シリーズ・コンプレックス・シーイングについて 阿部初美レクチャー(その1)

2008年11月28日(金)、2008年度第3回ゼミナールとして、演出家の阿部初美により、「シリーズ・コンプレックス・シーイングについて」と題したレクチャーが行われた。以下はそのレクチャーに対するレポートである。

SCSの取り組み 演出家・阿部初美さんの話を聞いて
大沼義邦
 私は失礼ながら、全く前知識がない状態で阿部さんのお話を伺い、初めてSCS(シリーズ・コンプレックス・シーイング)という活動を耳にした。複合的に見るシリーズで、基本的に台本がなく取材したことを元にした即興の演劇という説明を受けたが、正直なところ始めはよく分からなかった。そもそも日常的に演劇を見に行くようなこともなく、イメージとしたら劇団四季のライオンキングぐらいしかパッと思いつくものもなかった。演劇は、たくさんの役者とたくさんの台詞で完成されたストーリーが演じられるものだと思っていた。そんな私には、演劇のギリシアから始まる歴史の話はとても興味深かった。
 役者の迫真の演技とつくり込まれた脚本によって、観客が役に感情移入しカタルシス(浄化)を得るというのが、まさに私の想像する演劇であった。それに対して、観客に感情移入させない非アリストテレス的劇作法というものを知り、驚いてしまった。観客に批評的に劇を見てもらう為に、あえて異化を際だてさせ、役者は役に入り込まずに演じる。なんとも面白い劇である。と、始めは単純に面白さを感じたが、その手法がナチスドイツ時代にB・ブレヒトが感情同化を危険視し、生まれたと聞いて違う意味で納得してしまった。
 前の話もそうだが、阿部さんの話を聞いていて思ったことがある。それは演劇が政治や時代・社会背景の影響を大きく受けていることと、演劇が政治や社会を変えるための手段に用いられてきたということである。最初に述べた通り、私は演劇と言われてライオンキングぐらいしかパッと浮かんではこなかった。私の認識では単に演劇=娯楽であった。もちろん娯楽も演劇の持つ大きな要素ではあるが、それ以上のモノを発信する力を演劇は持っているのだと阿部さんの話を伺っていて感じた。最後に阿部さんがおっしゃった「劇場を“思考の場”に」という言葉からも、そう思えることができた。それこそ始めに阿部さんが作品を紹介した際、「4.48 サイコシスは精神障害についての話、アトミック・サバイバーは原発の話、エコノミック・ファンタスマゴリアは市場の話」と聞いたときは、内心なんて重い話ばかりなんだと思っていたが、最終的にSCSの活動は娯楽を提供するのではなく、社会的テーマを取り上げ普段テレビでは伝えられないことを観客に知ってもらい、思考の場をつくっていると分かって納得できた。
 実際に一部ではあるが作品を見させていただき、これもまた衝撃的であった。「4.48 サイコシス」は観客がどういう気持ちで見ているのかが、とても気になった。なかなか今の私には解釈しきれない部分もあり、おそらく実際に観客としてその場にいたら、“痛み”というテーマから目をそむけていたかもしれない。それに対して、後2本はユーモアが入り観客として見やすいものに感じた。社会的テーマへのメッセージ性と娯楽的要素(ユーモア=笑い)の両方があって、それが行政への皮肉として用いられていたりして、笑ってしまう場面がたくさんあった。
 普段建築分野にこもりがちな私には、阿部さんのお話がとても新鮮で興味深いものだった。何より阿部さん自身も解説をしてくださりながらも笑っていて、作品に対する愛着は、演劇の作り手も建築の作り手も同じものだなと感じた。ただ演劇は、その一瞬を逃したらもう二度と見ることが出来ないというのがネックでもあり、醍醐味でもあるのかなと思えた。そう考えると、形として残していける建築という分野は作り手として幸せなことである。演劇という分野に触れることで、建築分野の魅力が改めて分かった気がする。そういう意味でも本当に面白く、魅力的なお話が聞けてよかった。

