mosakiレクチャー

2011年11月8日(火)、2011年度第4回ゼミナールとして、mosaki(田中元子、大西正紀)によるレクチャーが行われた。以下はそのレクチャーに対するレポートである。

池田宗平
 今回の第4回目の佐藤慎也ゼミナールでは、ライター/クリエイティブファシリテーターである田中元子さんと日大の建築学科のOBでもある大西正紀さんが「mosaki」という会社をつくるまでの経緯や活動内容を分かりやすく楽しくプレゼンしてくれた。
 この「mosaki」の会社をつくる前に田中さんと大西さんは1999年にインターネットを通じてDo+project同潤会青山アパートで知り合った。田中さんは原宿にある青山アパートを都会といえばここと思うほどに、また、街の住民や青山アパートを今まで見てきた人に愛されていたことが好きであった。しかし阪神淡路大震災後から徐々に設備の老朽化が進み、アパートの管理人なども困るほどになったため壊されることが検討されたが、唯一、大西さんと二人で青山のアパートが無くなるという事実を一般の人たちに知ってもらう活動や、五十嵐太郎さんがリノベーションスターティーズということで討議をしたが、やむなく青山のアパートは壊されることになった。田中さんと大西さんはとても悔しくて大西さんがロンドンから帰国「mosaki」を立ち上げ、建物が残らないことは負けとかそういうことではなく、一般の方に意識してもらうことで何かが変わるし、生まれるのではないかということをベースにした会社を作り上げた。
 「mosaki」の活動内容は、はじめての仕事が建築イベント巡礼の雑誌で「グラフィカルアーキテクチュア」というテーマであった。これを「建築以外を面白くしなければ、街や建築は生きていけない」をコンセプトに田中さんと大西さんが討論し編集しり、はじめての持ち込み企画では、ラブホテル・パチンコ・漫画喫茶・カラオケという欲望の建築(デザイン)を持ち込んだが編集者からインテリアであって建築でないからと却下されたが、「ミセス」や「建築ノート」という雑誌で建築家を取り上げたり、大学のパンフレットをつくったりなどした活動を行ったり、最近では、「けんちく体操」というもので活動をしている。この「けんちく体操」とは、建築史家の米山勇氏が発案したもので、建築物を模写する体操であり、外観だけでなく、構造や用途、個人的に抱いた第一印象などを身体で表現するものである。この「けんちく体操」の良い所は、答がないので、表現者が思って表現したことが答である。また、子どもが建築物に興味を持つようになること、また、実際に「けんちく体操」をやってみて思ったことが、真剣にやれば結構な運動になることや頭を遣ったり、どのような構造なのかという発見などに気づけることが良いと思った。
 以上のようなことを田中さんと大西さんは「mosaki」で活動し、建築家として携わっている。また、最後に田中さんは「けんちく体操」の活動などの仕事を通して、建築物に普段興味がない子どもが関心を持ったり、ヤンキーにも建物の良さが分かるような活動をこれからしていきたいと話し、大西さんは、建築という仕事でも僕らのような仕事もあるし、建築の仕事に将来行かなくても、今勉強している建築の設計などは、どの分野の仕事でも大切なことであるから、もっと僕らに幅広い視野の方向をみてもらいたいということを話していた。これを受けて、将来のことはまだわからないので、全力で今の建築という勉強を勉強し将来の方向性を広げられるように頑張ろうと思ったし、建築家という仕事も田中さんや大西さんがやっているような仕事もあるのかと思い、色々とためになった。
だからこれからもこのような建築に関わっている人の話を多く出席し、色々なものを吸収したいと思う。

鶴﨑敬志
 第四回のゼミナールは、mosakiの田中元子さん、大西正紀さんを迎えたレクチャーが行われました。大西正紀さんは、この日本大学理工学部建築学科の卒業生でOBにあたる人で、ロンドンの建築事務所に働いていたという経歴を持つ人でした。そして、今回話をされた内容は、二人が今まで手がけてきた仕事の内容で、とても興味深い話でした。
 まず、青山の表参道沿いにある同潤会アパートについて、話をされました。このアパートについては知っていて、関東大震災後に同潤会が建設した鉄筋コンクリート造の集合住宅のことで、この時代、日本近代で最先端を走る建物として貴重な存在だったという。それは、さらには集合住宅としてだけでなくその設備も最先端だったらしい。そういった存在の建物であったので、ファンの人も少なくない。それが近いうちに建て壊しとなり、そこでの顔がまたなくなってしまうということで、立ち上がったのが、この二人田中元子さん、大西正紀さんでした。結果だけいうと失敗に終わってしまったらしいが、このことに対し私は、確かに同潤会アパートはそこにあることが当然のように建っていてものが、なくなると、風情のある街並みであったのが、どことなく寂しく写り残念な気持ちになる。確かに、使われなくなり何も用途としてないものは、言い方は悪いがゴミとして処分されるのは、至極当然といえる。そういった摂理は時として仕方ないものではあるが、歴史がひとつ、そしてまたひとつなくなっていくということは、先の言葉を押すようだが、寂しいものである。そして、二人は取り壊しの件が失敗に終わったことで、急きょゲリラの展示会を催した。急な話ということで、このことを知る人が少なく、それでも来た人が何人もいて、その人たちの多くは、通りがかりに立ち寄った人が多く、偶々だという。その多くが同潤会アパートを愛する人たちで、取り壊しの件に対し残念がっている人がほとんどで、現状ただ待っていることしか出来ないということらしい。
 それから、けんちく体操についてで、正直これの存在は今日まで知らなかった。けんちく体操は、実際に建てられた有名な建築物を自由な発想でまねるものということであった。言葉で説明すると、ただそれだけなのではあるが、実際やってみると、いやはや疲れるものであると知った。それで、けんちく体操を通じて、老若男女問わず、たくさんの人たちに馴れしたんでもらいたいということである。実際、率先してやっているためテレビ出演や本にして出版したり、さらにはDVDでも出したというので、素直にすごいことだと思う。あとスライドを見て、そしてやってみてこのけんちく体操は面白いと思うし、体操としていいものであるし、なお且つ頭を使うのでこれだけ効率の良い体操も珍しいと思う。それなので日本にとどまらず、世界に発信してやってもらえたら素敵だなと思う。
 このゼミナールは自分にとって、とても勉強させてもらったということと面白い内容だったということが、素直な感想である。いろいろ知らなかったことも聞けたし少なからず自分の幅が広がったと思う。

