美術の楽しみ方

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 今日、小雨のふるなか横浜トリエンナーレ,BankARTLifeに行ってきた。先日、横浜美術館のリ・ウファン展に行ったし、これで横浜で行われている主な展覧会をみたことになる。
 トリエンナーレは事前情報から混雑が予想されていたが悪天候のためか想像していたより込み合っていなく、同僚のyhさんの案内によりスムーズな鑑賞ができた。以前、仕事の関係からオープン前日の会場をさらっと見た時は人がいないにもかかわらず物量の多さが気になっていたのだが、その物量よりも子供から大人まで多くの人々が美術を楽しんでいる光景がとても印象的だったのだ。直前にリ・ウファン展を見ていたから余計にそう感じたのかもしれないが美術館でよくありがちな難しい顔して黙って美術と向き合うものとはまったく違う鑑賞がヨコトリでは展開されている。それはギャラリーとは思えない雑多な動線や、市場を思わせる混在した作品配置、これらは一般的な美術の見方で考えるとよいとは言えない状況なのだが、数多く有る参加型作品や完成度を要求しないラフでタフな作品たち、それらの物量,密度,ボリュームの高さと合わさり、鑑賞者が美術を気軽に思い思いに楽しめる場が生まれている。本来、美術は敷居の高いものではなく誰でも自由に楽しめる身近な存在であるべきだとちょっと忘れていたものに気付かされた。ただ、昔と違うことはその敷居を低くすることが美術の解体に繋がることだとわかっていて、その解体を防ぐため大半は美術館という白い何もない虚構の非日常空間で補完され、美術表現としての強度を保ち成立していることだ。それはBankARTにて美術の展覧会に美術よりの作品出品に関わるようになってから白いギャラリーの居心地のよさに共感し、同時に屋外や日常生活の場で作品の表現強度を保つことの難しさから感じていた。
 建築家による美術的な表現に関わるようになってから美術の楽しみ方が少しクローズな状態になってかもしれない。一連のヨコハマめぐりは自分がこれからモノをつくり社会的な表現を行うことが最終的に建築家という立場からなのか、それとももっと自由な立場からなのかを考えはじめられる良い機会だったと思う。単品で展覧会にいくのではなくリ・ウファン→ヨコトリ→BankARTという一連の流れで見ることがおすすですね。

art | Posted by at 12 5, 2005 1:13


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