湖畔の漱石

_0010152.jpg

カールスルーエの本屋に行くと,村上春樹の『海辺のカフカ』が平積みになっている.その他の作家を眺めてみても,知っているのはスティーブン・キングくらい.後はハリー・ポッターかな? そんな中,村上春樹はドイツ語になって読まれているようだ.
まあ,タイトルがタイトルだけに,ドイツ語圏の皆さんには馴染みがあるのかもしれないが,日本でドイツ人作家による『湖畔の漱石』なんて作品があったとして,読まないよね,きっと.ちなみに,こんなサイトもあるくらいだから,やっぱり有名なんだろうか,村上春樹は.どうせならば,"Kafka am Strand"なんて読まないで,"Mister Aufziehvogel"を読んでほしいな.

@karlsruhe, | Posted by satohshinya at April 19, 2006 22:59 | TrackBack (0)

理想のデザイン

これこそが理想のデザインと思うものがある.祖父江慎氏によるブックデザインだ.もし,祖父江氏を知らない人がいるのならば,まずはこのインタビューのPDF完全版をダウンロードして読んでほしい.
端正で上品な装幀の対極にある,過激で過剰なデザインであるが,これらが本の内容を十分に表現したものであることは,インタビューを読めばわかるはず.ミニマルなデザインが持て囃されている一方で,こんなに豊かなデザインがあることに感嘆する.まあ,「Less is Bore.」ということなのかもしれないけれど,祖父江氏のデザインが本の内容を正確に具現化したものであることを思うと,決してデタラメに脱臼させたものなんかではなく,非常に高等なデザインである.
例えば,僕の手元にしりあがり寿氏の『弥次喜多 in DEEP 廉価版』があるが,これは『弥次喜多 in DEEP』全8巻を4冊にまとめて,廉価版としたものである.この8→4への巻数の変化は,廉価版1巻=旧版1巻,2巻=2巻,3巻=3+4巻,4巻=5+6+7+8巻とすることで対応している.しかも,1巻と2巻は同ページだが,使用している用紙の厚さが異なるので,1→2→3→4と等比級数的に本の厚さが増加している.それだけのことといえば,それだけなのかもしれないが,このことが実際に本を読むという行為にどのくらい影響を与えるのかを想像してほしい.これこそが本当のデザインだと思う.

来月には,ギンザ・グラフィック・ギャラリーで作品展が開かれ,作品集も発売されるらしい.こちらも乞うご期待.

| Posted by satohshinya at October 7, 2005 6:48 | TrackBack (0)

三島賞の文庫

三島賞受賞作2冊の文庫が出た.中原昌也氏の『あらゆる場所に花束が……』と舞城王太郎氏の『阿修羅ガール』
中原氏の作品はまだ読んだことがないが,これは受賞当時からの話題作.単行本の怪しい中原氏による装丁画が変わってしまっているのが残念.
『阿修羅ガール』は舞城氏の作品の中では中くらいの出来.まあ,気持ちは分かるけど,やや構成を意識しすぎていて破綻が少ない.こちらも単行本佐内正史氏写真から,山口藍氏の絵に変わって,大分雰囲気が変わっている.『世界は密室でできている。』(こちらは舞城氏の装丁画)に続いて文庫化が相次ぐ舞城作品だが,『阿修羅』には,単行本に入っていない短編も併載されている.というわけで,こちらで読むことをお薦め.
他にも三島賞受賞作には,青山真治氏の『ユリイカ EUREKA』もある.ご存じのとおり,青山氏自身が監督した映画の小説化だが,なかなかおもしろい.そうえいえば,3氏によるこんな本もある.

| Posted by satohshinya at April 26, 2005 6:44 | Comments (2) | TrackBack (0)

