長方形以外

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ZKMMedienmuseum3つのインスタレーション作品が登場した.先の2作品は,昨年ZKMで行われた「Making Things Public」展にて展示されたものの修正版.

1つ目はDidier Demorcy,Isabelle Mauz,Studio Ploによる「When Wolves Settle: A Panorama」.アーティストと社会学者のコラボレーションによるこの作品は,オオカミを巡る野生動物保護主義者と地元羊飼いの意見の対立を,アルプスの山と麓の村を再現したミニチュアとインタビュー映像により示したもの.メディア・アートというよりも,学習用のドキュメンタリー作品といった感じ.
Matthias Gommelによる「Rhine Streaming」は,ZKMから6km離れたライン川の映像と音声をストリーミングするもの(ここから昨年の展示の動画などを見ることができる).これもまた学習的な側面の強い作品.もちろん,メディア・テクノロジーを用いなければ成立しない作品ではあるが,全体像がつかみにくい.
最後がPeter Dittmerによる「Die Amme Die Amme_5」.「Amme」とは,ドイツ語で乳母のこと.巨大なマシーンである「Amme」に対して,観客はモニタ上で対話を繰り返す.そのコミュニケーションの結果によって,成功すればミルクを受け取ることができるし(ロボットアームがコップに入ったミルクを差し出す!),失敗すれば霧状の水を吹きかけられたりすることになる.前の2つと比べると,まるでゲームのような作品なのだが,その対話(残念ながらドイツ語なので,ぼくにはわからない)自体が1つの詩のようなものを生み出したり,マシーンそのものが巨大なインスタレーションとして成立させている.この「Amme」は5つ目のバージョンであるが,webを見る限りでは,過去の「Amme」の方がコンパクトに自立していてよい作品だと思う.この「Amme_5」は少し巨大すぎて,1つの生物(乳母?)というよりも工場のような雰囲気.また,アトリウムに置かれているが,プロジェクタを用いた周りの作品のために場内は全体的に薄暗く,もっと明るい場所に置いた方がよいだろう(写真は設営準備中のもの).ZKMでの展示は10月15日まで.
ちなみに「Amme_2」と「Amme_3」を展示したドレスデンのHfBK展示室は,写真を見る限りすごくかっこいい.フランクフルトのMMKもそうだけど,長方形平面を持たない展示室もいいね.

@karlsruhe, 美術 | Posted by satohshinya at May 31, 2006 13:49 | TrackBack (0)

コンピュータ・ミュージックが演奏される場所

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「LAC2006 - 4th International Linux Audio Conference」というイベントがZKMで行われた.コンピュータ・ミュージックを制作するアプリケーションを巡って,いくつかの発表と討議が行われるとともに,ワークショップ,コンサートも開催された.これもまた,Institut für Musik und Akustikによるもの.

