植物の生息圏

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金木犀の香りが町を包み込む季節になった。
僕が好きな匂いのひとつだけど、ひさしぶにこの香りがする町にすむ。

パリではこの匂いで秋を感じることはなかった。
植物の生息圏を臭覚で感じた瞬間だった。

Dialy / 日常, Urbanism_City / 都市 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 10 9, 2008 10:39 | TrackBack (0)

水平線の色

今まで見たことのない無数のグレーを水平線に見た。

どんなに予定が詰まっていても毎週末欠かさず波乗りに行っている。 夏の間は少し先を見るにも目を開けることができない激しい日差しだった。 しかし、昨日は小雨が降っていて気温も落ち着いていた。

その小雨の景色が胸の深くに飛び込んできた。 それは水平線に広がる無数のグレーで構成された景色であり、まるで水墨画のようだった。

空では立ちこめる雲が背後に広がる青空や太陽光の乱反射で彫刻的な陰影作っている。 足もとから続いていく海水面には一つとして同じ形のない大小の波が波が水平線まで広がりこれもまた空とは別のルールで陰影を作っている。 雲と波の造形が作り出す陰影を海水面の反射が風景の中のグレーの数を無限に増幅させていた。
 
東京都現在美術館で内海聖史さんの作品を拝見した時「緑という色はこんなにも多彩で、奥行きがあるのか?」と驚かされた。

白と黒は色彩のないより単純な色。 でも、その間にですら無限のグレーが存在している、 そんな当たり前の事実を再認識した水平線の色だった。

Dialy / 日常 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 8 25, 2008 11:05 | TrackBack (0)

小さい世界

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奇跡的な再会があった。
オーストラリア人のJasperと Isabelleとは、巴里で出会い、僕はその後倫敦へ、彼らはシドニーに活動の中心を移した。 その後は数ヶ月に一回程度のメール交換でお互いの近況を伝え合っていた。

小雨の降る6月、僕は携帯電話を手に駅の改札に立っていた。 ふとその前を見たことのある外国人カップルが通った。 あまりにもあり得ない組み合わせ「東京×Jasper_ Isabelle」に夢ではないかと思いつつ、もう一度彼らを凝視し、僕は声をかけた。
「ヘイ!イザベル、ジャスパー、何でここにいるんだい?」 「ワオ!君こそ東京で何をしているんだ!!倫敦にいるはずだろ!!!」 僕らは駅前で叫び、抱擁し合った。
彼らは倫敦の友人の結婚式に参列するため、経由地の東京に3日間滞在の予定で下り立った。 その初日に、滞在先のホテルがある駅の改札で、巴里で出会った日本人に再開したのだ。

その場所で出会うはずのない友人と急遽共にした夕食は、夢の中の晩餐のようであり、お互いの活動の場である広い世界を感じる場であり、こうして僕らが偶然に出会えるこの世界の小さを実感させてくれた。 会話の中で伸縮する世界の大きさに不思議さと面白さを感じた。 

こんな奇跡的な再開は、最初で最後かもしれない。一方で、今年に入って6ヶ月しか経ってないのに、僕が日本にいるならと言うことで、計6 組の外国の友人,知人たちが日本に遊びに来てくれた。
Nathanael :NGO代表
Nathalie:ルイビトン
Shiny:デザイン記者
Jasper: and Isabelle 芸術家、建築家
Chen バートレットの学生
Minlanda OMA勤務

日本にいると現実味のない世界での出来事を、すぐ隣に在るものとして常に意識するためにも、彼らとの会話を大事にしようと思うし、彼らに逆に刺激を与える存在に成れればと思う。
事務所に遊びに来た彼らに現在進めているプロジェクトを見いせてみた。 少なからず彼らを刺激できていたようだった。

Dialy / 日常 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 7 7, 2008 13:44 | TrackBack (0)

