松尾貴史×斎藤貴男

 5月6日から11日まで、THE NEWSPAPERという時事風刺コント集団(?)の第67回“TRICKY LIVE”が下北沢の本多劇場で行われました。ライヴ本編の前にトークショーなどもあったので、私は初日(松尾貴史×斎藤貴男トークショー)と千秋楽(鈴木邦男×大塚英志トークショー)を見てきました。

 時間が経ってしまったのでうろ覚えですが、気になった点を2回にわけて書いてみようかと。

 松尾貴史×斎藤貴男トークショーはおもに憲法改正について。斎藤さんはご存知のとおり『安心のファシズム―支配されたがる人びと』『機会不平等』をはじめとして、身近な問題を通して日本社会を考える興味深い著書をたくさん執筆されている方。トークショーは議論というよりは松尾さんが斎藤さんに色々と質問する形で、とてもわかりやすかったです。

 4月1日から東京都が迷惑防止条例を一部改正したことなどを例に挙げながら、“ここまで管理されるのはおかしいんじゃないか”とかいった話になり(斎藤さんいわく「僕は恐らく日本でいちばん携帯電話がキライな人間だと思うんだけど、公共の場で携帯電話を使うことについて規制する条例を作るなんておかしい。他人に迷惑をかけるなんて個人の常識で判断できるはず」)、ここまで国や地方自治体があれこれと人間の行動を規制してしまうと管理国家になってしまうわけで、もっと言うとかつての軍国主義体制に逆行してしまうおそれがある、とのこと。そういえば、たしかにそうだなと思いました。

 電車の中で携帯電話で話したり、ヘッドフォンからものすごい音漏れしてたり云々はたしかに本当に迷惑で、これを規制するという話が挙がったときは「そうそう、そんな迷惑な人間は罰してしまえ!」と思ったんだけど、よくよく考えるとこれは“罰する”とか以前の問題なんですね。人間としてのモラルの話で、当たり前のことである。ということを忘れてしまうほど、いってみればいまの日本の社会にはモラルを欠いてる人間が多いんですけど……規制をたくさん作ることで、「規制されなきゃやっていいだろ」という本当に幼稚で低俗なレベルにモラルが位置づけされてしまうことについての危機感と、“規制で管理される”ということの本当の意味と恐ろしさを再認識しなくちゃいけないなと思いました。

 もうひとつ、松尾さんが言ってた「いまの日本国憲法は、国民に対して“~しちゃダメですよ”って書いてる項目がほぼなくて、国政に対して規制していることばかりだから、とてもいいんじゃないか」というのが印象的でした。たしかにそうだなあと。で、斎藤さんいわく現在与野党で検討されてる改正案を見ると、どちらも国民への規制がソフトに(←ここポイント)書かれているそうです。でももし憲法改正について国民投票をすることになったら、もちろん一条ごとに賛否をとるなんていう面倒なことはできるわけがなくて、「あなたは憲法改正に賛成ですか? 反対ですか?」という投票の仕方だろうから、ズラズラと難しい言葉で条例が書かれている改正案(と現在の日本国憲法)なんて国民はじっくり読むわけがなくて、「別に変えてもいいんじゃないの?」レベルのメンタリティで投票がなされてしまうだろう、と斎藤さんも松尾さんも懸念していました。たしかに。これはもう国民ひとりひとりが勉強するしかないのかなあと思いますが……無理ですよね。少なくとも前文から40条までは熟読しておかないといけないとは思います。

行ってきました♪ | Posted by at 5 13, 2005 16:36 | TrackBack (1)

塩見塾、テーマは『武士道』

 昨日は“元赤軍派議長の巨頭が闘争の時代と獄中の20余年を語りながら、今を生きる老若男女と未来を模索する「大人の私塾」”と題して先月から始まった「塩見(孝也)塾」に遊びに行きました。塾長が塩見孝也氏(赤軍派元議長)、司会進行役に鈴木邦男氏(一水会顧問)、ゲストが堀辺正史氏(骨法創始師範)、第二回目となる今回のテーマは“武士道”。会場は超満員。私は1時間遅れで参加。
 前回のこの「塩見塾」は“ブルテン”とかの左翼用語ばかりでわかんなかったんだけど、今回はテーマがテーマだけに、すごくよくわかったし、すごく面白かったし、すごく大事な議論がされていました。左(塩見さん)も右(堀辺さん、鈴木さん)もけっきょくのところ、人民のために国を良くしたいと本気で考えている部分では同じだなと。

