ビッグネスが生んだ建築

MoMA04.gif

今日は、私の師である高宮先生が、MoMAのレクチャをされました。実際に見ていないので、あれこれ言いたくないんですが、建築を取り囲む話題がとても豊富な建築なので、感じたことを整理するのもいいかもしれない。ビッグネスが生んだ建築と言ってしまうと当の建築家はあまりうれしい気分になれないだろうか。それと、MoMAが持つクレバーさが、谷口建築事務所がもつ建築に対するスタンスと、非常に近いと思いました。プレゼンテーションは、まずMoMAの歴史から始まります。そこで、まずMoMAのクレバーさを知る。オープン前に実写がメディアに出ないことからもわかるように、全てが戦略をもっている。35年にJJPアウト、グロピウス、コルビジェ、ミース、FLライトに、初館設計のための白羽の矢がたつ。僕が思うにこれは、世に対するポーズだったと思う。結局五人とも辞退する運びになり、五人に比べれば、名の知れていないPhilip L. GoodwinとEdward Durell Stoneが、1939年に設計する。今回も、NYでそれほど知られていない、谷口が選ばれたんだと納得させられる。あと、有名な戦略としては、インターナショナルスタイルを、Pジョンソンとヒッチコックが企てたこともその一つ。Pジョンソンはまだ生きているそう(05'1/25に98才で亡くなりました)で、現在もMoMAと関わり合いがあり、今回のアディション(増築を含めた建築の再構築)にも少なからず関係されているというお話でした。谷口事務所が唯一コンペに出し、しかも獲得したという話はあまりにも有名ですが、コンペティションは一つのアイデアで決まってしまい実際建つ建築が良いかは全く別物という、建築に対する想いからの行動であって、今回も辞退するつもりで、ポストへ投函するぎりぎりまで行ったと。これまた納得させられる。(誰が。コンペの辞退を止めたのか? それは、谷口さんがハーバードでお世話になった師だそうです) うますぎる?いや、この仕事をやれば、このくらい言えるでしょう。言いきって欲しいとオーディエンスも思っている。豊富な図面や写真を用いて、charetteから、conceptdesign、designdevelopmentの流れの中で、こだわったNYに建つ美術館ということに聞き入り、それは楽しい時間だった。さいごに、宮本亜門がこけにされたなんてニュースも最近ありましたが、MoMAは、あのNYtimesが絶賛だったようです。それはなぜか?。氏の言葉を借りると、アメリカが持つプラグマティズムと、MoMAの戦略、今、アメリカに新しい建築があまりないという事がそうさせたのではないかと言うことでした。

*写真は、2004年1月時点の写真です。

追記:このエントリーを書くに至った楽屋落ち的な伏線。
今日は、毎度大盛況のtkmyforumでした。会が終わったあと、本音で言えよ!なんて言われ。感性剥き出しだった。感動した(笑)。MoMAのプレゼンテーションを聞いた感想を書く前に、どうでもいいけど面白い話題を羅列。先日の金沢行脚で、20数年ぶりに自分が設計した建築を見て、すごくよかった。と氏が言っておりました。なぜかというと、そのまま使われているとのこと。僕らがあーだこーだ言っている中を、かいくぐって聞いていると、行政が管理している建物だから、当時の川上元美の家具とかも、そのままあるし、いがらしさん(確認がとれたら訂正します。)の白いサインもきれいに残っていると。いっけん、使用が沈殿しているように聞こえるが、おそらくそうではないと思う。丁寧に使い込んでいるという方が、適切だと思う。こりゃ、タイムカプセルだなとか思っている時に、何か言いたそうな顔をしているように見える僕に、本音で言えよ!って言われちゃいましたが。休館日に行き、中に入れてないのもあって、よかったです。なんて言ってしまった。最悪のほめ言葉でしたが、実際よいと思っていたので。細かい見た目の趣味はおいておいて、経年変化好きには、他の視野が吹っ飛ぶくらいよかった。まぁこんなに褒め殺し、してもしかたないんですが、今日は、ずっとほめっぱなしの文章になりそう。いっつも読み返さず一気に書くのでもう先が見えている(笑)。他には、アクセスが多いんだったら、今後のことも考えて、OBからバナー広告代をもらって、レンタルサーバー代運営していけばいいんじゃないか。という話が出ている時、ライブドアの就職試験にblogを作ってアクセス数のカウンタがある程度越えないと、採用されないなんてどっかで聞いたのを思い出しながら、それもあるなと思った。今日の会で二人のOBがプレゼンテーションをしてくれて、どちらもおもしろい事をやろうとしていることが、わかりました。めじろは木造の架構の可能性。みかんは本棚がアフォードする愛着行為と建築エレメントの関係性。そういった意味で良い建築だと思います。完全なる個人的な感想を添えると。めじろのデザインはどこか、わかげのいたりというか。プランやセクションの図形的な収まりがあんまり好きじゃない(笑)。ぱっとしか見てないけど、直感でもっと整理できる気がした。もしくはやりすぎ。みかんのデザインは良いと言いたくない(笑)。それほどかっこよくもないんだけど、あえてモダンに見えないようにしている感じに素直さを感じられないが、筋はとおっているので、代表作がNHK?という感じ。全然認めてないように聞こえる?。帰り道、のんにぴよは、生活が破綻するまで行ってしまうのが危ないよ。なんて、横目で見られ、なにー!と思ったり。僕が一番素直じゃないと言いたいらしい(苦笑)。

