長さと短さのバランス

清涼院流水の『彩紋家事件』(講談社)を読んだ.清涼院を読んだのは,長大な『カーニバル(文庫版)』に続き2作目.『カーニバル』,そして未読だが『コズミック』『ジョーカー』よりも遡った1970年代後半の物語である.
その時代設定のためか,執筆している現在と70年代後半とのギャップをわざわざ強調し過ぎることと,奇術が物語の中心に据えられているのだが,その描写があまりにも詳細かつ冗長であることが気になる.前者は,『カーニバル』では現在と未来のギャップによる物語の飛躍を,今回は過去と現在のギャップに置き換える試みを行っているため.後者は,『カーニバル』では奇跡的な出来事を現象のみを詳細に描写することでトリックの説明を回避していたものを,今回は奇跡的な出来事を詳細に描写するとともに,現実に存在可能なトリック(ただし,超人的な肉体訓練を要する)を用いた説明もまた詳細に描く試みを行っているため.という理由はわかるが,ともすると中盤の奇術の記述は退屈する.
以下はネタバレになるが,それでも全てを読み通し,構成上の長さと短さのバランス故の詳細な描写かと思うと,納得がいかないこともない.

| Posted by satohshinya at April 12, 2004 7:56


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