ハードボイルド・ワンダーランド

sa-saさんをはじめとして,若い人たち(笑)の中でも村上春樹氏の作品は読まれているらしい.そういうことを知ると,お節介ながらもまたもや解説してしまう.村上氏については,ネット上でも山ほど解説されているだろうから改めて書く必要もないのだけれど,せっかくなので.
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は,もう17年近く前に読んだものだから,あまり細かいことは覚えていない.この小説は2つの世界が交互に登場するのだが,そのときの感想としては,「ハードボイルド・ワンダーランド」は楽しく読めたけれども,「世界の終り」はあまり楽しめなかったというものだった.もちろん,対照的な世界が交互に動いていくことがこの作品のポイントではあるのだが,あからさまに二極化されて表現する方法論になじめなかった.まあ,今読めば違う感想になるかもしれないけれど.それよりも本の装丁がすばらしかった.司修氏による装丁は,「ハードボイルド・ワンダーランド」を表すかのようなピンクを基調として,「世界の終り」の地図と挿画が加えられている箱入りの美しいものだった.その後発売された文庫版も,この装丁を踏襲したものだったけれど,いつだったか箱なし単行本による新装版が出て,現在の文庫版はその装丁の延長にあるポップなものに変更された.これはすごく残念な話だけれど,確かに司氏の装丁ではやや堅苦しいイメージを作品に与えてしまっていたかもしれないから,この変更はある意味では正解であったかもしれない.きっと手に取る人が更に増えたと思う.
もし村上氏の作品を読んだことがない人がいれば,やはり『風の歌を聴け』を読んでほしい.これは本当にすばらしい作品.作者にとって,処女作が最高作なんて言われるのは嫌だろうけれど,やはりこれは村上春樹氏のベストだと思う.続く『1973年のピンボール』も個人的には好きな作品.今では,特に映画やマンガでは当たり前のようになってしまったかもしれないけれど,当時は「208」と「209」という数字を名前に持つ双子の女の子なんていう設定は,本当に新しかったと思う.ご存じの通り,同じ主人公の話は,『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』と続くわけだが,やはり最初の2作を読むべき.短いし,最近新装版の文庫も出たばかり.
その他の長編では,『ねじまき鳥クロニクル』は読むべき作品.『ノルウェイの森』以降はリアルタイムで読んでいるから,どうしても説明に時間的な要素が加わってしまうけれど,当初は最初の2巻で終わるであろう作品が,なぜか3巻が出版されたときには本当に驚いた.2巻まででは,それ以前の『ダンス・ダンス・ダンス』などと一緒で,問題は提出されるがその本格的な解決を試みる前に物語は終わっていて,この作品もこれで終わりだと思っていた.それが,更に3巻が加えられることで,今までとは違う村上作品となった.これには賛否両論があったと思う.過去の村上春樹的世界が好きな人には,やや書きすぎていたように思われたみたいだけれど,もちろん作家だって変化する.
短編については,先日発売された『象の消滅』が初心者向けだが,本当は『村上春樹全作品 1979〜1989』に収められている3冊の短篇集を読むことをおすすめする.そうでなければ,文庫版の『中国行きのスロウ・ボート』『蛍・納屋を焼く・その他の短編』とかになるのだけれど,短編に関しては書き直しをしているから,やはり『村上春樹全作品』の方が決定版.短編の個人的なベストは,『回転木馬のデッド・ヒート』.村上氏の作品は,長編の中には読まなくてもよさそうなものがあるけれど(笑),短編は,特に初期のものはおすすめ.
小説以外では,『アンダーグラウンド』が読み切るのがしんどいけれども,ノンフィクションの力作.旅行記では『遠い太鼓』がおもしろい.『村上朝日堂』シリーズは,どうということはないけれども,どれもおもしろい.これを読むと本当に神宮球場へ行きたくなる.村上氏のエッセイは暇つぶしに最適.
もちろん,村上春樹氏も同時代の作家であるのだけれど,どうしてこんなに読まれているんだろう.出版されるたびにベストセラーになる.阿部和重氏や舞城王太郎氏も,20年後にも読まれているような作家であるのだろうか? まあいいか,そんなこと.

それから,こんなサイトもオープンしているようです.

| Posted by satohshinya at April 16, 2005 5:49 | Comments (1) | TrackBack (0)

更に同時代の作家

阿部和重氏の『シンセミア』を読み始めているが,m-louisさん提案のように2日間で読むことができそうもなく,ダラダラと読んでいる.その前に『アメリカの夜』をようやく読んだのだが,それと比べるまでもなく,やはり『シンセミア』から阿部氏の作品に変化が出てきているよう.何れにしても感想は読了してから.
『シンセミア』は1,600枚だそうだが,村上龍氏の最新作『半島を出よ』は微妙に多い1,650枚だそうだ.『コインロッカー・ベイビーズ』『愛と幻想のファシズム』に続く,久しぶりの上下巻大作ということで,思わず買ってしまった.
村上春樹氏も,『アフターダーク』には少しがっかりしたが,アメリカで編集された短編集の日本語版という『象の消滅』を出した.つまり,アメリカ版と同じ順番で並び直しただけの本なのだが,1編だけ『レーダーホーゼン』という作品が,アメリカの編集者が縮めて収録されたこともあって,その短縮版を村上氏自身が日本語版を参照せずに和訳している.それはともかく,代表的な短編が多く収められており,もし村上氏の短編に馴染みのない人にはお買い得な一冊.ただし,かなり文字が小さく読みにくい.ちなみに,村上氏は元々短編には手を入れることがよくあって,ほとんどの短編が『村上春樹全作品』に収録される際に書き直されている.新しい短編集はこれらを定本としているので,文庫版とは少し違うから,文庫で読んだ人にもお薦め.

