黄金町バザール2014見学会

2014年10月9日(木)、2014年度第3回ゼミナールとして、「黄金町バザール2014」の見学会が行われた。以下はその見学会に対するレポートである。

瀧澤政孝
 今回訪れた黄金町は独特の歴史を持つ町であった。黄金町の高架下一帯では、昔、人身売買や麻薬取引などが行われていて、夜は一人では歩けない危険地帯であった。そこで行政が介入することで高架下一帯が一掃され、そこには新しいアートスタジオやギャラリー、カフェがつくられ、また元々高架下にあったお店は高架脇に移転することで、高架下一帯が芸術文化の発信地として生まれ変わった。スタジオやギャラリーや広場といった建築が集まる場を提供し、そこではアートによって人々が繋がっていったことで、新たな町の魅力が形成されていったのだと思う。黄金町のこの事実を知って、私は建築とアートには何かを変える力のようなものがあると感じた。しかしこの町が変わったのはそれだけではないと思う。確かに建築とアートが変わるきっかけになったと思うが、それだけでは一過性に終わってしまう可能性がある。だが黄金町では精力的に長期レジデンスアーティストの募集や黄金町バザールなどのイベントの開催、ボランティアによる町内パトロールなど、町の人々が進んで取り組みを行っている。私はこれが黄金町の新たな魅力の維持に繋がっているのだと思う。今回の黄金町バザールで高架下が見事に展示空間に変わっているのを見て驚いた。なお高架下の建築構造は、法規により高架の柱に頼ることができないので、100mm角の鉄骨柱をW型にしたものや木造のものなど、様々で表層のイメージとは異なる素材感で内部空間が構成されているのでとても面白かった。
 そして、チョンノマのコンバージョンがとても新鮮であった。外観は個室ひとつずつについている小さな窓が並んでいて、昔のチョンノマの部屋割りを示す窓割りが残されていた。また、現代の用途に合わせて表層的に区切られているのだが、それは元々の建築の境目とはずらして行われているため、近づいてみたときに少し違和感を感じたが、それがチョンノマとしての「昔」の姿とスタジオとしての「今」の姿の両方を表している独特のファサードを形成しているのが興味深かった。なかに入ってみると本当にひとつひとつの個室がとても小さく、階段も急で天井も低く、本当に最小限のスペースしかなく衝撃だった。
 多くの展示作品の中で気になったのは、李仁成さんの高架下に展示されていた様々な平面イメージを大きなパネルにした作品である。最初見たときはサーモグラフィーの画像と間違えるような鮮やかな色が印象に残っていた。思わず何が写っているのか立ち止まって考えた。
 黄金町バザールは横浜トリエンナーレと比べて規模が規模が小さかったがどの作品も強烈なインパクトのあるものばかりであった。それは町民だけではなくアーティストたちなど多くの人々がつくり出した黄金町の魅力が作品の個性を引き立たせていたのではないかと思う。今回は個性のある展示空間が作品の個性を引き立たせるという展示の魅力に少しながら気付くことができたと思う。

