場所をつくること

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今、話題の幼稚園をみてきた。立川駅からバスで15分ほどに位置する。園児が500人を越すマンモス幼稚園だ。敷地周囲の既存建物をよけ、中央にサークル上に囲い型の配置となっており、1階に諸室が入り、2階はすべてルーフテラス。また樹木も積極的に残され、何本か建物を貫き一体となっている。

大半は木製建具で覆われ壁の存在は感じられず、建物のファサードというものもない。内部空間はドーナッツをぶつ切りにしただけで、庇下に廊下が走りそれ以上のことは何もしていない。そのためぐるりと歩いていてもどこが何の部屋かということがわかりにくい。良い建築の判断基準は何か?一見、セールスポイントの外観もなければ、見せ場となるインテリアもないように思われるが、この幼稚園ではそれらとはすこし違う魅力が獲得されていると思う。

では、僕か感じた魅力とは何か?、それは建築が作られているというより、場所が生まれているという印象がとてもよいのだ。たまたま子供達の場所が連続して繋がっていったら、真ん中に大きな広場やサークル状のルーフテラスができているという感じだ。それぞれの場所は開放的な建具により、広場や外周沿いにある遊び場や木立などと連続し一体となり、また古い家具や園児たちのおもちゃなどが、新築にありがちな浮いたような感じはなく、日々の園児の活動を引き受けられるタフな建築となっている。ここではマニアックな空間の操作や材料などは使われていない、楕円という幾何学表現が唯一建築的な存在感として力をもち、敷地全体を纏めているのだ。なんともすがすがしい建築。

それにしても見学者の数は凄かった。バスの中で、今日は何かあるんですかと地域のおばあさんにも聞かれたほど。見学会をどこまで開くかと賛否両論はあるが、ここまで多くの人を巻き込む建築家の力もさすがですね。

architecuture | Posted by at 5 14, 2007 11:59 | TrackBack (0)

庭のデザイン

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近所の家の庭、上が去年の秋、下が今年の春。広い敷地の中に、平屋の木造住宅が中央にぽつんとたっていて周囲は庭に囲まれている。庭は特にデザインされているわけではないが、植えられている木々の種類や間隔によって綺麗なグランドが秋と春に楽しめる。

とまあ、春がはじまりましたね、

architecuture | Posted by at 4 13, 2007 14:08 | TrackBack (0)

既知感と複雑さ

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先日、三鷹である住宅を見学させてもらった。その住宅は前面道路が4mぐらいで車の交通量はほとんど感じられない密集地、ただ住宅が集まっているため敷地の輪郭には様々な窓があり、どの窓からも生活の気配が少しずつ感じられる周辺環境。そのため敷地にたつ新しい住宅はこれらの周辺の状況とどのような距離感の関係をつくりだすかによって大きくのその建ち方を決められていると思われる。最低限の駐車スペースだけを残し、それ以外は敷地境界沿いにオフセットさせたボリュームが建ち、1Fには個室と浴室などが入り、2Fはワンルームにキッチンとリビング、それらを屋上を螺旋階段が繋いでいる。敷地なりにオフセットされた矩形ではない輪郭が、内部の平面、立面の窓、窓と絡む1Fの断面などこつこつと積み上げられ、家がもっている部屋や窓といった記号は消され、ゆがんだ場がそこでは生まれている。窓とは呼びにくい壁を切り裂いたかのような窓、周囲の日のうつろいで変わる天井、壁のような不透明な換気用の窓、洗面台とは思えない家具、家具のようなトイレ、すべてが白いインテリア、どれも初めてその家を訪れたら人には突然で不親切に感じるかもしれない。だがそれら記号が消えることで、空間のプロポーションや日の入り方など空間が本来もつでき豊かさを感じることが出来るのではと感じた。丁寧な微差の集積が生み出す複雑さは記号という空間のもつ記号をなくし既知感を排除することになるが自分でもそれがどういうことに繋がるかはまだわからずこれをきっかけに考えさせられている。屋上の単純な空き地のような場がとても居心地がよかったのが印象に残っている。


architecuture | Posted by at 9 24, 2006 0:08 | TrackBack (0)

