『完全避難マニュアル 東京版』鑑賞

2010年度第3回ゼミナールとして出題された、2010年10月30日(土)〜11月28日(日)まで開催されていた『完全避難マニュアル 東京版』鑑賞に対するレポートである。

完全避難マニュアル 東京版レポート
箙景美
 田端→池袋→代々木→秋葉原→浜松町の順番で最終日に5か所めぐった。
 田端では酒屋で飲み物を買い、さらに会計の際に地図の続きをもらいその場所に行く、というものである。最後に「まれびとハウス」というシェアハウスでありイベントスペースにもなっているところにたどりついた。
 池袋はF/Tステーションから地図と赤と黄色の標識に従って避難所に向かった。避難所は駅の目の前にある建物の三階であった。そこはネットカフェに近い雰囲気で「個室都市 東京」のDVDが観れるようになっていた。DVDの内容は色々な人にインタビューするものだった。
 代々木では言葉で書かれた地図に従って目的地に行く。地図には張り紙に書かれていることも書いてあった。最後に書かれた『本のある、たくさん本のある、私たちがそこでたくさんの言葉を閲覧し、借り出す事の出来る、その場所へ、入っていく。』という指示に従って建物のなかに入っていった。ついたところは図書館カフェHABI ROADであった。そこでは飲み物を飲みながら置いてある本が読めるところである。私はハーブティーを飲んだ。ハーブティーなのに普通に日本にあるお茶みたいだった。店の人がマコモという植物を使っていると言っていた。店の人によるとマコモは体にいいらしい。店の人は色々なことを知っていて話が面白く一時間くらい聞いていた。
 秋葉原ではラジオセンターの4階に避難所があるのだが地図で見たより場所がわかりにくくたどりつくのに大変だった。スタッフオンリーのところをさらに奥に行くときは躊躇した。避難所ではコスプレした女の子と15分話が出来るというものであった。私はにぼしさんと言う人と話した。今季のアニメはなにがいいかおしえてもらった。最後におみくじを引いた。エルシャダイのイーノックの「大丈夫だ、問題ない。」が当たった。色々お話してストレス発散した。
 最後に浜松町に行った。夜景がきれいだった。田端で買った酒を飲みながら夜景を見た。よい終わりかただ。
 現代社会からいかに避難してこれから生きていくのかを考えた。自分の「避難所」がないと生きていくのにつらい。完全避難マニュアルで色々な「避難所」を発見し、体験するのはいいことだった。また色々な人と交流出来よかった。

作品に参加して
田島雄一
 インターネットで公開されている作品についての説明には、本作は、観客がインターネットから参加する演劇作品とされていますが、インターネット上で指示された場所で何が起こるのか、そもそも何をしに行くのかがわからず、初めは戸惑いました。まったく知らない場所に向かう、しかもそこで何をするのかわからないという経験は普段の生活ではまずあり得ないことで、作品に参加した一日は自分を離れた場所から客観的にみているような、まるで現実の世界ではないような、不思議な感覚でした。自分の演じている劇を全く同じ時間に客席からみているような感じで、人を誘導するシステムのみを設計するこの作品の手法はまさにフェスティバルトーキョーの「演劇を脱ぐ」のテーマのとおり、観客と舞台との距離を取っ払った、まったく新しい視点からの演劇の鑑賞だったと思います。
 今回作品に参加するなかで、自分と同じ大学生以外にも高校の先生、秋葉で働くおじさん?や詩人の方など普段はまず話す機会のない方達と接することができました。掲示板やブログ、最近はTwitterなどでコミュニティをつくって世界中の人たちと交流をもてるようになりましたが、あくまでウェブ上であって実際に会って話すという機会はほとんどありません。また結局は似た者同士が集まったコミュニティになってしまいます。しかしこの作品に参加したことで出会う人たちは、ネット上のように似た者同士のコミュニティではなく、自分とは全く違った人たちばかりで、今までにない本当に貴重な体験でした。
 コミュニティと観客が出会うためのシステムの設計というのは建築の設計のように目に見えるものではないのですが、目に見えないなにかによって実際に自分が誘導される感覚にこのシステムのすごさを感じました。作品を通して今までと全く違う視点から物事をみつめることができ、その大切さを実感しました。

