人とまちをつなぐアート/その新たな展開と可能性

2011年10月24日(月)、2011年度第2回ゼミナールとして、シンポジウム「人とまちをつなぐアート/その新たな展開と可能性」が行われた。以下はそのシンポジウムに対するレポートである。

鶴﨑敬志
 10月24日に雑司が谷地域文化創造館で「人とまちをつなぐアート/その新たな展開と可能性」という題材で、パネリストである北川フラムさん、中村陽一さん、ゼミ担任の佐藤慎也先生、東澤昭さん、蓮池奈緒子さん、森司さんのもとシンポジウムが開催されました。正直シンポジウムは初めてなことなので、どういったことが展開されるのか関心のあるところでした。
 まず、北川フラムさんの話で、人間はほとんどマニュアル通りに動く存在で、褒められるようなところは無い。けれど、美術は人と違って褒められるもので、場合によっては褒められて良い存在である。その中で全員違うことが重要であると言った。そのことで、私は、一人一人の個性を尊重しつつ自分の足もとでアートをつくり、それを出会いの場としてつくるということの大切さをしれたし、個性が失われつつある今の時代に生きていることから、不安の念を抱かさざるを得ないという状態になっているので、良くない傾向だなと思う。それから、アートは、出会いの場であるということで、考えていることが、違うということは同じ場所に立てるということが、すなわちアートを持っているということも言っていた。そして、それを支えている人は、建築家や、アーティストといった、無から有を作っていく人たちで、残そうとしているのもそういう人たちなので、大切にしていきたいと思った。
 それから、立教大学の中村教授の話は、信頼社会の実現をテーマに話をしていた。多様性ということで、適したロケーションや、地域性といった社会デザインをどう作るかということで、水性動物が、産卵などのために群れをなし、定期的に移動し最終的には生息場所に戻ってくる、そういう意味での回遊性を持たせることで、多様なつながりや、緩やかに人とつながっていく、それが大事だと言った。あと、社会のつながりとして、本質的なもの、社会歴史的なもの、特色を持つ、それを有するユニット、変えていくものが挙げられて、場をつなげる、あるいは広げるといった、社会に対する関係性を持たせるべきといったことに対し、社会のデザインに回遊性を持たせ最終的に戻って来させるという考えに同意出来ると思う。地方から都会に行くと、故郷をおろそかにし帰って来ないケースも多々あるので、帰りたくなる社会のデザインというのは、考えなくてはならないテーマのひとつだと感じた。
 としまアートステーション構想のことに対しては、まず、この構想は街の中にある地域資源を活用した「アート」を掲示することにより市民の活動のヒントを見出し、自分たちの街の課題を考え、契機が出来ることでの「コミュニティ形式の促進」を期待したものだと言われた。そこには、ソーシャルネットワーク、場所、人という3つのアーキテクチャが挙げられ、構想を実現するのにとりわけ重要なキーワードとなっている。そのことに対して、市民参加型のプロジェクトとして、人とまちをつなぐアートの構想というのは、コミュニティが薄れていく現在でなくてはならないことで、人と人がつながるコミュニティの促進として、アートをつくり新たな、環境システムを作り出そうとしているので、このプロジェクトは面白いと思った。