素振り

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久々に事務所でオープンコンペを担当していた。かれこれオープンのものは4年以上やっていないと思う。2週間前に急遽やることが決まりかなりの突貫作業。時間がないので思いついたものを端からモデル化していった。そこでは限られた時間の中でどれだけの可能性を潰せるかを目的とされていた。結果、かなり脱色された最終案にはなっているが、4年以上前とは違うことはその経過の中でどのアイデアがどのようしてに消去されていたか自分なりに冷静に見届けることが出来たと思う。もちろん結果はよい方が素敵だが、自分が考えて、事務所の中でもまれたことが細かく把握できているからダメな結果でも、自分の回路がいかに周りとギャップがあるかを判断できる材料にはなると思う。コンペは自分が建築について考えていることが、今の社会に対してどのような距離感であるべきか考え直すよい機会だと改めて感じた。それにしても最後はコンペでそこまで脱色するのか、という決断には考えさせられたな。最後、休日返上で自分から手伝うといってくれたスタッフや、土日返上で来てくれたオープンデスクの人にはなんとお礼をいったらよいのやら、ありがとう。
はたして素振りの成果は?、最後に打った球はどこに落ちるのやら、結果、自分の素振りのフォームを変えるようになるのか?、いろいろと考えるよいきっかけになるとうれしいな。

architecuture | Posted by at 9 5, 2006 15:54 | Comments (6) | TrackBack (0)

古さ

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今も使い続けている築80年?ぐらいの建物に入ることがあった。
時間がたまたま生み出したその場の雰囲気はとても魅力的。

architecuture | Posted by at 8 4, 2006 18:20 | TrackBack (0)

ビンゴ

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おしい、アビバに阻まれビンゴになれないビル。
それにしてもよくあわせているな、経営が同じなのか?
それともテナント相互の連携で生まれたのか?

architecuture | Posted by at 8 2, 2006 11:45 | TrackBack (0)

大学1年生の夏休み

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篠原一男さんが亡くなった。
実は大学1年生の夏休みに建築のスケッチの宿題があって、
その時に選んだものは東工大100周年記念館だった。
たまたま建築mapをぺらぺらめくって比較的近所だったという理由で選び、
スケッチを描いている時なんとも言えない存在感をもつ印象だけは残っている。
だがそれ以降、篠原一男の存在は自分にとっては遠いままだった。
住宅論なども読み少し知識を得てからもなかなか近寄りがたいものだったが、
ここ数年になりようやく彼の建築がみたいと密かに盛り上がってはいたところだった。
写真は以前、足繁く通った現場のそばに建つ「上原通りの住宅」。
shinyaさんのページをみてわかったのだが1976年に竣工ということは自分と同じ歳の建築。
写真は先月撮影したもの、今でもその存在感は他者に追随を許さないと感じた。
ご冥福をお祈りします。

architecuture | Posted by at 7 18, 2006 22:31 | TrackBack (0)

最適化

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uheさんの勤める事務所の見学会に行って来た。場所は、京葉線新習志野から徒歩15分ぐらいの住宅街、大きな公園に面する。まわりはハリボテ感たっぷりのハウスメーカーの木造住宅が建ち並ぶ中、シンプルで品のある佇まい。構造は木造+部分鉄骨、大きな開口で木造ならではの既知感から生まれるある種の貧乏くささみたいなものは感じられない。施主からの要望は高級感がある家で、それをかなえるべく設計者は床面積や高さといった規模、仕上げや設備機器といった仕様をぶれなくコントロールしていることが伺えた。何をやめたら、何を得られるかがきちんとプレゼンされ、それがきちんとコミュニケーションされていることは大事ですね。

architecuture | Posted by at 5 9, 2006 21:26 | Comments (6) | TrackBack (0)

ラフな表面

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久々にオープンハウスに行って来た。タカ○プランニングオフィスのプロデュースでI○Uが設計した王子の集合住宅。敷地は角地で両側2車線の道路2面と路地気味な幅員4mほどの道路1面と合計3面に接道している。規模は大体40〜50m2ぐらの住戸が25戸ぐらい入っている5層。プランは以前カーサブルータスで紹介された十字プランを基本としていくつかのバリエーションで展開されている。接道面が多いことから当然周囲の建物から引きがあり比較的裏がないことから色々な方位が光を取り入れやすい。凸凹の十字プランと光が入りやすい敷地条件が重なり内部は集合住宅がのありがちな奥があって暗い感じの場所は少なくどの部屋も明るい印象。十字プランによるくぼみは1Fでは住戸の専用庭として利用され、大きな土間が玄関となっていたりして集合住宅ではなかなか体験しにくい半屋外のような場所もある。外壁は打放し型枠ではなくラワン合板によるRC打放しのため木目やベニヤの色が若干RC面に残っており、内壁はPBに珪藻土のようなざらつきのある塗装が施されており、内外がラフな感じでまとまりを持っている。ちょっとわからなかったのが部分的な外壁の白塗装、ひっこみ部分の外壁を白く塗り少しでも暗い印象を解消したいのかな。個人的にはラワン合板の打放しやRC内断熱のインテリアをみてみたかったのでよい経験でした。

architecuture | Posted by at 2 13, 2006 16:08 | TrackBack (0)

