空間を超えたい

空間が問題を示唆するきっかけとなったり
空間によって目指していた統合される瞬間にたどり着くことができたり
長い時間をかけて立ち向かう力を与え続けてくれる理想とする空間があったり
空間によって新しい地平の断片がたち現れてきたとされている。
しかし、その集積によって出来ている都市には何が残されているのだろうか?
メタ(都市もしくは郊外)とベタ(空間の使い手)のつじつまがあわないまま、すでにある空間に対する反動をたよりに空間を生み落とす、という危険な循環に埋没しているように思う。(どこに感じるかは整理したいと思う)
空間における擬慢性ばかりが目につくようになってきたのではないか。だから、超える指標を必要としている。という仮説を強化できる理論と実践を進めていきたいと強く思った。
様式を信仰していた19世紀の次に、空間を追い続けてきた20世紀があったという、リファレンスすべき歴史があるという慎也さんの指摘いただきます。

日記 | at March 11, 2006 4:09

Comments

たまには、このblogにも議論するような空気を残さないといけないので、ちょっと続けてみる。
歴史に関する指摘については、僕ではなくtadokoroさん。
考え方としては、「空間を超え」るわけではないのだと思う。様式という価値観によって建築が作られていた頃、そこに空間が無かったというわけではない。20世紀より前の建築にだって、空間があったことは周知の事実。しかし、空間という価値観が認識されていなかったというだけ。むしろ、「空間」という言葉が発見されたため、20世紀以降の建築が空間という価値観によって作られるようになったのではないかと思う。それは意識されるようになったというだけで、初めからあったのではないだろうか?
そうだとすると、次に続くかもしれない新しい価値観は、既に現在の建築の中に組み込まれている。それを指し示す言葉を発見することが重要なのではないだろうか。こうまとめると、ちょっと立衛さんみたいかな?

Posted by satohshinya at March 11, 2006 7:09 AM

議論をするというより、思い出しながら書く。
先頭の三行は、経験から得たものなので、空間が必要ないとは、言えない。しかし、空間を追求するという目的を一旦外してもいいくらい、もっと重要なことがあるのではないかと、ふと思うことがある。例えば、空間が集積した結果の都市に対して疑問を思わずにはいられない。打開する流れをつくるためにメタとベタを往復する運動体になりたいというのは、素直な考えだと思っている。
中村政人さんの話があがっていたけれど、ぼくの図式に置き換えるならば、かれはベタ発のアーティストでメタへの興味を持っている状況にあり、同時に実践という軸足を携帯していることになる。それに対する明快な建築的な態度として、メタ発の視座があってベタへの興味というのが、40代の建築家(みかんやBow-Wow)に対する僕の見方。しかし、どうやら60代の建築家に対する反動でしかなく、実行力のある実践を得られない、不満足なまま、現状に至っているという雰囲気を感じている。
ところで、空間の次につづくであろう言葉の発見は結果的、もしくは偶然でしかないと思っている。ただの勘だけど、勘を頼りに歴史をリファレンスし、実践におけるフィードバックの物差しを蓄積したり、理論の発見によって共有項を探っていったりってのが、知的なフィールドを駆ける態度だから。立衛さんのメイド室の復活(ソースを忘れた)なんて話からもわかるように、強引だけどまずは勘で突っ走るってのはいいなぁ。それそれって感じ。

Posted by simon at March 13, 2006 1:56 AM