キム・ドンウォン『送還日記』

 先月中旬に、これもずっと観たかった『送還日記』を観ました。渋谷シネアミューズにて(観客は20人もいませんでした……)。これはもう公開前……っていうか、1年くらい前から森達也さん綿井健陽さんがオススメしまくっていたもので、おふたりは2003年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で観て衝撃を受けまくった、という作品。

 実際に自分で足を運んで観るのがいちばん早いと思うので色々と書きませんが、これはひとりでも多くの人に観てほしい作品。全然理解が出来ないこともたくさんあるけれど、あらゆる立場、運命、生活に翻弄された人々ひとりひとりのドキュメントが凝縮されている。北のスパイの非転向長期囚、南出身でアカの活動家として収容された非転向長期囚、北のスパイで収容所の拷問に耐えられなくて転向した人、柔和な人、頑固者、陽気にふるまう人……同じ“長期囚”で括られていても、それぞれが少しずつ違った感情で祖国統一のために運動していた。

 まあでも圧倒的に頑固者が多いですよね。私は塩見孝也氏のマルクス・レーニン主義弾丸トークに慣れているので、みんな塩見さんに見えました(笑)。これだけ大勢で議論し出すと、まわりの人はうっとおしくて面倒だろうなあとは思いますが、彼らはそれに人生かけちゃったわけで。そのことにまず圧倒される。

 あと、このキム・ドンウォンという監督はとっても正直だなあと思いました。思いっきり自分も物語の渦に巻き込まれてるというのを自覚し(むしろ自ら飛び込んでいった)、それを自分の口から明言もし、翻弄されたり感動したりしてた。それはドキュメンタリー映画として非常に危うい歩みなんだけど、その監督の姿こそが、緊張感あふれる全編を通して唯一ホッとするような、ちょっぴり温かいものがあって好印象。そこがこの作品の救いにもなってるような気がします。まあ複雑な部分もあるにしろ。

 映画パンフレットにも書かれているんですが、森達也さんが山ドキで『A』を上映した後、キム監督が寄ってきて、オウム信者に対して公安が転び公防(ようするに不当逮捕)をかけた瞬間をビデオに撮っていながら、なぜそれを証拠として警察に提出するのをためらったんだ、と聞いてきたそうです。森さんは『A』を撮るときに、できるだけ中立な立場(主観/客観うんぬんは置いておいて)にいようと決心していて、証拠としてVTRを提出するとオウム側に寄ってしまうことになり、作品として成り立たないと判断してためらっていたんですね(結局出したけど)。

 そこがキム監督と圧倒的に違うところで。しかもキム監督がそういう質問をした理由が、この作品を観ると完全に理解できました。なるべく中立であろうとした『A』の森さん、中立であろうとしたけど完全に巻き込まれて引っ掻き回してしまった『スティーヴィー』の監督、そして最初から自分の思い丸出しで飛び込んでいった『送還日記』のキム監督。どれがいちばん“ドキュメント”かと言うと、この『送還日記』じゃないかなあと私は思いました。

 と、長くなりましたがとにかく『送還日記』は必見。『スティーヴィー』といい『送還日記』といい、今年はいいドキュメンタリーが映画館で観れて嬉しいです。つーか、山ドキ行けばいいのか。今年こそ行きたいけど無理かなあ……。

ちーねま | Posted by at 4 5, 2006 17:34 | TrackBack (0)

スティーヴ・ジェイムス『スティーヴィ-』

 先月のあたまに、ずっと観たかったスティーヴ・ジェイムス監督『スティーヴィ-』(2003年山形国際ドキュメンタリー最優秀賞)を観てきました。ポレポレ東中野にて。観客は私を入れて9人……。あらすじは公式サイトで見てみて下さい。

 いやあ……まいりました。突きつけられた。なんていうか……タイヘンです。

 アメリカの貧しい田舎町のドキュメントなので、最初はもうなんか登場人物たちの発言の無知さ、無教養さに呆れ返っていたんですけどね。家庭不和や幼児虐待、軽犯罪などの根源というのは「無知だからでしょ。きちんとした教育を与えればマシになるだろうが」と思いながら観ていて。

 たとえば(以下、ネタバレ)。

 スティーヴィーの彼女が身体障害者で、その母親は娘がスティーヴィーと付き合うのをヨシとしてないんですね。で、娘の前で「こういう子供だから、そりゃ(結婚相手を探すのに)妥協もするけど、さすがに彼はねえ……」みたいなことを平気で言うんですよ。なにそれ! っていう。この母親の馬鹿さというか、配慮のなさ加減とかって何から来てるんだろうと。生活に困窮していて、障害者である娘(とはいえ、スティーヴィーの彼女は軽度の障害だと思う。聡明だし、前向きな子です)を抱え、必死に生きてきたとしても……これはナイだろうと。

 スティーヴィーが小さい頃、酒に溺れて子供を虐待しまくってた母親が今になってキリスト教の教会に通ってるんだけど、その教会っていうのがものすごく胡散臭いのです。神父の説教もマイクで絶叫、みたいな。「アーメン!」「わー!」みたいな。教会に通っておけば死んだらみんな神の御許に行けて救われますっ! みたいな。で、みんな本気で信じてる(ま、多かれ少なかれ宗教っていうものは選民意識の塊みたいなもんですけど)。それまで教会なんかに行ったことがないスティーヴィーなのに、簡単に洗礼させちゃって(普通、幼児洗礼以外でカトリックの洗礼を受けるときはかなり勉強しないといけないですよね)、「今日からあなたは生まれ変わります!」「わー!」「おー!」「アーメン!」と絶叫、みたいな。

 そんな具合にドキュメンタリーは進むので、「こりゃアメリカ中西部にいるキリスト教原理主義のブッシュ信者たちと同じだな。無知だから貧しくて、それを自覚してないんだから良くなるわけないじゃん。この監督も無責任だなあ」なんて半ばウンザリしながら観ていたんだけど、ドキュメンタリーが進行していく中でのスティーヴィーの言動、表情、そしてスティーヴィーの彼女の言葉などがチクリチクリと突き刺さってきて、「どんなにいかがわしくても、スティーヴィーはこんな瞳で神父を見つめてて、救済されてるんだ……これが事実だし、真実だよなあ」と、なんかもう切ないし息苦しいしで大変でした。