演劇=演出家:阿部初美さんの講演
田中里佳
 「シリーズ・コンプレックス・シーイング(SCS)」のお話を聞いて、自分の考える領域が広くなった。演劇という分野は今まで触れる事のない領域であった。もっと言ったらあまり考えた事もなく、演劇という言葉の意味が初めてわかった気がした。B・ブレヒトの複合的に見る・異化という事と、アリストテレスの感情同化という考え方について理解することができた。今まで、映画などを見るとき感情同化する事がほとんどであった。気づかないうちに話にのめり込んでいき、出演者と同じ気持ちになっていたりすることもある。新たに、異化という演出方法があることがわかって、新しい見方がある事を知った。B・ブレヒトが考えるように、感情同化することがいかに危険な事であって、異化することで、ある問題を客観視し、その問題をより身近に感じられるという事がわかった。また、B・ブレヒトのように、ナチス政権下という周囲の環境から、思想に大きな影響を与えるということから、身近なものからの影響力は自身の思想を作り出す一つの要因でもあるのだと改めて感じた。
 1909年に演劇が始まり、この当時の演劇関係者は世界を見ていたという話を聞いて、確かに現代社会、多くの人々はすごく近いものにしか目がいっていないような気がした。自分も含め広い視野というものを忘れてしまっているような気がした。ほんの少し視野を広げるだけでも、世界というものの見方が変わるのだということを感じた。異化という方法で演劇を鑑賞するということが新鮮なことであって、新しい思想というものを生み出してくれるような気がした。
 三作品を鑑賞して感じたことは、どの作品も特定の役というものがないので役柄にのめり込むということはない。しかし、作品にのめり込むということが言えるのではないかと思った。役者と観客が一緒に問題解決する、もしくは同じ題材について考える。観客に問題を問うことでそれぞれの考えが生み出されて、それぞれの思想が生まれる。皆が同じ考え思想になってしまうのではく、個々の思想がぶつかり合うことに面白さを感じることができるのだと思った。
 一つの劇の中で、映像を入たり、シーンを完全に見せるのではなく、断片的に見せることで、役にのめり込むことなく、より客観的に見ることができるのである。
 今回の講演を通して、分野を越えて、さまざまなジャンルの人々と交流することでいろんな思想の考え方に触れることの面白みが今まで以上に理解できた気がしたし、もっともっといろんな世界に足を踏み入れていく必要があると強く感じた。演劇というものを通して、さまざまな世界の人々が1つの事を共有し、その中でいろんな意見が飛び交い、つながりあうことができるのはとても刺激的で面白いと感じた。
 今回は演劇というツールでさまざまな思想の交流ができることがわかった。他にもいろいろなツールを使って新しい思想の交流をしてみたいと思った。

演出家:阿部初美さんの講演を聞いて
高木彩名
 「シリーズ・コンプレックス・シーイング」のお話を聞いて、演劇に対する考え方が変わった。私は今まで演劇をみるときに、役者の人、役柄にのめりこんでいる自分がいたことに気づき、アリストテレスの感情同化の話を理解することができた。また、B・ブレヒトによる考えを聞き、ナチス政権に置き換えた感情移入の説明などにより感情同化する演劇が怖くもなった。
 今まで演劇を見るとき、何も考えず演劇を見ていた。今回ドキュメンタリー演劇というものがあることを知り、自分が今まで見ていた演劇を見直すことができた。シェイクスピアの演劇をみて目的→行動→障害→葛藤・対立という流れがあり、その役にのめりこみ「楽しかった」「悲しかった」などの感想で終わっていた。しかし、「ドラッグ」を題材とした演劇を見たとき、とても考えさせられた。「非アリストテレス的劇作法」によって役者が役柄に対して3人称で演技をしていることで、「思考の場」として演劇を見ていたことに気づいた。演劇を見た後の感情の違いがあり、演劇の見方が変わった。
 今回、3つの作品を見て、阿部さんの解説を聞きながら聞くことで、普通に見るよりも演劇に対して考えながら見ることができた。ドキュメンタリー演劇を見るときに、台本がなく、取材することで、構成されているということを思いながらみて、1つ1つの作品がリアルに描かれていることを感じられた。
 「4.48 サイコシス」をみて、精神障害に対しての個人からの目線、社会から見たときの目線で描かれ、精神障害というものの苦しみや怖さがリアルに伝わってきた。映像や音楽、舞台セットなど、演劇の世界だけでなく、さまざまな人たちが関わり作られていることで世界観が広がり、面白い物が作られていくのだと感じた。「アトミック・サバイバー」では、原発について、分かりやすく説明されていた。現地の取材や、映像によって、さまざまな目線から作られていた。「エコノミック・ファンタスマゴリア」はぬいぐるみを使って画面の中でお話が進んだり、観客から舞台が見えなかったり、さまざまな構成によって作られていた。さまざまな構成によって作られていて、作品によって違う表現が面白かった。
 演劇は映像としての作品を残しておくことはできない。舞台を見に行きその場の空気を味わい、感じていくものである。今回の公演で、演劇という世界に触れられ、演劇というものの見方が変わってよかった。

