感じました。だからこれから進んで色々なことに参加していきたいです。

沖田直也
 今回のレクチャーについて、まず1つ目に表参道の同潤会青山アパートで、築80年を超えた建物を表参道ヒルズに建て替えるということで、「DO+ project」としてアパートの保存・リノベーションを図ろうとしたことについて、自分は大正・昭和初期の貴重なRC造アパートが平成まで持ったことでは感心しますが、それならこの先もずっと立って欲しかったと思っています。もちろん現代では欠かせないネット環境などを入れる、古くなってきた建物をリノベーションする等が必要ではありますが……。余談ですが表参道ヒルズに建てかえられた時、一部が同潤会アパートを再現したつくりになっていますが、店舗として利用されており、もう少し同潤会らしく再現してほしかったと思います。
 2つ目は「けんちく体操」について、自分の体で建築物を表現することは斬新でかつ理解しやすく、更に答えが無いので奥が深いというところがとてもいいと思います。マスコミに紹介された時の反響も大きいようで、これからもっと広がっていくべきだと思っています。自分の子どもができたらぜひ教えてあげたいと思っています。ですが、建築学科にいる自分としては物足りない感じはしました。ちなみに今回「東京タワー」に挑戦しましたが腕を上にまっすぐ伸ばすことはとてもきついと思いました。
 3つ目はmosakiのこれからで、「スイッチを入れる」「“熱意”を伝えるための編集の発明」「欲望の建築(デザイン)」「建てない建築家・建築のアクティビスト」の4つを掲げていましたが(3つ目を置いといて)、建築物をつくることだけが建築家ではないということがこの話を聴いて一番思ったことです。日本の人口が減っていく時代に入った今、「建築以外を面白くしなければ街や建築は生き残れない」と言っていたように、様々な活動によって建築や街を盛り上げていって、これからの日本をより良くしていくべきだと思いました。特に、盛り上げていくにはそのきっかけが必要であるし、アクティビティを周りに広めるためには従来の方法(雑誌・マスコミ等)だけでなく、インターネットを用いた方法(twitter・Facebookも含む)もあるでしょうし、新しい伝え方がまだあるかもしれません。そしてこれらの物事を良くしていくためには勉強が大事であると思いました。今を知らなければこれからの道筋をどう立てるかができないからということです。
 最後に、自分は建築家を目指しているわけですが、こんな活動をする建築家もいるのだなと思いました。そのような活動にも注目すべきだと思います。このレクチャーのために来てくれたmosakiのお二方、大変ありがとうございました。

建築を伝える手段と感じ方
田中達也
 田中元子さんと大西正紀さんによる「mosaki」のレクチャーに参加して、建築に取り組む人々の幅の広さを改めて認識できた。また一般の人々に建築の魅力を伝え、様々な分野を集約して翻訳するmosakiの活動を知り、形として残る建築物の「その後」について自分なりに考えるきっかけにすることができた。建築物を利用する人の多くは建築に対して深い関心がないという当たり前の事実と、そのような人々の視点に立ったときにみえる建築の魅力について改めて考えてみた。
 mosakiの活動は同潤会青山アパートの取り壊しに反対することから始まっている。その活動の原動力は建築物そのものの機能や歴史的価値によるものよりも、人々に愛されている建築物がなぜ取り壊されるのかという純粋な疑念である。一方で建築物はある目的を達成するために建てられるため、需要が変われば取り壊されるのは自然なことであるという見方もできる。いろいろな過去の事例を考えると、建築物は本来要求される機能を失っても一般の人々の心をつかむ物的な何かがあるのは間違いないといえる。しかしそれは何かと聞かれたら、自分は正確に答えることができないと思った。なぜなら建築に関心をもつ前の私は、建築がもたらす機能や空間には親しみや驚きを覚えたが、建築物そのものに対しては特に印象がなかったからである。そのような思考はけんちく体操に対しても通じる。けんちく体操は体全体で建築物を表現することで、一般の人々の建築に対する意識をより引きつけることができる。しかし一般の人々の視点が形から建築物に興味を抱くことには違和感をもつ。前述したように、建築は体験して感じることで興味を抱くことが自然であると思うからである。もしも建築に対するいろいろな思考が物的なものから始まるとするなら、今ある街の風景は全然違うものになるのか、あるいはあまり変わらないのかな、などと考えた。しかしそのような理屈はなしにして、単純にけんちく体操は斬新なアイデアであると思う。1人で表現する場合や3人の場合、10人の場合と人数が増えると話し合いなども生まれ、楽しみ方も変わっておもしろい。体型の維持の辛さから構造を考えたり、現地に行って一緒に写真を撮ったり、新しい建築の楽しみ方である。記事で建築を取り上げる際も建築家のコンセプトを記載するのではなく、利用する側の視点でまとめていることに親しみを感じる。建築する側も利用する側も、興味をもてる記事になっているのではないかと思う。
 頭が固い自分にとって、違う視野で建築をみているmosakiの活動はとても刺激的だった。「建てない建築家」という、建築すること以外の手段による建築への可能性を感じることができたと思う。自分の今後の進路について、改めて広い視野で考えようと思った。

初谷佳名子
 今回はmosakiという人たちがいて、どんな事をしているのかというレクチャーだった。
 同潤会青山アパートのこと。
 同潤会アパートは関東大震災後、街の復興のために東京・横浜で建てられた、日本では最初期の鉄筋コンクリート造集合住宅である。近年は建物、設備の老朽化が進みその多くが取り壊されている。青山のアパートも例外ではなく、数年前に表参道ヒルズへと姿を変えた。mosakiはこの建物を保存しようとし、活動を始めた。展覧会を開いてアパートのこと、アパートが壊されることを展示し、一般の人が建物を意識するきっかけをつくったり、リノベーションをする案を考えるなどしてみた。しかし、お金の問題、建物の耐久性の問題、社会的問題など現実的に難しいとわかる。この経験から、人と建築を結ぶことをテーマとして様々な活動をしていった。当時、私は青山の同潤会アパートを見る機会が多くあったので、そこはなじみ深い景色だった。私の中でアパートは住宅というより表参道そのものの一部という印象がある。そして、現在の表参道にはかつてほどの魅力は失ってしまったと思う。難しい事は無視して、もしアパートがギャラリーとしてか公園としてか店舗としてか、どのような形かで残されていたらと考えてしまう。
 ロイズ銀行を見学しようとする人の列が写された写真が印象的だった。ロンドンのロイズ銀行は古い建物で、毎年ある時期に中を開放している。研修旅行でヨーロッパを訪れたとき、ほとんどが歴史的建造物や都市がそのままの形で残っていることに衝撃を受けたことを思い出した。同じように街の人に愛される建物でも国の意識、価値観や制度の違いで変わるのだと感じた。
 編集のこと。
 企画で、ラブホテルやパチンコ屋さん、カラオケ、漫画喫茶など普段建築雑誌ではあまり目にしないものを積極的にとり上げようとしていたという話が印象的だった。ある目的のためになりふり構わないプランを持つ、これらの「欲望の建築」は果たして「建築」と呼べるのか。これまでの当たり前ではこれらはインテリアであり、1つの建築として取り上げるにはその要素が乏しい。しかし、見る角度を変えれば建築として取り上げる部分はいくらでもあるのではないか、そもそもインテリアと建築に線引きすること自体が違うのではないか。確かに実際に自分が利用するとき、建築として見るということはあまりなかったように思える。一般の人が建築と聞いて自分とは遠いものと感じるのは、建築側が建築の範囲をどこかで限定しているからなのではないかと気づかされた。
 けんちく体操のこと。
 けんちく体操はmosakiのお二人の活動の色々をそのまま翻訳したものだと思った。建築と人、鑑賞者と表現者をつなげ、みんなが意識するきっかけを与えている。今回のレクチャーで枠にとらわれず、自由な考えを持って活動するにはそれに伴う信念、エネルギー、行動力がなければならないのだと感じた。

内野孝太
 mosakiの一貫して変わらない思いというのは、建築をよく知らない人も、知っている人も建築楽しもうぜ!!という事。
 青山同潤会アパートメントの取り壊し問題の時、一般の市民は取り壊しを気づかないうちに日常を過ごしている。当時の風景というのはみんなに愛されていたのに、取り壊しということになれば当事者だけの問題になる。このようなことに矛盾を感じてmosakiの発足に繋がったと話されていた。mosakiは建築と一般市民をつなぐ架け橋になりたいと、そして建築を盛り上げるために、いわゆる設計と言われるものとは違うアプローチで建築プラットフォームを作りたいと。
 私は建築学科に所属していながら、一旦建築の道を外れようと考えている。そのように考えている中でmosakiのレクチャーというのはとても刺激的であった。建築外からのアプローチの仕方は面白く、今日の日本における建築現場への疑問(市民の為に建設していると言っても、現場は高い塀で囲まれ市民は関与する機会が余りない)をmosakiなりの解釈で実行しており、またけんちく体操という誰にでも分かりやすいコンテンツを用意し、建築を触れる機会を提供している。
 このような機会が増えれば、一般参加型の構築が出来上がり、一般市民が生活をより良くしようと意見を出す機会が増え、設計者はそれをフィードバックしてより良い建築を目指す。また、このような循環が行われれば、建築現場だけで言えば明るい未来が想像する事が出来る(安直ではありますが)。ここまでmosakiのお二方が考えているかは私の勝手な想像であるが、社会への問いを考えれば必然であろう。
 私はmosakiのようにハードではなくソフトを構築している活動が好きである。ハードというのは構築するまでに時間が掛かり、伝えたいものというのが薄れてしまう気がしてならない。また、ハードは自身の本質としていない話題(外観デザイン、納まりしかり)にそれてしまう可能性がある。デザインがどんなに素晴しかったとしても、見ている人には自分の考えは伝わらず、目に見えているものにしか反応されなくなってしまうという危惧さえ感じる。今日の状況を考えるなら、ハードを作るのではなく、ソフトを作りハードを利用するという事の方がより建設的である考える。
 そのような思いもあり私はソフトの構築をする際何が出来るのか、ということを日々考えていきたいと思っている。
 今の建築ではこのような動きがあるものの、社会への問いということを考えるならまだ弱い気がする。私は建築という範囲に留まらず、何を問うことが出来るのか考えていきたい。
 最後に、mosakiのお二方へ。
 今自分は何が出来るのか、ということを考る機会を設けてくださり有難うございました。

mosakiな、お二人へ
中山英樹
 衣・食・住。日々の生活のなかで服を着る、食事をする。どちらも意識して選ぶという感覚が強いように思う。住はどうだろう。部屋を決める、家を建てる。確かに意識するけれど、日常という観点からしたら無意識で通り過ぎていることの方が多い。建築に関わる人間でなければ普通そうだと思う。そういった人たちと建築をつなげるという活動が今後どのような影響を与えていくのか。ファッションやランチと同じノリで、みんなが建物の話をしている姿を想像して一人ワクワクした。
 「建築は誰のものなのか」「建物が壊されたら私たちの負けなのか」といった言葉や同潤会アパートメントのある景色はとても刺激になりました。中でも、建物に関わる多くの人を同じテーブルにつかせる、というのが胸に刺さりました。よく感じるジレンマでもあるけれど、ものすごく難しいことだと思います。当時の同潤会アパートメントに行ったことがなく、写真でみた素敵な雰囲気をもう体験できないのかと思うと悔しいです。同時に今ある自分にとっての大切な景色を意識出来るいい機会になりました。
 雑誌の編集とデザインでは、建築ノートや建築家シリーズの3冊を読んでいて好きなのでmosakiと繋がったときは驚きました。情報ばかりで編集などの本に関わる多くの人まで意識していませんでした。実際にお会いすることで、カチリと視野の変わるスイッチが入ったのかもしれません。レクチャーを受けた後、自分の持っている雑誌や書籍に改めて目を通すことが増えました。構成やデザインなど学ぶことは多いです。
 ただ易しい言葉を並べただけで子供向けになるわけではない。建築家の絵本シリーズの話で、どこへ向けて何を伝えたいのか、そこから何が起きるのかという編集のもつ力というか影響のようなものを感じました。それは、熱意を伝えるための編集の発明、という言葉にリンクしていくのだと思います。雑誌は何万人もの多くの人たちに“伝える”ツールになり、けんちく体操のWSは数十人に“伝わる”ツールとして機能しています。多くの人間に発信できるけれど反応は少量なのが雑誌、少ない人間に発信し直に反応を受けるWS。反響という側面でみたときにこの両者は対になるものではないかと感じました。また展示の役割がその中間にあったのではないかなどと考えてしまいます。活動のきっかけとなったDo+での展示に始まり、雑誌、WSを経て、次のステップとしては何がある、もしくは発明していくのでしょうか。とても楽しみです。

ゼミナール | Posted by satohshinya at November 11, 2011 5:26 | TrackBack (0)

黄金町バザール2011「まちをつくるこえ」見学会

2011年10月28日(金)、2011年度第3回ゼミナールとして、「黄金町バザール2011「まちをつくるこえ」」の見学会が行われた。以下はその見学会に対するレポートである。

内野孝太
 黄金町に初めて行きました。歴史も文化も知らない町で「黄金町バザール」を通じて感じた事を書いていこうと思います。私は集合時間のちょっと前に着いたので周りを散策しました。そこには煙草屋のおじさんとベンチに座りながら話すおばあさんの姿、警察官と町の人が気兼ねなく話す姿が見えました。ゆっくりと流れる時間、下町情緒の残る風景。私は最初この町にそんな印象を受けたのを覚えています。
 黄金町はかつて麻薬や売春といったネガティブな印象の町であったと、説明の中で初めて知りました。そのような印象を変えるという一環で「黄金町バザール」を立ち上げたと。町の雰囲気としてもうネガティブなものはなく、会期中ということもあり賑わっている様子。私は説明がなければかつての黄金町に気づく事はなかったと思います。説明がなければ分からないくらいに過去を排除して新たな物を素直に受け入れることは正解なのか、このようなことを思いながらアート作品を見て回っていました。しかし、作品の中に風俗店の個室スケールをそのまま生かしたものや、Golden Studioによる過去と現在の対比による構成で事務所になっているものなどがあり、アート作品(現場)に過去の事柄を想起させる部分が組み込まれ、私はホッとしました。この町は風俗や麻薬という世間では悪とされるもので人々は集まってきた。そして、現在はアートを通じて人を集めようとしている。この二つはやり方は違うけれど、「人が集まる」ということは同じで、町の地域性のコミュニティはもともと強く存在し、人を惹きつける魅力というものはかつてからあったのではないかと思います。そのように考えると、まちづくりというのは地域の地盤があってこそのもので、何も無い中では生まれないのではと思います。リノベーションによるまちづくりでは過去の町の形を思い出す事が出来、新たな建物に作り替える事とは違う意味で、この町での特性というのをアート作品を通じて垣間見る事が出来て良かったです。
 高架下というわくわくするような場所で、町と人と建築が近い距離にある状況で、この黄金町バザールは展開されている。そこでアートによる自発的な行為をうながす装置があり、見知らぬおじさんや警察官の方と気軽にお話出来る環境が作り上げられている。このようなまちづくりの現場を体験出来たのは非常に良い経験になりました。町の人々や見に来ていた人々が楽しそうにしている事が印象的で、その事自体がこの黄金町バザールを表しているようでした。

長澤彩乃
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 私が黄金町を訪れたのは、これが初めての機会である。黄金町についてまるで無知であった私は、事前にインターネットで『黄金町』と検索をかけた。そしてこの街がかつて、非合法の薬の売買が行われたり、多くの売春宿の連なる特殊飲食店街であったことを知った。『ちょんの間』と言う単語も、ここで初めて知って若干の衝撃を受けた。そんなかつては決して治安の良い街とは言えなかった黄金町が今、「売買春の街」から「アートの街」へと変貌しようとしている。長年にわたって地域の再生のために日々努力を重ねて来た地域の人たちと、行政、警察、企業、大学、そしてアーティストが、街の再生という目標に向かって活動を始めた。それが今回訪れた『黄金町バザール』である。
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 黄金町の駅から、今回の会場である高架下を沿うように歩いて行くと、まずこの黄色いバスが目についた。このバスは、遠藤一郎さんといううアーティストの『未来へ号バス』という作品だそうで、沢山の人に夢を書き込んでもらい、その夢を載せて実際に東北と横浜を往復するのだそうだ。このように、今回未曾有の災害に見舞われた2011年に開催されるということで、震災を意識した作品や、その復興を願う作品が多くあったことが印象的だった。
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 上の写真は、チケット販売のブースである。棚の役割をしたオブジェのような物は、割り箸を組み立てて造ってある。そうして出来た棚に、この地域のお土産を展示するとともに販売もしていて、地域との交流や、街の中にアートを取り組もうという試みが見える。地域との関係が稀薄になっている現在において、そういった試みは地域を活性化させる意味でとても大切だと思った。少し話はそれるが、今回この黄金町バザールの見学に行ったとき、私たちに気さくに話しかけてくれた警察官がいた。まさに『まちのおまわりさん』といった風貌の彼は料理が得意で、時々料理を作ってこの黄金町バザールに訪れた人や地域の人へ振る舞うのだそうだ。そういった暖かい交流も私にはとても新鮮で、胸がほっこりとした。
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 先ほどのチケット販売ブースを出て、今回の会場をだいたい高架下に沿って回って行ったのだが、かつての形をそのままに、一見外から見ると何の変哲もない古い建物が会場になっていて、不思議な感覚だった。『ちょんの間』のスケールにアートを組み込むことで、現代らしいリノベーションが成立していた。
 また、高架下に関しては、おそらく何もないただの高架下に、新たにギャラリーやショップを建てたものになっていたが、私はシンプルな階段のスペースに魅かれた。広くとられた階段のスペースは、アートの街として生まれ変わった黄金町の、新たなコミュニティの場として活躍してくれそうである。
 2008 年より始まった『黄金町バザール』は今年で4回目を迎える、今回の『黄金町バザール』は「まちづくりとアート」の結びつきをより強く意識しているようだ。また、アーティストの交流を通して、それぞれが互いの仕事について理解を深め、意見交換の機会となることをめざしている。とホームページにあったが、まさにその通りで、熱いエネルギーが感じられる素敵な体験が出来た。私はこの街に初めて訪れたが、電車に乗って帰る頃にはこの街が好きになっていた。家族や友達にも紹介したいと思う。

ゼミナール | Posted by satohshinya at November 7, 2011 9:54 | TrackBack (0)

人とまちをつなぐアート/その新たな展開と可能性

2011年10月24日(月)、2011年度第2回ゼミナールとして、シンポジウム「人とまちをつなぐアート/その新たな展開と可能性」が行われた。以下はそのシンポジウムに対するレポートである。

鶴﨑敬志
 10月24日に雑司が谷地域文化創造館で「人とまちをつなぐアート/その新たな展開と可能性」という題材で、パネリストである北川フラムさん、中村陽一さん、ゼミ担任の佐藤慎也先生、東澤昭さん、蓮池奈緒子さん、森司さんのもとシンポジウムが開催されました。正直シンポジウムは初めてなことなので、どういったことが展開されるのか関心のあるところでした。
 まず、北川フラムさんの話で、人間はほとんどマニュアル通りに動く存在で、褒められるようなところは無い。けれど、美術は人と違って褒められるもので、場合によっては褒められて良い存在である。その中で全員違うことが重要であると言った。そのことで、私は、一人一人の個性を尊重しつつ自分の足もとでアートをつくり、それを出会いの場としてつくるということの大切さをしれたし、個性が失われつつある今の時代に生きていることから、不安の念を抱かさざるを得ないという状態になっているので、良くない傾向だなと思う。それから、アートは、出会いの場であるということで、考えていることが、違うということは同じ場所に立てるということが、すなわちアートを持っているということも言っていた。そして、それを支えている人は、建築家や、アーティストといった、無から有を作っていく人たちで、残そうとしているのもそういう人たちなので、大切にしていきたいと思った。
 それから、立教大学の中村教授の話は、信頼社会の実現をテーマに話をしていた。多様性ということで、適したロケーションや、地域性といった社会デザインをどう作るかということで、水性動物が、産卵などのために群れをなし、定期的に移動し最終的には生息場所に戻ってくる、そういう意味での回遊性を持たせることで、多様なつながりや、緩やかに人とつながっていく、それが大事だと言った。あと、社会のつながりとして、本質的なもの、社会歴史的なもの、特色を持つ、それを有するユニット、変えていくものが挙げられて、場をつなげる、あるいは広げるといった、社会に対する関係性を持たせるべきといったことに対し、社会のデザインに回遊性を持たせ最終的に戻って来させるという考えに同意出来ると思う。地方から都会に行くと、故郷をおろそかにし帰って来ないケースも多々あるので、帰りたくなる社会のデザインというのは、考えなくてはならないテーマのひとつだと感じた。
 としまアートステーション構想のことに対しては、まず、この構想は街の中にある地域資源を活用した「アート」を掲示することにより市民の活動のヒントを見出し、自分たちの街の課題を考え、契機が出来ることでの「コミュニティ形式の促進」を期待したものだと言われた。そこには、ソーシャルネットワーク、場所、人という3つのアーキテクチャが挙げられ、構想を実現するのにとりわけ重要なキーワードとなっている。そのことに対して、市民参加型のプロジェクトとして、人とまちをつなぐアートの構想というのは、コミュニティが薄れていく現在でなくてはならないことで、人と人がつながるコミュニティの促進として、アートをつくり新たな、環境システムを作り出そうとしているので、このプロジェクトは面白いと思った。

吉田悠真
 池袋の魅力について色々深く知れる良い機会となりました。他の渋谷・新宿などの都市にはない魅力を歴史や文化・伝統などの観点から今まで作り上げてきたものを深く知ることもでき、大変興味深い場所であるということを感じました。それは他の町にはない、人が近くに住んでいるという住民が関わる場所としての違いがあることを知りました。
 初めの方の話に出てきた「道路標識などにより方向感覚が鈍る」という話は共感できました。確かに人間は技術の進歩により、さまざまな便利機械に頼ることが多くなり自分で何かを感じ、何かを考える機会が少なくなったように思えます。これはメリットもある反面大きなデメリットもあるのだと思います。人間が五感を使わなくなってきたのはまさしく技術進歩によるものが大きく、本来人間がもつ能力をある意味大きくシャットアウトしてしまっている可能性があるのではないのでしょうか? それは自分で考える機会が少なくなったということです。そして、発展した技術により人間はある種の安心感をもつようになったのではないでしょうか? 「誰かとつながっている」「すぐに居場所がわかる」「すぐに最新情報を得ることができる」などなど全てが安心感を得るためのものに繋がっているような気がします。では、例えば携帯のデータが全て消滅してしまったらどうでしょう?
 人は全てを失ったかのような絶望に陥ることもあるかもしれません。それは常に誰かと繋がっていたいと思っている人ほど深刻なものになります。そしてそれはやがて大きな絶望感に繋がる人すらいるということです。
 今回のシンポジウムでも3・11の話題が多く挙がる中、自分が考えたことは技術の進歩による繋がりではなく、もっともっと人間本来の根源に戻り「繋がり」とは何かを考える大きなチャンスとなりました。震災以降人との繋がりを意識する人が多くなり「家族」「友人」「恋人」「親戚」など自分の中で特に大切な存在となりうる人との「繋がり」をなお一層深く考えさせられる結果となりました。それは、まず最初に「大切な人」の安否の確認という行動からも伺い知ることができます。それは、技術の進歩による確認という作業をした後にくる「その人の元気な顔を見たい」「会いたい」という気持ち、衝動です。人はそれだけでは満足できない生き物なのです。「大切な人」に会い、顔見て、話し合い、温もりを感じることでお互いの気持ちや感情を感じることができるのです。
 これらを踏まえて、改めて池袋という地を考えてみると人々の繋がりを重点に置き技術の進歩に頼らず、お互いが繋がっているということを感じることができる新しい地域性を持ちうる可能性があるような気がします。それは建築の力であり、アートの力であり、人一人一人個々の力にあるということです。本当にアートが必要な人とは誰なのかではなく、アートがどれだけの人を繋いでくれるのかの検討が論点になると思われます。若者の価値観が多様化するこの現代社会の中で、人と人とを繋ぐ「何か」を「技術の進歩」に頼らず見つけていく必要性があるような気がします。
 プログラムの提案の中にある中心軸「SNSの活用」「場所性」「人」というものはもしかしたら、その仲介役である「技術の進歩」ではない「何か」が必要になってくるのかもしれない。アートでつなぐことはどこまで可能なのか? 誰にも共通して欲しいものはなんなのか? 今回の震災から学べるものそれは「安心感」。。そして、就職を目の前にした自分が感じた大きな事は公務員を希望する若者・親が増えたというのはまさにこの「安心感」というものがだいぶ大きなウエイトを占めているのだとそう感じている。

矢澤実那
 今回のシンポジウムを聞く前は、何故池袋がアートステーション構想の拠点のまちになったのかいうことを疑問に思っていました。
 池袋は、新宿・渋谷とともに東京副都心と呼ばれ、大きなターミナルを持つ駅ではあるが、新宿や渋谷のように高層のビルがずっと立ち並んでいるわけではなく、また、昔西池袋に住んでいたこともあり、私にとってはとても落ち着くまちです。今は私の住んでいた所は道路が拡張されてしまって、面影は感じられないようになってしまったけれど、そこ以外のところはあまり変わらずに公園が多くあったり、住宅街が広がっていたりと副都心と言われる割には、シンポジウムでも話されていたように地元の人も多く住んでいて、地域交流の場も多くあると思いました。そして、池袋は地元の人だけでなく、多くの地域の方も集まる場所なので、色々な人が交流できる場所としては、とてもいい場所なのかなと思いました。
 しかし、私は「としまアートステーション構想」というのを聞いたとき、今の池袋にまた新しく交流できる場所をつくって、池袋を変えていくものだと思っていました。けれど、実際に今回のシンポジウムに参加して、詳しく説明を聞いたら、私が思っていたものとは違い、新しく場所や空間をつくるのではなく、既存の場所を有効に利用し、また、住民の方が主体となって進められるようなシステムの構築を目標としているものということがわかりました。ただ、新しい場所をつくるだけでは結局は有効に利用されない可能性もあると思うので、地元の方が自ら進めていける様なシステムをつくることは、とても意味のあることだなと思いました。
 そして、この「としまアートステーション構想」で情報共有の場として利用しようとしている、Facebook、Twitterのようなソーシャルネットワークは、今では利用している人がとても多く、これの他に新しく情報共有の場をつくるよりも、これも既存のものを利用することで、交流の場所と同様に情報の場所も、新しい可能性を掲示できるものになっていて、一から何かを作り上げるよりも抵抗がなく人々に馴染んでいくのかなと思いました。
 最近では、どこの地域でも地域交流の場が少なかったり、隣に住んでいる人がどんな人なのかというのも知らなかったりということが問題になっていたりします。もうそれが当たり前の状態になりつつありますが、安心して暮らしていくためには、地域の人たちとの交流は欠かせないものだと思います。そういったことを解消するためにも、この構想の実現は重要なことだと感じました。また、今は、何処にいてもいつでもネットで交流ができる時代ではあるけれど、そのツールをうまく利用することで、昔のような面と向かって交流ができるような世界が実現したら、ネット社会のイメージも今のようにマイナスのイメージではなく、少しでもプラスのイメージになるのではないかなと思いました。

井上博也
第一 アートプロジェクトのシステム化
 アートプロジェクトとしてアーティストを育成したり、アーティストに発表の場を与えたりするような丁寧な仕組みがあると、逆に突出したアーティストが現れにくくなるということが印象的だった。丁寧で親切な仕組みがあるとアーティストはそれに甘え、サラリーマン化して堕落していくということが理由のようである。下手に食えるようになると、努力を怠り、冴えた感覚も鈍くなるのであろう。大学の教授にもその傾向があるという点も面白かった。アートプロジェクトという仕組みからはずれたフリーランスのアーティストのほうが突出するようである。
 アートプロジェクトが抱えるその矛盾をどうするかが問題となっていることを知った。アートプロジェクトはその矛盾を抱えながら運営していくしかないようである。ただ、アートプロジェクトというものはある仕組みの中に組み込まれて平準化していくものでなく、ある仕組みの脇に存在してある仕組みを撹乱して仕組みを更新していくという捉え方もある。この捉え方であれば、アーティストは撹乱者であってサラリーマン化しないということであると思った。
第二 北川フラムさんの建築家に対する認識
 生理に基づいて生きているアーティストに比べて建築家のほうが、アートプロジェクトにおいて地域の人々とコミュニケーションを取るのがうまいと言っていた。建築家はクライアントがいて、その人たちと議論したり、その人たちにプレゼンテーションをしたりすることが多いからであると思った。反面、アーティストには明確なクライアントがいないことが原因なのではないかと思った。
 コミュニケーション能力の点で北川さんは建築家を評価しているが、建築家は自分たちがやっていることを過大に主張しすぎていると評価していた。たとえば、今の震災復興において、実際には建築家がやっていることはわずかであるにもかかわらず、その成果を過大に主張しているらしい。
 普段、私は建築学科にいるので、建築家というとスーパースターとして見ていたので、北川さんのそのような捉え方が面白かった。
第三 豊島区について
 池袋を中心とする豊島区の活性化には、回遊性が必要であるらしい。池袋の周りには、巣鴨・目白・大塚などがある。巣鴨は高齢者の聖地、目白は学習院大学がある落ち着いた街、大塚はライブハウスなどがたくさんある活気ある街である。そのような、多種多様な街を抱える豊島区を回遊できるようにする必要があるということである。回遊性という視点が興味を引いた。

池田宗平
 今回、雑司が谷地域文化創造館で、としまアートステーション構想シンポジウムについて、豊島区長の高野之夫氏、東京都文化振興部長の関雅広氏をはじめとし、北川フラム氏や中村陽一氏、佐藤慎也氏、東澤昭氏、蓮池奈緒子氏、森司氏と数多くの方が、それぞれの思いを熱く議論し、また、ディスカッションを行った。
 としまアートステーション構想の目的は、豊島区民をはじめ、アーティスト、NPO、学生などが自主的・自発的にまちなかにある地域資源を活用したアート活動の展開であり、それを可能にするために、「環境システムの構築」と「コミュニティー形成の促進」が必要であるというのが主な目的である。そうすることで、人と人の「つながり」のある安心感がある地域になると考えている。
 これらを踏まえて、7人のパネラーの意見を聞いていて、なるほどと納得することがいくつかあった。それは、東京都文化振興部長である関雅広氏が述べていた私たちはマニュアルのまま生きているが、美術だけが人と違って良く、人が全員違う唯一の思想であって、色々な違う人たちと関わっていくことがアートであるということや、今の時代は「正しく・早く・スタンダード」であるなどを言っていたのを聞いて、岡本太郎が大阪万博で建てた太陽の塔も芸術家ならではの一見観ただけではわけのわからないものだが、そこには岡本太郎の思想があり、そういう偉大な芸術家が今の時代にいないのは、私たちがマニュアルのまま生きているということなのではないかと、私自身もとても納得がいくものだった。また、立教大学の中村陽一氏が述べていた、20世紀の宿題は社会をデザインすることで世界を変えていくことができるかもしれないと考えていて、具体的な案として池袋にはまだ多様性があるから池袋に見合ったロケーションや街並みを造り、そこには緑や文化、大学などの回遊性などがあり、人との緩やかなつながりを意識したものが池袋再生には良いのであると考えている。また、中村陽一氏がしきりに述べていたことが、池袋は一昔前に財政の危機を迎えたが、そういうコミュニティーの場をつくっていくことが大切である中で、そこに経済の理論や財政問題などが関係ないようなものが良いと述べていた。それらを聞いて、私は、新宿や池袋など人の出入りが多いような都市は、緑や文化、大学など人の循環ができるような回遊性を求めて資源を使うことが大切であると思った。また、最も今回のシンポジウムで印象に残った言葉が、北川フラム氏がディスカッションの時に述べていた「演出家はいるけど俳優がいない」や「佐藤慎也氏には悪いが、アートプロジェクトのほとんどは建築家である。また、建築家は組み立てるのが上手である。彫刻の人は組み立てるのが下手であるから、そうなるとその枠からも外れることになりかねない」というようなことを述べていて、私はそのことが全て納得をしてしまったし、その納得してしまったことが残念でもあった。
 最後に、今回のようなシンポジウムに参加したことが初めてでとても新鮮に感じられたし、専門家たちの意見とそこに関わる住民の意見を取り入れるということ、またそこで情報交換というコミュニティーがとても大切であると思った。だから今後もこのような機会があれば参加したいと思った。

富樫由美
 シンポジウムは豊島区の魅力を知っていることを前提に進められ、そこをどう活かすのかということがあまり分からず、少し腑に落ちなかった。それは限られた時間の中、駆け足で進められたことと、私の経験不足ということから生じるものだろうか。北川氏は「東京はブレードランナーみたいな都市になってしまった。しかし、池袋駅はまだ方向感覚が分かる。」と述べた。私にとって池袋駅は新宿などの駅と同じように、もしくはそれ以上に複雑な駅、複雑な場所と感じ、あまり池袋には魅力は感じていなかった。その後、池袋モンパルナスやときわ荘などの例も挙げられた。これまでどんな人でも受け入れ、成り立っていく、そんなコミュニティを豊島区はもっていると述べられた。豊島区のもつ歴史や雰囲気をとても近いところにすんではいるものの、私はまだ知らない。このとしまアートステーション構想でそれぞれの地域の、そこに生きる人々のどんな一面をみられるか楽しみになった。
 としまアートステーション構想では、ただアーティストを招致してその場所で作品を展示してもらうだけでなく、もう一歩、もう二歩踏み込んだことをやろうとしている。自主的・自発的にまちなかにある地域資源を活用したアート活動を展開することをゴールとしている。そのために3つのアーキテクチャを構築することで、あちこちにアートステーションが生まれ、それによってコミュニティ形成が促進されていったり、ステーション同士がゆるくつながったりする。いままでとは違う、新しいことをやろうとしていると感じた。
 また一方で、アートのもつ力、楽しさ、可能性を伝えることの難しさを感じた。アートがコミュニティの形成や地域活性にすぐつながるかというと違うと思う。その効果はアートを受け入れる側の体制にそれらはゆだねられていると感じた。さらにいえば、私が重要であると思うのはアートによって活性化するかどうかではなく、全く違う考えや思想の人と同じプラットフォームに立てる点といくつものプラットフォームが存在する点だと思う。
 シンポジウムの前に少し鬼子母神駅周辺を歩いた。まだ商店街が機能していて、八百屋や総菜屋などが並んでいた。その中で若い人が古本屋を営んでいた。内装は新しくここ数年で始めたのだろうか。だけど自分のやりたいことを誰に求められることなく、自発的にやっていると感じた。そこで、ささやかながらも自分を表現しようとしている点だと思う。店主が本を選び並べていく。そこには売れる、売れないよりかはこれを読んでもらいたいかどうかといった店主の気持ちが感じられるようだった。表紙がみえるようにおかれた本を見ていると店主の好みや考えが分かるような気がした。こんな店、こんな人が一つのプラットフォームとなる場所を作り出すのではと思った。アートは地域の、自分の考えや思想、感覚、雰囲気を自主的・自発的に表現し、知らぬ間に他の誰かを刺激することを誰でもやりやすいといった点でよいのかもしれない。しかし、このアートステーション構想が、アートに限らず古本屋のような店、場所、人を増やし、つなげるきっかけになればいいなと思った。

まちにおける建築とアート
田中達也
 としまアートステーション構想は、地方からさまざまな人々が訪れる多様性と、居住者が多い居住性を併せ持つ池袋において、アートをきっかけとしてまちのコミュニティを促進し、つながりをもたせることで多様性に回遊性をもたせることが目的である。シンポジウム「人とまちをつなぐアート/その新たな展開と可能性」のシンポジウムに参加し、としまアートステーション構想を聴講して私が考えたのは「建築ができること」と「アートについて」であった。
 としまアートステーション構想は特定の場所を実現することが目的ではない。街の人々の意識に働きかけて共通した文化の意識により繋がりをつくることが目的である。それを聞いたときに建築ができることはなんだろうと思った。もともと今回の構想でアートを手段としたのは、現代社会のなかで自己表現できる数少ない手段がアートだからである。北川フラム先生によると、日本人の80%以上が指導者層の指示通り動く人であるという。今考えてみると驚くことではないが、改めて言葉にされると心に刺さるものがあった。周りの人との違いが見出せない、あるいは見出そうとしない人々が増えてしまい、まちの活性化が阻まれてしまう。としまアートステーション構想ではその打開策がアートである。しかし建築はその反対の作用を促すものだと思う。建築することには必ず目的があり、システムの構築がともなう。システムは人の均一化を促すものである。中村陽一先生によると、システムは確立から劣化が始まるという。それは人々の思想、思考が変化していくためである。私は設計の課題などに取り組んでいる際、建築することで提案することを当たり前としてきたが、実務ではまったく違うのかもしれないと思った。目的のためには建てない方が良い場合があり、そのとき建築家はどう考えるべきなのか。今回のシンポジウムを通して実務における建築家の在り方を考えることができたと思う。
 また今回のシンポジウムではアートについてはあまり語られなかったが、アートをどのように取り入れるかはとても重要なことだと感じる。多くの人はアートに対してどのような印象をもっているのだろうか。私はこのシンポジウムに参加する前はアートを身近に感じることができなかった。さまざまな芸術表現をみても、これはどんな意味があるのか、などと固いことを考えていた。アートが人々の自己表現の手段になるということを聞いて、身近に感じることができるようになったように思う。アートは実は現代社会のなかですごく重要な役割があるのかもしれないと感じたからである。冒頭でも述べたように、現代社会は自己表現できる場が少ない。対して個々のアートは否定されたりするものではないから自由で相対的である。アートが人々の心にゆとりをあたえることでまちが活性化すればとても豊かな空間ができるかもしれないと思った。
 今回のシンポジウムではまちとアートを通して人と社会について考えることができたと思う。学外のシンポジウムやレクチャーには学校の講義では学べないものがあると感じた。