コーンから世界遺産まで

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街を歩いていたら「擬木」ならぬ「擬石」を見つけた。
浅草寺の参拝者用通路へ車の乗り入れを防ぐ「車両進入禁止」のコーンである。 景観上、工事用コーンでは困るからなのだろう、結果として石「みたいな」コーンが選ばれたのだろう。 もしくは「石みたいだから車が恐れて直進していない」とでも思ったのだろうか?もし景観に対する配慮があるのであれば、木で組んだ標識に墨で書かれた気迫の文字「車両進入禁止」があったほうがよっぽど良かった気がする。外国人に人気がある観光スポットですら、ディズニーランド的景観感覚しか持ち合わせていない。 浅草寺の本堂や塔自体がコンクリート造作られていることを考慮すると、伝統的建造物もしくは景色に関するこのような景観感覚もいやもえないか。

このように、伝統的建造物に対する景観感覚を憂いていると、資本主義者ぶった人が経済の話を振りかざして対抗してくるだろう。 しかし、今直ぐしか有効でない短期的な利益を追うよりも、観光資源としての価値や快適性をなど長期的かつ多面的視野で試算されることを願うばかりである。

話を分かりやすくするために、コーンから世界遺産へ話題を拡大してみる。
世界遺産・平等院鳳凰堂の背景には高層マンションが建っている。 「浄土の世界に現世写り込む」といっても決して詩的には聞こえない。 このマンションは、開発業者や建設会社に確実に短期的利益を与えた。しかし観光資源としての長期的な利益を明らかに阻害した。さらには、周辺の土地が持つ付加価値さえも下げるだろう。

一時期は「東京の景色は世界的に類を見ないバラバラさが価値」などといって、盛んにその無秩序さを魅力として鼓舞する意見があった。 しかし、敷地内行われる建築所有者やデベロッパーの建築的暴狂は過度の自由を謳歌し、これによって日本の風景は醜悪化してきた。これに対して制定されたた「景観法」は評価されるべき流れだろう。 しかし、この法律の制定は日本の景観調整の第一歩である。 適切な運用には市民や企業の意識改革が必要だろう。 仏蘭西では、景観に対する責任と強力な権限を国持つ一方で、経済システムや市民の意識など様々なレベルでの景観意識もかなり強い。 「景観は公益である。」と法律の条文で謳っているいるくらいだ。

コーンから世界遺産まで脈々と続く日本人の景観感覚。 「景観法」という改革のきっかけを掴んだ今、この手強い相手に国民全員で向かって行きたい。

願いを込めて、先日見つけた初春の桜を・・・・
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Dialy / 日常, Paris / パリ, Urbanism_City / 都市 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 3 24, 2008 0:50 | TrackBack (0)

気付けば

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気づけば前の日記から一ヶ月も経っている。
(自分のHPの日記からカウントしてだけど。)

今日までどんな状態だったかと言うと、

雑誌の紙面構成に追われる>atlier+.として

自分がChefをしているShingapore, NewYorkの計画の締め切れに追われる>SBAEの所員として

某調査のヨーロッパ部門を統括に追われる>atlier+.として

Caribbeanの計画の締め切れに追われる>SBAEの所員として

Parisで行われるAfriqu,Maliのアーティストの展示計画に追われる>atlier+.として

今週より、再度NewYorkの計画に追われる予定確定!!
展示計画、雑誌編集も継続して重なる・・・・・・・のも決定。

なんて、忙しさアピールしてもしょうがないし、日本の人たちに比べたらそんな量でもない。
でも、立場、契約関係、仕事のスケール、取り扱われる言語、全ての要素が異なる状態の仕事を
同時、もしくは連続的にこなしていくと、 頭がくるくる回ります。
特に「言語」という大きな壁が頭を余計疲労させるのかな?

そんな日々を過ごしていたら、すぐ傍まで近づいてきている春の雰囲気に気づいていなかった自分がそこに居た。
季節の変化に自分の感覚を埋め込むことが出来てなければ表現者として終わりだ・・・と反省。

写真はそんなことを考えながら撮ったParis、5区のとある町並み。
不安定な気候が続いているパリ。
通り雨の後に春の日差しが顔をだし、町中の水面で光が増幅している風景。

Dialy / 日常, Paris / パリ | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 3 6, 2006 9:24 | TrackBack (0)