 以下、興味深かった議論を箇条書き。メモを取れなかったので、お粗末なテキストでスイマセン。

・ナショナリズムというのは必ず最後には暴走し、民族を傲慢にさせる。東アジアのなかでそれを身を持って知ったのは日本のみで、“いままでに他国に侵略されたことがない”という慢心から「日本がアジアの代表になったる!」→「日本が世界の代表になったる!」という傲慢を生んだ結果、大東亜戦争(太平洋戦争)を引き起こして日本は敗戦、無条件降伏した。

・いってみれば今の中国と韓国の過剰な反日感情およびナショナリズム、愛国主義(私は国粋主義だと思うけど)はこれと同じ構造で、中国も韓国も「アジアの代表になったる!」の方向へ進み始めている。こうなると行き着くところは明快で、なんでもう60年も前に日本が身を持って証明したことと同じことを繰り返そうとしているのか。冷静な態度で中国や韓国に教えてあげるべき。

・日本の民族性とは「歴史の上に歴史を重ねることができる」ところだと思う。つまり、いままであったものを根底からすべて壊して新しい文化や支配や社会構造を作り上げるのではなく、すでにあるものに重ねていく民族性。これは世界の他のどの国を見渡しても例がない日本独自の傾向で、おそらく海に囲まれているということから本当の意味での侵略をされていないことが要因となっているだろう。また、ヨーロッパが「いままであったものを根底からすべて壊して新しく作る」のは、石の建築でできた文化ということも要因のひとつと言えるのではないか。

・右翼が左翼から学ぶべきことは、資本主義社会が人民にとって本当の意味では良くないという認識の仕方。資本主義を疑ってかかる姿勢(方法)。つまりマルクス主義、これが左翼思想のなかでいちばん大事。

・竹島は幕府の時代から日本のもので、あの近辺でとれるアワビだかウニだか(失念しました)が季節モノとして将軍の食卓に上がっていたというのは記録にすら残されているのに、なんで韓国人はそういう歴史検証をしないんだろうか。でもまあ欲しけりゃあげちゃえばいいのに。もともとは日本のモノというのは誰の目からもあきらかなので、100年くらい「本当はうちのなんだよねー」と言い続けて、(成長してその事実に気付いた)韓国を世界の恥さらしにしちゃえばいい(笑)。そういう意味での“太っ腹”で“キモがすわっている”“寛大な”指導者がいま世界中探してもどこにもいない。蒋介石だって毛沢東だって「日本政府は罪だらけだけど、人民には罪はない」という考えから、自国民からブーイングを浴びても日本国民に対してはものすごい寛大な処置をしたわけで、あれくらい太っ腹の指導者がいないとダメだ。もっというと、それこそが「武士道」である。

・で、さんざん韓国の恥(もともと日本のモノだという世界の常識を知らずに「返せ返せ」と要求したことに対しての恥ですね)をさらしてから返してもらう(笑)。

・明治維新以後、西郷隆盛を筆頭に日本、中国、朝鮮半島が協力していくべきだと尽力する人々がいたが、大久保利通たち明治政府がそれを阻止したということが近代日本の歴史のなかでもっとも後悔すべき誤りだった。けっきょくそれが日本の傲慢を産むことになった。

・ようするにいちばん大事なのは史実を正確に学ぶことである。

 他にもたくさん興味深い議論になってたんだけど、すでに忘れてしまいました。ひとつだけ理解が出来なかったのは「武士道とキリスト教は似ている」ということ。このことに関しては私はあまりピンときませんでした。両方いちおう勉強したけど……そうかなあ? と思いました。
 ということで今回の「塩見塾」はかなり白熱したし、かなり面白かったです。次回は(なぜか)縄文時代とかの話になりそうなんですが……まだ詳細は未定らしいです。