吉田悠真
 mosakiのお二人のお話を聞いて建築のあらゆるシーンを垣間見れたような気がします。建築とは、設計する人もいれば施工する人もおり、注文するクライアントもいる。そんな中二人の活動は今ある建築の魅力を大勢の方々に広めていくというお仕事なのだとわかりました。しかも、ただこういう建築があるという単純なことではなく、雑誌や体操を通して今まで全く建築に関係なかったような人でも楽しんで知ることができる、そんな魅力を持っておりました。
 二人の結成から今に至るまでの話を伺い、ヒョンなことから出会うキッカケになったという、なんと羨ましい限りです。今は亡き青山アパートの取り壊しに関してお二人の活動が、色々と少なからず世の中の人々に影響を与えたのだと思います。そして、海外でのお仕事の様子は非常に参考になる部分が沢山ありました。会社の先行きや安定性なども重要な要素であり、それにいち早く気づく必要性も感じながらお話を聞いておりました。
 そしてお二人の会話に出てきた、「今のシゴトが楽しい」こんなことを10年後の自分が果たしていえるだろうか? そんなことを深々と考えてしまうキッカケにもなりました。おそらく給料や社風・待遇など色々な要素がある中で、お二人はもっと大切なものを今までのシゴトを通して見つけてこれたのだと思います。
 そして自分の中で特に印象が強かったのはやはり「けんちく体操」。これは本当に色々な年代層の人々が楽しんでやっていましたね。とくに小さい子供が夢中になってやっているのが凄く印象的で、ココまで子供たちを虜にする体操は他にはないものだと思います。そして、本やTVやDVDまで出しているというから驚きです。内容も見せて頂きましたが、もっともっと多くの方に認知されるようになれば世間一般の文化になるかもしれませんね。実は「けんちく体操」の話を聞いて少し関連があるものが頭に浮かびました。それは日曜日のゴールデンにやっている「鉄腕ダッシュ」という番組ですが、ちょっと前に人間影絵という企画をやっておりました。その内容は人が集まって動物や物語などをスクリーンに影を映してお客さんに観てもらうというものです。これは、けんちく体操にも応用できるかなと思います。今の段階では建物をバックに自分たちが真似をして写真をとるというものですが、それを今度はお客さんに大きなスクリーンで映して見てもらい、クイズ形式で当ててもらうという提案です。スケールも大きくなるのでより大きな感動があるのかもしれませんよ。建築を考えていく中でやはり自分が考えているのは、建築模型でもそうですがやはり大きいものには、それなりに圧倒され感動が違うものです。より、本物に近いスケールでやることはより大きな感動を呼ぶことになる気がします。
 そしてmosakiのお二人は質問をすごく聞きたがっておられたので、このレポートを読んでもらえればそれぞれ感じたことがダイレクトに伝わるのではないのでしょうか。

井上博也
第1 建築は誰のものか
 建築は誰のものかというテーマについて、青山同潤会アパートが事例に出された。mosakiは所有している人や賃借している人だけのものでなく、その建物を含む景色を見ている人のものでもあると言っていた。例えば、青山同潤会アパートを見に観光に来た人、青山同潤会アパートをバックに雑誌の撮影をする人やテレビのインタヴューを撮影する人などを挙げていた。
 このテーマをみて思ったことは、世の中を見ているとお金を出す人が強い力を持っているので、建築は土地・建物を所有している人や賃借している人のものであるということである。
 もっとも、こんな正論はmosakiも重々承知していると思う。それでもなお、上記で挙げた人々のような当該建築についての一般人の利益も守っていきたいという考えを持っていることがすごいと思った。権利者、建築家、一般人といったいろいろな立場の人が同一テーブルに立てるような活動をして、一般人の利益をも守ることの大切さを知った。
第2 建築とインテリアの区別
 建築系雑誌の企画でラブホテル・漫画喫茶・パチンコ店の特集をやったことが話された。その話の中で編集者はそれらの施設はインテリアの分野であり建築の分野ではないといったそうである。ただ、外観や空間だけでなく、インテリアを含めて、建築の質は決まると思うので、それらの施設も建築の分野に含まれるのではないかと思った。また、それらの施設を欲望デザイン・都市のマイルームといった婉曲的な表現を用いていることが楽しかった。
第3 講演会において質問があまり出ない理由
 今回の講演会終了後に、なぜ講演会等において質問があまり出ないのかということが話題になった。
 まず、質問することによって、周りからどう思われるかが気になるため質問しにくいという意見が挙げられた。また、質問に対して、「先ほど言ったように……」と返されるのが怖いという意見も挙げられた。
 私は、この話題について以下のように考えました。質問することで議論に発展していってしまう可能性があるので、それがおっくうということが考えられる。また、講演を聞いているモードから急に質問をするというモードに切り替えることが困難ということも理由であると思う。
第4 世界は広い
 普段はある問題を解決するために設計課題に取り組んでいるが、普段やっていることはどの世界に行っても通用する。世の中は、今私たちが見ている世界よりも広い。
 以上のような話も印象的だった。以上。

