ジョン・ウッド&ポール・ハリソン

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休日、ひさびさにx訪れた森美術館。ミッドタウンが出来たため、以前のように歩けない混み具合はなく、それなりに見ることが出来た。笑い展の一角がMAMプロジェクトになっていて、そこでこれが行われている。スケール感、視覚をくすぐる作品は、ある意味笑い展よりシュール笑える作品。けっこうよかったなー。
笑い展は、古典からコンテンポラリーまで幅広く笑いについて扱う楽しいもの。終始一貫して、気楽で愉快な展覧会なのだが、やはり色々な感情の起伏が起こることが刺激的な展覧会だと思うとそれとは距離を感じてしまった。楽しい笑いだけではない、例えばつらすぎて笑ってしまうような感情が起こるようなものもあってもよかったかも。古典ゾーンの会場構成は白と黒、アルミ質な感じで、展示壁に窓が開いていたりアルミのスパンドレルを組み合わせた展示ケースもあったりして結構力がはいってましたね。

art | Posted by at 5 1, 2007 18:10 | TrackBack (0)

畠山直哉 Draftsman's Pencil

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先日、ひさびさに鎌倉の近代美術館にいってきた。いろいろと忙しくて美術館にいっていなかったので久々。まあそのためこんな投稿も久々。目当ては日曜までで終わってしまったが畠山直哉の写真展。僕が彼の写真を初めて目にしたのはアンダーグランドという写真集で、それ以降もたびたびどこかの展覧会で見てはいたのだが、まとめて展示としてみるのは初めてだった。展示されている全ての写真がどれも魅力的、写真の展示はどうしても難しくてかまえてしまうのだが、彼の写真は着眼点、展開力、表現力にとても興味がそそられる。一つ気づいたことは写真家は他の美術ジャンルの作家より一途な人が多いかもしれない、そんな寡黙な表現への姿勢がよいなと思う今日このごろ。写真はモノクロモードでとってみた近代美術館。

art | Posted by at 3 26, 2007 21:20 | Comments (1) | TrackBack (0)

取手アートプロジェクト2006

過密スケジュールの中、行って来ましたTAP2006。期間の短さや、終末処理場という場所のもつ力がプラスに働いていてなかなか良い展覧会でした。古民家のスポンジお化けは愉快だし、土手では風船を使って巨人の耳を持った体験も出来た。特に処理場エネルギッシュでちょっと危険で自由な雰囲気はおもしろかったな。

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art | Posted by at 11 27, 2006 13:56 | Comments (2) | TrackBack (0)

たくましい壁画

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先日、汐留にて岡本太郎「明日の神話」をみてきた。巨大な壁画はカフェやアイドルがイベントで行う仮設ステージなどに周囲を囲まれた場所で展示されている。壁画は巨大なサイズにもかかわらず十分な引けもとれておらず、壁画全体を見ることはかなり難しい。いわゆる美術館とは正反対の場にもかかわらず、壁画は様々はコマーシャルや商業の節操のない表現に負けないたくましいものに感じた。強引に視野を広げて考えればアイドルのステージだって、岡本太郎を意識したど派手は柄だって、壁画という美術だって人のつくりだす文化活動といえば同じものなのかもしれない、とまで後々考えてしまう。それが岡本太郎の魅力だとは思うがもう少しせめて落ち着いた場所でみてみたい。

art | Posted by at 8 15, 2006 16:04 | TrackBack (0)

和柄と光

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先日、東京国立博物館の「若沖と江戸絵画展」を見てきた。日曜日だったためか閉館直前にも関わらずかなり混んでいて、老若男女がガラスケースにかぶりつき状態。以前、仏像の展覧会をみにいったとき、とても賑わっていたことを思い出すといかに現代美術の展覧会に人が入っていないかと感じてしまう。