11月29日の阿部初美さんの講演を聞いて
河野麻理
 演劇というものにあまり興味がなかった私にはとても面白いものでした。私が今まで見た舞台というのは、有名人が出ているような本などで原作が既に出版されているものか、歌舞伎か宝塚だったので、このような本当に演劇をどのように見せるかなど構成の考え方を聞く機会に会えて演劇に興味が出ました。何気なく見ている、普段のテレビドラマにも、目的→行動→障害→葛藤・対立のこのサイクルが決まってあるものか、あれからものの見方が変わることができました。しかし、それは、今まで単純に感動をしていただけの自分から作家側の立場の構成を考えてしまうようになってしまい、素直に感動が出来なくなってしまった様に感じます。そこで思ったのが、これこそがブレヒトの考える、「非アリストテレス的劇作法」に似ていると思えました。
 感情同化だけでは洗脳状態で終わってしまい、そのことがダメだとされたのは、その時代(例えば、ドイツナチスのヒトラー独裁政権)の背景が反映していると講演では言っていたのを聞いてとても興味深かったです。しかし、もし今の時代ならきっとそんな時代があって今その独裁政権などが批判されてるからこその、この時代ではもしかしたら「非アリストテレス的劇作法」とは違った、新しい劇作法があるのではないかと思いました。
 そこで、今回の阿部さんが作った作品を見て、1作品目の「4.48 サイコシス」は、確かに重い内容のように受けました。でも、多くのメッセージがたくさん場面ごとに含まれていて、それが本当にすごかったです。そして何よりもラストシーンで観客の人に劇の終わりを任せるといった考えが新しく斬新だと思い驚きました。新しいだけでなく、そこにはまたメッセージが含まれていて、構成が面白かったです。また、途中に出てくる、映像を使って、社会と個人の遠近法の苦しみの表現なども見ていて圧倒されました。
 2作品目の「アトミック・サバイバー」では、また一変してミニチュアでわかりやすく原発についての説明や、踊りで重い内容を説明するなどの手法が新しくて楽しんで見れました。スクリーンを使ってところどころショートムービーを流す手法も面白く、こんな構成があるのだと、感心しました。
 3作品目の「エコノミック・ファンタスマゴリア」では、舞台構成に驚きました。お客さんをも舞台の一部としているところがすごかったです。そしてその人たちを含んでの客席からの舞台の見え方と、舞台上にいる人からの見え方をスクリーンで映し出すことで、立場を同等のものにしていることもすごいと思いました。お客さんからは見えている腹話術の人間側と、スクリーンではあたかも人形が話しているかのような、見せ方。
 スタッフや、撮影機材などは見せないなんてことはしないありのままさ。どれも、「異化」というものを目指し、それはブレヒトに真似て作ったような説明でしたが、阿部さんのオリジナルの構成が見えてとても面白く感動しました。阿部さんの説明がなくただ単純に見てたら気づけなかったこともたくさんあったと思いました。新しい視野を見つけられたような講演会でした。参加できて良かったです。