阿津地翔
 僕は今回の様な都市計画のシンポジウムに参加するのは初めてだったので最初どういったことを聞くのかまったく想像できませんでした。会場である雑司が谷地域文化創造館には会議室や音楽室、美術室、陶芸教室等があり地域の方々が使用できる地域の方々の文化を発信する中心のような建物だと思いました。その中にある多目的ホールに着き、入った時に頂いた資料やイベントの広告を見ながら人が揃うのを待ちました。30分程すると席もほとんど埋まり、進行が始まりました。
 まず、最初に豊島区長の高野之夫さんと東京都文化復興振興部長の関雅広さんから開会挨拶をして頂きました。その中で関さんがおっしゃっていた被災地の支援として大道芸人を被災地に派遣した話が心に残っています。被災地の方々にできることは募金や支援物資、ボランティアだけでなく、被災地の方々に笑顔を届けるような支援もあるということに気づきました。
 最初の発表者は豊島区文化政策推進プラン策定者の北川フラムさんでした。電車の関係で会場に少し遅れて到着したフラムさんは前に出るなり、「今日プレゼンのために用意してきたパワーポイントは、話す内容を変えたので使いません。」とおっしゃって凄い人だなと思いました。さらに驚くのはそこからでした。会場に着くまでの時間で考えた話の内容とはまったく思えず、とても濃い内容のものでした。フラムさんの話の中で、今横浜でやっている東北のプレゼンは意味が無く、建築家であるということのアリバイ作りに過ぎないという内容のものがありましたが、建築学科の生徒としてとても耳が痛い話でした。そしてアートでは違う考えの人が同じ場所に立つことができ、豊島区はスタジオ、劇場等地域の方々が多く集まるアートを発信するための場所も多くあるのでそこで地域の繋がりを深めることもでき、他の場所からやってきた人との繋がり築けるような場所であるとおっしゃっていました。
 次の発表者は立教大学教授の中村陽一さんでした。中村さんはまるで授業をしているように一つ一つ詳しく説明してくれました。震災の影響が社会デザインにどう出ているか、今の社会には強いきずなでは無くて緩やかなきずなが必要だということ、池袋において地域と大学と区をどう繋げるか等を話していました。そして最後に池袋周辺の特徴を挙げて、これからの池袋をどういう都市にしていけば良いかを話されていました。難しい言葉が多く若干ついていけませんでしたが、とてもためになりました。
 最後は慎也先生のとしまアートステーション構想についての説明でした。3人のなかで唯一パワーポイントを使っていて図や表等があって見ていて飽きなかったし、とても分かりやすかったです。
 パネルディスカッションでは時間がぎりぎりだったこともあってあまり話は聞けませんでしたが、この中でフラムさんが今の日本のアートのネットワークはアーティストでは無く建築関係の人がつくっているとおっしゃっていました。それはアーティストと建築家のプレゼン力の差で、建築家は一つのことを千のように言える程プレゼンが上手いと言っていました。でもアートのネットワークはアーティストに作っていってもらいたいと思いました。
 今回のシンポジウムは良い機会になったと共に、とても勉強になるものでした。またこういった機会があれば進んで参加したいと思います。

農村型コミュニティから都市型コミュニティへ
田崎敦士
 今回のシンポジウムで気になったキーワードが「緩いコミュニティの形成」である。このキーワードは実現するのか、またさせるにはどうしたらよいか。
 『としまアートステーション構想』の運営側は3つのアーキテクチャ(ソーシャルネットワークのアーキテクチャ・場所のアーキテクチャ・人のアーキテクチャ)を構築することで、これを可能にしていくヴィジョンを描いている。シンポジウムでは具体的なシステムについてこそ触れていなかったが、ネットとリアルを地続きに考えていかなければならない現代にあったマニュフェストである。
 「ソーシャルネットワークのアーキテクチャ」では既存のソーシャルネットワークであるtwitterやFacebookの情報を編集し、市民に提供するアーキテクチャの構築を検討している。いかに多様な利用者(アーティスト、区内外の人)に対応したアーキテクチャを構築するかが、今後の展開を大きく左右するだろう。
 例えばtwitterのスピード感をうまく利用することで、ある種のリアルタイム性を生み出し、利用者にプロジェクトを「シェア」している感覚を擬似的に覚えさせることができないだろうか。「シェア」している感覚が生まれ、それが強くなれば比例してコミュニティの力も強くなる。実際にそのコミュニティに参加してみようという人達がでてくるかもしれない。さらにinstagramのような写真共有SNSを組み合わせることで、ビジュアル面においても利用者の感覚にうったえるアーキテクチャができるのではないだろうか。
 また、twitterの基本的な性質が『としまアートスーテション構想』が描くアーキテクチャの構築に大きな意味をもってくる。
 twitterよりも前に、日本に広く普及していたmixiという「実名主義」のSNSがあるが、これはいかにも日本で戦後続いてきた「農村型コミュニティ」を思わせるローカルなコミュニティに留まっている。本来はオープンなネットワークを構築するはずの「実名主義」だが、日本では逆の効果(中高生の利用で顕著に見られる)があったようだ。現在ではmixiに飽きた利用者がtwitterに流れ込み、利用者数でtwitterがmixiを上回っている。またアメリカのネット人口の約半数が利用しているFacebookも「実名主義」であるが、日本における利用者数はtwitterの約半数である。
 twitterは「匿名性」と「実名性」の2つの性質を持ち合わせた、中性的な性質をもつSNSである。匿名であることでプライバシーが不透明になり、利用者は気兼ねなくコミュニティの輪を拡大している。これはmixiのそれとは違いとても「緩いコミュニティ」だ。いわゆる現代社会においての「都市型コミュニティ」といえる。
 この「都市型コミュニティ」が『としまアートステーション構想』の要ではないだろうか。「農村型コミュニティ」から「都市型コミュニティ」へ移行していくことが『としまアートステーション構想』を大きく展開していくことに繋がるだろう。

波多江陽子
 初めてシンポジウムを見学して、自分は小さい世界で何もできずにのうのうと生きているのだということ、今回見たり聞いたりしたことよりも多くの事が自分の知らない世界で繰り広げられていて、それらについて考えたり、話し合ったり、努力をしている人々がたくさんいるということを切に思い自分のこれからにおいて、いい刺激になった。
 今の街は情報に溢れすぎて、人々は自分で情報を整理する方法を忘れてしまい結果五感を失ってしまった事。技術の進歩により日本人の学力が半世紀で上位から40位にまでおちてしまった事。そんな中3.11以降より一層アートの力は偉大だと認識された事。美術的思想は他の事とは異なり、人と違うことが評価される唯一の思想であり、貴重な文化である事。これらの事からアートをどうケアしていくのか?ということを北川フラムさんは語った。
 社会をデザインすることによって世界を変える可能性がある事。池袋は新宿や渋谷と違い、多様性があり活性化する可能性を秘めているという事。
 魚が産卵のために別の場所に移動し最終的に生息場所に戻ってくるというような意味での回遊性を、コミュニティーの場を形成する上で持たせることが大切である事。この回遊性が人と人、場所と場所を緩やかに繋ぐ事を利用し、これからどのようにこのとしまを活性化させていくか?ということを中村陽一さんは語った。
 私自身も3.11によりアートの力で人の心は豊かになることを感じていた。科学技術の進歩によって、確実に時間は長くなって、それと同じくして人の寿命も長くなったと思う。遠い場所でも瞬時に繋がることができる。治せなかった病気が治せるようになった。交通機関によってすぐに行きたい場所に行ける。筆を持たなくても言葉を文字にできる。しかし多く事を得たと同時に大切なものを失ったのではないか?直接会わなくても人と繋がっていられると感じる。薬を飲めば、手術をすれば、病気は治ると命を軽くみるようになった。歩くことが減ったことにより、運動不足になったり、街並を見たり感じたりすることが減った。相手を想いやる時間や心が失われた。これらをふまえて、(北川フラムさんはアンチソーシャルネットワーク?であるように感じたが)私は、としまアートステーション構想にあるようにせっかく進歩してしまったのだから科学技術も生かしてアートをケアしたり、回遊性を構成したり維持するほうがいいと思った。目的である、豊島区民をはじめアーティスト、NPO、学生などが自主的・自発的にまちなかにある地域資源を活用したアート活動の展開に「環境システムの構築」と「コミュニティー形成の促進」が必要であり、これらが人と人のつながりのある安心感がある地域にすることができると考えているこの構想によって、ますます「としま」(池袋)が安心感のある素敵な街になっていけばいいなと思った。

沖田直也
 北川フラム氏によると、今日の東京では駅に降りたら方向感覚がわからないという。現に新宿や渋谷は(個人的見解だが)同じような建物が並び、流行のものがもてはやされ、それが過ぎれば次の流行に行き元の流行は跡形もなくなっていくという。しかし池袋は唯一の地域になってしまったが東京・江戸の歴史・蓄積が残されているのである。東京芸術劇場・豊島公会堂などの発表の場があり、大学があり、周辺に公園もいくつかある。西に行けば長崎・要町・千早・椎名町があり、芸術家を多数輩出してきた地でもある。地域のコミュニティがまだまだ残されている地域であるという。
 また、今日の大量生産・消費社会で画一的なものがどんどん出てくる中、唯一アートだけが人と違って良いものであるという。自分の足元で(一人一人違うものに根ざす)美術というものをどうするのか、(震災以降重要になってきた)コミュニティをどうすればいいのか、という問題がある。
 これからのアートの形態は「人とまちをつなげるアート」であると思う。市民が創造的にまちに関わり、それによって自分たちのまちの課題を考えていくことで、コミュニティの形成を促進することを期待しているという。それにはどうするかというと、「公共文化事業3.0」という構想を用いる。従来はハードとしての文化施設を中心とした事業展開の中で、場所や活動を市民に与えることができても、「自分自身が」それらの事業に参加するといったシステムが確立されていなかった。「公共文化事業3.0」ではアーティストは活動のヒントを見出す手助けをし、それを元に市民が自発的に行動することで創造をしていくというものである。「完全避難マニュアル東京版」(高山明・2010)を例に挙げると、アーティストが「避難所」と言われるスポットを設置し、ネット上でそのスポットへの行き方を提示することによって参加者がそれを元に「避難所」に行き、何かを発見したり、参加者同士が話し合ったりしていたのである。これはtwitterがあった事によって更なる盛り上がりを見せた(避難マニュアルオフ会の開催など)。
 自分は美術研究会に所属しており、長期休暇中を中心に(他大学と共に)美術展示会を行う。しかしそれによってできるコミュニティというのは出展者の内という狭いものであり、出展者と観覧者(アーティストと市民)でのコミュニティというのはなかなかできないものである。それにデザインフェスタギャラリー原宿を中心に活躍しているアーティストたちとの交流は殆ど無いといっていい。しかし、「公共文化事業3.0」を取り入れ、アーティストも参加することでアーティストと市民・アーティストと他のアーティストのつながりができる可能性はある。サークルで行うのはかなり難しいと思われるが、twitterやFacebookなどを利用することでそれまでにないつながりができるであろう。この構想については考えておくべきだと思う。
 最後にこのシンポジウムに参加したことで、現代の問題と、これからのアートの方針と、現代におけるコミュニティの大切さと、大学生活でやってきたことがつながっていることがわかった。

初谷佳名子
 情報化が進みネット上で社会ができ、効率主義の経済をもつなど、文化の必要性が薄れてきている現代。渋谷、新宿、上野など東京の主要な街は一定の様相を持ち、街の色を失い、方向感覚を欠いてきている。そんな中、池袋で「アート」を軸にツイッター、フェイスブックなど現代のツールの力を借りつつ、街を盛り上げようという構想。アートポイントをつくることによって、今までただ生活の場であったり、ただ通りすぎていたところにとっかかりが生まれ、ふらふら歩いてみたくなる、このような回遊性をもち、人とつながる街となる。
 今回のレクチャーで私が印象的だったことは、市民が創ることに参加するということ。これまで、アートの場として、鑑賞するところはもちろん、アーティスト・イン・レジデンスなど作者が創り発表するところ、市民も参加できるワークショップなどは耳にしたことがあるが、市民が軸となり創るというのは聞いたことがない。それ故に現実難しい企画なのではないかとも思った。しかし、もしこの計画が成功すれば、人と街の関係を結ぶだけでなく、一般市民の多くがアートに対して感じる敷居の高さのようなものが取り払われ、アートがより身近なものになるのではないかと思う。
 「仮り住まいの輪」で、東日本大震災の被災者に無料で部屋を提供するというのも印象に残った。被災者が震災を乗り越え、新たな一歩を踏み出すきっかけの選択肢のひとつとして画期的なアイデアだと思った。また、3.11の震災後アートの必要性や可能性が問われている今、起こったことや現状と向き合い、関わっていくことは必然的な事なのだと思う。
 また、この計画の元となる、「住み開き」では個人が公開の場として、ときには託児所のような場として自宅を開放する。近隣との付き合いが希薄になり、お隣さんの顔も知らないという状況が稀ではなくなってきている現代、ソーシャルネットワークを用い、新しい人付き合いやコミュニティの形が生まれている。
 この構想はシステムによって動かされるが、これは物事が平準化、画一化してしまう恐れがある。システムをもちおもしろいものをつくることは可能なのだろうか。今までの概念では矛盾ともいえるこの構想を可能にするには、個人の協調性と違いのバランスをとるようなシステムをつくることが重要となる。
 このとしまアートステーション構想を実現していけば、人と街がつながり、その街に住む人、その街の周りに住む人がよりポジティブで豊かに生活を送るようになると思う。

有野純哉
 雑司が谷地域文化創造館において、「人とまちをつなぐアート/その新たな展開と可能性」という、としまアートステーション構想シンポジウムが開かれ、北川フラム氏や中村陽一氏、佐藤慎也氏、東澤昭氏、蓮池奈緒子氏、森司氏、また、豊島区長の高野之夫氏、東京都文化振興部長の関雅広氏といった数多くの方が、プロジェクトに対するそれぞれの思いや考えを熱くプレゼンし、その後、パネルディスカッションを行いました。
 豊島区は80周年を迎え、小さな街ではありますが、ソメイヨシノ発祥の地であり植木の街である駒込、おばあちゃんの原宿として賑わいを見せる巣鴨、品格のある街並み目白、音楽祭などで賑わう大塚といったようにその地域ごとに違った顔を持つ個性豊かな街であるといえます。それらの街を周囲にもつ池袋でアートプロジェクトが行われるということで、私はどのようなプロジェクトの内容なのか非常に関心をもちました。
 このプロジェクトで興味をそそられたのは、経済成長を目的としていないという点と、人と違ってほめられるアートがテーマという点です。基盤が利益ではなく「つながり」であり、それを支えるのは「人」であるという考えから、お金やモノでは買えないパワーをもったアートだからこそ生まれる、人と人、人とまちのつながりを目的としたこの構想には多くの可能性が広がっていると感じました。整理されていない情報が溢れて生活が高度になっていく中で、池袋というトップランナーの都市だからこそ挑めるこのプロジェクトによって、安心感のある人と人とのつながりのある地域をぜひ実現してもらいたいと思います。
 印象的だったのがパネルディスカッションの中で出てきた「システムは成り立つと同時、もしくは直前から劣化を始める。」という言葉、また、大学教授を例に挙げて出された「画一化すると堕落する。」という言葉です。この言葉に、としまアートプロジェクトを成立させる難しさが凝縮されているように感じました。難しさとはディスカッションでも話題に出ていましたが、としまアートプロジェクトと公にして、近寄ってくるのは建築系の人々で、そういう場にコミュニケーション能力・プレゼンテーション能力の低いアーティストの人々、特に彫刻系の人々は集まって来ないというところです。この矛盾をどう解決していくか、つまり、プロジェクトの発起人であり、プレゼンテーション能力の高い「建築系の人」と、いわば全員違うことを目的とし、唯一の思想を持った「アーティスト」がどうつながっていくかということに、シンポジウム全体を通して私は最も興味を持ちました。
 このとしまアートステーション構想は2011年の秋から始まったことと震災の影響もあり、まだまだ走り出したばっかりで、これから多くの問題点と向き合わなければいけないという印象を受けました。私自身シンポジウムに参加することが初めてであり、正直どういう気持ちで聞けばよいのかという戸惑いもある中で始まりましたが、会が進むにつれてとしまにおけるアートプロジェクトの新たな展開と可能性をパネラーの方々と同じ目線で感じると同時に、問題点と自然と向き合うことができて、このようなことは今までにないものだったので、非常に面白い体験ができました。シンポジウムに参加することで、初めて知ることのできる活動や考えがあるということを今回身をもって感じることができたので、今後も機会があれば積極的に参加していきたいなと思いました。

ゼミナール | Posted by satohshinya at October 28, 2011 5:24 | TrackBack (0)

2010年度ゼミナール情報

第6回ゼミナールは、横浜美術館で開催中の「高嶺格:とおくてよくみえない」の見学会を行います。
日時:2011年2月7日(月)
集合時間:10時
集合場所:横浜美術館正面
(2011.01.22)

第5回ゼミナールは、『完全避難マニュアル 東京版』の構成・演出の高山明さんを迎えたレクチャーを行います。
日時:2011年1月18日(火)17〜19時(時間が変更になりました)
場所:スライド室1
レクチャーに参加後、1月25日(火)までに1,200字程度の感想レポートをこちらまで送付してください。レポート提出者のみ出席印を押印します。(2010.12.14)(12.17追記)(2011.01.14追記)

第4回ゼミナールは、「墨東まち見世2010」の《100日プロジェクト》参加アーティストである山城大督さんを迎えたレクチャーを行います。
日時:12月16日(木)18〜20時
場所:スライド室2
レクチャーに参加後、12月24日(金)までに1,200字程度の感想レポートをこちらまで送付してください。レポート提出者のみ出席印を押印します。(2010.11.29)(12.17追記)

第3回ゼミナール見学先の『完全避難マニュアル 東京版』も開始しています(10月30日(土)〜11月28日(日))。ぜひ避難所へ訪れてみてください。こちらのレポートは12月4日(土)まで受け付けます。1,200字程度の感想レポートをこちらまで送付してください。レポート提出者のみ出席印を押印します。また、提出されたレポートは、このホームページ上で公開します。
本作品の構成・演出の高山明さんを迎えたレクチャーも行います。日程は決まり次第、ここで発表します。(2010.11.09)

第2回ゼミナールは、墨東エリアに位置する「旧アトレウス家」を会場としたアートプロジェクト作品を制作し、その発表を行ってもらいます。最大3人までのグループによる制作を認めます。表現方法は自由です。優れた作品は、2〜3月に実際に「旧アトレウス家」で実現できるかもしれません。
日時:11月25日(木)18〜20時
場所:スライド室2
「旧アトレウス家」を見学希望の方はこちらまで連絡ください。(2010.10.26)

第1回ゼミナールは予定通り「墨東まち見世2010」見学会を行います。
日時:10月23日(土)
集合時間:14時
(特に事前の参加者確認は行わないので、集合時間になったら出発します)
集合場所:京成曳舟駅(京成押上線)
見学予定:町影 【machi kage】 dance & music & film
     玉の井SHOW ROOM
     旧アトレウス家
     東向島珈琲店Pua mama、他
16時頃に曳舟駅(東武伊勢崎線)で解散の予定です。
見学会に参加後、10月30日(土)までに1,200字程度の感想レポートをこちらまで送付してください。レポート提出者のみ出席印を押印します。
当日は旧アトレウス家にて「福田毅ソロ3「アトレウス家・不在・福田毅」」が開催されます。有料のイベントとなるため、ゼミナール第2回課題出題のための旧アトレウス家見学は、希望者にのみ後日行う予定です。福田毅さんは、研究室が参加しているプロジェクト「墨田区在住アトレウス家」のコラボレーターです。見学会終了後、時間のある人はぜひ観てください。(2010.10.17追記)

2010年度ゼミナール情報は、決定次第、こちらのページで告知を行います。(2010.09.30)

ゼミナール | Posted by satohshinya at January 31, 2011 14:00 | TrackBack (0)

山城大督レクチャー

2010年12月16日(木)、2010年度第4回ゼミナールとして、アーティストの山城大督によりレクチャーが行われた。以下はそのレクチャーに対するレポートである。

山城氏のレクチャーを聞いて
長尾芽生
 山城さんのお話は最初から最後まで大変おもしろくて笑いっぱなしでした。ありがとうございました。
 今年は国内のみならず海外のアーティストのアート作品など多くの作品を見る機会に恵まれました。その中でも山城さんの作品は、見る人も含めて作品として扱っているように思いました。
 ニューヨークでの時計の展示では、全く異なる場所における人々を「宇宙」という誰にも操作できない絶対的なものによってみごとにつないでいました。これは、よく歌の歌詞にもあるような「みんな同じ空の下にいる」という概念と似ていると思います。故郷にいる家族、旅先で知り合った人、じっと連絡をとれずじまいの友達、地球の裏側の誰か……みんな同じ空の下で生きている。自分は地球に生きている60億人の1人に過ぎない。すごくベタでロマンティックだけどただの時計を作品としてみるだけで、一瞬みんな誰か自分以外の人のことを考えるでしょう。とても素敵な作品だなと思いました。
 ピアノレッスンコンサートでも日常の行動にアレンジを加えて、作品としてみるだけで普段気にしない周りの人のことを考えます。私も母がピアノの先生なので自宅にグランドピアノが置いてあります。週に3日自宅でのレッスンがあるのですが、毎回毎回同じ曲を弾いていてなかなか進まない生徒さんもいればすごく難しい曲に挑戦している生徒さんもいて学校から帰ってピアノの音がしているとチェックしたものでした。1人暮らしを始めてしばらく経った頃、ピアノの音がないことに突然物足りなさを感じました。それほど普段の生活に浸透している行為だったのだなぁと感じたのを思い出しました。
 ナデガタインスタントパーティーさんの活動は作品としての人という表現が最も分かりやすく出ているなぁと思います。自主制作24時間テレビの映像を見てて、自分も参加したいなぁと心から思いました。本当に楽しそうでした。高校の文化祭や体育祭を思い出します。一日だけのお祭り。高校を卒業するときに1番残念だったのはもう体育祭はできないんだということでした。クラスのみんなで一丸になってひとつのことに取り組むという機会はもうないんだなぁとすごく寂しくなりました。同時にこれからは自分1人で社会で闘わなくてならないんだと放り投げられた気分になりました。24時間テレビはそんなことを思って日々を過ごしている人々にエネルギーを注入できたのではないかと思います。山城さんは怖かったといっていましたが、それは山城さんが普段から、最初から最後まで1つのことを作りとおせる環境にいるからだと思います。多くの人はモノづくりの過程における一部のプロセスにしか関わることはできません。それはすごくフラストレーションが溜まっていくことだと思います。そんな人々にとって自分の中の何かを吐き出す機会だったのではないでしょうか。
 今回のレクチャーではアートってなんでもありなんだと思いました。もっと広い視野をもって日々の生活を送って行きたいです。

無題
箙景美
 「墨東まち見世2010」の「100日プロジェクト」参加アーティストである山城大督さんのレクチャーを聞いた。映像や写真の他に色々なインスタレーションのようなことをやっているようで色々な作品を紹介してもらった。
 “This alarm rings every hour.”では1時間に1回、アラームが鳴る時計を利用した作品である。同じようにアラームを設定した電波式の腕時計も利用し、NEW YORKのギャラリーへ設置する。アラームが鳴るたびにシンクロしていたりリンクしていたりする感じになる装置である。2つの時計が離れている場所にあってもつながっているというイメージが俯瞰してみることが出来る。
 “Time flows to everyone at the same time.”上の作品と同じようにシンクロする時間を体験したり俯瞰してみたりするものである。道を歩いていたらたまたま住宅から聞こえてくるピアノをもとに発想したものでピアノを利用する。「同時多発自宅演奏コンサート」を行う。住宅街において同時に50人ぐらいの人に協力してもらい、決まった時間に演奏してもらうものである。体験者はMAPを頼りに巡る。
 “People will always need people.”という作品はSLから車窓を撮影するものである。走り去っていくときの色々に人の反応が面白い。
 隅田川をつかったプロジェクトをおこなっているらしい。時計やピアノのプロジェクトで使った俯瞰してみるということとSLのプロジェクトで利用した移動するという要素を合わせたプロジェクトである。
 日常の小さな出来事の連続を俯瞰してみるということが作品になっているというのを見て、私の中で初めてのことでおもしろかった。また、時計のアラームがなったり、ピアノの音が聞こえてくるなど確かに気になることであるが作品にしようと考えない。それが現代美術として作品に出来てしまうのが感動した。
 ナデガタインスタントパーティーという他の方との活動もおもしろそうであった。最終的なものはおもしろくて笑えるものであるがそこまでにいたる過程が大変そうであった。山城さんも仕組み自身が作品だとおしゃっていた。また、そこで生まれるコミュニティーがすごい。青森でテレビを作っていらしたが、そこでは人々が盛りあがって、一つのものをいく人々の姿があった。私ももし参加していたら一緒に興奮して奇妙さに気付けなかったであろう。しかし冷静な目で第三者としてみた場合、やはり奇妙で怖いという印象を受けた。元ネタの日本テレビの24時間TVなら感動して盛りあがっていくのはわかる。私はマラソンのゴールのときは毎年感動して泣いている。私は指マラソンは面白いと思われる分類のものだと思っていた。それにも関わらずゴールにあんなに盛りあがり、感動している人々の姿にびっくりした。
 人間がたくさん集まるとすごいことが起きる。人間は不思議だ。

無題
杉本将平
 今回は、アーティストの山城さんにお話をしていただき、とても面白い内容でした。山城さんは、社会に対するメッセージなどではなく、自らの小さな発見というのをアートにしたいという狙いがあるということでした。
 最初に見せてくれたのは、腕時計が定刻にピピッと鳴る現象を使った展示でした。この実験のような展示から、吉島ピアノレッスンコンサートへと発展して行きました。同じことが同時刻に起こる現象に対して、具体的に表現できている面白い話でした。こういう話を聞くと、心の何処かにそれが残り、ピアノの音を町中で聴くと思い出してしまいそうでした。
 この後、見せてもらった作品はSLに向かって人々が手を振る映像と、風船が空を登っていく映像作品で、見た感じは何処か日常的な光景にも見えるし、異様な光景にも見える印象を受けました。これは、作製者の山城さん自身が持っている日常的な現象に対する小さな違和感が作品に現れており、それを作品の中に感じることができたためであると思います。自分自身はSLの作品が日常の中の非日常を感じることができ、好きな作品でした。
 後半のお話では、山城さんが参加されているNIP(ナデガタインスタントパーティー)の作品を紹介していただき、最初に紹介していただいた作品は、ネットで知り合った人々が集まりミュージカルのような劇をやるといったものでした。これを最初に見せていただいた時は、どういう所がアートなのかということが理解できませんでしたが「コミュニティアート」というキーワードが出てきたとき初めて山城さんの狙いなどが分かりました。NIPでの活動でも山城さんの作品の狙いなどは、最初にお話ししていただいた腕時計の作品と似た部分があるように感じました。それは、小さな発見や行動などが同時に起こることであり、ピアノコンサートもミュージカルも似た部分があるように思いました。次に紹介していただいたのは、青森で24時間限定のテレビ放送を行うというもので、先程のミュージカルの延長上のような作品でした。素人が集まって作るテレビ放送なのでやはり完成度としてはかなり低いのは当たり前ですが、山城さんのお話では、作品自体は空っぽといったものを目指していて作品を作る上でのプロセスに目を向けているとの事で、確かに劇もテレビも作成している所は面白いと思いました。こういった作品は、山城さん自身が人々にある枠組みを与える事で人々がその枠組みの中で自由に振る舞い、作品を完成させてしまう事に対し違和感を持っている事がこういう作品を生み出すのではないかと思いました。
 今回は今まで触れた事の無いアーティストの方の貴重なお話で面白かったです。話を聞いていて違和感を覚える点も多々あったのですが、自分には無い視点から物事を見る事ができとても面白かったです。

無題
堀切梨奈子
 今日は、短い時間の中で、アーティストの山城大督さんに、『山城大督』としての作品と、中崎透さん、野口智子さんとのユニット『Nadegata Instant Party』での作品の両方を紹介していただきました。とってもわくわくした2時間でした。
 『ピアノレッスンコンサート』。私はいつも、家でピアノの練習をする時に、ご近所に聞こえている事や、どこかから聞こえて来る顔も名前も年も知らないライバルをしっかり意識して、調子のいい時は窓をあけたり、うまく弾けない日は雨戸を閉めたりしています。
 『People will always need people』。SLに手を振る人、写真をとる人。あのスピードも、毎日どこかに出かける時に乗る電車で、感じる世界を思い出させてくれました。乗っているのはJRだけど、山手線や京浜東北、相鉄線と並行して走る時や、反対方面に向かう電車とすれちがう時に感じる不思議な距離感。
 他の、『the alarm rings every hour』も、風船の作品も、山城さんが『山城大督』として制作された作品は、私たちの生活に、どこか近くて、ちっちゃな毎日のシーンを少し特別に感じさせてくれるものでした。
 『Nadegata instant party』としての作品を紹介してくださる中で、山城さんから沢山でてきた言葉は、くだらないこと、やばい、すごい。どうなるのかはわからない、人の構造をつくって、それを全力で楽しんでいるのに、『やばいよねー』と楽しそうに話す山城さんがとても印象的でした。
 とくに、『24 our television』での、全力本気の人たちの集合体の迫力と、それに一歩引いたコメントをする山城さんが印象深かったです。それとなんでか少し、そのコメントに、安心に似たような気持ちも覚えました。きっと、あの沢山の人たちの全力と本気は、目の前にあるものを、よりよく、楽しく作り上げるだけで、評価や目的を気にしなくていいとゆう【くだらないこと】だからこそ出るものなのだろうなと感じました。突っ走るだけでいい状況や、そうゆう風に思えるシーンは、なかなか普段の生活の中では出会えなくて、後先を考えがちです。だから、あの構造物から生まれる全力は、すごいパワーをもっているのだと、私は思いました。
 『24 our television』や『offline instant dance』は、本当に楽しそうで、やっている人たちもみんなキラキラはじけていて、全力のヒトの面白さを感じました。

山城大督氏によるレクチャーを受けて
中山英樹
『The alarm rings every hour.』
 2つの腕時計がある。そして1時間ごとに同じタイミングでアラームが鳴るようにセットし、1つは持ち主が身につけ、もう1つはある場所に置いておく。別々の場所、時間に存在する2地点をアラームが鳴るたびにリンクさせる。ふとした瞬間に何かを思い出すときがあると思う。きっかけは匂いであったり、音楽であったり、味であったりするかもしれない。偶然に何かを刺激して、関係のないものを一瞬にしてつなげる。そういったシチュエーションを意図的につくり出してしまったのだと思う。この前段階に行っていた、「身につけている時計のアラームを1時間ごとに鳴らすことで、感覚的な時間と実際の時間との間にあるギャップを体感する」というものもそうだが、日常にある“気づき”を演出している。だから、想像力を掻き立てられるのだと思う。
『Time flows to everyone at the same time.』
 ある町のピアノを持った人々が一斉に練習を始める。ある日、ある時、ある場所で、偶然散歩をしていると、いきなり始まるコンサート。そんな情景を思い浮かべて心が躍った。映像では表現できないライブ感があると思う。映像にとって音楽は大切な要素であるが、音楽を映像化することの難しさも感じた。
『People will always need people.』
 SLの車窓から見える景色を黙々と映像に残す。今では珍しくなってしまったSLに向けて手を振る人々の小さなコミュニケーションが続く。ミニマルなBGMが流れることで、小さい行為の連続がスムーズに繋がっているように感じた。自分から手を振るわけではなく、ソトからの一方的なコミュニケーションを受け続けるということ、また、その対象は転換地点であり、移動しているということは面白いと思う。果たして、これらのコミュニケーションはどのような軌跡を描いて、どこに帰着していくのだろうか。気になる。
『24 our television.』
 氏の所属している「Nadegata Instant Party」による作品。1日限りで架空のテレビ局を開局し、24時間のテレビ番組を放送するというもの。さらに市民100人をスタッフに迎え、地元のメディアも参加するという驚きのアートプロジェクトである。ところどころにパロディを潜ませ、壮大なおふざけのような企画あり、それらを本気で盛り上げる、つくり上げるスタッフ。部分の映像を見ているだけでも面白い。しかし、客観的にみてみると一転する。コワイ。恐ろしいのである。どう恐ろしいのか、それはある種の新興宗教的な、はたまたマツリにおける熱狂のようでもある。ある集合体のもつエネルギーが、ある枠組みを通して内に発散していくという様は、インターネットというメディアととても相性がいいのだと思った。
 作品を作るうえで土台になる、作者の生活における“気づき”を表出させて、作品にあたる部分を“からっぽ”にしたい、と氏は仰っていたと思う。ぼんやりと分かったような気がする。いや、難しい。しかし、そこに想像力を掻き立て、心に響いてくる作品創りができる所以があるのだと思う。

山城さんのレクチャーを聞いて
堀木彩乃
 山城さんのレクチャーを聞いて、私はもうすこし日々のなかにアンテナを張ろうと思いました。中でも私が共感したお話が、時計のお話です。2つの腕時計が毎時間規則正しく同じ瞬間に鳴る。離れている遠い場所の事を、時計がピピピとなる度に思い出す。
私はたまに、夜中にぼーっとしていたり電車から外を眺めていると、同じ時間の流れの中にあるこの瞬間に、となりの家の中、私の知らない街、地球の裏側の国、海の深く暗い場所では何が起こっているのだろうと考えることがあります。それを考えることはとても不思議で、少しわくわくして、おそろしいくらい果てしない思考のような気がします。同時に離れた場所で起こっている出来事だから決して私からは見えない世界だけれど、それは確実にそこに存在して同じ時間を刻んでいるはずの世界です。
 山城さんは、それを2つの腕時計のアラーム機能を使って感じ取っていました。レクチャーの最中にも1時間ごとにピピピと音が鳴りました。お話を伺ってからそのアラームの音を聞くと遠くにあるもう1つの時計が頭の中によぎります。私が置いたわけではないけれど、話を聞いただけでそれはただの時計のアラームではなく、山城さんがおっしゃっていたように一瞬にして2つの時計の間をワープする合図のように感じました。いつも私が考えていた見えない世界の一瞬よりも、もっとリアリティのある感覚だったと思います。
この感覚は、50軒のお宅に協力してもらって実現したピアノレッスンコンサートでも同じことが言えると思います。同じ時間帯に同じ住宅街の中でピアノの音が聞こえてくる。それはなんとなく通り過ぎてしまえばただのひとつの現象で終わってしまうけれど、ある時間になったら同時にピアノの音が聞こえるというのは、不思議なことだと思います。それは、聞こえていない少し離れたピアノの音すら感じてとってしまう体験です。
 時計にしてもピアノレッスンコンサートにしても、山城さんが表現したかったことは、そこにある現象ではなくて、そこから感じとる感覚なのだと私は思いました。
 目に見えない感覚は、うまく言葉で表現できないけれど、私が間違っていないのならば、私は腕時計がレクチャー中に鳴った時に、山城さんが伝えたかったものを感じ取れたような気がしました。
 24 OUR TELEVISIONでは、山城さんは、企画に熱くなる人々をみて恐怖すら感じたとおっしゃっていました。一歩下がってみたらくだらないという人もいるかもしれないことでも、その輪の中に入って魅了されてしまうと、がむしゃらにやり遂げようとする。それが全てになる。そういう感覚を私も体験したことがあります。
なぜ夢中になるかの理由ですが、わたしはひとつ気付いたことがありました。それは、ひとつひとつのプロジェクトを楽しそうに笑顔で話す山城さんの姿でした。今回紹介してくださったプロジェクトは全て人が関わっていて、それは大人数だったり小規模だったりと様々でしたが、参加者はきっとあの笑顔に引っ張られるようにプロジェクトに夢中になっていったのではないかと思いました。

山城さんのレクチャーを聞いて
伊藤由華
Time flows to everyone at the same time
 まち全体でのコンサート。素敵だなと思った。空間的にも面白いし、何よりもそうとは知らずにそこで生活している人とかを想像すると面白い。私がもし、その街に暮らしていて、ピアノレッスンコンサートがあることを知らなかったとする。自分のまちの中に急に知らない人がたくさん来て、なんか知らないけど家の前に立っている。考えると何ともシュールな絵だなと思う。同じ場所で同じお時間で、同じ音を聞いているのに、たぶん意識のある場所は全然違うんだろう。方やイベント気分でまち全体を作品のような非日常的なものとして捉えているかもしれないが、もう片方ではそれは日常以外の何物でもないのだから。日常の中の私はいつも通りの駅までの道を歩きながら、そこらじゅうから流れてくるピアノの音を聞く。下手なのがあれば上手いのもあるだろう。はたして私がそれに気付くことができるか甚だ疑問に思う。でも、気づきはしないけど、なんだか今日の通学路は楽しいなくらいに感じていたらいいのにと思う。気づいてもいないのに、つられて鼻歌でも歌ってたら心底面白いんだろうなとも思う。
People will always need people
 SLから見た人々をとり続ける。私はこれが一番好きだと思った。映る人映る人皆手を振っていて、なんだかくすぐったくなった。特に、いつまでも手を振り続けている人とかを見ると、自分が田舎から見送られているようなちょっと暖かい気持ちになった。近所のおばさんに「行ってらっしゃい」と声をかけられたときに似ているかもしれない。しかも、この映像ではそれが永遠と続くので、くすぐったさエンドレである。たまに手を振りもせずに見つめてくる人や、振り終わったらすぐに踵を返して帰って行ってしまう人などもいたがそれでも一応見に来るんだなとか考えていると飽きがこなかった。