矢澤実那
 今回レクチャーで聞いた「mosaki」の二人が出会うきっかけとなった、「同潤会青山アパートメント」は、私も知っていました。しかし、私が知っていたことは、老朽化で取り壊しが決まって、その後取り壊され、「表参道ヒルズ」がその場所につくられたということだけでした。なので、今回話されていたように、取り壊されるまでに建物の保存を訴える運動が起こっていたり、取り壊されるまでにこのアパートの一室で、今までこのアパートの写真を撮りためていた人の写真を展示したり、これからの森ビルの計画内容などを掲示したギャラリーをやっていたりしたこと等は、全く知りませんでした。実際に田中さん達が最初に目的としていた結果とは、異なった結果になったのかもしれないですが、建物がなくなることが必ずしも負けということではなく、今まで特に意識されていなかった街中にある普通の建物に、一般の人の目を向けさせることのできる、とても重要な行動になったと感じました。求めていた結果と異なる結果になったとしても、この行動は意味のある行動だったと思いました。
 また、建築の世界というのは、専門知識が多くて、建築に興味のない人達は知ることの少ない世界だと思います。事実、私自身も、建築学科に入学するまでは建築についての知識は全くなく、入学前に建築の資料などを見てもほとんど理解できませんでした。したがって、建築についての知識があまりない一般の人達にも理解してもらえるように、建築のことを伝えていくことは、とても難しいことだと思います。けれど、一般の人達に建築を伝えていくために、「mosaki」の二人が行っている行動は、とても大変なことではありますが、すごく重要なことだと思いました。こういった行動を行っている人たちの活動がどんどん広がっていくことができたら、建築を勉強している人達や、建築の世界にいる人たちの活動の場も広がっていくのではないかと思いました。そして、建築についての知識がない人たちも気軽に建築に触れることができたら、今まで建築に抵抗感を持っていた人たちも自分たちの世界を広げるきっかけになると思いました。
 最後に、今回のゼミナールに参加して、「mosaki」の二人の話を聞くまでは、どんな活動を行っているのか知りませんでしたが、二人が行っている活動は大人も子供も関係なく、どんな人たちでも建築について興味を持つ機会が持てるような活動だと感じました。今はまだ、建築と聞くと抵抗感を強く持ってしまう人達が多いのが現状だと思いますが、「mosaki」の活動のように、建築の世界と、一般の人達の間を取り持つような人たちの活動がどんどん広がっていくことになって、建築に関わる人が専門知識を持った人たちだけでなくなったら、今よりももっと建築が分かりやすく伝えられるようになると思ったので、こういった人たちの活動はこれからもっと重要なことになると感じました。

mosakiのお二人へ
阿津地翔
 佐藤慎也研のゼミということで、お二人にレクチャーをしていただきましたがとても興味深い内容のレクチャーでした。プレゼンも上手でお二人のかけあいも面白かったです。
 いくつかのパートに分かれたレクチャーでしたが、なかでも「けんちく体操」は記憶に残りました。私はmosakiのお二人のことは知らなかったのですが「けんちく体操」のことは本や佐藤慎也先生のTwitter等で知っていました。しかし知っていたのは「けんちく体操」という言葉だけでどんな体操をするのかは知りませんでした。なので今回実際にしてみて少し驚きました。最初はなんでこんな体操をするのだろうと思っていましたがみんなでやってみると意外と楽しく、ずっと同じポーズを維持するのは大変で運動にもなることが体で実感できました。こういったワークショップをすることによって一般の人や子供の建築に対する興味が湧く人も大勢いると思うのでもっとこのような活動をいろんな地域でやっていってもらいたいと思いました。
 レクチャーの中でお二人の出会いや今までどんな活動をしてきたか、そして現在どのような活動をしているか、これからどういった活動をして行きたいかという内容もありましたがそちらも興味深かったです。
 お二人が出会うきっかけとなった、同潤会青山アパート取り壊しが決定したことによって発足したDO+という団体の活動内容も素晴らしいものだと思います。今までの団体のように単に建物の取り壊しに反対するだけではなく、取り壊されるアパートはこのような建物だった、そして壊された後はこういった新しい建物が建設される計画、ということを一般の人々に伝えるということは非常に大事なことだと思います。しかも田中さんは建築のことを大学で勉強していたわけでは無いのにこのような団体に入るというのは凄いことだと思います。とても建築が好きだと伝わってきました。私は建築学科であるのに、恥ずかしながら青山アパートのことは知りませんでした。レクチャーのスライドの中で出てきた青山アパートが現在の表参道ヒルズが建っている場所に立ち並んでいるのを想像したら良い雰囲気だと感じ、壊して欲しく無かったと思いました。しかし実際にその当時私が知っていたとしてもDO+のような団体に入るようなアクションは起こせなかったと思います。こういったアクションが起こせるかどうかでその人の人生に大きくかかわっていくかもしれないということをお二人に教えられた気がします。
 さらにレクチャーを聞いて感じたことは、建築関係の仕事といっても設計や施工するなど建物に直接関わるというものだけではなくて、お二人のように記事を書いたりする仕事もあるのだと気づけました。就職活動が本格的になる前にこのようなことに気付けてよかったです。
 お二人のこれからのさらなる活動を期待しています。