吉田悠真
 池袋の魅力について色々深く知れる良い機会となりました。他の渋谷・新宿などの都市にはない魅力を歴史や文化・伝統などの観点から今まで作り上げてきたものを深く知ることもでき、大変興味深い場所であるということを感じました。それは他の町にはない、人が近くに住んでいるという住民が関わる場所としての違いがあることを知りました。
 初めの方の話に出てきた「道路標識などにより方向感覚が鈍る」という話は共感できました。確かに人間は技術の進歩により、さまざまな便利機械に頼ることが多くなり自分で何かを感じ、何かを考える機会が少なくなったように思えます。これはメリットもある反面大きなデメリットもあるのだと思います。人間が五感を使わなくなってきたのはまさしく技術進歩によるものが大きく、本来人間がもつ能力をある意味大きくシャットアウトしてしまっている可能性があるのではないのでしょうか? それは自分で考える機会が少なくなったということです。そして、発展した技術により人間はある種の安心感をもつようになったのではないでしょうか? 「誰かとつながっている」「すぐに居場所がわかる」「すぐに最新情報を得ることができる」などなど全てが安心感を得るためのものに繋がっているような気がします。では、例えば携帯のデータが全て消滅してしまったらどうでしょう?
 人は全てを失ったかのような絶望に陥ることもあるかもしれません。それは常に誰かと繋がっていたいと思っている人ほど深刻なものになります。そしてそれはやがて大きな絶望感に繋がる人すらいるということです。
 今回のシンポジウムでも3・11の話題が多く挙がる中、自分が考えたことは技術の進歩による繋がりではなく、もっともっと人間本来の根源に戻り「繋がり」とは何かを考える大きなチャンスとなりました。震災以降人との繋がりを意識する人が多くなり「家族」「友人」「恋人」「親戚」など自分の中で特に大切な存在となりうる人との「繋がり」をなお一層深く考えさせられる結果となりました。それは、まず最初に「大切な人」の安否の確認という行動からも伺い知ることができます。それは、技術の進歩による確認という作業をした後にくる「その人の元気な顔を見たい」「会いたい」という気持ち、衝動です。人はそれだけでは満足できない生き物なのです。「大切な人」に会い、顔見て、話し合い、温もりを感じることでお互いの気持ちや感情を感じることができるのです。
 これらを踏まえて、改めて池袋という地を考えてみると人々の繋がりを重点に置き技術の進歩に頼らず、お互いが繋がっているということを感じることができる新しい地域性を持ちうる可能性があるような気がします。それは建築の力であり、アートの力であり、人一人一人個々の力にあるということです。本当にアートが必要な人とは誰なのかではなく、アートがどれだけの人を繋いでくれるのかの検討が論点になると思われます。若者の価値観が多様化するこの現代社会の中で、人と人とを繋ぐ「何か」を「技術の進歩」に頼らず見つけていく必要性があるような気がします。
 プログラムの提案の中にある中心軸「SNSの活用」「場所性」「人」というものはもしかしたら、その仲介役である「技術の進歩」ではない「何か」が必要になってくるのかもしれない。アートでつなぐことはどこまで可能なのか? 誰にも共通して欲しいものはなんなのか? 今回の震災から学べるものそれは「安心感」。。そして、就職を目の前にした自分が感じた大きな事は公務員を希望する若者・親が増えたというのはまさにこの「安心感」というものがだいぶ大きなウエイトを占めているのだとそう感じている。

矢澤実那
 今回のシンポジウムを聞く前は、何故池袋がアートステーション構想の拠点のまちになったのかいうことを疑問に思っていました。
 池袋は、新宿・渋谷とともに東京副都心と呼ばれ、大きなターミナルを持つ駅ではあるが、新宿や渋谷のように高層のビルがずっと立ち並んでいるわけではなく、また、昔西池袋に住んでいたこともあり、私にとってはとても落ち着くまちです。今は私の住んでいた所は道路が拡張されてしまって、面影は感じられないようになってしまったけれど、そこ以外のところはあまり変わらずに公園が多くあったり、住宅街が広がっていたりと副都心と言われる割には、シンポジウムでも話されていたように地元の人も多く住んでいて、地域交流の場も多くあると思いました。そして、池袋は地元の人だけでなく、多くの地域の方も集まる場所なので、色々な人が交流できる場所としては、とてもいい場所なのかなと思いました。
 しかし、私は「としまアートステーション構想」というのを聞いたとき、今の池袋にまた新しく交流できる場所をつくって、池袋を変えていくものだと思っていました。けれど、実際に今回のシンポジウムに参加して、詳しく説明を聞いたら、私が思っていたものとは違い、新しく場所や空間をつくるのではなく、既存の場所を有効に利用し、また、住民の方が主体となって進められるようなシステムの構築を目標としているものということがわかりました。ただ、新しい場所をつくるだけでは結局は有効に利用されない可能性もあると思うので、地元の方が自ら進めていける様なシステムをつくることは、とても意味のあることだなと思いました。
 そして、この「としまアートステーション構想」で情報共有の場として利用しようとしている、Facebook、Twitterのようなソーシャルネットワークは、今では利用している人がとても多く、これの他に新しく情報共有の場をつくるよりも、これも既存のものを利用することで、交流の場所と同様に情報の場所も、新しい可能性を掲示できるものになっていて、一から何かを作り上げるよりも抵抗がなく人々に馴染んでいくのかなと思いました。
 最近では、どこの地域でも地域交流の場が少なかったり、隣に住んでいる人がどんな人なのかというのも知らなかったりということが問題になっていたりします。もうそれが当たり前の状態になりつつありますが、安心して暮らしていくためには、地域の人たちとの交流は欠かせないものだと思います。そういったことを解消するためにも、この構想の実現は重要なことだと感じました。また、今は、何処にいてもいつでもネットで交流ができる時代ではあるけれど、そのツールをうまく利用することで、昔のような面と向かって交流ができるような世界が実現したら、ネット社会のイメージも今のようにマイナスのイメージではなく、少しでもプラスのイメージになるのではないかなと思いました。