山城さんのレクチャーに関するレポート
吉岡未央
 スライド室に入って、パソコンの前に座っているのはTAだと思っていた。現代アートと呼ばれる分野の先駆者は、もっと奇抜で風変わりな人であるというイメージのような偏見のようなものを、山城さんに一掃された気がした。山城さんの学生のような雰囲気(実際に大学院生ではある)が、そして友達と同じような語り口が、なんとなく敬遠していた現代アートの敷居を低くさせた。
 印象的なのは、蒸気機関車からの映像である。着眼点が面白かった。それに、どうしても何か結果を求めてしまう考え方に陥ってしまう私が、単純に「カレーが好き」と同じような感覚で「この映像好き」と感じることができた。ようやく、絵画を鑑賞するときと同じ感覚で、現代アートと呼ばれるモノ(彼の感性)に触れた感じがした。
 赤坂のお祭りで行った即興演劇や、青森の24" our TVは、いまいちピンと来なかった。彼のロマンチストさやその表現方法が、nadegataに加わると豹変することは分かった。というより、アートの幅が広いと感じて驚いた。しかし理解するとか感動するとかではなく、今回は第三者として見た感想は「面白そう」であった。こういう波が、アートに限らずいろんなところで生まれて広がっていくから、人の繋がりが構築されていくのではないか、と感じた。さらに、これらのプロジェクトは、構築されて行く過程をアートとして具体的に表現していると思えば、私は「これが彼のアート作品である」と、感じることができる。
 最後に紹介していたプロジェクトは、青森と似たものがあったが、地域を巻き込んで行うプロジェクトというのは地域活性に直接的に繋がる。どうしても利益を考えてしまうが、傍から見たらボランティア精神と捉えられてもおかしくない、nadegataの掲げるテーマやメソッドは、楽しそうで羨ましい。
 それでもやはり、自分には決してどっぷりと浸かることのできない領域であるな、と感じたのも事実である。

ゼミナール | Posted by satohshinya at December 24, 2010 3:28 | TrackBack (0)

『完全避難マニュアル 東京版』鑑賞

2010年度第3回ゼミナールとして出題された、2010年10月30日(土)〜11月28日(日)まで開催されていた『完全避難マニュアル 東京版』鑑賞に対するレポートである。

完全避難マニュアル 東京版レポート
箙景美
 田端→池袋→代々木→秋葉原→浜松町の順番で最終日に5か所めぐった。
 田端では酒屋で飲み物を買い、さらに会計の際に地図の続きをもらいその場所に行く、というものである。最後に「まれびとハウス」というシェアハウスでありイベントスペースにもなっているところにたどりついた。
 池袋はF/Tステーションから地図と赤と黄色の標識に従って避難所に向かった。避難所は駅の目の前にある建物の三階であった。そこはネットカフェに近い雰囲気で「個室都市 東京」のDVDが観れるようになっていた。DVDの内容は色々な人にインタビューするものだった。
 代々木では言葉で書かれた地図に従って目的地に行く。地図には張り紙に書かれていることも書いてあった。最後に書かれた『本のある、たくさん本のある、私たちがそこでたくさんの言葉を閲覧し、借り出す事の出来る、その場所へ、入っていく。』という指示に従って建物のなかに入っていった。ついたところは図書館カフェHABI ROADであった。そこでは飲み物を飲みながら置いてある本が読めるところである。私はハーブティーを飲んだ。ハーブティーなのに普通に日本にあるお茶みたいだった。店の人がマコモという植物を使っていると言っていた。店の人によるとマコモは体にいいらしい。店の人は色々なことを知っていて話が面白く一時間くらい聞いていた。
 秋葉原ではラジオセンターの4階に避難所があるのだが地図で見たより場所がわかりにくくたどりつくのに大変だった。スタッフオンリーのところをさらに奥に行くときは躊躇した。避難所ではコスプレした女の子と15分話が出来るというものであった。私はにぼしさんと言う人と話した。今季のアニメはなにがいいかおしえてもらった。最後におみくじを引いた。エルシャダイのイーノックの「大丈夫だ、問題ない。」が当たった。色々お話してストレス発散した。
 最後に浜松町に行った。夜景がきれいだった。田端で買った酒を飲みながら夜景を見た。よい終わりかただ。
 現代社会からいかに避難してこれから生きていくのかを考えた。自分の「避難所」がないと生きていくのにつらい。完全避難マニュアルで色々な「避難所」を発見し、体験するのはいいことだった。また色々な人と交流出来よかった。

作品に参加して
田島雄一
 インターネットで公開されている作品についての説明には、本作は、観客がインターネットから参加する演劇作品とされていますが、インターネット上で指示された場所で何が起こるのか、そもそも何をしに行くのかがわからず、初めは戸惑いました。まったく知らない場所に向かう、しかもそこで何をするのかわからないという経験は普段の生活ではまずあり得ないことで、作品に参加した一日は自分を離れた場所から客観的にみているような、まるで現実の世界ではないような、不思議な感覚でした。自分の演じている劇を全く同じ時間に客席からみているような感じで、人を誘導するシステムのみを設計するこの作品の手法はまさにフェスティバルトーキョーの「演劇を脱ぐ」のテーマのとおり、観客と舞台との距離を取っ払った、まったく新しい視点からの演劇の鑑賞だったと思います。
 今回作品に参加するなかで、自分と同じ大学生以外にも高校の先生、秋葉で働くおじさん?や詩人の方など普段はまず話す機会のない方達と接することができました。掲示板やブログ、最近はTwitterなどでコミュニティをつくって世界中の人たちと交流をもてるようになりましたが、あくまでウェブ上であって実際に会って話すという機会はほとんどありません。また結局は似た者同士が集まったコミュニティになってしまいます。しかしこの作品に参加したことで出会う人たちは、ネット上のように似た者同士のコミュニティではなく、自分とは全く違った人たちばかりで、今までにない本当に貴重な体験でした。
 コミュニティと観客が出会うためのシステムの設計というのは建築の設計のように目に見えるものではないのですが、目に見えないなにかによって実際に自分が誘導される感覚にこのシステムのすごさを感じました。作品を通して今までと全く違う視点から物事をみつめることができ、その大切さを実感しました。

『完全避難マニュアル 東京版』体験レポート
中山英樹
 「フェスティバル/トーキョー10」関連作品の1つとして演劇を脱ぐ、「脱・演劇」を掲げたものである。という少ない知識だけを携えて、私はとりあえず体験してみようと思いネットにつなげた。何も情報を持っていなかったので、いつ・どこで上演しているのかというのを調べにホームページへとんだけれど、まずそこで驚いたのがいきなり始まるアンケートである(過去の作品『個室都市 東京』から考えればインタビューという単語のほうが望ましいのか)。ここで機械的に繰り出される質問に答えていくと、山手線各駅の付近に設置された避難所29ヶ所のうちの1ヶ所への行き方を教えてもらえる。これは回答者の答えによってそれぞれ違った場所へと導いてくれるので、なんだか自分の居場所を与えられているようで、安心というか期待というか不思議な気持ちになった。私の居場所は“池袋”である。
 最寄りの駅から山手線にのり池袋をめざす。電車に揺られていると、『完全避難マニュアル』のロゴの入った紙と地図のコピーをもった一群が途中の駅で降りていくのを見かけた。「ぁ、この人たちはここが避難所なのかな」と小さな仲間意識が生まれ、また、今この電車には一体何人の避難民がいるんだろう、なんて思いもした。そうこうしているうちに池袋に着いて、地図のスタート地点に行ってみると、ロゴと矢印のついた道案内が申し訳程度に付いているのを見つけた。ちょこんとしていてかわいい感じだ。知らない人は気付かないレベルでの意思共有と点々と現れる誘導にわくわくしていた。なんだかRPGのようである。どんどん導かれ、ときには上り、ときには下り、商店街のような場所も通った。ゴールへと着いてみるとスタート地点のすぐ近く。まんまと踊らされたような気がした。避難所へは小さなエレベーターへと乗って4階で、ビルもひっそりと静かで隠れ家のような佇まいである。すこし不安もあったけれど、おそるおそる入ってみる。4階についてみると怪しげなカフェのようなものがあり、なかは避難民で賑っていて、なんとも不思議な空間が広がっていた。そこでは、過去の作品でもある『個室都市 東京』の映像作品が観れたり、避難民同士でコミュニケーションをとれたりできるようになっていて、避難民初心者の私に避難方法を教えてくれる親切なスタッフがいた。私はひとまず映像作品を観てみることにして、個室にこもった。面白かったけれど、コミュニケーションを取りに来たのに、なんか違う、と思い他の避難民とテーブルを囲んでみた。そこには様々な人がいて、学生で私と同じように大学関連で知ったという人や、なんか街中のロゴが気になってふらっと訪れた人、お話は出来なかったがさっきまでアーティストの方もいらしたようである。この都市から隔離された場所にこれだけ別のベクトルを持つ人間が出ては入っていく空間があるのだなんて、見えなかった可能性が広がるような気持ちになった。1つの完結した場が存在する点で「イヴの時間」というアニメーション作品が頭に浮かんだ。その日はその場所だけで家路についたが、違う避難所にも行ってみたいと思った。
 演劇には演者と観客という役割が存在すると思う。観客が作品の一部となる体感型のものもあるが、『完全避難マニュアル 東京版』では客である主体の自分が演者と観客を同時に演じているように思う。それはHPを開いた時点で始まっていたのか。ずっと続いていたものに気付かされただけなのか。ただ私は今回の体験で自分の中に持っていた“演劇”という言葉を壊されたような気がする。自分なりに「脱・演劇」の一端に触れられたのではないかと思う。

完全避難マニュアル 東京版感想
堀木彩乃
初めてその名を聞いたときはなんの事だかさっぱりわかりませんでした。完全避難マニュアル 東京版?避難所を巡る?……防災関係のプロジェクトかな?と、見当違いな予想をたてたりしました。インターネットで検索し、誘導のままにクリックしていくと、たどり着いたのは『日暮里』という駅名。こうして私はこのプロジェクトに足を踏み入れることになりました。
最初に避難所に向かった日、時間は夕方過ぎであたりはもう暗い時間でした。あいている避難所を探し、大崎へと向かいました。頼りになるのはシンプルな地図だけ。目的地についてみると御世辞にも新しいとは言えない小さなビルでした。「え?ここ?」と何度も建物の形を地図と照らし合わせて確認。でもどうやらここのようでした。「入っていいのか……」とおそるおそる足を踏み入れ、目指す部屋番号のドアの前へ。囲碁の会の看板が気になりながらもノックをすると、出ていらしたのは老夫婦でした。奥さんが「なに?」という表情を浮かべたので本当に間違えたかと思いました。しかし奥から顔をのぞかせたご主人のおじいさんが、部屋の中へと招き入れてくださいました。
避難所ってこういうこと?と驚いたのを覚えています。初めて訪れた避難所は、あまりにもこじんまりとしていて、あまりにもプライベートな空間に感じたからです。初の避難が囲碁の会の一室。囲碁ができないことを告げると困った顔をされました。「本当はここで囲碁の対決をしたりするんだけどね。」そう言いながらおじいさんは「これを渡す決まりみたい。」と、一冊の本をくださいました。それは村上春樹の小説でした。『次の避難所へのヒントがあります』という添え書き。『ここはどこでしょう』というしおりのページには銀座のあたりの描写。次の避難所は銀座の近く、有楽町でした。
その後、しばらくご夫婦とお話をしてから避難所を後にしました。初めて来た大崎で、さっきまでまったく知らなかった人と世界共通語についての話をしました。それは非現実的でとても不思議な体験でした。もう二度と会う事はないかもしれないけれど、帰り道は避難所に向かった時の道とは全く違って見えて、楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。
大崎、有楽町、浜松町、鴬谷、池袋。決して行った避難所の数は多くありません。鴬谷では避難民の方たちと輪を作ってお酒を片手にいろんなお話をしました。初対面なのにあれだけ楽しく、まるで昔からの友達のように和やかな空気が流れていたのは、避難所にきている仲間というだけでつながることができたからではないかと思います。知っている人しか知らない楽しみであって、なんだか秘密を共有しているような感覚になりました。
そして、全てに共通して言えることは、特になにがあるわけでもないという事です。囲碁の会でも、セットのようにそれが作られたわけではなく、私がそれを知らなかったときから当たり前のようにそこにあったものです。言ってしまえば、そこにある風景を見に行きそこにいる人に会っただけなのです。それなのにこんなに楽しくて不思議な気持ちになるのは、その風景をいつも私たちが見落としてしまっているからなのかなと思います。
改めて示されたその避難所を、そこを意識して目的地として向かうと、急になんだか特別な場所、風景になりました。
きっと、意識をすれば、今回の避難で感じたような新鮮な気持ちは周りにある日常からも拾う事が出来るかもしれません。そう思わせてくれる、とても楽しいプロジェクトでした。最後に、なぜか日暮里に行くのをすっかり忘れてしまった事だけが残念です。

完全避難マニュアル 東京版 品川にて
伊藤由華
品川では手相を見てもらえるという情報を聞き、私は予約の電話を入れた。なんとか無事に手相を見てもらえることになり、一路品川へ。地図で示された場所についたはいいが、避難マークが見つからず、マクドナルドの前の休憩所を何気ない顔で何度も行ったり来たり。要するにただの不審者である。一組み一組み遠目から確認してみてもやっぱりいない。どうしたものかと座って休憩して見ても、やっぱり目的のマークは見つからない……。
結局しばらくしてから心が折れ、電話で本部に確認するという何とも情けない手段でマクドナルド内にいた目的の人物を見つけ心底安心した。この不自然な待ち合わせは、周りの人から見たら面白いのかもしれないな、と思いながら席に着く。まずは意気込みたっぷりに、就職活動について聞いてみた。簡潔に言うと結果は無理かもしれないとのこと。思わず笑ってしまった。なんでも、内定の線がないらしい。一応そのほかの線も見てもらい、自分の特性などを聞き思ったより早く診断は終了してしまった。これじゃあ早すぎるかな、とそのあと手相を見てくれたおねえさんとぐだぐだ話してみたが、就活に対するアドバイス等をくれたりとおねえさんは非常に親切な方だった。偶然出会ったわけではないけど、お互い顔を知っていたわけでもなく、まったくの初対面のおねえさん。話していると、彼女にも彼女の生活とか歴史とかがあるんだなとなんだか妙な感覚に襲われた。RPGっぽい出会い方故におねえさんのことをあまりリアリティーのない存在だと思い込んでいたらしい。今思えばなんだか不思議な体験をさせてもらったなぁとしみじみ思う。
ちなみに現在も私に内定の線はなく、自分の爪で溝をつくる日々続いている。

ゼミナール | Posted by satohshinya at December 6, 2010 8:58 | TrackBack (0)

墨東まち見世2010見学会

2010年10月23日(土)、2010年度第1回ゼミナールとして、「墨東まち見世2010」の見学会が行われた。以下はその見学会に対するレポートである。

「墨東まち見世2010」見学会レポート
箙景美
 墨東エリアは曳舟、京島、東向島、八広、押上などで、下町と言われるところである。下町と言われているところに行ったことがないので町を見てまわるだけで新鮮だった。人工的に作ろうとしても出来ない個性やおもしろい風景を見ることが出来た。さらにアートプロジェクトを通して町の面白さや魅力など普段気付けないところまで発見できるのだろう。
 一番初めに行ったyasiro 8は町工場を改装したところである。色が濃くなり雰囲気も出ている梁、柱、床が魅力的であった。その魅力を残しつつ改装していたのがよかったと思った。アートなどのイベントを行い、色々な人がイベントを楽しみつつ、この昔の住宅のような落ち着く空間も楽しめていいなと思った。「墨東まち見世2010」において町影という企画をやっていて当日は「アートスペースについて、話そう」という座談会が行われていた。どうやって切り盛りしていくかみたいな話しをしていた。
 玉の井SHOW ROOMでは作品展示が行われていた。作品の一部である水槽の中に魚がいて、会期中、作品は少しずつ変化します。とパンフレットに書いてあったのが理解できた。
 旧アトレウス家に行った。そのときイエス/ノーゲームが行われていた。2番から質問が始まっていた。イエスかノーを答え、指示されたところに行き次の質問を再び答えるというものであった。途中の質問で2番に再び戻ることになり無限ループになっているとわかった。これによって質問をさがして家の細かいところや普段見ないところを色々見ることが出来てよかった。イエス/ノーゲームで普段では見ないところや気付かないことを発見させてもらう機会をもらっていた。
 アートプロジェクトを通してコミュニケーションがとれる。いらない靴下を集めて巨大靴下をつくるという「サンタさんやって来て!」プロジェクトでは靴下を通してコミュニケーションがとれていいと思った。また、アートプロジェクトは展示やパフォーマンスだけがおもしろいわけでなくインフォメーション屋台などのよりイベントを楽しむためのサービスも魅力であると思う。
 墨東エリアの魅力を色々な形で体験できてよかったと思う。もともと住んでいる人たちも新たに魅力が発見できたと思うしコミュニケーションもとれてよいイベントだと思った。

墨東まち見世2010を見学して
堀木彩乃
 墨東まち見世2010というプロジェクト。初耳だった。アートとプロジェクトというと、設置された会場でアーティストが制作活動をしたり個展を開いたりする、そういうイメージがあった。
 まちとアーティストなどのプログラムをつなぐ。拠点としているエリアをそのまま見せてしまう。そして時に、その経営方法や指針なども、「座談会」という話し合いの場をつくり公開する。かたちのあるプロジェクトというよりは流動的なプロジェクトという印象を受けた。
 見学した『町のアートスペースについて、話そう』は、静かなものだったが、このプロジェクトがどのようなものか少し理解する手助けになった。
 会場となっていたyahiro8は土間が印象的な懐かしい雰囲気のある一軒家であった。土間は外と中が侵蝕しあう合間で、出会いや創造が生まれやすい空間だという。ぼんやりとだが、なるほどなと思った。家の中だが外でもあるような空間では、一段上がったスペースに出来た輪にも、土間から自然と加わることができた。といっても一方的に聞いているだけであったし、計画になかった突然の見学だったため途中で退出したが、面白い体験だった。
 座談会の内容は、主に、どのような趣旨で活動をしていて、どのように資金を調達しているか。というものだった。印象的だったのは、ある運営者の方が、やりたいことがあるうちはやるが、なくなったらやらないというように、活動を決まりごとにはせずに自由気ままに縛られずに運営していくという意向を語っていたことだ。資金調達の方法にしても、ラスクを売って賃貸料の足しにしている運営者がいたり様々で、こうした意見の交換を通じてまた新しい活動を始める人もいるのではないかと思った。
 座談会を抜け出し、また散策をした中に見つけたいくつかのプロジェクト。現代美術館として使われているという場所もあった。どのような作品が展示されるのか気になったのだが、最近は活動が少なく、当日も閉まっていたのが残念だった。
 ほとんどは小さな空間を使ったプログラムで、無人の場所があれば若いアーティストの工房を特別に見せていただいたり、なかなか素朴であった。きっとこのようなプロジェクトがあると知っていても、ピンポイントで開催時間が決まっている訳でも、決まった会場が1つある訳でもないため、訪れる個人の行動力と人脈に左右されるような気もした。なので、工房を見せていただけたのはとても嬉しかった。うす暗い車庫のような空間にホコリを被ったやかんがなんとも言えずマッチしていた。きっと冬はヒーターを持ちこんで作業するのだろうか。寒そうだが想像すると楽しそうだった。こういう自分だけの空間を持っているのは羨ましいと思った。
 墨東まち見世は、普段なら通り過ぎてしまうような当たり前にある風景の中で色々なプログラムが行われていた。実際はまちを散歩しているような感覚だが、随所にプロジェクトの拠点が点在していて、見つけては見学したり参加したりするというのは不思議な体験であった。今回私は旧アトレウス家は見学できなかったのだが、また行く計画を立てたので、そこを見た後にもう少し広い範囲を散策してみようと考えている。そしてもっと理解が深まることを期待したい。

第一回ゼミナールレポート
堀切梨奈子
 土曜日の朝。赤い電車にのりました。最近出会ったあのまちをめざして。偶然に、向かうべき駅が違うことを知りました。だから少し、遅刻しました。

 まちを歩きました。墨東まち見世に少し絡まりながら。
 ぞろぞろ歩く私たちを、おいしそうな厚揚げを売っている豆腐屋のおじいさんは、こわい顔で睨んでいました。座談会ではまちのひとがアートスペースのつくりかたを力説。わっかになっていました。本物のほうじょうさんをみることができました。秘密基地みたいな工房や廃墟を歩いてめぐりました。踏切を渡る時、不思議な気持ちになりました。そういえばこのへんで、踏切を渡るのは初めてでした。
 自転車の旅の途中のその少年は、思いのほか長かったその髪を、後ろでひとつに束ねていました。それにしても彼らはおしゃべりに花が咲いてしまっているようで、まったく出発する気配がありませんでした。
 百花園の前のきびだんご屋のおばちゃん。ちょうど1週間前にもおだんごを買って、いっぱいおしゃべりしたのに、たくさんおまけしてくれたのに、まるっきり忘れられていました。悲しかったです。きびだんごは今日もおいしかったです。ちょっとゆですぎだったけど。

 アトレウス家不在。家主が留守のあいだに、アトレウス家の中をあっちへ行ってこっちへ行って。のぼったりおりたり。同じところになりそうだったら嘘をついてちがうところに行きました。本当は嘘をつきたくなかったけれど、3回も同じところにいってしまうと、嘘をつきたくなってきました。物置は暗かったです。だから誰かがいるなんて、思ってもみませんでした。立てかけられた梯子から伸びる足。びっくりしたけど、ゆかでした。いままででいちばん、あの家の中をじっくりみました。悔しかったことは、ハムレットを開けなかったことと、次の日筋肉痛になったことです。

 最近よく思うことは、知らない事ってとても残念だということです。知らないことがありすぎます。新しいことに出会いすぎます。このまちも、つい最近まで知らないまちでした。このまちには不思議がいっぱいでした。最初に不思議なまちと言われているからそう見えるだけかもしれませんが。どこかにつながる細い道がたくさんあって、個性あふれるガーデニングと、行くたびに成長しているスカイツリー。都会の気配をすぐそこに感じるのに、ここに都会はありません。
 新しいなにかに出会うと、自分がいままでどれだけそれに関して無意識に毎日をすごしてきたのかがわかります。そんなことするんだ。そんなこと考えるんだ。はじめてと出会うのはすごく楽しいです。楽しすぎて少し不安になるけど、楽しもうと思います。帰りは赤い電車に乗らなかったので、かえってきた気がしません。
 とりあえず、双六をつくろうと思います。こんどは自分が筋肉痛になるのではなくて、誰かを筋肉痛にさせたいです。

「墨東まち見世」見学会レポート
丹下幸太
《yahiro 8》座談会『町のアートスペースについて、話そう』
 スタジオ兼アートスペースとして工場であった建物を、コンテンポラリーダンサーのオカザキ恭和さんがリフォームを進めている、アートスペース。当日は座談会が開かれ、yahiro 8のようなアートスペースを実際主宰として運営している方々が集い、現状などを話し合っていた。家賃として3万円台から20万円を超えるところまであり、それぞれのスペースが場所や規模も様々であり、運営の仕方も「毎日なにかしらのイベントをやっている」ところもあれば、「近くのパン屋でもらったパンでラスクを作り、それを売って運営費の足しにしている」といったところまでと5つのグループでもそれぞれ違った話が聞けた。アートや自分の好きなことを貫くのは大事なことであるが、とても難しいことなんだと改めて感じた話であった。
《SOURCE Factory》
 使われなくなった古屋を利用しているアーティスト・イン・レジデンス。アトリエとして使われていた家の奥の部分は本当に古く、見学させてもらった際には生活の不安を感じたが、これこそがアートなんだといった創作に満ちた印象を受けた。道路に面した部分はきれいに改装され、小さなギャラリーとなっていた。まだきちんとした展示はされていなかったのだが、いつか機会があれば訪れてみたい。
《玉の井SHOW ROOM》
 工務店の空いている1階スペースに設けられたもの。展示しているものはよく意味が分かんなかったが、このような個人の協力というのが、アートプロジェクトやまちづくり、発展には必要となってくる要素なのだと感じた。
《旧アトレウス家》福田毅ソロ「アトレウス家・不在・福田毅」
 座談会などで時間が押してしまい、結局最終目的地となってしまった旧アトレウス家。個人的には2度目の訪問であったが、今回は福田毅さんのソロ公演が行なわれており、また前回の訪問が昼間だったこともあり、夕方の訪問で異なる感想を持てた。「アトレウス家・不在・福田毅」は演劇ではなく、紙に書かれた質問を答えること、言わば YES/NOゲームで家の中を巡るもので、トイレや屋根の上、ポストの中や物置きの中まで質問が隠されており、無意識のままに家の隅々まで見入ってしまった。特に印象に残ったのは階段上と押し入れを繋ぐ穴や、押し入れを上から覗ける2階の木板の隙間であった。役者さんのソロ公演と聞きどんなものかと考えていたが、単純なゲームの反復により身体的な「記憶」としてアトレウス家とは何ぞやということを残し、ゲームの終えた後にその本質を見せる。ゲームとしては同じ質問のループを繰り返してしまい、個人的に楽しかったとは言いづらいが、アトレウス家を経験するということに関しては素晴らしい機会となった。夜になり日が暮れるとアトレウス家はさらに奇妙さを増し、さらに興味深い空間であった。これからも行なわれるイベントに期待したい。
《墨田まち見世を見て》
 今回のゼミナールを通して、全体は回れなかったがこのイベントの雰囲気やコンセプチュアルな部分は多いに楽しめた。今年で20年続いているイベントなので、これからも続いて、なおかつイベントとしてどんどん大きくなって欲しいと思う。自身としても今回のように小さなイベントにも率先して参加し、これからも色々と勉強したいと感じた。

無題
福田朱根
フォロー、リムーブ、フォロー、リムーブ。
ワンクリックで相手の発言をタイムラインという自分のお皿に取り分けることが出来る、ツイッター。
申請や承認といった手順を踏まずに、追う事が出来る。さて今度は、相手に興味がなくなったら、こちらもワンクリック。
誰だか分からない相手にも、なぜか興味を持たれたり、見切られたりする。それは相互に可視化されて、伝わる。逆に、相手のタイムラインだけでなく、フォローを見ると、その人の関心の対象や、人脈等が垣間みられる。
yahiro8に行ったその帰りの電車で私はツイッターを見ていた。タイムライン検索で’yahiro8’と打った。

>子供に「仲良くしなさい」と教える前に、「仲に入れてもらえない」時の対処を教えたい。努力を教える前に、挫折からの立ち直りを教えたい。(@sohbunshu )

よく見るとその前にRTの二文字があった。そのツイートをリツイートしたのが、yahiro8に参加されていた方の一人であった、往来信太さんだった。(@ShintaRaiju)

>yahiro8での座談会に参加してきました。自分的には100点中47点。なんだか、話の内容が、運営の実務的なことに終始してしまった感じ。いまRAFTでやっている自分なりの挑戦や、これからのビジョンについてしっかり伝えられなかった。もっと事前に話す内容を整理するべきだった(引用)

後悔ともとれる言葉が並ぶ。続けて、

>でも、この座談会に呼んでいただけて、よかったです。yahiro8は、風通しが良く、とても明るい空間でした。だれもが気軽に立ち寄れて、居心地の良い空間を大切に作っている感じがしました。また遊びに行きたいです。(引用)

それでもなお、参加して良かったとの感想を述べている。タイムラインを遡る。
10月17日。

>ダンサーのオカザキ恭和さんが墨田区八広にアートスペースをオープン。オープンに先がけ『町のアートスペースについて、話そう』という座談会を開催。その座談会に僕も参加します。人前で話すのとか苦手だな〜、大丈夫かな?自分?でも、せっかく声をかけてくれたので、参加してきます!(引用)

不安をかかえての参加だと述べた上で、さらに続けてこう告知する。

>座談会に参加することで、他の方々の活動から刺激をもらえると思うし、人前で話すことで整理されることもあると思うので。詳細は〜(中略)。ご興味あればぜひ!(引用)

と。自分の苦手な事に立ち向かって参加し、結果に満足していないようだが、他の方からの刺激は受けられたのだろうか。
往来さんは’だれもが気軽に立ち寄れて’とツイートしていたが、私はそう思わなかった。扉が半開きになっているにも関わらず、入りにくいと感じた。中に入ってみると、外観からは想像しなかった、爽やかな風が抜け、思ったより明るく、居心地のよい空間になっているという印象を受けた。
今回伺った座談会に地域住民や民間がどれだけ関心を示しているのか知りたくて、車内で検索をかけた。キーワードこそ極めて具体的であったために、これだけでもの申すのも気が引けるが、検索結果に一人しか引っかからなかったのは、大変遺憾である。
archiTV2010を彷彿させてしまいそうだが、今回の座談会のようなものは、それ自体が終わったあとに議論が出てくる事で、次に繋がるものになると思う。それが墨田区のアートを介して活性化していくときの鍵となってくるのではないかと思う。その場があるのか否かを調べるのが今の私の課題である。
このように、見ず知らずの女子大生に自らの作文を引用される時代である。この人ダンサーが好きなのかな、などと推測されてしまうシステムがある。レポートを書くためにフォローし、こうしてレポートを書きおえたらリムーブしようとしている私がいるのである。
無我夢中でオニから逃げ回ったり、家の戸を開け放したままペンキ塗りをしたり、のんきに道ばたで丸くなっている場合だろうか。
ただ、墨田区にあったその風景は、手のひらの冷たい空間に相反して、暖かく、魅力的であった。

見学会レポート
伊藤由華
 今回、墨東まち見世2010を見学した。
 私はこのアートプロジェクトに過去訪れたことはなく、今回見学するにあたって下調べを行った。そこで「地域に息づく多様な文化の視点を通し、これからのまちと暮らしを多方面から探っていく」とあった。数が少ないのか、そこまでまちに作用しているイメージはなかったが、 まちの中で自然にアートプロジェクトが進行しており、新しいまちと暮らしの形を垣間見ることができた。
 特に座談会の後急きょ見学させてもらえることになったアトリエが強く印象に残っている。このアトリエは、最近越してきたばかりらしい。小さな町工場をそのまま利用しており、広さは十分、住むのに少し難があり、2階には空につながる扉が設けられた物件であった。最近、このようにアートプロジェクトがきっかけで墨東エリアに移り住んでくる人が増えているらしい。見学したのが土曜日だったためか子供が多く、活気のあるイメージを受けた。今後も移り住む人が増加していき、昔ながらの住宅街の景観を残しつつ、その実、芸術家たちばかりが暮らす芸術家村のようなまちになったら、さらには、子供たちの活気とうまく合わさった芸術家村ができたら、とても楽しいのではないだろうかと思った。
 そのあと向かったアトレウス家では、Yes Noゲームを久しぶりにした。建築がおばあちゃん家を思い出させる雰囲気だったからか、小学校ぶりのゲームだったからか、場所見知りすることもなく終始リラックスした空気であった。あのゲームをこの歳でやることになるとは。また、階段屋根上の破損部分を生かした照明や、2階の床の隙間から見える倉庫のはしごなど、興味深い点が多々あった。次の課題ではあそこで冬にやることを考えるわけだが、あの空気感を生かすことができるような企画を考えていきたいと思った。
 まとめると今回の見学会は、おいしいキビ団子も食べれたし、建設中のスカイツリーも初めて見ることができたしと、いいこと尽くしな見学会だったように思う。

墨東まち見世2010を巡って
長尾芽生
 もともと現代アートに興味があった。ホワイトキューブの中に展示されているアートも素敵だけれど、私は町全体が展示会場になっているような空間が好きだ。例えば、越後妻有トリエンナーレや、瀬戸内国際芸術祭、ベネチアビエンナーレなどで見られる表現方法だ。普段は際立った特徴もなくゆるやかに時間が流れている町も、このイベントの期間は異なる顔をみせる。全国各地から多くの人が集まり、町が活気付く。それは、ある種の起爆剤のようなもので、その土地に秘められたパワーみたいなものを一気に爆発させる舞台である。
 去年、越後妻有トリエンナーレに友人と行ってきた。新潟の山奥を舞台にして行われていたこともあり、歩きでは到底巡れなかった。バスやタクシーを使って何箇所かは回れたが少し道に迷ってしまった。そんな時、1台の車が停まった。声をかけてくれたのは50歳くらいの地元で体育教師をやっている女性だった。彼女は山をまたいで何百と展示されている作品を全て回ったのだという。自分の住む町が注目されているのが嬉しく、地元に住んでるからにはぜひ参加しなければと思い立ったそうである。これこそが町をつかってアートプロジェクトを行う醍醐味である。芸術祭の設営や運営には地域住民の協力なくしては成立しない。そして、その活動が地域住民へのいい刺激となり、その土地を愛していこう、より知ってもらおうという気持ちを生むのではないだろうか。そんな気持ちにさせるイベントであったらいいと思う。
 しかしながら女性は、期間限定なのが寂しいねぇとも言っていた。ここに住んでいる人はイベントが終わったらまた普段どおりの町と共に過ごしていく。そしてまた2年後なのか3年後なのか……それは当然のことだが残される者の切ない気持ちというのは理解できる。
 今回の墨東まち見世で大変感銘を受けたのは外から来た運営側が実際にその地に家を借り、住みながら運営を行っているという点であった。yahiro8で初めて実際に現地に住みアートプロジェクトの運営に携わっている方のお話を聞けたのは大変勉強になった。実際にお仕事と両立させて運営されてる方もいればほぼプロジェクトの運営だけで生活を成り立たせている人もいる。形態は様々でいろんなやり方があるんだなぁと思うと同時に一気に近くなった気がした。自分でもできるのではないか。今回のような会合に参加している人はいつか自分もと思って参加しているのだろうか。そうやって新たな文化発信の種をまき続けていくことはすごく大変なことであると同時にすごく重要なことであるのだと思う。新潟のトリエンナーレにもこのように現地にとどまって活動している人がいるのだろうか。もしいたらその方のお話も聞いてみたいと思った。そして私も自分のなかに芽生えた何かを大切にして今回のアトレウス家を始めとするプロジェクトに関わっていけたらいいなと思う。

『町のアートスペースについて、話そう』座談会を聞いて
田島雄一
 時間の関係もあり全てを聞くことはできませんでしたが、行田市でRUSKというアートスペースを運営されている野本さんのおっしゃった『アートとは触れ合いの場をつくること』という言葉がとても印象に残りました。というのも、今まで僕は「アートとは創作活動をとうしての自己の表現」だと思っていたからです。何かを作り出すという行為は建築家と同じですが、自己の表現に重きを置いている点が大きく異なるのだと考えていました。しかし、実際にスペースを運営されている方達のお話を聞くと、野本さんを含めて今回アートスペースを運営している五人の方たちがそのスペースを使って行っている活動は創作活動だけでなく様々でした。スペースの利用の仕方も作品の展示場所としてだけではなくスタジオやアトリエなど作品の制作や練習の場所としても使用していて、自分たちの活動の結果を見せるためだけでなくその結果に至るまでのプロセスを見せることを大切にしている点が共通していました。作品が完成してから展示や公開の場所としてスペースを開放するのではなく、アートスペースでワークショップを定期的に行ったり、ときにはパーティーをひらいたりすることで生まれる地域との交流を何よりも大切にされていることなどアートスペースのあり方について理解が深まったと思います。
 また、意見交換のなかで「物件(ハード)はあるのだけれど、そこでやること(ソフト)がない」という問題点があがっていたのですが、物件をデザインする建築家とそのなかで行われる行為をデザインするアーティストとがお互いに意見を出し合うことでおもしろい解決案が生まれるような気がしました。町おこしをするために新しく何かをつくるのではなく、これまであったものを使って新しいことを考えるというアーティストの方たちの意見はいつも建築というハードを学んでいる僕にとって、ソフトの大切さを知ることができた貴重な経験となりました。
 これまではアートと建築の関係についていまいちわかっていないことがあったのですが、地域とのコミュニケーションや周囲の環境を考え作品をつくることや制作のプロセスを大切にする姿勢は建築で設計を行っていく上でもとても大切なことであり、両者の接点がここにあるような気がしました。建築を考える際にその土地のコミュニティに入ってコミュニケーションをとりそこで得られた情報や経験もとにデザインしていくとう手法は今回のアートスペースを運営している方たちの行っていることと同様で、改めてとても大切なことなのだと感じました。

ゼミナール | Posted by satohshinya at November 1, 2010 5:48 | TrackBack (0)

自由ラジオをはじめよう 毛原大樹レクチャー

2009年2月9日(月)、2008年度第5回ゼミナールとして、アーティストの毛原大樹により、「自由ラジオをはじめよう」と題したレクチャーが行われた。以下はそのレクチャーに対するレポートである。

毛原大樹さんのレクチャーについて
鈴木直樹
 今回レクチャーをしていただいた毛原さんは取手のアートプロジェクトにも参加していて、実際に見学に行ったときにも会った人でした。あの時はラジオ関係の人かと思っていましたが、実は映像作家だと聞き驚きました。映像作家の作品としてはレクチャーの最後で見た「渋谷駅のラインダンス」だけでしたが、たった1分間という中にすごい面白いものが詰まっていました。朝の通勤通学ラッシュのなかであんなに面白いものが見れると思うと1日頑張れるような気がしました、
 レクチャーの主なテーマであった自由ラジオですが、自分はたまにラジオを聞くものの初めて聞く言葉でした。話を聞くと300弱もコミュニティFM、ミニFMがあるらしく自分が今まで知っていたラジオの世界というのは実はもの凄く狭いものだと気付かされました。
 毛原さんは旧小島小学校で活動を行っている「コジマラジオ」をやっていました。廃校となった学校の教室を使って発信しているもので、ラジオを中心とした空間づくりをしたいというもので、空間づくりという点では建築と似ていると思いました。毛原さんの場合は少ない地域に発信しているラジオなので視聴者としてはその発信されている地域に行かなければ聞くことができない。そうすることで人が集まって来てコミュニティの拡大に繋がっていくのだと思いました。そこで放送をしたり、アートプロジェクト・展覧会などさまざまな活動を行っていてすごいと思いました。
 しかし、その飛ばしている電波にも電波法という法律があるということを聞いてとても驚きました。さらに、自分がたまに使っているiPodのFMトランスミッターでも電波は飛びすぎで電波法にふれてしまうという事には一番驚きました。このままだと多くの人が違反者となってしまうので電波法を改正しないのかなと思いました。電波は飛びすぎても飛ばなさすぎてもダメだという状況はとても難しいものだと思いました。
 ラジオのことについて色々と知ることができて良かったです。こんなことを聞くと事ができる機会というのはほぼないと思うのでこれを機に毛原さんがやっている「コジマラジオ」を聞いてみたいと思いました。