伊藤若沖は森美術館のオープニングのハピネス展で見て以来気になっていたので結構期待していた。それに応える十分な密度の展示でかなり満足。入場制限はしたほうがよいと思うが。見方を知らない自分にとってはハワイで売っている和柄のアロハシャツの延長線上で「あ〜、この色でこの組合せ、綺麗だな〜」「これでTシャツがあったら欲しいな〜」といったノリをきっかけにして見ていくうちに日本画特有の奥行きのなさや、デフォルメ具合を少し感じるようなり楽しめた。しかも今回の目玉はガラスケースなしで舞台照明のしくみを利用した光量,輝度が時間で変化するライティングがされている展示があり、そこは今まで見たことのない状況で鑑賞が出来てかなりお勧め。ガラスケース内の展示を見て、いつもしらけると感じていたのはガラスの中で均一な光が普段の日常生活にはない状況に見えてしまうからだ。時間やその部屋の様々に変化する光の中で美術をみたほうが、当たり前に変わり行く日常の延長線上の存在として受け入れられるのだど感じた。「あの鶏のような和柄でアロハつくりたいな〜」と思うことと同じな気もする。下記で展示の様子が少しわかります。
http://www.jakuchu.jp/special/index.html

それにしても何かずれている外国人が多くとんでもないTシャツのやつが多かった。そんな彼らも「あの虎でTシャツあったらな〜」と思っているのだろうか。写真はほぼ僕と同じタイミングで廻ってしまった外国人が来ていたTシャツ。

art | Posted by at 7 31, 2006 16:54 | Comments (4) | TrackBack (0)

むせかえる世界@横浜美術館

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砂山典子のむせかえる世界を見てきた。鑑賞者は彼女がはいているスカートなかに入っていき、彼女の真下にあるインスタレーションを体験する。人がスカートの中に入っていく時、赤い布が大きく波打つのも面白い。スカート中では中央に彼女自信が座る椅子がやぐらのようにくまれその周りを赤い座ぶとんが敷かれている。やぐらの中には香りがする尿瓶と鑑賞者が感想を書いたノートとそれを照らす懐中電灯がおかれ、鑑賞者は人のスカートの中で少し甘い香をかぎながら、人が書いたテキストを読む。ちなみに下着しか着用しておらず、しかもやぐらの座面はリングとなっているため下着がみえます(というか見せるのも作品の一部)そのため子供に対しての注意書きがかいてあったりする。横浜美術館のロビーでパフォーマンスしており、チケットをかわずして楽しめる。かなりお徳。25日まで。

art | Posted by at 6 23, 2006 23:53 | Comments (1) | TrackBack (0)

生田緑地

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初めて生田緑地にある岡本太郎美術館にいってきた。今まで何度か気になる展覧会がやっていてその度にいこうと思っていた逃してしまっていたかが今回はどうにかまにあった。伊藤俊治が監修している「CHIKAKU-四次元との対話」、岡本太郎以降の日本の現代美術にスポットあてた展覧会でヨーロッパを巡回して帰国展。出品作品はどれも申し分ない内容のもので楽しめた、まあなかには一つ?なものがあったがそれはそれで。でも今回の一番よかったことまとめて岡本太郎の作品をみれたことだ。色々な展覧会や街角などでお目にかかっていたけど、それらとは違う印象が美術館では味わえた。かなりひらたく言うとみてまわると元気になれる感じ。また来たいと思う、だからポイントカードがあるのか?、ちなみにつぎは「ウルトラマン伝説展」。あと日本民家園があることを知らなかった、今度はそれもみなければ。

art | Posted by at 6 19, 2006 1:08 | Comments (4) | TrackBack (0)

価値のある仮説

昨日、行って来ました「杉本博司 時間の終わり」@森美術館に。最終日前日だったためエレベーター登る前に長蛇の列が出来ていて心配になったけど展示室は意外と人が多くなく観ることことができました。いやあぁ、良かったです。先日いったガンダム展がかなりすべったので余計にかもしれませんが。何が良かったかというと、まず会場構成、いままでの森美術館でやった数々の展覧会の中で個人的にはベストだと思う。仕事で会場構成に関わったことがあるのでよりそう思うのだけど、まったく同じL型平面のギャラリーが4つあるのだが見事にキャラクターの違う部屋を展開されていて、そのL型が中途半端は感じでなかなかレイアウトしにくいのだがそもそも部屋がL型かわからないぐらい構成され尽くしている。
作品は直島の神社ぐらいしかきちんと知らなかったのでかなり楽しめました。個人的には「あぁ、きれい」というより「へぇ〜、おもしろいな」というのが感想。ぱっと見はモノクロームでとにかく美しい写真が印象的なのですが、その裏にある何故そのような写真を撮りだしたのかという設定がおもしろい。「芸術は普段見えないものを見せるもの」「芸術とは関係ないものに美は宿るのだ」というような杉本が言っていることに僕はとても共感できたからなのかもしれない。今までの歴史、現在の日常を日本人の杉本というフィルターを通されることによって今までの日常の中で感じていた感覚が拡がる体験を出来た。
フィルターを通すということは作家の視点で本人が置かれている状況から何かを見つけ自分で仮説をたて、その仮説を説明できて他者が何かしらの解釈可能な作品をつくるということだ。その流れは建築の設計に似ていると感じた。設計者とクライアントの両者がその仮説に対してある解釈をし、その仮説自体に価値を見いだせた関係で進められれば良い。極端でわかりやすいテイストによるデザインばかりが価値だと割り切らずに、きちんと価値を認められる仮説や眼差しを考えることも大切なのだと思う。

