設計者の夢

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先日、二俣川の家をみてきた。この家については仕事がはじまった段階からuheさんから構造家の選択について話を聞いていたのでいつも以上に興味を持っていた。2層のRC造打放しで外観ではキャンチレバーがかなり特徴的である。

| Posted by at 7 8, 2005 1:35


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Comments

残念ながら実物を見ることができませんでした。
設計者の夢であると同時に、構造設計者の夢でもあるのかな?

Posted by satohshinya at 2005年07月12日 10:44

あ、なんでUPされているんだろう?
まだ下書きしていたところだったんです。

shinyaさん、残念ですね。
なかなか見応えあって良かったですよ。
僕が気に入ったところはが何点かあって、
1.住宅にみえない
2.圧倒的な開放感ある半屋外空間
3.内部空間が単なる部屋の連続で終わっていない
4.ダイナミックな佇まいにあわせてディテールも
 コントロールされたざっくり感で構成されている

住宅の場合、外観は大半は内部空間との対応で
外観が決定されるのだけど、今回はそういう与件
だけでは外観はつくられていない。というか、
つくれないと思う。この建物を置くことによって
どのような場が生まれるかという検討が
施主の庭いじりが好きという要素を絡めつつ
配置と外観のレベルでおこなわれているのかなと
感じたのです。

キャンチレバーの下はとても開放感があって、
住宅レベルではないダイナミックな場で
庭を楽しむ場所としてよいなぁと感じました。

設計者は夢がかなったと話していました。
僕自身、ある種の夢をかかえて設計を
行ってきているのではないので、
「夢がかなった」というのはとても印象的でした。
なので今度はその夢とは何かを聞きたたいですね。
夢って純粋さの上で成立している話だと
思っていてそれが設計の上で必要か?と
良い意味で考えさせられました。


Posted by hy at 2005年07月12日 12:38

はじめから下書きのエントリーにしたい場合、 エントリーのステータスを、保存する前に、下書きを選択していないと、マルチブログの特性上、保存した瞬間、寄せ集めBLOGの方にエントリーのリンクが張られてしまうので、あれっ?て思うことがある。
改善方法としては、BLOGを再構築すれば修正出来るのだけど、今のところ、管理者以外にその権限をふっていない。

それよりも、エントリーを修正したときだけ「500 インターネットサーバーエラー」表示でませんか? パーミッションの設定の問題でもなさそうなんだなぁ。アップデートしたときに、逝かれたかなぁ?エラー表示されるものの、ちゃんと保存されているだけいいんですけどね。

Posted by simon at 2005年07月12日 13:48

去年の今頃模型を作らせてもらったりしていたので、施主とのやり取りで最初の時点で決まっていたキャンチレバーが、あの敷地には以外となじむという事を、完成してから実感しました。
柱を無くしたこととアプローチに勾配を付けたことで、視線が自然と玄関の方に向くため、あんなに巨大なボリュームが頭上にあるという事を一瞬忘れさせる。でも何も無いのでは感じられない安心感?包まれる感じ?のようなものがあるような。
大体ああいう巨大なキャンチレバーの下に行くと不安感を覚える事が多いけど、今回は全く逆の感覚でした。GLとの高さ感がちょうど良いのか?

Posted by sae at 2005年07月13日 10:57

うーん、見たかったな。
正直言って個人的には、住宅規模でこんなキャンチは違和感があるんだけど、それが好評なようですね。本当にキャンチでなければ獲得できない場所であるのかどうか、是非とも実際に体験したかった。残念。

Posted by satohshinya at 2005年07月14日 06:54

昨日はnykで、ちらりと拝見したのに、声をかけれず退散しましたが、団体行動中だったのであしからず。笑

僕も、写真のキャンチどうもかわいらしく見えていなかったので、そのギャップを感じたかった。

Posted by simon at 2005年07月18日 02:09

ちょっと続きの話。

僕にとって建築の完成形自体に夢を抱いて設計はしないように心がけている(実行出来ているかは別だよ)。なぜならその夢はある種のテイストやデザインボキャブラリーに収束しがちな感じがちょっとしていて、建築を作品化するためにはテイストはとても重要な要素だけれどもそもそもすべての建築が作品化を前提に設計をはじめてもよくないのでは?と疑問を抱えているからなのだと思う。

かといって「作品とならない建築=文化的に価値が乏しい建築」と仮定すると果たして「作品化を前提にしない設計」というのはやるべきではなく建築家はすべてを作品化して文化的牽引をすべきとも悩む。
でも建築は美術と違うのがクライアントがいるということ、お客様が困っていてそれを助けて満足させるというのも重要なお仕事なんですと・・・

とまあ作品化という問題の間をいったりきたりする毎日です。そんな僕にとってとある人から「夢」ついて聞かれました。

僕は以前自分が担当していた住宅の構造家についてコメントを求められたことがあって、その時「夢をかなえてくれる人」と話していました。僕にとって「夢」とは自分の考えの枠組みが広がり越えられる時です。それは新しい建築つくる上でその広がりや越えることがとても有効だと感じているためなんです。その構造家とコラボレーションしていく時に自分の考えていることにとても広がりを与えてくれる方だったいう意味で「夢をかなえてくれる人」といったのだと思います。

Posted by hy at 2005年07月26日 19:07