『完全避難マニュアル 東京版』体験レポート
中山英樹
 「フェスティバル/トーキョー10」関連作品の1つとして演劇を脱ぐ、「脱・演劇」を掲げたものである。という少ない知識だけを携えて、私はとりあえず体験してみようと思いネットにつなげた。何も情報を持っていなかったので、いつ・どこで上演しているのかというのを調べにホームページへとんだけれど、まずそこで驚いたのがいきなり始まるアンケートである(過去の作品『個室都市 東京』から考えればインタビューという単語のほうが望ましいのか)。ここで機械的に繰り出される質問に答えていくと、山手線各駅の付近に設置された避難所29ヶ所のうちの1ヶ所への行き方を教えてもらえる。これは回答者の答えによってそれぞれ違った場所へと導いてくれるので、なんだか自分の居場所を与えられているようで、安心というか期待というか不思議な気持ちになった。私の居場所は“池袋”である。
 最寄りの駅から山手線にのり池袋をめざす。電車に揺られていると、『完全避難マニュアル』のロゴの入った紙と地図のコピーをもった一群が途中の駅で降りていくのを見かけた。「ぁ、この人たちはここが避難所なのかな」と小さな仲間意識が生まれ、また、今この電車には一体何人の避難民がいるんだろう、なんて思いもした。そうこうしているうちに池袋に着いて、地図のスタート地点に行ってみると、ロゴと矢印のついた道案内が申し訳程度に付いているのを見つけた。ちょこんとしていてかわいい感じだ。知らない人は気付かないレベルでの意思共有と点々と現れる誘導にわくわくしていた。なんだかRPGのようである。どんどん導かれ、ときには上り、ときには下り、商店街のような場所も通った。ゴールへと着いてみるとスタート地点のすぐ近く。まんまと踊らされたような気がした。避難所へは小さなエレベーターへと乗って4階で、ビルもひっそりと静かで隠れ家のような佇まいである。すこし不安もあったけれど、おそるおそる入ってみる。4階についてみると怪しげなカフェのようなものがあり、なかは避難民で賑っていて、なんとも不思議な空間が広がっていた。そこでは、過去の作品でもある『個室都市 東京』の映像作品が観れたり、避難民同士でコミュニケーションをとれたりできるようになっていて、避難民初心者の私に避難方法を教えてくれる親切なスタッフがいた。私はひとまず映像作品を観てみることにして、個室にこもった。面白かったけれど、コミュニケーションを取りに来たのに、なんか違う、と思い他の避難民とテーブルを囲んでみた。そこには様々な人がいて、学生で私と同じように大学関連で知ったという人や、なんか街中のロゴが気になってふらっと訪れた人、お話は出来なかったがさっきまでアーティストの方もいらしたようである。この都市から隔離された場所にこれだけ別のベクトルを持つ人間が出ては入っていく空間があるのだなんて、見えなかった可能性が広がるような気持ちになった。1つの完結した場が存在する点で「イヴの時間」というアニメーション作品が頭に浮かんだ。その日はその場所だけで家路についたが、違う避難所にも行ってみたいと思った。
 演劇には演者と観客という役割が存在すると思う。観客が作品の一部となる体感型のものもあるが、『完全避難マニュアル 東京版』では客である主体の自分が演者と観客を同時に演じているように思う。それはHPを開いた時点で始まっていたのか。ずっと続いていたものに気付かされただけなのか。ただ私は今回の体験で自分の中に持っていた“演劇”という言葉を壊されたような気がする。自分なりに「脱・演劇」の一端に触れられたのではないかと思う。