 はっきり言ってこの映画監督のスタンスには疑問もあるし、スティーヴィーを取り巻く人間たちにもまったく同情は出来ない。それぞれが圧倒的に“人間”で、常に身勝手だし、偽善的な部分もあからさまだし、ものすごい揺らいでいる。「オマエたちこそが加害者だろうが!」と言ってやりたいくらいなんだけど、これこそがドキュメンタリーだなあと。私だって彼らと同じく、モロに“人間”で、身勝手で、偽善的な部分もあって、ものすごく揺らいでいる。
 そのなかでスティーヴィーとその彼女だけが、非常に純粋だったのがもう切なくてたまらなかった。特にスティーヴィーの純粋さ、というか、不憫さは痛々しすぎて悲しくなる。なんで彼はもうちょっと“人間”らしく生きられなかったのか。10年前にビッグ・ブラザーだったこの映画監督が去っていったときも、最初の里親が去っていったときも、「(仕事の都合で去っていくのだから)しょうがない。仕事だから」と寂しく受け入れるスティーヴィーの気遣いと優しさ。スティーヴィーが犯した犯罪の被害者(の母)である叔母を、スティーヴィーにナイショでインタビューしていた映画監督を寂しそうに「別に怒ってないよ」と受け入れるスティーヴィー。

 まわりの偽善がどれだけ彼を傷つけたか、よく考えて欲しいと思った。特にこの監督。被害者の母には「僕は彼を味方しようと思ってないし、中立な立場であなたの話を聞きたい」とか言っておきながら、スティーヴィーには「性格証人で法廷に立ってもいい。僕はキミの味方だ」と言う。性犯罪者のセラピーをやってるこの監督の奥さんも、スティーヴィーをひどく気遣っているけど絶対に(3人の子供がいる)自宅に泊めようとはしない。最初の里親も、わが子のように扱いながらも結局は去っていった。叔母も「あの子は可哀想な子だ」と言いながら、手を差し伸べなかった。

 この中途半端な偽善がどれだけ人を傷つけるか。問題は貧しさや無知とかではなく、この“偽善”というものだった気がした。中途半端に希望を与えるくらいなら、最初から何も与えないほうがいい。日常をわりと問題なく生きれるような普通の“人間”である私たちは見過ごしてしまう(そして時間が経ったら忘れてしまう)ような小さな希望でも、スティーヴィーのような(たとえると、常に薄く氷が張ってる池の上を歩いているような)精神を持つ人にとってはそれが全てである場合もある、ということを忘れてはいけないと思う。

 幕がおりて、しばし席でボーッとしてたら、ふと谷川俊太郎の詩の一節を思い出しました。

  にんげんはなにかをしなくてはいけないのか
  はなはたださいているだけなのに
  それだけでいきているのに


 とか、もう書ききれない思いがたくさんあります。 とにかく必見。ドキュメンタリーの真髄だと思う。 画や構成はそれほどキレイではないけど、そういう問題ではなく。いたるところで出てくる犬たちがなんだか印象的でした。

ちーねま | Posted by at 4 5, 2006 17:10 | TrackBack (1)

ジャパニーズ・スマイル

 現在開催中のベルリン映画祭のコンペティション部門に出品している、ペンエーグ・ナッタアルナーン監督(タイ)『Invisible Waves』のレッドカーペット映像+プレスカンファレンス映像を見ました。【映像はこちら】


 ■『Invisible Waves』プレスカンファレンス登場の面々

  ヴァウター・バレンドレクト(プロデューサー)
  クリストファー・ドイル(撮影監督)
  浅野忠信(俳優)
  ペンエーグ・ナッタアルナーン(監督)
  光石研(俳優)
  プラープダー・ユン(脚本)
  マイケル・J・ワーナー(プロデューサー)
  アナトール・ウェーバー(司会)

 ナッタアルナーン監督がカンファレンスの冒頭で言ってるように、クリストファー・ドイルと浅野忠信と、脚本のプラープダー・ユンは『地球で最後のふたり』(03年ベネチア国際映画祭コントロコレンテ部門で浅野忠信が最優秀男優賞を受賞。監督が言うには「興行としては失敗だった」)でチームを組んだ仲なので、全体的に仲良しムードが漂う。

 クリストファー・ドイルが爆弾発言を連発し(まあそれは彼のキャラなんだけど)、その中にも辛らつなシニカルさが含まれているため、会場は爆笑しつつも、なんとなくピンと張り詰めた緊張感があって、記者たちがなかなか質問し辛い様子。
 ドイルがギャグで茶々を入れるので、真面目に答えたいナッタアルナーン監督はかなり苦戦していました。浅野忠信に対する「どうして髪の毛を長くしてるんですか?」とかいう下らない質問が出たところから会場の雰囲気がヤバめになり、記者たちと『Invisible Waves』チームとの間に溝が出来た印象。後半は逆にドイルが記者たちに対し、もっと核心的なことが聞けるように質問を投げかけて誘導していた面もあり、ずいぶん持ち直していました。

 カンファレンスでは全員が英語で話すなか、浅野忠信と光石研だけは日本語で喋っていました。浅野忠信に至っては「役を演じたなかで、難しかった点を教えてください」の質問に、「撮影中も混乱してて、いまも混乱してるので……勘弁してください」とか、「これみんな僕の言ってること分かってんのかな? ……こんにちは」とか言う始末。これは普段からものすごいシャイな彼のキャラなんだけど、ちょっとどうにかならないかなあと思いました。会場には微妙な間が漂う。
 光石研はわりとハキハキと答えていたものの(もちろん日本語)、彼が歌を歌うシーンを再現してくれとのドイルからの(笑)リクエストに、かなりモジモジしたあげく「……勘弁してください。映画を見て下さい」の返事(これくらいなら英語でも言えると思うんだけど)。ここでも会場に微妙な間が漂っていました。