井上博也
第一 アートプロジェクトのシステム化
 アートプロジェクトとしてアーティストを育成したり、アーティストに発表の場を与えたりするような丁寧な仕組みがあると、逆に突出したアーティストが現れにくくなるということが印象的だった。丁寧で親切な仕組みがあるとアーティストはそれに甘え、サラリーマン化して堕落していくということが理由のようである。下手に食えるようになると、努力を怠り、冴えた感覚も鈍くなるのであろう。大学の教授にもその傾向があるという点も面白かった。アートプロジェクトという仕組みからはずれたフリーランスのアーティストのほうが突出するようである。
 アートプロジェクトが抱えるその矛盾をどうするかが問題となっていることを知った。アートプロジェクトはその矛盾を抱えながら運営していくしかないようである。ただ、アートプロジェクトというものはある仕組みの中に組み込まれて平準化していくものでなく、ある仕組みの脇に存在してある仕組みを撹乱して仕組みを更新していくという捉え方もある。この捉え方であれば、アーティストは撹乱者であってサラリーマン化しないということであると思った。
第二 北川フラムさんの建築家に対する認識
 生理に基づいて生きているアーティストに比べて建築家のほうが、アートプロジェクトにおいて地域の人々とコミュニケーションを取るのがうまいと言っていた。建築家はクライアントがいて、その人たちと議論したり、その人たちにプレゼンテーションをしたりすることが多いからであると思った。反面、アーティストには明確なクライアントがいないことが原因なのではないかと思った。
 コミュニケーション能力の点で北川さんは建築家を評価しているが、建築家は自分たちがやっていることを過大に主張しすぎていると評価していた。たとえば、今の震災復興において、実際には建築家がやっていることはわずかであるにもかかわらず、その成果を過大に主張しているらしい。
 普段、私は建築学科にいるので、建築家というとスーパースターとして見ていたので、北川さんのそのような捉え方が面白かった。
第三 豊島区について
 池袋を中心とする豊島区の活性化には、回遊性が必要であるらしい。池袋の周りには、巣鴨・目白・大塚などがある。巣鴨は高齢者の聖地、目白は学習院大学がある落ち着いた街、大塚はライブハウスなどがたくさんある活気ある街である。そのような、多種多様な街を抱える豊島区を回遊できるようにする必要があるということである。回遊性という視点が興味を引いた。

池田宗平
 今回、雑司が谷地域文化創造館で、としまアートステーション構想シンポジウムについて、豊島区長の高野之夫氏、東京都文化振興部長の関雅広氏をはじめとし、北川フラム氏や中村陽一氏、佐藤慎也氏、東澤昭氏、蓮池奈緒子氏、森司氏と数多くの方が、それぞれの思いを熱く議論し、また、ディスカッションを行った。
 としまアートステーション構想の目的は、豊島区民をはじめ、アーティスト、NPO、学生などが自主的・自発的にまちなかにある地域資源を活用したアート活動の展開であり、それを可能にするために、「環境システムの構築」と「コミュニティー形成の促進」が必要であるというのが主な目的である。そうすることで、人と人の「つながり」のある安心感がある地域になると考えている。
 これらを踏まえて、7人のパネラーの意見を聞いていて、なるほどと納得することがいくつかあった。それは、東京都文化振興部長である関雅広氏が述べていた私たちはマニュアルのまま生きているが、美術だけが人と違って良く、人が全員違う唯一の思想であって、色々な違う人たちと関わっていくことがアートであるということや、今の時代は「正しく・早く・スタンダード」であるなどを言っていたのを聞いて、岡本太郎が大阪万博で建てた太陽の塔も芸術家ならではの一見観ただけではわけのわからないものだが、そこには岡本太郎の思想があり、そういう偉大な芸術家が今の時代にいないのは、私たちがマニュアルのまま生きているということなのではないかと、私自身もとても納得がいくものだった。また、立教大学の中村陽一氏が述べていた、20世紀の宿題は社会をデザインすることで世界を変えていくことができるかもしれないと考えていて、具体的な案として池袋にはまだ多様性があるから池袋に見合ったロケーションや街並みを造り、そこには緑や文化、大学などの回遊性などがあり、人との緩やかなつながりを意識したものが池袋再生には良いのであると考えている。また、中村陽一氏がしきりに述べていたことが、池袋は一昔前に財政の危機を迎えたが、そういうコミュニティーの場をつくっていくことが大切である中で、そこに経済の理論や財政問題などが関係ないようなものが良いと述べていた。それらを聞いて、私は、新宿や池袋など人の出入りが多いような都市は、緑や文化、大学など人の循環ができるような回遊性を求めて資源を使うことが大切であると思った。また、最も今回のシンポジウムで印象に残った言葉が、北川フラム氏がディスカッションの時に述べていた「演出家はいるけど俳優がいない」や「佐藤慎也氏には悪いが、アートプロジェクトのほとんどは建築家である。また、建築家は組み立てるのが上手である。彫刻の人は組み立てるのが下手であるから、そうなるとその枠からも外れることになりかねない」というようなことを述べていて、私はそのことが全て納得をしてしまったし、その納得してしまったことが残念でもあった。
 最後に、今回のようなシンポジウムに参加したことが初めてでとても新鮮に感じられたし、専門家たちの意見とそこに関わる住民の意見を取り入れるということ、またそこで情報交換というコミュニティーがとても大切であると思った。だから今後もこのような機会があれば参加したいと思った。