平野雄一郎
 今回私はmosakiのお二人に先入観を全く持たずに講義に臨みました。聞いているうちにいくつか気づいたことがありました。まずは、お二人の説明の仕方が聞きやすいという点でした。理由として、田中さんはメリハリのある話し方で聞き手にインパクトを与えるようにする、大西さんは冷静に考え田中さんのプレゼンに不足があればあとから付け加えるというようにバックアップをとる。と、それぞれおおまかに役割が決まっていたからではないかと思います。次に、お二人がとても楽しそうにプレゼンを行っていたことです。自分の中で考えているものを他人に共有して欲しいときは、自らが楽しそうに発表していないと伝わるものも伝わらないと思います。私が何かをプレゼンするときは、必ず楽しんでやるということを肝に銘じながら行っています。なので、とても話にのめり込むことが出来ました。
 今回、4つのセクションに区切って話していただいたのでそれぞれについて感想を述べたいと思います。最初は、モダニズムとか時代背景とか関係なしに多くの人々に愛でられている建築が好きというようにおっしゃっていました。私は実際に青山の同潤会のアパートを見たことがないけれど、アパートは残すべきだと思います。老朽化が問題視されていて、保存し続けるにはお金もかかるし残したところで何か利点があるのかなどの意見もあると思います。しかし、関東大震災という過去の大惨事をうやむやにするわけにはいかない、今後のためにも戒めとして人々に思い出させるためにも残すべきだと思いました。
 次に、田中さんが今活動していることについて話してくれました。ここでは建築以外を面白くしなければ町や建築は生き残っていけないというフレーズが印象に残っています。さらにインテリアと建築の線引きは必要なもの、とも言っていました。私は建築学科に入ってから、建築を主体にして様々なものを見てきました。しかし今は人々が建築以外のところから建築を見たときにどのように感じるのか・思うのかということに興味があります。欲望の建築というキーワードを使って話していた部分がありました。人間の「欲望」から建物を考える。これも一つの例だと思っていて、一般的に良いと思われていないところからも見ることが出来て、意外にそれが面白いという事があったりすると思っています。今更ながら思ったことが、建築以外というのはどのような分野を考えているのかとmosakiのお二人に質問して答えを参考にしてみたかったと思います。
 次にけんちく体操についてですが、着眼点がいいなと思いました。自分の体を使って建物を表すことって、意識していないうちにやっている事が多いのではないかと思います。旅行先で有名な建物の前で記念写真をとるときなど簡単な身振りで建物のまねをしている人を見かけたりします。この観光客の「お決まり」をビジネスに、それも世界に広げていこうというパワー・気迫は凄まじいものだなと思いました。さらにこのときに、講義を聞く側の人間がなぜ自ら進んで発言をしないのかという質問を投げかけてくれました。これについては、根本的な部分にあると思っています。少し前に話題になったゾマホンを例にとると、彼が最初に日本で注目を浴びた理由はあるテレビ番組でたった一人で自分の国の事を猛アピールした事から始まりました。彼に限らず日本以外の国の人は自分を主張する事に長けていると思います。日本人は日本の文化によってあまりしゃべりすぎないことが美学というものが頭の中にあるので、まずは聞いてくれている人をリラックスさせて、しゃべりすぎる事がこの場では良いという認識を持たせなきゃいけないと思います。
 最後に、これからmosakiのお二人がめざすこととして、人の心のスイッチを入れるための支えをしていくとおっしゃっていました。様々な可能性を秘めている事だと思います。とてもやりがいがあるし、なにより終わりのないプロジェクトではないでしょうか。人間には先入観というものが必ず生まれてしまいます。これを生まれさせないでいかにプロジェクトを進めるかが成功するかどうかの決め手になるのではないでしょうか。なんでもすぐに終わりを探してしまいがちな今の社会のなかで必要な事の一つだと思いました。

