たのしみたい

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風景 | Posted by simon at May 29, 2005 14:01 | Comments (3) | TrackBack (0)

イサムの墓

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先日、カプ マルタンのコルビジェの墓をエントリーしましたが、今回は牟礼のイサム ノグチの墓。そこに行くと、それぞれの思いが、不思議と行動に出てしまう。牟礼の場合は、彼のライフワークを堪能した後に、大地と一体となった彼の美学に心打たれる。彫刻と風景(環境)を切り離すことが出来ない。それを、自らの身体をもって体現したのだ。しかし、妙に偉そうなポーズだなぁ。征服感たっぷり?(笑)

風景 | Posted by simon at March 18, 2005 4:28 | Comments (0) | TrackBack (0)

名残のある風景

市電跡 大宮通り七条下ル
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LINK:simon:かたい空間


「建築における日本的な風景をつくる制度は開発可能なのか」
ーPM・CM方式を通しての考察ー

 PM(プロジェクト・マネジメント)は、もともと米軍が第二次世界大戦で、マンハッタン計画という原子爆弾の開発プロジェクトを切り盛りする時に、「最小のコストと時間で高性能」な原爆を作るために、開発した大きなプロジェクトの推進管理手法という発祥を持つ。CM(コンストラクション・マネジメント)もまたアメリカで確立したプロジェクト実施方式だ。30年前アメリカでは、プロジェクトが大規模化、複雑化するのに伴い、工事遅延、予算超過が乱発し、それらを防止する目的で、マネジメントを専門に行う主体として、設けたのが始まり。
 しかし、現在、それらの方式が持つ意味は、歴史的なコンテクストは違えど、事業の推進を得意とするPM、工事の切り回しが得意なCM(施設の管理が得意なFM)。と言った、それぞれの方式が持つ発想の着眼が派生し、建築全体のマネージメントへ発展したものになっている。どの方式も、施主と一体となって良い建築を目指すという、表だった目標は同じものの、ネーミングが似ていることもあり、差異を認識しづらい。施主(発注者)が自分の希望する建築の性格に合わせて、それらのマネージャーを選択する。と、いうのも混乱をまねく原因になると思われる。日本における大型のプロジェクトの推進手法は、これから開発していかなくてはならない。というのが、今日抱える論点である。
 建築におけるCMやPMと言った、日本的な管理方式のスキルを育てるにあたり、社会的な命題としては、魅力的な日本の風景をつくる。と言うことがそれに、値するのではないだろうか。都市計画や、アーバンデザインという概念は、全世紀において、建築家が放棄せざるえなかった分野であると言ってよい。何一つ実現せず、「中銀カプセルタワー」のような派生した建築や、「横浜市の都市デザイン室」というような制度が形骸化して残っているだけで、社会に対する訴求力は、現時点では失われている。
 魅力的な都市を開発していくためには、建築家が関わらなくても、ほとんどの建築が建っているという現実の中、それ以外の9割以上の建築を見捨てていては、一向に日本が持つ風景は良くならない。その指標たるものとして、ヨーロッパのような歴史的な象徴性をセレブレートする風土を受け入れようにも、地震や戦争によって都市をリセットする歴史を背負う日本において、その概念のみによって具体的なアイデアを生むことは、難しい。また、湿度の高い日本において、300年も400年も持つような建築を、作ることは現実的には不可能で、再構築していく中で、都市が持つイメージを培って行く必要がある。また、アメリカのような建築が引き起こす問題すべてを、訴訟に持ち込む風土から生まれたCMやPMを全うに受けていては、それらが日本における風景を創造するにあたり、頭の痛い制度になりかねない。
 縦割り行政の性格上、都市の骨格(ファシリティ)である河川、高速、公園、海岸などは、デザインという価値が存在しなかった土木という分野が責任を負ってきた。もちろん、壊れない骨格を作るという理念に基づき、国土を作るという責務は全うしている。しかし、それのみで都市や国土が覆われており、その上に建つように見えてしまう、建築単体では、社会に対してクリティカルな視点が問えなくなってきていると言っても過言ではない。
 では、どこに「日本の風景をつくる」可能性があるのだろうか。それは、誰もみたことがない地平であり、非常に可能性がある方法論として、今世紀確立していく大きな目標になると考えている。継続して、建築家が建築を建てることも必要だが、もうすこし手前で、従前なる制度をデザインする。というスタンスで再構築も必要だと思う。そこで、ゼネコンが培ってきた技術や組織力、行政への働きかけといったスキルを、建築、土木、行政と言ったフレームを横断し、PMやCMの導入という口実を利用して、開発可能な人材と、社会を作ろうとしている。それらが、どこへシフトしていくかは注意深く見ていく必要があると思うが、建築家が作る建築がただの、ぼやきに。制度がこれ以上の創意の弊害にならぬよう。建築に携わる人たちで、社会に働きかけて行かなくてはならないのは確かだと思う。
 最後に、論点を分かりやすくするために、建築家とゼネコンという二項対立の構図をひいたわけだが、建築家が都市を創造することがあるべきであり、ゼネコンがマンパワーのアイデアを世に問う姿勢を持ち直すべきだと思う。僕は、風景をつくる。都市をデザインする。街をつくる。という事に興味が沸いている。