演劇=演出家、阿部初美さんのレクチャーを聞いて
島田梨瑛
 私は今回レクチャーを聞く中で、今までなかなか演劇を見た事はなかったので新たな視野が広がったように感じました。ドキュメンタリー演劇が台本がなく、あるテーマのものを取材してきて作品を作り上げていくものだと知り、今まで私が知っていた感情を表現し、お客さんにも感情移入させるものとは反対で、B・ブレヒトの説いた非アリストテレス的劇作法なのだと思い、演劇にもいろいろな種類があるのだと感じました。小さい頃からバレエをやっている私には、なかなか感情移入をせずに演技することや、またお客さんにも感情移入させないという考え方が理解しづらかったため、映像を見せて頂けたのでとてもわかりやすかったです。また役者の人が1人称と3人称を交互に喋っていたので、普通に感情を溢れ出させて演じるミュージカルなどよりも難しく、大変だと思いました。
 特に印象に残ったのがvol.0の「4.48 サイコシス」で、他の2つの作品とは部類が違い、見ていて本当に恐ろしく、逆に感情を通り越して客観的に見れ、ドラマのように感情の上がり下がりが激しくないからこそ、最後の方では冷静に見れたのだと思います。最後のシーンの「カーテンを開けてください」という所で、お客さんに開けてもらわないと舞台が終わらないというところがすごく酷だと思いました。このレクチャーを聞いていた時にはすごく重い話題を扱っていて難しいと感じていましたが、配布されたプリントを読んだり、後々考えると、とても意味深い演劇であったと感じました。プリントに“「ある特定の個人の、ある時期の物語」としてこの作品を描くよりも、むしろ「様々な人々の生の交錯する場」として、社会的な広がりを持たせることが、この作品の意義を明確にしてくれるだろうと考えた”とありました。実際に私自身、ドラマなどを見るとすごく感情移入させられ、その人自身になったように感じてしまいますが、その感情はずっと続くわけではなく一時的なもので、自分とは違う人のお話として解釈し、その時感じた感情は段々薄れていってしまいます。しかし、今回の映像は感情移入せず冷静に見る事ができ、もっと現実的に身近な問題として感じる事が出来ました。実際に先進国と呼ばれる国で唯一日本だけが主要国の自殺率の10位に入っており、普段通学する中でも電車での人身事故は多く、その心中の理解が難しい所もあり、他人事になってしまう所もありますが、このような事は他人事ではなく、一人一人が親身になって考える必要があることだと思い、このように演劇化することで、見た人が判断し、感じることも多くあるのではないかと思います。
 実際にその上演に反対されている方もその場で見ていたと聞き、舞台だけでなく客席の人をもその演劇に巻き込んでいるような感じがし、いろいろな批判も受けると仰っていましたが、それも一つの作品を作るうえで演出となっていると思い、その作品が出来るまでにもいろいろなドラマがあるのだと思いました。また、着替えの風景をお客さんに見せていたり、1つの作品を取材し、作っている過程をありのまま演技したり、お客さんに見てもらうのも新たな演劇なのだと思いました。