製品か作品か

「美術か建築かとではなく、商品・製品か作品かが問題になってきているのではないか・・・」

今年のSDレビューの記事の中でのコメント。
なかなか気になることば。そこで辞書で言葉を検索してみた。

●せいひん 【製品】 原料に手を加えて作った品物。
●しょうひん【商品】 市場で取引されるもの。財貨・サービスなど。
●さくひん【作品】 製作した品。特に、文芸・音楽・美術工芸などの芸術的製作物。
三省堂提供「大辞林 第二版」より

どうも違いがわかるようでわからない・・・イメージは出来るが言葉にはできない・・・

 何故、こんなことを気にしているのかというと建築は作品なのか?それで必ずしも作品である必要があるのか?という出口の見えない問題を常に抱えているからだ。建築家による美術的仕事に関わることでその問題が解消できるかもしれないと思ってここまで来たのだが以前として問題は深まるばかり。
 僕がそもそも建築を作品として疑いだした時点のことを考えることにした。建築は他人のお金で作られる、そしてそれがその人にとってプラスな存在である必要がある。それが大前提でそれをつくりだした結果、建築家にとってささやかでもプラス要素があればよいのだろう。住宅だったら住まい手と建築家の両者が作品をつくろうという意識がないとそれは両者にとってハッピーな作品にはならない。でも現実はなかなか難しい。例えば住宅だとメンテナンスフリーの製品を購入するという感覚が多く建築作品に文化的認知が少ないと感じる部分が多い。そのためなかなか作品をつくりだすコミュニケーションが生まれにくい。そのような状況でも作品とよばれる住宅は出来るのはなぜか?と考えてみた。
 一人の建築家がつくり出した住宅には大半の場合、例えば黒っぽい家、窓の大きな家、など見つけやすいある共通項がある。その共通項はテイストみたいなもので、それをたよりにクライアントは建築家を選び作品づくりへのコミュニケーションがはじまり仕組みが生まれる。逆にそのテイストがなければクライアントは何が出てくるかわからない不安を感じコミュニケーションの困難を予想するのだろう。本当は建築について文化的理解や興味が高ければテイストではないもっと別なきっかけでもよいと思う。これから建築家は欠陥マンション,住宅でも持ち切りの社会の中で、建築作品をつくりだすきっかけとなるテイストとは違ったアイコンを持つことができるのだろうか。

architecuture | Posted by at 12 21, 2005 23:30 | Comments (3) | TrackBack (0)

「新しさ」のインパクト

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事務所が入っている建物の廊下、最近とある美術家が壁のひびを骨董品の修復と同じ手法で施したようで、金色の筋が入っている。普通の補修だったらパテ処理して同色のペンキを塗って終わりなのだがここではささやかではあるが「新しい」ことが行われていると感じた。
8月号の新建築で藤本さんが「新しい座標系」というテキストがあり、そこでは「ではその新しさは何のなのか。僕はそれは座標系、ということだと思う。座標系とは、単なる形のことではなく、何か新しい価値観、物を思考する枠組みのようなものであろう」と書かれている。その新しさにたどり着くために「二人」「居場所」「弱さ」というものをキーワードに話を展開しており日本的なるものに新しい座標系を近づくためのポイントがあるとも思うとここでは話している。直感的には「新しさ」に対してとても共感できる内容、しかしわからないことが一つあって「新しさ」に近づくための手がかりが今までの価値観をうち破る強烈なインパクトをもつものではなく逆に「弱さ」をもとにしたあいまいでゆるいものに可能性を感じている点であった。
テキストを読んだあと、上の写真の壁を眺めていたら確かにテキストで述べられているようにこれからの「新しさ」は決してインパクトのある強いものではなく、これまた直感なのだがもう少し別なものではないかと僕も感じてきたのだ。その気持ちを例える上で「弱さの空間秩序」という言葉も理解できてきている感じがする。以前、いろいろなアクティビティを引き受けられるゆるい空間について少し考えたことがあるがそれに近いとも思う。
shinyaさんのレポートを読んで、振り返って考えてみると初めてみた村野藤吾の建築を直感で一言でいうと「体験したことはなかったが新しい感じがしない」という点である。それはもしかしたら近代以前の価値観に近いものの上で組み立てられているのかもしれない。藤本さんの建築を実際にみたことはないが雑誌でみる限り弱さのある空間秩序よりハードエッジな外観の印象と佇まい、少しゆがんだ平面形ということばかりが目にとまってしまう。そう思うとこれからの「新しさ」はインパクトが感じにくいほうが正常なのかな。「弱い」ってインパクトはどんなものだろうか?