富樫由美
 シンポジウムは豊島区の魅力を知っていることを前提に進められ、そこをどう活かすのかということがあまり分からず、少し腑に落ちなかった。それは限られた時間の中、駆け足で進められたことと、私の経験不足ということから生じるものだろうか。北川氏は「東京はブレードランナーみたいな都市になってしまった。しかし、池袋駅はまだ方向感覚が分かる。」と述べた。私にとって池袋駅は新宿などの駅と同じように、もしくはそれ以上に複雑な駅、複雑な場所と感じ、あまり池袋には魅力は感じていなかった。その後、池袋モンパルナスやときわ荘などの例も挙げられた。これまでどんな人でも受け入れ、成り立っていく、そんなコミュニティを豊島区はもっていると述べられた。豊島区のもつ歴史や雰囲気をとても近いところにすんではいるものの、私はまだ知らない。このとしまアートステーション構想でそれぞれの地域の、そこに生きる人々のどんな一面をみられるか楽しみになった。
 としまアートステーション構想では、ただアーティストを招致してその場所で作品を展示してもらうだけでなく、もう一歩、もう二歩踏み込んだことをやろうとしている。自主的・自発的にまちなかにある地域資源を活用したアート活動を展開することをゴールとしている。そのために3つのアーキテクチャを構築することで、あちこちにアートステーションが生まれ、それによってコミュニティ形成が促進されていったり、ステーション同士がゆるくつながったりする。いままでとは違う、新しいことをやろうとしていると感じた。
 また一方で、アートのもつ力、楽しさ、可能性を伝えることの難しさを感じた。アートがコミュニティの形成や地域活性にすぐつながるかというと違うと思う。その効果はアートを受け入れる側の体制にそれらはゆだねられていると感じた。さらにいえば、私が重要であると思うのはアートによって活性化するかどうかではなく、全く違う考えや思想の人と同じプラットフォームに立てる点といくつものプラットフォームが存在する点だと思う。
 シンポジウムの前に少し鬼子母神駅周辺を歩いた。まだ商店街が機能していて、八百屋や総菜屋などが並んでいた。その中で若い人が古本屋を営んでいた。内装は新しくここ数年で始めたのだろうか。だけど自分のやりたいことを誰に求められることなく、自発的にやっていると感じた。そこで、ささやかながらも自分を表現しようとしている点だと思う。店主が本を選び並べていく。そこには売れる、売れないよりかはこれを読んでもらいたいかどうかといった店主の気持ちが感じられるようだった。表紙がみえるようにおかれた本を見ていると店主の好みや考えが分かるような気がした。こんな店、こんな人が一つのプラットフォームとなる場所を作り出すのではと思った。アートは地域の、自分の考えや思想、感覚、雰囲気を自主的・自発的に表現し、知らぬ間に他の誰かを刺激することを誰でもやりやすいといった点でよいのかもしれない。しかし、このアートステーション構想が、アートに限らず古本屋のような店、場所、人を増やし、つなげるきっかけになればいいなと思った。