 フォーラム部門に出品している船橋淳監督『Big River』でも、上映後のQ&A(フォーラム部門はプレスカンファレンスがないので映像は見れず)で主演のオダギリジョー氏が、帽子を目深にかぶってずっと下を向いていたとか。会場から出た質問にほとんどまともに返事ができなかったようです。
 なんていうか……残念です。オダギリジョー氏もそういうキャラだっていうのは充分わかっているんだけど、国際映画祭ってそういうものではないんですよね。お祭というだけでなく、世界にフィルムを売る大事な場でもあるわけです。普段はとてもシャイなガエル・ガルシア・ベルナウだって、主演したミシェル・ゴンドリー監督『The Science Of Sleep』のカンファレンス(これも面白かった。ミシェルは変わってるなあ)ではものすごい聡明に、パーフェクトな英語で答えていました。

 しかしこれが日本の国民性と言われれば……私にはワカリマセン。

 で、いちばんショックだったのは『Invisible Waves』のプレスカンファレンス映像内のワンシーン。カンファレンスに移る前に、会場前で写真撮影があるんですね。撮影が終了してみんなで会場へ移動するんだけど、クリストファー・ドイルだけ残ってワイングラスを片手に記者たちと談笑していました。
 そんななか、ドイルの姿を撮ろうと、どこかの記者が大きな声で「Japanese smile!」と叫び、その場にいたみんなが爆笑したのです(その時、すでに浅野忠信も光石研もいなかった)。

 あー、そうだよね日本って、と思ってなんだか悲しくなりました。世界の中での日本の位置って、そんなもんだよなあと。 その後にプレスカンファレンスの映像を見たもんだから、さらにナーバスになってしまいました。浅野忠信大好きだけど……。

 もうこうなったら見知らぬ外国人の前では絶対笑わないようにしようと思いました。というのは冗談にしても、それくらいナーバスになるよなあ……この言葉って。

ちーねま | Posted by at 2 16, 2006 17:01 | TrackBack (0)

第6回東京フィルメックス

 に行ってきました、今年も。去年のレポはこちら。今年観れたのは(観た順に)『バッシング』、『マジシャンズ』、『サウンド・バリア』、『フリー・ゾーン』の4作品。感じたことをそれぞれ羅列。私が感じたことなので、あまり参考にならないと思いますが……辛辣なことも書きます、スイマセン。


小林政広監督『バッシング』

 ダメでした。全然ナシ。「現代の日本で起こる“バッシング”を、受ける側に焦点を当てて描いた力作。中東で武装グループの人質になり帰国した有子をめぐる苛酷な状態を、占部房子が体当たりで熱演」と書いてありますが、まあたしかに占部房子さんの演技は見事でした。本当にムカつくくらい傲慢で自分勝手な女だった。

 が、内容が本当にダメダメでした。このストーリー設定だと、どうしてもイラクで人質になった高遠さんを日本人の観客なら思い浮かべてしまうわけで、いくら映画の最初に「この映画はフィクションです」と書いたところでそれはどうしようもない。
 だったらもっとフィクションであるという強烈な個性というか、事実とはまったく違ったストーリー作りをしっかりとしないといけないと思うんだけど(もしくは事実と徹底的に向き合うか)、この作品は被害者のお父さんが職場を解雇されて生き悩んで投身自殺する、というものすごい安易なところへ逃げてしまって、3流のメロドラマのようになってしまった。これではこの問題を材料にしている意味が全くないのでは? なんというか、監督の甘さだけが浮き彫りになりました。

 この被害者女性がやたらコンビニでおでんを買うんですよ。しかもその買い方が、具をそれぞれ別の容器に入れてもらって、それぞれに汁をたくさん入れてもらうという独特なものなんだけど、そのシーンが何度も何度も出てきて、なんか作為すぎててうっとおしいんですよ。で、上映後のQ&Aでやっぱりそこをつっこまれてて、「僕が一時期、社会が恐くて引きこもりになった時にそういう買い方をしたんです。あと東電OL殺人事件の犯人もやっぱりそういう買い方をしていたらしくて、抑圧された人間はそうなるのかなあと」とか言ってましたが……わかんない。だったら別にこの材料じゃなくてもいいじゃん、という気持ちが強いです。ようするに、“素材だけが一人歩きしてしまって、その重さに監督が耐えられなくて逃げに走った作品”という印象なんですね(まちがってたら申し訳ないけど)。本人はずいぶん気楽に撮影できたと言ってますが、それはもう最初から逃げのベクトルだったからであって。

 海外のプレスはわりと評価していた作品のようですが、日本人の観客は釈然としない様子だったのはみんな同じような感じ方をしたからではないかなあと思いました。センセーショナルな素材を使っていながら逃げに走るのはとても不快でした。撮り方も別に上手じゃないし。映画はそんな簡単なものではないですよ、と言いたい。かなり期待していただけに残念でした。いまのところ劇場公開予定はないみたいです。


ソン・イルゴン監督『マジシャンズ』

 これはなんと、95分ワン・カットという超難易度の高い技術で撮った話題作。さすがにキャストは舞台俳優ばかりを起用したそうです(映画俳優だとスタミナがもたない)。Q&Aはこちら

 ザ・マジシャンズという名前のバンドをかつて組んでいた3人が、自殺したひとりのメンバーの命日に3年ぶりに会うという話で、過去と現在が交差しつつ、ワン・カットで撮られていきます。95分一発撮りのために、リハーサルを何度も何度もシーンを細かく区切ってやったらしい。すごい寒い場所での撮影で、カメラマンは鼻水を垂らしながら(しかもアゴまで垂れるほどに)撮ってるんだけど、まわりは拭いてあげることすらできない(ブレるから)。