「自由ラジオ」についての講演のレポート
永田春輔
 今回の講演を聞いてラジオに対するイメージが大きく変わりました。今までの自分のラジオに対するイメージは聞いている人に情報を提供するものだと思っていました。自由ラジオとは「人々が言っているのではなく、人々が何かを言うことを助けること」と聞いている人が動き出すのを助けるようなラジオでとても興味深いものでした。
 一本のマイクとラジオ送信機でどんな人でも自由にラジオで放送することが出来るという手軽さ、またそれを実際に講演中にやっていただき普段聞き慣れたマイクからの声とは違って実際ラジオから流れてくるような濁った音声が新鮮でした。今回講演をしてくださった毛原大樹さんは大学4年生にも関わらず「コジマラジオ」という独創的な自由ラジオをいうものを大学生活を送りながら作っていっているとこに驚きでした。
 「コジマラジオ」の廃校となった旧小島小学校をスタジオとし「聞くラジオではなく、喋るラジオ」として多くの行事を行っている点など普通のラジオでは考えられない仕掛けが多いラジオという印象を受けました。特に情報を発信する普通のラジオとは違って、コジマラジオは実際にその行事をそこで行ってそれを実況生中継のようなラジオを言う点が今まで聞いたことのないところでした。講演の中でも聞けた「波止場のなすび屋」のおでんを食べながらのラジオ放送は実際にその場の小沢さんの声とは他にそのなすび屋にいるお客さんの笑い声などが聞こえてきてラジオを通して見えないはずのビジョンが見えてきそうな感じがしました。
 またアンテナマップということで各家にたっているアンテナのUHFが横浜のランドマークタワーを指していてVHFが港区の東京タワーを指しその二つにより自分のいる場所が大まかにわかるという電波を受信するという機能のほかに地図としての機能もあるということ(毛原さんが言うにはそんな高性能ではないということでしたが)が面白かったです。
 最後の方にインターネットとラジオの違いについてインターネットは勝手に情報が流れてくるものでラジオは自分でスイッチを入れて聞きたいときに聞くものといっていました。私はそうではなくインターネットを活用することによりラジオが幅広いコミュニティーとして広がっていくのではないかと思いました。他にもミニFMによる微弱電波による誰も聞いていないかもしれないが聞いている人同士でその場所で集まってコミュニティーが発生していくのはとても楽しそうなものだと感じました。

無題
正井芳奈
 今回毛原さんのお話を聞かせていただいてとても自由ラジオに興味を持つことができました。人が集まってくるという状態をつくるというのは難しいことだとおもいますがとてもおもしろいことだと感じました。今までアートというのは漠然と目で見るものという印象を強く持っていましたが、耳で感じる音と電波で生まれるアートというものに気づくことができてとてもうれしく感じました。ラジオからの音は他できく音とは違い心地よい雑音が入っていることで少し懐かしさが伝わってきて味が出でいました。コジマラジオさんは学校で活動をしているそうですが学校という場所もとても親しみやすく人々が入っていきやすい環境づくりになっていると思います。
 先日行った取手アートプロジェクトではラジオブースでお話させていただきましたがマイクを通して自分の声が数百メートルですが届いていると考えると少しはずかしいけれどうれしい気持ちになったのを覚えています。
 東京タワーはアンテナのメッカというお話でしたが東京タワーは人間だけでなくいろいろなものに愛されているのだと実感しました。もしいつか道に迷ってしまって時間があるときはアンテナの向きを頼りにさまよってみようかと思います。
 山口功さんの「ラブレター特論」にはとてもとても興味があるのでもし次回どこかで開催されるのであれば是非ききに行って道具にもこだわって誰かにラブレターを書きたいです。
 ダンスを踊っている音とその写真を撮っている音を聞いてラジオでお話をするというのは想像力がかきたてられてわくわくできそうでまたラジオを聴いている人の側にも立って音を聞けると思うのでアクシデントから生まれた状況でしたが結果的にとてもいいものになったのではないかと考えました。
 最近はラジオをなかなか聴く機会はありませんがこれからまたラジオを積極的に聴いていきたいです。
 最後に見せていただいた渋谷駅の映像はやさしい笑いが含まれていてとてもやわらかな気持ちになれました。
 とてもわくわくが沸いてくるレクチャーでした。

毛原大樹さんのレクチャーを終えて
藤井悠子
 今回の毛原さんのレクチャーでは終始笑ってしまうことが多く楽しく受けさせて頂きましたが、情報を聞くラジオではなくしゃべるラジオにするという考えを持ち、ラジオを中心とした空間作りの活動をしているとのことでした。その中でもラジオを通して、聞いた人がそこへ行こうとする行動を起こさせたいということについて特に関心を持ちました。ラジオによって人が外に出るきっかけとなり、そこへ行くことで、また新たなコミュニケーションが生まれるという、とても良い“人の動きのサイクル”になっていると思いました。
 ラジオから情報を聞き、それを受け取る。しかし情報を受け取ったところで終わりにせず、受け身になるのではなく、それを人自らが、何かしらへの変換(行動)してしまうという所がコジマラジオのすばらしさだと感じました。
 しかしこのラジオが広範囲で流れていたとすれば、毛原さんも仰っていた通り、遠くだからそこへ行くことができないということが起こってしまうでしょう。だから88MHzという範囲の狭いものにするからこそ、人を自発的に行動させる要因ともなるのではないかと思いました。
 最近ではインターネットでなんでも情報を手に入れることができる世の中になり、ラジオと聞くと、古くさいイメージをもってしまうがラジオにはなにか社会とのつながりを感じるものがあり、さらにテレビとは違って、目に見えないからこそ生まれる想像力がはたらくのではないかと思い、そういう面でも毛原さんの活動はデジタル化された世の中に何か刺激を与えるのではないかと感じました。
 その他にも「アンテナマップ」のお話では東京タワーがアンテナのメッカとなり、アンテナがインフォメーションの役割となるストリートファニチャーになってしまうというおもしろいアンテナの見方を知ることができました。
 また「渋谷駅のラインダンス」の映像作品ではでは、駅員さんが決められた行為をし、普段わたしたちも目にする光景を映像作品にしてしまうことやその着眼点がおもしろいと感じました。是非その他の映像作品も見ていたいと思いました。

自由ラジオ コジマラジオ
浜津徹平  
 小島小学校を拠点としたコジマラジオという団体を同じ学生が中心となって活動していることで、とても興味深いレクチャーでした。私は、ラジオをよく聞いていたが、個人で少しの機材で発信できるということにも驚いた。自由ラジオという歴史も世界では、第二次世界後から、日本でも80年代のミニFMブームからあり、とても長い歴史があるが自由ラジオということを知りませんでした。現在では、あまり知られていない自由ラジオを使い、また、ラジオを聴く人が昔と比べれば少ないと思われる現在、なぜ、自由ラジオを使うのか、自由ラジオを知ったきっかけなど、とても気になりました。
 ラジオがどのようにアートとして使われるのかと想像することはとても難しかったが、ラジオを使って人を集め、人とのコミュニケーションを作るという考え方もあるのだと思いました。自由ラジオということで、電波の範囲が狭く、世界中に発信できるインターネットとは違い限られた人しか聞くことができないが、人が集まる空間づくりというコンセプトの下では、自由ラジオの方が実現性があると思いました。しかし、実際に偶然聞いてひとは集まってくるのか、どのような人が集まってくるのかなどの結果がどうしても気になってしまいました。営利目的ではないため、結果を大切にしていないなど気にしていないかもしれないが、アートをやっていなく、また、就職活動をやっている現在の自分にとっては、気になる点でした。
 また、自由ラジオの微弱電波と同じように、パンの香りでも人を集めることをやっていることには、とても共感しました。香りは、ラジオと違い、機材などを必要としないため、周辺の人を誰でも集めることができ、また一緒に食べることなどでコミュニケーションを産むものだと思いました。コミュニケーションするまでもいかなくても、気になる存在になると思いました。自由ラジオにも、気になる存在になり、そして聞くためにも近くに行かなければならない、そして人が集まるという段階的に成り立つのではないかと思いました。そのためにも、気になる存在になることが大切であり、パンの香りで人の気を引くことや宣伝が必要になるのではないかと思いました。
 また、コジマラジオだけでなく、アートということで様々なことをやっていて、同じ学生とは思えないほど、とても活動的な人だと思いました。スタンプアートや子供が撮る家族写真、GRカメラ写真展など多くのことを聞いたが、ホームページを見てみると、もっと多くのことをやっていることを知り驚きました。また、藝術大学には、さまざまな人がいてとても面白そうな学校だと思いました。最後に見た、渋谷駅のラインダンスも普段目にするものだが、これをアートとしてとらえる視点もとても面白く、卒業作品もとても興味深いものだと思いました。普段、アートをやっている人の話を聞くことはないため、このようなことをやっている人がいるのだと知り、とても興味を持ちレクチャーを聴くことができました。

毛原大樹さんのレクチャーについて
薄葉唯
 私は普段そんなにラジオを聴く習慣がなかったので、今回のレクチャーを受けてまた新しいラジオの世界のお話を聞け、興味深かったです。
 私は普段の生活でどうしても目に頼ってしまうところがあります。しかし、ラジオは耳からの情報だけで人に伝え、人を集め、と大変なことだと思います。それに挑戦し、また実際に人を呼び込んでいる毛原さんはどのような活動をしているのか、また、どのようなことを発信しているのかなどと思いながらお話を聞いていましたが、レクチャー中はしっかりと笑いもとり、面白く、さすが話を専門にやっている方だと思いました。また、活動も興味深く、聴くラジオではなくしゃべるラジオというテーマを基に、人と人とのコミュニケーションを大事に活動していることが、今までのラジオのイメージとは大きく違いました。私は今まで、ラジオを聴いて、はがきを出すなど何らかのアクションを起こす人もいますが、大半の人が聴くことで終わってしまい、どうしても受動的になってしまいがちなイメージをもっていたので、人と人との繋がりがラジオというツールを使って行えるということに驚きました。
 また、インターネットの進歩・普及により、情報がどんどん高速化され、世界中にどれだけ速く伝えることができるかが評価を受け、You Tubeなど世界中の人々と瞬時に共有できる時代のなかで、時代の流れに流されずに、範囲の狭い自由ラジオを使うことで、狭いからこそ興味をもった人が集まれ、お互い顔を見てコミュニケーションがとれるという、ラジオを中心とした建築とはまた違う空間づくりができることを知り、自由ラジオの魅力がわかりました。インターネットの普及により人間関係が「広く・浅く」となり、希薄になってしまったとよく言われますが、コジマラジオはその真逆をいく「狭く・深く」であると思いました。今度はぜひ実際にコジマラジオを聴いて、コジマラジオがどのように人を集めているのかを体感してみたいと思いました。
 最後の「渋谷駅のラインダンス」は学校に行くときに渋谷駅を利用し、山手線に乗っているので、よく見ている風景で、駅員さんも見ていたはずなのに、映像を見るまで気付かなかったことに少し悔しかったですが、日常の中の面白さに気付ける毛原さんの感性に感心しました。

毛原大樹さんのレクチャーを聞いて
島田梨瑛
 今回のレクチャーで、初めて“自由ラジオ”というのを聞きました。自由ラジオには歴史的背景が大きくあり、ナチスに対するフランスのレジスタンス活動の中から初めて生まれた言葉であることを聞き、驚きました。またコジマラジオでは周波数88Hzで放送することでラジオ番組を作れるということがわかり、簡単に自分でラジオ局を作ることができるのだと思い、面白いと思いました。普通のラジオは聞くことを目的とするのに対して、喋るラジオとし、ラジオを中心とした空間作りを行なっていて、空間を構成するのには建築だけでなくともいろいろな方法で作れるのだと思い、その放送をする事で人を呼び込むというところが新しい考え方なのだと感じました。
 また、お話の中でアンテナの話が出てきてUHFは横浜のランドマークタワーの方を向いていて、一方VHFは港区の東京タワーの方を向いていることを知り、このアンテナを通して、だいたいの自分がいる場所の位置が分かり、インフォメーションの看板と似ているというところに驚き、街並みをいろいろな角度で見ることで今までにはわからなかった新たな発見があるのだと思い、何気なく街を歩くだけでなく、これからはいろいろなものに目を向けてみたいと思いました。また東京タワーの方にアンテナが向いている写真を見て、その視点から見てみると面白いと思いました。
 小沢剛さんの“波止場のなすび屋”では空間を居酒屋風にして、トークをしていて白鳥の湖がバックで流れているなど独特であると感じ、一つの空間を使っていろいろな取り組みをなさっている事がわかりました。ラジオという放送伝達の機械によってアートが生まれることを知り、ひとつの放送をきっかけとして人がその空間に集まってくるというのは素敵だと感じ、その発想が建築にも活かせるのではないかと思いました。取手アートプロジェクトのように芸術と建築はやはり近い関係があり、それらをコラボレーションすることで新たな考えや物がつくられると思いました。
 旧小島小学校を使ったこのプロジェクトは1階で行われるレクチャーの様子をマイクとケーブルを通して地下の食器棚型調整室へと送って、屋上までつなげていて、一つの建物を一体化させる役割をなしているのだと思いました。
 また食器棚にミキサー、マイク、録音機材と会場の様子がわかるモニター画面、LDプレーヤーとそれを見る為のCRTモニターや照明、など多くの機能を取り入れていて、レクチャーの様子に音楽をのせたり、ラジオのジングルを入れていたりなどディレクターのような作業ができて面白そうだと感じました。またそこから音声はがさらにケーブルでザイムの階段を駆け上がって屋上へ行き、そこにトランスミッタとアンテナがあって、ザイム界隈に88MHzで放送されていると聞き、ラジオを使って建物全体をつなげている所に魅力を感じました。レクチャー会場のPAがすべてラジオで行われているために、会場では地下からの声が、まるで「天の声」であるかのように流れるところもすごいと感じました。
 短い距離の電波によって空間を区切ったり、つくっていき、聞きたい場合にはそこへ行くという仕組みを取っていて、特にラジオの場合には聞きたくなければスイッチを切ればいいし、聞きたい場合にはスイッチを入れるなど、自分自身の意思によって決まり、インターネットの場合には人とコミュニケーションを取らなくても一つの部屋にいれば情報が伝わるという面がありますが、同じ情報の伝達手段でも大きく異なっていくと思い、空間構成においてラジオというのは大きな可能性を引き出すものであると感じました。

毛原大樹さんのレクチャーを聞いて
大澤梢
 私は、“自由ラジオ”の存在を取手アートプロジェクトで知り、今回のレクチャーで“ラジオアート”という分類があることを知りました。私は中学生の頃一時期、ラジオにはまって、FAXを送ったり、電話で録音に参加したり、公開録音に行ったりしていました。なので自分が放送に参加することのできる楽しさがすごくわかります。その感覚を誰でも簡単に、自分の地域の中で味わうことができるようにする活動はとても素敵だと思いました。
 『コジマラジオ』は、旧小島小学校をスタジオとして、数100mしか飛ばない電波にのせて毎回の放送を行っているそうです。前持って打ち合わせはせずに、“その場で起こっている”ことをラジオで放送し、放送を聴いてその場所にくるきっかけをつくることが目的だとおっしゃっていました。この目的のために、住宅などが近くに多く存在する小学校を拠点とし、活動することはすごくいいなと思いました。けれど、銀座のアートギャラリーで、このコジマラジオが放送をするということが、本当にこの目的を意図した活動になっているのか、私にはよくわかりませんでした。様々な場所で活動をしていて、私たちの地域にも来るかもしれないという一種の宣伝を兼ねた活動であるというならば、この銀座での放送の意図もわかります。また、銀座では放送を聴くことによって人が集まってくるのではなく、それ以前にそのような活動をするというポスターなどの1次的な宣伝の効果が大きすぎるのではないでしょうか。
 自由ラジオ以外の活動で、パンを焼くにおいで人を呼ぼうとするパティスリーの活動もとても素敵だなと思いました。様々なアートの中でも、やはり視覚に訴えるアートが1番多いと思います。その中でラジオだったら聴覚、においだったら嗅覚など、視覚以外の人間の感覚を使って感じるアートをいろんな人に伝えていくことができる活動だなと思います。取手アートプロジェクトの時にも感じましたが、アートは私たちの身の周りのいろんなところに常に存在しているもので、それをあまり普段から感じることはありませんが、このような自分たちに近い、人との関係に重点を置いたアートプロジェクトの活動を通して、いろんな人が身の周りのアートに気づくことができます。私自身、いろんなアートプロジェクトに参加してみたり、身の周りのアートに気づいていけるようになりたいなと思いました。

毛原大樹さんのレクチャーを聴いて
石川雄也
 今回、毛原大樹さんのレクチャーを聴いて、アートという領域の広さをさらに実感することができました。
 毛原さんはラジオを媒体としたアート活動を展開していて、レクチャーが終わってからレポートを書こうと思ったとき、毛原さんのラジオアートをどういうふうにアートとして捉えればいいのか少し戸惑う部分がありました。たぶんそれは、私が普段から絵画や音楽や彫刻などの非常にわかりやすいタイプの表現をアートとして表面的に受け入れているためではないかと思いました。なので、今回のレクチャーは私にとって、アートとは何なのかを深い部分から考え直す良いきっかけとなりました。
 毛原さんのレクチャーに影響を受けながら考えた結果、アートとは日常に新しい価値観をもたらしたり、新しい関係性を生み出したりするものなのかな、と漠然と感じました。
 そう考えると毛原さんの自由ラジオでの活動は、「ラジオは聞くだけではなく、参加するものだ」、というように新しい視点を提示してくれている点で非常に刺激的でしたし、私自身はラジオの新しい魅力に気づくことができました。
 レクチャーの内容はユニークで楽しく、芸大には本当にいろんな人がいるんだなぁ、と驚いたり、自由ラジオの空間にいろいろな人が集まることに興味を持ちました。
 また「アンテナマップ」や最後に見せていただいた映像作品でも、毛原さんの視点の置換によるユーモアが詰まっていて本当に面白かったです。「子供が撮る家族写真」は是非見てみたいと思いました。
 今回の毛原さんのレクチャーを聴いて、アートの幅広さを実感すると共に、自分も毛原さんのように行動力と魅力的な人間性と柔軟な視点を身につけて、ユーモアのある人になりたいなと思いました。

無題
三平奏子
 毛原さんのお話を聞き始めて最初に思ったのは、人を自分の話に引き込むのがすごく上手だなあと思いました。あの笑顔から発せられる言葉と、あの独特のフォントから始まる映像は私たちを楽しませ、とりこにするものでした。ラジオでアート。新しいけどどこか懐かしい、人の心の奥をくすぐるような、そんな作品でした。
 「その場所、そこに集まることが大事」だと、毛原さんは何度も繰り返していました。誰も聞いていないかもしれないけどその場に集まるしくみをつくりたい。その空間が大事。そして、「ラジオが飛びすぎても意味がない、すぐに行ける範囲じゃないと。」そこにすごくこだわりがあるんだというのが強く伝わってきました。「受け身じゃダメ。まずは行動。」そう言っているような気がします。でも、実際ラジオを聞いていて、そこに行こうと思うには勇気がいると思うのです。それなのに、コジマラジオはたくさんの人を集めている。う〜ん、すごいです。
 私はたまにラジオを聞くのですが、ラジオから聞こえる音はどこか居心地が良く、話している人の人柄も伝わってくるというか、なんだか近い存在のように思える時があります。それもラジオの良さであり、醍醐味なのかなぁと、ふと思いました。
 何よりコジマラジオ、めちゃくちゃ楽しそうです。自分たちで空間造って、ポスター作って、パン焼いて、すごい人がサンタの格好して……最高ですね。そんなの絶対楽しいです。そりゃあ人も集まるわ! と思いながら聞いていました。というか、毛原さんの人間くささがめちゃめちゃ出ていてそれがまた良かったです。最後の「渋谷駅のラインダンス」、心を奪われました。毛原さんは人が大好きなんですね。 
 世の中にはおもしろいことをしている人達でたくさん! そのことに私は感動しました。もっとたくさんのことを知って、感動して、人に繋げていきたいです。受け身ではなく、まず行動! これからしっかり意識していきたいと思います。

ゼミナール | Posted by satohshinya at February 10, 2009 15:46 | TrackBack (0)

アートプロジェクトについて 宍戸遊美レクチャー(その1)

2008年12月12日(金)、2008年度第4回ゼミナールとして、アーティストの宍戸遊美により、「アートプロジェクトについて」と題したレクチャーが行われた。以下はそのレクチャーに対するレポートである。

アーティスト宍戸遊美さんのレクチャーについて
杉田達紀
卒業制作
 舞台は沖縄であった。なぜ沖縄に決めたかという理由は一つ目に基地問題、二つ目に『自分の育った場所と違う所で何が出来るか』というものだった。基地問題はまさに沖縄の問題であり、そのこととアートというものの関わりを考えるのは、難しいことだと思う。そして、沖縄でも過疎化している商店街で昔は米兵のための繁華街であり手作りの看板などが並ぶ所を選んだというのは、町おこしの意味もあり、自分の成果が表に現れやすくていい場所だったと思う。
 店の中に作品を飾るのではなく、通路に作品を置くというものだった。多分空き店舗の中に作品をおくとあまり奥まで入って行きにくいが通路ということでそこを通る人が気軽に作品にふれることができコミュニケーションも広がるのではないか。子供たちとの交流はこの卒業制作が成功した一番の要素であったと思う。
 その場の全ての環境を受け入れて作品を製作して行くということは、場所が変わると作品も変わってくるということであり、無限にアートがあるということを表している。そしてどんどんと新しいプランが生まれてくるのである。時がたつごとに子供達が増えプロジェクトが発展して行く。
 この商店街が成り立っている理由として小学校があるからと考え、宍戸さんは5年生のワークショップを受け持つことになる。ワークショップが出来たのもコミュニケーションの力でたまたまこのクラスの担任の先生がアートについて興味があったからである。いろいろな人との交流は何よりも大事なことだと思う。どんなに力量があってもコミュニケーション能力がなかったらその力を発揮できないと思う、今就職活動をしている中でも同じことが言えるであろう。
 そのワークショップで感じたことは記号化された教科書で制限が多すぎるというものだった。確かに今まで特に違和感のなく教科書を使っているが、制限が多すぎるという考えは賛成できるもので、もっと自由な発想が重要であろう。
 バショカラプロジェクトでは、
場所探し(自分だけの場所)→つくる→言葉を書いてみる→仕上げる
というながれのものである。
 本当にみんな自由な感覚でものをつくっていて『自由』という言葉がぴったしと当てはまる授業にみえ、子供達の感性を高めるものに思えた。自分の小学校時代にはこのような授業は無かったが、子供達が普段どのようなことを考えているのかなどが浮き彫りになるとてもいい授業であると思う。このように『自由』な授業が今後の子供達には必要かもしれない。

アートプロジェクトの話を聞いて
光永浩明
 アートプロジェクトが具体的にどんなことをやっているのかという興味があったので、今回のゼミに参加させていただきました。話の中で、僕は宍戸遊美先生の体験談が一番関心をもちました。まず、自分が社会に出たらどうしたいのかを考え始め、経済の先生の「町おこし」がきっかけで沖縄でアートプロジェクトをやろうとした点です。僕はそれを大学受験の時に「自分は大学に入って何がしたいのだろう」と考えていた頃を思い出しました。その時は建物の構造に興味があってそのことについて詳しく知りたいと思ったので、短大の建設学科に入学しましたがそれらを重ね合わしてみたら、やはり「自分が社会に出て何がやりたいのか」というように自分を見つめ直す時期があるんだなと思いました。受験の時に、外見の雰囲気で見た限りで実際は分かりませんが、東大のような難関大学に合格する目標があっても、その後自分が何をしたいのかまだ決めていなかったり、考えたこともないという人が割と多くいたので、自分はどのようにして社会に貢献していくかが決まった時に人は少し成長していくものなんだなと思いました。
 学生時代にアートプロジェクトを自分の地元ではなく、沖縄を選んだのはすごいなと思いました。きっかけで行こうと思ってもそう簡単に行ける所じゃないし、しかも往復で5回で宿泊がタダなのだから僕には到底マネできないなと思いました。場所が1960年代のベトナム戦争時に大繁盛した中部の古座十字路の商店街にしたということで、写真を見た限りだと閉店していることもあってか暗くて不気味な雰囲気だなという印象がありました。そのマイナス要因になる雰囲気をアートによってポジティブに生まれ変わり、人が全くいなくても明るい感じで全然違うなと思いました。ちょっと意外だったのが作業している時やそうでない時でも町の人に声をかけられたら話すということです。作業をしている時はその作品に集中したいという勝手なイメージがあったので、話かけられたら話すというのは僕の中では意外でした。同時に、こうして町の人とコミュニケーションをとるんだなと思いました。
 続いて沖縄のある小学校で、1.場所探し、2.つくる、3.言葉に書いてみる、4.仕上げで構成されている「バショプロジェクト」というビデオを見せてもらって、小学生ということもあり、作品が十人十色でその子の性格がよくでていて面白かったです。最後にゼロタテの作品を見せてもらったんですが、残念ながら途中で寝てしまいました。しかし安らぎがあった感じがしました。
 こうしてアートプロジェクトの話をしてくれて、これらは建築関係と共通している所があると思います。宍戸先生も同じように思ったかも知れませんが、僕も建築を勉強する前は単に建物だけを造っていて、住民に関わるのも建物を建てるための説明会程度のものだと思ってました。しかし、住民とのコミュニケーションを取ることによって、新しい建物や未来を作っていくんだなということが分かり、アートプロジェクトも地元のコミュニケーションがなければいい作品ができないんだなと思いました。
 建築という分野にとらわれず、アートプロジェクトという別の視点から見つめるのも大事なことなんだなと思いました。

アーティスト 宍戸遊美さんのレクチャーを聞いて
小石直諒
 12月12日、アーティストの宍戸遊美さんのお話を聞かせていただきました。内容としては「アートプロジェクトについて」ということでした。
 一番初めに関わった卒業制作のアートプロジェクトでは、師事していた先生の影響もあり沖縄で町おこしのため、「CUVAプロジェクト」というものを企画したそうです。このプロジェクトでは当初、空き店舗などを利用させてもらう予定だったそうですが、やはり見ず知らずの人に貸すというのは商店街の人達にとっては難しかったのだと思います。そのため、商店街の通りをメインに作品を作ったそうです。製作過程では、学生や商店街の人達とコミュニケーションをとるために、
1.地元の人に話しかけられたら、作業中でもそうでなくても、必ず話す。
2.毎朝起きたら、商店街を掃除する。
ということを行ったそうです。1に関しては、他所からきた人が地元の人達とコミュニケーションをとるためには重要な要素になるのではないかと思います。2に関しては、掃除をすることで商店街という場所を使わせてもらっているので、掃除という行動も地元の人達から好感を得るためには、いいものだと思います。このような行動をしていたこともあり、2回目以降は空き店舗や住居を利用させてくれるようになったそうです。また、打ち上げの際には作品に対して様々な意見を出してくれるようになったということで、ごく小さな地域での事かもしれませんが、地域と密着して行うアートプロジェクトになっていたのではないかと思いました。このことは、TAPのときと同様に、住民たちがいる場所を提供してもらうときには、非常に重要な要素になると思います。
 このプロジェクトの一端で、小学校で授業をする機会があったということでしたが、このとき思ったことは教科書に書いてあるものは抽象絵画の技法についてばかりでつまらないということでした。そこで“にじみ"と“フィンガーペインティング"技法を使って、『自分の気持ち』をテーマに絵の具との対話を促すことをし、少しでも楽しいと思ってもらうようにしたそうです。
 「バショカラプロジェクト」では、小学生に学校のなかで好きな場所を紹介してもらい、それについて作品を作ってもらうというものでしたが、小学生たちは楽しそうに取り組んでいました。「CUVAプロジェクト」でも「バショカラプロジェクト」でも、小学生を対象に行っていますが、最近では図工(美術)があまり好きでない生徒も少なからずいるからということもあると思います。実際にこれらに関わった小学生たちは楽しそうに取り組んでいたので、今後はこのような授業が必要になってくるのではないかと思いました。
 最後に、今回のレクチャーを聞いて、建築にしてもアートプロジェクトにしても、『コミュニケーションをとる』ということは、非常に大切なことなのだなということを実感しました。

アートプロジェクトについて 宍戸遊美氏レクチャー
鈴木直樹
 今回レクチャーをしてくれた宍戸遊美さんは、最初にアートプロジェクトに参加場所は沖縄という、東京生まれの宍戸さんには異郷の地だったのではないかと思いました。参加理由としては予備校の先生が沖縄サミットに作品を出展していたということだったのですが、宍戸さんも言っていましたが基地問題、気候・方言などの環境問題があったにも係わらず沖縄でやったのはすごいと思いました。
 そこでアートプロジェクトをしていくと、子供たちとの「コミュニケーション」や雨漏りを利用した「マイナス要因をポジティブに」変化させたりと、自分たちが予想もしてなかったようなことが起きても、そういった問題さえも楽しく取り込んでいくというところにもアートプロジェクトの魅力というのがあるのかなと思いました。
 ホームステイ先の小学校でワークショップをした時に、一番最初に子供たちに自分の気に入っている場所を案内させるという「場所さがし」をしてみるとそれぞれが思い思いに違う場所を選んだのでとても驚いた。さらに「つくる」「ことばに書いてみる」「しあげ」といった段階を経て子供たちの作品が完成していった。やはり子供というのはすごく自分の感覚や感性が豊かだと思ったし、しかし作ったものを言葉にしてみるとなると少し難しそうに見えました。最後に子供たちに作品を作ってみてどうだったかを聞いてみて「気持ち良かった」という言葉に宍戸さんはとてもうれしかったと言っていて、ワークショップをやった側としてこれ以上の褒め言葉はないと思いました。
 その後コマンドNでやった氷見市を映像作品とするプロジェクトである“ヒミング”では終わった後でもヒミングアートセンターと呼ばれるものが出来、アートプロジェクトをやったことの成果が形となって残ったものではないかと思いました。
 今現在、宍戸さんは絵の方は描かずに外へ出てコミュニケーションをとって、人に会いに行くことが大事だと言っていましたが、それはきっと建築についても言えることではないかと思いました。モノづくりをする人というのは中にこもってばかりでは何も生まれないと思うし、外に出て見えなかったものに触れていくことにより何かが広がっていくに違いないと思いました。また、宍戸さんが予備校時代とは違うモチベーションを持って描いた絵を見てみたいと思いました。

美術=アートプロジェクト・宍戸遊美さんの講義を聞いて
高木彩名
 アートプロジェクトについてのお話を聞いて、直島や犬島のように、島という環境の中で島全体を巡ってアート作品に触れるものや、十和田市現代美術館のように道路沿いにアートが置かれていたり、取手のように団地からたくさんの作品がつくられていたり、宍戸さんの小学校の映像作品や、秋葉原のTVの映像ジャックなど、様々な場所と規模で、さまざまなアート作品があることを知った。
 直島や犬島に行って、瀬戸内海の海で、綺麗な景色で、アートに触れるのも楽しかったが、宍戸さんの話を聞いて、映像ができていく様子など、映像作品をみてアートプロジェクトへの興味がより大きくなった。アートプロジェクトは場所にあった提案や人によって作品が変わっていき、地域の人とのコミュニケーションによって新しいものが生まれ、表現するものがたくさんあることが面白いと思った。知らない土地へ行き、知らない人から何かを学ぶのも、そこから何かを作り出すのも自分の世界を広げていくきっかけなのだと思った。
 宍戸さんのように絵から映像へ表現を変えて、小さなアクションで広い世界へ繋がるのではないかという話を聞いて、違うモチベーションをもって、考えを広げていくことでまた違う面白いものが見つかるのではないかという楽しさがあると思った。自分の知らない世界や自分がやりたいと思っていることに対して、積極的に行動することが大切なのだと感じた。
 映像をつくるためにたくさんの人と関わり、コミュニケーションを通じてアートをつくっていくことは絵とは違うものがあるのだと感じた。コミュニケーションを通じて、映像が完成していき、アート作品になるのをみて、小学校のプロジェクトも、富山でのプロジェクトもコミュニケーションがあったからできたものだと感じた。
 街づくりをするとき、アートでの街づくりも、建築での街づくりも人とのコミュニケーションを通じて立ち上げることができる。その環境によって、人によって、作品の表現が変わってくる。コミュニケーションはどの分野においても、ものをつくるためには大切なものだと感じた。

宍戸さんの講演を聴いて
布施美那
 コマンドNというグループで活動されている宍戸遊美さんのお話を伺いました。初めに、彼女の生い立ちの話から、学生時代のお話からでしたが、卒業制作のために訪れたという沖縄においての活動はとても魅力的なものでした。
 卒業制作のために沖縄のとある商店街でアートプロジェクトを行ったそうです。そこはかつては沖縄に駐在した米軍兵たちによって栄えていた繁華街だったそうですが、宍戸さんが訪れたときには少し寂しい感じだったようです。しかし、そのような場所だったからこそ、そこに活気を取り戻すことができるかもしれないプロジェクトをやることに、意欲を湧かせてくれたのかもしれません。宍戸さん自身も、初めに見に行ったとき、いい印象だったとおっしゃっていました。
 しかし、学生という立場ではまだ社会に出たこともないし、プロジェクトのために空き店舗を借りる交渉が、つまりは店の人とのコミュニケーションをとるということが難しかったようです。そのような場面でも、通路を使ってart展示を行うことによって、そこから徐々に店の人、街の人、子供たちとコミュニケーションをとること、触れ合う機会が増えていったそうです。当時、宍戸さんたちはあるルールを持っていたそうです。それは、“話しかけられたら話を聞く”ということと、“毎朝商店街を掃除しよう”全てを受け入れてやっていこうということでした。これは簡単なことのようでとても難しいことだと思います。私なら、自分の住む場所ではないところで、もし自分の地元でも、積極的に人と話すというのには躊躇してしまうかもしれません。もしかしたら、自分のバックグラウンドを何も知らない人たちの前でだからこそ、そのときの自分の感じたままに動けるということもあるのかもしれませんが。
 このようなコミュニケーションの甲斐あって、プロジェクトの2回目以降には、「これだったら場所を貸してあげようか」など声をかけてもらえるようになったといいます。そしてもっと生活の場に入り込むためにホームステイを行ったそうです。商店街が成り立つためには子供たちが大事という風に考え、小学校でワークショップも行ったそうです。
 私にとって宍戸さんが沖縄で行っていたことは刺激的で、とても羨ましく思うことばかりでした。自分も同じようなことをやってみたいけど、どのように踏み出したらいいのかわかりません。学生で、ここまでのことをやり遂げたというのはとても羨ましかったです。

宍戸遊美氏のレクチャーを通して
柄孝行
 宍戸遊美氏のレクチャーを受け、アートプロジェクトについての自分なりの理解を深めた気がした。アートプロジェクトに関しては、以前ゼミでも取り扱ったものであったため、少し知識はあったものの、行動に移すための準備になにがいるのか、行動に移す際なにをはじめに行えばいいのかなど疑問点は多く残っていた。しかし、東京造形大学の卒業制作としてアートプロジェクトが認められ、予備校時代の恩師の誘いもあり沖縄に単独で行き、多くのプロジェクトをとおして現在に至っている話を聞いて、抱えていた問題の多くは解決できたように思える。
 中でも沖縄のコザ十字路近くの商店街で行ったプロジェクトと、小学校の授業の一貫として行ったものが印象的であった。商店街では空き店舗の一角をお借りして、商店街の人々とコミュニケーションをとりながらのプロジェクトの進行、ありとあらゆる要素(プラス、マイナス)をかかえながらいかにしてプロジェクトを作り上げるかなど、多くの問題を抱えながらも成功をさせた過程がとても印象的で、また沖縄の人々の寛大さ、親しみやすさなども同時に感じた。作品を作り、はじめは興味があまりない人々が徐々に興味をもち、プロジェクトのメンバーと交流をしはじめ、あらたなコミュニティを形成していく。名前も知らない人同士が協力していく過程はアートプロジェクトの影響力を多いに感じられた。また、小学校のプロジェクトでは『子供たちの自分の一番好きな場所を作品として表現してもらう』という趣旨をコンセプトに掲げ、場の調査やその場にこめられた思い、その思いを個人個人で形にして、最終的に発表していくという過程。このプロジェクトでは大人が得る影響が強かった気がした。子供たちがもつ素直さ、また常に興味関心を持ちすぐ手にとって行動に移す。これらを映像で見たときに、今私の中で欠如している部分であるように感じた。これらは一般的に大人といわれる人にも同様に感じられる良い影響ではないかのだろうか。
 アートプロジェクトとは継続していかなければ意味がないことが今回のレクチャーを通して感じた。知らない場に足を踏み入れ、その場の風習や伝統的なものを含んで進行していくプロジェクトを一度自分の身をもって体験してみたいと感じられたレクチャーでした。