建築 | Posted by simon at December 19, 2004 4:54 | Comments (4) | TrackBack (4)

楽しい建築

ローザンヌEPFL大学習センターコンペ勝ったSANAA
seji.gif
原広司と大江健三郎の講演会に行けた人が少なかったようですね。社会人には厳しい時間だったが学生はどうだ?。ディスクリートの概念は、新しい社会(建築)を示唆するものになるのか。新建築12月号月評にnks architectsが「(〜)金沢21世紀美術館の建築自体を簡単に真似などできないが、この建物の空間構成のあり方を別の建物に移植することは比較的容易である。適度なバリエーションを持つ個々のパーツがヒエラルキーなく集合し、パーツの隙間に都市空間のような隙間をもつ構成。これは、現代の独立した個人と社会の関係に似ている。(〜)長谷川祐子さんは双方向、参加型、共同型の共創という価値観を示しているが、これは現代のリベラルな民主主義理念にも繋がる。(〜)」というような事を書いている。共振作用がどういう回路で増幅するか。興味深い時機に突入したに違いない。と僕の感性は頷いている。難解な概念をひっさげ、制度的な立場で社会を支配しているというスタンスが建築家なんだーとか。思っていた時期、せじまさんのボキャブラリーには、感心させられることがあった。とにかくわかりやすい。建築の内部に入っていない学生には、むちゃくちゃわかる。それは、市民レベルで共感できることを指す。新建築の1月号において、伊東豊雄が、近代建築のボキャブラリーを洗練させることが目的の建築を作っているだけだと、現在の建築の立場を一蹴している。氏はそこで、楽しい建築を作りたいと言っている。ふむふむ。機能的なものが美しいのは正しいし。社会(ここでは、自治体という制度)を批判することも正しい。建築をつくる目的が間違っていたと。僕はコンペティションをめぐる憂鬱で議論した中に潜む、淀んでいて掴みきれない建築をつくる目的が、楽しい建築につながってくるような気がしている。(あのときの議論は、建築に立ち向かう戦略の中でコンペをどう利用するかという事が内的な中心だった。議論を明確にするためにコンペ的な思考に立ち向かうという、表層を持っていた。) 
建築はわからないけど、すばらしいと思える建築が実際にある。この矛盾を打ち崩し、自分を切り開くために、建築が好きだ。(好きだと思いこませるくらいじゃないと建築はやめた方がいいと思っている。)という前提を抱え込み、私的なきっかけから生まれる具体的なアイデアがあって、前衛的な構造が見え隠れしていないか、既存が持つ上位下位を壊せやしないかという視座を持つスタンスが、自分に素直になる自分にうそをつかない境地の中で、どういう規模で自分が自分以外にコミットできるか。そんなことを思わせてくれる写真だ(笑)