まちにおける建築とアート
田中達也
 としまアートステーション構想は、地方からさまざまな人々が訪れる多様性と、居住者が多い居住性を併せ持つ池袋において、アートをきっかけとしてまちのコミュニティを促進し、つながりをもたせることで多様性に回遊性をもたせることが目的である。シンポジウム「人とまちをつなぐアート/その新たな展開と可能性」のシンポジウムに参加し、としまアートステーション構想を聴講して私が考えたのは「建築ができること」と「アートについて」であった。
 としまアートステーション構想は特定の場所を実現することが目的ではない。街の人々の意識に働きかけて共通した文化の意識により繋がりをつくることが目的である。それを聞いたときに建築ができることはなんだろうと思った。もともと今回の構想でアートを手段としたのは、現代社会のなかで自己表現できる数少ない手段がアートだからである。北川フラム先生によると、日本人の80%以上が指導者層の指示通り動く人であるという。今考えてみると驚くことではないが、改めて言葉にされると心に刺さるものがあった。周りの人との違いが見出せない、あるいは見出そうとしない人々が増えてしまい、まちの活性化が阻まれてしまう。としまアートステーション構想ではその打開策がアートである。しかし建築はその反対の作用を促すものだと思う。建築することには必ず目的があり、システムの構築がともなう。システムは人の均一化を促すものである。中村陽一先生によると、システムは確立から劣化が始まるという。それは人々の思想、思考が変化していくためである。私は設計の課題などに取り組んでいる際、建築することで提案することを当たり前としてきたが、実務ではまったく違うのかもしれないと思った。目的のためには建てない方が良い場合があり、そのとき建築家はどう考えるべきなのか。今回のシンポジウムを通して実務における建築家の在り方を考えることができたと思う。
 また今回のシンポジウムではアートについてはあまり語られなかったが、アートをどのように取り入れるかはとても重要なことだと感じる。多くの人はアートに対してどのような印象をもっているのだろうか。私はこのシンポジウムに参加する前はアートを身近に感じることができなかった。さまざまな芸術表現をみても、これはどんな意味があるのか、などと固いことを考えていた。アートが人々の自己表現の手段になるということを聞いて、身近に感じることができるようになったように思う。アートは実は現代社会のなかですごく重要な役割があるのかもしれないと感じたからである。冒頭でも述べたように、現代社会は自己表現できる場が少ない。対して個々のアートは否定されたりするものではないから自由で相対的である。アートが人々の心にゆとりをあたえることでまちが活性化すればとても豊かな空間ができるかもしれないと思った。
 今回のシンポジウムではまちとアートを通して人と社会について考えることができたと思う。学外のシンポジウムやレクチャーには学校の講義では学べないものがあると感じた。

阿津地翔
 僕は今回の様な都市計画のシンポジウムに参加するのは初めてだったので最初どういったことを聞くのかまったく想像できませんでした。会場である雑司が谷地域文化創造館には会議室や音楽室、美術室、陶芸教室等があり地域の方々が使用できる地域の方々の文化を発信する中心のような建物だと思いました。その中にある多目的ホールに着き、入った時に頂いた資料やイベントの広告を見ながら人が揃うのを待ちました。30分程すると席もほとんど埋まり、進行が始まりました。
 まず、最初に豊島区長の高野之夫さんと東京都文化復興振興部長の関雅広さんから開会挨拶をして頂きました。その中で関さんがおっしゃっていた被災地の支援として大道芸人を被災地に派遣した話が心に残っています。被災地の方々にできることは募金や支援物資、ボランティアだけでなく、被災地の方々に笑顔を届けるような支援もあるということに気づきました。
 最初の発表者は豊島区文化政策推進プラン策定者の北川フラムさんでした。電車の関係で会場に少し遅れて到着したフラムさんは前に出るなり、「今日プレゼンのために用意してきたパワーポイントは、話す内容を変えたので使いません。」とおっしゃって凄い人だなと思いました。さらに驚くのはそこからでした。会場に着くまでの時間で考えた話の内容とはまったく思えず、とても濃い内容のものでした。フラムさんの話の中で、今横浜でやっている東北のプレゼンは意味が無く、建築家であるということのアリバイ作りに過ぎないという内容のものがありましたが、建築学科の生徒としてとても耳が痛い話でした。そしてアートでは違う考えの人が同じ場所に立つことができ、豊島区はスタジオ、劇場等地域の方々が多く集まるアートを発信するための場所も多くあるのでそこで地域の繋がりを深めることもでき、他の場所からやってきた人との繋がり築けるような場所であるとおっしゃっていました。
 次の発表者は立教大学教授の中村陽一さんでした。中村さんはまるで授業をしているように一つ一つ詳しく説明してくれました。震災の影響が社会デザインにどう出ているか、今の社会には強いきずなでは無くて緩やかなきずなが必要だということ、池袋において地域と大学と区をどう繋げるか等を話していました。そして最後に池袋周辺の特徴を挙げて、これからの池袋をどういう都市にしていけば良いかを話されていました。難しい言葉が多く若干ついていけませんでしたが、とてもためになりました。
 最後は慎也先生のとしまアートステーション構想についての説明でした。3人のなかで唯一パワーポイントを使っていて図や表等があって見ていて飽きなかったし、とても分かりやすかったです。
 パネルディスカッションでは時間がぎりぎりだったこともあってあまり話は聞けませんでしたが、この中でフラムさんが今の日本のアートのネットワークはアーティストでは無く建築関係の人がつくっているとおっしゃっていました。それはアーティストと建築家のプレゼン力の差で、建築家は一つのことを千のように言える程プレゼンが上手いと言っていました。でもアートのネットワークはアーティストに作っていってもらいたいと思いました。
 今回のシンポジウムは良い機会になったと共に、とても勉強になるものでした。またこういった機会があれば進んで参加したいと思います。