 これは良かった! ものすごい計算され尽くして、しかもそれが流れるように、美しく撮られていました。なんの違和感もなかったのがすごい。DVで撮ったものを35ミリ(5本分)に現像したため、どうしてもロールチェンジのときにブレが出てしまうと言っていたけど、そんなに気になりませんでした。
 コメディタッチなんだけど、要所要所でクスッと笑え、かなりのブラックジョークも交え(韓国社会への風刺が効いてた)、ストーリーはベタといえばベタなんだけどあたたかかった。過去と現在を行き来するときに、俳優さんが上着を着替えて、小さな鏡の前でドーランを塗りなおすんだけど、その仕草すら自然で良かった。そこで音楽が大きめに流れるのもイイ。

 ちょっとこういうタイプの映画は観たことなかったので、ツッコミどころは満載といえ楽しかったです。この映画を作った人たちの情熱と愛情がとても感じられた。これは日本で上映予定があるらしいので、公開したら観に行くのも良いのではないでしょうか。


 この2つがコンペ部門。で、↓の2つは特別招待作品。


イランの巨匠、アミール・ナデリ監督『サウンド・バリア』

 上映前に監督が「作るのもハードだったが、観るのもハードだろう。どうか途中で席を立たないで下さい」と言っていたように……ほんとハードだった。
 マイケル・シモンズ撮影のモノクロ映像は本当に素晴らしく、恐いくらい精密でただただ驚くばかりなんですが、ほんとしんどかった。めちゃくちゃミニマルかつストレスフルなストーリーで、観客は寝るか、席を立つか、映像に引き込まれてしまっているかのどれかでした(笑)。

 耳が聞こえず、言葉も喋れない少年が、自分がそうなってしまった手がかりを探す一日を描いた作品。亡くなった母(ラジオDJ)の番組を録音したテープにその手がかりがあることを知っている彼は、倉庫に保管されてるテープの山からたった1本のテープを探し出さなければならない。その気が遠くなるような作業と彼の焦り。関係ないテープを乱雑に床に放る“ガシャン ガシャン”という音だけが響き、ひたすら少年がテープを探す様子がミニマルに、ストイックに撮られている映像を「いつになったら見つかんのかなあオイ……」と、なかば呆然と観客は見つめる。

 途中でかなりウンザリしましたが、あるシーンのある瞬間に「ああ、このためにナデリは撮ったんだ。で、このために私は観てるんだ」とすごい不思議なんだけど確信してしまい、それですべてオッケーになってしまった。たぶんその確信は当たっているんだろうけど、監督も別にコメントしてないわけで、勝手に思い込んでるのかもしれないけど絶対にあの瞬間だ(意味不明)。

 監督の波長と合えばわかる映画かもしれません。わかんなかったらたぶんウンザリするだけの映画だと思います。めちゃくちゃストイックです。日本で公開すんのかな? 監督のQ&Aはこちら


で、最後は(私にとっての)真打、イスラエルの巨魁、アモス・ギタイ御大の『フリー・ゾーン』

あらすじ-------------------------------------------------------------------

 イスラエル人の婚約者と喧嘩して家を飛び出てきた若いアメリカ人女性レベッカ(ナタリー・ポートマン)は義母を空港から送ってきた車に乗込む。運転手のハンナ(ハンナ・ラスロ)は、これからヨルダンの「フリー・ゾーン」まで行かなければならないと言う。行くあてのないレベッカはハンナに同行することを決め、2人の旅が始まる。

 ハンナの目的は“アメリカン”と呼ばれている取引相手から未収金を取り立てることだ。2人は「フリー・ゾーン」に着くが、事務所に“アメリカン”はおらず、レイラ(ヒヤム・アッバス)というパレスチナ人女性がいるだけだった……。

 ユダヤ人とアラブ人が交易を行っている「フリー・ゾーン」とは、ヨルダン国内、イラクとの国境に近い地域にある実在の場所であるという。ちなみにこの作品はカンヌ映画祭でハンナが女優賞を受賞。
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 いやあ、またしてもアモスにやられました。

 去年のフィルメックスで観た『プロミスト・ランド』(イスラエルで問題になっている、女性を誘拐して売春宿に売り渡してしまう社会問題についての作品。誘拐されて売春婦にさせられた女性が、イスラエルの爆弾テロのおかげで売春宿から逃げだせる、という救いようのないお話)の印象が強かったので、「またアモスはめちゃくちゃ重くて社会的な作品をひっさげてくるんだろうな」と思っていたところにこの内容。

 最初にレベッカの泣いている姿を10分以上のワン・ショットでとらえるシーンがあって(背景はエルサレムの「嘆きの壁」)、そこから基本ロードムービー。必要な情報(なぜレベッカが婚約者と喧嘩したか。なぜハンナが「フリー・ゾーン」に行かなければならなくなったのか。なぜ義母を空港まで送ったのか。等々)は幾層にも重ねた映像──実際にあらゆるシーンの映像を幾層ものレイヤーで重ねている──で説明し、余計なものは一切ナシ。アモスにしてはとてもわかりやすい内容でした。

 でもやっぱり、いたるところにシニカルな発言がちりばめられていて、これがとてもユーモラスだったのがすごく良かった。といっても観客の反応は悪く、あまり理解できていないようでしたが……ひとりで声を出して笑ってしまって恥ずかしかった(苦笑)。ユダヤ人のハンナとパレスチナ人のレイラの、まるで“どっちが不幸な民族か争い”のような掛け合いも面白かったし(「両親? ふたりともアウシュビッツ出身よ!」とハンナ)、パレスチナ人レイラと(イスラエル人だと思い込んでいた)アメリカ人レベッカの掛け合い(「敵の言葉を理解できることが大切だ。アラブ人はヘブライ語を喋れるけど、イスラエル人はアラビア語を喋れない」とレイラ)も面白かった。ラストシーンも圧巻。