 この話と関係ないようで関係あるんですが、今回の東アジアの問題について、脳科学者の茂木健一郎さんがこんなことを書いていました。以下、「骨太のセレンディピティ」より部分抜粋(茂木さんスイマセン!)。※セレンディピティ=serendipity:思わぬ発見をする特異な才能

 やはり、みな、近隣諸国とのことが気になるのだろう。
 たとえ、隣人に違和感を抱いたとしても、彼らとのいきかいを創造性のきっかけにしたい。

 自分と異質なもの、やっかいなもの、そのようなものこそを鏡としたい。
 共感や一体感も重要だが、違和感や反発も同じくらい重要だ。
 世の中にはいろいろな人がいるが、そのいろいろな人はきっと意味があって、この世界に、そして自分の前に現れた、と考えることが骨太のセレンディピティであろう。

 いろんな議論と向き合って自分なりに思考するのも大事けど、その合間にこういう感覚をフッと注入することは非常に大事だと思いました。茂木さんがここで言う“骨太のセレンディピティ”というのと、意味や内容はぜんぜん違えど、塩見さんたちが言ってた“太っ腹=武士道”はなにか通じるものがあるんだろうなと感じました。

 以上、毎度ながら長くなってスイマセン……。

行ってきました♪ | Posted by at 4 20, 2005 19:10 | TrackBack (0)

鈴木邦男×朝倉喬司“日本の自殺”

 昨日は鈴木邦男氏がノンフィクション作家の朝倉喬司氏を迎え、日本の自殺について語るというイベントに行ってきました。現在、朝倉氏は日本の自殺(ただし80年代まで)についての本を執筆されているのでそれもちょっと紹介しつつ、という内容。

 以下、長文注意です。

 このトークライブを聞きに行くにあたって、あらかじめ鈴木氏に「なんか読んでおいたほうがいい本ありますか?」と聞いていたんですね。そうしたら高橋たか子『誘惑者』(講談社文芸文庫)保阪正康『死なう団事件 軍国主義下のカルト教団』(角川文庫)を読んでおきなさい、とのことで。
 この『誘惑者』がかなり良かったんですね。久々にいい小説を読みました。なんだろうかこの感覚……すごく共感できるのです。人間(特に女性)のなかにある黒く渦巻く闇みたいなものをかなり正確に描写していて、その曖昧な感覚が的確で驚きました。オススメ。

 で、この『誘惑者』は実際に起こった事件をもとに書いてるフィクションなんですよ。それについての話にもなり、鈴木さんが「マイちゃん読んだでしょ? どう思ったか朝倉さんに話して」と振ってきたので感想を述べさせていただきましたが、実は『誘惑者』はかなり事実を入れ替えたりしていたようで、あんまり私の感想は意味がなかったような。作中にどう考えても澁澤龍彦だろっていうキャラが出てくるので、朝倉さんに「あの澁澤龍彦みたいなキャラはもろに澁澤龍彦ですよね?」と聞くと、「そのとおり。だからね、澁澤世界に足を踏み入れてる人が読むと絶対に気付くんだよね。もっと言っちゃうと、高橋たか子と澁澤は不倫関係だったんですよ。知ってる人はみんな知ってる事実だけど」と教えてくれました。そうだったのかーっ! たしかに共著とかしてるし、親しかったんだろうなとは思ってたけど……高橋たか子うらやましい。

 そんな話はいいとして。

 この『誘惑者』のもとになった事件は昭和8年(1933年)1月9日、当時23歳の女学生、真許三枝子が三原山に投身自殺をしたことが発端で、2月12日にその友人だった松本貴代子が同じく三原山で投身自殺をしたんですね(これが三原山投身自殺ブームを起こしたんだけど)。で、この両方の投身自殺に同行していた富田昌子が“死を誘う女”として話題になってマスコミに追い掛け回され、3ヵ月後に変死してしまうのです。
 たしかに真許三枝子のときはみずからすすんで(?)同行したんだけど、松本貴代子のときはなかば本人に「連れてってくれないと真許三枝子のことをばらす」みたいに脅されて同行したそうで。この3人のなかで松本貴代子がいちばん強い思いで自殺したがっていた、と朝倉さんはおっしゃっていました。小説ではちょっと違うんですけど。