建築 | Posted by simon at December 17, 2004 6:31 | Comments (6) | TrackBack (0)

デザインする態度

arasan.gif

ギャラリー間が主催した大江健三郎と原広司の講演会を聞いた。ちらしを見ると大江さんの事が書いてないので入稿後に決まったんだろう。来年、大江さんは70才。その機会に前日、海外メディアの取材を受けたそうです。日本の人は誰も祝ってくれていない。なんて笑いをとっていましたが、そこで、五冊。今日的な話題の本を挙げて下さいという話があったそうで、(30カ国語にも訳されている)「集落の教え:彰国社」を推したそうです。それほど、原さんとは親睦が深く、互いに知的な示唆を与える立場だと言うことが会話の中からも滲んでいました。また、メディアに対してdiscreteってわかるか?ということを会話したらしく、同じ発音のdiscreetは、分別のある、慎重、控えめな、目立たない。というように原さんとは正反対の意味を持っているっ。てな話でまた会場に華が咲く。続けて、縦を切った、横に繋がった民主主義の話とか、政治学者の丸山眞男さんが次の展開として全ての個人が自律している必要があるという、それはアナーキーな状態を生むのではないかという議論の展開がある例えを出し、大江さんの意見としてその次の民主主義として東京に、ディスクリートな10の社会があるとそれらの共存関係はどうなるかと聞いたら。原さんがファシズムを認める概念なんだなんて事を言って、大江さんが共感出来ないとか(語弊があるといけないので補足すると、彼曰く長い時間の中の一つの断面としてファシズム的な現象もありえるということを言いたかったらしい、ディスクリートな現象は長いスパンの中で展開しないと意味が無いなんて事を言いたかったようだ)。戦後食べたケチャップは民主主義の味がしたなど楽しい話題が次々と展開する。最後に、原さんがトイレへうろうろしているとき、大江さんが一人でディスクリートの事について話をまとめる方向へ、今年は二つのドアが印象的な年だったということにしようじゃないか。ひとつはお金をたくさん持っている、なんとかドア(livedoor)が、球団を買おうとしたこと。もう一つは、コネクタビリティとセパラビリティが共存しているディスクリートの概念を持って、未来のドアを開けようとしている、あまりお金を持っていない原さん。ね。(従前なる概念のひとつの具体性として、ドアが限度のある多様な連結可能性を開くという話が前にあって)最後にどっと沸く。当然原さんは苦笑。スライドはたくさん用意してあっただろうに、建築の具体的な話はとんとなかった。空間の現象で話す言葉と論理を用意することが自分のライフワークと語る一人の建築家が、概念はオープンソース的なものだということを、なんども言っていて、その概念によって具体的なものとなった建築を語ろうとせず、思考が介在するひとつの概念にすぎないんだということを全体として言っていた気がする。建築を言葉で覆い尽くすスペシャリストなんていないし、言葉のない建築なんてものも存在しない。建築を建てるという行為が、人を動かす概念を示唆出来る美学なんてものがあるんだと強く訴えられた二時間半でした。

建築 | Posted by simon at December 16, 2004 5:26 | Comments (5) | TrackBack (1)

図書館@金沢

玉川図書館フォトコンテスト参加
tmgwjoint.gif
読売新聞によると、たばこ工場を再生した近代史料館[別館]と、[本館]の二つで金沢市立玉川図書館になっている。ともに谷口事務所監修。異種の建築をつなぐ部分というのは、建築を見るときの醍醐味の一つだと思うのだけど、これは見た目もいけている。再生というと、ギブスっぽいビジュアルが目につくんだけど好きな感覚。構造的に連結しているかまでは、分からなかったが、動線は連結しているようだ。実は、月曜日に行ったので中に入れていない。

外装の鉄板の内側は、別館と同じ煉瓦です。
tmgwtex.gif

建築 | Posted by simon at December 15, 2004 21:21 | Comments (0) | TrackBack (0)