| Posted by satohshinya at April 14, 2005 6:24 | Comments (2) | TrackBack (0)

同時代の作家

阿部和重氏が『グランド・フィナーレ』芥川賞を獲った.毎回「文藝春秋」では芥川賞受賞作が全文掲載されているのだが,金原ひとみ氏,綿矢りさ氏が受賞した時には増刷を重ねて120万部近く売れていて,それに気をよくしたのか今回の受賞作掲載号では阿部氏のほぼ全身写真入りの全面広告が「朝日新聞」に掲載されていた.笑った.それはともかく,阿部氏とは生まれた年が同じであることもあって,同世代の作家として注目してきた.
受賞作である『グランド・フィナーレ』をまだ読んでいない.同じ神町という場所を舞台とした長編『シンセミア』をまだ読んでいないので,それの後に読もうと思っている.ちなみに,これら神町を舞台とした作品を「神町フォークロア」と呼ぶらしい.というわけで,芥川賞の話題.
阿部氏はようやく芥川賞を受賞したわけだが,本当に今更ながらという気がしている.『シンセミア』を書いた後の受賞なんて,中上健次氏に例えると,『枯木灘』を書いた後に『千年の愉楽』のどれかでようやく受賞するようなもの.そう考えると,中上氏は『岬』で受賞したわけだから,阿部氏も『シンセミア』より前の『ニッポニアニッポン』辺りで本当は受賞すべきだったのかもしれない.などというのは,ほとんど意味のない例え話.
阿部作品の中では,個人的には短編集『無情の世界』がお薦め.『ニッポニアニッポン』もまあまあ.『インディヴィジュアル・プロジェクション』は,読む前に少し期待が大きすぎたためにあまりよい印象がないのだが,阿部氏の代表作.文庫解説は東浩紀氏が書いている.ちなみに,こちらは東氏との鼎談.
芥川賞の話に戻す.芥川賞受賞といっても,1年間の内に上半期と下半期があって,1半期で2人受賞する可能性もあるため,1年で最大4人の受賞者,10年だと40人の受賞者が出る可能性がある.結構な量だ.例えば,この10年(1995〜2004年)で芥川賞を受賞した人たち.
保坂和志,又吉栄喜,川上弘美,辻仁成,柳美里,目取真俊,花村萬月,藤沢周,平野啓一郎,玄月,藤野千夜,町田康,松浦寿輝,青来有一,堀江敏幸,玄侑宗久,長嶋有,吉田修一,大道珠貴,吉村萬壱,金原ひとみ,綿矢りさ,モブ・ノリオ,阿部和重の24氏.この中で読んだことがあるのは柳,平野,阿部の3氏くらい.もう既に馴染みのない名前もある.
次の10年(1985〜1994年)はこんな感じ.
米谷ふみ子,村田喜代子,池澤夏樹,三浦清宏,新井満,南木佳士,李良枝,大岡玲,瀧澤美恵子,辻原登,小川洋子,辺見庸,荻野アンナ,松村栄子,藤原智美,多和田葉子,吉目木晴彦,奥泉光,室井光広,笙野頼子の20氏.池澤,大岡の2氏くらいしか読んだことがない.
更に次の10年(1975〜1984年).
三木卓,野呂邦暢,森敦,日野啓三,阪田寛夫,林京子,中上健次,岡松和夫,村上龍,三田誠広,池田満寿夫,宮本輝,高城修三,高橋揆一郎,高橋三千綱,重兼芳子,青野聰,森禮子,尾辻克彦,吉行理恵,加藤幸子,唐十郎,笠原淳,高樹のぶ子,木崎さと子の25氏.ここまで来ると大御所も混ざってくるが,読んだことがあるのは日野,中上,村上,宮本,尾辻の5氏くらい.
今回の阿部氏受賞に際して,審査員からは「村上春樹や島田雅彦に受賞させなかった失敗を繰り返さない」というような理由で受賞を決めたとかなんとかいう話があった.どうでもよい話だが,確かに村上春樹氏も島田雅彦氏も,ついでに高橋源一郎氏も受賞していない.これだけの数の受賞者がいながら,この3人は受賞できなかった.
村上春樹氏は2回候補になった.1979年上『風の歌を聴け』と1980年上『1973年のピンボール』
島田雅彦氏は,自ら「朝日新聞」の文芸月評で阿部氏受賞の話題に触れて未練がましいことを書いていたが,6回も候補になっている.1983年上『優しいサヨクのための嬉遊曲』,1983年下『亡命旅行者は叫び呟く』,1984年上『夢遊王国のための音楽』,1985年上『僕は模造人間』,1986年上『ドンナ・アンナ』,1986年下『未確認尾行物体』.確かにどれで受賞してもおかしくないような作品ばかり.
高橋源一郎氏に至っては,候補にもなっていない.
ちなみに阿部氏は過去3回候補になり,4回目で受賞.候補作は1994年上『アメリカの夜』,1997年下『トライアングルズ』,2001年上『ニッポニアニッポン』.
おまけに中上氏も4回目で受賞.候補は1973年上『十九歳の地図』,1974年下『鳩どもの家』,1975年上『浄徳寺ツアー』,1975年下『岬』で受賞.
要するに,これを機会に同時代の作家によるこれらの作品をぜひ読んでほしいということ.