 他に印象的な自殺者として、藤村操(当時16歳)が挙げられていました。彼は明治36年(1903年)5月22日、華厳の滝に投身自殺をしたんですね(これが華厳の滝を自殺の名所にしたわけですけど)。彼は夏目漱石の生徒で、漱石もかなりこの自殺にショックを受けたそうです。『吾輩は猫である』にちょっとそのことについて触れている部分があるらしく。で、この藤村操が印象的だったのは、死ぬときに近くにあった樹を削って辞世の句みたいのを詠んでいるんですね。これがあの有名な「悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今」とのことで。知らなかった!

 とかまあこうやっていくつかの事例を挙げて朝倉さんが説明してくれたんだけど、ナルホドなあと思ったのが、野村秋介が言っていたという“右翼の自殺は詩的、左翼の自殺は政治的”という話でした。右翼は死んで高天原(たかまがはら:これは古事記に出てくる天上界ですね)に行く、という共通意識があるから自殺が詩的になるけど、左翼にはそういうものがないから、ただ単に手段としての自殺で政治的だということで。なるほど! 言われてみればそうだなと思いました。
 それから“キリスト教では自殺については禁止されていない”と鈴木さんが指摘していて、たしかにキリストだって「自殺するな」とはひとことも言ってないし、モーゼの十戒にも「自殺するな」とは書かれていない、なのになんとなく“キリスト教=自殺禁止”のイメージがあるのは実は「ローマにおいてキリスト教が国家の宗教になったときに、自殺が法律として禁止された」ということなんですね。なぜ禁止になったかというと簡単で、「労働力が減るから」。これはそういえばフーコーも書いてたなと。そんなもんなんですね社会における人間の命なんて(とか言うと元も子もないけど)。

 で、色々と研究してきた朝倉さんが結局思うところは「自殺する人間は死ぬことで尊厳を守る」ということだそうです。だからよく言われる“尊厳死”というのも、もしかすると自殺の延長線上にあるのかもしれないねぇ~なんて話にもなりました。
 あと最近のネット自殺については基本的にまったく理解できないけど、「自殺する人の感情は自殺してみないとわかりません。もしかすると、やっと死ねる! ってみんなすごく幸せで、ワイワイ言いながら山でバーベキューとかまでしちゃって集団自殺したかもしれないしね」ということでした。たしかに……でも理解できない。

 ということで、『誘惑者』はとてもいい作品なのでぜひ読んでみて下さい……としか言いようがないです。これだけ書いておいて。

行ってきました♪ | Posted by at 4 14, 2005 20:18 | TrackBack (0)

長島昭久『日米同盟の新しい設計図』

 昨日は民主党衆議院議員の長島昭久さんの話を聞いてきました。テーマは『日米同盟の新しい設計図』(彼の著書のタイトルでもあります)。
 先日、ブッシュ政権の2期目がスタートしたわけですが、あのセレモニーの様子はものすごい不愉快だったためにテレビでまったく見ていませんでした。しかもパウエル氏に続いてアーミテージとベーカー大使が抜けたというのがもう本当に信じられなくて、新しいポストに誰がおさまったのかとか私は知らなかったんですね。それをふまえて……。

