製品か作品か

「美術か建築かとではなく、商品・製品か作品かが問題になってきているのではないか・・・」

今年のSDレビューの記事の中でのコメント。
なかなか気になることば。そこで辞書で言葉を検索してみた。

●せいひん 【製品】 原料に手を加えて作った品物。
●しょうひん【商品】 市場で取引されるもの。財貨・サービスなど。
●さくひん【作品】 製作した品。特に、文芸・音楽・美術工芸などの芸術的製作物。
三省堂提供「大辞林 第二版」より

どうも違いがわかるようでわからない・・・イメージは出来るが言葉にはできない・・・

 何故、こんなことを気にしているのかというと建築は作品なのか?それで必ずしも作品である必要があるのか?という出口の見えない問題を常に抱えているからだ。建築家による美術的仕事に関わることでその問題が解消できるかもしれないと思ってここまで来たのだが以前として問題は深まるばかり。
 僕がそもそも建築を作品として疑いだした時点のことを考えることにした。建築は他人のお金で作られる、そしてそれがその人にとってプラスな存在である必要がある。それが大前提でそれをつくりだした結果、建築家にとってささやかでもプラス要素があればよいのだろう。住宅だったら住まい手と建築家の両者が作品をつくろうという意識がないとそれは両者にとってハッピーな作品にはならない。でも現実はなかなか難しい。例えば住宅だとメンテナンスフリーの製品を購入するという感覚が多く建築作品に文化的認知が少ないと感じる部分が多い。そのためなかなか作品をつくりだすコミュニケーションが生まれにくい。そのような状況でも作品とよばれる住宅は出来るのはなぜか?と考えてみた。
 一人の建築家がつくり出した住宅には大半の場合、例えば黒っぽい家、窓の大きな家、など見つけやすいある共通項がある。その共通項はテイストみたいなもので、それをたよりにクライアントは建築家を選び作品づくりへのコミュニケーションがはじまり仕組みが生まれる。逆にそのテイストがなければクライアントは何が出てくるかわからない不安を感じコミュニケーションの困難を予想するのだろう。本当は建築について文化的理解や興味が高ければテイストではないもっと別なきっかけでもよいと思う。これから建築家は欠陥マンション,住宅でも持ち切りの社会の中で、建築作品をつくりだすきっかけとなるテイストとは違ったアイコンを持つことができるのだろうか。

architecuture | Posted by at 12 21, 2005 23:30


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Comments

従来的なしあわせな建築の構図には、クライアントとの相乗効果。的確な表現かはわからないけども、理解のある相手との仕事の場合は、往々にして良い建築が生まれてきたという背景は無視できないと思う。
最近、僕は、ますます建築が依頼産業化してしまうと、建築家が実践者であることをやめ、解釈者の位置にとどまり、社会での立ち位置を失うんじゃないかと危惧している。訴求力や誘導力ある建築をやっていく手段として、余条件も含めて、こちらから提案して、買ってもらうというのをやりたいなぁと。
自分が気に入れば、作品だと思うし。自分の追求する骨格が社会に浸透し、自分以外のひとが作れば製品のようにも思える。そんな感じでいい気がする。

Posted by simon at 2006年01月19日 16:51

それってデザイナーズマンションやデザイナーズ建売との差ってどれぐらいあるのですかね?
篠原一男は住宅の打合せでいきなり全然その話とは関係なしに「こんなのどうですかね〜」と完成模型を見せると昔聞いたことがあります。

Posted by hy at 2006年01月20日 12:12

デザイナーズは、デベによって切り取られた枠組みの中でやらされていますが、その枠組みごとやれば、誘導へ到達できるのではないかと。考えています。

まだまだ怪しい感じですが、Tokyo Site Project東京ハウスとかありますよね。それらは、不動産的な視点からの発露だけれども、そこから建築的な視点を持ち込みたい。ようは、経営者と建築家が一致しているものが。実行力のあるものになるのではないかと。

Posted by simon at 2006年01月20日 12:41