窓ふき

京都駅とシアトル中央図書館
KYTsouzi1.gif
メンテナンスの視点で建築を見ると、たまにおもしろい発見がある。ものとしてのサスティナビリティをまじめに考えると、自分がつくりたい建築を妄想しながら、こんな風景もを浮かべてしまう私。高所が苦手なので見ているだけで十分ですが(笑)

別のアングル
KYTsouzi2.gif

建築 | Posted by simon at December 15, 2004 3:11 | Comments (0) | TrackBack (1)

都市と住居をつなげてみる

牟礼
MURE.gif

不穏な空。大地に参加する墓。崩れないように積み重なる石。奥へのびる道。浅い家型の家々。粒の細かい土色。車。それらがまとまった三色に見えるボーダーの構図の写真。感性の露出していないblogへの警鐘が届かない昨今。徹底抗戦するか。大川先生が最近、象の富田玲子さんの家に行かれたらしい。なんとM1住まい。藤森邸は、すでにないと聞いていたのでぜひ見てみたい。富田邸を見て、ここまでと言わしめるまで使いこなしている。という話を聞くと、ぽ建築は、M1が持つ構造と比べて、大げさな視座の上に立とうとしていない。建築という技術を世の中で使えるところにあてがっていこう。建築という規模を裁量する中に見いだす感性をあてがっていこう。という、ところなのだろうか。否定的に書いているが、どちらかというと教祖的なシンボル性が気になって書いている。稲垣栄三の朝日新聞に載っているコラムに、座敷の喪失は手作りの創造的な儀礼や祝賀の機会を住居から奪い、住居における祝祭と呼応した高揚が、リズムとなって都市の祝祭的な賑わいに繋がっていたと指摘している。おもしろい。建築と言うまでも住居に対する愛着行為が、住まいの中のヒエラルキーを伴う中で、座敷に物を置かないドメスティックランドスケープをつくりだしていた。そのコラムの始めに、「近頃の平均的な都市住宅は、居間 食堂 台所を中心として、六畳程度の広さをもつ個室がいくつか付属するという形にほぼ定着したかのように見える(〜)ひとまず快適な生活を送る条件が整う。その上で多くの家庭用電化製品、家具そのほかさまざまのモノが配置され、部屋の機能と利便性が一層明快に発揮される。住居におけるモノの氾濫は最近の住居で無視できない傾向であって、生活空間は建築によって与えられるよりモノの種類と配置によって決定されているといっても過言ではあるまい」と書いている。どこかで聞いたことあるフレーズだが、煮え切らないユニオンのコンペ案を見ながら、んー。機能的な欲求から生まれたものを整理することよりも、かつての住居が持つ祝祭性を壊したような、社会の大きな枠組みを変えられる提案が出来ないかと思ってしまう。今、M1のような箱の家をつくっても、モダンなように見えるモノがいいとされている風潮にのってしまうだけで、室内風景は良くならないし、案を見ていると室内風景をつくることが前倒しで、住んでみたいというのとは話が違う。元倉さんのを見ると象徴的にはめているだけ話が違う、コストも高い。愛着があれば→モノが整理されるという単純な図式でもないし。空間を作り込んでいく→愛着を持つというのも、建築の規模を規定してしまう気がする。課題で、創造的な手作りの祝祭性が取り扱える規模の建築を提案したいのかもしれない。都市と住居の空間を繋げて考えるのは楽しい。

建築 | Posted by simon at December 7, 2004 17:30 | Comments (2) | TrackBack (0)

市民のターミナル@時雨の広坂

「21世紀の出会いー共鳴、ここ・から」@金沢21世紀美術館で感じたこと。いいものを体験する意見を言う。本当に、こころとからだに内在している感性を、二重の身体(原始的な肉体としての身体と情報としての身体)を行き来しながら揺さぶられた。