渕上久美子
 今回はmosakiの田中元子さん、大西正紀さんを迎えたレクチャーでした。講義の内容も面白かったですが、二人の掛け合いや、パワーポイントのみせかた、伝え方が、mosakiのルールの通り、とても楽しかったです。
 同潤会青山アパートメントを残すための運動の話では、建築が好きだったり、同潤会青山アパートが好きという眺める側の人は残したいという意見が多くあったが、実際に住んでいる人が施設として老朽化がすすんでいるので住みづらいためや、そのほかにもいろんな理由があり、アパートは取り壊されてしまったそうです。
しかし二人は、建物の取り壊しを止めることはできなかった、という、言ってしまえば敗北だったにもかかわらず、そこから学び、この原点の気持ちのまま新しいことに向かっていることをすごいと思いました。その後は「日経アーキテクチュア」などの建築雑誌や、婦人誌での掲載をされ、現在はけんちく体操の普及に力を注いでいるそうです。けんちく体操では特徴をとらえようと、みんなよく観察して表現し、そのなかで博士の説明をうけるので勉強になるそうです。手軽に参加できるうえに、大人、子供関係なくできるのがいいと思います。mosakiのモットーには感銘を受けるものが多く、これからももっともっとご活躍されてほしいです。
 建築には施工者や建築家などの作る側の人間だけではなく、そこに住む人や周辺住民、訪問者、事業者など多くの人がかかわっていて、いろんな思いがありますが、やはり利用者がその建築を快適に使うこと、その建築を愛することが大切なのだと思います。
 わたしは建築学科にはいり、先生方の講義や授業をとおして、建築に対して興味をもって生活するようになりましたが、それまでは普段生活する場所以外の建物を見上げたりすることはなく、建物があることを当たり前のことと思い、特に特徴を感じたりしないで過ごしていました。
 2人の活動はそんな考えの人を変える力があると思います。興味を持つきっかけを増やしてくれています。婦人誌での連載や、けんちく体操の普及は建築に対して興味をもつ入り口を大きくしてくれています。
私も、みんなが専門的になっていけばいいというわけではなく、あの芸能人かっこいいよね!などの会話のようにあのビル新しくなってすごいよね!と日常のなかで建築を感じる習慣がひろがればいいと思います。建築を、景観を、みんなが大事にするようになれば、日本の街並みもヨーロッパや海外のように伝統や特徴のある、住む人が誇りに思うような空間になると思うし、なってほしいです。
 今回のレクチャーをうけて、建築にかかわる仕事にもいろんな形があるのだと改めて知りました。建築について人に楽しく伝えられるようにもっと勉強していきたいです。

長澤彩乃
 今回の第4回佐藤慎也ゼミナールでは、mosakiの田中元子さん、大西正紀さんを迎えたレクチャーが行れた。レクチャーの内容は主に、mosakiという会社の誕生までの経緯と、その活動内容である。大西さんは我が日大理工学部建築学科の卒業生であり、現在就職活動の始まる大学3年生の私にとって今回のレクチャーは、多くの意味で非常に興味深いものであった。
 話はまず、青山の同潤会アパートを事例に『建築は誰のものか』というテーマから始まる。当時、原宿の顔……もっと言ってしまえば東京の顔といっても過言ではなく、人々から愛され慕われていた同潤会アパート。私がこのアパートを初めて知ったのは、小学生のころである。家族で青山に訪れた際、ツタが絡まり、なんだかとてつもなく古く存在感のある建物に対し私の母が、「このアパートは、こんなに古いけど、それが逆に街のおしゃれな目印としてのこしているのよ」というようなことを言っていたのが印象的だった。建築に特に関心のない私の母でさえ、そのように言った建物なのであるから、同潤会アパートがいかに人々から愛されていたかがうかがえる。この同潤会アパートが、老朽化を理由に取り壊しが決定する。そのとき、もうすぐなくなってしまう同潤会アパートの一室で、一般の人へ向けて同潤会アパートがなくなるということを広め、またそのことに対してもらったメッセージや、思い出深い写真を展示して、「人々に愛された同潤会アパート」を形にしようとしたのがこの2人であった。2人はこの活動を通して、建築とは誰のものかを考え、建築家としてではなく建築に無知な「一般の人の目線」でいることを念頭に、mosakiという会社を立ち上げた。
 mosakiが立ち上がると、2人は雑誌のコラムのような記事から始まり、持ち込み企画を任されたり、最近ではけんちく体操なるものなど、活動は多岐にわたる。今回のレクチャーでも実践したけんちく体操は、その名の通りからだを使ってけんちくを表現する体操であり、表現の仕方は自由だ。私は、けんちく体操の存在は正直今回初めて知って、はじめはその意図が分からず、言い方は悪いがこどもだましの遊びだと思った。しかし、実際にけんちく体操をやってみると、同じ建築を表現するにも人それぞれ表現方法はそれぞれ異なり、意外に奥が深いことに気づく。こどもから老人、それにヤンキーや「ヤンママ」なんて言われる人までもが楽しく建築に親しめるけんちく体操は、「一般の人の目線」でいることを理念にするmosaki以上に合った人はいない活動なのではないか。
 私は今回2人の話を聞いて、将来について深く考えさせられた。建築学科に在学する人の多くは、きっとはじめ、「建築家になりたい!」という熱い夢をもって入学したのではないかと思う。しかし、その中でも学年が上がっていくにつれて、その夢はどんどん変化し、中には夢を見失ってしまう人もいる。今回のレクチャーは「建築」と一口に言っても、いろんな道がある。視野をどんどん広げていこう。そんなことを教えてくれた。私も今、自分の将来のビジョンが見えず、どうしたらいいものかも分からなくなっていた。そんな私の心に、mosakiの2人の言葉は深く響き、今後も道に迷ったとき、このレクチャーを思い出そうと思った。