 まいりました。やはりアモス・ギタイは天才です。なんでこの人の作品が日本で公開されないのかが不思議。

 今回、来日をキャンセルした理由もそのあたりにあって、毎回フィルメックスで呼ばれて大好評なんだから、なんで日本で公開してくんないの? と、とうとう本人がすねちゃった様子で(笑)。上映前のビデオメッセージでおもいっきりふてくされた表情でコメントしていらっしゃいました。あげく、アモスのかわりに来日するはずだった脚本のマリーも急きょキャンセル。んー、残念。


 で、フタをあけたらコンペの結果はこのとおりで。まあわかっていた結果ですけど……せっかく内容としてはとってもいい映画祭なのにもったいないと思いました。

ちーねま | Posted by at 11 28, 2005 18:02 | TrackBack (0)

エロール・モリス監督 『フォッグ・オブ・ウォー』

 某所に掲載予定の文章です。長いので別ページにアップ。

 「我々は過去の過ちを繰り返す運命にあるのか? エロール・モリスが『フォッグ・オブ・ウォー』で問いかけたものとは。 」

 本当は憂国記みたいのを書く予定だったんだけど、なぜか映画批評になりました(苦笑)。6000字越え、しかもネタバレ満載なので要注意です。興味のある方は読んでいただけると幸いです。

 ここで書いたことにちょっと関係して、ジャーナリストの綿井健陽さんのブログ最新記事『「戦争」への形容詞』をリンクしときます。こちらは必読。

ちーねま | Posted by at 6 21, 2005 16:12 | TrackBack (0)

『スーパーサイズ・ミー』

 1月の頭くらいに観てきました、『スーパーサイズ・ミー』。開場まで並んでいるときに、うしろにいたカップルがマクドナルドのハンバーガーをむさぼり食べてたのが面白かったです。まるで最後の晩餐のように……。(以下ネタバレ注意)

 結論から言うと、別にこれは劇場で観る必要はないなと。

 面白かったんですが、テレビのドキュメンタリー番組としたほうがよかった気がします。98分に無理やりまとめたことで、大事な部分が削られているのがもったいない。大きなテーマとして“マクドナルドを30日間食べ続けると身体にはどういう影響が出てくるか実験する”というのと、“アメリカ社会が抱える深刻な食生活の現状をレポートする”というふたつが挙げられると思うんですが、両方とも非常に深刻な内容であるために、それぞれをもっと掘り下げてほしかったなと。たぶん映画で見せた以外にもたくさんこの監督は取材していたと思うんだけど、98分の劇場映画にはまったく納まりきれていなかったです。

 あと、この監督はたぶんほとんどすべてをDVで撮影したと思うんですが、やはりDVだと劇場で観るという意味があまりないなあと。画としての意思表示、説得力というのがハッキリと劇場で現れるならばDV撮影でもまったく構わないと思いますが、フットワークが軽くなくては撮れないドキュメンタリーの課題というか、宿命というか、やはり35ミリで撮ったもの(去年公開した『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白』は35ミリで撮った秀逸なドキュメンタリーフィルムでした。まだ劇場でもやってると思うのでぜひ!)に比べると説得力に欠けてしまうのかなあと。劇場で観るとなおさら感じてしまいます。

 とはいえ、内容はかなり良かったと思います。知らないことが多かった。アメリカ人の極端な食生活は深刻だなあと思っていたけど、ここまで酷い状況になっているとは知りませんでした。本当に恐ろしい。近い将来アメリカは完全に壊れるだろうなあと、かなり心配になりました(といっても極端なベジタリアンとかもたくさんいるけど。みんなマクドナルドを食べた後にビタミン剤とか大量に飲んでるしね・苦笑)。本当に不思議な国ですね。日本の食生活もどんどん壊れていって、似たような道を辿るような気がしないでもない……。

 ということで、もっと詳細なデータやら結果やら映像やらが観たかったんですが、マクドナルドにかぎらず、食について改めて考え直さないといけないなあと感じるきっかけにはなったので良いのではないかと。レンタルで出たら観てみるといいと思いますよ!
 ちなみにこないだ表参道のマクドナルドに入ってみましたが、トレーの上に乗ってる紙にはマクドナルドの商品がいかに他のジャンクものと比べてカロリーが低いかっていう説明書きみたいのが詳細に載ってて面白かったです。牛丼とかと比べてもさ……どっちもどっちでしょうが。この映画の影響なんですかね? というか、そういう見解へしか導けないマクドナルド(しいてはファーストフード社会)の体制がもうすでに終わってるわけで。

 とはいえ、たまに食べたくなるんですよねー(笑)。

ちーねま | Posted by at 1 24, 2005 20:54 | Comments (2) | TrackBack (1)

TOKYO FILMeX 2004

 11月27日に東京フィルメックス2004へ行って来ました。
 一昨年は『CUT』編集者さんからの招待で『カクト』、『アカルイミライ』を観て、去年は都合がつかなかったので1本も観れず、今年はCS放送のムービープラスさんからの招待でイランの映画『Stray Dogs』とイスラエル/フランスの映画『Promised Land』を観てきました。今年のフィルメックスは民族問題とか、地域社会の問題にスポットを当てた作品が多かったような気がします。日本の作品が少なくて残念。

 まず『Stray Dogs(原題)』
 Stray Dogsというのは文字どおり「迷子の犬たち」という意味なんですが、この作品に犬は1匹しか出てこないんですね(たくさん出てくるシーンもあるけど)。その1匹のマルチーズを幼い兄妹が救うところから物語が始まるんですが、ようするにその兄妹も両親がそれぞれ刑務所に入ってて、夜寝る場所の確保すらままならないStray Dogsなわけで。かなりわかりやすい、かつベタすぎる物語なんだけど、兄妹のどこか愛らしい、子供特有のポジティヴな妄想みたいのがうまく描かれていて、悲壮感が少々薄れていたのが良かったです。生活は切迫してるんだけど、どこかのほほんとしてる兄妹に、まわりの大人たちも知らず知らず丸め込まれる様子とかが鮮やかだった。