 長島さんはまず2期目について語ってくれました。就任式での21分間のブッシュ演説で、“freedom”と“liberty”という言葉が42回も出てきたそうです(笑)。あげく「自由を全世界に拡大」とか言って。「そんなのおせっかいなんですけどね」(by 長島さん)。
 長島さんの見解では、次期国務長官のライス女史が狙い目とのこと。彼女はパウエルさんに比べると、もちろん駒としては弱いんだけど、ブッシュとの繋がりが非常に強いらしく。実の娘のように可愛がられて、ブッシュと会談するのに許可が要らない(あのパウエルさんですらいちいち許可を取ってたらしい)ほど密接なんだけど、意志が非常に強く、自分がダメだと思ったことはブッシュに逆らってでも貫き通す根性があるらしいです。彼女がうまい具合にブッシュを導いてくれれば、これはいい方向にいくだろうと。ふーん。
 一方、大使がシーファー(前オーストラリア大使)になったのは残念とのこと。このシーファー氏もブッシュと密接な関係で、いってみればマブダチみたいな立場らしく、しかも彼はライス女史と違ってブッシュの言うことならなんでも聞くタイプらしいです。この人が日本を引っ掻き回さないように気をつけないと、という見解。

 それから今後の日米同盟のあり方として、「主体性」について語ってました。長島さんの考えでは、いままでの日米同盟は“有事のリスク(米)×平時のコスト(日)”だったけど、今後はリスクもコストも適度に負担分配するべきだと。
 具体的にいうと、アメリカの(アメリカ兵の)transformation提案を日本はすでに2001年9月から受けていたはずなのに、2004年10月にアーミテージが来るまで何も真剣に考えようとしなかった、ということです。これはどういうことかというと、アメリカだって他国に自分の兵力を置いておくのはコストがかかるので、当面の目標として「他国に駐留させているアメリカ兵7万人を自国に戻す」と掲げているのです。その内訳はだいたいヨーロッパから5〜6万人、朝鮮半島から1万人、そして日本から数千人なんですが、その提案に対しての日本の回答は「……ちょっと待って。どこの基地を潰すか決めらんないから」の一点張り。
 昨年、沖縄の普天間基地に属するアメリカ軍のヘリが大学の敷地に墜落した問題もありましたが、ああいうふうな生活空間に隣接している基地は無くすべきだと思うんですね。そのためにアメリカが提案してきたtransformationは歓迎すべきだと思うんですけど……いろいろとしがらみがあるんでしょうか、ぜんぜん本腰を入れてませんね。

 とかまあ非常に長くなったので……ひとつだけ。

 現在、日本が国連の常任理事国入りをするしないで揉めていますが、ここで出てくるのが“集団的自衛権”(憲章51条)と“集団安全保障”(憲章42条)、そして憲法9条(戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認)ですね。
 私はいままで勘違いをしていました。“集団的自衛権”=“集団安全保障”だと思っていたので、日本は憲法9条を変えないかぎり常任理事国に入れないんじゃないの? と思っていました。が、上記のように憲章の条項が違うというのでよくよく読んでみたら、51条の“集団的 / 個別的 自衛権”は国連に加盟している特定の国の都合によって行使される武力であり、42条の“集団安全保障”は国連が「このままでは世界の均衡が保てないから、みんな出動!」と先導する武力であるわけですね。
 ということは、42条の“集団安全保障”に関しては憲法9条が当てはまらないんじゃないかなあと。そしたら常任理事国に入れるじゃん。と思ったんですが、どうやら長島さんに聞いたら、法制局はそういう判断をしていないとのことで。“集団安全保障”に関しても憲法9条が当てはまると勝手に解釈しているので、こんな騒動になってるらしいんですね。

 つまり、いまのまま常任理事国に入ってしまったら「このままでは世界の均衡が保てないから、みんな出動! あ、でもうちは憲法9条があるから行けないけど♪」という、なんともお粗末なことになってしまうらしいです。ある意味非常に日本らしいけど(苦笑)。
 とかそんな話をダラダラとしていました。いろいろと勉強になったし、非常に面白かった。ナルホドーと思うことや、それは違うんじゃないかと思うことや色々。長島さんは夢見がちなところがあると思うけど、モノの考え方は政治家として非常にいいと思いました。熱いんだけど、私情とかには影響されないストイックな部分を持っているという点が特に。

行ってきました♪ | Posted by at 1 27, 2005 18:40 | TrackBack (0)