国際設計競技に勝つ

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JAKOB+MACFARLANEにおける僕の初担当プロジェクトが
国際設計競技で1位を獲得した。
現在、プロジェクトの実現に向け、市との調整が始まっている。

それに合わせて、Pavillon De L’Arsenal(日本で言うギャラリー間)で
上位11案のプレゼンテーションと模型が展示されている。
そこにはFuture Systemsやフランスの若手建築家Manuelle Gautrandの名前もあった。

設計競技の概要をさっと書いてみると、
セーヌ川左岸再整備プロジェクトの一つで、
国立図書館近くの川岸に
昔、倉庫として使われていた12000平米の建物が建っている。
セーヌ川に開きながら、商業施設、文化施設等、レジャープレイスを
この建物の躯体を活用して構築するのがパリ市からの要求。
躯体を利用するのは、セーヌの水運で発展してきたした「パリの記憶」を
オブジェクトとして継承しようとするものだ。
内部の諸施設は、今後の市との協議で変更があると思う。

圧倒的な敷地の特性(セーヌ川との関係)と
特殊な既存躯体を残した改修計画と言った強いコンテクストに導かれ、
どの案も方向性が非常に似ている。
躯体は、セーヌ川に平行して細長く伸びており、
川の直角方向には4つのスパンを持っている。
「川と直角方向の4スパンに異なる機能、または形態をパラレルに並べた案」
もしくは、
「躯体を皮膜でまるごと包み込み、その皮膜が設定条件によって変形していく」
というのが、だいたい全ての案が持っている方向性。

僕らの案は後者に属していて、動脈のように躯体から皮膜が盛り上がり
そこが館内の動線や屋上レストランのサービススペースになるというもの。
JAKOB+MACFARLANEの作品Restaurant GEORGE(Centre Pompidou内)の
床面の一方向への形態操作を、屋根面・外壁面の3次元方向への形態操作に
拡張したものだと言えるのかもしれない。

パリ市内、もしくは周辺の巨大プロジェクトが立て続けに、
変更、中止されているだけに僕らのプロジェクトの行く末が心配だ。
「この案は実現するのだろうかと」と不安になってしまう。

Architecture Space / 建築, Event Lecture / イベント, News / 新着情報, Paris / パリ, Urbanism_City / 都市 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 5 30, 2005 8:42


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» 安藤案も建設中止 from sugawara
Excerpt: ここで僕が心配している理由として、 DES HALLESの設計競技のゴタゴタに加...

Tracked: 2005年05月30日 10:04




Comments

今回の展示は「改修」というものが持つ
既存の強いコンテクストを拡張する「プロジェクト」の可能性と
既存の強いコンテクストによって狭小化される「思考」の可能性
を同時に示していた。

実社会の中で
コンテクストとプロジェクトの関係をどこまで「漂白」し、
それを建築の可能性に反映させ「構築」していくか。
この設計競技の経過を見ていて、
これは非常に重要かつ難しい問題だと思った。

「改修」は日本においても主題になりつつあるのだから(と信じたい)
簡単にリージョナリズムに回収されてしまわないような
「漂白」と「構築」を考えてみたい。

Posted by sugawara at 2005年05月30日 09:17

まずは、おめでとうございますですね。

安藤さんのニュースは一般紙でも報道され、ちょっとした衝撃でした。
東京駅のステーションギャラリーでのピノー美術館のCG、ガラスの原寸モックアップ、力の入った模型の展示をみれば、だれもが、なみなみならぬ力を注いでいたことを感じずにいられないものでした。残念としか言えません。

次の話題。偶然、リニアな敷地のプロジェクトが多く、もういいよ。なんて、ゼミで会話していたので、僕としては、そういう点でタイムリーなんですが。そこで言わんとしてるのは、内部空間を構成する興味より、外部にはじけているような状態のことを指していて、ひとつの風潮なのかもしれないなんて。ちょっと考えていました。都市にユートピアを見いだす教育を受けていたtkmyさんの世代は、理論とあまりにも乖離した猥雑な都市への抵抗から内部を豊かに。というスタンスは理解できるところ。MoMAが特徴的で、引きで全体を見ることができないほど都市が過密なので、ぐっと内部空間を豊かにしたかったという背景があり。内部空間への興味がない時分が、なんとなく鮮やかな傾向に見えたのでした。

と、個人的な背景はよしとして、sugawaraさんの案は写真で言うとどれにあたるのでしょうか?模型を作らないスタジオなので右下でしょうか?

sugawaraさんのこのコンペにおける戦略のための問題設定、整然としいて理解できます。一点だけちょっと聞いてみたいことが。うまく表現できているか分かりませんが。
プロジェクトが示唆する多様な可能性とコンテクストが持つ狭小性の落差を、漂白していくモチベーションがどこへ向かわせたのでしょうか?「形態への興味」へ繋がっていったのでしょうか。それとも「問題を解く方法論」へつながっていったのでしょうか。もしくは同時に存在した興味だったのか、全く違うのか。

さいごに、日本においても、改修への興味というのは確かに高まっていると思います。とりあえず、残せばOK。残せば、歴史が深いなんていう社会の中での評価軸が一人歩きしかねない議題だと思うので、改修における議論はますます活発になるはず。その一方で、家を建てるということにはじまり、都市へ手を加え続ける行為というのは、日本の場合、スクラップアンドビルドの循環を効率化していくとう方向へ向かうことが大きな流れになると思っています。ひとたび窓を開ければ埋め尽くされている創意のないマンションやオフィスビルがこのまま生きながらえるとは思えない。また、地震の可能性がないとはいえない。果たして、なにが社会資産として継承されていくのか。実は、材料メーカーが作る既製品によって、見えている部分は埋め尽くされていて、風景は材料メーカーレベルによってコントロールされてるのではなんて話も。笑。と、脱線気味なので、雑感を。モダニズムの建築が、次々に償却期間をむかえ、日本的な改修の議論というのが高まりつつあると思います。その象徴的な旗頭が一連の同潤会アパートかもしれないななんて、ふと思いました。

Posted by simon at 2005年05月31日 05:16

今頃、返信。

僕らの案は左上の案。
スタディーはCGでも展覧会やクライアントに渡す最終案の模型は模型屋さんに頼んで作ってもらいます。

漂白していくモチベーションは「形態への興味」と「問題を解く方法論」の両方です。

改修関係の場合なんて特に、環境そのまま見すぎると身動きが取れなくなるんです。個人的には。
環境の様々な要素を漂白することで自由になったり、「見えなかった可能性」が見えてくるときがある。

今回の案では、既存の建物を「通り芯」=線の存在まで漂白しています。 その線が節々でどんどん分岐して開いていく。こうして発生した線群が「形態」や「機能」との間に特殊な関係を結んでいる。
ルノーセンターも、工場のノコギリ屋根を屋根ではなく、その「形態」を持ったひとつの「物」としてみている。この「物」×それ以外の要素と言う見方から最終的な在り方が導き出されている。

と書いてみました。

これが、答えになってると良いんですが。

Posted by sugawara at 2005年09月12日 08:00