SCS(シリーズ・コンプレックス・シーイング)を鑑賞して
佐藤香菜子
 舞台演出家である阿部初美さんのお話を聞き、実際の演劇を鑑賞しました。
 今まで私は劇場に足を運んで演劇を鑑賞したことはなく、本格的な演劇を見るのは今回が初めてでした。阿部さんもおっしゃっていたように、私の中にも演劇といえば過剰に役を演じようとしすぎるイメージがあり、少し引いた目で見ていました。しかし、今回の「ドキュメンタリー演劇」は、断片的なシーンしか見ることができなかったにも関わらず、演劇のおもしろさに大きな衝撃を受けました。
 まず、精神障害をテーマとした「4.48 サイコシス」を見ました。
 この作品は「舞台芸術」10号の中の特集において“「ある特定の個人の、ある時期の物語」としてこの作品を描くよりも、むしろ「様々な人々の生の交錯する場」として、社会的な広がりを持たせた”とあるように、主人公として一人にスポットライトが当たる従来の演劇とは違い、同じ空間で様々な出来事が同時進行しているものでした。作品の内容は過激なもので、特にクライマックスの集団自殺のシーンには恐怖を感じました。しかし同時に、このように思考が止まり、人間らしさを失ってしまっている精神障害の人が実際にいるという現状を思い知らされました。この作品に賛否両論があるということは理解できますが、鑑賞した人が必ず何かを考えさせられるという点で、社会に対するメッセージ性の高い作品だと思いました。
 次に、原発をテーマとした「アトミック・サバイバー」を見ました。
 この作品では、阿部さんがドキュメンタリー演劇における特徴として掲げている、映像と演劇を同時に流し、「思考の場」として同じ問題を共有しあい、共存するという演出が行われていました。ここでは実際に原発誘致に関わる賛成派、反対派が互いに集まり、緊迫した空気に包まれたという話もあり、原発という身近な社会問題を中立な立場から捉えて表現するということは、時にリスクを伴うものなのだということを感じました。
 最後に、市場経済をテーマとした「エコノミック・ファンタスマゴリア」を見ました。
 この作品では、「第4の壁をなくす」として、客席と舞台の境をなくすという演出がされていました。客席の中に舞台があったり、逆に客席から舞台にあえて死角を作ったり視覚の操作をすることで、舞台と客席の境界だけではなく観客と演者の境界も曖昧にし、作品のテーマをより身近に感じさせる上で効果的に作用していました。観客のほとんどが消費者であるので、市場経済は日ごろから感心あるテーマで、誰にでも気軽に考えやすい話題であり楽しんで鑑賞することができました。
 そもそも演劇とはドラマ=行動に基づいているもので“ドラマとは人間の行動を模倣・再現するもの”とアリストテレスが提唱したように、目的→行動→障害→葛藤・対立という人間の思考サイクルを演じているものであると捉えられていました。しかし、今回の3つの作品に共通して言えることは、非アリストテレス的劇作法と呼ばれるもので、B・ブレヒトの提唱してきた「異化」が効果的に用いられていることです。
 「異化」とは見ている人に感情移入させないという意味を含んでおり、第三者的な視点から問題をとらえることで、一人一人が問題に対して各々の意見を持てるということが特徴であるように感じます。今回作品の中のたった一幕しか見ることができなかったけれど、私自身も自分なりの考えをもって鑑賞することができたと感じています。
 演劇は建築や絵画と違い3次元的なもので、そのときその場でしか見たり感じたりすることができず、映像としての記録は残っても、演劇としての完成形はたった一度しか味わえないものです。今回のレクチャーを通して、演劇の世界にも興味を持ち、劇場に足を運んでその瞬間でしか感じることのできない世界に触れ、自分の中で思考をする時間も大切にできたらいいなと感じました。

阿部初美氏のレクチャーについての感想
光永浩明
 演出家阿部初美氏ののレクチャーを聞いて、ビデオを見る前に、アリストテレスとB・ブレヒトの話をしてくれました。アリストテレスは感情的で、カタルシスな演出方法で表現されていて、テレビドラマのようなものだということが分かった。一方B・ブレヒトはアリストテレスの方法を否定して、感情的にならずにリラックスして見れる異化という演出方法で表現されているということだったが、僕はその異化というのが具体的にどのようなものなのかがビデオを見るまで分からなかった。今回のビデオがその異化で表現されているシリーズ・コンプレックス・シーイングというドキュメンタリー演劇を実際に見せてもらったが、正直内容がよく分からなかった。演劇といえば、主人公がある目的を達成するために行動をし、障害や葛藤、対立に遭遇しても、それを乗り越えていくというドラマチックなイメージがあったので、この作品は結局何を伝えたかったんだろうという疑問が残り、表現もいい加減だなとこの時は思いました。ビデオを見終わった後に補足として、これは思考の場としての劇場であると言われ、ますます訳が分からなくなりました。分からないままレクチャーが終了して、後でもらった配布資料を読んでいたら、やっとあのビデオの内容の意味が分かった。原発や市場経済というテーマから僕はてっきり主人公が現れて、それにどう関わって、活躍していくのかと思いながらビデオを見ていたから内容が最後まで分からなかったことに気付きました。そうではなく、このテーマについて人々のそれぞれの立場や考えを映像にして表現されたもので、全体を通して一つのことを伝えるのではなく、場面場面に区切って、それぞれがこのテーマについてこう考えているという事実を伝えているということが分かりました。改めてビデオの内容を思い返してみると、意味が通っているなと思いました。この表現なら価値が多様化することなく、共有できる場になると言ってますが、確かに言われれば、このことについてアリストテレスのような感情に流されることなく、賛成や反対がでてくるような内容でもなく、この事実を伝えることで自分がどうするべきなのかを考えさせられる結構奥の深い内容だったんだなと思いました。演劇ではドラマみたいに感情的になる内容が多く、僕はそれしか知らなかったけど、全く感情的にならずにただ事実だけを伝えるという思考の場となる表現方法もあるんだなということが分かりました。あと最初はいい加減な演出空間や表現だなと思っていたのが、意味が分かるとそういうことだったんだなということが分かりました。最後に、時間が予定よりも長引くほど、伝えたい話だったんだなと思いました。そういう話を聞ける機会は滅多にないからでてよかったと思います。