表現をアクションへつなぐ
西島慧子
 宍戸遊美氏の「表現をアクションへつなぐことをしたかった」ということにとても共感した。
 表現者として作品を作りだし発表していくことだけに疑問を持ち、何か違うアクションへ繋げることが出来ないかと、取り組んだ卒業制作で行った沖縄アートプロジェクト。内容は、ベトナム戦争時代までアメリカ兵などで栄えていたが、今は地域の人の利用だけでかつての活気はあまり無い商店街で行うアートプロジェクトだ。アーケードなど商店街の自分たちで作り上げていくという人達が集まった手作り感のある商店街。出身の東京から出たことのない宍戸さんが、初めて訪れた沖縄という土地で活動する地域住民とコミュニケーションを取りながら進められていく過程が、作品をただ展示するのではなくアーティストを刺激し一緒に創作されていくことに繋がった。
 地域を活性化していくアートプロジェクトで、一番必要で難しいことだと思う。つまり、活動を行う地域の人の理解と協力をどのようにして得るのかということだ。宍戸さんは、滞在中は商店街の掃除・人に話しかけられたら話を聞くということを続け、まず、受け入れるということを意識したという。お笑い芸人の訓練でも、何を言われても聞き入れ、受け止めることから始めるということを聞いたのを思い出した。コミニュケーションをとる上で、まず相手の事を受け止めることは芸人になる人でも基礎となることに驚いた。日常生活の意識の中で、自分のことを優先してしまい相手のことをないがしろにしていることに気付かされた。自分の世界観には無いものを周りから取入れ、新しいものをつくり出すことが出来るアートプロジェクトではまず、周りを受け入れるコンタクトをいかにとっていくのかが重要なのだと感じた。
 商店街の空き店舗での活動から小学生とのワークショップ。
 『バショカラプロジェクト』
 “小学校のあなたの好きな場所を絵・音・粘土・ビデオ撮影・言葉などいろいろな表現方法で自分の中にある好きな場所のイメージを具体的な物にしてください”というもの。
 教科書から表現方法ばかり習ってきた子供たちが五感を使いながら自由に表現していくのは見ていて楽しかった。
好きな場所が自分の机の上の子が、鮮やかな色彩の作品でとても豊かな世界観が広がっていることが分かったり、学校にある音によって好きな場所を表現した作品によってその子がどんな気持ちでその場所を感じているのか感じとることが出来たり。ありふれた日常生活の空間をそこで過ごす時の気持ちを自分の中で思い出してみる。一人の表現をアクションへ繋いでいくことで周りと共感できるこのプロジェクトは個人の表現の可能性広げていくものだと感じた。
 見過ごされている空間を採掘し新しい価値をアートプロジェクトによってみいだしていく。その活動によって刺激され、その場所の住民や利用者に変化を起こす。表現者も新たな刺激によって表現の範囲が広がっていく。美術館で行われる展覧会と違い、多くの人と作品を共感しながらつくり上げられていくアートプロジェクトの素晴らしさを感じたのと同時にこのような活動に自分も参加したいと思った。

美術=アート
荒木由衣
 今回のレクチャーを聞いて、宍戸さんはアート・芸術を通して、人との関わりを大事にしている人だなと感じました。また、映像についても、言葉はなく、風景と音のみで何かを伝え、感じるという人間の五感に訴えるようなアートを手がけていて、これもアートというものなのだと初めて思いました。そういった意味でも、新しくまた違った世界観を学べたと思います。
 沖縄のプロジェクトも卒業制作についても、学生であるにもかかわらず、自分で資金を集め行動を起こし、実現させていたことに驚き、同時に尊敬しました。そこでも沖縄という地域でのプロジェクトであり、市民との関わりやコミュニケーションが大切になっていきます。そのことに関しても、子供から、年配の方までを巻き込んで、地域全体のプロジェクトにしていたことに驚きました。学生だからといって、最初からできないわけではなく、行動を起こせば、周りの気持ちを動かすことも難しくはないことがわかったと思います。沖縄の土地の雰囲気や宍戸さんの人間性が出ているのか、とても和める作品になっていると感じました。
 “ZERODATE”アートプロジェクトに関しても「コミュニケーション」というものがとても重要になっていると感じました。沖縄と同じように地域全体が参加するイベントになっており、誰でも身近にアート・美術・芸術を体験し実感できるプロジェクトになっています。1番魅力的だと感じたことは、宍戸さんのようなアーティストと気軽に会話を交わせることです。普通のアーティストは、〈雲の上の存在〉となり、なかなか一般人が関わりをもつことが困難だと思います。そんななかで、こういったプロジェクトを通し、子供のうちから、アートを体感できる環境はとてもうらやましく思います。
 今回のレクチャーを通して、芸術というものにももっと興味を持ち、自分から積極的にアートプロジェクトやイベントに参加できたらと思いました。私も、まずは行動をして、人との関わりを大切にしていきたいと思います。

美術=アーティスト
多田早希
 今回の第3回目のレクチャーではアーティスト、宍戸遊美さんのお話をお聞きしたのですが、授業時間と重なってしまったため、お話があまり聞くことができなかったので、宍戸遊美さんが携わっているアートプロジェクトについていくつか調べました。
CUVA Project
 2002年9月に活動が始まり、2005年3月まで沖縄市銀天街を拠点に、5名の東京在住のアーティストと銀天街によって展開されたプロジェクト。
 CUVAとは、悪い夢を食べてくれると言われるバクという動物の名前を逆さにしたら、良い夢を吐き出す手伝いをする動物になるのでは、という発想からCUVAとういネーミングがついた。このプロジェクトはアーティストが銀天街を訪れて、空店舗やアーケード内での展示や、商店街の方々、地域の子供達も参加したイベントを企画するなど、インタビューを繰り返し、見たり聞いたり、話をしたりしながら、その印象やインスピレーションから作品を作っていったそうです。
ZERODATE Art Project
 ゼロダテとは、大館出身のクリエーターが自発的に立ち上げたアートプロジェクトで日付をゼロにリセットし、もう一度なにかを始めるという、世代やジャンルをこえた活動を展開している。2007年には秋田県大館市大町商店の街空き店舗を拠点に空き店舗を約20使用して、120人以上の作品出品者による大型の展覧会を開催したり、2008年のゼロダテではアーティスト・イン・レジデンスという形式でアーティストが旧山田小学校に滞在し大町商店街で制作・展示している。またゼロダテ展は2007年から東京でも開催されており2008年には地域を青森・秋田・岩手にまで広げ「北東北アートネットワーク」と題し、県を越えた文化、芸術的交流を生み出すことで、新しい交流、をすることで広範囲な視点から街の活性化を目指すなど幅広い展開をしているアートプロジェクトです。
KANDADA
 「KANDADA」は「神田×DADA」という意味で、神田の街にダダイズム的視点をインストールしていき、そこから街の創造力を促して行きたいという理念のもとに名づけられ、神田の老舗の印刷会社である精興社の天高4m、約100㎡の1階倉庫をリノベーションしできました。今回のアートプロジェクトでは、オダユウジさんと寺澤伸彦さんによるアートユニット“DIG&BURY”がカンボジアを訪れたときに見た、大量虐殺跡地の殺戮の際に叫び声をかき消すために大きなスピーカーが設置されていた木から着想を得て、それを「矛盾」というキーワードに置き換え、『MAGIC TREE』という作品を中心に、立体や映像作品を通じて来る人に問いかけるというプロジェクトです。
 今回のレクチャーを通していろいろなアートプロジェクトを調べていく中で、旅で得た経験や地域との関わりなどアートというものは形式的なものではなく様々な経験、考えや思い、インスピレーションなどから生まれてくるものだと再認識することができました。そして、自分の身近な場所でも「KANDADA」などのアートプロジェクトが開催されていることを知ることができたので、そのようなプロジェクトに積極的に参加していきたいと感じました。

講演を聞いて
河野麻理
私はこれまでに映像作品というものにあまり接点がなかったので、今回の講演は新たな分野を見ることができとても楽しかったです。今回の講演が終わり、1番感じたのは、「商店街のアートプロジェクト」にしても、「バショカラプロジェクト」にしても1番大切にしているのは、人とのつながり、コミュニケーションだと思いました。そのコミュニケーションがとても大事でたくさんの人との関わりがあったのだという事は映像作品からとても伝わってきて、見た作品はどれもあたたかいものでした。小学生の表現というものは、きっとカメラを向けたりすると正直な表現はできづらいのではないかと感じます。カメラの前では、素直さがかけてしまうような気がしました。なので、その表現を大事にしようとするプロジェクトが台無しになってしまいます。しかし、映像の中には素直な子供とちの表情が溢れていて、あたたかい作品に出来上がっていて感動しました。また、大変興味深かったのが子供たちの考え方です。PCを粘土で作っている子供がいましたが、それを「自然を表現したかった」と言い、緑の絵の具で塗っていたことです。PCと自然とは、かけ離れているというよりむしろ、正反対に属するものなのにそれを結びつけようとするその感性が本当に自由なのだと感じました。周りから見たら、狭いと思われる場所でも、子供には広い=これから先広げる可能性が十分にあるのだというのがすごく共感できました。そんなことまでもわかるバショカラプロジェクトはとても面白いと思いました。そして、映像作品とは、作った人自身が伝えたいことと見た人には、もしかしたら違うことが伝わってしまうかもしれないとも思いました。しかし、そこがもしかしたら魅力的なところであるのかもしれないと思いました。そこにも、人同士のあらゆる感性の違いが生まれ、そして、それを通じてコミュニケーションもまたつながっていくのだと思いました。さまざまなことには、人とのつながりが大事だということが、今回の講演で改めて理解しました。

美術=アートプロジェクト
田中里佳
自分の中でアーティストというのは遠い存在でした。いまいち何をしているのかがわかりにくい物でした。今回のお話を聞いて、今までよりはアーティストについて何か理解できた部分があるのではないかと思う。
地方でのアートプロジェクトを通して自分の知らない習慣や人柄、街にあった提案など新しいことにたくさん出会って、そこから新たな表現や考えが生まれてくる。その地に長くいることで、地元の人たちとの交流が盛んになってより深いところまで理解ができたり、新しい刺激を受ける。自分と年齢の違う人たちとの交流を通して、忘れていたことなど多くのことが吸収できる。自分を表現する上で、さまざまなアプローチ方法が考えられることがとてもよくわかった気がした。
知らない土地にいって何かすることはとても大変なことであるけど、それ以上に吸収することのほうがたくさんあるということなのだと感じた。
私も今まで行ったことのない場所に行ったり、美術館で作品を見たり、違う文化に触れることで、新しい発想が生まれることが多くある。特に美術館を訪れて知識に無いことなどに触れるとなんでもいいから、製作意欲が沸いてくる。
 宍戸さんがおっしゃっていたように、「何かアクションを起こす」というのはとても重要なことであると感じた。起こした先に何があるのかが明確にわかっていなかったとしても、後にプラスになることばかりなのではないかと思う。
前回のレクチャー同様、自分の知らない領域に足を踏み入れることで、新たな発想が広がっていくのだということが理解できた。自分の領域が広がっていくことはとても楽しいことなのでこれからも、いろんな人、知らない街など、積極的に行動していきたいと思った。何においても、きっかけ作りはとても大切なのだと感じた。何かのスタートというのは、知らないところに突如現れるものなのかもしれないと思った。
今回の講演を聞いて、自分の思い、作品をどのような手段で、どのように表現するのかが大切なのだと思った。新しい場所・環境に積極的に行くことで自分の活動領域が広がり、それが制作意欲、新たな表現につながっていくのだということがわかった。
 最後に慎也先生がおっしゃっていたように、表現するものが違うだけで、何かを作り出すという点など建築もアーティストの仲間なのだということに気づいた。どこにいってもコミュニケーションというのは一番大切なものなのだと感じた。もしかしたら一番簡単な行為でありながら、難しい行為でもあるような気がした。

美術=アーティスト
島田梨瑛
 今回のレクチャーで最初に沖縄の商店街のアートプロジェクトについて聞き、手作りで作られたアーケードなどを見てとても面白く、素敵だと感じました。取手アートプロジェクトと同じように普通にそこで生活する人をアートの世界に溶け込ませており、文化、方言や気候などが異なる環境で、アートを通して人が交流できる所が魅力的であると思いました。
 また、アートプロジェクトをする中で商店街の掃除をしていたり、周りの人たちに溶け込むためにいろいろな努力をしていたのだと思い、その行動力がすごいと思いました。建築とアートプロジェクトは周りの人を巻き込みながら作品を作り上げていくところがあり、ほんとうに似ていると感じました。しかし建築の場合、住宅などは一生で一番高い買い物と言われるほどのものであり、専門家が携わらないと作り上げることが困難であるのに対して、このようなアートプロジェクトはいろいろな人たちが自由に作品作りに参加できるのが大きな違いであり、異なるところもあるのだと思いました。
 今までは美術と建築を比較したときに、互いに芸術であり、スケッチをしたり空間を作り出したりと似ている点がたくさんあるとただ表面的に感じるだけでしたが、レクチャーを聞く中で内面的な部分も似ているのだと感じました。美術も作る人以外に見る人や使う人がいなければ成り立たず、人と人とがコミュニケーションを作り上げるために必要なものだと思いました。
 また、映像を見せていただく中で、“バショカラプロジェクト”という所で、子供たちが自分の好きな場所を紹介している風景がとても楽しそうだと感じました。小さい子の発想は私たちにはとても思いつかないようなものがあったり、工夫している点がたくさんあり、いろいろな視点で物事を柔軟に考えていたりするのですごいと感じます。
 私自身、週に一度保育園にボランティアに行くことがあるのですが、やはり小さい子供たちの考え方や空想力は計り知れず、何もないところから作り上げたりするのが上手だと感じます。例えば、サッカーゴールがないときには代わりに棒などを使ったりして、自分たちで作ったりします。また、小さな隙間をダンボールなどを使って秘密基地のようにしたりなど、ちょっとした工夫で自分たちの世界を作っていく行動力や想像力がすごいと思います。なので、このプロジェクトを見ていてすごく納得し、いろいろな年齢層の人と関わり合う事で、自分の視野も広がるのと同時に素敵な空間が作れると思いました。
 映像を見たりお話を聞く中で私が持っていたアートのイメージがもっと膨らみ、美術館などとは違い、見て喜んだり感動するだけではなく、自分が参加したり作品に触れたりするプロジェクトは面白いと感じ、とても興味を持ちました。

アートプロジェクトについて 宍戸遊美レクチャー(その2)

ゼミナール | Posted by satohshinya at December 17, 2008 0:32 | TrackBack (0)

アートプロジェクトについて 宍戸遊美レクチャー(その2)

アーティスト、宍戸遊美さんのお話を聞いて
川崎絵里佳
 宍戸さんの参加しているCUVAプロジェクトは、初となる沖縄でのアートプロジェクトであり、「沖縄」という歴史的、文化的価値のある都市にアートを残していくことは、多くの国の人々から注目されるものになり、とても奥が深く、意味のあるものだと思います。
 また、沖縄市銀天街を拠点とし、5名の東京在住のアーティストが継続的に地域と関係を持ちながらアート活動を進めていくという環境はとてもうらやましく感じました。
 その土地ならではのアートを生み出すためには、銀天街を知り、人生の先輩たちや力を持て余している子供達、記憶の染み付いた建物、沖縄の歴史、など、生の日常を感じ取り、その数々の出会いから作品を作り出していかなければならないことを知り、アートはとても奥が深いものなのだと感じました。
 空店舗やアーケード内での展示や、商店街の方々、地域の子供達も参加したイベントを企画し、戦後米軍基地だったこの街の過去を伝え、地域の人たちにも、銀天街を知らない人たちにも、アートを通じて理解を深めていってもらうという活動はとても現代的で有効的な手段だと思います。
 しかしここまでに至るまでには、決してアーテイスト一人でアートを生み出していくのではなく、多くの人と話し、街の様子や歴史を感じとりながら「人と人のコミュニケーション」と「人と街とのコミュニケーション」を重ねていくことが必要なのだと思いました。
 アートを生み出す上でコミュニケーションをとるということも、アーティスト達がおもしろいと思う要素なのかもしれません。
 現在進行中の、銀天号を守る「ロープワーク」というプロジェクトにも興味を持ったので積極的に調べてみたいと思います。
 今回の宍戸さんを見ていて個性や協調性が自然ににじみ出ている方だなと感じました。
 自分もそんな人間になってアートの世界に染まりたいと思いました。

アートプロジェクトを通じて
佐藤香菜子
 今回は、KANDADAというアートプロジェクトにも参加しているアーティストの宍戸遊美さんの作品を鑑賞しました。
 「アート」というと絵画や壁面画など、平面的なもののイメージがありましたが、宍戸さんの手掛けるアートは映像を使った3次元的なもので、私の考えていた「アート」の概念を覆すものでした。その作品の中では、ただ真っ白なキャンバスと向かい合って絵を描いていくという平面的なアートでは感じられない、映像アートにおける一番の特徴、魅力を感じることができました。それは、人とコミュニケーションを取り、人に支えられながら作品が出来上がっていくという過程です。つまり、一人では完成しないアートであるということです。
 実際に宍戸さんの作った数々の作品は、すべてが必ず人の協力があって成り立っているものばかりでした。アートを始めるきっかけとなった東京造形大学時代の、沖縄の商店街のアーケードを使って行われたアートや、同じく沖縄で小学生に参加してもらうワークショップとして行われた「バショカラプロジェクト」、富山県氷見で蔵再生プロジェクトとして行われた「ヒミング2007」など、すべての作品の中にその地の住民の人々の映像が取り込まれて、作品の影に住民の方々の理解や支えが合ったということがうかがえました。その中でも特に、秋田県の大館で行われた「ゼロダテ 0DATE」というプロジェクトの中の『nocturne』という作品が印象に残りました。この作品は、大館の日常的な風景や、一日の自然情景の変化などが視覚的な映像のみで収められ、その映像にnocturneのメロディが付加されているという作品でした。通常日常の暮らしの中にも、自然の変化の中にも必ずそれ独自の音を持っていて、その音と映像が一致することで私たちは景色としてとらえることができているのですが、この作品ではあえて本来の音が削られ、新たにnocturneのメロディが重なることで普段の何気ない景色や人々の飾らない生活の様子がどこか叙情的でより魅力的に感じられてしまうのが不思議で、それがこの映像アートのおもしろいところなのではないかと感じました。
 さまざまな作品を通して宍戸さんのアート活動を知り、特に映像を用いたアートは全く未知の世界でしたが、人と触れ合い互いをよく知り合おうとすることで作品ができていくという過程があることにとても興味を持ちました。宍戸さんが油絵の世界から全く違う映像アートの世界に興味を持ったきっかけとなったように、自分の見ている世界をひとつに絞ってしまうのではなく広い視野で見つめることはとても大切なことだと思いました。その手段として積極的に人とコミュニケーションをとることはとても有効なことだと思いました。自分のつくるものを人とのコミュニケーションを通して完成させていくというのはアートだけに限らず建築を作っていく上でも同様であると思います。建築を作っていく上でのトレーニングとしてもその土地土地で形成されているコミュニティに介入し、積極的にコミュニケーションを図っていくことはとても大切なことだと感じました。

コミュニケーションから生まれるもの
森田有貴
 アートプロジェクトとは何を指すのだろう。取手アートプロジェクトのような取手市と市民と大学が共同で行い、アーティストの創作活動を支援し市を活性化するものもあれば、建築家+芸術家による島の再生プロジェクトなどもある。アーティストがその辺に自分が思う作品を勝手に作って勝手に置いて「これが私のアートプロジェクトです。」と言っても、成立するのだろうか、疑問を持ちながら今回のレクチャーを聞いた。
 宍戸遊美氏は初めてのアートプロジェクトの場として沖縄を選び、その作品であるスライドライブを自分自身の卒業制作にまでしていることに驚いた。初めての事に挑むとき人は自分の身近な場所を選んでしまいがちだと思う。その場所に対する知識やポイントとなるところ、周辺環境を把握しておりやりやすいからだ。しかし、宍戸氏は東京から離れた沖縄に幾度も訪れ、周辺の住民に寝泊りさせてもらったり、自分たちで廃虚を寝床にしたり、未知の世界に積極的であった。沖縄のアートプロジェクトの場となった銀天街という商店街には、そこで店を持つ人々や通りがかったおじいちゃんおばあちゃん、近くの学校に通う子供たちが訪れ、「何しているの?」とか「これ何?」という質問をする。ここからコミュニケーションが生まれる。アートプロジェクトとは造る人(アーティストなど)と観る人(地域住民など)が両方いて初めて成り立つもので、お互いが一つのものを作り上げることに参加して、初めて作品ができるのだと感じた。一人では完成しないのである。
 宍戸氏が小学校で行ったバショカラプロジェクトでは、1.自分だけの好きな場所を探す 2.好きなように表現する・つくる 3.言葉に書いてみる 4.仕上げとして発表するという順序で行っていた。授業のように、限られた時間で教科書に書いてある技法でつくるのではなく、自分が思うように好きなように手を動かしてみるというのは、子供たちにとってとても楽しいことだと思う。自分の思うままに造っているからこそ「つくり上げて、気持ちいい!」というような感想が出てくるのだと思った。子供たちにアートに対する興味を抱かせるだけでなく、創造性も高めているように感じた。
 地元の要素を使って、地元の人に見てもらい、アーティストを介すことによって、また違うものに見える。宍戸氏は、作品である映像を見る人に対してどのような感じ方を求めているのだろう。こんなことを感じて欲しいとか、こんなことを訴えかけているというのが明確にあるのだろうか。その映像になる意味を知りたいと思った。
 ヒミングもゼロダテも地域を巻き込んで活動しており、そこに生まれるコミュニケーションを大事にしている。コミュニケーションが“もの”をつくり上げることにおいて、いかに重要であるかを今回のレクチャーで学んだ。「小さなアクションが大きな世界に拡がっていくのではないか」という宍戸氏の言葉に魅力を感じた。

アートプロジェクト 宍戸遊美さんのレクチャーを聞いて
駒井友香
 大学での卒業制作の話から現在コマンドNで行っている活動についてまで様々なお話をしていただきました。中でも沖縄でアートプロジェクトでの話はとても魅力的でした。東京で生まれ育った一大学生が文化も違う沖縄でアートプロジェクトを立ち上げるというのは本当に大変な事だったと思います。まず商店街の通路に作品を置かせてもらうことからスタートし、徐々に地元の人との信頼関係が築かれていき、活動がどんどん広がって言った様は、このアートプロジェクトが本当に成功していた事を物語っていました。
 アートプロジェクトは、美術館のようにただのハコに作品をかざるわけではありません。そこで生活をしている人達がいて、そういう人達と一緒になって作品が作られ、展示されていく。だから何よりも大切になってくるのは人とのコミュニケーションや信頼関係にあるのだと思いました。
 商店街での活動から発生していった小学校でのワークショップ、バショカラプロジェクトでは、子供たちがみんないきいきとしていて、とても楽しそうにしていたのが印象的でした。カメラを向けられても自然な姿で子供たちが映っているのは、ここでも子供たちといい関係が築かれていたからだと思います。自分の好きな場所を紹介してくださいという質問に対して、うれしそうに答えている子供たちの顔はとても輝いて見えました。子供たちの感性はとても豊かで、妹と一緒に机やおもちゃをたたいて音楽を作ったりと、はっとさせられるものばかりでした。学校の教科書が技法的なことしか書いていなかったということからこのワークショップがうまれたというお話がありましたが、この活動のように自由に楽しみながら勉強する事で子供たちの可能性はもっともっと広がっていくということを強く感じました。そしてとても面白い活動だと思いました。
 今回のレクチャーの中で、その土地の人々とコミュニケーションをしながら、その土地の要素を使って作品を作る。それをまたその土地の人たちにみてもらう。そうして素材は循環していく。というお話がありました。この言葉にすごく共感したと同時にこのように作られていくアートプロジェクトにとても魅力を感じました。自分で作品を作って終わりじゃなくて、人や環境などいろいろなものが関わりあって作品が作られていくということはとても魅力的だと思いました。

無題
古山幸太郎
 今回の講義ではアーティストである宍戸さんの若い頃行っていた活動の概要や苦労、成果などを資料や当時のビデオなどを交えて紹介していただくというものだった。最初に紹介していただいた「cuvaプロジェクト」では沖縄にある銀天街という商店街をアートする、という形で始動していた。この計画の話では無名のアーティスト達の苦労などを感じることができた気がする。特に銀天街に到着して商店街の人々に受け入れてもらうまでや空き店舗の使用の交渉など成功するどころか本格的に活動するまでの作業には感銘を受けた。最初の頃は商店街の通りの端のほうで活動し、自分達の作品に通りを歩く人々が興味を示す方に説明して自分達の活動を知ってもらうなど下積みの時間も多く経験していた。しかし、商店街の人々の信頼を受け協力を仰げるようになってからはしだいに活動も広くなり、空き店舗を活動の拠点とし銀天街周辺の住民を集めての発表会まで行えるほどのプロジェクトになっていた。この成果にはとても感心したし、継続することの大変さと成果を感じることができた。このプロジェクトを通し住民と作品を公表するなどして地域の人々に親しまれていた。
 また、宍戸さんは小学校の授業の特別講師として参加し、小学生には数少ない本物のアーティストと触れ合う機会を持っていた。その授業の内容や経過をビデオにまとめていて見させてもらったが授業の課題に対して小学生はとても積極的に参加していた。完成した作品は無邪気なものが多かったがそれでも表現したいことはだいたい伝わってきた。担任の先生と連携して小学生に授業への積極的な参加を促し、それを上手く作品へ結び付けさせていた。小学生ならではの独創的な作品にもアドバイスを与えていてその芸術への柔軟性は自分も見習いたいと思った。
 最後に、今回の講義では、自分のやりたいことの実現のため苦難を覚悟して突き進む姿には見習うべき点を多く見つけることができたと思う。また、建築とアートは似ているようで異な点が多くあったが、芸術という点では同種のものであると思うので、吸収できるとこは最大限自分に取り入れ、今後の就職活動や卒論、また卒業してからの活動に活かしていきたい。

宍戸遊美氏レクチャーを聞いて
藤井悠子
 知らない土地でアートプロジェクトによって、自分とは世代も習慣も異なる人たちとのコミュニケーションが生まれる、けれどコミュニケーションがとれたことだけが重要ではなく、そこで自分がどう関わるべきか、それによってどう影響を受けたり与えたり、今までに無い何かを発見できることが大切なのだと、わかっていた様でわかっていなかったのだと、宍戸さんのレクチャーを通して改めて気付かされました。
 アートプロジェクトで私が好きなのは、もともとある空間であり、かつそこに人がいるところに作品を置くことである。宍戸さんが卒業制作で行った沖縄の『商店街』はものすごく魅力的だと感じました。殺風景と化してしまった商店街に作品を置くことで空間に明るさを取り戻し、街の人たちと話をし、子供たちは集まり遊び場となる。作品を通じることで様々な人つながる、それによってアーティストは次のアイデアにつながることができ、まちは、まちの活性化にもつながる。きっと様々な問題にぶつかることはあるがアートプロジェクトを行う前と後では主催側とまち、両方に何か新しい変化をもたらし、刺激を与え合うことはすごく大切なことだと思いました。
 また、さらに宍戸さんは範囲を広げ小学校で行ったバショカラプロジェクトの映像では、子供たちの創造の柔軟性に驚かされました。男の子が作品を完成させて、「気持ち良い」という言葉には本当に達成感が伝わってきました。
 宍戸さんが私たちに対して、なぜ建築を学ぶ人がアートプロジェクトに興味を持ったのかと質問を投げかけたが、私はこの大学生活の中でやはり建築を学んでいる人と関わりが多いというのもあり、知らずに視野を狭めていることに気付き、色々な人と関わりたいと思うようになり、偶然アートプロジェクトに出会えたのもあって、きっかけとなりました。
 もしかしたら自分が思っていることを表現できる場となりえることもあるし、逆に他人から教わることもあるアートプロジェクトに関わることで、まだ知らない良さ、きっと良くないことも知ってしまうかもしれないが積極的にアクションを起こしていきたいと感じました。

お話を聞いて考えたこと
松田歩弓
 私は最初に宍戸さんを見たとき、自分のイメージする“アーティスト”とはちがうイメージの方だなと思いました。私がイメージする“アーティスト”は、自分の考えに自信を持っていて、だからこそいつもハキハキと自分の考えを述べる人なイメージで、実際に私の周りの美大に通っている友人や、話を伺ったことのある人はそういう人が多く、また、設計の先生方もすごく考えが明確であるのもやっぱりアーティストだからだと思います。しかし、宍戸さんは、とても穏やかに話していました。淡々としていて、聞いている私たちの様子を伺いながら話をしていて、とても謙虚な雰囲気の方でした。それはなんだか私にはとても不思議な感覚でした。
 油絵を描くことをやめて、他の表現方法を探したというのが印象的でした。同じ芸術でも、表現技法が違えば伝わりかたも違う。自分の方向に迷いが生じる。私は大学に入る前、また入ってからもしばらくは意匠設計がやりたいと思っていました。しかし、コースを選択するころになり、そのころにはとても設計・計画コースか、環境・構造コースかで迷ようになり、私は最終的に環境・構造コースを選択しました。今は自分の選択に間違いはなかった、今の勉強にとても充実感を持っていますが、選ぶ時にはすごく悩みました。でも、今思うときっと設計・計画コースを選んでいても、きっと充実していたと思います。それはやはり、自分の根底には“建築”が好きで、それは例えどんな形だとしても、それに携わっていれることが幸せなんだと思うからです。表現が変わっても、すべきことは同じなんだと思いました。 
 残念だったのは、最後に質問する時間があったのに、なにも聞けなかったことです。自分の力で“形”を考えたりアイディアを形にする機会が減っていることを感じました。また、自分の中にはまだ疑問に思ったことをはっきりと示し、答えやアドバイスを聞く能力が欠けているようです。今後の自分の発展のためにも、感じたことを心にとめて進んでいきたいと思います。

宍戸遊美さんのレクチャーを聞いて
山下浩介
 数々のアートプロジェクトに参加し、活動の場を広げている宍戸遊美さんのレクチャーを聞きました。アートプロジェクトというとTAPを見に行っていたからか、最近自分にはよく聞く言葉となっており、なぜか親近感が湧きました。宍戸さんの今までの活動の中から、大学時代に卒業制作として行った、「CUVAプロジェクト」について詳しくお話しして頂きました。
 舞台は沖縄。過疎化が進み、人々が離れつつあった商店街で、通路や空き店舗などを貸してもらい、そこに自分たちが作成した作品を展示することでアートプロジェクトを行ったということでした。そこには地域の住民の方たちの了承を得ることや、いかにアートプロジェクトに興味を持ってもらうかなど様々な問題があったと思います。そこで多くの人たちとなるべく会話をし、コミュニケーションを図ることでこれらを解消したとのことで、アプローチの仕方や行動力にはとても感心させられました。また、現地で小学校を訪れ、アートを通じて子供たちと交流していました。子供たちにはこういったアーティストの方と直接触れ合う機会は滅多にないと思うので、とても斬新で喜ばしいことだったと思います。でも子供たちから学ぶことの方が多いことだと思います。
 宍戸さんの作品は『映像』でアートを表現するものでした。いくつか作品を見させて頂きましたが、作品を通して一番何を伝えたいのかが、正直私にはあまりわかりませんでした。宍戸さんの口から作品について詳しい説明はあまりなかったと思います。しかし、そこには独特の世界観が広がり、惹きつけられる力を感じました。映画などとはまた違う映像としての芸術に出会った気がします。
 今回のレクチャーではアートプロジェクトというものを具体的に知ることができたと思います。資金面もそうですし、地域の人とのコミュニケーションの大切さ、交流を深めることで生まれるもの。自分の中でアートプロジェクトに参加してみたいという気持ちが強くなりました。

アーティスト・宍戸美遊さんのレクチャーについて
薄葉唯
 今回、宍戸美遊さんのお話を聞いて、アートとは誰かから強制されてつくるわけではなく、まずは制作者自身が楽しむものなのだと改めて思いました。
 卒業制作のお話で、学生なのにお金を貯めて、いくら知り合いがいるからといっても、沖縄という言葉や文化が違う土地で、学生だけでアートプロジェクトをおこし、大学の専攻が違うのに卒業制作に認めさせた、決断力と行動力はとても簡単には真似できないと思いました。また、そこまで作品をつくることに一直線になれる姿勢に尊敬しました。そのような姿勢と地域の方たちとのコミュニケーションを欠かさなかったことが、地域の方たちの気持ちを動かし、アートプロジェクトの成功に繋がったと感じました。商店街のプロジェクトもですが、小学校の子どもたちとのプロジェクトの映像を見させてもらいましたが、どの子どもたちも笑顔で、素直で、自分たちの思い思いのものを楽しく作っている姿に驚きました。子どもたちみんなが、自分たちの世界を持っていて、それを自由な発想で作っている姿は本当に楽しそうで、私も小学生の頃にこのような授業を受けたかったと思いました。また、子どもたちのこんなに素直な姿を撮れたのは、子どもたちといい関係が築けたからこそだと感じ、そこでまた、コミュニケーションの大事さを感じました。
 今まで、正直、アーティストという方たちは、失礼で申し訳ないですけど、天才気質で他人との関わりとかは関係ないという方たちというイメージがあったのですが、今回のレクチャーでイメージが大きく変わりました。私は現在、3年で就職活動中なのでコミュニケーション能力という言葉をよく耳にしますが、人と人との関係の中で何らかのアクションを起こしていくには、どんな分野に関係なくコミュニケーションというものは大事だと感じました。
 また、楽しむことの大事さも子どもたちの笑顔を見ていて感じ、今回のレクチャーで、ものをつくるということの根本を再認識することができました。私も積極的に楽しんで建築に向き合いたいと改めて思いました。

宍戸遊美さんのレクチャーを聞いて
石川雄也
 今回、宍戸遊美さんのレクチャーを聞いてアートや表現は自分が今まで思っていたよりももっと自由で広いものなんだなと思いました。
 沖縄では商店街から始まったプロジェクトが現地の人々とコミュニケーションをとったり、その地の持っている空気を感じ取ったりすることで作品につながっていったり、その作品の展示が新たな出会いを生んだりと、ひとつのアクションがどんどんいろんな可能性を生み出していくことに自分は魅力を感じました。また老朽化して雨漏りをしているアーケードのようにネガティブな要素もポジティブに捉えなおしていく姿勢に素敵な感性や柔軟さを感じました。
 小学校の子供たちとのワークショップや交流を映した映像作品では穏やかな雰囲気の中で子供たちが自分の好きな場所を探したり、粘土で作品をつくったりと、とてもかわいらしく撮られていたのが印象的で見入ってしまいました。その中でも宍戸さんと子供たちとの接し方がどこか不思議で自分には魅力的に感じました。たぶんコミュニケーションのとり方もクリエイティブでいろんな人をプロジェクトに巻き込んでいく力になっているんだと思います。
 それに大学で絵画を専攻していた宍戸さんが卒業制作でアートプロジェクトのような絵画とは一見関係のなさそうな表現方法を選択したところにも一貫した柔軟な姿勢を感じ取ることができ非常に刺激を受けました。
 また最終的な成果物としての映像作品だけではなくそこに映し出されない部分も含めて沖縄での活動や人々との関係性自体が作品となっているところに強い興味と新鮮さを感じました。
 もしアートプロジェクトのようなものがもっと一般的になって、アートのような非日常的な出来事が多くの人々の生活に入り込んでいったなら、日常がもっと豊かになっていく手がかりになるのではないかと思いました。またそういう意識を地域で共有できれば、新しいコミュニティのあり方に繋がっていくのではないかと思います。
 私は、まだアートプロジェクトやワークショップなどに参加したことはありませんが今回のレクチャーをきっかけにいろんな人と関われる場に参加してみようと思います。

ししどゆうみさんの話を聞いて
高野真由美
 卒制で沖縄のアートプロジェクト。
 やったときの何もないところから自分でプロジェクトを立ち上げ、成功させることの大変さと充実感を感じた。問題が漠然としすぎてどう自分と関わらしていくかを悩んだときにまず「動く」というアクションを起こすことにとても尊敬し、すばらしいとおもった。何をすればいいか分からないときに、後のこととかこれからのこととか考えずに、とりあえず行動するというのはなかなかできることではないし、実際わたしもその一歩が踏み出せないでいることがよくある。その一歩を踏み出す勇気と行動力がある人がアートや芸術の中で生きていける人なんだと感じた。
 また、あらゆる環境もすべて受け入れるということ、とりあえず動くということ、そしてコミュニケーションの大切さというのは、アートをやることと建築をやることは似ていると感じた。最初は受け入れてくれなかった商店街の人々も一生懸命コミュニケーションをとっていくことで、自分の思い、やりたいことを伝えていき、それを認めてもらう。そのコミュニケーションの手段は言葉だけではなく、アートであったり、体験であったり、それは建築をやる上でとても近い部分であると思った。先生が最後におっしゃていたことにも深く考えさせられ、建築とはコミュニケーションが大切なんだということを改めて実感させられた。このように建築をやることに似ているアートプロジェクトをやることで、自分の建築に対する思い、取り組み方というものが変わっていくのではないかと、とても興味が湧いた。
 バショカラプロジェクトをやったときの子どもたちのVTRをみてものをつくることの楽しさというようなものを思い出させてもらったような気がした。作品を作り上げたときの楽しさ、うれしさ、気持ちよさというものを子どもたちが素直に言っていたのをみて、自分もそうであったということを思い出したような気がした。
 私は最近設計課題をやることに疑問を感じることがあった。最近設計をやることが嫌になることがあったのだ。1年、2年と設計を楽しくやってきた。自分が好きだから建築をやってきたし、設計もつらいときも楽しくやってきた。しかし3年になって、好きという気持ちが薄れたのか、自分からやるというよりも、やらされているという気持ちが出てきた。その感情が嫌でどうすればいいのか、今後就職も含めどうすればいいのか悩んでいた。このまま就職も建築関係の仕事についてやっていけるか不安だった。だけど、ものをつくることの楽しさは変わらないし、その楽しさを知っているわけだから、ずっとやっていこうと感じた。
 今回ししどさんのお話を聞いて、自分の中でもやもやしていた建築に対する気持ちが少し晴れたような気がした。
 今回の講演を聞いてぜひ私もアートプロジェクトに参加したいと思った。