このエントリーは、
「建築マネジメントの実践p20〜47 日刊建設工業新聞 小菅哲」
「国土交通省 マネジメント技術活用方式試行評価研究会に関するHP」
建築家 塚本由晴、リノベーションについて語る。」を参照しています。

建築, 風景 | Posted by simon at January 27, 2005 18:53 | Comments (0) | TrackBack (0)

ニュータウンの秋

桂坂
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もし、このくらい鮮やかな風景が、一年通して展開するならば
それとして、「美しい街並み」と言えるのかも、知れないなぁ。

建築, 風景 | Posted by simon at January 19, 2005 0:52 | Comments (0) | TrackBack (0)

ゆとりのある風景

THE HOTEL付近
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Luzernのジャンが改修したホテルの近くの公園で。
病んだエントリーが乱立したので、立て直しのためと写真の整理ついでに、いろいろ行ったところの写真をたまにウプ。ぷっ。と吹き出してしまいそうなスケールの駒(馬?)がどこから出てきたかは確認出来なかったが、日常的に行われていることを、石敷きの碁盤目が語っている。

風景 | Posted by simon at December 10, 2004 2:53 | Comments (0) | TrackBack (0)

均質な空気

まぎれもない船橋校舎の風景である。
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非装飾 標準化 平行配置といったモダンの王道を体現し、ソーシャルハウジングを彷彿させるような建物が、群れをなしている。美しくみえるのは、その時植えられたであろう、木々が成長し、建築がその意味を終え墓標のようにすら見えるバランスが、空間を凛とさせているからなのかもしれない。言い換えれば木さえ残れば、まるで建築がなくなってもいいじゃないかと。人を納得させる心配り。建築がグリッドを引いたのでもなく、道がグリッドを引いたのでもない、ここのマスタープランは、木が整然と並んでいることなのかも知れない。近代化とそれに反動的な態度に陥らず、外部に立つにはどうすればいいのだろうか。弱い建築なんて言っていてはいけない。訴求力のある風景から学ぶことは多い。

風景 | Posted by simon at December 1, 2004 19:27 | Comments (0) | TrackBack (0)

写り込む池@兼六園

水とガラスどちらがきれい?
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風景 | Posted by simon at November 23, 2004 18:21 | Comments (1) | TrackBack (0)

海を釣る人

天気もよく。きもちのよい海散歩だった。
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パンフォーカスのカメラではちと厳しかったが、きもちのよい写真なので。なごみ。

風景 | Posted by simon at November 18, 2004 1:37 | Comments (0) | TrackBack (1)

ヒルサイドスクランブル

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代官山は建築によって始まったまちです。
まちは道からも始まります。

実はコンペに結構出しているのだけど、当たらない。志水と大前と一緒に2003年にやりました。街角で出会うような日常的な感覚と、手にとるように把握は出来なくても、代官山に流れる時間も感じられて気持ちのよい提案だと思っています。簡単なしかけが、鮮やかな風景を描くことによって、そのギャップを伝えたい作品です。

自作, 風景 | Posted by simon at November 12, 2004 3:24 | Comments (0) | TrackBack (0)

地震がもたらす風景

毎日新聞より
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壮観なのだろうか、メディアを見て何を思うかどうか。自分の立場で何が言えるのか。考える機会を写真が伝えてくれる時もある。残念なのだろうか、この風景を見てうーんと、なんだかおもしろい絵だなと思ってしまった。この写真のスケールは明らかに風景を恣意的に(魅力的に見えるように)撮ろうとしていて、事実を正確に伝えようとしているのか曖昧だと思う。捌けていない実情は分かるが、地元の配送業者が配送のノウハウを市役所の人と共有して、活かそうとしている事実もある。一時的に蓄積してしまった、これだけの量が心の暖かみを表しているとも、とれるかも知れない。その一方で、何かできないかと、揺さぶられたりもした。

風景 | Posted by simon at November 11, 2004 23:47 | Comments (0) | TrackBack (1)

街の幕引き

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昨日まで営業していたお店が突然店を閉めている事実を目のまえにして 街が消えるストーリーを考えることは長い時間の中でリアリティのある事だと感じた。 アーケードはお店が並んでいることを前提に備えつけられたもので雨をよけて買い物をできるというメリットしかない。護岸のような土木的思考の構築物だ それ自体に関与する余地はない。商店自体は街に点在していて、目について空きを抱えたアーケード街にとって、維持することを考えると足かせにすら見える。群れになっていることで、にぎわうという幻想は、もはやはがされている。沈殿してしまっている街の気質を、サーキュレーションする発想が求められている。建築が本来的に備えているストラテジーと、アートが持つ事件性の間で切り口を探す。写真はおおまえがさ○もとくんに頼まれた写真をとりに走り回っていた場所。