| Posted by satohshinya at February 13, 2005 6:41 | Comments (7) | TrackBack (1)

ものとしての小説

舞城王太郎氏の『熊の場所』のノベルズが発売された.これは,ノベルズ出身の舞城氏が,初めて文芸雑誌に発表した同名短編を収めた第1短編集.以前はハードカバーの単行本で出ていたもののノベルズ化.ハードカバーといっても,実際にはふかふかしたソフトなカバーを使用した凝った装丁で,デザインは講談社の舞城本をすべて手掛けているVeia.
続くように,舞城氏の処女作である『煙か土か食い物』の文庫が発売された.これは,以前はノベルズで出ていたものの文庫化.そもそも,単行本がノベルズ化されるというのは珍しい気がするが,どうもここには,単行本>ノベルズ>文庫というヒエラルキーがあるようだ.となると,将来『熊の場所』は更に文庫化されのだろうか? それはともかく,話のポイントは中身について.中身といっても,これらの小説が印刷されたページ自体のデザインについての話.
ノベルズ版の『熊の場所』には3つの短編が収められているのだが,実は,それぞれ使用しているフォントの種類とポイント,段組がすべて違っている.もちろん,単行本版で使われていたのは1種類だけ.通常の単行本のつくり方だった.このアイディアは,そもそも「ファウスト」で始まったもの.すべての作品は,それに相応しいフォントや段組を必要とすべきであるということから,1つの雑誌に,作品毎に異なるフォントや段組が選択されている.もちろん,In Design(今はCreative Suite)使用によるDTP技術の発達が背景にある.そして,芥川賞を取り損ねた『好き好き大好き超愛してる.』の単行本では,異なるフォント,段組どころか,使用している紙までが作品によって異なっていた.作品を読ませるに当たって,ものとしての小説が持っている空気をつくり出すためのデザインが行われているように思う.
実際に,それらのデザインによって作品の印象がどれくらい変わるかは,読み比べたわけではないのでわからないが,何れにしても,『熊の場所』ノベルズ版は,単行本版より更に進化した完成版である.

| Posted by satohshinya at December 18, 2004 11:53 | Comments (1) | TrackBack (0)

舞城最新作?

舞城王太郎の最新刊『みんな元気。』の刊行を記念して,山手線沿線の書店店頭における意味不明なキャンペーンが行われている.「バラバラPOP漫画 on 山手線」というもの.舞城の最新作ということになる.地図上の右の方は見に行けそうだが,左はちょっと遠い.近所に用事があって行った方,舞城作のPOPを写真に撮って送ってください.ご協力お願いします.

| Posted by satohshinya at November 16, 2004 6:40 | Comments (6) | TrackBack (0)

繊細と思っていたが実はテキトーだった

西島大介の『凹村戦争』(早川書房)を読んだ.《二人のウエルズ氏に.》と献辞にあるように,『宇宙戦争』を書いたH.G.ウエルズと,それを元にラジオドラマをつくったオーソン・ウエルズ(だから,凹村→おうそん),その他にもジョン・カーペンター,『プリズナーNo.6』,『2001年宇宙の旅』だとか,ネタが散りばめられている.まあ,それだけが本題ではなく,東浩紀の帯文に端的に示されているように,「きみとぼく」に「メタとネタと萌え」というもの.しかし,マンガ自体は期待していたほどではなかった.
なぜ期待していたかというと,西島のイラストレーターとしての仕事に興味を持っていたから.『定本物語消費論』大塚英志の文庫版の表紙と中表紙や,『網状言論F改』東浩紀編の表紙をぜひ見てほしい.特に繊細な淡い色使いに注目したい.その意味では,『凹村戦争』は白黒だから…….しかし,期待していたポイントが違っただけで,全編に流れる(西島のホームページにもそういった雰囲気があるけど)「テキトー」感は気持ちよいです.