アーティスト宍戸遊美さんのレクチャーを聞いて
大澤梢
 レクチャーの中で、宍戸さんの作品である、バショカラプロジェクトの話がとても印象に残った。今の学校などでは、変に団体意識を持たせようとしていたり、少し変わったことをすると普通ではないと直させたり、1人1人の個性を潰してしまっていることが多いと思う。
 この映像の中で、子供たちが机や床をぐちゃぐちゃにしながら作品を作っているシーンがあり、印象に残り、とてもいいなと思った。自分の小学校時期の図工では、図工室といえども過度に汚すと怒られ、何をするかは決められ、絵の具は筆で塗り、時間内に終わらせなければならない、ある意味窮屈な時間だったような気がする。
 それを、この映像に出てくる子供たちは、自分たちが好きな場所で好きなモノを好きな表現方法で、汚れるのも気にせずに熱心に作っていた。そして作品を作りあげた後の、「気持ちいい」という一言は、宍戸さんもハッとしたとおっしゃっていたが、私も何か自分の中に強く残った。
 また、このバショカラプロジェクトでは、順序立てて一段階ずつ作品を作りあげていくプロセスがすごくいいと思った。このプロセスを作り上げていくということは、アートや物を作る時だけに限らず、人間が生きていく上でとても大事なことであると思うが、このプロセスを学ぶ場所というのは実はあまりないのではないかと思う。このプロジェクトでは、子供たちの感情や感覚、個性を引き出し、またそこで終わりではなく、それを形、言葉にして、何故そう思うのか、何故こういった形になったのかを1人1人に考えさせている。特に今自分が建築を学んでいて、このプロセスが一番難しいと感じているからなのかもしれないが、こういった順序だてた考え方を子供たちに教えるのは、技術や方法を教えることより大事なのではないかと思う。
 このレクチャーで宍戸さんの話を聞いていて、本当にアクティブな人だなと思った。大学時代にすでに沖縄へ行き、自分たちだけでアートプロジェクトを立ち上げていたことに対してももちろんだが、「自分の視点は社会のディテールの一部」と考え、自分の絵を外につなげようとする体制から、自らが動いてコミュニケーションで繋がっていこうとする体制への切り替えに対してそう思った。宍戸さんはさらっと言っていたがこの切り替えはなかなか容易なものではないと思う。宍戸さんの油絵やアートに対する気持ちが強く、真正面から向き合っているからこそできた切り替えだと思うし、また作品を自分が描きたいもので終わらせていたら、きっと今のような映像作品だったりアートプロジェクトへの取り組みには繋がっていなかったのだろうと思う。
 アートプロジェクトでの、コミュニケーションを取り、その場の環境を取り入れて作品を作っていくということが建築に関しても同じであり、宍戸さんの話を聞いてとても参考になったが、それ以上にもっと自分の根本の意識や表現について考える機会になった。

無題
西濱萌
 2008年12月12日(金)アーティスト、宍戸遊美さんを招いた「CUVAプロジェクト…etc」のレクチャーに参加しました。
 私は絵の具が好きです。
 自分だけの色を作ることが出来る反面、同じ色は作ることができないから。そして、同じ色を作るために色を調合していく過程が楽しくて大好きです。
 遊美さんたちが沖縄の子供たちに、水に浸した画用紙に水彩絵の具を垂らして一枚の作品にするという授業を行ったと紹介されました。計画的に絵を描くのではなく、段々と絵が出来上がっていくことは意外な作品が出来ることもあるので、私も好きです。
 今回、宍戸遊美さんのレクチャーを聞いていて、表現の方法は様々だけれど、すべてにおいて共通するものは“コミュニケーション”だと実感しました。
 絵画科出身だったので、油絵の作品が説明されると思っていました。実際は、沖縄での空き店舗を使ったCUVAプロジェクト、沖縄の学校で子供たちと一緒に「一番好きな場所」紹介から始まり「言葉での紹介」、「ものでの表現」をされている姿、最後に秋田県での雲の動きの映像レクチャーでした。
 CUVAプロジェクトのレクチャーのときに一番面白いなと思ったのが「雨もりのポジティブ化」で、作品はよくわからなかったのが正直な感想ですが、自身がポジティブな考え方の持ち主のせいか、「この発想はいいな!」と素直に思いました。
 地域とのコミュニケーションを半年にわたってとることができたのは、沖縄という小さな地域ならではだと思います。都会でこのプロジェクトをしようとしたら、意識を向けさせることも、店舗を気兼ねなく貸してもらう事もとても難しいと思うからです。
 子供の存在が大きいという視点は私も共感を持ちました。子供の発想力や想像力はすごいと思います。「学んでいない」ことは逆に、何かに縛られることがないので自由な発想をすることが出来るので、素晴らしいと思う反面羨ましいと思います。
 遊美さんの様になにかに没頭してチャレンジすることは、学生のうちにやっておきたいことですが、すごく勇気のいる行為だと思いました。それでも、なにかをチャレンジすることは自分の存在をアピールすることにも繋がるし、知らない人とのコミュニケーションをその場でとれる可能性もあるので素敵なことです。
 自分の価値観や想像力、人への接し方もたくさんの“人”に出会う事によって影響されたり、変化していくし、人は一人で生きていくことは出来ないのでやはり、コミュニケーションは無限の可能性への第一歩だと思います。私は日々出会う人へとても感謝をするし、“縁”という運命を信じています。そして、運命だけではなくこれからも自分から進んでたくさんの人とコミュニケーションをとって成長していきたいと思いました。

ゼミナール | Posted by satohshinya at December 17, 2008 0:32 | TrackBack (0)

シリーズ・コンプレックス・シーイングについて 阿部初美レクチャー(その1)

2008年11月28日(金)、2008年度第3回ゼミナールとして、演出家の阿部初美により、「シリーズ・コンプレックス・シーイングについて」と題したレクチャーが行われた。以下はそのレクチャーに対するレポートである。

SCSの取り組み 演出家・阿部初美さんの話を聞いて
大沼義邦
 私は失礼ながら、全く前知識がない状態で阿部さんのお話を伺い、初めてSCS(シリーズ・コンプレックス・シーイング)という活動を耳にした。複合的に見るシリーズで、基本的に台本がなく取材したことを元にした即興の演劇という説明を受けたが、正直なところ始めはよく分からなかった。そもそも日常的に演劇を見に行くようなこともなく、イメージとしたら劇団四季のライオンキングぐらいしかパッと思いつくものもなかった。演劇は、たくさんの役者とたくさんの台詞で完成されたストーリーが演じられるものだと思っていた。そんな私には、演劇のギリシアから始まる歴史の話はとても興味深かった。
 役者の迫真の演技とつくり込まれた脚本によって、観客が役に感情移入しカタルシス(浄化)を得るというのが、まさに私の想像する演劇であった。それに対して、観客に感情移入させない非アリストテレス的劇作法というものを知り、驚いてしまった。観客に批評的に劇を見てもらう為に、あえて異化を際だてさせ、役者は役に入り込まずに演じる。なんとも面白い劇である。と、始めは単純に面白さを感じたが、その手法がナチスドイツ時代にB・ブレヒトが感情同化を危険視し、生まれたと聞いて違う意味で納得してしまった。
 前の話もそうだが、阿部さんの話を聞いていて思ったことがある。それは演劇が政治や時代・社会背景の影響を大きく受けていることと、演劇が政治や社会を変えるための手段に用いられてきたということである。最初に述べた通り、私は演劇と言われてライオンキングぐらいしかパッと浮かんではこなかった。私の認識では単に演劇=娯楽であった。もちろん娯楽も演劇の持つ大きな要素ではあるが、それ以上のモノを発信する力を演劇は持っているのだと阿部さんの話を伺っていて感じた。最後に阿部さんがおっしゃった「劇場を“思考の場”に」という言葉からも、そう思えることができた。それこそ始めに阿部さんが作品を紹介した際、「4.48 サイコシスは精神障害についての話、アトミック・サバイバーは原発の話、エコノミック・ファンタスマゴリアは市場の話」と聞いたときは、内心なんて重い話ばかりなんだと思っていたが、最終的にSCSの活動は娯楽を提供するのではなく、社会的テーマを取り上げ普段テレビでは伝えられないことを観客に知ってもらい、思考の場をつくっていると分かって納得できた。
 実際に一部ではあるが作品を見させていただき、これもまた衝撃的であった。「4.48 サイコシス」は観客がどういう気持ちで見ているのかが、とても気になった。なかなか今の私には解釈しきれない部分もあり、おそらく実際に観客としてその場にいたら、“痛み”というテーマから目をそむけていたかもしれない。それに対して、後2本はユーモアが入り観客として見やすいものに感じた。社会的テーマへのメッセージ性と娯楽的要素(ユーモア=笑い)の両方があって、それが行政への皮肉として用いられていたりして、笑ってしまう場面がたくさんあった。
 普段建築分野にこもりがちな私には、阿部さんのお話がとても新鮮で興味深いものだった。何より阿部さん自身も解説をしてくださりながらも笑っていて、作品に対する愛着は、演劇の作り手も建築の作り手も同じものだなと感じた。ただ演劇は、その一瞬を逃したらもう二度と見ることが出来ないというのがネックでもあり、醍醐味でもあるのかなと思えた。そう考えると、形として残していける建築という分野は作り手として幸せなことである。演劇という分野に触れることで、建築分野の魅力が改めて分かった気がする。そういう意味でも本当に面白く、魅力的なお話が聞けてよかった。

演劇=演出家:阿部初美さんの講演
田中里佳
 「シリーズ・コンプレックス・シーイング(SCS)」のお話を聞いて、自分の考える領域が広くなった。演劇という分野は今まで触れる事のない領域であった。もっと言ったらあまり考えた事もなく、演劇という言葉の意味が初めてわかった気がした。B・ブレヒトの複合的に見る・異化という事と、アリストテレスの感情同化という考え方について理解することができた。今まで、映画などを見るとき感情同化する事がほとんどであった。気づかないうちに話にのめり込んでいき、出演者と同じ気持ちになっていたりすることもある。新たに、異化という演出方法があることがわかって、新しい見方がある事を知った。B・ブレヒトが考えるように、感情同化することがいかに危険な事であって、異化することで、ある問題を客観視し、その問題をより身近に感じられるという事がわかった。また、B・ブレヒトのように、ナチス政権下という周囲の環境から、思想に大きな影響を与えるということから、身近なものからの影響力は自身の思想を作り出す一つの要因でもあるのだと改めて感じた。
 1909年に演劇が始まり、この当時の演劇関係者は世界を見ていたという話を聞いて、確かに現代社会、多くの人々はすごく近いものにしか目がいっていないような気がした。自分も含め広い視野というものを忘れてしまっているような気がした。ほんの少し視野を広げるだけでも、世界というものの見方が変わるのだということを感じた。異化という方法で演劇を鑑賞するということが新鮮なことであって、新しい思想というものを生み出してくれるような気がした。
 三作品を鑑賞して感じたことは、どの作品も特定の役というものがないので役柄にのめり込むということはない。しかし、作品にのめり込むということが言えるのではないかと思った。役者と観客が一緒に問題解決する、もしくは同じ題材について考える。観客に問題を問うことでそれぞれの考えが生み出されて、それぞれの思想が生まれる。皆が同じ考え思想になってしまうのではく、個々の思想がぶつかり合うことに面白さを感じることができるのだと思った。
 一つの劇の中で、映像を入たり、シーンを完全に見せるのではなく、断片的に見せることで、役にのめり込むことなく、より客観的に見ることができるのである。
 今回の講演を通して、分野を越えて、さまざまなジャンルの人々と交流することでいろんな思想の考え方に触れることの面白みが今まで以上に理解できた気がしたし、もっともっといろんな世界に足を踏み入れていく必要があると強く感じた。演劇というものを通して、さまざまな世界の人々が1つの事を共有し、その中でいろんな意見が飛び交い、つながりあうことができるのはとても刺激的で面白いと感じた。
 今回は演劇というツールでさまざまな思想の交流ができることがわかった。他にもいろいろなツールを使って新しい思想の交流をしてみたいと思った。

演出家:阿部初美さんの講演を聞いて
高木彩名
 「シリーズ・コンプレックス・シーイング」のお話を聞いて、演劇に対する考え方が変わった。私は今まで演劇をみるときに、役者の人、役柄にのめりこんでいる自分がいたことに気づき、アリストテレスの感情同化の話を理解することができた。また、B・ブレヒトによる考えを聞き、ナチス政権に置き換えた感情移入の説明などにより感情同化する演劇が怖くもなった。
 今まで演劇を見るとき、何も考えず演劇を見ていた。今回ドキュメンタリー演劇というものがあることを知り、自分が今まで見ていた演劇を見直すことができた。シェイクスピアの演劇をみて目的→行動→障害→葛藤・対立という流れがあり、その役にのめりこみ「楽しかった」「悲しかった」などの感想で終わっていた。しかし、「ドラッグ」を題材とした演劇を見たとき、とても考えさせられた。「非アリストテレス的劇作法」によって役者が役柄に対して3人称で演技をしていることで、「思考の場」として演劇を見ていたことに気づいた。演劇を見た後の感情の違いがあり、演劇の見方が変わった。
 今回、3つの作品を見て、阿部さんの解説を聞きながら聞くことで、普通に見るよりも演劇に対して考えながら見ることができた。ドキュメンタリー演劇を見るときに、台本がなく、取材することで、構成されているということを思いながらみて、1つ1つの作品がリアルに描かれていることを感じられた。
 「4.48 サイコシス」をみて、精神障害に対しての個人からの目線、社会から見たときの目線で描かれ、精神障害というものの苦しみや怖さがリアルに伝わってきた。映像や音楽、舞台セットなど、演劇の世界だけでなく、さまざまな人たちが関わり作られていることで世界観が広がり、面白い物が作られていくのだと感じた。「アトミック・サバイバー」では、原発について、分かりやすく説明されていた。現地の取材や、映像によって、さまざまな目線から作られていた。「エコノミック・ファンタスマゴリア」はぬいぐるみを使って画面の中でお話が進んだり、観客から舞台が見えなかったり、さまざまな構成によって作られていた。さまざまな構成によって作られていて、作品によって違う表現が面白かった。
 演劇は映像としての作品を残しておくことはできない。舞台を見に行きその場の空気を味わい、感じていくものである。今回の公演で、演劇という世界に触れられ、演劇というものの見方が変わってよかった。

11月29日の阿部初美さんの講演を聞いて
河野麻理
 演劇というものにあまり興味がなかった私にはとても面白いものでした。私が今まで見た舞台というのは、有名人が出ているような本などで原作が既に出版されているものか、歌舞伎か宝塚だったので、このような本当に演劇をどのように見せるかなど構成の考え方を聞く機会に会えて演劇に興味が出ました。何気なく見ている、普段のテレビドラマにも、目的→行動→障害→葛藤・対立のこのサイクルが決まってあるものか、あれからものの見方が変わることができました。しかし、それは、今まで単純に感動をしていただけの自分から作家側の立場の構成を考えてしまうようになってしまい、素直に感動が出来なくなってしまった様に感じます。そこで思ったのが、これこそがブレヒトの考える、「非アリストテレス的劇作法」に似ていると思えました。
 感情同化だけでは洗脳状態で終わってしまい、そのことがダメだとされたのは、その時代(例えば、ドイツナチスのヒトラー独裁政権)の背景が反映していると講演では言っていたのを聞いてとても興味深かったです。しかし、もし今の時代ならきっとそんな時代があって今その独裁政権などが批判されてるからこその、この時代ではもしかしたら「非アリストテレス的劇作法」とは違った、新しい劇作法があるのではないかと思いました。
 そこで、今回の阿部さんが作った作品を見て、1作品目の「4.48 サイコシス」は、確かに重い内容のように受けました。でも、多くのメッセージがたくさん場面ごとに含まれていて、それが本当にすごかったです。そして何よりもラストシーンで観客の人に劇の終わりを任せるといった考えが新しく斬新だと思い驚きました。新しいだけでなく、そこにはまたメッセージが含まれていて、構成が面白かったです。また、途中に出てくる、映像を使って、社会と個人の遠近法の苦しみの表現なども見ていて圧倒されました。
 2作品目の「アトミック・サバイバー」では、また一変してミニチュアでわかりやすく原発についての説明や、踊りで重い内容を説明するなどの手法が新しくて楽しんで見れました。スクリーンを使ってところどころショートムービーを流す手法も面白く、こんな構成があるのだと、感心しました。
 3作品目の「エコノミック・ファンタスマゴリア」では、舞台構成に驚きました。お客さんをも舞台の一部としているところがすごかったです。そしてその人たちを含んでの客席からの舞台の見え方と、舞台上にいる人からの見え方をスクリーンで映し出すことで、立場を同等のものにしていることもすごいと思いました。お客さんからは見えている腹話術の人間側と、スクリーンではあたかも人形が話しているかのような、見せ方。
 スタッフや、撮影機材などは見せないなんてことはしないありのままさ。どれも、「異化」というものを目指し、それはブレヒトに真似て作ったような説明でしたが、阿部さんのオリジナルの構成が見えてとても面白く感動しました。阿部さんの説明がなくただ単純に見てたら気づけなかったこともたくさんあったと思いました。新しい視野を見つけられたような講演会でした。参加できて良かったです。

演劇=演出家、阿部初美さんのレクチャーを聞いて
島田梨瑛
 私は今回レクチャーを聞く中で、今までなかなか演劇を見た事はなかったので新たな視野が広がったように感じました。ドキュメンタリー演劇が台本がなく、あるテーマのものを取材してきて作品を作り上げていくものだと知り、今まで私が知っていた感情を表現し、お客さんにも感情移入させるものとは反対で、B・ブレヒトの説いた非アリストテレス的劇作法なのだと思い、演劇にもいろいろな種類があるのだと感じました。小さい頃からバレエをやっている私には、なかなか感情移入をせずに演技することや、またお客さんにも感情移入させないという考え方が理解しづらかったため、映像を見せて頂けたのでとてもわかりやすかったです。また役者の人が1人称と3人称を交互に喋っていたので、普通に感情を溢れ出させて演じるミュージカルなどよりも難しく、大変だと思いました。
 特に印象に残ったのがvol.0の「4.48 サイコシス」で、他の2つの作品とは部類が違い、見ていて本当に恐ろしく、逆に感情を通り越して客観的に見れ、ドラマのように感情の上がり下がりが激しくないからこそ、最後の方では冷静に見れたのだと思います。最後のシーンの「カーテンを開けてください」という所で、お客さんに開けてもらわないと舞台が終わらないというところがすごく酷だと思いました。このレクチャーを聞いていた時にはすごく重い話題を扱っていて難しいと感じていましたが、配布されたプリントを読んだり、後々考えると、とても意味深い演劇であったと感じました。プリントに“「ある特定の個人の、ある時期の物語」としてこの作品を描くよりも、むしろ「様々な人々の生の交錯する場」として、社会的な広がりを持たせることが、この作品の意義を明確にしてくれるだろうと考えた”とありました。実際に私自身、ドラマなどを見るとすごく感情移入させられ、その人自身になったように感じてしまいますが、その感情はずっと続くわけではなく一時的なもので、自分とは違う人のお話として解釈し、その時感じた感情は段々薄れていってしまいます。しかし、今回の映像は感情移入せず冷静に見る事ができ、もっと現実的に身近な問題として感じる事が出来ました。実際に先進国と呼ばれる国で唯一日本だけが主要国の自殺率の10位に入っており、普段通学する中でも電車での人身事故は多く、その心中の理解が難しい所もあり、他人事になってしまう所もありますが、このような事は他人事ではなく、一人一人が親身になって考える必要があることだと思い、このように演劇化することで、見た人が判断し、感じることも多くあるのではないかと思います。
 実際にその上演に反対されている方もその場で見ていたと聞き、舞台だけでなく客席の人をもその演劇に巻き込んでいるような感じがし、いろいろな批判も受けると仰っていましたが、それも一つの作品を作るうえで演出となっていると思い、その作品が出来るまでにもいろいろなドラマがあるのだと思いました。また、着替えの風景をお客さんに見せていたり、1つの作品を取材し、作っている過程をありのまま演技したり、お客さんに見てもらうのも新たな演劇なのだと思いました。

SCS(シリーズ・コンプレックス・シーイング)を鑑賞して
佐藤香菜子
 舞台演出家である阿部初美さんのお話を聞き、実際の演劇を鑑賞しました。
 今まで私は劇場に足を運んで演劇を鑑賞したことはなく、本格的な演劇を見るのは今回が初めてでした。阿部さんもおっしゃっていたように、私の中にも演劇といえば過剰に役を演じようとしすぎるイメージがあり、少し引いた目で見ていました。しかし、今回の「ドキュメンタリー演劇」は、断片的なシーンしか見ることができなかったにも関わらず、演劇のおもしろさに大きな衝撃を受けました。
 まず、精神障害をテーマとした「4.48 サイコシス」を見ました。
 この作品は「舞台芸術」10号の中の特集において“「ある特定の個人の、ある時期の物語」としてこの作品を描くよりも、むしろ「様々な人々の生の交錯する場」として、社会的な広がりを持たせた”とあるように、主人公として一人にスポットライトが当たる従来の演劇とは違い、同じ空間で様々な出来事が同時進行しているものでした。作品の内容は過激なもので、特にクライマックスの集団自殺のシーンには恐怖を感じました。しかし同時に、このように思考が止まり、人間らしさを失ってしまっている精神障害の人が実際にいるという現状を思い知らされました。この作品に賛否両論があるということは理解できますが、鑑賞した人が必ず何かを考えさせられるという点で、社会に対するメッセージ性の高い作品だと思いました。
 次に、原発をテーマとした「アトミック・サバイバー」を見ました。
 この作品では、阿部さんがドキュメンタリー演劇における特徴として掲げている、映像と演劇を同時に流し、「思考の場」として同じ問題を共有しあい、共存するという演出が行われていました。ここでは実際に原発誘致に関わる賛成派、反対派が互いに集まり、緊迫した空気に包まれたという話もあり、原発という身近な社会問題を中立な立場から捉えて表現するということは、時にリスクを伴うものなのだということを感じました。
 最後に、市場経済をテーマとした「エコノミック・ファンタスマゴリア」を見ました。
 この作品では、「第4の壁をなくす」として、客席と舞台の境をなくすという演出がされていました。客席の中に舞台があったり、逆に客席から舞台にあえて死角を作ったり視覚の操作をすることで、舞台と客席の境界だけではなく観客と演者の境界も曖昧にし、作品のテーマをより身近に感じさせる上で効果的に作用していました。観客のほとんどが消費者であるので、市場経済は日ごろから感心あるテーマで、誰にでも気軽に考えやすい話題であり楽しんで鑑賞することができました。
 そもそも演劇とはドラマ=行動に基づいているもので“ドラマとは人間の行動を模倣・再現するもの”とアリストテレスが提唱したように、目的→行動→障害→葛藤・対立という人間の思考サイクルを演じているものであると捉えられていました。しかし、今回の3つの作品に共通して言えることは、非アリストテレス的劇作法と呼ばれるもので、B・ブレヒトの提唱してきた「異化」が効果的に用いられていることです。
 「異化」とは見ている人に感情移入させないという意味を含んでおり、第三者的な視点から問題をとらえることで、一人一人が問題に対して各々の意見を持てるということが特徴であるように感じます。今回作品の中のたった一幕しか見ることができなかったけれど、私自身も自分なりの考えをもって鑑賞することができたと感じています。
 演劇は建築や絵画と違い3次元的なもので、そのときその場でしか見たり感じたりすることができず、映像としての記録は残っても、演劇としての完成形はたった一度しか味わえないものです。今回のレクチャーを通して、演劇の世界にも興味を持ち、劇場に足を運んでその瞬間でしか感じることのできない世界に触れ、自分の中で思考をする時間も大切にできたらいいなと感じました。

阿部初美氏のレクチャーについての感想
光永浩明
 演出家阿部初美氏ののレクチャーを聞いて、ビデオを見る前に、アリストテレスとB・ブレヒトの話をしてくれました。アリストテレスは感情的で、カタルシスな演出方法で表現されていて、テレビドラマのようなものだということが分かった。一方B・ブレヒトはアリストテレスの方法を否定して、感情的にならずにリラックスして見れる異化という演出方法で表現されているということだったが、僕はその異化というのが具体的にどのようなものなのかがビデオを見るまで分からなかった。今回のビデオがその異化で表現されているシリーズ・コンプレックス・シーイングというドキュメンタリー演劇を実際に見せてもらったが、正直内容がよく分からなかった。演劇といえば、主人公がある目的を達成するために行動をし、障害や葛藤、対立に遭遇しても、それを乗り越えていくというドラマチックなイメージがあったので、この作品は結局何を伝えたかったんだろうという疑問が残り、表現もいい加減だなとこの時は思いました。ビデオを見終わった後に補足として、これは思考の場としての劇場であると言われ、ますます訳が分からなくなりました。分からないままレクチャーが終了して、後でもらった配布資料を読んでいたら、やっとあのビデオの内容の意味が分かった。原発や市場経済というテーマから僕はてっきり主人公が現れて、それにどう関わって、活躍していくのかと思いながらビデオを見ていたから内容が最後まで分からなかったことに気付きました。そうではなく、このテーマについて人々のそれぞれの立場や考えを映像にして表現されたもので、全体を通して一つのことを伝えるのではなく、場面場面に区切って、それぞれがこのテーマについてこう考えているという事実を伝えているということが分かりました。改めてビデオの内容を思い返してみると、意味が通っているなと思いました。この表現なら価値が多様化することなく、共有できる場になると言ってますが、確かに言われれば、このことについてアリストテレスのような感情に流されることなく、賛成や反対がでてくるような内容でもなく、この事実を伝えることで自分がどうするべきなのかを考えさせられる結構奥の深い内容だったんだなと思いました。演劇ではドラマみたいに感情的になる内容が多く、僕はそれしか知らなかったけど、全く感情的にならずにただ事実だけを伝えるという思考の場となる表現方法もあるんだなということが分かりました。あと最初はいい加減な演出空間や表現だなと思っていたのが、意味が分かるとそういうことだったんだなということが分かりました。最後に、時間が予定よりも長引くほど、伝えたい話だったんだなと思いました。そういう話を聞ける機会は滅多にないからでてよかったと思います。

無題
柄孝行
 今回、阿部初美氏にレクチャーしていただき、改めて演劇という世界が広いということに気づかされた。演劇とは、舞台の上で言葉、動作によって物語または思想、感情などを表現して観客にみせることだと思っていたが、なにか違う演劇の世界を垣間みた気がした。舞台装飾には色々あると思うが、建築、映像なども取り入れ、視覚的に観客に訴えるものがとても強く、観客までも舞台にワンシーンではあるが参加してもらう構成には、非常に驚きを受けた。正直、あまり演劇というものを見る機会があまりなく、最近知り合いの舞台を初めて見に行ったほどだった。その時も初めてが故に、演劇というもののおもしろさ、難しさというものを少ししか感じ取れなかったが、阿部氏の行っていることは普通の演劇と違うと思う。普通の演劇では、テーマが明確で話の内容が理解しやすい。しかし、阿部氏の行っていたシリーズ・コンプレックス・シーイング(以下SCS)はテーマがとてもつかみにくい。精神障害、原発、市場経済など、普通、演劇ではあまり取り上げられないテーマだと思うし、演ずることが非常に困難であると思う。しかし、このようなテーマを演ずることで、観客が考えさせられることは非常に多く、実際レクチャー時の映像を少し見ただけでも、精神障害についてすこしの時間ではあるが、一人で考えられる機会が得られた。普段の生活の中で精神障害、原発、市場経済など考える機会もなければ、話題も少ない。あるとしたら、テレビで取り上げられるときぐらいだろう。このようなテーマで演劇することの価値は計りしれないし、実際に大きな問題であったテーマに対して観客に考える機会を与えることが、この演劇を通して伝えたいことの一つなのかもしれない。演劇の捉え方は観客それぞれである。そこは異なってもいいが、大切な機会を観客に与えたいのかもしれない。テーマだけを聞くと敬遠しがちな演劇だと思う。深く知ることで痛みを伴うこともあるしれない。ただ、単に重い演劇ではなく、観客の脳裏になにかしら認識を残すために、笑いとかユーモアが含まれているような気がした。今回のレクチャーは建築的な考え方ではなく、演劇を通して自分の人間性に訴えるものがとても強いものであった。

演出家 阿部初美さんのレクチャーを聞いて 
小石直諒
 11月28日、演出家の阿部初美さんのシリーズ・コンプレックス・シーイング(以下SCS)の3作品についてお話を聞かせていただきました。阿部さんは,2006年から『4.48 サイコシス』をvol.0としてSCSというシリーズの演出を手掛けています。
 ここで、ドラマというのは人間の中で生じる、目的→行動→障害→葛藤・対立という一連の流れによって成り立つものですが、この流れの中の「人間の行動というものを表したものである」、とアリストテレスは説いたそうです。この流れを起承転結で作る劇が現在でも使われ、この手法を用いると感情同化、つまり俳優たちが演じている役に感情移入してしまうそうです。
 そこで、ドイツのブレヒトは非アリストテレス的劇作法により異化、つまり感情移入させないという手法を用いました。これは、俳優たちが演じている役に対して一人称だけでなく、三人称を使うというものだそうです。そのため観客は物語の流れのなかで、流されながら見るだけではなく、流れの上空から見ることの重要さを指摘し、そんな複数の位置からの見方を持つことが出来るようにということで、「複合的な見方 the complex seeing」という手法が生まれたそうです。
 SCSの『4.48 サイコシス』という作品は精神障害についての劇で、これをやった背景として、バブル崩壊後、自殺者の数が年間3万人と急増したにもかかわらず、マスコミなどがこの事実を取り上げなかったからだそうです。『アトミックサバイバー』という作品は原子力発電所についての劇で、これはチェルノブイリ原発事故や青森県六ヶ所村に出来た核燃料再処理工場の話などを取り入れながら、原発のことについてというものでした。また『エコノミック・ファンタスマゴリア』という作品は、「お金ってどこへ行くの? 投資でひと儲け? 大ヒット商品をつくるには? 自分を高く売る方法って??」というものを演劇で表現した市場経済についてのものでした。この3作品は観客に対して質問を投げかけるような作品で、阿部さんは、異化、第4の壁(俳優と観客の壁)をなくす、映像、シーンを短く、という4つの要素で劇場が思考の場となり全然考え方も違う関わりの無い人たちが集まる場として機能してくれれば、と考えているそうです。
 自分が今回一番印象に残ったのは、阿部さんが最後に言われた「演劇は絵画などのように作品として残らない。けれどもその時、その場にいないと味わえないものであるし、その分成功したときに、自分の中で何らかの変化が起こる。」という言葉です。何回か演劇は見たことがありますが、やはり劇場にいないと味わえない雰囲気や臨場感があると思います。ましてやSCSのような手法を用いたものだと、それらをより一層味わえるのではないかと感じました。
 今回のレクチャーで、今まで見てきた演劇とは全然違う演劇を知ることができ、非常に興味が沸いたので、今後はSCSのような作品なども機会があれば見に行きたいと思いました。

無題
西濱萌
 2008年11月28日(金)演出家、阿部初美さんを招いた「SCS(シリーズ・コンプレックス・シーイング)について」のレクチャーに参加しました。私は中学・高校の6年間ミュージカルをやっていて、「劇団四季」主催の歌やダンスのレッスンで舞台にも上がりました。なので、今回の安部さんのレクチャーはいろんな意味で勉強になりました。
 安部さんの「嘘の世界で出来るんなら、本当の世界でもなにか出来るんじゃないか。」という発言に対して少し鳥肌が立ちました。すごく的を射た発言で、とても簡潔で……それが私には、社会に対しても「一人一人が同じ目標に向かって努力をすればできないことはないのではないか。」と聞こえました。舞台を作っていく為には「まとまり」が一番大切だと思うからです。配布されたプリントでは太田省吾さんが「『可能性のフィールドとしての演劇』という視点から見てみますと、1909年から1999年までの日本の近現代にあって、それぞれの時代の演劇表現は、そこへの試みとして、一種の同列性をもつことになり、それによってはじめて歴史の意味をもちうるのではないでしょうか。」と、発言しています。
 劇の中には一つのストーリーを題材にするものが多いのでその中で個々に対しての一々説明はしないので、観客席では疑問を持ったとしても各々で自己完結するしか術がないのです。しかし、「アトミック・サバイバー」で題材にされた青森県六ケ所村の核燃料再処理施設に出てくる「原子力エネルギー」をイメージで自己完結して終わらせてはならないのです! 知識をまず説明する事の重要性。この行為はとても大切だと思いました。そして、その説明の仕方がとてもユニークな演出で、カメラとスクリーンを使って舞台上に作られた観客席からでは見えない異なった空間をうまく繋いでいること。「背景をスクリーンに映し出して状況を伝える」という演出の作品は何回も観たことがあるものの、「舞台上での演者そのものを映し出したり、ミニチュアの模型を使ってスクリーン上で臨場感を加えた」演出の作品は初めて観ました。舞台上でのカメラワークを上手に使った説明は演者が口だけで説明するよりもはるかに解りやすいと感じました。
 昔、「同性愛について」という題材の演劇を観に行った事があります。同性愛に対しての偏見に苦しむ人、同性愛を理解出来ない人、同性愛を理解出来る人。その舞台設定でもある人物を軸に、物語を構成するのではなく、「様々な人々の生の交錯する場」として、社会的な広がりを持たせる演出だったのを思い出しました。本当はどっちが正しいのかなんて人それぞれの意見があると思います。その様々な考えを持つ人が集まったひとつの空間の中で、一つの物事について各々が持つ考えを排除しないで、新たに「考える」という場所。その場所が大切でその場所=思考の場=劇場であると学びました。

シリーズ・コンプレックス・シーイングについて 阿部初美レクチャー(その2)

ゼミナール | Posted by satohshinya at December 4, 2008 5:17 | TrackBack (0)

シリーズ・コンプレックス・シーイングについて 阿部初美レクチャー(その2)

演出家、阿部初美さんのレクチャーを聞いて   
秋元雅都
 私はこのレクチャーを聞くとき、「演出家」という普段接することのない方の話が聞ける貴重な機会だと思い参加しました。しかし、私が思っていた「演出家」、つまりドラマや映画のような物語を舞台上で展開するといった、いわゆる演劇を演出する人とは違うということを冒頭で聞きました。「シリーズ・コンプレックス・シーイング(SCS)」というとくに台本を作るということはなく、取材してきた内容をありのままに演じるというドキュメンタリー演劇を演出しているということでした。
 演劇史の話の中で、元々演劇とは、アリストテレスの提唱した「目的→行動→障害→葛藤・対立」という流れのなかで、その登場人物を自分に重ねる(感情同化)ことでカタルシス(浄化)を導くというものであるということを聞きました。これがいわゆる演劇で、その後に始まるブレヒトの非アリストテレス的劇作法、つまり感情同化を否定し違う角度からみさせる(異化)ことをカタルシスの目的とした演劇がSCSの元になっているということでした。私は最初、アリストテレスの同化による演劇が私の知る演劇でありその意味にも納得していました。しかし、それを否定したブレヒトの異化による演劇が生まれた背景には、ナチスドイツによる感情操作への否定があるという話を聞き、これにもまた納得させられました。
 実際に、SCSの「4.48 サイコシス」、「アトミック・サバイバー」、「エコノミック・ファンタスマゴリア」という3つの作品の一部を見させていただきました。
 最初の作品は精神障害をテーマとした作品なのですが、正直なところよく理解できなかったというのが感想でした。しかし、客にカーテンを開けてもらうことで終了するラストシーンから、余計なお世話かもしれないがそれによって救われる人もいるのでは?というメッセージを感じることはできました。この作品はとても過激な内容でしたが、それだけの現状がありその現状を知らないからこそ過激に感じるのだと思いました。
 2つ目の原発をテーマにした作品と3つ目の市場経済をテーマにした作品にも共通しているのが、私たちの知らない現状や普段深く考えることのない物事をありのままに見せているということです。それぞれの作品から、いかに自分が周りをみていないか、そして物事を考えるということができていないかということに気づかされ、考えさせられました。
 このような形態の演劇は賛否両論あるそうですが、私はこのSCSに関して、普段何気なく暮らしている人々にもう一度物事を考えさせるという点でとても意味があり価値のあるものだと感じました。今回のレクチャーを通して、感じたことを頭に置いて、もっと周りをみられるようになれたらと思いました。そして、分野をこえて見たり感じたりするということを建築に生かし、幅の広い考えを持ちたいと思いました。

演劇家 阿部初美さんのレクチャーを聞いて
杉田達紀
 今までの人生で劇というものに関わったことがほとんど無かった。あるとしたら小学生の時の演劇発表会ぐらいで、“壁にペンキを塗っている友達B”などの薄い役をするぐらいでした。
 なので今回の講義は正直初めは聞かないでもいいのではないかと考えていた。しかし、新しい発見があるかもしれないと思い講義を聴くことにしました。
 その予感は的中し、自分の思い浮かんでいる劇とは違う『劇』があった。それはドキュメンタリー演劇といい、台本が存在しなく、実際に体験者や現地の人に取材をし、即興で演じるというものだった。そこには、アリストテレスの目的→行動→障害→葛藤、対立という考えがあった。シェイクスピアのほとんどの作品もこの対立などを表しているらしい。そう考えると、現代のドラマもみんなこのあっちかこっちかの対立の考えがどこかしかに埋め込まれている。
 そして、悲劇の目的はカタルシスという浄化を引き起こすことのようで、感情を同化させるというものである。人間だれもが知らないうちにカタルシスを引き起こされてしまっているというのは、怖い反面、感情があるということなのでうれしい。
  阿部初美さんはシリーズ・コンプレックス・シーイングという物事を複合的に見るという演劇を手がけている。この劇は非アリストテレス的演劇作法といわれ、B・ブレヒトが考えたものである。その考えは、感情同化は危険であり、感情移入は怖いというものである。また、異化というキーワードがあり、俳優が役に感情移入しないで演じ、それを、自分を見失わないようにリラックスしながらダラダラ見てほしいというものである。
 普通の素人の考えだとダラダラ見ないで真剣に見てほしいと思ってしまう。
 そして、阿部さんはブレヒトの考えを元に、
1:異化
2:第4の壁をなくす
3:映像
4:シーンを短く
という4点を考えながら劇をつくっているのである。そして、思考の場が生まれてくるのであろう。
 『4.48 サイコシス』は、まず慎也先生がつくった舞台装置の全体が見えないところが残念だった。作品はとても怖い感じのものだった。あの迫力をダラダラ見るというのは少し無理な気がする。
 『アトミック・サバイバー』 原発の話で、コミカルに真剣なニュースを表すというもので、解りやすい解説を見ている感覚になった。
 『エコノミック・ファンタスマゴリア』 これは舞台の作り方がおもしろいと思う。どこからが舞台でどこまでが客席なのかが解らない。ぬいぐるみが出てきたりとユーモアを大事にしている作品である。
 今回新しい分野の演劇を見ることが出来てよかった。もしかしたら一生ふれることが無かった分野かもしれない。講義では映像としてしか見れなかったので、生で体験したいと思った。

