鈴木邦男×森達也

 以前ここに書いた“鈴木邦男×鳥井守幸”と同じ企画で、今回は鈴木邦男氏とドキュメンタリー映画監督の森達也氏のトークライブ「表現・虚と実」に行ってきました。

 森達也氏はご存知『A』『A2』でオウム真理教と徹底的に向き合った監督さんです。この2作品は本当に興味深い内容で、あらためてメディアの恐ろしさとか、集団心理(世論とかね)の危うさとかを体感できるのでオススメです。ウワサの“転び公妨”(わからない方は鈴木邦男著『公安警察の手口』を読んでみて下さい。おもしろいです)も生々しく撮影されています。以下イベント告知より抜粋。

あの『地下鉄サリン事件』から半年が過ぎ、マスコミの熱狂的なオウム報道が続いていた1995年にテレビディレクターとしてドキュメンタリー番組に携わっていた森達也氏。オウム真理教を絶対的な悪として描くことを強要した制作会社との衝突。そして契約解除。その後、自主制作として公開した「A」の社会的波紋。ドキュメンタリー映像という表現の世界の表も裏も知りつくした森田氏が表現の虚と実を熱く語る!!

 トークライブの内容は前回同様ほとんどここには書けないんですが(苦笑)、森さんが言っていたことでひとつ印象的なものがありました。松本智津夫被告は実際のところ本当に眼が見えなかったらしく、指示は出すものの監督不行き届きだったわけで、そのためにあそこまで組織が暴走してしまったのではないか、という話で。ヒトラーもそうだったけど、カリスマは持ち合わせているものの、完全には組織をコントロールできない人間が上に立つ組織ほど暴走を起こしやすい、ということを言っていたんですね。
 そこで私は幕末の長州藩のことを瞬時に思い出して「なるほど!」と実感したわけです。というのも、幕末の長州藩主だった毛利敬親は、家臣の提案する事柄ほとんどに「そうせい」と承認を与える、一見愚鈍な藩主だったために“そうせい候”と陰口を叩かれていた人物だったんですが、彼のなんでも許可する気質があったからこそ、長州の過激な活動家たちが大暴れをして明治維新の火種を作ったんじゃないかなあと思うのです。
 過激な組織が作られていくシステムって、いつの時代も、どこの国でも同じなんだなあと思いました。

 トークライブの内容が途中からなぜか“昭和天皇の戦争責任について”になり、お客さん同士で大激論にまで発展していましたが、私は正直、戦争体験をしていないからか実感が湧かない。けっきょく激論の末、「戦後処理については責任を果たしたと思うけど、戦争を始めたことについては責任を取っていないのではないか」というカンジで話がまとまったんだけど、それでもなんかよくわかりませんでした。誰だってあの状況で戦争を迫られたらゴーサインを出しちゃうんじゃないかなあとか思うんですけどね。靖国参拝とかね、本当にわかんないんですよ、毎年毎年騒がれるのが。国のために死んでいった人のお墓参りくらいしても罰は当たらないと思うんですけどね。当事者じゃないと理解が出来ないと思うんですが、なぜ当事者じゃない人たちまで騒ぐのかがわかりません。このへんのことについては勉強不足なので今後、機会があれば調べてみようと思います(最近はもっぱら戦国時代の男色文化に夢中です。かなり面白い!『武士道とエロス』はオススメ本)。
 ちなみに今上天皇は国歌斉唱しないらしいですね。先日の国旗国歌問題についての発言にしても(それにしても米長邦雄さんのキバリっぷりは面白かった)、今上天皇はいい意味で非常にリベラルで、そういった意味でも日本の歴史に大きく名を残す人格だと思うんですけど、いかがでしょうか? 私は大好きです♪

 ……と、わりと内容がギリギリのところにきているので終わります(苦笑)。

行ってきました♪ | Posted by at 12 10, 2004 17:47


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