波多江陽子
 青山同潤会アパートの取り壊しをきっかけに出会った、田中元子さんと大西正紀さんの今までの事とこれからの事についてのレクチャーが行われました。2人は、私が今まで見たことのある建築家とはまた違う建築家でした。建築に対してソフト面からとりかかっている建築家で、そのお話はとても新鮮で興味を引くものでした。
 中でも印象に残ったのは、「建物を残せない事は『負け』なのか」というお話でした。私にはこれが言動の原点にあるmosakiの想いである、と感じられました。この想いをきっかけに、人々に伝えていく事、人々に意識をもってもらう事を重要視してmosakiとして様々な活動をしていました。行動のきっかけや発想の起源は単純な想いから始まり、そこからは自分次第で可能性が増していくのだと思いました。改めてきっかけを見逃さないことの大切さを考えさせられました。「けんちく体操」については、以前テレビでみたことがあり、その時は実際、「ふざけてる」と思っていました(ごめんなさい)。しかし今回で、「建築に真剣に向き合っている方々のすばらしい発見である」と見方が一転しました。体を使いながら頭を使い、建築に興味のない人もしらない人も学んでいない人も見事に取り込むことができる分かりやすいメソッドを用いていて、更には建築を学んでいる人(私自身)も身を持って建築を感じることができ、楽しかったです。けんちく体操に限らず建築に触れる機会が増え、多くの人々に意識を持ってもらうことにより、建築のハード面がますますいい方向に向かうこと、mosakiの2人もますます活躍することを期待しています。
 レクチャーをうけて、自分自身の建築に対する心構え(?)が変わり、それが一番の収穫でした。私が大学で建築を学び、そして目指すべきものは、建築士の資格を持つことや建物を考えること、見ること、つくること、学ぶことなど建築と自分が隣り合わせにある状態だと思っていました。しかし建築を、自分を通じ他の人に伝えることで、見てもらうと、考えてもらうことで建築に関わるという方法があることに気づかされました。mosakiのように文章にすることや編集の力で人と建築を結ぶ方法もあるし、またmosakiのようなアクティビストに編集してもらう絵を写す者になることや、企画を提案するための編集部員になることも一つの方法であると思います。その方法は様々で、今回のようなレクチャーはそれを知り、視野を広げる良い経験になると思いました。視野が広がることで可能性も広がり、とてもいい刺激をもらえたことが楽しかったです。このようなレクチャーはまた受けたいと思ったのは、mosakiのレクチャーが聞きやすかったのはもちろん、多くのことを吸収できた気になるためで、人の話を聞くことは大切であることを改めて感じました。だからこれから進んで色々なことに参加していきたいです。

沖田直也
 今回のレクチャーについて、まず1つ目に表参道の同潤会青山アパートで、築80年を超えた建物を表参道ヒルズに建て替えるということで、「DO+ project」としてアパートの保存・リノベーションを図ろうとしたことについて、自分は大正・昭和初期の貴重なRC造アパートが平成まで持ったことでは感心しますが、それならこの先もずっと立って欲しかったと思っています。もちろん現代では欠かせないネット環境などを入れる、古くなってきた建物をリノベーションする等が必要ではありますが……。余談ですが表参道ヒルズに建てかえられた時、一部が同潤会アパートを再現したつくりになっていますが、店舗として利用されており、もう少し同潤会らしく再現してほしかったと思います。
 2つ目は「けんちく体操」について、自分の体で建築物を表現することは斬新でかつ理解しやすく、更に答えが無いので奥が深いというところがとてもいいと思います。マスコミに紹介された時の反響も大きいようで、これからもっと広がっていくべきだと思っています。自分の子どもができたらぜひ教えてあげたいと思っています。ですが、建築学科にいる自分としては物足りない感じはしました。ちなみに今回「東京タワー」に挑戦しましたが腕を上にまっすぐ伸ばすことはとてもきついと思いました。
 3つ目はmosakiのこれからで、「スイッチを入れる」「“熱意”を伝えるための編集の発明」「欲望の建築(デザイン)」「建てない建築家・建築のアクティビスト」の4つを掲げていましたが(3つ目を置いといて)、建築物をつくることだけが建築家ではないということがこの話を聴いて一番思ったことです。日本の人口が減っていく時代に入った今、「建築以外を面白くしなければ街や建築は生き残れない」と言っていたように、様々な活動によって建築や街を盛り上げていって、これからの日本をより良くしていくべきだと思いました。特に、盛り上げていくにはそのきっかけが必要であるし、アクティビティを周りに広めるためには従来の方法(雑誌・マスコミ等)だけでなく、インターネットを用いた方法(twitter・Facebookも含む)もあるでしょうし、新しい伝え方がまだあるかもしれません。そしてこれらの物事を良くしていくためには勉強が大事であると思いました。今を知らなければこれからの道筋をどう立てるかができないからということです。
 最後に、自分は建築家を目指しているわけですが、こんな活動をする建築家もいるのだなと思いました。そのような活動にも注目すべきだと思います。このレクチャーのために来てくれたmosakiのお二方、大変ありがとうございました。