完全避難マニュアル 東京版感想
堀木彩乃
初めてその名を聞いたときはなんの事だかさっぱりわかりませんでした。完全避難マニュアル 東京版?避難所を巡る?……防災関係のプロジェクトかな?と、見当違いな予想をたてたりしました。インターネットで検索し、誘導のままにクリックしていくと、たどり着いたのは『日暮里』という駅名。こうして私はこのプロジェクトに足を踏み入れることになりました。
最初に避難所に向かった日、時間は夕方過ぎであたりはもう暗い時間でした。あいている避難所を探し、大崎へと向かいました。頼りになるのはシンプルな地図だけ。目的地についてみると御世辞にも新しいとは言えない小さなビルでした。「え?ここ?」と何度も建物の形を地図と照らし合わせて確認。でもどうやらここのようでした。「入っていいのか……」とおそるおそる足を踏み入れ、目指す部屋番号のドアの前へ。囲碁の会の看板が気になりながらもノックをすると、出ていらしたのは老夫婦でした。奥さんが「なに?」という表情を浮かべたので本当に間違えたかと思いました。しかし奥から顔をのぞかせたご主人のおじいさんが、部屋の中へと招き入れてくださいました。
避難所ってこういうこと?と驚いたのを覚えています。初めて訪れた避難所は、あまりにもこじんまりとしていて、あまりにもプライベートな空間に感じたからです。初の避難が囲碁の会の一室。囲碁ができないことを告げると困った顔をされました。「本当はここで囲碁の対決をしたりするんだけどね。」そう言いながらおじいさんは「これを渡す決まりみたい。」と、一冊の本をくださいました。それは村上春樹の小説でした。『次の避難所へのヒントがあります』という添え書き。『ここはどこでしょう』というしおりのページには銀座のあたりの描写。次の避難所は銀座の近く、有楽町でした。
その後、しばらくご夫婦とお話をしてから避難所を後にしました。初めて来た大崎で、さっきまでまったく知らなかった人と世界共通語についての話をしました。それは非現実的でとても不思議な体験でした。もう二度と会う事はないかもしれないけれど、帰り道は避難所に向かった時の道とは全く違って見えて、楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。
大崎、有楽町、浜松町、鴬谷、池袋。決して行った避難所の数は多くありません。鴬谷では避難民の方たちと輪を作ってお酒を片手にいろんなお話をしました。初対面なのにあれだけ楽しく、まるで昔からの友達のように和やかな空気が流れていたのは、避難所にきている仲間というだけでつながることができたからではないかと思います。知っている人しか知らない楽しみであって、なんだか秘密を共有しているような感覚になりました。
そして、全てに共通して言えることは、特になにがあるわけでもないという事です。囲碁の会でも、セットのようにそれが作られたわけではなく、私がそれを知らなかったときから当たり前のようにそこにあったものです。言ってしまえば、そこにある風景を見に行きそこにいる人に会っただけなのです。それなのにこんなに楽しくて不思議な気持ちになるのは、その風景をいつも私たちが見落としてしまっているからなのかなと思います。
改めて示されたその避難所を、そこを意識して目的地として向かうと、急になんだか特別な場所、風景になりました。
きっと、意識をすれば、今回の避難で感じたような新鮮な気持ちは周りにある日常からも拾う事が出来るかもしれません。そう思わせてくれる、とても楽しいプロジェクトでした。最後に、なぜか日暮里に行くのをすっかり忘れてしまった事だけが残念です。

完全避難マニュアル 東京版 品川にて
伊藤由華
品川では手相を見てもらえるという情報を聞き、私は予約の電話を入れた。なんとか無事に手相を見てもらえることになり、一路品川へ。地図で示された場所についたはいいが、避難マークが見つからず、マクドナルドの前の休憩所を何気ない顔で何度も行ったり来たり。要するにただの不審者である。一組み一組み遠目から確認してみてもやっぱりいない。どうしたものかと座って休憩して見ても、やっぱり目的のマークは見つからない……。
結局しばらくしてから心が折れ、電話で本部に確認するという何とも情けない手段でマクドナルド内にいた目的の人物を見つけ心底安心した。この不自然な待ち合わせは、周りの人から見たら面白いのかもしれないな、と思いながら席に着く。まずは意気込みたっぷりに、就職活動について聞いてみた。簡潔に言うと結果は無理かもしれないとのこと。思わず笑ってしまった。なんでも、内定の線がないらしい。一応そのほかの線も見てもらい、自分の特性などを聞き思ったより早く診断は終了してしまった。これじゃあ早すぎるかな、とそのあと手相を見てくれたおねえさんとぐだぐだ話してみたが、就活に対するアドバイス等をくれたりとおねえさんは非常に親切な方だった。偶然出会ったわけではないけど、お互い顔を知っていたわけでもなく、まったくの初対面のおねえさん。話していると、彼女にも彼女の生活とか歴史とかがあるんだなとなんだか妙な感覚に襲われた。RPGっぽい出会い方故におねえさんのことをあまりリアリティーのない存在だと思い込んでいたらしい。今思えばなんだか不思議な体験をさせてもらったなぁとしみじみ思う。
ちなみに現在も私に内定の線はなく、自分の爪で溝をつくる日々続いている。

ゼミナール | Posted by satohshinya at December 6, 2010 8:58


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