architecuture | Posted by at 8 19, 2005 18:02 | TrackBack (0)

谷村美術館@糸魚川

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先日、富山を車で通過することがあったので村野藤吾が設計した谷村美術館に行って来た。ある木彫り作家のための美術館で、木彫り作品とちょっとしたドローイングの展示がされている。そこでは一人の作家のために対応した空間が展開されており、奈義MOCAと同様第三世代の美術館なのかもしれない。写真などではみたことがあってもここまで有機的で作品に対してどのような光を取り入れるべきかということのみを訴えかけてくる空間は初めてでとても印象的。当日は僕ら以外の客がいないため照明が消されていて、それがかえって空間には良い方向に働いていておもしろい体験ができた。ピュアに光りのことを考えているのにもかかわず照明計画が十分にかんがえられている感じがせず、そのあたりが残念。様々な窓からの光により仏像のような木彫り作品が神々しくみえ作品と空間の関係性が合致していて良いと感じた。照明など使わず昼間の時間のみ営業するなどしたほうがこの美術館にとっては健全なのかもしれない、でもそんな余裕は今のご時世社会が受け入れるゆとりがないため成立は難しいと思う。ふところのない社会において完成した建築は様々な合理性を求められ、出来上がる以前のつくりかたも合理性の思想のもとに組みあげられていく、そのためどんなに新しい建築でも必ず合理性は求められその裏付けを成立させるために日々苦労するのだ。すごく感覚的だがその新しさの裏付けとしての合理性は美術表現では必要ではなくデザインの表現ではとても重要なことだと感じている。表現での新しさというものは例えば「拘束のドローイング9」のように受け手にとって理解できないがある印象を与えるものだと仮定すると、建築の新しさは本当の意味での新しさではなくもう少し別な言葉が適切な気がしている。メディアテーク、21世紀美術館、、、これらは新しいと思うのだが、それは多く人に理解され受け入れられ空間の広がりを感じさせくれる。人にとって新しい空間体験が何をもたらすのだろうか?と考えると今の自分にとっては「新しい価値基準」みたいなものが生まれることなのかとぼんやり思っている。意匠ではなく形にならない価値基準を相手に建築を挑む姿勢は嫌いではないなと思う反面、いろいろと悩む日々だなぁ。

architecuture | Posted by at 8 17, 2005 20:57 | TrackBack (1)

成層圏の光

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色温度が20,000ケルビンのライト。この色温度は地球上では存在していないもので成層圏にあるそうです。ちなみに太陽光は直射光が6,000ケルビンで雲からの反射光が8,000ケルビン、そう考えると20,000という数字がいかに高いかがわかる。確かに光を浴びたあと、蛍光灯でさえ少し黄色く見えた。

architecuture | Posted by at 6 21, 2005 23:46 | Comments (1) | TrackBack (0)

原理主義と純粋さ

上原の家はすべての部分が本棚柱による構造ではない、それに対してハンガートンネルはすべてハンガーで同じ組方でつくれている。上原の家はリアルな住まい手がいる住宅という建築、そのためコストや住まい手の与件、作り手の表現などをバランスよくまとめあげ最終的なモノとなる。そのため作り手の思いで己の表現をよりよくするために原理主義的にすべてが本棚柱となって美しくなった?としても様々な与件の中でクライアントと話ながらバランスが悪いと判断した場合、その原理主義は排除されべきだと思っている。ただ、それが見方によっては場当たり的にとらえられる。でも最終的にクライアントにとって建築家の原理主義がどこまで理解され必要とされているのだろうか?
またハンガートンネルは扱い的にはギャラリーのアプローチ工事なのだが住宅などのいわゆる建築とは若干違う扱いと思っていて、どちらかというとその場の空間を読み込んでつくったパブリックアートに近いものと考えている。そのため作り手の表現がより強度をもて見る人により印象的になるように1/1で試行錯誤をくり返し制作した。その制作プロセスは住宅の場合と違い、どちらかというと作り手の表現がより伝わるように純粋さを大事に考えていく、それはある種の原理主義に近い。美術をつくっていく上でその原理主義がどこまで大事かは未だにぼんやりとしているが、ただ良いか悪いかは別として表現をわかりやすくするには原理主義と純粋さは大事なのだと感じているし、その反面、建築ではどこまで必要かも???である。

architecuture | Posted by at 6 15, 2005 2:51 | Comments (3) | TrackBack (0)