演出家:阿部初美さんの講演を聞いて
山下浩介
 今まで私は数回演劇や、エンターテイメントとしてのショーを見てきました。最近では、演劇とは違いますが「ブルーマン」を見ました。様々な色や照明効果を用い、音だけでなく視覚的にも楽しめ、また実際にオーディエンスに舞台に参加してもらい、その場でエンターテイメントを作り出すという斬新な試みがありました。近年では、こういったオーディエンス参加型のショーが増え、会場を一体感に包み込めるという利点があります。しかし、今回の阿部初美さんの話では、オーディエンスが参加する作品はあるものの、また違った演劇独自の観点を知ることができたと思います。
 私は、訴えかけられ、自ら考えさせられる作品をあまり見たことがなかったので、シリーズ・コンプレックス・シーイング(SCS)はとても新鮮で演劇の深さを知りました。SCSはB・ブレヒトの「複合的にみる」シリーズとして、全てドキュメンタリー演劇となっており、vol.0『4.48 サイコシス』、vol.1『アトミック・サバイバー』、vol.2『エコノミック・ファンタスマゴリア』の三部で構成されています。テーマがそれぞれ、精神障害、原発、市場経済となっており、私自身とても難しく感じ、捉えにくいものでした。「サイコシス」はテイストがとても重く、のめり込んで見るという感覚はありませんでした。非アリストテレス的劇作法の異化に当てはまり、批評的に観ることで作品を捉え、作品が伝えたかったことを理解し、自ら考えさせられました。最後にオーディエンスが参加するシーンがありましたが、勇気がいることであり、とても重要な要素を持っていると思います。「アトミック・サバイバー」、「エコノミック・ファンタスマゴリア」の二作品はスクリーンと舞台による作品であり、映画と演劇が一緒になっていました。視覚的にも考えられた舞台のセット、映像と演劇の同化が見事でした。「エコノミック・ファンタスマゴリア」では舞台にもオーディエンスに上がってもらい、それぞれ見る場所によって作品の捉え方も変わってくるので、こういった方法(効果)もあるのだなと思いました。
 最後に阿部初美さんも仰っていましたが、演劇は年代・価値観がバラバラの人が作品を観て、共有します。しかし、人は感じ方がそれぞれ違い、隣の人の空気を感じとることも演劇を観るうえでの重要な要素の一つだと思います。佐藤慎也先生と阿部初美さんのように建築と演劇といったジャンルを超えた付き合いが、今後新たな発想を生み出すためにも更に必要となってくると思います。私も異ジャンルの人と交流を深め、自分を成長させていきたいです。

無題
古山幸太郎
 今回の講義では演出家の阿部初美さんのレクチャーとあって劇団の話がメインとなるテーマだった。最初は阿部さんの手がけた作品の紹介と劇(ドラマ)の歴史と解説で始まったが、映像を見る前に解説を聞いていなかったら映像を見た時点でそうとうの動揺があったと思う。私が見てきた劇は劇団四季など舞台がありそこで俳優が演じ、客席と舞台の間で演奏家が曲を演奏する最もポピュラーであると思うスタイルのものであった。しかし、今回拝見させてもらった劇では一見バラバラで話のつながりを見つけるのに必死になってしまった。説明を受けたうえで拝見したのでこのスタイルを踏まえたうえで見ることができ、また劇中に込められた意味を考えることができた。
 全部で三作品見せていただいたが、作品を見て初めてB. ブレヒトの掲げる非アリストテレス的劇作法というのが見えてきた気がした。今回の劇ではアドリブなどの縛りを緩くしているとおしゃっていたので、ブレヒトのやり方から少しアレンジがなされていると思われるが、一言に演劇と言っても様々な手法があり、演出家によっての表現の仕方など奥の深さを短時間で感じさせてもらうことができた。
 今回拝見させていただいた三作品の中で最も印象に残った作品は一作品目の「4.48 サイコシス」にはとてもひきつけられた。他の二作品はとてもポップな感じに仕上られていて見やすい作品だと感じたが、この作品は観客に訴える要素がとても多く、見ている側も受動的な立場だけでなく俳優達が演技を通して訴えている何かを感じ取り考えさせる作品となっていた。また、この作品はラストに観客に参加してもらう形をとっており、さらに観客が参加してカーテンを開くまで劇の終焉は訪れないという個人的にはとても特異でめずらしい形式にとても新鮮さを受けた。
 設計という仕事を建物やインテリアではなく演劇の舞台に取り入れるという事例は聞いたことがなかった。今回見学したサイコシスの映像では全てを見ることができなかったが小さな舞台の上でも建築家の設計を取り入れるこだわりとその完成度にはとても感心させられた。今回の講義の全体を通して設計に通じるものが多かったかはわからないが、芸術に対する意識の高さを感じることができた。

阿部初美さんの講義を終えて
藤井悠子
 今回の阿部さんの講義を受けて、『演劇』というものを知り、自分は演劇について何も知らなかったということに気づかされました。今まで演劇というものをあまり見たことがなく、見たとしても小さいときに見たあかずきんちゃんなど、有名な物語を劇にしたものを人が演じる、ただ単純にそれが演劇だと思っていたので、演劇がギリシャから始まったという歴史や、アリストテレスが論じた劇作法、それの対となるブレヒトが論じた非アリストテレス的劇作法があるということを始めて知ることができました。
 まずアリストテレスは、基本原理を模倣とし、理想像の模倣が悲劇的成立には必要不可欠と考え、ひとつの流れ(目的-行動-障害-葛藤・対立)に基づき、悲劇の目的を心情の浄化というカタルシスであり、感情同化によってカタルシスを引き起こす、つまり今のドラマのような流れ(起承転結)と同じであると阿部さんは言っていました。現代のドラマと同じといっても、どんなものなのか知りたかったので、阿部さんも講義中に紹介していた、シェークスピアのハムレットを見てみました。確かに、上で述べたような流れに沿っていて、今のドラマと同じような構成でした。このハムレットには、読む者の視点によって多様に解釈できるといわれているが、そのせいなのか、自ずと、この人はどういう意味を指してこんなことを言ったのか……などと気づかずに感情同化をしており、人間の実存的な葛藤が力強く表現されていて、大きな衝撃を受けました。
 これに対する、ブレヒトによる非アリストテレス的劇作法は、現実とは異なる表現を与え、非現実に一時的に意識を落とし込むことによって、感情移入をさせない方法(異化)である。このブレヒト理論に沿ってつくられ、それをドキュメンタリー演劇としたのが阿部初美さんの作品でした。講義では3つの映像を見せていただきましたが、どれも重く感じました。なにより自分が日本の現代社会について何も知らなかったこと、それをまさか演劇を通して知らされるとは思っていませんでした。Vol.0『4.48 サイコシス』では、精神障害という重い内容でしたが、一つの物語に構成されてはいなく、感情移入を避け、最後は観客にカーテンを開けてもらい、それが劇の終わりという、舞台と観客の壁を取り去っていて、一つの空間の中にいても舞台と観客が別になっているという観念が無くなりました。これに共通して、Vol.2の『エコノミック・ファンタスマゴリア』でも舞台の中に観客を入れてしまうことで第4の壁をなくすということには驚きました。
最後に阿部さんが言っていた、『劇場が異質なものと出会う場所となるのが目的』だと。一人一人が違う意見を持ち合うことは当たり前のことであって、それが一致するには無理があります。しかし、劇場では排除することをせず、違う意見を持ったもの同士が瞬間的に共存するという。この言葉によって演劇に対しての考え方が変わるきっかけとなりました。

演出家・安部さんの講演を聴いて
布施美那
 阿部さんはドキュメンタリー演劇の演出家です。ドキュメンタリー演劇には台本はなく、即興で演技をしていくものです。
 ドラマという言葉はギリシャ語の、行動するという意味の動詞、ドラーンを再現という意味でアリストテレスが名付けました。近代までのこの主なテーマは葛藤や対立でした。人は目的があって行動します。すると障害にぶつかります。そしてその障害に対して葛藤・対立します。演劇を観る観客はそれに感情移入していきます。これを感情同化と呼びます。
 それに対してB・ブレヒトは感情異化を訴えています。SCS、シリーズ・コンプレックス・シーイングはB・ブレヒトの理念に基づいています。B・ブレヒトはナチスの時代の科学者で、非アリストテレス的劇作法を提唱した人です。彼は、演劇が観客に感情移入を訴えること、感情同化を危険だと言います。感情異化は、俳優が台詞の中で、「私は、僕は……。」などの一人称を使った直後に「彼は、彼女は……。」と、二人称を混ぜて使います。これによって俳優が自分の役を客観視することになり、役に対しての感情移入をしなくなります。それによって観客も感情移入しないで観ることになります。これには演劇を批評的に観てもらいたい、コーヒーを飲みながら、タバコを吸いながら、リラックスして観てもらいたいという意図があるようです。このような説明の後に実際に阿部さんの作品を観ました。
Vol.0「4.48 サイコシス」
Vol.1「アトミック・サバイバー」
Vol.2「エコノミック・ファンタスマゴリア」
の3作品です。私は今まで何度か演劇を観たことはありましたが、ドキュメンタリー演劇というジャンルのものは初めてで、最初にどういうものかの説明がなければ、それがどんなものなのかわからなかったと思います。「4.48 サイコシス」は、精神障害をテーマにしたもので、私が実際にその演劇を劇場で観ていたとしたら、少し怖いという印象をこの劇に対して感じていたと思います。「アトミック・サバイバー」は原発がテーマで、これをやるにあたってはたくさんの障害があったようです。この作品には私は少し感情移入をしてしまったような気がします。もちろん、私自身はこの原発の話をあまり身近に感じることはなかったので客観的には観ていたとは思いますが。ただ、演劇に出てくるミニチュアでの説明や、原発事故の歌には少しクスッと笑えました。「エコノミック・ファンタスマゴリア」は市場経済をテーマにしたものです。ぬいぐるみが出てきたり、コミカルなシーンが織り交ぜられながらの作品でした。所々にこのぬいぐるみがでてくることによって感情異化して観ることができた気がします。
 このような作品では、観た後に、「すごかった」「楽しかった」などの一般的な作品における感想よりももっと長くて、一人一人が本当に考えてくれるという特徴があります。
 一つ一つシーンを短く、起承転結をなくしたり、シーンを織り交ぜたり、感情を異化することによって劇場が思考の場となります。これが目的なのです。

無題
伊澤享
 演劇にはいくつかの種類があり、役を客観的に見て感情移入しない「非アリストテレス的劇作法があることや、台本がなく見てきたこと経験から組み立て、即興で演劇にする「ドキュメンタリー演劇」などがあることがわかり、とても新鮮でためになりました。
 しかし、その中でも心に残ったのは授業の中で見た演劇です。それは、いままで見てきたものとはまるで違う演劇でした。
 とても生々しく、人間の本能に語りかけてくるように深く、荒々しかったです。
 「vol. 2 アトミック・サバイバー」は私達が知ることが出来ない、例えば原発の廃液を海に平気で流してしまっている現状と事故が起きてもそれを公表せず隠している原発側などを知ることが出来、素直に驚き、それとともに怒りを覚えました。
 ここまで、心を動かす演劇は見たことありませんでしたし、触れる機会もありませんでした。
 自分の知らない世界を少しでも知る良い機会であったと同時に、とても興味をそそられました。このような機会を与えてくださってありがとうございました。

11月29日の阿部初美さんのレクチャーを聞いて
薄葉唯
 今回の阿部初美さんのレクチャーを受けるまでは、正直あまり演劇というものに関わりがなく、劇場では素晴らしいとは思いつつも、「ただ感動した。」というような感想しか持てませんでした。今回、SCS(シリーズ・コンプレックス・シーイング)というシリーズがあることを始めて知りました。最初のレクチャーで、「SCSは台本がなく、取材をして、その取材を基に話を進めていく、ドキュメンタリー演劇と言われるものである。」と説明を受け、初めてそのような演劇があることを知りました。
 また、今まで、何も意識せずに、共感してきたドラマ、映画には、アリストテレスが提唱した「目的→行動→障害→葛藤・対立」といったサイクルのなかで、観客は登場人物と感情同化し、カタルシス(浄化)されるといった作法を基に作られていたということに、お話を聞き、初めて気づかされました。そして、それに相反する、B・ブレヒトが提唱した「非アリストテレス的劇作法」という作法に驚きました。感情同化は危険であり、感情が先走ると、思考がストップしてしまので、絶対に感情移入させず、批判的に観て欲しいという考え方には、ナチスの異常さを身近で感じていた人だからこその考え方だと思いました。私は元々、観客が泣くことが半分強制であるかのようなストーリはあまり好きじゃなく、むしろ一歩引いて観てしまうところがあるので、このB・ブレヒトの作法は衝撃的でした。しかし、俳優にも感情移入をさせずに、一人称と三人称が混ざっているとは、どういうことなのか、演劇として成立するのかと疑問に思いましたが、映像を観させていただき、一部でしたが、理解できたように思います。
 Vol.0~2の題材はどれも重く、難しく、賛否両論分かれるような事柄で、取材も大変だったと思いますが、この演劇を生の劇場で観ていた方たちも大変だったのではないかと思いました。阿部初美さんの「思考の場としての劇場」の言葉の通り、一部しか観ていない私でも考えさせられたので、劇場で観ていた方たちは相当頭を使ったのではないかと思いました。また、この感情ではなく、考えた結果の自分たちの意見ではなく、考えるということ自体を共有するという考え方に大変興味を持ちました。私もぜひSCSの次回作を劇場で共有してみたいと思いました。

シリーズ・コンプレックス・シーイング 「複合的に見る」 とは
森田有貴
 人は目的があるから行動し、行動するとそこには障害が生まれ、心の中に葛藤が生じる。
 阿部さんのレクチャーの中でこのようなお話がありました。これは近代の劇の軸となっており、様々な劇を生み出し、観客の感情同化を促してきました。
 B・ブレヒトは感情同化を危険とし、異化という方法を取り入れました。それまで、劇やドラマなどに感情移入することは観客にとっても、俳優にとっても良いことだと思っていた私にとって、衝撃的でした。
 シリーズ・コンプレックス・シーイングの劇の実際の映像を見て、さらに驚きました。私が想像していた劇とは全く違い、一人称と三人称が混ざり、言葉に聞き入ってしまうが、決して感情移入することはできませんでした。
 調査したことをそのまま劇とすることは、現代が抱えている問題を直に受け止められる方法だと感じました。ただ感情移入して見て、「感動した」と感想を述べるのではなく、問題に対して考えるきっかけにもなります。
 vol.0では孤独な人々がさまよい、物語になっていない芝居が続いていました。光カフェという場所に精神障害者たちが集まり、最後は観客に任せるという劇は初めて観ました。何が正解で、何が不正解で、という答えのない劇のようにも見えますが、必ずといっていいほど、この劇を観た観客は現代社会に対して不安や不満を感じ、自分の意見を持つのだろうと感じました。
 阿部さんは、「演劇というジャンルに囚われず、拡がっていきたい」とおっしゃっていましたが、このことは今後、どのような業界にも必要になる考えではないかと思いました。拡がっていくことで、自分自身の考えだけではなく、他人の考えも改めることができ、より影響力の強いものが作り出せるのではないでしょうか。「関わりのない人」と壁を作るのではなく、価値観や年代、性別が違っても、得るものはあるのだと積極的に関わっていく事が求められます。
 阿部さんのレクチャーを聞き、もっと視野を広げ、いろいろなものを観て、感じて、自分の中に取り込んでいきたいと感じました。

舞台芸術 阿部初美さんの講演
岡崎隆太
 演劇の本当の意味を大切にしている阿部さんの演劇に対する熱い姿勢が講義を聞いてとても伝わってきました。始めに、何のために?誰のために?演劇をし、伝えるのか。演劇の根本たるものがなんなのかを教えていただいた気がします。何を伝えてどうしたいのか、そしてその方法としてどうしたらいいのか。何をするにも共通して重要なことであるけれどもそれは見失いがちになってしまうことだなと感じました。自分が何かしらのことをやっていたときに、やっていた理由を探してしまうことが最近多くてとても共感、というか思うことがたくさんあった気がします。それは特に、体で表現する分野は感じることだろうと思います。今まで演劇を生で見たことが数えるぐらいしかなく、演劇のことはよく知りませんでした。イメージとしては、きれいに役を演じて豪華な演出で非日常的なストーリーが展開していくという感じに思っていました。しかし、講義で見せていただいた阿部さんの劇では、そのイメージとは違ってよりリアルでダイレクトに伝わってくるように感じました。自分の中で劇に対する価値観が少し変わった気がします。シリーズ・コンプレックス・シーイングの4.48 サイコシスは観客を参加させることによって終わるという形式がとても斬新で、また扱っているテーマが難しいだけに、劇を通して感じることや解釈も簡単にはできなかったと思います。断片的にしか見ていませんが、意味がハチャメチャで何をしているのかなと、一瞬混乱したけれどそれが精神障害のリアルなところでそれが直球で伝わってきた気がします。
 劇の始まりに、本当の自分の話をする場面はより役者の気持ちが伝わってきて面白かったです。リアルな気持ちをそのまま観客にぶつけているのがわかりました。劇という作られるものにそうではないリアルな感情を乗っけて本当に伝えたいことを強調させている気がしました。いろんな手法で劇を構成することでもそれは感じられるし、そこには『痛みを伝えるだけでなく緩和するためのユーモア』もあって劇の楽しさ・素晴らしさをより体感するのかなと思いました。
 最後の方におっしゃっていた、ジャンルに縛られていてはいけない、その言葉にとても共感しました。自分もとても感じることで、それは根底にある本質をぼかしてしまう要因だと思います。違う表現方法であれ、伝えたいことが同じならばそれは認め合えるし、それが違くても新たな視点が考えられるような気もします。
 今回の講義では演劇の深さを少しでも知れて、何より表現することの意味を考えさせられた気がします。

ゼミナール | Posted by satohshinya at December 4, 2008 5:17 | TrackBack (0)

取手アートプロジェクト見学会

2008年11月8日(土)、2008年度第2回ゼミナールとして、「取手アートプロジェクト2008」の見学会が行われた。以下はその見学会に対するレポートである。

取手アートプロジェクト2008見学会に参加して
山川慧子
 前回の大内さんのレクチャーを聞いてから、この見学会を本当に楽しみにしていました。まず思ったことは、本当に普通の団地の中に、沢山のアートが埋まっていて、感動しました。団地に行くこと自体が本当に久し振りで新鮮だったのもあり、広い井野団地のあちこちにある、部屋から部屋に行くのも楽しくて仕方ありませんでした。
 最初に入った部屋からインパクト大!で、Guest Artistの生意気さんの部屋でした。私はこれまで生意気さんというアーティストを知らなかったのですが、毎日大変な世話をしなくても、植物が自分で生きていくというシステムを真剣に考えていて、フードジャングルをつくっているというユニットで、作品はとても可愛くて、POPな感じで、とても好きな作品でした。作品を見ただけではここまで真剣な考えがあることはわからなかったのですが、少し生意気さんについて調べてみて、興味を持ちました。
 そして、楽しみにしていた国際交流プロジェクトの韓国人アーティストを見に行きました。元商店街のアトリエでは、韓国人の留学生がいたので、少し話が出来ました。やはり、日本人アーティストと外国人アーティストは感性が根本的に違うようで、そこを感じられてとても考えさせられました。韓国は、2010年の世界デザイン首都に選ばれ、デザイン、アートへの関心が着実に高まっているので、レベルがどんどんと上がってきているのではないかと思いました。もっともっと韓国のアートを見てみたいと思いました。
 解散した後は、みんなで、みかんぐみの「+ト(タスト)」を全て探しに行きました。もうすぐ日が落ちてしまうということもあり、取手市の貸し自転車を借りて、+トの地図を頼りに探しに行きました。私達は運よく、一番初めに掲示板の地図を見つけたので、その地図を頼りに回りました。
 全部が本当にさり気無く置いてあるので、最初は本当に見つけられたのかどうか心配でしたが、中盤に、鈴のものを探している時に、今までのものは探しやすかったな、と感じました。16個のうち、鈴のものだけが見つからなくて、本当に悔しいです。暗くなってしまっていたので、明るいうちに探したかったです。
 今回、取手アートプロジェクトに行って、感じたことは、たすとを探している時に、沢山の団地住民の皆様と会ったのですが、すれ違う度に、皆さん挨拶をしてくださって、何かを探していると一緒になって探してくれる子供たちもいて、佐藤研究室の部屋には元気な子供たちもいて、本当に団地の皆さんも楽しんでこのプロジェクトに参加しているのだな、と感じました。来年の開催を悩んでいる、と前回のレクチャーでは言っていましたが、ぜひ、来年も、再来年も、続けていって欲しいと思います。

取手アートプロジェクト見学会を終えて
藤井悠子
 今回の見学会を通して、『探す』という行為がどれだけ人を楽しくさせるということ、そしてそこでコミュニケーションがとれるということを実感した。
 正直、『アート』については自分では理解不能な未知の世界であったが、一方でアートプロジェクトとして取手井野団地は自分が思っていた以上に魅力的なものだった。
 まず、井野団地の規模の大きさに驚いた。というのも私自身、小さいときに団地に住んでいた経験があるのですが、12棟の団地でも大きいと感じていたのに井野団地を見たら自分が住んでいた団地がものすごく小さく思えました。なので、あの大きな敷地をまわり、展示されている部屋を地図で確認して、探して、訪れるという普段の生活では当たり前である行動がなぜか、ものすごく楽しく思えた。そしてもうひとつ驚かされたのが、予想以上に団地の人とコミュニケーションがとれるということだ。特に驚いたのが、子供たちが話しかけてくれることだった。どうしても、最近の子供は挨拶してこない、知らない人には絶対に話しかけてこないというイメージがあったので、井野団地の子供たちが特有なのか、もしくはアートプロジェクトを通しているからなのか、どっちとははっきり言えないが、少なからず、アートプロジェクトの力はあると思った。
 そして、このTAPの見学会で私が一番おもしろいと思ったのが、みかんぐみ+神奈川大学曽我部研究室が行った、「+ト(タスト)」。はじめはこの広い敷地内を探すこと自体が大変だとわかっていたのであまり乗り気ではなかったけれど、探し始めたら止まらなく、宝探しゲーム状態になってしまい、なぜか近所の子供たちまで巻き添えにして、必死になって探していた。子供のときに戻ったような感覚だった。まさか、自分がたった一日だけアートプロジェクトに見学・参加したことで、こんなにも自然に住民の人と関わりを持つことを実体験できるなんて思ってもいなかったので、驚きとうれしさを感じた。そして改めて、アートプロジェクトが人に与える影響力の大きさを感じた。

取手アートプロジェクト2008見学会
杉田達紀
 この見学会で生まれて初めて取手という町を訪れた。そして、今回のようなアートが普通に生活している空間に入ってく形のアートプロジェクトを見に行ったのも初めてだった。
 率直な全体的な感想としては、アートは、難しいなということである。それぞれの作品は視覚的なインパクトはみんなあるがその中にある作者が訴えようとしていることを作品を見ただけで理解することは、不可能なほど難しい。解説を読みながら理解していく必要があるだろう。そしてまた作品を見返すと新しい発見があるかもしれない。
生意気:パンフレットのkinkymuffland4の解説を読みなんとなくは理解できるが、難しい。
Port B:団地大図鑑。なんかいろいろと考えさせるような作品であった。人間模様である模様を形にするという考えはすごい発想だと思う。また、四方の壁を作品で囲んである部屋で一部だけくり抜かれており、そこからの井野団地の風景は、切り抜かれた風景である反面、なぜか風景が広がってく感じもし、空と団地のコントラストも綺麗で、この団地に住んでいる人が普通の窓から見ている景色と
は違った感じがするのであろう。
金沢寿美:1111さん。純粋な感想は、団地の部屋に土を敷き詰めていいのだろうかというインパクト。そして、数字に囲まれた人間像の影。
奥中章人:world-danchi。物理的に難しいとは思うが、パンフレットのような完全な球体であったらまた違う空間が生まれたと思う。この作品のいいところは、ぜひ触ってほしいというところである。団地に住んでいる子供たちが戯れることによりまた違う形へと生まれ変わっていくことも作品の一部なのだろうか。
奥健祐+鈴木雄介:井野団地足湯プロジェクト。とても解りやすく、また賑わいのあるいい空間生まれていると思う。普通に子供達は楽しそうだし、温かくて気持ちがよかったし、普通なら夏の期間しか利用されない場を活気のある場に変えられたことは成功だと思った。
柴田祐輔:ヘイ!カモン間接照明。この作品も解りやすく面白かった。物体があれば無限に照明がつくれるような気がした。自分も照明が好きで、照明一つでその空間の善し悪しを決めてしまうと考えている。実用性は難しものもあるが、いろいろと楽しい照明のヒントがあるように思った。トイレットペーパーのものが一番綺麗に見えた。
日本大学佐藤慎也研究室:+1人/日。今回のこの団地という舞台に一番あっているように思う。団地ならではの作品である。難しことはしていなくて、+1人/日で生活するということで生まれてくる空間を楽しめているように思う。ベッドの製作をしてみたかった。そして、子供達との交流が一番出来ていたように思う。子供たちが本当に楽しそうだった。地域の人々との交流も大事な要素である今回のアートプロジェクトの中ではとても成功していたと思った。

無題
山下浩介
 11月8日、「取手アートプロジェクト2008」見学会に参加させてもらいました。多くのアーティストの個性ある作品に触れ、アーティストの表現を通し取手井野団地全体が一つの展覧会として成り立っていることを実感しました。新しい観念を自分の中に取り入れることができた気がします。
 取手駅に着くとTAPのポスターが構内に貼ってあり、出口でパンフレットを配っているなど、街全体がTAPに協力し、期待を持っているのだと感じました。歩いて井野団地まで行きましたが、取手市の街並みや雰囲気などを知ることができたので、バスで行くより逆に良かったかな、と思います。
 TAPは地域の住民の人たちとどのように関わりを持ち、協力していくかが一つのテーマになっています。その中で、アーティストの作品と住民の人たちとの関わり方が三つあると思います。一つは制作過程で住民に手伝ってもらい作品を完成させること。二つ目は、制作した作品を住民に提供し楽しんでもらうこと。そして三つ目は、以上の二つに当てはまらず、作品を通して継続的に住民と付き合っていくもの。私は今回多くのアーティストの作品を見させてもらった中で、この三つ目に当たる作品について興味を持ちました。その中で特に二つ興味深い作品がありました。まずは、毛原大樹×中島佑太さんの「井戸端ラジオプロジェクトFMゆめ団地」。誰もが番組作りに携わることができ、団地の住人みんなで集まれるコミュニケーションの場となっていたと思います。佐藤先生や友人の二人も実際参加しましたが、住民の人たちや訪れた人に参加してもらい、ラジオ番組を作り上げるという試みに新しさを感じました。そして、宮田篤さんの「おちゃ感」。とてもユニークな遊びを通して、住民のみなさんとのコラボレーションをし、その作品を展示していました。部屋はとても暖かい空気が流れ、宮田さんの人柄もあってか、とてもアットホームな感じがしました。作品を見させてもらいましたが、誰もが簡単にできるものであるのに関わらず、とても斬新でそのアイディアに感心させられました。
 そして、日本大学佐藤慎也研究室の「+1人/日」は、室内に入ってみると生活の様子が見てとれ、男子・女子ともに寝床の一人一人に与えられたスペースがあまりに狭いので、寝床の確保がとても難しかったことだと思います。当日あまり詳しく話を聞くことはできませんでしたが、今後機会があれば話を聞かせてもらえればありがたいです。
 取手アートプロジェクトのみならず、様々な場所で、その特性を生かしたプロジェクトが行われていると思うので、今後は積極的に自ら足を運び参加していきたいと思います。

取手アートプロジェクトの見学会に参加して
本多恵太
 アートというと、絵画とか彫刻といったものが思い浮かぶ。そしてそれらが、アートというものだと思っていた。
 しかし、取手団地で私が一番感じたのは、その見ている時間や空間や、見学している人も含め、過程も全てがアートになりうるという事だった。
 おちゃ感での、一人が一枚の紙に文章を書いたものを、ドンドン挟んでいき一冊の本にするという作品を一緒に作って楽しめるものや、井戸端ラジオプロジェクトの様に、会話を作品にするということがアートである、という発想に驚かせられた。
 私は以前、中村政人さんのM1の作品造りの一環で住居ユニットのペンキ塗りに参加させていただいたが、その際に、当時まだ8人しか住人がいない+1人/日を覗かせてもらった。普通なら団地の一部屋に住めるのは4、5人が限界のはずなのに、この先どうするのかなと疑問だった。ブログを見ているとベッドをつくったり、目安箱をつくったりと、色々工夫している様だったが、空間不足という観点からやはり、どうやって寝ていたかがすごく気になっていた。アートとして、展示している+1人/日を見たら、随分としっかり作って4段ベッドにしたり、押し入れやベランダまで上手く使っていた跡が見られた。伝言板やパソコンに映したビデオ映像なども含め、一ヶ月間どの様に生活してきたかが感じられる部屋という空間もアートなんだなと感銘を受けた。
 アスレチックの様な物で遊んでいたら、子供に、大人なのになんで遊んでるの、と言われ、ひどく心が傷ついたが、結局少し、一緒に遊んだ。子供が大きなworld-danchiの中でぐるぐる走っていても、小さなworld-danchiを投げていても、その瞬間、瞬間、の光景も展示の一部だと思った。
 TAPは少なからず、団地の住民と関わりを持ち、住民や私たち、多くの人々に影響を与えていると感じた。いつか自分も影響を与える側の人間になれたら、と思う。それには様々な方法があることを今回の見学で学んだ。もしまた来年もTAPの開催が可能ならば、されることを期待したい。

「取手アートプロジェクト」見学
多田早希
 11月8日、前回の第一回目のレクチャーでお話いただいた茨城県取手市で開催されている「取手アートプロジェクト」の見学会に参加しました。井野団地の北側、「生意気」から徐々に見学していき最後に日本大学建築学科の佐藤慎也研究室の先輩方の+1人/日を見学させていただきました。その中でいくつか印象に残ったアートプロジェクトを紹介したいと思います。
 一つ目は奥健祐さんと鈴木雄介さんの「井野団地足湯プロジェクト」です。これは団地の公園の横にある夏以外、利用されない子供用プールを足湯に変化させたものでした。写真からもわかるように親子で足湯に浸かったり、友達同士で来ていたりとたくさんの人の憩いの場となっていました。
tadasaki1.jpg
 二つ目は柴田祐輔さんの「ヘイ!カモン間接照明」で炊飯器や掃除機、アイロン、トイレットペーパーなど部屋にある様々なモノを間接照明にし、室内を演出するというものでした。また、テレビも間接照明になっていたのですが「このテレビはまだ使えるのですか?」と質問したところ柴田さんは「このプロジェクトのためだけでもう使えません」とおっしゃっていました。それを聞いて、私は驚いたのと同時に柴田さんのこのプロジェクトに対する想いが伝わってきました。
tadasaki2.jpg
 三つ目は佐藤慎也研究室の先輩方のプロジェクト「+1人/日」です。それは3DKの部屋に一日ごとに1人ずつ居住者が増えていき、最後には21人が共同生活をしたらどうなるかというのを実体験しながら、ベッドなど様々な工夫をし、新しい住まい方を作り出すというもので、実際に見学させていただきましたが、ベッドが4段くらいになっていたりと大人数で共同生活する上での工夫がされていました。
tadasaki3.jpg
 今回、取手アートプロジェクトの見学会に参加し、部屋にみかんの木が植えてあったり、広場に一本の針金を編み上げた巨大の球体があったりと普通の生活では考えれない世界が井野団地、全体に広がっていました。そこで普段体験できないアートを体験することができとても勉強になる時間を過ごす事ができとてもよかったです。

無題
古山幸太郎
 今回の見学では、講義の際に聞いていた印象や見せていただいた写真から自分が抱いていたイメージとは大きく異なる部分が多かった。特に実際に歩いてみてわかった計画敷地の大きさである。団地とは言っても想像以上に棟があり、また保育園や小さな商店街などもあった。その広大な環境の中に小さな芸術を点在させ、さらに地域に密着させたうえでその芸術を集めて大きな計画として成り立たせているこのプロジェクトには改めて驚かされた。
 見学中は団地の住民と思われる人々がこの計画で設置されることになった作品と触れ合い、活用している光景が多く見られた。子供の遊具として扱われている作品や団地の人や近隣住民がゆっくり集まれる場を提供している作品など、地域住民の活用しやすいものが多く製作されているという印象を受けた。それと、部屋に訪れる場合は参加型のものがほとんどで、気軽に訪れて芸術家の人達が提案する企画に参加することができる。地域参加を目指しているこのプロジェクトの鍵となるような企画を行っている芸術家の方が多くいると感じた。
 見学した企画の中で最も印象に残ったのは足湯をつくっていた「奥健祐+鈴木雄介」のユニットである。夏場しか使われることのないプール。そのプールの夏期間以外の利用方法を提案していて、夏が過ぎ涼しくなってくる季節でも集まれる憩いの場所としてよみがえらせていた。見学に行った日は子供のはしゃいで遊んでいる姿やその横で母親たちが談笑している姿、また見学に訪れた人々が小休止する姿など様々な人に使用されていた。この企画は夏以外に使用頻度が圧倒的に少なくなる子供用プールの他の季節の新たな使用法の提案だけでなく、住民同士のふれあいやコミュニケーションの場としての機能の提案も感じられた。風の冷たい屋外にも関わらず入口にあるカフェと同じくらいの人々が集まっている企画になっていた。個人的に興味を惹かれたのは「柴田祐輔」のユニットである。部屋全体を間接照明で装飾している作品なのだが、驚くべき部分はその全てが炊飯器や液晶テレビ、冷蔵庫やスリッパ、さらにはトイレさえも照明へと変化させていた。間接照明の豊かさだけでなく、家電や日常品を使用していることがこの作品を惹きたてていると感じた。生活感のない家電が並べてあるだけの殺風景な部屋があんな美しく彩られていて、見学に来る人々の目をひきつけていたのではないかと思う。佐藤慎也研究室のユニットの+1人/日計画は21人が暮らすには到底せまい部屋だったがベッドや物置の使い方などでぎりぎりまで与えられた空間を有効に活用していた。実際に生活してみないと感じられない苦労は多々あると思うが、見学した感じでは一人一人の生活スペースは意外と確保されていたと思う。団地に住んでいると思われる子供たちも訪れていて地域密着にのっとった賑わいをみせていた。
 見学会を通してこの取手アートプロジェクトのスケールの大きさが感じられた。団地という閉じられた空間から外の世界に向け芸術を通して発信し、地域の住民も巻き込んでの計画となっていた。みかんぐみ設計のカフェや足湯など住民参加型のプランを多数組み込み地域への貢献も果たしているとても考えられたプロジェクトだと思う。

「取手アートプロジェクト2008」見学会
大澤梢
 11月8日、ゼミナールの一環として取手アートプロジェクト見学会に参加しました。本当に団地をそのまま利用していて、私が今までに行ったことのあるアートギャラリー等の感覚は全然ありませんでした。団地全体を使っていて、作品同士の距離もあるため、作品から作品へと移動する際に普段どおりの団地も見ることができ、日常的にはありえないアート空間と入り混じって、とても面白いなと感じました。みかんぐみの作品である「たすと」は、普段そこに在るものを使い団地中のいたるところに設置されているため、入り混じった不思議な感覚をとても強く感じることができました。
 私が特にいいなと感じた作品は、宮田篤さんの「おちゃ感」と奥健祐さん+鈴木雄介さんの「井野団地足湯プロジェクト」です。この2つの作品はこの取手アートプロジェクトならではの作品であると思ったからです。この見学会で、私は日本大学内の人だけではなく、井野団地に住む人であったり、近くに住む人であったり、いろいろな人と言葉を交わしました。団地内に住む人同士であれば尚更、いつも以上にコミュニケーションをとっていたのではないかと思います。この2つの作品は、このような団地内の暖かいコミュニケーションを生み出す素敵な作品だと思いました。特に、「おちゃ感」は、一度訪れて自分が書いた文章、言葉がどのように変化していくのか気になり、また訪れて……と循環していき、序々に作り上げられていく作品で、これは、アートギャラリーにある作られた空間ではなく、団地の一室であるからこその作品なのだと感じました。
 個人的に齋藤芽生さんの「異野団地表彰状」はすごく好きな作品でした。絵がすごく好きなので雰囲気の違う絵をかけるのがすごいなと思い、また生活する上ですぐ忘れてしまいそうなこと、気持ちに対しての賞状は、壁に賞状が整然と並べられトロフィーが隅に並びちゃぶ台があるだけの殺風景な部屋に相反して少し暖かくなるような言葉が書かれていてそのアンバランスさが良かったです。
 団地という普段、人が考えるアートとは離れた場所に作品が集まり、逆に普段アートを感じることのない人々がコミュニケーションをはかりながらアートに触れることのできるこのプロジェクトはとても素敵でした。これをきっかけに家族でアートギャラリーに行ってみたりというのもあると思います。ぜひ来年もまた違う団地の雰囲気を見てみたいので続けて欲しいなと思いました。

