夏の思い出

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去年の夏、妻有のトリエンナーレに行ったときの写真。一年早いな。

アーティストのインスタレーションによる内部空間表現はひねりが効いていて見ていて素直におもしろいと感じる。同じインテリアの空間表現でもインテリアデザイナーが考えたものはなかなか良いと思えるものがない。実際に「使う」機能の要素が両者の大きな違いではある。では機能の表現とはなんなのだろうか?建築とは構造や機能や素材を表現するものではなく物質の配置によってうまれるその場の質をつくりだすものだと僕も思っている。表現の中で、構造、機能、素材によって生まれる表現の割合がそのつど変わって最終的な質の表現が生まれる。インテリアの中で構造の表現は存在しないとなると当然、素材、機能の表現が目立つ。
最近、機能の表現とは車のデザイン中で鏡面部分にあたるのではないのか最近感じている。部位を明確にするヒントみたいなもの。ヒントの集積が空間の表現になっているとはどういうことかを考えてみようと思う。

ギャップ

日曜日の夕方にスチームボーイを見てきた。
映画館は前回のディープブルーに続き六本木ヒルズ。
相変わらず混んではいるがネット予約販売の手続きのおかげで
かなりスムーズに入れた。このスムーズさは他の映画館と比べると
かなり便利、渋谷からバスに乗らなければならないわずらわしさも気にならない。

スチームボーイはshinyaさん同様に不安を抱えていた。たぶんつまらないだろう。どうしてつまないかは自分の中では少しわかっていて、具体的には蒸気機関うんぬんの世界観に魅力を感じていなかったのだ。なんで日本人がイギリスのあのような雰囲気を描かなければならなかったのかが理解できない。まあここで人種のことを語ってもうまくいかないのでやめるが、「あーあ、スタッフはギアをたくさん書かなきゃいけないから大変だなー」とぐらいな感じ思っていた。つまり背景となるイギリスの蒸気機関にまつわる世界観が理解できないのである。
実は「老人Z」「童夢」「AKIRA」「MEMORYS」ぐらいしか大友の作品はしらないのだが、どれもその世界観と圧倒的な絵としての表現力に魅力を感じていた。中でもAKIRAの世界観は特にセンセーショナルなものだったし、あの時の金田のバイクは誰しもあこがれたと思う。いまだにバイクのデザインがもつ未来感はあれを超えるモノがないといっても過言ではないだろう。でもよく考えると確かに特徴的な世界観はあるもののどの作品の主題となるものは人間関係をテーマとしたシンプルな物語なのである。シンプルなことをものすごく大げさに複雑に描くギャップに大友作品の共通の魅力があるのではないのだろうか。そう考えるとスチームボーイも極めて大友らしい優れた作品なんだと思う。それにしても描画はすごかった。映画館でみないとだめですね。

テスト、、

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やはり文字化けしてますね、
こちらのOS9の環境がよくないのでしょうか。

テスト、

roppongi.JPG

とりあえずテスト。
IE5でエントリー、文字化けしてますね。
プレビューはきちんと表示されるのだけど。

先日、青山をさんぽしていたときの写真。
mojibake shiteirunode umakukakenainode .....