部屋着の暮らし

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日曜日、鶴見のオープンハウスにいってきた。敷地は駅から徒歩15分ぐらいはなれた小高い丘の上にあり、道は坂道が多く幅の狭く交通量も限られている場所。建物1階はピロティ形式でオープンな大きなガレージと玄関と寝室があり、2階は居間を中心に台所、浴室、テラスが隣接している。居間は敷地の樹木をたよりに短手方向に大きな開口があけられており、片方はテラスとの連続を獲得し、もう一方は1階からの階段部分も含めて潔くかなりな大開口となっており開放感がある。ちになみに個人的には階段部分の雰囲気が開口のおかげで浮遊感を感じ一番好き。またこの階段部分の大開口が建物のフォルムを特徴づけており、写真ではわかりにくいがかなり複雑な形となっていて施工監理の精度に関心した。ただ一つ話を聞いてわからなかったのがプランニングである。かなりドライに住宅を機能分化しそれにあわせて個室が配列されており、パジャマ以外に気の利いた部屋着が似合う暮らしが展開できそうだ。部屋着によるきちんした暮らしを望む施主には理想なプランなのかもしれないが、設計者としてそのきちんとした暮らしについてどう考えているのだろうか?設計者の役割は施主の与件を満たすことはあたりまえで、さらに設計のコミュニケーションの中でその与件をもっと拡げられそれを引き受けられるものがつくれればお互いハッピーだと考えている僕にとってあるくらし方を続けるというのは僕にはなかなか難しいかなとも思ったりした。(uheさん、率直に書かせてもらいました、ご勘弁を。)

architecuture | Posted by at 6 1, 2005 21:44 | Comments (1) | TrackBack (0)

学芸大学の家

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先日、とある建売住宅を見学してきた。周囲を塀で囲みその中には個室、浴室がありリビングダイニングはすべて2階にワンルームとして配置されている。階段の鼻先のおさまり、手摺FB30*9?がシンプル。エアコンカバーは仮設用の養生メッシュかも。密集地から塀を設けており、その塀が構造やプライバシーの確保に貢献しているところもよかったな。

architecuture | Posted by at 4 21, 2005 1:31 | Comments (1) | TrackBack (0)

学芸大学の集合住宅

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先日、CAt設計による集合住宅を見学してきた。場所は環七から少し入った学芸大学駅そば。スペースブロックとジャロージ窓の組み合わせが特徴。外観は全面ジャロージ窓がありその裏にテラス窓が設けられている。そのため居室内はすべてガラス張りとなっており、ジャロジーの開閉によって眺望の選択が可能となっている。テラス窓の恐怖感を軽減するために手摺をつけるのではなく逆梁にすることで段差をもうけ解消されている。スペースブロックという特異な構成を成立させるためかそれぞれの住戸への導線は巨大な階段室を介して行われるため、通常より階段がおおくなっている。個人的に気に入っている点は手摺ではなく逆梁にしたところ。

architecuture | Posted by at 4 14, 2005 21:47 | TrackBack (0)

コンペ的な思考2

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愛知○博
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クリスタルパレス

最近仕事の関係上、仮設建築や美術展をやっていた。上の写真は愛知○博の外国館である。クライアントから要望として両サイドのファサードはサインや写真などグラフィカルなものを使いたいのでそれを邪魔せずなおかつ建築的機能をもった立面を望まれた。そこで色々と案を出したのだががこの外国館は2国でシェアしているため誰しもが嫌わない全面ガラスばりが選択された。当初はなるべくコストダウン出来るようなスチールサッシとガラスの割付を検討したのだがコスト的に折り合えなかった。そこで今一度敷地を見直したときにサッシに関する縛りが通常の状況よりゆるいことに気づいた。そこでアルミ製の農業用温室サッシを採用することになったのだ。ガラスも5mmとなりかなりコストを抑えることができた。たりまえな初歩的なことだがある定型にはめずその都度敷地を読み込みそこでの可能性をさぐる思考は大切だと思う。tkmyさんと話していたらクリスタルパレスと同じだと(笑)

architecuture | Posted by at 4 11, 2005 21:56 | TrackBack (0)

田園調布の家

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先日、ミリグラムスタジオ設計、構造はアラン・バーデンによる木造の住宅を見学してきた。1FがRC、2,3Fは60角の野物材を金物で挟み込んでダブルにしたものを柱としている。そのため壁厚が薄いことが外観から伺えた。階段の手すりは暖炉用の塗料とのこと。下の画像は同じ構造家による住宅。小さな部材をダブルにして柱とする考え方は同じ。

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architecuture | Posted by at 4 5, 2005 22:02 | TrackBack (0)