 というのもこの兄妹の表情がすごくイイんですね。優しくて頼りになるんだけど、たまにドジを踏むお兄ちゃんと、いつもムスッと勝気な表情でお兄ちゃんのあとをついていく妹(マルチーズを常に抱っこしたりおんぶしてたりして大変そう。歩かせればいいのに、子供ってこういうところあるんだよなあ……と思うところも演出の力だと思う)。そして超マイペースなマルチーズ。
 描かれている世界はかなり深刻で、実際にいまのカブールはこういった子供たちがたくさんいるんだろうなと気分が重くなるけど、この兄妹の逞しく生きていく姿でなんとか持ちこたえました。

 次に『Promised Land』
 これはもう重すぎてたまんなかったです。序盤から酷すぎる。ピラミッド見学ツアーに行くはずだった東欧の女の子のグループが、騙されて人身売買ネットワークの組織に売られてしまう。「ピラミッド見学ツアーなのに、なんか様子がおかしいわよね」なんて言ってたら、あっという間に見知らぬ地へ連れて行かれ、モノとしてオークションにかけられて方々へ売られていく彼女たち。自分たちが国境を越えてイスラエルに渡ってきたことも知らず、人間からモノへ、身も心も変わっていくことを静かに受け入れるしか生きていく道がないということを悟るのに、そんなに時間はかからないんだなというのが衝撃でした。

 手持ちカメラや自然照明が多様されていたせいで、ドキュメンタリー性がぐっと高まり、本当に恐かった。『モンスター』のときも書いたけど、これは女性が観るほうがキツイと思います。どうしても生物のつくりとして“受身”にしかなり得ない女性にとっては辛すぎる。というか、この作品にかぎっては、ものすごい不快感がありました。
 でもこれは半分ドキュメンタリーなので、実際にこういう手口の人身売買ネットワークがあるということにまた驚かされます。うかうか海外旅行できないじゃん! みたいな。娼婦として売られてきた女の子たちにお化粧をする役のハンナ・シグラが出てくるシーンだけは、少しだけ救いがあったような気がする。

 けど、本当にショッキングで不快極まりない作品でした。とはいえ、これは観たほうがいいと思う。配給会社が決まってないので日本で公開するかどうか分からないらしいですけど。監督のインタビューはこちら


 ちなみに明日から1週間ほどハワイに行ってきます。兄の挙式で。兄も彼女もバリバリの日本人ですけど。

ちーねま | Posted by at 11 29, 2004 17:57 | TrackBack (0)

『モンスター』

 昨日、渋谷シネマライズで『モンスター』を観てきました。フロリダに実在した連続殺人犯、アイリーン・ウォーノスのドキュメンタリー映画で、主演のシャーリーズ・セロンがこの映画のために13キロの増量をしたのとブサイクメイクで話題を呼び、アカデミー賞主演女優賞とゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞した作品ですね。

 いやー、すごかった。そして重かった(特に女性が観るほうがキツイと思う。どうしても生物のつくりとして“受身”にしかなり得ない女性にとってはかなりキツイ)。

 なんといってもシャーリーズ・セロンの徹底した役作りっぷりが圧巻。シャーリーズ・セロンだっていうことを知らないでこの映画を観たら、絶対にわからない変身ぶりです。容姿もさることながら、佇まいとか、英語の訛りとか、もう本当にスゴイ。口をあんぐり開けてしまうくらいに。相方のクリスティーナ・リッチも相変わらず凄まじい演技力で、目つきなんて本気でレズビアンでしたよ。このふたりの渾身の演技(とはいえ、演じすぎてないところがまたスゴイ。事実を丁寧にトレースしてるんだろうなという印象)が、この作品がドキュメンタリーであるという事実を、映画が始まった瞬間から終わる瞬間まで強烈に提示してくるので、もうなんか本当に重くて重くて、その圧迫感で吐きそうになりました。

 不遇な家庭に生まれ、生きていくためには娼婦として道に立たなくてはいけなかったアイリーンが、自分を愛してくれる存在に出会い、自分にエクスキューズを無理矢理つけて殺人を犯してしまう事実。女を買うような男は殺してもいいという自分に対してのエクスキューズは最後の最後で彼女を押し潰し、本当は人を殺めることは絶対にしてはいけないとわかっていたんだけれどと恋人に許しを請う姿は、もうなんていうか、私のなかでの道徳観やら善悪の概念やらを根本から揺さぶってきて、映画が終わった時点で少しパニック状態に陥りました。
 で、昨日からずっとそのことについて考えていて、結局その善悪とか道徳とか倫理とかについての結論は出てないんですが(むしろ考えれば考えるほど精神が掻き乱されてパニクる)、文明を持つほどに進化してしまった人間には教育が必要なんだなということは痛感しました。

 アイリーンみたいな境遇の女性が生きていくためには本当に売春しかなかったんだろうか。なぜ売春しか手段がないのか。これは単に教育を受けていないために最低限の教養がなかったというだけだと思う。実際に映画の中でもアイリーンがカタギになろうと就職活動を試みるも、教養がまったくない彼女にはできる仕事がないんですね。
 識字率が80%にも満たないアメリカ(ちなみに日本はほぼ100%、キューバは97%)の社会構造が生んでる現実は本当に悲惨で、実際にアイリーンみたいな女性はたくさんいると思う。先日のアメリカ合衆国大統領選挙の開票結果でもあきらかなように、貧困の差と同じくらい知的レベルの格差が生じていて、そのために人権までもが侵されているわけですねアメリカは(よその国にかまってるヒマはないと思うんですけどね)。
 で、最近の日本で起こっている事件をみると、どうしても似たような印象があって。なんていうか、あまりにも安易な殺人とか幼児虐待が多すぎて、そしてその事件が起こった近辺の人間のインタビューとかを見ると、どうしても無知というか知的レベルの低さを感じずにはいられないんですね。なんとなく日本も物質社会に起こり得る知的レベルの格差が出てきてるんじゃないかと。目に見えないスラム化みたいな。それが非常に心配です。

 ……えーと、話がまたカオス状態になってきそうなんでまとめると……国民には“読み・書き・計算・タイピング”は最低限義務付けること! そして男子にはマスターベーションの仕方も教える! (と、買春が減るかなあ〜と思ったんですケド)