建築を伝える手段と感じ方
田中達也
 田中元子さんと大西正紀さんによる「mosaki」のレクチャーに参加して、建築に取り組む人々の幅の広さを改めて認識できた。また一般の人々に建築の魅力を伝え、様々な分野を集約して翻訳するmosakiの活動を知り、形として残る建築物の「その後」について自分なりに考えるきっかけにすることができた。建築物を利用する人の多くは建築に対して深い関心がないという当たり前の事実と、そのような人々の視点に立ったときにみえる建築の魅力について改めて考えてみた。
 mosakiの活動は同潤会青山アパートの取り壊しに反対することから始まっている。その活動の原動力は建築物そのものの機能や歴史的価値によるものよりも、人々に愛されている建築物がなぜ取り壊されるのかという純粋な疑念である。一方で建築物はある目的を達成するために建てられるため、需要が変われば取り壊されるのは自然なことであるという見方もできる。いろいろな過去の事例を考えると、建築物は本来要求される機能を失っても一般の人々の心をつかむ物的な何かがあるのは間違いないといえる。しかしそれは何かと聞かれたら、自分は正確に答えることができないと思った。なぜなら建築に関心をもつ前の私は、建築がもたらす機能や空間には親しみや驚きを覚えたが、建築物そのものに対しては特に印象がなかったからである。そのような思考はけんちく体操に対しても通じる。けんちく体操は体全体で建築物を表現することで、一般の人々の建築に対する意識をより引きつけることができる。しかし一般の人々の視点が形から建築物に興味を抱くことには違和感をもつ。前述したように、建築は体験して感じることで興味を抱くことが自然であると思うからである。もしも建築に対するいろいろな思考が物的なものから始まるとするなら、今ある街の風景は全然違うものになるのか、あるいはあまり変わらないのかな、などと考えた。しかしそのような理屈はなしにして、単純にけんちく体操は斬新なアイデアであると思う。1人で表現する場合や3人の場合、10人の場合と人数が増えると話し合いなども生まれ、楽しみ方も変わっておもしろい。体型の維持の辛さから構造を考えたり、現地に行って一緒に写真を撮ったり、新しい建築の楽しみ方である。記事で建築を取り上げる際も建築家のコンセプトを記載するのではなく、利用する側の視点でまとめていることに親しみを感じる。建築する側も利用する側も、興味をもてる記事になっているのではないかと思う。
 頭が固い自分にとって、違う視野で建築をみているmosakiの活動はとても刺激的だった。「建てない建築家」という、建築すること以外の手段による建築への可能性を感じることができたと思う。自分の今後の進路について、改めて広い視野で考えようと思った。

初谷佳名子
 今回はmosakiという人たちがいて、どんな事をしているのかというレクチャーだった。
 同潤会青山アパートのこと。
 同潤会アパートは関東大震災後、街の復興のために東京・横浜で建てられた、日本では最初期の鉄筋コンクリート造集合住宅である。近年は建物、設備の老朽化が進みその多くが取り壊されている。青山のアパートも例外ではなく、数年前に表参道ヒルズへと姿を変えた。mosakiはこの建物を保存しようとし、活動を始めた。展覧会を開いてアパートのこと、アパートが壊されることを展示し、一般の人が建物を意識するきっかけをつくったり、リノベーションをする案を考えるなどしてみた。しかし、お金の問題、建物の耐久性の問題、社会的問題など現実的に難しいとわかる。この経験から、人と建築を結ぶことをテーマとして様々な活動をしていった。当時、私は青山の同潤会アパートを見る機会が多くあったので、そこはなじみ深い景色だった。私の中でアパートは住宅というより表参道そのものの一部という印象がある。そして、現在の表参道にはかつてほどの魅力は失ってしまったと思う。難しい事は無視して、もしアパートがギャラリーとしてか公園としてか店舗としてか、どのような形かで残されていたらと考えてしまう。
 ロイズ銀行を見学しようとする人の列が写された写真が印象的だった。ロンドンのロイズ銀行は古い建物で、毎年ある時期に中を開放している。研修旅行でヨーロッパを訪れたとき、ほとんどが歴史的建造物や都市がそのままの形で残っていることに衝撃を受けたことを思い出した。同じように街の人に愛される建物でも国の意識、価値観や制度の違いで変わるのだと感じた。
 編集のこと。
 企画で、ラブホテルやパチンコ屋さん、カラオケ、漫画喫茶など普段建築雑誌ではあまり目にしないものを積極的にとり上げようとしていたという話が印象的だった。ある目的のためになりふり構わないプランを持つ、これらの「欲望の建築」は果たして「建築」と呼べるのか。これまでの当たり前ではこれらはインテリアであり、1つの建築として取り上げるにはその要素が乏しい。しかし、見る角度を変えれば建築として取り上げる部分はいくらでもあるのではないか、そもそもインテリアと建築に線引きすること自体が違うのではないか。確かに実際に自分が利用するとき、建築として見るということはあまりなかったように思える。一般の人が建築と聞いて自分とは遠いものと感じるのは、建築側が建築の範囲をどこかで限定しているからなのではないかと気づかされた。
 けんちく体操のこと。
 けんちく体操はmosakiのお二人の活動の色々をそのまま翻訳したものだと思った。建築と人、鑑賞者と表現者をつなげ、みんなが意識するきっかけを与えている。今回のレクチャーで枠にとらわれず、自由な考えを持って活動するにはそれに伴う信念、エネルギー、行動力がなければならないのだと感じた。