農村型コミュニティから都市型コミュニティへ
田崎敦士
 今回のシンポジウムで気になったキーワードが「緩いコミュニティの形成」である。このキーワードは実現するのか、またさせるにはどうしたらよいか。
 『としまアートステーション構想』の運営側は3つのアーキテクチャ(ソーシャルネットワークのアーキテクチャ・場所のアーキテクチャ・人のアーキテクチャ)を構築することで、これを可能にしていくヴィジョンを描いている。シンポジウムでは具体的なシステムについてこそ触れていなかったが、ネットとリアルを地続きに考えていかなければならない現代にあったマニュフェストである。
 「ソーシャルネットワークのアーキテクチャ」では既存のソーシャルネットワークであるtwitterやFacebookの情報を編集し、市民に提供するアーキテクチャの構築を検討している。いかに多様な利用者(アーティスト、区内外の人)に対応したアーキテクチャを構築するかが、今後の展開を大きく左右するだろう。
 例えばtwitterのスピード感をうまく利用することで、ある種のリアルタイム性を生み出し、利用者にプロジェクトを「シェア」している感覚を擬似的に覚えさせることができないだろうか。「シェア」している感覚が生まれ、それが強くなれば比例してコミュニティの力も強くなる。実際にそのコミュニティに参加してみようという人達がでてくるかもしれない。さらにinstagramのような写真共有SNSを組み合わせることで、ビジュアル面においても利用者の感覚にうったえるアーキテクチャができるのではないだろうか。
 また、twitterの基本的な性質が『としまアートスーテション構想』が描くアーキテクチャの構築に大きな意味をもってくる。
 twitterよりも前に、日本に広く普及していたmixiという「実名主義」のSNSがあるが、これはいかにも日本で戦後続いてきた「農村型コミュニティ」を思わせるローカルなコミュニティに留まっている。本来はオープンなネットワークを構築するはずの「実名主義」だが、日本では逆の効果(中高生の利用で顕著に見られる)があったようだ。現在ではmixiに飽きた利用者がtwitterに流れ込み、利用者数でtwitterがmixiを上回っている。またアメリカのネット人口の約半数が利用しているFacebookも「実名主義」であるが、日本における利用者数はtwitterの約半数である。
 twitterは「匿名性」と「実名性」の2つの性質を持ち合わせた、中性的な性質をもつSNSである。匿名であることでプライバシーが不透明になり、利用者は気兼ねなくコミュニティの輪を拡大している。これはmixiのそれとは違いとても「緩いコミュニティ」だ。いわゆる現代社会においての「都市型コミュニティ」といえる。
 この「都市型コミュニティ」が『としまアートステーション構想』の要ではないだろうか。「農村型コミュニティ」から「都市型コミュニティ」へ移行していくことが『としまアートステーション構想』を大きく展開していくことに繋がるだろう。

波多江陽子
 初めてシンポジウムを見学して、自分は小さい世界で何もできずにのうのうと生きているのだということ、今回見たり聞いたりしたことよりも多くの事が自分の知らない世界で繰り広げられていて、それらについて考えたり、話し合ったり、努力をしている人々がたくさんいるということを切に思い自分のこれからにおいて、いい刺激になった。
 今の街は情報に溢れすぎて、人々は自分で情報を整理する方法を忘れてしまい結果五感を失ってしまった事。技術の進歩により日本人の学力が半世紀で上位から40位にまでおちてしまった事。そんな中3.11以降より一層アートの力は偉大だと認識された事。美術的思想は他の事とは異なり、人と違うことが評価される唯一の思想であり、貴重な文化である事。これらの事からアートをどうケアしていくのか?ということを北川フラムさんは語った。
 社会をデザインすることによって世界を変える可能性がある事。池袋は新宿や渋谷と違い、多様性があり活性化する可能性を秘めているという事。
 魚が産卵のために別の場所に移動し最終的に生息場所に戻ってくるというような意味での回遊性を、コミュニティーの場を形成する上で持たせることが大切である事。この回遊性が人と人、場所と場所を緩やかに繋ぐ事を利用し、これからどのようにこのとしまを活性化させていくか?ということを中村陽一さんは語った。
 私自身も3.11によりアートの力で人の心は豊かになることを感じていた。科学技術の進歩によって、確実に時間は長くなって、それと同じくして人の寿命も長くなったと思う。遠い場所でも瞬時に繋がることができる。治せなかった病気が治せるようになった。交通機関によってすぐに行きたい場所に行ける。筆を持たなくても言葉を文字にできる。しかし多く事を得たと同時に大切なものを失ったのではないか?直接会わなくても人と繋がっていられると感じる。薬を飲めば、手術をすれば、病気は治ると命を軽くみるようになった。歩くことが減ったことにより、運動不足になったり、街並を見たり感じたりすることが減った。相手を想いやる時間や心が失われた。これらをふまえて、(北川フラムさんはアンチソーシャルネットワーク?であるように感じたが)私は、としまアートステーション構想にあるようにせっかく進歩してしまったのだから科学技術も生かしてアートをケアしたり、回遊性を構成したり維持するほうがいいと思った。目的である、豊島区民をはじめアーティスト、NPO、学生などが自主的・自発的にまちなかにある地域資源を活用したアート活動の展開に「環境システムの構築」と「コミュニティー形成の促進」が必要であり、これらが人と人のつながりのある安心感がある地域にすることができると考えているこの構想によって、ますます「としま」(池袋)が安心感のある素敵な街になっていけばいいなと思った。

