「東京」と「パリ」を往復した一日
■僕の自宅で夕食・兼映画鑑賞会。
映画は「LOST IN TRANSLATION」。
Sofia Coppolaの最新作で、日本ではまだ映画館で公開しているらしい。
この映画は僕の中で特別の映画作品である。
なぜかと言うと、事務所の仲間や海外で出会った人々が
僕が「東京」から来たというと必ず「ダイスケは見たかとがあるか?」聞かれる映画だからだ。
「東京」に行ったことがある無に関わらず、彼らにとっては
この映画の中の「TOKYO」が「東京」であるようだ。
見ていて思ったのが、Sofia Coppolaが大都市・「東京」の「孤独感」しっかり見抜いていること。
−女性主人公が大都会を見下ろしながら涙する孤独感。
−「トンチンカンな通訳」によって、話し合っているのに、本質的には分かり合えていない会話。
−ホテル(海外)では声を掛けられるのに、街(東京)に出ると誰にも気づかれない匿名性。
など。
これらは、普段「東京」に暮らしている僕らの胸に、「ふっ」とした時に染み出てくる感覚だ。
Sofiaは東京が好きで、年に何度も「東京」に来るらしいが、
彼女は東京の暮らしが持つ「表」と「裏」を理解しながら「東京」を「愛している」気がする。
「恋している」という感覚のほうが近いのかもしれない。
各シーンで、少々大げさな表現もあるが、外国に暮らしてみると
外国人の心の中に切り取られている「TOKYO」を生のままで表現するとこうなると思う。
僕はこの映画で、アルファベットの「TOKYO」を眺めながら
漢字の「東京」に里帰りすることが出来た。
映像としての「東京」ではなく、心象としての「東京」を。
■「東京」に里帰りした後は、PARISで開催された「NUIT BLANCHE」へ。
パリ市庁舎、オペラ座、国立図書館、ノートルダム、ポンピドーセンターなど、
パリを代表する施設郡が一晩中開放され、様々なイベントが開催されるというもの。
一番面白かったのが、パリの老舗百貨店「Printemps」で行われた「Creme de Singe」。
いつもと変わらず電気が煌々と点灯し、エスカレータが動き、商品が並ぶ店内。
ただ一つだけ違うのは、「人間」の変わりに二匹の「さる」店内を歩き回っていること。
彼らは各階をさまよい、好きな商品を手にし、たまに休憩する。
それをショーウィンドウに設置された数台のカメラで眺めるというもの。
愛らしい「さるたち」の行動に、思わず笑ってしまう。
彼らの行動は服を脱いだ人間のように、「買い物をする人間」の動き再表現している。
しかし、これを撮影しているのは店内の監視カメラであるということに、ある時気づく。
どこに居ても映し出される「サル」の映像は、
「買い物をする人間」が常に監視されている事実を再表現しているともいえる。
ふっと笑った後に、少し背中が寒くなる作品だった。
「NUIT BLANCHE」全体の感想としては、全てのイベントがまだリンクしていないという状態。
あと5年続いたら成熟するのかなと思う。
それにしても、パリは都市全体の自覚的な演出が非常に上手い。
東京の自然発生的な魅力も僕にとっては十分に心地良いのだが、
組織的な都市の魅力を志向するパリの意識には頭が下がる。
「LOST IN TRANSLATION」と「NUIT BLANCHE」。
「東京」と「パリ」を往復した一日でした。
Art / 美術, Event Lecture / イベント, Paris / パリ, Urbanism_City / 都市, 映画・演劇 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 10 11, 2004 7:51
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