渡辺莞治
 明るさと暗さの二面性が強く見える黄金町。黄金町駅から日ノ出町駅間の高架下で繰り広げられている物語、そこで生まれるコミュニティ。「仮想のコミュニティは、アートのフィクションとしての性格がコミュニティに対して能動的な役割を果たすかも……」とガイドブックに書かれている。薬物売買やちょんの間などの小規模店舗という暗い過去から、行政とアートの介入によって地域の人が安心できる街へと生まれ変わっている。黄金町バザールは、国内外のアーティストが集まり実験的なアート展示を行っている。多くの作品を見てきたが、漠然としているメッセージではあったが、どれも強烈で印象深かった。警察の摘発によって無くなっている過去ではあるが、今でもちょんの間の名残が少なからず残っていて、暗い過去と明るい未来が混沌としている街。きっと黄金町の歴史からこの場で作品をつくったり展示することは、アーティストにとっても刺激的で可能性が広がるのであろう。少なからず私は、街を歩き、アートに触れ、その二面性を感じた。その中でも、李仁成さんの作品が印象的であった。 壁や柱などには、無数の傷があって、その傷には私たちの歴史が刻まれている。多くの作品が、新しい黄金町をイメージさせるようなものに感じたが、その中でも過去を消してはならないというメッセージを残しているような作品でもあるように感じた。
 小規模店舗の縦長につくられた急な階段や小さい部屋、隣同士が雑然としていて高架下に広がる路地裏のようなスペースがアート・街歩きの楽しさを加速させてくれた。アートが落とし込まれたこの街には、少しずつ能動的な空気が流れ始めている。地域住民や警察といった街全体が力を合わせなければ、街は意識的に変わることはできない。アートというツールによってつくられた新たなコミュニティは、街の人々の意識と性格を変えているのではないだろうか。今回、ヨコハマトリエンナーレと連携し、規模も大きくなり、国内外の文化的交流も含めた大きなコミュニティがつくらている。これはアートによってつくられた仮想のコミュニティであるが、このアートプロジェクトを通してリアルなコミュニティの街の安全・安心をつくりだしている。私は、黄金町を訪れ、街・人・社会・アートなどそれぞれが変わり出そうとしている力を感じた。また、ヨコハマトリエンナーレのテーマ「忘却」の「忘れる・思い出す」というものが、この街の歴史と未来に関わっているようにも感じる。地域の人は、思い出したくもない触れたくもない過去かもしれないが、完全に払拭された、言うなれば「忘却の街」には違和感を感じてしまう。アートというツールに介入され仮想のコミュニティを見せられたこの街が、今後どうなっていくのか気になる。アートで街を繋ぐという試みは、街の背景や社会・時代の状況、人の心などその街特有の問題をもアートが包み込まなければならないことが分かった。小さい街の中に大きな力とアートを感じ、仮想とリアルなコミュニティを見ることができ、その難しさとアートによって繋がれたコミュニテイの強さを感じた。

末次華奈
 黄金町の印象はなんだか人が少なく閑散としているものでした。平日だからでしょうか。私が想像していた、まち全体を主体として行われているというものではないようです。駅から少し進むとそこに会場はあります。高架下を中心とした川沿いにある昔の特殊店舗や小規模飲食店などをリノベーションした建物です。なるほど、やはり黄金町にはやはりどこか異様な雰囲気がありました。しかし建物を取り壊さずに再利用しているという点で、このまちの異様な雰囲気をも地域の特性として活かしつつ、まちづくりをしていくという意志を感じました。高架下のガラス張りのスタジオやギャラリーでは、アーティストたちが何かに取り組んでいる姿が見え、面白い風景ではありましたが近付きがたいというのが始めの印象でした。昔から住んでいる人たちにとって、アートとは興味深いものなのでしょうか。
 まちおこしになぜアートをもってきたのでしょうか。10年ほど前は、美術館でのまちおこしが流行していたといいます。黄金町のまちおこしは若手アーティストを使われなくなった昔の施設に住まわせ、人の居なくなった場所を活性化させようというものです。明るくないまちの歴史をふまえ、親しみやすいまちへと変わろうとする力を感じました。しかしこのような、まちで行われるアートのお祭りには幅広い人々が訪れるため、「予備知識が無くても楽しめる分かりやすいアート」と「複雑で難解な深いテーマのアート」の板挟みになってしまうのではないでしょうか。このような様々な問題を抱えて継続していくのは、非常に大変なことだと思いました。黄金町が日常的に人が訪れる場所に変わっていくには、どうしたら良いのか。難しい課題だと思います。
 私が気になったのは演劇センターFによる特別企画です。一見ただのバーのように見えますが、パフォーマンスの上演やワークショップが行われる手づくりのスペースです。地域を巻き込んだ演劇を上演しており、観客と役者が商店街を歩きながらお店を巡る作品や、両岸から糸電話で会話したりと面白そうなものが沢山ありました。放課後は地域の小学生たちが集まり、くつろいだり何かを企画したりしているようです。アートでまちおこしをするならば、まちに根付いてこそだと思います。異物がまちにやってくるのとは異なります。
 アートに知識のない私から言えることは、とにかくまず気軽に歩いてみるのがいいということです。様々な国のアーティストたちが自由に展示している作品は、多種多様で新しく感じます。その中でも、嫌いなものや気味が悪いものを発見するのもまた面白いです。よくわからないという感じ方も理解のうちの一つなのではないでしょうか。

