価値のある仮説

昨日、行って来ました「杉本博司 時間の終わり」@森美術館に。最終日前日だったためエレベーター登る前に長蛇の列が出来ていて心配になったけど展示室は意外と人が多くなく観ることことができました。いやあぁ、良かったです。先日いったガンダム展がかなりすべったので余計にかもしれませんが。何が良かったかというと、まず会場構成、いままでの森美術館でやった数々の展覧会の中で個人的にはベストだと思う。仕事で会場構成に関わったことがあるのでよりそう思うのだけど、まったく同じL型平面のギャラリーが4つあるのだが見事にキャラクターの違う部屋を展開されていて、そのL型が中途半端は感じでなかなかレイアウトしにくいのだがそもそも部屋がL型かわからないぐらい構成され尽くしている。
作品は直島の神社ぐらいしかきちんと知らなかったのでかなり楽しめました。個人的には「あぁ、きれい」というより「へぇ〜、おもしろいな」というのが感想。ぱっと見はモノクロームでとにかく美しい写真が印象的なのですが、その裏にある何故そのような写真を撮りだしたのかという設定がおもしろい。「芸術は普段見えないものを見せるもの」「芸術とは関係ないものに美は宿るのだ」というような杉本が言っていることに僕はとても共感できたからなのかもしれない。今までの歴史、現在の日常を日本人の杉本というフィルターを通されることによって今までの日常の中で感じていた感覚が拡がる体験を出来た。
フィルターを通すということは作家の視点で本人が置かれている状況から何かを見つけ自分で仮説をたて、その仮説を説明できて他者が何かしらの解釈可能な作品をつくるということだ。その流れは建築の設計に似ていると感じた。設計者とクライアントの両者がその仮説に対してある解釈をし、その仮説自体に価値を見いだせた関係で進められれば良い。極端でわかりやすいテイストによるデザインばかりが価値だと割り切らずに、きちんと価値を認められる仮説や眼差しを考えることも大切なのだと思う。

art | Posted by at 1 9, 2006 19:43


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