ちーねま | Posted by at 11 18, 2004 18:03 | TrackBack (0)

『SURVIVE STYLE5+』とonedotzero

 昨日は六本木ヒルズにて、映画『SURVIVE STYLE5+』を観て、そのあと六本木ヒルズの東京シティビューでやってた『onedotzero_nippon 2004 opening events』とやらに行ってきました。

 まず『SURVIVE STYLE5+』。これは人気CMプランナー+ディレクターである多田琢氏と関口現氏がコンビを組んだデビュー作ですね。富士ゼロックス、アコムむじんくん、サントリーDAKARA、富士通FMV、サントリーBOSS etc...を手がけてる人たちが作って、浅野忠信、小泉今日子、阿部寛、岸部一徳、荒川良々が出演……ときたら、なんとなく想像がつく気もするんですが。

 はい、タイヘン楽しかったです。

 もちろん観る前からビールを飲んでゴキゲンだったので、純粋にこの作品の下品さ(もっと下品でもいいと思う)、くだらなさ、ポップさ、キッチュさ、を楽しむ余裕がありました。もうね、こういう作品はストーリーがどうとか、映画の撮り方がどうとか、意味の有無とか、そんなのはどうでも良くて、お酒でも飲んでポップコーンをつまみ、足を投げ出して「くだんねー。こいつらバッカだなー」とウヒャウヒャ笑うカンジでいいんだと思います。楽しんだもの勝ちというか。それにお金を払うかどうかは、観る側の心意気なわけで。真顔で批評するものではないような気がします。そういう映画もあってイイと思うんですけどね。映画フリークには許せないんですかね、こういうのは。

 まあ途中ダレた感は多分にありました。それが残念。こういう映画は客を飽きさせたらいけないと思うので、次から次へとガンガン押していくパワーが欲しかったです。最初の加速してるカンジはすごい良かったんですけどね。前半の阿部寛最高。もうなんか阿部寛は神でした(笑)。後半は岸部一徳が神。『鮫肌男と桃尻女』の岸部さんも最高に好きだったんだけど、今回の岸部さんも素敵。
 そういえばベタ塗りしたみたいな、ロモで撮った写真みたいな、ものすごいビビッドな色味と質感や、音楽の入れ方とかは『鮫肌男と桃尻女』に似ていました。細かいことを言えば、ストーリーの繋げ方が『アモーレス・ぺロス』みたいにスムーズだったらよかったなあと。かなり強引なのでちょっと萎える。

 総評としては、感じるものは何もなかったけど、タイヘン楽しかった。以上(笑)。


 で、映画をみたあとに展望台でやってる『onedotzero_nippon 2004 opening events』へ。イベントそのものは20時半からやってたみたいですが、単に友人がレコードを回すってことで行っただけなのでスルー。
 23時すぎに行ったら……なんだかものすごい人で驚く。すごい人なのにバーカウンターはひとつしかなくて、お酒を買うのも20分待ち、みたいな状況。業界人だらけで、椎名林檎とか岡本健一とか滝見憲司とかモデルさんとか、とにかくテレビや雑誌で見たことのある人がワサワサいました。すごいですね六本木ヒルズは。一般人もなんだかバキバキにオシャレしてました。その帽子どこに売ってんの? っていうようなオサレさんばかりで。

 友人のDJまで時間があったので、フロア(?)に行くと、four tetがライブをしていました。イマイチ。というか、音環境が非常に悪く、使ってるスピーカーとかもうぜんぜんダメで、音圧もなにもあったものではない。
 ので、友人(いつもはミニマルテクノ。この日はKARAFUTOというハウスめの名義で出演)のDJもイマイチ。聞いたところによると、かける曲のカンジとかも大まかに指定されていたようで(まあ田中フミヤにDJの内容を指定するバカがこの世の中にいること自体かなり驚くけど)、あげく即席のDJブースが客と同じレベルでろくな隔たりもないために、なんともやりずらそうにしていました。2面のスクリーン(壁にA3の紙を何枚もベタベタ貼ってるだけ……)に映し出された29970とかいうアーティストのVJも、何がいいのかサッパリわかんない。そもそもなぜ、わざわざ東京の美しい夜景を背中にしてまで、A3の紙がベタベタ貼ってあるスクリーンに映し出される映像を見ないといけないのかと……意味がわかんない。

 そんなこんなでまた憂国ですよ。

 別に期待してたわけでもないけど、こういうイベントは本当にいかがなものかと思います。最近この手の業界人イベントが多いんですが、どれもこれも質が低すぎて呆れる。音楽や映像を発信している人たちが、このレベルのイベントで楽しそうにお酒を飲んでオシャベリしているということが信じられません。「六本木ヒルズの展望台でfour tet呼んどきゃ客来るでしょ。DJはあえてハウス畑から呼ばないで田中フミヤにするってとこがセンスいいね俺たち♪」みたいな。
 特に“レセプション”とかいう名目のクラブイベントは本当にことごとく終わってるわけで、それはここ最近の“セレブ”の安売りとかもそうだけど、ようは選民意識を持った時点で人間は成長しないということですよ。選ばれてるという意識が安心を生み、そのぬくぬくとした狭い世界のなかだけで生きることで危機感を失い、問題意識を持つことがなくなった人間は終了しちゃってるなと(えーと、話がいきなり飛躍していますのでご注意下さい)。吉田松陰先生が『講孟剳記』(必読!)で言ってるように「無知無覚、すなわち目覚めることがなくて、みだりにみずから避け隠れるならば、これは自棄、すなわち自分で自分を投げ棄てるのと同じだと思う」ということですね。

 ……おあとがよろしいようで。

ちーねま | Posted by at 10 1, 2004 16:49 | Comments (3) | TrackBack (0)

『華氏911』

アメリカ合衆国大統領どの 9月10日の夜に、六本木ヒルズの映画館で『華氏911』を観てきました。その日は前日からほとんど寝てないのに、朝9時から夕方6時までヒルズの某企業で研修、という寝不足+疲労という状況だったものの、9月11日の前日ということもあって急きょ観賞。