田村将貴
 高架下建築とは現代において、珍しいことではなくなった。昭和時代から繁栄していた場所の一つであり、法規ギリギリもしくは違法であろうとも言える建築すら見られていた。日の当たらないところに影はできることのように、決して治安がよい場ではないことは一目瞭然である。黄金町の高架下もまた、犯罪によって栄えた場であった。いつの時代も人々は群れをなして生活をしてきた。動物の本能行為とも言えるこの行為は大衆だけでなく、ホームレスや犯罪者らもやはり群れをなすのである。
 群れをなすことにより様式、文化が統一された地は、実はリノベーションに適しているのではないか。犯罪の巣窟であった黄金町の高架下周辺は、地域民によってアートとそれに従ずるレジデンス空間へと生まれ変わった。前者に倣いこれもまた群れである。高架下や、周囲の建物にインスタレーションとして、美術展開されていった。私は建築とインスタレーションについて考えた。私が見てきたインスタレーションは、ホワイトキューブであったり、一定の空間が提示された中でのものだった。そういう意味では同じだが、黄金町バザールの展示空間は少々異なる。住宅などの空き家をインスタレーションとして扱うのは初めてだった。壁や天井、しつらえを変えることで自らの思いのままの空間にする。美術館などでよく見られるインスタレーションのための空間は、それに適応させようとするデザインが少しはされているのではないか。空き家のインスタレーションにはそのような慈悲は一切なく、アーティストを挑発するかのごとく無謀とも言える展示空間を叩きつけてくるのだ。黄金町バザールでみたそれらは、素晴らしかった。全てとは言わないが、アーティストの手にかかればそんなものは関係なかった。建築を強制的に従属させるわけではなく、アートで包み込むかのようだった。アートと建築は似ていると私は思っている。コンテクスト、シークエンスを読み取り、デザイン、設計をする。もちろんそこに、己の理想や思想が入るわけである。建築をインスタレーションと言っていいかとなると私は悩む。建築は決して自己満足で終えてはいけない。本来はアートのようなアイコンでもない。アートは語りかけてくれるかもしれないが、建築は語りかけるような操作をしなければいけない。設計者が逐一説明するようなことがあってはいけないのだ。あくまで建築を作品と呼んでいいのは完成当初だけではないだろうか。不特定多数の人々に使われ、人間環境に溶け込んでいくそれは、もう作品ではない。黄金町の高架下もそうして年月をかけ、人間環境の中に溶け込み、いつしか異物にも見えるインスタレーション空間が当たり前に人々の生活に刷り込まれていくのではないだろうか。犯罪は非常に繁殖力が強く、一気に人々の生活の中に根付いてしまう。アートもそうなるとは言い難いが、黄金町バザールで高架下の新たな可能性を知ることができた。やがて黄金町のアート活動が人々の生活に根付いていくことを願っている。

下村燿子
 初めて黄金町バザールへ行ったのは1年生の時でした。その頃現代アートが何かすらよく分からず、現代美術館へ行ったことのなかった私にとって、黄金町は異様な世界に映りました。黄金町駅から日ノ出町駅の間の高架下にギャラリーやアトリエや広場があり、入り組んだ狭い道を入ると周囲にはコンバージョンされたギャラリー。わくわくしながら歩いたり、見たことのない様な現代アートを見て気持ち悪い、奇妙だと感じたり。時には面白いものを発見したり。とにかく初めての詰まった場所でした。2年前は単なる好奇心のみで見ていましたが、去年と今年を経て少しずつ、アートをつくった作家の思いや、地域に住む人々の町を変えたい気持ちや、黄金町のNPOで働く人々に着目しながら町を歩けるようになってきました。
 私が今年の黄金町で一番衝撃的だったのが、太湯雅晴の展示でした。公共の場での創造的行為をテーマとして活動するアーティストです。スタジオであるハツネウィングに入ると、そこには何もなく、ただA4の紙に印刷されたドキュメントが4枚壁に貼り付けてあります(拘って書いたようなものではなく、ささっと文章のみで書かれたもの)。読むと、自身の活動について説明してあり、以下のような内容でした。スタジオに飲食店を呼び設置し、通りがかる人々を集めようと思ったが、実際に飲食店を呼ぶことが中々難しく、結局設置するに至らなかった。なのでこのスタジオには何もなく、私がここで過ごし生活した痕跡だけが残っている、と。文章を読み終わったとき、思わず笑ってしまいました。展示物がないとは無責任だけれど、逆に潔い。展示物のない展示場所。1階の奥のスペースや、2階に上がって各部屋を見ても、どこにも何もありません。物はなにもなく、ただ作家がここで過ごしていたんだよなぁと思いを巡らせるしかありませんでした。何も展示しないことが作品である空間は、この黄金町でしかできないことではないのかと思いました。
 黄金町の中で好きな場所は、ちょんの間のコンバージョンである黄金スタジオです。以前は1階が飲食店、2、3階は2畳程の部屋として使われていました。階段は急で、人がすれ違うのがやっとなほど幅が狭く、上階は天井が低く、3階に至っては窓がありません。違法に使われていた異様なこの建物が、いまはアートを展示する場所になっています。この狭さだからこそ、部屋に入ると、アートとの距離がとても近く、より作品の躍動感や、アーティストの思いを感じることができる気がします。
 黄金町は日本でここにしかない特別な場所。これほど大きく、アートによってまちづくりがなされた場所はないように感じます。黄金町がこれから先、どんどん普通の町へ変化していくに連れて、同時にアーティスト達がアートによって、良い意味で黄金町を異様な町にしてくれたら、と思います。