沖田直也
 北川フラム氏によると、今日の東京では駅に降りたら方向感覚がわからないという。現に新宿や渋谷は(個人的見解だが)同じような建物が並び、流行のものがもてはやされ、それが過ぎれば次の流行に行き元の流行は跡形もなくなっていくという。しかし池袋は唯一の地域になってしまったが東京・江戸の歴史・蓄積が残されているのである。東京芸術劇場・豊島公会堂などの発表の場があり、大学があり、周辺に公園もいくつかある。西に行けば長崎・要町・千早・椎名町があり、芸術家を多数輩出してきた地でもある。地域のコミュニティがまだまだ残されている地域であるという。
 また、今日の大量生産・消費社会で画一的なものがどんどん出てくる中、唯一アートだけが人と違って良いものであるという。自分の足元で(一人一人違うものに根ざす)美術というものをどうするのか、(震災以降重要になってきた)コミュニティをどうすればいいのか、という問題がある。
 これからのアートの形態は「人とまちをつなげるアート」であると思う。市民が創造的にまちに関わり、それによって自分たちのまちの課題を考えていくことで、コミュニティの形成を促進することを期待しているという。それにはどうするかというと、「公共文化事業3.0」という構想を用いる。従来はハードとしての文化施設を中心とした事業展開の中で、場所や活動を市民に与えることができても、「自分自身が」それらの事業に参加するといったシステムが確立されていなかった。「公共文化事業3.0」ではアーティストは活動のヒントを見出す手助けをし、それを元に市民が自発的に行動することで創造をしていくというものである。「完全避難マニュアル東京版」(高山明・2010)を例に挙げると、アーティストが「避難所」と言われるスポットを設置し、ネット上でそのスポットへの行き方を提示することによって参加者がそれを元に「避難所」に行き、何かを発見したり、参加者同士が話し合ったりしていたのである。これはtwitterがあった事によって更なる盛り上がりを見せた(避難マニュアルオフ会の開催など)。
 自分は美術研究会に所属しており、長期休暇中を中心に(他大学と共に)美術展示会を行う。しかしそれによってできるコミュニティというのは出展者の内という狭いものであり、出展者と観覧者(アーティストと市民)でのコミュニティというのはなかなかできないものである。それにデザインフェスタギャラリー原宿を中心に活躍しているアーティストたちとの交流は殆ど無いといっていい。しかし、「公共文化事業3.0」を取り入れ、アーティストも参加することでアーティストと市民・アーティストと他のアーティストのつながりができる可能性はある。サークルで行うのはかなり難しいと思われるが、twitterやFacebookなどを利用することでそれまでにないつながりができるであろう。この構想については考えておくべきだと思う。
 最後にこのシンポジウムに参加したことで、現代の問題と、これからのアートの方針と、現代におけるコミュニティの大切さと、大学生活でやってきたことがつながっていることがわかった。