art | Posted by at 1 9, 2006 19:43 | TrackBack (0)

美術の楽しみ方

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 今日、小雨のふるなか横浜トリエンナーレ,BankARTLifeに行ってきた。先日、横浜美術館のリ・ウファン展に行ったし、これで横浜で行われている主な展覧会をみたことになる。
 トリエンナーレは事前情報から混雑が予想されていたが悪天候のためか想像していたより込み合っていなく、同僚のyhさんの案内によりスムーズな鑑賞ができた。以前、仕事の関係からオープン前日の会場をさらっと見た時は人がいないにもかかわらず物量の多さが気になっていたのだが、その物量よりも子供から大人まで多くの人々が美術を楽しんでいる光景がとても印象的だったのだ。直前にリ・ウファン展を見ていたから余計にそう感じたのかもしれないが美術館でよくありがちな難しい顔して黙って美術と向き合うものとはまったく違う鑑賞がヨコトリでは展開されている。それはギャラリーとは思えない雑多な動線や、市場を思わせる混在した作品配置、これらは一般的な美術の見方で考えるとよいとは言えない状況なのだが、数多く有る参加型作品や完成度を要求しないラフでタフな作品たち、それらの物量,密度,ボリュームの高さと合わさり、鑑賞者が美術を気軽に思い思いに楽しめる場が生まれている。本来、美術は敷居の高いものではなく誰でも自由に楽しめる身近な存在であるべきだとちょっと忘れていたものに気付かされた。ただ、昔と違うことはその敷居を低くすることが美術の解体に繋がることだとわかっていて、その解体を防ぐため大半は美術館という白い何もない虚構の非日常空間で補完され、美術表現としての強度を保ち成立していることだ。それはBankARTにて美術の展覧会に美術よりの作品出品に関わるようになってから白いギャラリーの居心地のよさに共感し、同時に屋外や日常生活の場で作品の表現強度を保つことの難しさから感じていた。
 建築家による美術的な表現に関わるようになってから美術の楽しみ方が少しクローズな状態になってかもしれない。一連のヨコハマめぐりは自分がこれからモノをつくり社会的な表現を行うことが最終的に建築家という立場からなのか、それとももっと自由な立場からなのかを考えはじめられる良い機会だったと思う。単品で展覧会にいくのではなくリ・ウファン→ヨコトリ→BankARTという一連の流れで見ることがおすすですね。

art | Posted by at 12 5, 2005 1:13 | TrackBack (1)

美の殿堂

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先日、豊田市美術館で行われているヤノベケンジの展覧会に行って来た。当日は彼の巨大立体作品であるトラやんが火を噴くというイベントがあり300人以上の長蛇の列。作家本人がマンモス型の作品のまたがりながら「感無量」といいながらとてもすがすがしい表情だったな。素敵な作家日和な一日な立ち会えた。

art | Posted by at 9 27, 2005 22:40 | Comments (3) | TrackBack (0)