仕上げ

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部屋の仕上げは塗装でもクロスでもなく「映像」です。
ここでも紹介されました。

architecuture | Posted by at 3 23, 2005 21:34 | Comments (3) | TrackBack (0)

曲がる鉄 その後

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3次曲面への仕上げとしてフェルトをはっている。

architecuture | Posted by at 2 22, 2005 15:12 | Comments (3) | TrackBack (0)

曲がる鉄

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仕事で3次元曲面の天井をつくっている。下地は60*30の角パイプ。普段の場合、曲がらないように考えるのだが今回は曲げるように考えらたものを扱っている。良い経験です。

architecuture | Posted by at 2 11, 2005 21:51 | Comments (2) | TrackBack (0)

設計の飛躍

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先日、A5+大野さんで設計した松蔭神社そばのB邸の見学会にいってきた。規模としてはいわゆる都心の狭小住宅。プランは1フロアに1室+ユーティリティを積み重ねただけ、おそらくほぼ自動的にきめられてしまうぐらいタイトな状況だと思う。大半の狭小住宅はそのタイト状況をどうにか解消するだけで終わってしまうのだが今回は少し違うものだった。設計者はいつも住まい手の要望を100%みたしてあげようとコンサルタントとして努め、さらにその住まい手とのやりとりの中でみつけた暮らしに広がりが出そうなきっかけをたよりに200%満たせる設計に飛躍したいと作家として考えている。その飛躍も間違うと単なる独りよがりのお節介になるため、つねにその飛躍がある種の主観性、客観性両方の軸で成立するものを考えている。B邸では敷地めいいっぱいに張り出したテラスとその上にある庇、そしてその周囲をやわらくつつむステンレスメッシュが先に述べた飛躍部分だ。一見の佇まいとしてはステンレスメッシュにめがいくが、冷静にみると普通の3階建ての家に普段より大きめな庇とテラスをもうけたようにみえる。テラスがなくてもプランとして成立しているため極端な話、あってもなくてもよい。でもそのテラスの場所は解釈のしかたによってはとてもよい場所になる。どの住宅にでもある庇とテラスという要素を解釈をかえていじることでいままでに味わったことのない空間がえられそれが住まい手の邪魔にならずプラスになれている感じがしてよかった。夕方なので写真がよくとれていないが担当者のMさんは下の写真のようにテラスに光がまわっているところの美しさがポイントと話していました(^_^)

architecuture | Posted by at 1 31, 2005 22:38 | Comments (6) | TrackBack (0)

WAIT DOWN @プラダブティック青山店

会場となるプラダはH&deが建ているのだが、実はいままできちんとみていなかった。理由は以前一人で少しこきたないカッコで入店した時にあまり店側によい印象もてなかったのだ。それ以来足が遠のいていたのだが今回の展覧会を契機にいろいろとみれて楽しかった。展覧会自体、ファッションを扱うものの中ではおもしろい。巨大な足、回転するスカート、鏡面の板、ルーペといった仕掛けがいつもと違うスカートの見方を提供してくれていた。
それにしても建物はかなり良い完成度で出来ていた。本当は写真をとって残しておきたいのだがさすがに隠し撮りが敢行できず言葉だけでもメモを残しておこうと思う。自分が忘れないために(笑)。細かい話になってしまうが、徹底的に材料の見切りの数を減らそうと意識されていることがとてもよかった。階段のノンスリップ、エレベーター内のシート貼り、天井のパンチングの穴あけ、どれも大袈裟な加工ではなくちょっとしたアイデアで解消しているところが素敵だ。もちろん構成や中の空間感は各階材料が同じにもかかわずバラエティに富んでいておもしろいです。

architecuture | Posted by at 1 16, 2005 0:56 | TrackBack (0)

工場検査

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工場検査にいってきた。とある仕事で発砲スチロールで巨大なR壁をつくっているのだが、基本は普段、模型でヒートカッターを使う方法と同じ。3m×3mの巨大なヒートカッターの上に発砲スチロールをのっけてカットラインはCADデータで簡単操作。コンマ1mmまで精度がでるとのこと。そのため巨大なものから隣の細かい五重塔も制作可能。カット面の仕上がりも温度と速度の調整でいろいろと選択ができる。日常の中では単なるクッション材でしかない発砲スチロールがこんな精度でつくられていることに大して驚き。いろいろと使い道はあるのになと思った。

architecuture | Posted by at 1 14, 2005 19:06 | TrackBack (0)

金沢ツアー/21世紀美術館

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architecuture | Posted by at 12 25, 2004 21:07 | TrackBack (0)