無題
柄孝行
 今回、阿部初美氏にレクチャーしていただき、改めて演劇という世界が広いということに気づかされた。演劇とは、舞台の上で言葉、動作によって物語または思想、感情などを表現して観客にみせることだと思っていたが、なにか違う演劇の世界を垣間みた気がした。舞台装飾には色々あると思うが、建築、映像なども取り入れ、視覚的に観客に訴えるものがとても強く、観客までも舞台にワンシーンではあるが参加してもらう構成には、非常に驚きを受けた。正直、あまり演劇というものを見る機会があまりなく、最近知り合いの舞台を初めて見に行ったほどだった。その時も初めてが故に、演劇というもののおもしろさ、難しさというものを少ししか感じ取れなかったが、阿部氏の行っていることは普通の演劇と違うと思う。普通の演劇では、テーマが明確で話の内容が理解しやすい。しかし、阿部氏の行っていたシリーズ・コンプレックス・シーイング(以下SCS)はテーマがとてもつかみにくい。精神障害、原発、市場経済など、普通、演劇ではあまり取り上げられないテーマだと思うし、演ずることが非常に困難であると思う。しかし、このようなテーマを演ずることで、観客が考えさせられることは非常に多く、実際レクチャー時の映像を少し見ただけでも、精神障害についてすこしの時間ではあるが、一人で考えられる機会が得られた。普段の生活の中で精神障害、原発、市場経済など考える機会もなければ、話題も少ない。あるとしたら、テレビで取り上げられるときぐらいだろう。このようなテーマで演劇することの価値は計りしれないし、実際に大きな問題であったテーマに対して観客に考える機会を与えることが、この演劇を通して伝えたいことの一つなのかもしれない。演劇の捉え方は観客それぞれである。そこは異なってもいいが、大切な機会を観客に与えたいのかもしれない。テーマだけを聞くと敬遠しがちな演劇だと思う。深く知ることで痛みを伴うこともあるしれない。ただ、単に重い演劇ではなく、観客の脳裏になにかしら認識を残すために、笑いとかユーモアが含まれているような気がした。今回のレクチャーは建築的な考え方ではなく、演劇を通して自分の人間性に訴えるものがとても強いものであった。

演出家 阿部初美さんのレクチャーを聞いて 
小石直諒
 11月28日、演出家の阿部初美さんのシリーズ・コンプレックス・シーイング(以下SCS)の3作品についてお話を聞かせていただきました。阿部さんは,2006年から『4.48 サイコシス』をvol.0としてSCSというシリーズの演出を手掛けています。
 ここで、ドラマというのは人間の中で生じる、目的→行動→障害→葛藤・対立という一連の流れによって成り立つものですが、この流れの中の「人間の行動というものを表したものである」、とアリストテレスは説いたそうです。この流れを起承転結で作る劇が現在でも使われ、この手法を用いると感情同化、つまり俳優たちが演じている役に感情移入してしまうそうです。
 そこで、ドイツのブレヒトは非アリストテレス的劇作法により異化、つまり感情移入させないという手法を用いました。これは、俳優たちが演じている役に対して一人称だけでなく、三人称を使うというものだそうです。そのため観客は物語の流れのなかで、流されながら見るだけではなく、流れの上空から見ることの重要さを指摘し、そんな複数の位置からの見方を持つことが出来るようにということで、「複合的な見方 the complex seeing」という手法が生まれたそうです。
 SCSの『4.48 サイコシス』という作品は精神障害についての劇で、これをやった背景として、バブル崩壊後、自殺者の数が年間3万人と急増したにもかかわらず、マスコミなどがこの事実を取り上げなかったからだそうです。『アトミックサバイバー』という作品は原子力発電所についての劇で、これはチェルノブイリ原発事故や青森県六ヶ所村に出来た核燃料再処理工場の話などを取り入れながら、原発のことについてというものでした。また『エコノミック・ファンタスマゴリア』という作品は、「お金ってどこへ行くの? 投資でひと儲け? 大ヒット商品をつくるには? 自分を高く売る方法って??」というものを演劇で表現した市場経済についてのものでした。この3作品は観客に対して質問を投げかけるような作品で、阿部さんは、異化、第4の壁(俳優と観客の壁)をなくす、映像、シーンを短く、という4つの要素で劇場が思考の場となり全然考え方も違う関わりの無い人たちが集まる場として機能してくれれば、と考えているそうです。
 自分が今回一番印象に残ったのは、阿部さんが最後に言われた「演劇は絵画などのように作品として残らない。けれどもその時、その場にいないと味わえないものであるし、その分成功したときに、自分の中で何らかの変化が起こる。」という言葉です。何回か演劇は見たことがありますが、やはり劇場にいないと味わえない雰囲気や臨場感があると思います。ましてやSCSのような手法を用いたものだと、それらをより一層味わえるのではないかと感じました。
 今回のレクチャーで、今まで見てきた演劇とは全然違う演劇を知ることができ、非常に興味が沸いたので、今後はSCSのような作品なども機会があれば見に行きたいと思いました。