内野孝太
 mosakiの一貫して変わらない思いというのは、建築をよく知らない人も、知っている人も建築楽しもうぜ!!という事。
 青山同潤会アパートメントの取り壊し問題の時、一般の市民は取り壊しを気づかないうちに日常を過ごしている。当時の風景というのはみんなに愛されていたのに、取り壊しということになれば当事者だけの問題になる。このようなことに矛盾を感じてmosakiの発足に繋がったと話されていた。mosakiは建築と一般市民をつなぐ架け橋になりたいと、そして建築を盛り上げるために、いわゆる設計と言われるものとは違うアプローチで建築プラットフォームを作りたいと。
 私は建築学科に所属していながら、一旦建築の道を外れようと考えている。そのように考えている中でmosakiのレクチャーというのはとても刺激的であった。建築外からのアプローチの仕方は面白く、今日の日本における建築現場への疑問(市民の為に建設していると言っても、現場は高い塀で囲まれ市民は関与する機会が余りない)をmosakiなりの解釈で実行しており、またけんちく体操という誰にでも分かりやすいコンテンツを用意し、建築を触れる機会を提供している。
 このような機会が増えれば、一般参加型の構築が出来上がり、一般市民が生活をより良くしようと意見を出す機会が増え、設計者はそれをフィードバックしてより良い建築を目指す。また、このような循環が行われれば、建築現場だけで言えば明るい未来が想像する事が出来る(安直ではありますが)。ここまでmosakiのお二方が考えているかは私の勝手な想像であるが、社会への問いを考えれば必然であろう。
 私はmosakiのようにハードではなくソフトを構築している活動が好きである。ハードというのは構築するまでに時間が掛かり、伝えたいものというのが薄れてしまう気がしてならない。また、ハードは自身の本質としていない話題(外観デザイン、納まりしかり)にそれてしまう可能性がある。デザインがどんなに素晴しかったとしても、見ている人には自分の考えは伝わらず、目に見えているものにしか反応されなくなってしまうという危惧さえ感じる。今日の状況を考えるなら、ハードを作るのではなく、ソフトを作りハードを利用するという事の方がより建設的である考える。
 そのような思いもあり私はソフトの構築をする際何が出来るのか、ということを日々考えていきたいと思っている。
 今の建築ではこのような動きがあるものの、社会への問いということを考えるならまだ弱い気がする。私は建築という範囲に留まらず、何を問うことが出来るのか考えていきたい。
 最後に、mosakiのお二方へ。
 今自分は何が出来るのか、ということを考る機会を設けてくださり有難うございました。

mosakiな、お二人へ
中山英樹
 衣・食・住。日々の生活のなかで服を着る、食事をする。どちらも意識して選ぶという感覚が強いように思う。住はどうだろう。部屋を決める、家を建てる。確かに意識するけれど、日常という観点からしたら無意識で通り過ぎていることの方が多い。建築に関わる人間でなければ普通そうだと思う。そういった人たちと建築をつなげるという活動が今後どのような影響を与えていくのか。ファッションやランチと同じノリで、みんなが建物の話をしている姿を想像して一人ワクワクした。
 「建築は誰のものなのか」「建物が壊されたら私たちの負けなのか」といった言葉や同潤会アパートメントのある景色はとても刺激になりました。中でも、建物に関わる多くの人を同じテーブルにつかせる、というのが胸に刺さりました。よく感じるジレンマでもあるけれど、ものすごく難しいことだと思います。当時の同潤会アパートメントに行ったことがなく、写真でみた素敵な雰囲気をもう体験できないのかと思うと悔しいです。同時に今ある自分にとっての大切な景色を意識出来るいい機会になりました。
 雑誌の編集とデザインでは、建築ノートや建築家シリーズの3冊を読んでいて好きなのでmosakiと繋がったときは驚きました。情報ばかりで編集などの本に関わる多くの人まで意識していませんでした。実際にお会いすることで、カチリと視野の変わるスイッチが入ったのかもしれません。レクチャーを受けた後、自分の持っている雑誌や書籍に改めて目を通すことが増えました。構成やデザインなど学ぶことは多いです。
 ただ易しい言葉を並べただけで子供向けになるわけではない。建築家の絵本シリーズの話で、どこへ向けて何を伝えたいのか、そこから何が起きるのかという編集のもつ力というか影響のようなものを感じました。それは、熱意を伝えるための編集の発明、という言葉にリンクしていくのだと思います。雑誌は何万人もの多くの人たちに“伝える”ツールになり、けんちく体操のWSは数十人に“伝わる”ツールとして機能しています。多くの人間に発信できるけれど反応は少量なのが雑誌、少ない人間に発信し直に反応を受けるWS。反響という側面でみたときにこの両者は対になるものではないかと感じました。また展示の役割がその中間にあったのではないかなどと考えてしまいます。活動のきっかけとなったDo+での展示に始まり、雑誌、WSを経て、次のステップとしては何がある、もしくは発明していくのでしょうか。とても楽しみです。

ゼミナール | Posted by satohshinya at November 11, 2011 5:26


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