金沢ツアー/玉川図書館

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上記は20年以上前に谷口事務所が設計した図書館。印象としては飽きのこないおいしいサンドウィッチを食べた感じだった。その理由は2つあるのだが一つは材料、色数の多さがあげられる。建物の構成は開架書庫のボリュームと学習室,事務室などの閉じた部屋が集められたボリュームが中庭を挟んでリニアに配置されている。この二つのボリュームが違うデザインボキャブラリーでつくられており、開架書庫の方は天井高は高く中庭に面してガラス張りとなっていてかなり品の良い倉庫ような空間で、中からは木々の様子が伺え気持ちよい読書スペースとなっている。もう一つのボリュームは図書館と隣接している古文書館?にあわせて煉瓦が多様され、丸いトップライトや半円状出っ張っている出窓、さがり天井などかなり手の込んだものとなっている。中庭上部に2階建てとは思えない巨大な鉄骨梁が横断しているのだがこれは中庭面に柱をおとさずサッシだけの軽快な立面にし、閲覧場所と中庭との境界線を出来るだけ小さなものにしようとし、また2種類の建物を繋ぎつつ少し囲われ落ち着いた中庭の場所もつくりだしている。一言でいえばドライ,ウエットの空間と中庭が具になっているとてもおいしいサンドウィッチようだった。もう一つの理由は20年前以上たっているにもかかわずサイン,家具が昔から変わらず当初の設計のまま使われていることだ。どこか破綻を来して当初の計画通りの使われ方はしない場合もあったりするのだが、その変化も許容して現在まできている。飽きることのない定番メニューのようだ。MOMAが出来た今では一般的には谷口事務所はガラスが多く淡く白い石ばりの建築ばかりのイメージを持ちやすいがこの建築はそのことを払拭させるとても饒舌なデザインだった。tkmyさんからおもに設計の方法や建築の考え方など今後この仕事を続けていく上で下地となるようなことを教えてもらった。たまにtkmyさんが「〜は〜するとかっこいいんだよ」と楽しげに具体的なデザインの話していたときはなんだかとても説得力がありうなずいていた気がする。長い時間の中でのデザインのおもしろさ,重要さを考えさせられよい刺激だった。それにしても道路側の雨だれ全開の外壁はヘルツォークも真っ青な感じ。

architecuture | Posted by at 12 13, 2004 19:05 | TrackBack (1)

鶴見ツアー

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「けものファサード」
嗅覚、聴覚も刺激される、なかなかの存在感

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「ハイスペックファサード」
機械仕掛けのハイスペックもの、店内は残念ながらハイスペックな感じはしない

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「味のファサード」
うぃーんってどんな味がするそばかイメージ不可能

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「広場のファサード」
黒塗りタクシーで埋め尽くされた夢広場へようこそ

architecuture | Posted by at 11 30, 2004 23:07 | Comments (1) | TrackBack (0)

ペットボトル

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とあるビルの玄関。
このペットボトルは、たぶんねこよけのためなのだろうが、あまり量の多さのため玄関前のデコレーションにもみえる。当然、その中の水は植物のためにも使える。単純に量を増やすだけで一つだけしか意味がもっていないと見えるモノが三つの意味を持っているものに変化してとらえることができる。

architecuture | Posted by at 11 25, 2004 3:30 | TrackBack (0)

植林

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tkmyさん家のそばの駒沢公園。
ここの木はとても立派、tkmyさんに教えてもらったのだが、
当時この公園がつくられたときオリンピックのためということから
最初から大きな木が運ばれ植林されたそうです。
通りの幅はその大きな木を想定されていたのだろうか?
木も立派だが通りもかなり立派な感じの幅で出来ている。

architecuture | Posted by at 11 25, 2004 3:25 | Comments (1) | TrackBack (0)

太田市ツアー

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日曜日に群馬県太田市に行って来た。

小嶋研究室設計による太田集会所とC+A設計による住宅を見るためだ。集会所は鉄板と50角パイプといったスチールの箱で出来た3つ部屋をたよりに木の架構がかけられた空間。その箱は周囲の環境と関わり合うため突き出すような格好となっている。ちなみ周囲のアスファルトによる外構も設計されている。

住宅は写真はないが畑の中にアイコンとして目立つ感じの佇まい外壁にベニヤの上にFRP防水を施したものが使われている。ベニヤの節もFRPでつぶされ、その上に5mmぐらいのクリアーのFRP層が設けられている。FRP層はもちろん防水のためだがその奥にあるベニヤはなんのためだったか確認出来なかった。FRPの特性を生かしてベニヤ部分的になしにして内照式の照明になっているところは壁と開口部の関係性がくずれていておもしい。でもメンテどうしているんだろう?いずれも写真がないんですが、、、

architecuture | Posted by at 11 18, 2004 3:20 | Comments (1) | TrackBack (0)