LSKNZW21B.gif

円を構成するガラスは意外に単調。プランが可能ならば外部の貫通通路などを通して表情をつくってもよいかと思った。コンペ直後のイメージで、せじまさんが言っていた、自由曲線の方がよかったのかもしれない。鬼石町のプロジェクトはコンペ時とだいぶ変わったが、ガラスの曲げパターンをいくつかつくりコスト的にもクリア可能な曲面を描いている。メインアプローチおぼしきところは、アクティビティーが豊かなライブラリーやカフェが配されていて耐えられるが、裏が丸出しになっているところも少なくなかった。また、見通せる通路のプロポーションで決まったであろう天井も結構高く、その高さでファサードのガラスが構成されおり、遠くから見るとちょっとめざとい。風景が映り込んでいると言うより、内部で多用されているガラスとレイヤーをなしてしまい、くすんでしまっている。抽象的な白は、ひたひたと音を立てるように汚れ始めている。メンテナンスが大変そうだ。インテリアも気になった。今後使い込んでいく中で解決する程度かもしれないが、チケットカウンター周辺はなんだかおちつかない。地下はふつう。いくつかある中庭から眺めるとアートが展示されていないアングルも多く、アートがあってというのが成功しているとも言えるが、建築がもう少し自律できたのかとも思う。中庭もガラスがうるさい。空間に潜む狂気は察することが出来たのか?初めてタイムリーな状態で見たので、正確にはわからない。突き抜ける瞬間を、ブレのニュートン記念館を喚起させる112.5mという円の巨大さが、全てを飲み込んでしまったのだろうか。もっとよくなるんじゃないかと想像をかき立てられる建築だ。

RAPA.gifKNTU.gif

建築が良いという印象よりも、いい美術館だということを感じられた。休館日も開いていて、有料の区画以外は自由に入れる。金沢も美術館の建つ城下町が栄えており、僕は無料のロッカーに重たい荷物を置いて、トイレや、休憩に美術館に戻っていた。ここが、行動の起点となるようなパターンを自然に演じていた。夜は10時まで開いていて21世紀と、いうだけある。今後、みんなさわっていた無料区画の展示物の破損や、あまり好ましくない方が住み着いてしまう事によって、その魅力を収縮して欲しくない。「広坂芸術街」というタイトルでコンペを行っただけあり、開かれているのはいいのだが、中心の有料エリアの外側に、無料エリアがあって、さらに外側に休日立ち入られないところがあったりと、中に入ると妙に閑散としている感覚がさみしい。休館日も一番外側にあるカフェとライブラリーを開けて欲しい。一方、日曜日の昼間。(僕にとっては)かつて遊園地に家族連れでくるような感覚で市民が集まっていた。体験的な展示が多く、列をなすこともあり、はじめはあまり集中できなかったが、夕方以降は、家族連れが引き楽しめた。休館日に入れることを知らずに急いで見たところもあったので、もう少しゆっくり楽しみたかった。静寂と喧騒。雨天と晴天。夜と昼。建築が持つポリフォニーを街の体験の中で連続的に感じられ、この経験は貴重だった。

GAのプレオープンの写真にミツPコが載ってる。
LSKNZW21.gif
*補足1 この時期、日本海側で雨が降ったりやんだりするのは「時雨」と言うそうです。
*補足2 21世紀美術館のHPを見ると、有料ゾーンだけが月曜日休みのようです。他のサービスは10時〜22時まで。
*補足3 建物の高さ4mは、二辺支持で自立できる大きさのガラスと作品の搬入に必要な高さから決まったと建築文化で述べています。

建築, art | Posted by simon at November 23, 2004 19:00 | Comments (15) | TrackBack (10)

矩形の森

KKnMRI.gifKNZWDETAIL.gif
矩形の森をさまよう。貫通通路が場所のイメージをつくると思いきや始めは結構迷う。ガラスとアクリル間仕切りの取り合い。ガラスと天井の取り合い。

建築 | Posted by simon at November 23, 2004 18:38 | Comments (0) | TrackBack (0)

建築と風景が乳化する瞬間

天候がめまぐるしく変わる中、垣間見えた瞬間。
Rglas.gifTRRLL.gif
風景が映り込むガラスと、雨上がりにタレルウィンドウが写り込んでいた床石。

建築 | Posted by simon at November 23, 2004 18:22 | Comments (3) | TrackBack (0)

 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | ALL