建築, 風景 | Posted by simon at October 13, 2004 20:44 | Comments (0) | TrackBack (0)

京都駅

まぁこの建築は嫌いだった。
対極の存在だった。
しかし、だんだん好きになって、初めてぐるぐると周りたくなった。
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伊勢丹の中のエスカレータもすごい絵だが
ホテルグランビアのロビーからみた絵もなかなか周到なモノでした。
感性的には、さんまの言うすきときらいは360度で、実はくっついているみたいな話だったようだ(笑)

風景 | Posted by simon at August 10, 2004 4:43 | Comments (3) | TrackBack (0)

鴨川

のんちゃん撮影の割にいい絵だったので、載せてみた。
右が北山方面、後ろが植物園。目の前が鴨川。
都内にはない親水性は、確かに感じる。
背後に見える山並み
視界がぬけるシティスケープ
幾層もある高さの違う歩道
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たまには、うんちくずに感性だけで表現したい時もある。

風景 | Posted by simon at August 7, 2004 4:32 | Comments (0) | TrackBack (0)

木が突き抜けている家

>参照可能と思えるもの。妹島さんのヤコブセンの展示で製作したアクリルのオブジェ。同じく、妹島さんの「ひたち野リフレ」のガラスルーバーのファサード。原広司さんの「梅田スカイビル」のガラスファサードによる、空中庭園のアイディア。

せじまさんのはヤコブセンの記念展覧会のやつですよね。はらひろしは 調べる価値がありそうですねぇ。

>「厚みの違う一枚に見えるガラス」の指すもの。

ガラスの厚みを不規則にすることによってガラスを通した景色がゆがむことの面白さに光源氏のコンペの時からはまっていて↓
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↑このプランを曽我部さんに見せたらこの↓下の写真のやつに似てるっていわれた訳です(lacaton&vassal/fr)
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展開エレベーション↓
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>「厚みが違う」部分を持つ「一枚」の「ガラス」? 
>「厚みが違う」部分を持つが、「一枚」の平滑な面に「見えるガラス」? 
>「厚みが違う」複数枚の「ガラス」であるが、「一枚に見えるガラス」?

木割りとでも言うのでしょうか。一枚のガラスで構成することは不可能な大きさなのでガラスが分節されていく。その分節しているガラスそれぞれが 厚みの違うものによって構成されていて 全体の一枚のガラスとして 表情を豊かにする。その一枚のガラスが 部分で抜けているところもあれば。ボリュームが陥入していたりという話。

妄想, 建築, 自作, 風景 | Posted by simon at June 22, 2003 20:00 | Comments (1) | TrackBack (0)

風景のフレーミング

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妄想, 建築, 風景 | Posted by simon at June 22, 2003 19:55 | Comments (1) | TrackBack (1)

厚みの違うガラス

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厚みの違う一枚に見えるガラス

妄想, 建築, 風景 | Posted by simon at June 21, 2003 12:30 | Comments (1) | TrackBack (0)

imageの提出

駅をはじめ 住宅 商業施設 公園
そして 今回の計画全てにおいて
どういった場をつくろうかという話には そもそも関わることができない
これらが相互に関連せず無秩序に配置されている風景が
傲慢に出来上がらんばかりの舞台の上で
踊らされるわけには いかない。

この舞台を「いわゆる建築」のコンペティションではないと読み替える。
新しい もの こと を創造しようという機会であり
(都市計画による 建築家による 土木による ランドスケープやら 建築やらの)フレームを越えた
横断的な解釈と提案が 鮮やなインスピレーションを与える。
その解釈と提案を 「うれしい環境」と呼ぼう。

ここにガラスをたてる。

風景を 描こうとしているだけ ではない。
光景を 望もうとしているだけ ではない。
建築を 構築しようとしている のではない。
介入することにより 人々に 大地に 建築に「うれしい環境」を望み
記憶の中をデザインしようとしている。

美しい山並みを望むことが出来る敷地において
人々が見えること
山並みが見えること
ガラスが見えること
人々と山並みとガラスが重なって見えること
人々が強調されること
山並みが強調されること
ガラスが強調されること
光の中に人々が引き込まれること
光の中に山並みが消えようとすること、立ち現れようとすること
光の中にガラスが溶融すること
晴れだろうと 雨だろうと 曇りだろうと 雪の日だろうと その日その日の「やさしい環境」を 描く。

その全てを「やさしい環境」と呼び ガラスをたてることによって獲得する。

すべてが曖昧なバランスの中で
ここ(安中)という そのもの(アイデンティティ)として 人々に美しい印象を与える。

妄想, 建築, 風景 | Posted by simon at June 21, 2003 12:00 | Comments (3) | TrackBack (0)

first impression

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現状
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介入後

妄想, 建築, 風景 | Posted by simon at June 20, 2003 12:00 | Comments (1) | TrackBack (0)

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