拘束のドローイング9@金沢21世紀美術館

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先日、マシュー・バーニーの「拘束のドローイング9」を遠路はるばる金沢で見てきた。ちなみにこの展覧会は意地悪なことに東京に回ってこないでソウルとロサンゼルスは巡回。バーニー本人のことは以前、東京都写真美術館で行われた「クレマスター」という作品がきっかけで知っていた。当時、「クレマスター」を見た時、「わからない」というもやもや感で一杯でその時の感覚は今でも覚えている。最近、岡本太郎のある本の中で芸術は「わからない」もので極端な話、生半可には理解されないものが真の芸術だと書かれているの読み、クレマスターの思い出に少し整理がついた状態であった。そんな中、今回の「拘束のドローイング9」を見て、やはり「わからない」のであるがバーニーの表現力の凄みにただただ関心してしまう。バーニーがつくり出す映像の数々はとてもスケール感が大きい。とてもじゃないけど昨今の不景気から生まれてこないない表現だと思う。お金の使い方をしっていて、なおかつ強靱な想像力をもたないと決してつくれない素敵な映像作品である。展覧会場のチラシの中で「バーニーさんからみなさんへ」という子供むけのコメントがあってその中で彼は「とにかくめいいっぱい想像してみな、そうすればきっと誰でも〜」と書いてあったきがする。自分の生い立ちや、経験、環境によって想像力などの思考回路はかわるものだと一部では思うが、最大限意識を傾けるという基礎が大事なものなんだと振り返らさせられとてもよい刺激。僕もバーニーになりたいと少し思った(笑)。21世紀美術館は今回で2度目。立面のない空間の新しい体験が出来るおもしろい建築だと再認識。

art | Posted by at 8 15, 2005 22:14 | Comments (1) | TrackBack (1)

public=un+public @ BankART1929

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先日、BankART1929で行われたOff Nibrollのダンス公演を見てきた。ダンスはほとんど見たことないので正直なところたまにみたても何が良くて何が悪いかという判断が出来ない場合がほとんど。今回も開演前に主旨を記したテキストを読んでから公演をみたのだがやはり理解はできない。それでも今回の公演は自分にとっては判断や理解を超えたところでとても印象的で新鮮な感覚があった。あたりまえだけど年をとって色々な経験をしてくことによりある既知感のもとに判断や理解の思考回路をめぐらせがちになってしまうのに対して、この手の新鮮な感覚は自分の考える時に貴重で刺激的だと感じている。まぁ、ひとことで言えばとてもよかったということなんだけど。

art | Posted by at 5 31, 2005 11:52 | Comments (1) | TrackBack (0)

Variations on a Silence リサイクル工場の現代芸術

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家が比較的近くなため、上記に行ってきた。場所がわかりづらし車が必要だし、たどり着くまでハードルは高いが、なかなか見応えもあり無料ということもあって充実感はあったな。オープン前のリサイクル工場(設計:坂牛卓)の作業場と倉庫をつかって展示されている。メディアアート系の映像モノは大体はブラックボックスを要求するので展示場所との関係性が薄くなりがちだが、クリスチャン・マークレーの展示はリサイクル工場の場を意識していてなかなか印象に残るものだった。このような展覧会は事業としてもよいと思うからまたどこかであるといいな。

http://variations.jp/index.html

art | Posted by at 5 23, 2005 3:02 | Comments (3) | TrackBack (0)

ハンガー

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現在、BankART Studio NYKにて制作中!
制作期間中にダンス公演があったの使って頂いてます。
..................
BankART Studio NYKの海の前の野外スペースに舞台を特設し、ダンス公演を行います。
作品は、ブラジルから来日する前衛劇団テアトロ・マクナイマの「カルメン・ミラン
ダ 大野一雄へのオマージュ」。横浜のパノラマを背景に繰りひろげるブラジル発ダ
ンスシアターに、ぜひご来場下さい。

期日:2005年3月25日(金) 21:00 開演 
   26日(土) 17:00 開演 21:00 開演
27日(日) 17:00 開演
会場:BankART Studio NYK 特設野外ステージ 
  (天候不順の場合はNYKホールにて行います。)
  (横浜みなとみらい線 馬車道駅下車6番出口より徒歩4分)

チケット:前売り3,000円/当日3,500円 
ご予約は、メールにて観覧日時、お名前、ご連絡先をお知らせ下さい。 
info@bankart1929.com

ご予約・お問い合わせ:BankART1929
tel:045-663-2812  fax:045-663-2813
info@bankart1929.com

art | Posted by at 3 26, 2005 13:13 | TrackBack (0)