| Posted by satohshinya at April 29, 2004 8:13 | TrackBack (0)

バランスのよい複雑さ

イタロ・カルヴィーノの『冬の夜ひとりの旅人が』(脇功訳,筑摩書房)を読んだ.最近,河出文庫で『柔かい月』『見えない都市』『宿命の交わる城』が続けて刊行されたため,これを機にまとめて読んでいる.
カルヴィーノの個人的な思い出としては,1989年にニューヨークへ行ったとき,クーパーユニオンだかコロンビア大だかの近所の建築系書店で,『見えない都市』が平積みになっていたことを思い出す.『見えない都市』が書かれたのは1976年であるが,80年代最後のNYの建築界は,ポストモダニズムからデコンストラクティビズムへの移行時期で,そんな時代の雰囲気にこの小説が合っていたのかもしれない.(ちなみに,ここでのポストモダンは狭義の意味で,古今東西の引用によるコラージュ的デザインを指す.デコンも狭義の意味で,ロシア構成主義的デザインを指す.もちろん,デコンは広義のポストモダンに含まれる.)マルコ・ポーロによる都市の描写を集めただけの物語は,建築関係の人たちには表面的に理解しやすいものだったのだろう.しかし,カルヴィーノの作品が,小説全体に及ぶ多様な解釈を内包することを目論んでいることを思うと,ただの都市論として『見えない都市』が読まれることは望ましくない.
その点,『冬の夜』は,バランスのよい複雑な構成を持つ小説である.『柔かい月』は,デッサンのような短編小説集.『見えない都市』は,都市論としての表情が強すぎる.『宿命』は,あまりにも実験的すぎる.とするならば,カルヴィーノを読むには,『冬の夜』がもっともおすすめである.

| Posted by satohshinya at April 21, 2004 23:35 | TrackBack (0)

フルカラーにリミックス

『総天然色AKIRA(全6巻)』大友克洋(講談社)が完結した.これは海外で通常販売されているヴァージョンの『AKIRA』で,カラーリストのスティーブ・オリフによって,全ページがフルカラー化されているもの.だからといって,これが『AKIRA』の完全版というわけではない.縦書きの日本語がページを右から開くのに対し,横書きの欧米では左から開くため,全てのページが裏返されることになる.つまり,右利きだった金田が,国際版では左手にレーザー銃を持つことになる(鉄雄が失う腕は左手だし,アキラのナンバーは右手にある).絵の中の効果音もアルファベットに描き改められ,オマケにセリフは,大友の日本語を英語に訳したものを,更に翻訳家の黒丸尚が日本語に訳すという重訳.オリジナル版からは遠く離れたリミックス版という趣.もし『AKIRA』を読んでいない人がいたら,間違っても総天然色版を読まずに,白黒版を読んでほしい.
しかし,大友は2,158ページに及んだ『AKIRA』を描いた後,10年間で21ページ(3作品)しか描いていない.ようやく今年,『スチームボーイ』が公開されるが,どうなんだろう?

更に大友克洋に興味のある方は,こちらもご覧ください.

| Posted by satohshinya at April 20, 2004 6:59 | TrackBack (0)

長さと短さのバランス

清涼院流水の『彩紋家事件』(講談社)を読んだ.清涼院を読んだのは,長大な『カーニバル(文庫版)』に続き2作目.『カーニバル』,そして未読だが『コズミック』『ジョーカー』よりも遡った1970年代後半の物語である.
その時代設定のためか,執筆している現在と70年代後半とのギャップをわざわざ強調し過ぎることと,奇術が物語の中心に据えられているのだが,その描写があまりにも詳細かつ冗長であることが気になる.前者は,『カーニバル』では現在と未来のギャップによる物語の飛躍を,今回は過去と現在のギャップに置き換える試みを行っているため.後者は,『カーニバル』では奇跡的な出来事を現象のみを詳細に描写することでトリックの説明を回避していたものを,今回は奇跡的な出来事を詳細に描写するとともに,現実に存在可能なトリック(ただし,超人的な肉体訓練を要する)を用いた説明もまた詳細に描く試みを行っているため.という理由はわかるが,ともすると中盤の奇術の記述は退屈する.
以下はネタバレになるが,それでも全てを読み通し,構成上の長さと短さのバランス故の詳細な描写かと思うと,納得がいかないこともない.

| Posted by satohshinya at April 12, 2004 7:56 | TrackBack (0)

 1 | 2 | ALL