詳しいことはよくわからないが,コンピュータ・ミュージックを制作するアプリケーションにはさまざまな種類があるらしい.それぞれ特長があって,可能な作業が異なるため,使用するアプリケーションの機能が完成する作品にも影響を与えるそうだ.
コンサートはKubusにて2回行われた.コンピュータ・ミュージックは基本的にコンピュータのハードディスクから直接演奏される.観客は舞台方向を向いて並べられた客席に座って鑑賞するのだが,もちろん舞台上には演奏者が存在しないために照明は当てられていない.場内は全体的に薄暗く,そんな中で全員が一方向を向き続けている.演奏,というよりも再生のための操作は,一般的なコンサートにおける音響卓と同様に客席後方に位置している.
作品によっては,と言うよりも多くの作品が,方向性を持ったものとして作られている.4チャンネル以上の立体音響(このコンサートではKlangdomが使われているので,最大40チャンネル)を用いて作品が作られているため,どちら側に向いて作品を聞くかが決まってくる.つまり,作品自体が前後左右(上下)を持つ空間であるため,鑑賞する観客の向きが限定されてしまう.例えば映画の音響を考えてみると,サラウンドの場合,画面の奥で爆発が起こった場合には前面のスピーカから爆発音が聞こえるし,客席後方のスピーカから爆発音が聞こえれば,カメラ(画面の手前)側で爆発が起こっており,それを眺めている人物の顔のアップが映し出されるというように使われる.このように画面が伴っている場合には,立体音響による空間の存在や向きは容易に理解できるだろう.もちろん,会場内を歩き回ることができるような,いわゆるサウンド・インスタレーションと呼ばれるものに近い作品もあって,それらは限定した向きを持たないかもしれないが,その辺りの音楽作品としての違いはよくわからない.
何れにしてもハードディスクから再生されるものがオリジナルであるという事実には,どうしても不思議な印象を受けてしまう.あくまでも4チャンネルで作られたものは4チャンで,8チャンは8チャンで再生されることがオリジナルであることをキープする必要条件で,CD(2チャン)化されたりすると,それはもうオリジナルとは呼べないことになる.専門外の立場で考えると同じ作曲された曲ではないかと思うのだが,極端に言えば,絵画とその原寸大の印刷物の違いみたいなものがあるのだろう.
一方で,再生される場所は作品に影響を与えないのかと言えば,もちろん与えるだろう.同じ8チャンであったとしても,広い場所と狭い場所では異なるだろうし,響きのある場所と響かない場所でも異なるだろう.Kubusはそれほど広い空間ではなく,電気音響によるパフォーマンスを前提としているため,音響的にはデッドな空間となっている.コンピュータ・ミュージックの場合は,予め必要な響きを作品に含み込むことができるため,演奏空間自体が響きを生み出す必要がないらしい.例えば従来のコンサートホールでは,楽器から発する音を適切に響かせることで,その実際の空間による効果(響き)を含めて作品が完成するのに対し,コンピュータ・ミュージックでは,作品そのものに予め空間が内包しているように思える.無理を承知で例えるならば,美術において,額縁の中に納まる絵画が,空間そのものを作品とするインスタレーションへと変化していったようなものではないだろうか.
そう考えたとき,鑑賞者の位置と向きをどのように考えるべきかが問題となる.Klangdomはドーム状にスピーカが配されているのに対し,客席は平面的に広がっているため,スピーカとの関係が最も効果的と考えられるドームの中心に位置できる観客はわずかである.作者が作品を完成するために位置する場所がもっとも作品を鑑賞するために適切な位置であると考えると,それは一般的に中心となるだろう.更に例えるならば,演劇でも演出家は客席のある位置を中心として作品を完成させていくから,最前列の端の席であったり,最後列の席であったりすると,作品鑑賞という意味からは問題が生じる可能性が大きい.そのため,客席の位置などによって入場料が異なったりするわけだが,そうだとしても,一般的には舞台と客席が明確に分かれているため,鑑賞者の向きが限定される必然性は理解できる.しかし,視覚的な要素の存在しない立体音響による音楽作品が持つ方向性は,どのように強度を持ち得るのだろうか?
話が少し脱線してしまったが,とにかく「LAC2006」のコンサートの話である.1夜目は「Opening Concert」と題されて8曲が演奏された.何人かの作曲家はイベントに参加していたので,曲が終わると本人が立ち上がり拍手を受けていた.もちろん作曲家や演奏家がいなかったとしても,普通のコンサートと同様に曲が終わる度に拍手が起こっていた.しかし,この拍手は誰に向けたものだろう? コンピュータを操作している人たち?
最後の曲Agostino Di Scipioの「Modes of Interference」だけは,トランペット奏者とともに作曲家が舞台上に登場.トランペットの音(といっても,いわゆる曲を演奏するのではなく,音を出しているだけという感じ)を何やらコンピュータでリアルタイムで制御.この時だけは,普通のコンサートという感じだった.
コンサートを含む詳細は,当日に印刷して販売されていたプログラムに掲載されており,ここからpdfでダウンロード可能.曲の解説,作曲家の紹介などもある.

@karlsruhe, 音楽 | Posted by satohshinya at May 23, 2006 10:38 | TrackBack (0)

似て非なるもの

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写真だけ見ると美術館のように見える.しかし,どこかの美術館のようにファサードに動物の絵が描いてあるわけでなく,本物のキリン.

