塩見塾、テーマは『武士道』

 昨日は“元赤軍派議長の巨頭が闘争の時代と獄中の20余年を語りながら、今を生きる老若男女と未来を模索する「大人の私塾」”と題して先月から始まった「塩見(孝也)塾」に遊びに行きました。塾長が塩見孝也氏(赤軍派元議長)、司会進行役に鈴木邦男氏(一水会顧問)、ゲストが堀辺正史氏(骨法創始師範)、第二回目となる今回のテーマは“武士道”。会場は超満員。私は1時間遅れで参加。
 前回のこの「塩見塾」は“ブルテン”とかの左翼用語ばかりでわかんなかったんだけど、今回はテーマがテーマだけに、すごくよくわかったし、すごく面白かったし、すごく大事な議論がされていました。左(塩見さん)も右(堀辺さん、鈴木さん)もけっきょくのところ、人民のために国を良くしたいと本気で考えている部分では同じだなと。

 以下、興味深かった議論を箇条書き。メモを取れなかったので、お粗末なテキストでスイマセン。

・ナショナリズムというのは必ず最後には暴走し、民族を傲慢にさせる。東アジアのなかでそれを身を持って知ったのは日本のみで、“いままでに他国に侵略されたことがない”という慢心から「日本がアジアの代表になったる!」→「日本が世界の代表になったる!」という傲慢を生んだ結果、大東亜戦争(太平洋戦争)を引き起こして日本は敗戦、無条件降伏した。

・いってみれば今の中国と韓国の過剰な反日感情およびナショナリズム、愛国主義(私は国粋主義だと思うけど)はこれと同じ構造で、中国も韓国も「アジアの代表になったる!」の方向へ進み始めている。こうなると行き着くところは明快で、なんでもう60年も前に日本が身を持って証明したことと同じことを繰り返そうとしているのか。冷静な態度で中国や韓国に教えてあげるべき。

・日本の民族性とは「歴史の上に歴史を重ねることができる」ところだと思う。つまり、いままであったものを根底からすべて壊して新しい文化や支配や社会構造を作り上げるのではなく、すでにあるものに重ねていく民族性。これは世界の他のどの国を見渡しても例がない日本独自の傾向で、おそらく海に囲まれているということから本当の意味での侵略をされていないことが要因となっているだろう。また、ヨーロッパが「いままであったものを根底からすべて壊して新しく作る」のは、石の建築でできた文化ということも要因のひとつと言えるのではないか。

・右翼が左翼から学ぶべきことは、資本主義社会が人民にとって本当の意味では良くないという認識の仕方。資本主義を疑ってかかる姿勢(方法)。つまりマルクス主義、これが左翼思想のなかでいちばん大事。

・竹島は幕府の時代から日本のもので、あの近辺でとれるアワビだかウニだか(失念しました)が季節モノとして将軍の食卓に上がっていたというのは記録にすら残されているのに、なんで韓国人はそういう歴史検証をしないんだろうか。でもまあ欲しけりゃあげちゃえばいいのに。もともとは日本のモノというのは誰の目からもあきらかなので、100年くらい「本当はうちのなんだよねー」と言い続けて、(成長してその事実に気付いた)韓国を世界の恥さらしにしちゃえばいい(笑)。そういう意味での“太っ腹”で“キモがすわっている”“寛大な”指導者がいま世界中探してもどこにもいない。蒋介石だって毛沢東だって「日本政府は罪だらけだけど、人民には罪はない」という考えから、自国民からブーイングを浴びても日本国民に対してはものすごい寛大な処置をしたわけで、あれくらい太っ腹の指導者がいないとダメだ。もっというと、それこそが「武士道」である。

・で、さんざん韓国の恥(もともと日本のモノだという世界の常識を知らずに「返せ返せ」と要求したことに対しての恥ですね)をさらしてから返してもらう(笑)。

・明治維新以後、西郷隆盛を筆頭に日本、中国、朝鮮半島が協力していくべきだと尽力する人々がいたが、大久保利通たち明治政府がそれを阻止したということが近代日本の歴史のなかでもっとも後悔すべき誤りだった。けっきょくそれが日本の傲慢を産むことになった。

・ようするにいちばん大事なのは史実を正確に学ぶことである。

 他にもたくさん興味深い議論になってたんだけど、すでに忘れてしまいました。ひとつだけ理解が出来なかったのは「武士道とキリスト教は似ている」ということ。このことに関しては私はあまりピンときませんでした。両方いちおう勉強したけど……そうかなあ? と思いました。
 ということで今回の「塩見塾」はかなり白熱したし、かなり面白かったです。次回は(なぜか)縄文時代とかの話になりそうなんですが……まだ詳細は未定らしいです。


 この話と関係ないようで関係あるんですが、今回の東アジアの問題について、脳科学者の茂木健一郎さんがこんなことを書いていました。以下、「骨太のセレンディピティ」より部分抜粋(茂木さんスイマセン!)。※セレンディピティ=serendipity:思わぬ発見をする特異な才能

 やはり、みな、近隣諸国とのことが気になるのだろう。
 たとえ、隣人に違和感を抱いたとしても、彼らとのいきかいを創造性のきっかけにしたい。

 自分と異質なもの、やっかいなもの、そのようなものこそを鏡としたい。
 共感や一体感も重要だが、違和感や反発も同じくらい重要だ。
 世の中にはいろいろな人がいるが、そのいろいろな人はきっと意味があって、この世界に、そして自分の前に現れた、と考えることが骨太のセレンディピティであろう。

 いろんな議論と向き合って自分なりに思考するのも大事けど、その合間にこういう感覚をフッと注入することは非常に大事だと思いました。茂木さんがここで言う“骨太のセレンディピティ”というのと、意味や内容はぜんぜん違えど、塩見さんたちが言ってた“太っ腹=武士道”はなにか通じるものがあるんだろうなと感じました。

 以上、毎度ながら長くなってスイマセン……。

行ってきました♪ | Posted by at 4 20, 2005 19:10


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