八王子の鉄塔

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この鉄塔は高層住宅における配管実験、高所における心理的不安などの調査が目的で建てられている。デザイン監修は伊東豊雄建築設計事務所。

architecuture | Posted by at 11 17, 2004 3:31 | TrackBack (0)

季節による佇まい

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懐かしかったので自分のパソコンあさったら画像が出てきました。
冬と夏で見比べて錆びた鉄板の雰囲気はは冬の白い景色の中でも、夏の緑をバックにしてもなじんでいると思う。それと同時に直線がつくりだすフォルムは自然の中でいかに不自然(悪い意味ではない)なものかと感じる。そのおかげでなじみつつ存在感のある佇まいを得られているのだろう。

architecuture | Posted by at 11 16, 2004 21:10 | Comments (1) | TrackBack (2)

地上108mの床

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八王子の街が一望できる鉄塔は床が全てグレーチング。
そのため108m下の地面を見ることが出来る。なかなかない体験。

architecuture | Posted by at 11 10, 2004 12:19 | TrackBack (0)

コンペ的な思考1

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大きな倉庫の中に手を加える現場を見ているのだが、そこで使用されている仮設照明。直接見てもあまりまぶしくないわり意外と光が遠くに届く。レンタル代は月2万円程度。

「コンペ的な戦略ですべての建築が片づくわけではないけれど」
コンペで求められる思考回路としてはその都度かわる形式の中で「新しさ」「驚き」を持つ「最適解」を導き出すことだと定義してみる。そうであればその定義は実作の建築を作る上でも僕は有効だと思っている。定義の言い方をすこし変えると「その都度変わる条件に対して既成概念に引っ張られずに最適解をみちびく」。この中での「既成概念」というのはつまらない常識からつくり手の美意識や趣味まで含む。つまらない常識に対しては日々の批評的なまなざしで乗り越えることはできるが、個人が持つ美意識や趣味は何をもってして解体、整理、再構築がその個人の中で出来るかが未だにわからないのが悩みである。そんなの出来ないのかもしれない、それを目標とすることが間違っているのかもしれないが自分としては意識としては大事だと思っている。

architecuture | Posted by at 11 2, 2004 23:39 | Comments (9) | TrackBack (2)

無理のないこと

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美しが丘の家をみせてもらった。設計は小泉雅生+メジロスタジオ。構造は木造2階建て。2階建てといっても平屋の上に部分的部屋がのっかっていてそれ以外の部分は微妙に勾配が違う屋根の上にデッキや芝がはられている。そのため、外観全体像はみる方向で違うため一見把握しづらい佇まいとなっている。
平面的には1階は四角い部屋を坪庭のような外部?みたいなものがえぐられており、内と外が積極的に関係づけられようとしている。部分的な2階建てもある庭の中に小屋が点在されている印象に近い。当然、その小屋となっている部屋と部屋は一度外部に出ないと行き来は出来ないためここでも、内と外は強く意識される。断面的には部分的に設けた2階部分がスキップフロアとなっており1階との連続感を意識していることを伺える。内と外、室と室、これらがなるべくいろいろなレベルで無理のない状況で空間として連続感を体験でき、生活の幅、アクティビティが広がっていく場所としてこの住宅はつくられている。
この無理のない状況をつくりだせている要因はこの住宅に使われているアイテムの影響が大きいと感じた。ここで述べるアイテムとは例えば、高性能なサッシやガラス、床暖房、屋根の芝生といった、温熱環境を大きく左右するものから、柱とは思えない60角の木、間柱をかねたルーバー、部屋内も軒先も同じ天井仕上げ、存在がうすい抗菌まな板の階段(丸ノコで加工出来るのでいつか使いたいと思っているが結構高い)などの空間の印象を決める意匠的なものも含む。この住宅ではこれら一つ一つのアイテムが高性能なものとして感じた。当然この高性能は設計者の膨大な知識量によってえられたもの。だいたい高性能なものばかり集めて一つのパッケージにしたとき、その性能は悪い方向に干渉され性能が発揮されにくいがそれが嫌みなくまとめられている。たまに高性能住宅とうたわれ気味の悪い感じのものがあるがここではそのような印象はまったくない。パッケージがよいので高性能な部分としては目にはとまりづらくわかりにくいが無理のない快適な開放感ある空間が獲得されていると思う。屋上でBBQしてみたい。
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architecuture | Posted by at 10 16, 2004 19:52 | TrackBack (0)