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これはカールスルーエにある動物園の中のキリン舎である.エントランス側の写真を見ると,上部にはハイサイド・ライトがあって,ますます美術館のように見える.内部に入るとトップライトまであって,現代美術館の展示室と大差がない.更に,肝心のキリンは巨大なインスタレーション作品にすら見えてしまう.
この動物園では,他にも象やライオン,カバ,ゴリラなども全て室内で鑑賞(?)する.広大な敷地の中に,ポツポツとパビリオンのように建物が建っている.目の前で見る象なんて,結構な迫力.

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おまけは,ベルン中央駅の脇にあった駅施設.これもどこかで見たようなファサード?

@karlsruhe, 美術 | Posted by satohshinya at May 16, 2006 12:23 | TrackBack (0)

自己満足のドイツ人と既視感の日本人

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IchiigaiというHfGのレーベル(大学が持っているレーベル?)によるコンサートが,Badischer Kunstvereinで行われた.Ichiigaiとは「1以外」という日本語.20時頃から始まり,やっぱり夜中まで様々なグループが登場するのだが,ぼくが見たのはその中の2つだけ.

1つは,このコンサートに誘ってくれたHfGの学生であるシンゴ君とその先輩による,自作の楽器を用いた3曲のパフォーマンス.テルミンとチェロを組み合わせたような不思議な電子楽器を用いて,漫才のような掛け合いとともに演奏が進む.日本人のぼくから見ると,その漫才的な間合いとか,明和電気の楽器のようなユーモラスなパフォーマンスは既視感を生んでしまうが,ドイツ人による自己満足的な演奏(しかも長時間)と比べると,プレゼンテーションすることに意識的であるという意見を聞いた.日本人はそういったことが,比較的に自然とできるのではないかとのこと(これはZKMのアーティスト・イン・レジデンスであるイシイさんより聞いたもの.彼女はドイツ在住の作曲家).
写真は,ドイツ人による自己満足的演奏のもの.左では何十個と並んだツマミを動かしながらサウンドをコントロールし,右のおじさんがサックスを途切れ途切れに吹いている.確かに観客を置き去りにしていた.

@karlsruhe, 音楽 | Posted by satohshinya at May 15, 2006 17:18 | TrackBack (0)

その後

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移動遊園地のその後.たまたま開催地であるMeßplatzを横切ると撤収作業を行っていた.ご苦労さま.その後に訪れたBernでも移動遊園地をやっていたので,こっちでは結構ポピュラーなものかもしれない.
ちなみにこのMeßplatzでは,現在サーカスを開催中.街の至るところにポスターが貼られている.

@karlsruhe, イベント | Posted by satohshinya at May 15, 2006 12:24 | TrackBack (0)

夜中の美術館

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「Die Lange Nacht des Lichtes(光の長い夜)」というイベントが行われた.タイトルの通り,さまざまなイベントが19時から始まり,夜中の1時まで続いた.これはMuseum für Neue Kunstの「Lichtkunst aus Kunstlicht」展に合わせたイベントで,全て入場無料,普段はZKMに来ることのない人たちを集めることを目的としていたのだが,おそらく1,000人以上が集まっていたと思う.企画の中心になっていたのはMuseumskommunikationという部門の人たち.日本で言うと,教育普及部門といったところだろうか.