無題
西濱萌
 2008年11月28日(金)演出家、阿部初美さんを招いた「SCS(シリーズ・コンプレックス・シーイング)について」のレクチャーに参加しました。私は中学・高校の6年間ミュージカルをやっていて、「劇団四季」主催の歌やダンスのレッスンで舞台にも上がりました。なので、今回の安部さんのレクチャーはいろんな意味で勉強になりました。
 安部さんの「嘘の世界で出来るんなら、本当の世界でもなにか出来るんじゃないか。」という発言に対して少し鳥肌が立ちました。すごく的を射た発言で、とても簡潔で……それが私には、社会に対しても「一人一人が同じ目標に向かって努力をすればできないことはないのではないか。」と聞こえました。舞台を作っていく為には「まとまり」が一番大切だと思うからです。配布されたプリントでは太田省吾さんが「『可能性のフィールドとしての演劇』という視点から見てみますと、1909年から1999年までの日本の近現代にあって、それぞれの時代の演劇表現は、そこへの試みとして、一種の同列性をもつことになり、それによってはじめて歴史の意味をもちうるのではないでしょうか。」と、発言しています。
 劇の中には一つのストーリーを題材にするものが多いのでその中で個々に対しての一々説明はしないので、観客席では疑問を持ったとしても各々で自己完結するしか術がないのです。しかし、「アトミック・サバイバー」で題材にされた青森県六ケ所村の核燃料再処理施設に出てくる「原子力エネルギー」をイメージで自己完結して終わらせてはならないのです! 知識をまず説明する事の重要性。この行為はとても大切だと思いました。そして、その説明の仕方がとてもユニークな演出で、カメラとスクリーンを使って舞台上に作られた観客席からでは見えない異なった空間をうまく繋いでいること。「背景をスクリーンに映し出して状況を伝える」という演出の作品は何回も観たことがあるものの、「舞台上での演者そのものを映し出したり、ミニチュアの模型を使ってスクリーン上で臨場感を加えた」演出の作品は初めて観ました。舞台上でのカメラワークを上手に使った説明は演者が口だけで説明するよりもはるかに解りやすいと感じました。
 昔、「同性愛について」という題材の演劇を観に行った事があります。同性愛に対しての偏見に苦しむ人、同性愛を理解出来ない人、同性愛を理解出来る人。その舞台設定でもある人物を軸に、物語を構成するのではなく、「様々な人々の生の交錯する場」として、社会的な広がりを持たせる演出だったのを思い出しました。本当はどっちが正しいのかなんて人それぞれの意見があると思います。その様々な考えを持つ人が集まったひとつの空間の中で、一つの物事について各々が持つ考えを排除しないで、新たに「考える」という場所。その場所が大切でその場所=思考の場=劇場であると学びました。

シリーズ・コンプレックス・シーイングについて 阿部初美レクチャー(その2)

ゼミナール | Posted by satohshinya at December 4, 2008 5:17 | TrackBack (0)