初谷佳名子
 情報化が進みネット上で社会ができ、効率主義の経済をもつなど、文化の必要性が薄れてきている現代。渋谷、新宿、上野など東京の主要な街は一定の様相を持ち、街の色を失い、方向感覚を欠いてきている。そんな中、池袋で「アート」を軸にツイッター、フェイスブックなど現代のツールの力を借りつつ、街を盛り上げようという構想。アートポイントをつくることによって、今までただ生活の場であったり、ただ通りすぎていたところにとっかかりが生まれ、ふらふら歩いてみたくなる、このような回遊性をもち、人とつながる街となる。
 今回のレクチャーで私が印象的だったことは、市民が創ることに参加するということ。これまで、アートの場として、鑑賞するところはもちろん、アーティスト・イン・レジデンスなど作者が創り発表するところ、市民も参加できるワークショップなどは耳にしたことがあるが、市民が軸となり創るというのは聞いたことがない。それ故に現実難しい企画なのではないかとも思った。しかし、もしこの計画が成功すれば、人と街の関係を結ぶだけでなく、一般市民の多くがアートに対して感じる敷居の高さのようなものが取り払われ、アートがより身近なものになるのではないかと思う。
 「仮り住まいの輪」で、東日本大震災の被災者に無料で部屋を提供するというのも印象に残った。被災者が震災を乗り越え、新たな一歩を踏み出すきっかけの選択肢のひとつとして画期的なアイデアだと思った。また、3.11の震災後アートの必要性や可能性が問われている今、起こったことや現状と向き合い、関わっていくことは必然的な事なのだと思う。
 また、この計画の元となる、「住み開き」では個人が公開の場として、ときには託児所のような場として自宅を開放する。近隣との付き合いが希薄になり、お隣さんの顔も知らないという状況が稀ではなくなってきている現代、ソーシャルネットワークを用い、新しい人付き合いやコミュニティの形が生まれている。
 この構想はシステムによって動かされるが、これは物事が平準化、画一化してしまう恐れがある。システムをもちおもしろいものをつくることは可能なのだろうか。今までの概念では矛盾ともいえるこの構想を可能にするには、個人の協調性と違いのバランスをとるようなシステムをつくることが重要となる。
 このとしまアートステーション構想を実現していけば、人と街がつながり、その街に住む人、その街の周りに住む人がよりポジティブで豊かに生活を送るようになると思う。

有野純哉
 雑司が谷地域文化創造館において、「人とまちをつなぐアート/その新たな展開と可能性」という、としまアートステーション構想シンポジウムが開かれ、北川フラム氏や中村陽一氏、佐藤慎也氏、東澤昭氏、蓮池奈緒子氏、森司氏、また、豊島区長の高野之夫氏、東京都文化振興部長の関雅広氏といった数多くの方が、プロジェクトに対するそれぞれの思いや考えを熱くプレゼンし、その後、パネルディスカッションを行いました。
 豊島区は80周年を迎え、小さな街ではありますが、ソメイヨシノ発祥の地であり植木の街である駒込、おばあちゃんの原宿として賑わいを見せる巣鴨、品格のある街並み目白、音楽祭などで賑わう大塚といったようにその地域ごとに違った顔を持つ個性豊かな街であるといえます。それらの街を周囲にもつ池袋でアートプロジェクトが行われるということで、私はどのようなプロジェクトの内容なのか非常に関心をもちました。
 このプロジェクトで興味をそそられたのは、経済成長を目的としていないという点と、人と違ってほめられるアートがテーマという点です。基盤が利益ではなく「つながり」であり、それを支えるのは「人」であるという考えから、お金やモノでは買えないパワーをもったアートだからこそ生まれる、人と人、人とまちのつながりを目的としたこの構想には多くの可能性が広がっていると感じました。整理されていない情報が溢れて生活が高度になっていく中で、池袋というトップランナーの都市だからこそ挑めるこのプロジェクトによって、安心感のある人と人とのつながりのある地域をぜひ実現してもらいたいと思います。
 印象的だったのがパネルディスカッションの中で出てきた「システムは成り立つと同時、もしくは直前から劣化を始める。」という言葉、また、大学教授を例に挙げて出された「画一化すると堕落する。」という言葉です。この言葉に、としまアートプロジェクトを成立させる難しさが凝縮されているように感じました。難しさとはディスカッションでも話題に出ていましたが、としまアートプロジェクトと公にして、近寄ってくるのは建築系の人々で、そういう場にコミュニケーション能力・プレゼンテーション能力の低いアーティストの人々、特に彫刻系の人々は集まって来ないというところです。この矛盾をどう解決していくか、つまり、プロジェクトの発起人であり、プレゼンテーション能力の高い「建築系の人」と、いわば全員違うことを目的とし、唯一の思想を持った「アーティスト」がどうつながっていくかということに、シンポジウム全体を通して私は最も興味を持ちました。
 このとしまアートステーション構想は2011年の秋から始まったことと震災の影響もあり、まだまだ走り出したばっかりで、これから多くの問題点と向き合わなければいけないという印象を受けました。私自身シンポジウムに参加することが初めてであり、正直どういう気持ちで聞けばよいのかという戸惑いもある中で始まりましたが、会が進むにつれてとしまにおけるアートプロジェクトの新たな展開と可能性をパネラーの方々と同じ目線で感じると同時に、問題点と自然と向き合うことができて、このようなことは今までにないものだったので、非常に面白い体験ができました。シンポジウムに参加することで、初めて知ることのできる活動や考えがあるということを今回身をもって感じることができたので、今後も機会があれば積極的に参加していきたいなと思いました。

ゼミナール | Posted by satohshinya at October 28, 2011 5:24


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