岡本太郎が震災に示すもの。JP only
近代美術館で開催されている岡本太郎展に行ってきた。
「今日の芸術」を手にして以来、気になっていた岡本氏の存在。本展覧会では、全ての人が共感できる「己の生業」に対する態度が伝わってきた。未曾有の震災で価値観が一変し、行動を継続的に起こすべき今、僕なりの三つのヒントが見えた気がする。
・専門家の基礎体力
・業態間を超越すること
・今×歴史の時間感覚
・専門家の基礎体力
人の心を揺さぶり「なんだ、これは?」いという感覚を引き出す作品群。はっきりいって、僕は好きではない。しかし、重要なことは彼が「こんなものしかできなかった」のではなく、「これをすることを選んだ」ということ。
展示作品の中に、兵役時に書いた肖像画が飾られていた。その絵は非常に繊細で写実的。土偶のような作品群とは明らかな対をなす。何か新しい物事を実現するとき、「自己哲学」や「アイデア」はとても大切。しかし、この絵が示すのは、何かを成し遂げるためには物事の基礎となる専門家としての「着実な基礎体力」が不可欠であるということ。岡本太郎に衝撃を与えたピカソも、偉大な建築家も、イチローも、しっかりした基礎練習を積み、盤石な基礎体力で「時代の遠く」に跳んでいる。
・業態間を超越すること
彼の名言、「職業は人間」。一見変わった返答だが、実際に一言で表そうとするとみんなが戸惑ってしまう。画家、彫刻家、プロダクトデザイナー、家具デザイナー、民俗学者、作家・・・・。それを示すように、展覧会では様々な作品が展示されている。一言で捉えきれない歴史上の人物がすぐに思い浮かぶ。それは「レオナルド・ダビンチ」。彼もまた様々な業態間をヒョイッと飛び越え様々なモノづくりをしていた。彼らに共通しているのは入り組んだ世の中から本質を見抜き、業態を超越した提案ができるところ。
東日本を中心にみんなが「価値観が一転した」と感じる今、次世代の本質を見抜き、本当に必要なモノと価値を提案できる国民性が大事になってくる。
・今×歴史の時間感覚
彼は歴史的時間感覚で「今」を見つめ、「生き物として・人間として」何をすべきかを探求する天才であった。日本の伝統つぶさに観察する民俗学の研究や、「縄文」に刺激を受けた一連の作品はこれを示している。 その象徴的な例は彼の代表作「太陽の塔」内部。「生命の樹」だろう。六か月で6400万人の来場者を集めた「大阪万国博覧会」の中心に聳え立ち、生命の誕生から現在に至る進化の歴史が展示されていた。歴史×今の眼差しを持っていたからこそ、「高度経済成長期」の真っただ中で、時代の空気に反する「物質文明の限界」を高らかに明言できたのだろう。広大な万博公園に今も聳え立つ「太陽の塔」。その存在は、時代に流されることなく、歴史的時間感覚で意味や価値を見抜く大事さを証明している。
震災後、価値観が一変しつつも明確な方向性が見いだせない現在。「専門家としての基礎体力、業態間を超越すること、今×歴史の時間感覚」を再確認し、人間として日々必死に生きていくこと。
それが積み上がった先に、「次世代の価値観」が見えてくるのかもしれない。
Art / 美術 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 5 5, 2011 17:04
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