人気だったのは,「Lichtkunst」展のガイドツアーで,整理券を求めて長蛇の列ができていた.ホワイエではコンサート,Madientheater(実験劇場のようなマルチスペース)では70/80年代音楽によるディスコ(笑)が行われ,先日ポップソング・ライブをやったスペースはそのままラウンジと化しており,ときおりバンドが登場して音楽が演奏されていた.子ども向けの企画も充実していて,ディスコに先立ちMadientheaterでは市内の子ども劇場が出張公演(?)を行ったり,自由に形を作った針金に光を当てて影を楽しむワークショップなどが行われていた.とは言っても,ほとんどがメディア・アートとは関係のなさそうな学園祭のようなイベントが繰り広げられているだけなのだが,それにしても,こんな夜遅くに大勢の人たち(しかも子どもから老人まで)が美術館に集まっているという状況はなかなか日本では考え難い.写真は20時30分頃のホワイエ(エントランス・ロビー).トップライトを見るとわかるように外はまだ明るい.
その中で,唯一と言ってよいメディア・アートは,Christian ZieglerとLudger Brümmerによる「Wald-Forest」という作品.16本の蛍光灯が垂直に吊され(それが森に立つ樹木のように見える),その間を人が通ると蛍光灯との距離によってサウンドが変化するというインタラクティブなもの.ビジュアル上のインスタレーションを担当のChristianはダンスの舞台美術をよくやっており,先日,日本公演も行ったとのこと.この作品もテストの段階でダンサーを連れて来て踊ったらしい.Ludgerは,ZKMのInstitut für Musik und Akustikのディレクターで,音楽を担当.会場はKubusという音楽用スペースで,40個のスピーカがドーム状に空間を覆っている.このスピーカ・システム(Klangdom)は最近Kubusに設置されたもので,その制御プログラムとともに画期的なもの(らしい).
こんなイベントはZKMでも年中やっているわけではないそうだが,日本の公共美術館でもやってみればよいと思う.しかし,こんな企画は通らないように思うし,通っても人が集まらないかな? できるのはここくらいか.

@karlsruhe, 美術 | Posted by satohshinya at May 12, 2006 12:35 | TrackBack (0)

怪しげなポップソング

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先日紹介したHfGのアトリウムでコンサートが行われた."THE ERRORISTS"という怪しい名前のバンドで,エレクトリック・チェロとヴォーカル兼ヴィジュアルという,ますます怪しげな2人組であった.おまけにaudio-visual Popsongsだそうだ.大学の校舎内にも関わらず,開始は21時から.昼間から何やら設営していたのだが,完成したものは,自動車が取り付いた金属製のフレームによるステージの前に,透明ビニール製のソファや椅子が適当に並べられ,客席の背後にはさまざまな照明が一面に吊されて,さまざまな色の電球が取り付けられている.

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実際の音楽は思った以上におもしろく,その場でサンプリングしたチェロに,更に音を重ねていくといったようなもの.そして,昼間に見ると粗末にすら見えた照明もおもしろい効果を出していて,なかなかの雰囲気だった.ちなみに,『田無の家』で選んだ照明まで使われていた.しかし,これってどこの主催だったのかな? ZKM? ホームページにも宣伝しているところを見るとZKMらしいが,こんなイベントがたまに行われているらしい.

@karlsruhe, 音楽 | Posted by satohshinya at April 20, 2006 23:10 | TrackBack (0)

湖畔の漱石

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カールスルーエの本屋に行くと,村上春樹の『海辺のカフカ』が平積みになっている.その他の作家を眺めてみても,知っているのはスティーブン・キングくらい.後はハリー・ポッターかな? そんな中,村上春樹はドイツ語になって読まれているようだ.
まあ,タイトルがタイトルだけに,ドイツ語圏の皆さんには馴染みがあるのかもしれないが,日本でドイツ人作家による『湖畔の漱石』なんて作品があったとして,読まないよね,きっと.ちなみに,こんなサイトもあるくらいだから,やっぱり有名なんだろうか,村上春樹は.どうせならば,"Kafka am Strand"なんて読まないで,"Mister Aufziehvogel"を読んでほしいな.

@karlsruhe, | Posted by satohshinya at April 19, 2006 22:59 | TrackBack (0)

全国の構造ファンへ・その2

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カールスルーエにて吊り屋根発見.「Europahalle」なる,コンサートをやったりするイベントホールらしい.こういったものの発見の際には,okd先生への報告が義務付けられているため,特別にこのエントリをアップ.前回,サッカースタジアムを紹介した際には,それを見た人からサッカースタジアムについて原稿依頼があった.気をつけよう.

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このホールは街の中心から離れた小さな川の横に位置している.そんなに大きい建物ではないんだけれど,この構造体が以上にデカイ.遠目には橋でもあるのかと思って近づいてみると,その下に低い建物があって,その屋根を支えていた.この川の辺りは公園のようになっていて,ジョギングをする人たちが多数いた.まあ,ランドマークにはなっているかもしれない.

@karlsruhe, 建築 | Posted by satohshinya at April 19, 2006 8:31 | Comments (2) | TrackBack (0)