文化庁メディア芸術祭@東京都写真美術館/アーキラボ@森美術館

MOVABLETYPEをアップグレードしてくれたおかげ、エントリー時にMac OS9+IE5でも文字化けは解消されましたね。アドミンさんご苦労さまです。
......................
休みの日に恵比寿,六本木方面に出かけてきた。OTAKU@東京都写真美術館→F.O.B@広尾→アーキラボ@森美術館というコースで美術館めぐりと買い物が目的。だがOTAKUが予想以上に混み合って1時間まちの状況のため見ることを断念、そこで文化庁メディア芸術祭を無料ということもあって見てみたのだが、これも混んでいてまとも鑑賞できる感じではなかった。その後に見たアーキラボは土曜夜の六本木とは思えない程に空いていた。会田誠の「無気力大陸」というドキュメンタリー映画の中で彼は現代美術に対して「もはや一級のエンターテイメントではなく、かたや社会的牽引力もない多目的広場だ・・・」というようなことを話している。アーキラボの空き具合からは多目的広場的な雰囲気は感じられたのだが、メディア芸術祭の混み具合は異質なものに感じた。最近、メディアアートが流行っているのだが本当なのか?と半信半疑だったので正直驚いた。形式的に両者を比較すると先端技術を導入したインタラクティブなメディアアートの展覧会と従来通りの立体,平面による展覧会である。鑑賞者の手にとって触れる参加型のメディアアートは娯楽性が強くエンターティメントとの境があいまいなのだと思う。会場ではメディアアート、アニメーション、漫画、ゲームが並列でおかれていたためそれぞれの線引きはとても曖昧で結果として色々な趣味趣向を持つ人手賑わっていたのだ。作家にとってはその作品を通して多くの人の心に何かを届かせたいと思うのが当然の気持ちである。そのため少しでもメジャーな形式となりつつメディアアートを表現手段として活動する人が増えるのもわかる気がしたのである。

art | Posted by at 3 8, 2005 20:36 | Comments (1) | TrackBack (0)

インタラクティブパブリックアート

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名古屋駅前のホテル入口立っている巨大マネキン。シーズンごとに着せ替えられ前回目撃時は中日ドラゴンズの優勝にともないオレ流Tシャツが着せられていた。もちろん今回同様パンツははいない。お色気パブリックアートは着せ替えも出来ることからインタラクティブなアート。季節を無視した虹色チューブドレスに年末年始無災害のぼりとの組み合わせはなかなかアバンギャルド。高さめいいっぱいに立っているのでもしや構造体だったり?とも思ったりとなかなか楽しい。高そうな石とか鉄でできたパブリックアートもわかるけれどこの手のものもおもしろいと思う。

art | Posted by at 12 4, 2004 11:07 | Comments (1) | TrackBack (0)

「カフェ・イン・水戸2004」@水戸芸術館+中心市街地

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日曜日に水戸に行って来た。
かなり大雑把な感想を言えば前年よりかなり良い。最近の水戸芸の展覧会の中でもおもしろいほうだと思う。前年は通常の展覧会よりあまり予算がさけずやむおえない感じの印象だったが今年は美術館だけで閉じず街全体をより盛り上げようという雰囲気もうかがえた。

前年、今年とみてようやく気づいたのだが、タイトル通りかなりカジュアルな展覧会である。誰がみてもどこか楽しめそうな美術ばかりで、しかもただ見るだけではなく鑑賞者が実際に体験する参加型が多い。普段、現代美術なんてという人でもおすすめだと思う。越後妻有のトリエンナーレとまでは到底及ばないがアイデンティティが失われた地方都市を盛り上げるイベントとしてはよいものである。これも東京を射程距離ととらえ活動を続けてきた水戸芸があってからこそなのだろう。来年も楽しみだな。

で、上の写真は水戸市街でインスタレーションされているアトリエ・ワン(左)、ひのさん(右)のもの。あと青木さんも出している。ひのさんは他の作家のギャラリーとして古い建屋を改修しているため、実際「使える」ものになっていて悪くはない。他の2人に関しては完全に「使える」ことは難しい感じ。そのためか建築の意味的レベルに対して批評性のある視点でひねりの効いたおもしろい作品なのだが、表現の強度として少し物足りなさを感じた。単純にいうとちょっと素人感がある。この手のインスタレーションは予算上どうしても多大なるボランティアの方々で成立してため、あるプロの作家作った作品に比べてどうしても完成度と落ちてしまうので仕方はないだが。最近、現代美術の展覧会で建築家も増えてきて見る方としてはおもしろい、よい刺激。