国立美術館で興ずる

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毎週火曜日の夜、Centre pompidouでは何かしらのパーティーが開かれる。
つまり、一個人や一法人が国立美術館を一晩借り切って、宴に興ずるのだ。
館内にはケータリングの食べ物とシャンペンを含めた各種飲み物が並ぶ。
美術館で行われる最大の利点は、パーティーエリアに隣接している展示室が開放されて
自由にアートが鑑賞できるということ。
フランスは「アートと人々の距離が近い国」と認識しているけど、
これは想像を超えた近さ。
10日はGaz de France(フランスガス公社) のパーティーで、
それこそ全館使われていた、写真は普段のpompidouとパーティー時のpompidou。
「楽むこと」より「問題ないこと」を好む日本ではありえない。

金曜日はC+Aの小嶋さんと赤松さんがいらっしゃった。
小嶋さんたちが、伊東豊雄さんのHospital Cognacq-Jay(コニャック・ジェイ病院)
現場に行くと言うので、僕もこれに便乗してお邪魔しました。
設計競技から関わり、現在、現場管理をしている高塚さんに案内していただくことが出来た。
外装はガラスによる無機質なものだが、一般開放される予定の道を抜け
敷地の庭に入ると非常に広々とした庭が広がっていた。
隣地の庭を借景して、大きな庭を作っている。
そしてそこには単一敷地だけでは得られない「大きな空」が広がっていた。
この庭が「病院という閉鎖社会に生きる患者」と「一般の人=社会」の交差点になるらしい。
病室からの視線や外部からの見え方に至るまで、「表面=境界」の設定が非常に精密になされていた。
あと、この建築は正面のない建築だということ。全てが正面であり全てが裏であるようなかんじ。
写真を何十枚も見て、やっと理解できる建築だろう。
オブジェとしての建築から、随分と遠い場所にある建築だ。
その後、昼食。
小嶋さん、赤松さんと高塚さんの「海外で現場をどのようにコントロールするのか?」と
いうお話は非常に興味深かった。

日曜日は黒田アキさんのアトリエへ。
ある企画のための組織立ち上げ会(?)をノンアルコールで行う。
と言うか組織立ち上げのための事務作業。
いきなり二月末の締め切りをもらいました。

何はともあれ、走ります!!!

Art / 美術, Dialy / 日常, Paris / パリ | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 1 16, 2006 8:36 | Comments (2) | TrackBack (0)

Noelに考える

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12月に入り、町中がNoel(クリスマス)一色です。
多くの通りが、様々なものたちを模ったイルミネーションによって飾られています。
HOTEL DE VILLE(パリ市庁舎)前の広場では恒例のアイススケートも始まりました。
頭がキンキンする寒ささえなければもう少し楽しめそうなんだが。

日本で言うお正月なので、家族総出で準備に取り掛かっている。
日本での歪められたクリスマスのイメージが
スカスカなものに感じられてしょうがない。

色々な「もの・こと」を輸入し、修正し展開してきた日本の文化。
その上に根ざしているものは面白いものが多いし
僕の「建築」という分野だってそれによって成立している。
しかし、日本化された「くりすます」や「ばれんたいん」は
そういう部分とは全く切り離された「広告的価値観、商業的価値観」によって
完全に捏造されたイベントとなっている。
そんなことで全国民(特に若い年代)が動かされてしまうのは寂しいかな。

そのようなツルツルした状態は、多くのものことについていえるかもしれない。

特に 日本は、色々な分野が最新で常に新鮮なものを欲している。
しかし、その「新鮮なもの」への検索範囲は海外であることが多い。
「パリ発」「ニューヨーク発」 という言葉に日本人が弱いこともこれを証明してる。
海外から見たら、東京は立派な国際都市であるにもかかわらず、「新しさ」を外に求め、
街には常に、更新された、最先端の、研ぎ澄まされたものが置かれる。
その「更新」は物凄い速さで円滑に進むけど、本質的には何も積み重ていないし、
かつ、「前のものは何も残っていない」というのが日本、特に東京と言う街である気がする。
パリはその点、圧倒的に更新が遅いけど、遅い分何かが残って
その上に確実になにかが積み重ねれれている感じがする。