木村肇
 黄金町とは、京浜急行本線で横浜より三駅目の「黄金町」駅と、手前の二駅目「日ノ出」駅との間、大岡川沿いの地域を指す。現地を訪れたところ何か特別な事が行われているような印象は受けなかった。しかし、黄金町の本性は駅前ではなく、京浜急行本線の高架下周辺にあった。黄金町の高架下や小規模な建物や既存の店舗、空地などを会場にして行われるアートフェスティバルが「黄金町バザール」である。今年で6年目になる今回のテーマは「仮想のコミュニティ・アジア」で、公募審査により選考された国内外のアーティストの新作を黄金町の町中に展開し、横浜をアジアにおける文化の重要な発信拠点として位置づける試みをしている。
 黄金町は独特な歴史を持っている。第二次大戦後、人々が集まり闇市が形成され高架下などの飲食店では違法な買春行為が行われるようになった。間口1間ほどの1階の店舗で酒などを提供し、狭い階段を上った2階の1~3畳の部屋で買春を行う形態の店舗が多く「ちょんの間」と呼ばれていた。麻薬も流れ込み、「麻薬銀座」として悪名を馳せていた。その後、阪神淡路大震災を受け、高架の耐震工事により約100件の店舗が周辺に拡散してしまい、まちが急速に壊れていった。これに危機感を覚えた地域住人の働きにより違法店舗は一掃されたが、閉鎖された250もの空き店舗をどうするかという問題が生まれた。そこでアーティストを呼び込みまちの活性化を図った。平成20年の「第3回ヨコハマトリエンナーレ」に合わせ、空き店舗を利用してアートベントを開催した。それが「黄金町バザール」の始まりである。
 この歴史を元に今回のアート作品について見てみると、原田賢幸さんが作成した「机の染みは昨日のものか。それとも。」はちょんの間の跡地に身近な家電製品や日用品と音(声)を融合させたインスタレーションで、感情の喚起と共に、日常の変容を試みた作品は麻薬銀座時代の黄金町を彷彿とさせる薄気味の悪い混沌とした雰囲気を醸し出していた。他にも、フィリピン人アーティストのポール・モンドックさんが作成した「スメバミヤコ」は、廃車や積み上げられた金のレンガ、剥製の鳥や植物など異質な素材を巧みに組み合わせて、創り出された不思議な世界は高架下の空地に設置されている。ここにあった少女を模した能面が毛布に包まっている作品は買春をしている少女の姿を現しているのだと思った。
 全体を通して見てみると、様々な国のアーティストが集まっているだけあって黄金町周辺は異世界の様な奇妙な雰囲気があり、1つ1つの作品を見て回っているとあっという間に時間が経っていた。
 暗い歴史を持つ黄金町だが、「黄金町バザール」などのイベントにより、今は様々なアーティストの集うまちに変わりつつあると感じた。そこで起こる人々の交流は様々な化学変化をもたらし、昔の犯罪者達がつくり上げた悪く暗い混沌とは違う、新しいこれからに向けて輝く奇妙な混沌が今の黄金町の特徴なのだろう。

ゼミナール | Posted by satohshinya at October 29, 2014 15:57


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