取手アートプロジェクトを見学してみて
布施美那
 取手アートプロジェクト2008を見学しました。先日の大内さんのお話を伺って、このプロジェクトがどのように運用されているのか、なんとなく把握できたような気がしていたし、研究室の参加する、+1人/日も一度お邪魔したことがあったので、会期中に実際に自分で足を運んで見学するのが楽しみでした。
 私はこのようなアートプロジェクトを観に行くのは初めてでしたが、想像していたものよりも規模の大きなものでした。また、団地やその周りに住む人々にも自然に受け入れられている、あたたかみのあるプロジェクトなのだと感じました。
 順番に作品を周りましたが、ここではアーティスト自身に生の声を聞くことができたので、とてもみやすかったです。どのアーティストの方もとても親切でした。
 周った中で一番おもしろかったのは、柴田祐輔さんのヘイ!カモン間接照明です。きれいでした。団地の中の部屋の中の家具、どこの家にもある普通のものが照明に変身していました。それらがきれいだったのです。よく探すとここにもあったのかという遊び心が楽しかったです。
 また、この日はとても寒かったので足湯も印象に残っています。たくさんの人たちでにぎわっていて、皆楽しそうに談笑していました。団地の中にこのようなスポットがあればみんなのたまり場になり、そのような場所がある団地に住む皆さんがうらやましかったです。
 途中、道で吉永ジェンダーさんにお会いしました。彼の作品をみた後でしたが、こういう人がああいう作品をつくるのだと、彼自身がアート作品でした。
 最後に、佐藤慎也研究室の+1人/日ですが、部屋に入ると4段ベッドが目に入りました。4段ベッドを作ったと聞いたときは、それは無理だろう、どうやって寝るのか、と思いましたが実際に目にしてみると意外に快適なのでは思いました。最終的は23人という人数だったそうですが、私にはすごく楽しい共同生活にみえました。できることなら参加してみたかったです。あの部屋で生活するには何人が限界だったのでしょうか、と疑問に思います。
 夜にだけ見られる作品もあったようですが時間的に見られなかったのが残念でした。しかし、半日の中でたくさんの個性的な作品をみることができました。また、このアートプロジェクトを観て周った後で、「団地に住むのって意外に楽しそう。まだまだ団地もいけるじゃん。」私の中の団地の印象が変わりました。
 また機会があれば他のアートプロジェクトもみてみたいと思いました。

TAP2008見学レポート
廣田沙己
 取手アートプロジェクト見学会。私は、前回のレクチャーからずっとこの日が楽しみで仕方ありませんでした。佐藤慎也研究室の『+1人/日』の展示がどのようになっているのかすごく興味と期待がありましたし、他に参加されているアーティストの方々の作品も見てみたいという気持ちでいっぱいでした。なにせ、今回のアートプロジェクトは団地で行われるということだったので、美術館などの展示空間との相違にも関心がありました。
 まず見に行ったのは、生意気さんの作品があるお部屋でした。何の変哲もない団地の一室に作品が展示してあることに対して、私は一切違和感を覚えませんでした。色鮮やかな人形たちが並べられた作品の背後にはごく普通の住宅の窓、ジャングルのように植物を配置した作品の脇にはキッチンの流し台。そこには、不思議な一体感が生まれていました。
  次に、広場に転がっていた大きな球体『world-danchi』。10人くらいは入れそうな大きな球体と、その周りには子供が抱えられるくらいの小さな球体が転がっていました。これは1本の針金を編み上げたものです。大きな球体は中に入ることもできるので、中から見た景色はいつもの団地の風景と一風変わった不思議な世界を作り出し、井野団地に住んでいる方々にも新鮮な感覚を与えるのではないかと感じられた作品でした。
 次に、『井野団地足湯プロジェクト』。夏に子供用プールとして使用されるが、夏が終わると閉鎖されてしまうというなんとももったいない空間が、足湯にすることによって再び賑わいを取り戻す。これは、子供用の浅いプールだからこそできる画期的な計画だと思いました。さらに、「季節はずれのプールに人が集まる風景」を、アートとして捉えようとした発想が素晴らしいと思いました。他にも、こたつを囲んでゲームなどをしながらアートを生み出していく和やかな空間の『おちゃ感』、空き店舗をラジオ局にし、そこを訪れた人が番組を作っていく『井戸端ラジオプロジェクト FMゆめ団地』など、人が参加することによってできる作品がいくつかあり、団地という環境をうまく使っていることに感心したと同時に、アートとは実に幅広い表現の仕方があるのだと実感しました。
 そして、『+1人/日』。部屋に入って、まずその狭さに驚きました。ブログを見たりしている限りでは、21人も入ったら狭いだろうとは思っていたけれど、元の部屋がそんなに狭いなんて思っていませんでした。そして、皆さんが寝ていたベッドを実際に見て、その工夫の仕方に感動しました。あんなに狭い部屋でも、21人が集まって生活することは頑張れば可能なのだとわかりました。そして、すごく楽しそうな雰囲気も伝わってきて、とても温かい作品だと感じました。
 全体的に見て、団地での展示は、美術館などの展示と比べて、アートに関わる人々の生活感などが加わって、たいへん温かみのあるものであったと感じられました。

取手アートプロジェクト見学会レポート
正井芳奈
 今回の見学会を経験してアートというのはとても幅広いものなのだと知りました。
 言葉のアート、人々の生活が作り出す空間によるアートなど枠がくっきりしていそうな団地という場所で枠にとらわれないたくさんのアートに触れることができてとてもいい経験をさせて頂いたと感じています。
 人がいるところにはアートが生まれるものだと実感しました。
 また、私は照明について興味を持っているのですがちょうど照明のアートにも触れることもできました。モデルルームをイメージした室内ではモデルルームという雰囲気に一瞬突き放されましたがよく見るといろいろな生活家電がやさしい光を放っていることに気づき室内全体に親近感を感じ取れました。この部屋では自分の知らなかった照明のありかたを知ることができました。
 佐藤先生の研究室による「+1人/日」という展示では人のいる空間そのものがアートになっていてそのようなものを見たのは初めてだったので少しびっくりしました。時間が数時間違うだけで空間の表情ががらっと変わっている光景を見てなにかとてもわくわくするものを感じられました。人には1人1人の生活、雰囲気というものがあってそれらが交じり合っていろいろな表情を造りだしているということをしっかりと実感することができました。
 団地という舞台のおかげで見学して回っていると探検をしているような気分や、ご近所さんに遊びに行っているような気分になれてとても楽しかったです。
 みかんぐみのいろいろなしかけを探すときに利用したのですがレンタル自転車はとても便利でした!
 またこのようなアートの展示があれば足を運んでみようと思います。 
 ありがとうございました。

TAP2008見学会
小石直諒
 11月8日に、前回レクチャーのときにお話を聞いた、TAPの見学会に参加ししまた。実際に井野団地に行ってみてはじめの印象としては、自分が思っていたよりも訪れている人の数が少なく感じたのですが、団地の中を歩き始めると、その理由がわかりました。それは自分が想像していたよりも、はるかに大きな団地であり、一つの棟にある作品の数は一つか二つ程度といったためだと思います。それだけの大きな規模でありながら、歩いている最中にTAPのパンフレットを持っている人達を何度も見かけることが出来ました。
 団地の広場にあった、奥中章人さんのworld-danchiという作品で、針金でつくられた大小の球体は子どものちょっとした遊び場として成り立っており、自分が思っていたアートという点では関わりの無い子どもたちも、作品で遊んでいるという光景を作っていました。そのときに思ったことは作品はもちろん、またその光景も一つのアートではないかということを思いました。色々なかたちに変化していくアートというものは、やはりそう簡単に理解できるようなものではないのだなということを、この作品で強く感じました。また、「奥健祐+鈴木雄介」ユニットの作品である井野団地足湯プロジェクトでは、夏場にしか利用しない団地内のプールを足湯にすることでTAPを訪れた人や、住民と思われる人、さらにはアーティストの人も入れてくつろげる場をつくっていました。TAP2008インフォメーションセンターで言っていたのですが、「移動手段は徒歩になるので団地内を巡りながら終盤に足湯に向かうように行くと、様々な作品を見たあと最後に休めるようになっているので、いいですよ。」ということを聞きました。このような憩いの場があることで、どのように見て回っていくといいのだろうと、迷っている人達にとっては、ランドマークとしても活用できるのでとても素晴らしい作品だと思いました。また佐藤慎也研究室の+1人/日では、キッチンが部屋と部屋のちょうど中間にあるという室内の間取りもあってか、非常に生活がしづらそうな空間であった。女子の寝間には押入れの奥からベットを配置していたが、そうしないとベットから出れないというような状態であった。男子の寝間ではベットが部屋の割合をほとんど占めているという状態で、四段あるうちの二段目、三段目に寝ていた人達はベットから出るのに一苦労するということで、二度寝することが多かったと聞きました。しかし、極限まで絞られた生活スペースのなかでも苦労と工夫があれば、意外と何とかなるものだなという感じがしました。見学しに行ったときには、団地に住んでいると思われる子どもたちとも、実際にコミュニケーションを取れていたところなどを見ると、住民参加ということも成功しているのだと思いました。
 今回見学会に参加したことで、実際に「アート」というものに少し触れることが出来たのではないかと、自分なりに思いました。しかしTAPのような多くの人が一緒になって進行していくプロジェクトでは、制作などにも関わっていくことでより多くの発見を得られるのだなということも思ったので、今後このような機会があれば参加していきたいと思います。

無題
鈴木直樹
 前回のゼミで取手アートプロジェクトの話をして今回のゼミでは実際に見学しに行くといことだったので自分は非常に楽しみにしていた。
 井野団地の場所に着いてみると、団地の一部に小さな商店街が入っているような、ちょっとした学童保育があるようなそんなイメージを持たせるような空間になっていました。遊具のようなもので子供たちが遊んでいたりと和やかな雰囲気だと思いました。
 まず団地の端から見ていくかたちとなったので歩いていると、自分の家の団地にでもいるような感じでした。しかも歩いてみると意外と広くて大変でした。団地の中に展示しているものだけじゃなく外部空間に展示してあるものも数多くありました。中でも興味を持ったものが2つありました。奥中章人さんと奥健祐+鈴木雄介さんたちの作品でした。奥中さんの作品は1本の針金を編み上げて球体状にするもので、自由に触ったり揺らしたりして遊んでほしいという意図があって作られたものらしいです。そこへ自分たちがちょうど行くと子供たちがそれを使って遊んでいるのを目撃しました。まさにアーティストの想いが伝わった瞬間をこの目で見れて良かったです。つぎに奥+鈴木さんの作品は足湯で、行ってみるとそこには気候のせいかもしれませんが子供たちと保護者でいっぱいでした。もちろん自分も寒かったので、足湯につかりました。とても気持ち良くて足を出すのがいやになるほどでした。
 そして最後には佐藤慎也先生のプロジェクトに行きました。入ってみるとそこは、子供の遊び場と化していました。しかし、そこには1ヶ月間暮らしてきた痕跡がいくつも残っていました。壁にはいくつものコメントが残っており、生活感がかなり出ていました。また住人たちが作ったベッドはなんだかんだ寝心地が良さそうでいいなと思いました。そしてブログにも書いてあったようにまだ何人か住人が増えても大丈夫なキャパはあったので工夫次第でこんなにもたくさんの人が住めるのでとても驚きました。
 さまざまなアーティストたちの作品を見てきましたが、どれも個性が強くて、これがアートなのだろうかというものもたくさんありました。しかし、団地の中の1室(屋外など)でアートを表現するというもので普段とは違った作品となったのだろうと思いました。
 このアートプロジェクトが終わっても続けられるものは続けていけたらこの井野団地の発展に繋がっていいのではないかと思いました。

無題
荒木由衣
 取手アートプロジェクトの見学をして、まずは団地がこんなにも変化することができてしまうことに驚きました。使われなくなったお店の店舗内がアトリエ空間になっていたり、団地の部屋1つ1つが作品になっていたり、普通では見ることができないものをたくさん見ることができました。
 1番記憶に残っているのは、『ヘイ!カモン間接照明』という、柴田祐輔さんの作品です。部屋に入るとまずスリッパが光を放っていて、最初は何かわからなかったのですが、家にあったら面白いなと思いました。また、炊飯器が光っていたり、液晶テレビやアイロン、衣装ケースも光っていました。面白いなとおもったものは、トイレの便器とトイレットペーパーが光っていたことです。普通では思いつかないところまで間接照明にしてしまうということが、やはりアーティストだなと感じました。
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 もうひとつ印象に残ったものは、『井野団地足湯プロジェクト』です。夏は団地の人達にプールとして使われている小さな子供用プールですが、やはり冬になると、全く使われなくなり、もったいないということから、このプロジェクトが始まったそうです。見事に問題を解決し、団地の子供達はもちろん、団地住民でない人も足湯につかりにきていました。これは、造ったもので人を寄せ付けるというところが、建築としても使えるものだと思いました。
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 また、佐藤研究室で行っている、『+1人/日』というプロジェクトもひとりひとりのアイディアがないと、とても21人が一緒に生活するのは不可能だと思うくらい狭いので、部屋に入ってみると意外と机を置くスペースだとか、ご飯を食べるスペースもしっかりと設けてあり、1番驚いたのは、ベッドが二段なのに、寝るスペースが5人分くらいあったり、押入れをベッドとして、活用していたり、楽しそうでした。
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 団地の部屋が面白い、個性的な顔をもった、素敵な部屋に変わっていました。アーティストさん達の想像力は計り知れないなと実感しました。

ゼミナール | Posted by satohshinya at November 14, 2008 4:37 | TrackBack (0)

取手アートプロジェクトの紹介 大内伸輔レクチャー

2008年10月24日(金)、2008年度第1回ゼミナールとして、取手アートプロジェクト(TAP)運営スタッフの大内伸輔(東京藝術大学音楽環境創造科助手)により、「取手アートプロジェクト(TAP)の紹介」と題したレクチャーが行われた。以下はそのレクチャーに対するレポートである。

TAPスタッフ大内さんの講義を聞いて
藤井悠子
『アートプロジェクトは、市民をも巻き込み、人の価値観を揺るがす』という大内さんの言葉がものすごく印象に残った。
はじめに、作品と空間の関係について考えてみる。街全体が美術館になるというTAPのようなアートプロジェクトなどは、むしろ普通の美術館よりも魅力的だと私は思う。例えば美術館の場合、はじめから決められた空間に作品を置くが、このようなアートプロジェクトでは美術館としてではなく機能している、もしくは、機能していた空間に作品を置く。TAP2008で言えば井野団地という人が生活する場である『住宅』、先日行われていた赤坂アートフラワー2008では、廃校になった小学校(旧赤坂小学校)や元料亭(島崎)を展示空間にしたように、普段アートとは直接関係が薄い場所、つまり美術館でないものとして作られた美術館に作品を置くことで、作品かつ空間がより一層おもしろくなり、TAPでもその他のアートプロジェクトにも共通に言える楽しさであると思う。
冒頭にも出したように、市民を巻き込むというところで、TAPのもう一つおもしろいと感じたのが、制作過程を見ることができ、それを団地で行うということで自然とその光景が目に入り、さらに住民とのコミュニケーションがとれることだ。住民も何気なく目に入ることで、作品に興味を持ち始めて、アーティストとコミュニケーションをとり始める。作品を介して人と人がつながることは素敵なことだと思う。
大内さんが言っていたが、アートは、完成だけが作品ではなくプロセスこそが作品だと。そのプロセスを見ることができるのは、ごく偶に美術館の企画展示などで会期中に作品が制作されるということもあるが、自分から見に行くという行為をしようとしなければ見ることができないのだ。TAPのように、例えば学校から家に帰れば外で作品を制作している光景が自然と目に入ってしまう、という行為はなかなか経験することのできないことだと思う。こういうことからも、何か刺激を受け、きっと価値観が揺らがされるのだろうと感じた。
子供から大人まで地位関係なくたくさんの人を巻き込み、美術館でアートに触れるのとはまた違う感覚でアートに触れることで、新たに、何かしら人に影響を与えてしまうアートプロジェクトの力はすごいと感じた。今度参加するTAP見学会が楽しみである。

無題
山下浩介
 10月24日、佐藤慎也先生の第1回のゼミに参加しました。今回は、日本大学佐藤慎也研究室として参加している取手アートプロジェクト2008(以下TAP)について、TAPスタッフの大内さんのお話を伺いました。全体的なプロジェクトの流れ、過去のTAPの作品の紹介、そして今回参加しているアーティストの紹介など、詳しく話を聞かせて頂いたので、とてもTAPに興味がわきました。毎年、取手市内で会場を選び、そこに様々なジャンルのアーティストが参加し、アートを通じて街を活性化させるという取り組みには、非常に大きな効果があり、また労力も凄いモノがいると思います。それをボランティアでやっているということなので……一層感慨深いものがあります。TAPも今年で10年目を向かえたということで、とりあえず一区切りついた、と大内さんは仰っていましたが、来年も何らかの形でこのプロジェクトを継続していってもらいたいと思いました。
 私は、毎年行われるTAPはある意味、美術館だと思いました。毎年違う場所、違うアーティストによって形成されるTAPは、取手市を1つの美術館として捉え、市民の人たちも参加できる、新しいスタイルの美術館だと思います。アートというものをどの程度まで捉えていいのか自分には答えは出せませんが、きっとそこに境目はないのでしょう。また、アーティスト同士のコラボレーションによって新たなものが生まれるのかもしれません。私の両親は今仕事の関係で青森に住んでいるので、帰省したときに青森県立美術館へよく行きます。そこには、建築家の青木淳さんと芸術家の奈良美智さんの二人による作品があります。二人の対談を著書で見て思ったのですが、異なった分野の方々が作品をつくる段階からコラボレーションすることによって、二つの作品(建築と美術)が独特の雰囲気というか、うまく言葉では表せないものが生まれてくると思います。白い雪、白い壁、白い巨大な犬。二人による独特な世界観を感じました。
 11月8日にプレゼミ生としてTAPの見学会がありますが、非常に楽しみにしており、地味にブログも毎日チェックしています。今回、スライドで写真を見せて頂き、とても楽しそうな感じでしたが、ブログに書いてあるように様々な問題もあるのだと思います。毎日住人が1人ずつ増え、高密度化が要求されたときに、どのように解決していったのかを実際現場で見ることができることは、自分にとって有意義なものであり、佐藤慎也ゼミの方々の意見を直接聞ける機会でもあると思います。先輩の話を聞き、今後の生活に活かしていきたいです。また、他の多数のアーティストの作品にもふれることで、TAPのあり方を感じ、純粋にアートを楽しみたいと思っています。そのなかで建築と展示空間の関係性についても学べたら良いと思います。

取手アートプロジェクトについて
山川慧子
 私は建築学科に入学してから美術館や博物館に通うようになりました。いまでは本当に好きで、色々な展覧会や、美術展に通っています。
 小さい時から図画工作が好きで、学校とは別に近所のプレイルーム(工作教室)や、絵画教室に通っていました。その影響もあるのか、私はよく人とは違うね、と言われます。昔は人と違うね、と言われることが嫌いでしたが、今では人と違うことがしたい!!と思うようになりました。そのようなこともあって、今回のレクチャーをとても楽しみにしていました。アートプロジェクトのような企画にどのようにして参加するのか、アートと関わる仕事をするにはどうしたらいいのか、というような事を聞きたかったのですが、大内さんの話を聞いていて、本当に羨ましくなりました。取手アートプロジェクトに真剣に取り組んで、しかも自分が取手に住んでしまうなんて、なかなか出来ないことだと思います。毎日毎日、アートと関われるなんて、本当に羨ましいです!!!
 2年生の時の建築学科オリエンテーションのときに、横須賀美術館も見学したのですが、その時の展示がヤノベケンジさんでした。その時の作品(トラやん)を見て、私はファンになったのですが、その直前の2006年に取手でヤノベケンジさんがプロデュースしていたのを知って、もうちょっと早くヤノベケンジさん、または取手に出会っていれば、と思いました。
 取手アートプロジェクトの中でとても良いなと思ったことが、「こどもプログラム」です。小学校にアーティストを派遣して授業を行い、子供たちの感性を刺激するなんて、本当に取手の小学生は羨ましい環境にいるなーと感じました。小学生の時にアーティストから直接授業が受けられたら私も何か違ったのかな、などと考えてしまいます。このプログラムは、取手のような、市民からアートと関わったイベントをしたい!という声があがってくるところではないと成り立たないのではないかと思いました。やっぱり、近くに東京藝術大学があることがとても大きいと思います。
 2008年の取手アートプロジェクトは、全国公募展、オープンスタジオはもちろん、韓国との国際交流も目的として韓国のアーティストや交換留学生の作品もあるそうです。私は韓国にとても興味があり、独学で言葉を勉強しているのですが、韓国のアートを見る機会などなかなか無いし、実際にあまり見たことが無いので、作品を鑑賞するのがとても楽しみです。11月8日の見学会がとても楽しみです! アートな雰囲気を沢山吸収して帰りたいと思います。

取手アートプロジェクトのレクチャーを聞いて 
島田梨瑛
 今回の取手アートプロジェクトについてのレクチャーを聞いて、取手井野団地という普通に一般の人が生活しているところに、たくさんのアーティストや大学が飛び込む形で参加している大プロジェクトだと知り、とても面白いと感じました。場を共有することでモチベーションを高く持っていて、土地に根ざした作品を多く輩出しているのだと思いました。
 2006年に行われたヤノベケンジさんを中心とする「一人前のいたずら-仕掛けられた取手」の映像の中では終末処理場をアミューズメントパークの様に仕上げていて、人を引き寄せ、その空間に一体化させる力があると思いました。その場にいなくても映像を通してその迫力を感じ、多国籍の人も中にはいましたが、その中においても、アートには言葉が通じなくても分かり合える力があるのだと感じさせられました。今までアートというのは触れてはいけず、離れて鑑賞したり、美術館に行ってもその芸術と私たちとの間に少し壁を感じることがありましたが、このプロジェクトではそのような壁を感じず、アーティストがどのように考えたうえで作品を作っているのかや、価値観を直接肌で感じることができ、とても身近に感じるものだと思いました。
 また、2007年の展示の仕方にはトラベル方式があり、地元の人がアートを巡るために遠くにあるアトリエを訪問したりなど、ツアー形式になっているのが面白いと思いました。
 普段は美術館に展示されている作品を、描かれている現場に見に行くことで、日常の作業場などの風景が切り取られ、展示会とはまた違った発見ができると感じ、自分もその作品に大きく関わっているような気がするのではないかと感じました。見に来た人をも他人として扱うのではなく、その場に溶け込ませる力がある所が魅力的だと思います。このようなプロジェクトはとても素敵なので地元の人だけでなくもっと全国的に行ったら面白いと感じました。
 また慎也先生の研究室で行っている“+1人/日”の1人ずつ住人が増えていくプロジェクトでは3LDKの部屋に21人が生活したらどうなるかという新しい発想があり、私たちが3LDKには何人くらいが住むものだと決め付けている固定観念を壊すものであり、このように一般の人が住む団地の中で行われることに意義があると感じました。地元の人と交わることで、そこに住む人たちの生活の考え方を見直すことができるきっかけとなり、今までにない違ったアートとなり得ると思いました。そして他のアーティストの作品を触発し、同じ空間で生活していることにより、身近に感じさせるのではないかと思いました。このプロジェクトの映像を見る中で、部屋が広ければいいものではなく、極限の状態でも人は生活できるのだと感じ、昔はどのように暮らしていたのか原点に返って学ぶ必要もあるのだと思い、住宅の在り方についての考え方が変わりました。

第一回レクチャー「取手アートプロジェクト」:ゼミレポート
多田早希
 取手アートプロジェクトはアートや芸術に直接触れ合うことができるプロジェクトで1999年から開崔され、茨城県の市民、東京芸術大学の学生が共同で行なっているアートプロジェクトである。アーティストたちの創作発表活動を支援し、市民が芸術とふれあう機会を提供することで、取手が文化都市として発展していくことを目指している。また、国内の活動だけでなく日本と韓国、交互にアーティストを派遣し、日本と韓国のアートプロジェクトの交流も図っている。
 主要事業として公募展(展覧会)は今までに6回開催され、アーティストだけでなく市民も気軽に参加することができる。また、茨城県の市民がアーティストのプロセスを見学できるオープンスタジオや、芸術環境の整備、芸術教育・普及、人材育成などの環境整備事業も行っている。
 2006年のアートプロジェクトでは終末処理場を舞台にヤノベケンジさんというアーティストが地元の人も参加し、いらなくなった粗大ごみや施設の部材・装置を使った巨大なオブジェを制作。2008年、今年のプロジェクトでは、13組の選出アーティスト、23組のアーティストが一ヶ月間、井野団地に滞在し、「におい」というテーマを絵にしている。また、佐藤慎也研究室の4年生も参加し、「+1人/日」をテーマに3DKで21人が生活したらどうなるかというのを実体験しながら、ベッドなど様々な工夫をし、新しい住まい方を作り出している。
 授業時間とレクチャーが重なっていたため大内さんのお話を少ししか聞くことができなかったのですが、取手アートプロジェクトのホームページを見させていただきました。私は今までこのようなプロジェクトが行われていることを知りませんでした。しかし、普段直接触れることのできないアートや芸術を取手市民や学生、アーティストが共同で作り上げるというプロジェクトにとても興味が沸きました。また、先輩方のプロジェクトのスライドからは徐々に住人が増えていく様子や大人数で生活する上での工夫を見ることができました。次回は実際に取手アートプロジェクトの見学に行きます。今まで触れることのできなかったアートを感じることを楽しみにしています。

無題
柄孝行
 3DKの団地の一室に一日一人ずつが入室していき、最終的に21人もの人数が一つの部屋でどう暮らすか。初めてこの取手アートプロジェクトの話を聞いたときには、大きな驚きを感じた。21人の大人数が狭い空間に入って、何が生まれるのか? 普通の日常生活で必要な家事、洗濯などはどうなるのか? この大きな疑問を抱えつつ、参加したゼミでは東京芸術大学の大内氏の話を聞きながら、このプロジェクトをやる意味、面白さが多少わかった気がする。人間は一人一人、個性も違えば、考え方、好み、視点も違う。そんな人間が一つの空間に多く集まり、生活すれば、一つの空間から様々な色、視点が生まれてくる。日々、一人一人の与えられた領域がどんどん失われていくなかで、人間はどのようにして一人の空間を守り、21人の集合体として空間を作っていくのか。なにか人間が追い込まれたときに出てくる究極の発想をこのプロジェクトでは求めて、研究しているような気がした。その21人の中には、人間関係がうまくいかない者同士もいることだろう。しかし、その21人の発想を基に作られた生活空間をアートとして、公開するのはとても斬新でこれまで目にしたことない、面白いプロジェクトであると感じた。また、建築、アートという枠組みを超えて、日頃普通に生活していた日常生活をも見直す経験になり、実際の団地を使用することで建築空間の様々な大きさや容量を、身をもって体験でき今後、建築を学んでいく学生としての行動に反映できるのではないか。
 次回のゼミでは、実際に団地を見学するわけだが、生活空間のアートとはなにかを見てみたいと思う。一人で作られるアートとしての空間と21人で作られるアートとしての空間の違いとはなにか。建築とアートの関係性がいまいち理解できていない私にとってはよい経験になると思う。
 このプロジェクトは実際、やってみないとわからないし、自分の目で見てみないと分からないと思う。ただ、生活空間とアートの関係性を考えられる大きな機会だと思って、次回のゼミに参加したい。

無題
荒木由衣
 「取手アートプロジェクト」とは、1999年に始められた、茨城県市民と芸大の学生による、芸術やアートに直接触れ合うことのできるプロジェクトである。
 主に、公募展・展覧会が6回行われており、ここでは、プロはもちろん、市民の人達も気軽に参加できる。また、オープンスタジオというものもあり、これは、プロのアトリエを茨城県市民がツアー方式で見学できるものである。さらに、環境整備事業の中で、芸術環境の整備・芸術教育や普及も行っている。
 2006年では、ヤノベケンジさんが手がけるプロジェクトにおいて、“ごみ”を使い、芸術作品を作るというテーマで進行していった。使われなくなった粗大ごみなどを用い、地元の人も参加し、大きな風車を完成させていた。説明を聞いていると、とても壮大で途中でその風車が壊れるなど大変そうだった。また、スライドからは、地元の人も楽器を演奏したりとても楽しそうに過ごしていた。楽器を演奏する人もプロではなく、地元の人に呼びかけ、募集する。やはりプロだけでなく、自ら参加できるというシステムが重要であり、日常では体験できない、アートや芸術に触れ合うことができるのだと思う。
 2008年のテーマは「におい」である。今回は、13組の選出アーティストと23組のアーティストが同じ場所に1ヶ月間滞在し、テーマにそったものを絵にするというプロジェクトである。場を共有することにより、アーティスト達のモチベーションをあげる。これに似たプロジェクトを行っているものが佐藤慎也研究室で行われている「+1人/日」である。これは、1日ごとに1人増える形式で、1ヶ月間で21人が3DKに暮らすというプロジェクトである。ここでも同じテーマを持ち、それに対してなにか形にしていく。その中で、新しい「住まい方」の発見をするのが目的である。3DKの中に21人が暮らすというのは、聞くだけでは、ルームシェアのようで楽しそうだが、自分の寝る場所、荷物置き場、いろいろな問題が出てくる。それを工夫しながら、改善しながら暮らしていく。これは、住宅を設計するうえで、参考になると感じた。実体験をするのはとても重要であり、役立つと思う。
 今後、私もいろんな研究をすると思うが、自分でしっかりと体験し、自信を持って研究の成果を伝えることができたら良いなと思う。

無題
古山幸太郎
 今回の講義の中心であった『取手アートプロジェクト』。そのプロジェクトの中枢で活躍されている方の話を聞くことで建築の設計とは違う大きな考え方が自分に持てたと思う。これまでの設計とは違い参加者の生活や創作活動なども考慮したプロジェクトで、それぞれの時間軸も計画しているように感じられた。また、地域の住民やボランティアの力を借りて運営していてプロジェクトの方はつらいとおっしゃられていたが今後の発展も望めるのではないかと感じた。
 このプロジェクトは毎年異なる趣向を凝らした企画が行われていて、その内のどの企画でもゲストの芸術家の方との距離は近く、また若い芸術家の発表の場も設けられているためテーマに掲げられていた地域市民の芸術へのアプローチや文化都市としての発展と共に、将来のある芸術家の成長にも繋がると思う。またこのプロジェクトを通し地域の子供に限らずボランティアで参加した大人の方にまで視野を広げた人材育成は都市の発展に大きく貢献していると思うし、このことからも地域密着のプロジェクトであると考えられる。また、このプロジェクトを通して芸術都市取手を確立し、取手発の芸術家の影響を利用して日本全体の芸術の向上や芸術に関心を持つ日本人の今まで以上の増加も望めるのではないかとも思った。
 毎年大きなイベントとして年毎に異なる企画では、ただ出題したテーマを若い芸術家が発表するというものではなく、発表の場を提供しても必ず地域に還元する企画であることこのプロジェクトの考えられている部分が伺えるのではないかと思う。テーマも取手市やその周辺地域を題材にしたものばかりで、他にもオープンスタジオを設置したりコンペを行ったりなど地域参加型の企画が多いと感じた。さらには韓国からの芸術家の派遣など国際交流も視野に入れている。この取り組みで芸術都市への発展だけでは無く国際都市への発展も望めるのではないかと感じられた。
 このプロジェクトは数年間に渡って実現させてきた実績と取手市をも巻きこんで行われてきたことから、このまま終わらせてしまうにはあまりにももったいないプロジェクトではないかと思う。まだ改善点や発展していく箇所はあるだろうし、取手市がこのプロジェクトから受けるメリットも多いと思われる。プロジェクトに参加しているわけではないので運営のつらさやデメリットが見えているわけではないが今後の継続と発展を期待したい。
 +1人/日の説明と映像を見せてもらって、自分のイメージとは大きく違っていた。この計画の概要だけ聞いた時は窮屈さやプライベートのことなどのデメリットばかり頭をよぎったが映像を見る限りではそんな雰囲気は感じられなかった。もちろん一部しか見ていない人間には思いつかないようなつらい部分もあるはずだが、それを踏まえても映像や説明を聞く限り当初に予想していたよりはるかに大きな成果が得られるのではないかと感じた。最終的な人数になるとまた新たな課題が見てくると思うので今回の講義で聞けなかったその後にとても興味がわいた。

第一回レクチャー「取手アートプロジェクト」
小石直諒
 取手アートプロジェクト(以下TAP)の運営スタッフである大内さんからTAPについてのお話を聞かせていただきました。TAPとは市民、取手市、東京藝術大学の三者が共同となって制作するアートプロジェクトです。TAP2008では取手井野団地を作品発表の場としていますが、これは普通の人が普通に生活していてもなかなか体験できることではないと思います。なぜなら、TAPが隔年で行われる公募展では、その都度違う場所取手市内からを選出し、作品発表の場が変わるからです。それが、今年は団地という、人が普段生活している場を使うようですが、これにより普段あまり接する機会が少ないアーティストや目にする機会が少ない作品制作の過程を見ることが出来るのです。住民にとっては団地内で制作することで見に行こうとしなくても、自然と制作風景が目に入ってくるので徐々に興味がわいてくると思います。それにより、アーティストとも話すようになり、アーティストによっては住民に理解してもらうことで高いモチベーション作業が行うことができるのではないでしょうか。また、違うジャンルのアーティストたちが、同じ団地内で制作をしているので気分転換に他の人の作品を見に行ったり、共に話し合ったりなど色々とおもしろそうなことがあるように感じられます。
 TAP2008では、公募展をやっていますが、もう一つの事業として、取手市在住のアトリエを公開するオープンスタジオもあります。TAP2007では、取手市を一つの会場と見立ててバスを使いツアー形式で回るといったものです。これは、取手市民に身近にアーティストがいるということを知ってもらうためや、アートに対する考えを聞ける場を設けるためのもので、アーティストの人達がどのような環境に身を置いて作品を制作しているのかを知ることができるので、これには、公募展とは違った楽しみがあると思います。
 次回のゼミでは、実際にTAP2008を見学しに行きますが、非常に楽しみにしています。佐藤慎也研究室が企画した“+1人/日”のプロジェクトの途中経過をレクチャーの最後に少し見ることが出来ましたが、食事のときなどは非常に一人当たりのスペースが少なかったように思いました。その現場を実際に訪れることで、高密度化を要求された結果どのような工夫が成されたのか、といったことを見ることで今後に役立てていくことが出来ると思います。その他にも、多くの作品に触れることで、『アート』を感じることが出来れば自分にとってプラスになるのでは、と思っています。

取手アートプロジェクトについて
杉田達紀
 順序立てて述べていくと、まず運営組織図の構成である。取手市、東京芸術大学、市民の3本柱からできており、その中でも市民からの要望が強いという特徴がある。アートプロジェクトだからといって、芸術家とスタッフだけで成り立っているのではないことを知った。
 主要事業としては、毎年行われている環境設備事業と隔年で行われる公募展、オープンスタジオがある。今年は、公募展の年で全国から公募した13組の選出アーティストほか、23組のアーティストが、取手井野団地に1ヶ月間滞在し、住民たちと交流をはかりつつ作品を製作するというものだった。一月の間、工房として使う人もいたり、団地を活かして、布団を干したり、壁に色を塗ったり、みんなでジャンプしたり、みんなで過ごしてみたり……いろいろな作品がある。その作品を11月に団地の敷地、部屋に展開するものである。それぞれいろいろな考えをもったアーティストたちが同じ団地内に滞在しながら交流をはかるというものは、自分の身近な地域ではなかった。このレクチャーを聞いているとき、思ったことは、もっと他の地域でも開催するべきだと思った。
 特に、こどもプログラムもような企画は、こども達に芸術というものにより多くふれられまた芸術の感性を高められると思う。小学生のときにたくさん芸術とともに育つことにより、大人になったときに、違った感性を持てるだろう。こちら側からこども達に芸術とふれられる場を提供することは、とても大事なことだと思う。
 いままでは、アーティストの作品の中に見学をしにいくということが普通であったが、取手アートプロジェクト2008では、逆にアーティストが住んでいる人のところに飛び込んでいってその場が芸術空間と変わっていくという新しい試みも面白い。
 慎也研の作品である『+1人/日』は正直快適な空間は望めないであろう、そんな中でどのように暮らしていけているのかが見学会では楽しみのひとつである。

無題
鈴木直樹
 まず、先日の取手アートプロジェクト運営スタッフである大内伸輔さんのレクチャーを聞けて、自分が知らない世界を知れたとても良い機会だと思いました。
 しかし、正直アートの世界はさまざまでありました。そのアーティストの人が「これはアートだ!!」と言ってしまえばそれは他の人がアートじゃないと思ってもアートになってしまいます。それほどアートの世界とは奥の深いものだと思いました。よく理解のできないようなものも多々ありましたが、大内さんのレクチャーを聞いてみる限りではとても面白そうなものだと感じました。
 今回でこの取手アートプロジェクトは記念すべき10周年を迎えたみたいですが、ここまでくるのにはとても大変な道のりだったにちがいありません。自分個人としても10年以上何かをし続けたことはないかもしれません。
 2006、2007年とビデオで見ましたが、2006年の方ではヤノベケンジさんのトらやんと呼ばれるちょびひげのキャラクターが飛ばされるところがとても面白かったです。しかもそれが横須賀美術館に飾られていたものだから尚更興味深かったです。2007年の方では、ツアーとしてアーティストのアトリエを回っていくという奇抜な発想ながら、アーティストと参加者の双方にメリットのあるものであったというのがスゴイなと思いました。
 そして今年のプロジェクトにはなんと「みかんぐみ」も参加しているので驚きました。さらには、国際交流として韓国のアーティストも参加していると聞き、取手アートプロジェクトがとてもグローバルなものになったのだと思いました。
 自分個人としては生意気と呼ばれるクリエイティブユニットの活動がとても気になったので見学会の時に行ければいいなと思いました。
 来週の土曜日に取手アートプロジェクトを実際に見に行くので、大内さんのレクチャー以上のものが見られるのではないかと楽しみにしています。また佐藤慎也先生の「+1日/人」の展示形式がどうなっているのかなと思いました。

ゼミナール | Posted by satohshinya at October 28, 2008 15:50 | TrackBack (0)