ポートフォリオ

ほぼ洗脳され。→がんばってモードチェンジし。→慣れないスーツを着て動いている。エントリーシートの趣味欄に「ブログ」と書いているくらい(笑)。なので、個人的には楽しくやっている。周りには、「PCを持って行き、ブログを見せて、作品です」なんでしょ。とか言われ、自分でも笑ってしまった。
この機会に、過去の作品を今一度、見直したが、過去のは「がむしゃら」という点で突き詰めてあり、今の自分に占める相対的割合が、低いテンションなので、確かに魅力的に見える。よく、引き合いに出されるので、納得した。原点に帰ったようなすがすがしい気分だ。釈明をするつもりではないが、プロジェクトがおもしろくなるかどうかは、個人のモチベーションだけでは、決まらないというのが僕の考え。当然、作業はひとりでやるが、プロセスの展開は、環境に起因するから。という経験にもとづいている。
従って「学校の課題」というフレームの中でも、自分の作品に対する熱意より、結果(かたち)に反映されにくい「会話」を徹底的にしている。そのレスポンスが鈍くなってくるに従って、飽きてくるという状態が、現状。焚きつける行為は、趣味で出来ることではない、ものすごくパワーが必要だし、客観的な論点を見いだすには、無理にでも声にしていかないと、自分の思考のフローも閉じる(ループする)。そういった危機感をキープしている人は、なかなか出会わない。だから、外に出る。ポートフォリオの割合で学校の課題の占める割合はたぶん、ピカイチで低いと思う。まぁ、そこがセールスポイントでもあるが。
誤解があるといけないので、大学という制度を批判しているわけではない。暗に、周辺に原因があるなんて言っているみたいだが、大学は基本的にぬるい。そこに、自分のモチベーションをキープ出来るものを求めていては、自分の設定しているレベルが相当低いのだろう。ただ、ぬるいなりに良い点がある。制度として依然維持されていることも、ひとつの評価だが、「(なんだかわからない)社会」と「(なんだかわからない)自分」を繋ぐ、コネクタビルドする時間を、お金を払って「もらっている」と思っている。社会に出ると確かに、高い緊張感を要求される。しかし、それだけが良いとは思えない。自己に対する自信がないままでは、社会に身を捧げてしまうことになる。そういう疲労感が目に見えていたので、大学院への進学を選択した。自己分析みたいなエントリーだけど、エントリーシートを書くときにいろいろ考えさせられたので、書き記している。
最後に、個人の着想レベルではあまり意識していなかったのだが、「構造(的な思考)が好きなんだね」と指摘された。それに対して僕は、「建築の全体(構成)を把握できるので」と答えた。このやりとりは、僕にとって新しい発見だった。

日記 | at February 18, 2005 5:01


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Comments

シモンちゃんがスーツ来て
どっか行くのを見たときは
かなり衝撃的だったよ…!
わたしもポートフォリオのコンテンツ(って作品集みたいだね笑)
半分はお外でのお仕事だし、
それが売りになってます。
なかなかいませんねぇ、周りにそういう子…
見てないだけかなぁ!?

Posted by jinko at February 28, 2005 1:44 PM

仁子とカオリ。似てないか?。動きとか。@馬車道の事務所
ブログ持ってるんだぁ。知らなかったよ。
外でも内でもいいんだけど。積み重ねの実感が伴うと、より良いよね。

Posted by simon at March 2, 2005 2:03 AM