雑誌に付いてもこれは言える。
日本の特に建築雑誌は、2,3年おきに文末やタイトルだけを変えるだけど
同じ特集を何度も何度も繰りかえす。
松田さんが言っていたが
ヨーロッパ、特にフランスでは、同じような特集を手を変え、品を変え
再生産し続けることはないらしい。

学術的な分野にも同じことが言えるようだ。
日本では論文を書くとき、文献が点在していて研究が積み重なっていくような準備がなされていない。
当然、分類整理されているけど、上手いこと発掘できない。
がゆえに、同じような研究がいたるところで繰り返されていたりする。
気になっていたこの話を、文学の本田さんにしたら
こちらはしっかりとした検索システムが確立されていて、
しっかり研究を積み上げていくシステムが確立されているらしい。
だから、研究はしっかり積み重ねられたりしている。
でも、日本の論文が求めるような「鮮やかさ」をもったものは多いわけでもなく
逆に、 当然の結論しか導き出さないつまらない論文も多いいらしい。

「歴史や根源の不在 」に対する不安から、逆に根源的な部分から思考し直したり、
油断なく積み上げたりして、世界トップレベルのものを作ったりもしてる。
また、突拍子もないところから発想する自由度もある。
良くも悪くも、日本とはそんな国です。

なんてことを言ってるけど、それなりに「くりすます」を楽しんでいた僕も
3,4年前には いたわけです。

Dialy / 日常, Paris / パリ | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 12 12, 2005 9:25 | Comments (2) | TrackBack (1)

頭の体操

土曜日
久しぶりに連絡を頂いて松田達さんとスイスで働く木村浩之さん
3人でラオス料理のお店へ。
お互いの自己紹介や近況報告をさせていただき、その後場所を替え一杯。
異国での建築教育制度、思考方法、設計プロセスからコルビジェに至るまで
海外経験者としての面白い考え方を伺うことが出来た。

久しぶりに「建築」を肴に飲んだという感じです。
意識して考えながら喋るといい頭の体操になって
脳の眠っていたどこかが活性化された感じ。
僕もそれに乗せられるように幾つかお話する。

僕が最近気になっていること、いや驚いたのは
日本人と仏蘭西(欧州ともいえる)人の単位感覚。
僕が前に勤務していた仏蘭西人建築家の設計事務所ではエスキスを「メートル」単位で考え始めた。
そして詳細設計等の時点でもCAD上の基本単位は変わらず「メートル」に設定されていた。
つまり、それ以下の長さは基本単位を「分割したもの」である。
今は仏蘭西にある日本人の事務所で働いているんだけど単位は全て「ミリ」で扱われる。

つまり、同じ50センチを思考するとき、
・基本単位を分割した「0.5メートル」と
・ 基本単位を500倍した「500ミリ」
と言う違いが出る。
これはスケール感覚や視覚的/触覚的建築の作り方にかなり作用している。
全ての部分に焦点が当たっている日本建築の緻密さは
こんなところから来ているのかもしれない。

比較の対象として「全体性が持つ魅力」を好む仏蘭西建築を取り上げると納得行くけど
欧州諸国でも詳細部分の納まりが美しいスイスも同じ「メートル」志向らしい。
「全ての部分に焦点が当たる」ことと「収まりが美しい」ことが
空間の質においては必ずしも同じことではないということかな。

あと、聞いていて印象に残っているのは木村さんの欧州人の「面の扱い方」。
欧州人は、空間に出てくる「細々した物」(電気、排気口、吐き出し口、消火設備など)を
面の要素として自覚的に捉え、面の中に整理整頓して置いているという。
確かに日本人の作品で「これほどこだわっているのに、ここにこれが出てくるのか?」
と言う感じがする。
つまり、日本人は空間を抽象的な存在として捉えていて、「空間」をデザインした後に
実際の使い方や法規的に必要なものが別の次元で「空間」に出てくる感じ。
そんなときはちぐはぐな空間になる。

僕が上記で「細々した物」と書いていること自体、そんな日本人的意識を表している。
完全には一般化できないけど非常に頷けるお話だった。

Architecture Space / 建築, Dialy / 日常, Paris / パリ | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 12 5, 2005 9:25 | TrackBack (0)