写真の二つをみて機能の表現とはなんなのだろうか?最近、空間をつくりこんでいく上で、モノ本来の性能や機能のみが表現されたものに出来ればと考えている。そのためか部材や加工をすくなくする方向にいくのだが、これはミニマムな表現を目指しているわけではない。どちらかというと今回の作品に近いものは感じたのだが、まだまだみえてこないな〜。

art | Posted by at 9 8, 2004 22:59 | Comments (5) | TrackBack (0)

「高松次郎−思考の宇宙」 @府中市美術館

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土地とか建物の名前がもつイメージは誰しもなんとなくあるもの。
それが予想外に良い方向に裏切られたときは楽しいものである。

そんな体験を先週の日曜日にした。場所は府中市美術館。案外、蒲田から時間がかからずに目的地には着くことができた。府中市美術館はいくつか文化施設が点在する大きな公園の中に建っている。近場で例えるなら砧公園と世田谷美術館みたいなものだ。世田谷美術館と違うことは府中市美術館のほうが新しい建物ということである。一見お金がかかっている感じがしてなんとなくバブルのにおいがするたたずまい。よくもなくわるくもなくなんとも興味をそそられない建築。外見と反して中身となる展覧会はリートフェルト展など東京の片田舎府中で行われているとは思えないなかなか充実した企画が多い(最近になって気がついた)。そのため地方の美術館への巡回展となるものもある。それで今回は「高松次郎−思考の宇宙」が行われていた。

正直なところ高松次郎はハイレッドセンターのこと、影の絵のこと、この二つだけを少し知っているぐらい。影の絵はある本の片隅に白黒で小さくのっているものを見ただけだが興味をそそられていた。そんな記憶を頼りに行ったこともない土地の知らない美術館を体験してきたである。展覧会の内容は簡潔にいえばよいものだった。最近みたものの中では上位ランク。内容は充実していてなおかつ難解そうな高松をわかりやすく時系列で紹介していた。中でも本の挿絵でみた影の作品はよかった。シンプルなアイデアがそのまま表現に結びつき批評性も感じられる。磯崎新が設計した福岡銀行の応接間を高松がデザインしているのだがその原寸が復元されてい(上の写真)。また高松は膨大なスケッチを描く人みたいでその一部が公開されていて、それが結構おもしろい。ドローイングの途中段階をスケッチで展示されているのはよくみかけるのだが今回はそのようなドローイングはむしろ少なく、ダイアグラムや図面みたなもの、コンセプトや作業手順がこと細かく記されたテキストがあった。高松は頭の中で考えたり想像したりしたことを全て書くことしていたのだろうか?最近思うのだが自分が学生の時よりだいぶ手書きでもなんでもかくようになった。頭で考えていることと実際描かれるものとの違いを発見し、再確認することが思考のプロセスの上あたりまえが大事なことなのだと改めて感じた。描く精度も大事だがとにかくかきとめることもかなり大事だと思う。

art | Posted by at 8 20, 2004 2:21 | Comments (3) | TrackBack (0)

夏の思い出

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去年の夏、妻有のトリエンナーレに行ったときの写真。一年早いな。

アーティストのインスタレーションによる内部空間表現はひねりが効いていて見ていて素直におもしろいと感じる。同じインテリアの空間表現でもインテリアデザイナーが考えたものはなかなか良いと思えるものがない。実際に「使う」機能の要素が両者の大きな違いではある。では機能の表現とはなんなのだろうか?建築とは構造や機能や素材を表現するものではなく物質の配置によってうまれるその場の質をつくりだすものだと僕も思っている。表現の中で、構造、機能、素材によって生まれる表現の割合がそのつど変わって最終的な質の表現が生まれる。インテリアの中で構造の表現は存在しないとなると当然、素材、機能の表現が目立つ。
最近、機能の表現とは車のデザイン中で鏡面部分にあたるのではないのか最近感じている。部位を明確にするヒントみたいなもの。ヒントの集積が空間の表現になっているとはどういうことかを考えてみようと思う。

art | Posted by at 8 16, 2004 22:46 | Comments (4) | TrackBack (2)

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