既知感と複雑さ

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先日、三鷹である住宅を見学させてもらった。その住宅は前面道路が4mぐらいで車の交通量はほとんど感じられない密集地、ただ住宅が集まっているため敷地の輪郭には様々な窓があり、どの窓からも生活の気配が少しずつ感じられる周辺環境。そのため敷地にたつ新しい住宅はこれらの周辺の状況とどのような距離感の関係をつくりだすかによって大きくのその建ち方を決められていると思われる。最低限の駐車スペースだけを残し、それ以外は敷地境界沿いにオフセットさせたボリュームが建ち、1Fには個室と浴室などが入り、2Fはワンルームにキッチンとリビング、それらを屋上を螺旋階段が繋いでいる。敷地なりにオフセットされた矩形ではない輪郭が、内部の平面、立面の窓、窓と絡む1Fの断面などこつこつと積み上げられ、家がもっている部屋や窓といった記号は消され、ゆがんだ場がそこでは生まれている。窓とは呼びにくい壁を切り裂いたかのような窓、周囲の日のうつろいで変わる天井、壁のような不透明な換気用の窓、洗面台とは思えない家具、家具のようなトイレ、すべてが白いインテリア、どれも初めてその家を訪れたら人には突然で不親切に感じるかもしれない。だがそれら記号が消えることで、空間のプロポーションや日の入り方など空間が本来もつでき豊かさを感じることが出来るのではと感じた。丁寧な微差の集積が生み出す複雑さは記号という空間のもつ記号をなくし既知感を排除することになるが自分でもそれがどういうことに繋がるかはまだわからずこれをきっかけに考えさせられている。屋上の単純な空き地のような場がとても居心地がよかったのが印象に残っている。


architecuture | Posted by at 9 24, 2006 0:08


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