京都駅

まぁこの建築は嫌いだった。
対極の存在だった。
しかし、だんだん好きになって、初めてぐるぐると周りたくなった。
CIMG0818.JPG
伊勢丹の中のエスカレータもすごい絵だが
ホテルグランビアのロビーからみた絵もなかなか周到なモノでした。
感性的には、さんまの言うすきときらいは360度で、実はくっついているみたいな話だったようだ(笑)

遺構 | at August 10, 2004 4:43


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Comments

京都駅の問題は,街並みに対する,あの壁のような建ち方にある.しかし,これは,あれだけのプログラムを要求したJRを初めとするクライアントの問題かもしれない.もちろん,それに対して,NOと言うことも建築家の社会的な役目とも言えるかもしれない.それでも,経済的なポテンシャルを考えた時,このようなボリュームが建ってしまうことは致し方なく,そうであるならば開き直って,安藤忠雄案の方がよかったのではないか? とも思うこともある.
しかし,それらの話を抜きにして,駅の大空間として,そんなにこの駅は悪くないと思います.好き嫌いは別として,十分評価しうる内部空間だと思います.京都に建っているという事実を無視できれば……

Posted by shinya at August 11, 2004 12:02 AM

原さんとしてのコンテクストが、コンペのおかれている環境に近かったというと、なんとなく納得する建築なのかなと。プログラムのボリュームを従える事が出来る谷や、グランドスカイスクレイパーとして成立する外側と内側の表層。どれをとっても原さんらしいと。彼に埋没することを心地よくさせる、二人で入り込めるちょっとした暗がりや、風景の抜けなど、抜け目ない色気が、よい。ここまで褒めちぎるのは、よくはないのはわかっていて、言っている自分が気持ち悪い。安藤案は、単純にコストだったのかなぁ。なんとなく、安藤さんの単純巨大化の悪さが目に付くので、あのスケールは投資できない感覚がする。巨大化するほど、人を排除するような建築感は、そう感じさせてしまう。この二案は、藤森さんの言う赤派の建築と白派の建築の象徴的な対比としても見え、おもしろいですよね。

Posted by simon at August 12, 2004 1:07 AM

やはりあれだけの人が集まるところにこそ,あのような空間は効果を最大限に発揮する.例えば,『宮城県立図書館』のような谷があったとしても,あまりにも人の気配がなさ過ぎる.
安藤案の敗因は,あの巨大な構造体の真下に地下鉄が通っていて,それが技術的な問題点として決定的であったという記憶がある.R・ピアノも審査員で,彼は安藤案を推していたはず.

Posted by shinya at August 12, 2004 4:58 AM