 しかしヒルズの映画館ってすごいんですね。チケットを買うときに席を選べるので、一度チケットを買っちゃったら上映時間までフラフラできる。ビール、ワイン、シャンパンとかも売ってる。上映まで30分もあったため、童門冬二の『吉田松陰』(←オススメ!)をツマミにビールをぐいぐいいきました。映画が始まるまでにすでに2杯半を平らげていい気分。わりと空いてたので(そういえば外人率が高かった)、前の席のアームレストに足を引っ掛け、そっくり返りながらビールを飲み、映画観賞する女27歳(金曜夜6時半ですでに酔っぱらい)……そんな具合だったので、まあ感受性も豊かになっていて、笑うところは大いに笑い、ちょっとしたところでボロボロと涙を流し、途中10分ほど爆睡し(記憶がストンと抜け落ちてる)、かなり満喫してきました。

 かんじんな内容ですが。きちんとエンターテインメントになっていたのに感心する。まあ途中多少ダレたけど。ドキュメンタリー映画、しかもテーマが重いということで、ドキュメンタリー番組をデカい画面で観てるだけ、という状況に陥りやすいだろうなと思っていたんだけど、あんまりそういうことはなかった。皮肉ったセリフと皮肉った音楽がテンポよく埋め込まれてるからでしょうか。オムニバスの短編諷刺映画を観てるカンジかな。しかしムーアは本当に地道に、自分の足で材料を探してルポルタージュしてる、記者のカガミみたいな人ですね。その労力と情熱は本当にすごいと思う。

header_2.gif 特に(以下ネタバレ注意)、911が起こったちょうどそのとき、フロリダのとある小学校を訪問していたアメリカ合衆国大統領のところにスタッフが寄っていて「アメリカが攻撃を受けています」と耳打ちされたときのアメリカ合衆国大統領の表情。あれはもうなんというか、「あー、これが今のアメリカのトップに立ってる人間なんだ」と諦めにちかい気持ちで見るしかなかった。そのあと7分間(だったかな?)も、そのバカ面をさらしたまま『ペットの小羊ちゃん』という童話を生徒と読んでいたアメリカ合衆国大統領……。もうあの映像を手に入れたところでムーアは素晴らしい仕事をしたと思うんだけど、もっと驚いたのはそのビデオを映してた学校の教師のところへ、それまでに誰も、どのジャーナリストも訪れていないってことで。これはいったいどういうことでしょうか。

 たぶん普通に好奇心のある人間だったら、911の瞬間、アメリカ合衆国大統領はどこで何してたんだろうと思うはずで、フロリダの小学校を訪問してたことくらい簡単にわかるわけ。そしたらテロ攻撃を受けている瞬間、アメリカ合衆国大統領が子供たちと本を読んでたのもたぶんすぐわかるだろうし、その光景をだれかビデオに撮ってるだろう、どんな様子だったか見てみたいなー、という発想は普通に出てくるんじゃないかと思う。ジャーナリストだったらなおさら。それをいままで誰もやってなかったっていうのが不思議でしょうがない。その教師はべつに圧力をかけられて、いままでビデオを隠していたわけでもないのに(だから言ってみればムーアは普通に好奇心と探究心のままに動いて、大ネタを掴んだんですね。ちくしょー、私が先に行っときゃよかった)。
 アメリカのメディアも終わってるんですかね? まあFOXはとっくの昔に終わってると思いますが、他のメディアにはもっとがんばってほしいものです。自由とか独立とかを嫌味なくらい掲げてるアメリカ合衆国なんだからね。

 あとはそうですね、戦争に常につきまとう悲しい話や、目を覆いたくなるくらい下劣で無知なアメリカの兵士のコメントとか、顔に“欲まみれだもんねっ!”って書いてあるんじゃないかコイツってくらい低能の上院議員とか、かなりツライものもいっぱい見ました。最後がアメリカ合衆国大統領の、すばらしい言葉で終わるところも最高! あー、なんかブルーになってきた。

 私は戦争に関して、いまだによくわからないことが多い。実際に体験していないということが大きいわけだけど。それでも戦争というのは絶対にあってはいけないこと、してはいけないことだと思っていました。でもこないだ、某氏がふと呟いたことがすごく心に残っていまして。

 「しなくてはいけない戦争もあると思います。だって、大事な家族を攻撃されたら、守るために戦うしかないでしょ」

 たしかにそうだなと思う。だったら仕掛けなければいいってことで、特に今回のイラク攻撃なんて、大義名分は911だけれども、たしかな裏付けもなく起こっているのはもう明らかで(仕掛けた連中にとってはたしかな裏付けなんてむしろ迷惑なだけだし)。そのへんのところがよくわかる映画でした。

 ようは“無知は罪 ”ってことなんだと思う。これはすべてに言えることですが。無知というのは本当に罪深く、「知らない、わかんない」ですむことってほとんどないんですよね。偉大なる哲学者が“無知の知”から始まると言ってましたが、本当にそうだと思う。考える前にまず自分は知らないということを知らないといけない。そして知ろうとしないといけない。この地球上で今いったい何が起こっているのか、とか。これまでにこの自分が生まれ育っている土地で何が起こってきたのか、とか。

 ……話がわりとカオスになってきたので(苦笑)このへんでやめますが。

 ようするに賛否両論はあるだろうけど、この映画は観たほうがいいと思います。どこぞの誰かのように「政治的に偏っているから見たくない」と言って知ることを放棄するのは本当に愚かしいことだし、逆に「ムーア最高!」と手放しで絶賛することがファッションだと思ってる頭の悪そうなアーティストとかも本当に愚かしいと思う。

 みずから知を欲し、そのために勉強し、自分の頭で考えて、自分のなかで消化することが大事だと思う。そのあとですよ、他者と議論できるのなんて。

ちーねま | Posted by at 9 13, 2004 0:27 | TrackBack (0)