PARIS COLLECTION

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現在、PRET-A-PORTER(プレタロルテ)の『PARIS COLLECTION AUTOMNS-HIVER 2005』
が開催されています。
PRET-A-PORTERとHAUTE COUTURE(オートクチュール)、合わせて年4回開催される
『PARIS COLLECTION』 ですが、いくら巴里に住んでいても
普通に生活していると、この「ファッション界最大のお祭り」に
接することなく過ごしてしまうのが事実。

今回は巴里滞在10ヶ月目にして初めてこれを見に行きました。

幾つかのDEFILE(ファッションショー)に
INVITATION(招待状)なしで挑戦したんですが
何とかCHLOE(クロエ)だけは見ることが出来ました。

雪がチラツク会場の前で、
ファッション関係の学生と思われる人にまぎれて警備員と交渉。
開場30秒前になだれ込むように開場入りし、立ち見でこれを見る。

開場の雰囲気にタダタダ圧倒される。
ファッション雑誌をパラパラ見ながら
『女性のファッション(服、鞄、靴など)は面白いなー』と思う程度だったのですが
服、モデル、メーク、開場、音楽・・・・・・・・・
この数十分のDEFILEのためだけに、全ての要素が周到に用意された空気の中、
洋服の可能性のようなものを感じた。

物であったり、音であったり、
その『場』を作る全ての要素をある方向に向かって、かみ合わせることが出来れば
本当に面白い状況が起こるものだと当たり前のことながら実感しました。

巴里の空

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下を向いて歩いていたら、空が見えました。
『ドキ』っとして、
本物の空を見上げた、そのときの写真。

改修工事

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先日、去年からはじまった事務所内の改修工事が終わった。
模型室のぼろぼろなった床や壁を剥がし、
表面を平滑にし、白と灰色のペンキを塗っていくというもの。

写真は工事中ではなく、完成した状態。

長い年月の間に何度も改修されているこの部屋には
過去の痕跡が昔の窓枠や扉の建具として残っている。
これらの目地が徹底的に消去されることで、
室内は起伏のある一枚の表面のように仕上げられる。
そこでは、
天井についているはずの『蛍光灯ユニット』が一方の壁に無造作に立てかけれら、
もう片方の壁を、居住空間には使われない『工事用照明』が照らしている。


それだけの事なんだけれども、
これらの『ズレ』の集合が
一般的に『ホワイトキューブ』と呼ばれるものとは決定的に異なる
『抽象的』な空間を生み出している。

普段、慣れ親しんでいる場所が変化したので
特別に気になっているだけかもしれないと思いつつも、
『おもしろい空間』を大掛かりな操作を施さずに作ることは可能なんだなーと
改めて実感する。

現在は、この場所には大きな机がひとつ置かれ
そこで、JAKOBとMACFARLANEがひたすらスケッチしています。

新年

プロジェクトの締め切りを複数抱えていたので
(コンペと、実施設計などなど)
新年最初の書き込みが今日になってしまいました。

今年もこんな速度(週一回程度)での書き込みになりますが
よろしくおねがいします。

Joyeux Noel 

これが今年最後の書き込みとなります。
このHPへの書き込みの機会を与えてくださった
高宮研究室の皆様。
特に、SHINYAさん、SIMONさんありがとうございました。

僕は明日からエジプトに発ち
新年はあちらで迎えます。
その報告は年明けに。

それでは、皆様。良いお年をお迎えください。

Bonjour Madames Mesdemoiselles et Messsieurs.

Je vais partir en EGYPTE !!!
Et je vais feter la novelle annee la bas.

Joyeux Noel et bonne annee 2005!!!
Bon VACANCE!!!

仏蘭西のArchitectとStagiaire

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今週は一週間あっという間に過ぎてしまった。
年末と言うこともあるのだけれども、それ以上に
今週は毎晩のようにfete(パーティー)があったから、そう感じるのかもしれない。
なぜ毎晩のようにfeteがあったかと言うと
所員1人と2人のstagiaire(研修生)が事務所を去るからです。

フランスの設計事務所は日本の設計事務所と比べて
人の入れ代わりが非常に多く
うちの事務所でも、だいたい3ヶ月おきに壮行会のfeteがあります。

それはフランスにおける設計事務所の契約形態によるところが大きく
日本のような終身雇用より、プロジェクトごと、短期間ごとの契約が多い。
と言うのも、雇用者は能力のある人しか必要としていないし
Architect(アーキテクト・日本語訳の建築家とは異なるニュアンス)は
興味のあるプロジェクトがないと去っていく。
また、色々な事務所で多くのプロジェクトに参加すること自体が
Architectの価値をあげるということも理由に挙げられます。
いかにも『契約社会・フランス』と言う感じだが、
これはヨーロッパ全土で共通のようです。

今回JAKOB+MACFARLANEを退社するのは、
3年半勤務していたオーストリア人のArchitecで
かなりの数のプロジェクトと、事務所のグラフィックデザイン全てを統括していた。
元々ファッション関係出ということもあって、美術関係に精通し
個人的 (PETRA MAIER)にも既に活動している。
来年はオーストラリアの設計事務所に勤務し中東のプロジェクトに関わるらしい。
色々な国で暮らしたいという彼女にとって、そろそろ生活環境(国)の換え時らしい。

人の入れ代わりが多いもう一つの理由としてstageと呼ばれる研修制度がある。
フランスでは、ほぼ全ての職業に
stage(スタージュまたはapprentissageアプランティサージ)があって
ケーキ職人や料理人、心理カウンセラー、整体師、そして建築家にも
一定の研修期間が定められている。

建築学科の学生の場合、Stagiaire(スタジエール・研修生)は社員のように勤務し、
図面を引き、業者の打ち合わせも行ったりする。
正社員の1/3の賃金も保証されていて、
自分の職業で果たす社会的責任も感じることが出来る。
その後に学生の総決算diplome(卒業設計)に取り掛かることができ、、
卒業した時点でArchitectの免状を手にすることが出来る。
この制度のおかげで全ての新卒者は即戦力として仕事につくことができるし、
雇用者側も日本の新人研修のような再教育の期間を省くことが出来る。

素晴らしい制度である反面、『建築』ではあまりにも現実的なことを
学生時代に知りすぎてしまって
新しい思考回路や発想が育ちにくいというのはあるようだ。

どちらにしても今回事務所を去っていく人々の健闘を強く祈っている。

写真は勤務後のお別れ会の様子と
後日 fete(パーティー)で 食べたraclette(ラクレット)と言う料理。
raclette(ラクレット)はチーズを小さい容器でやわらかくし、
ジャガイモ、ハム、ベーコンなどと一緒にいただく。
みんなでワイワイ、ガヤガヤと食べる料理で日本でいう鍋料理かもしれない。

DES HALLESコンペの速報

出社前にラジオを聴いていたら
巴里中心の繁華街DES HALLESの国際コンペは
DAVID MANGINが勝ち取ったようです。

参加者は彼以外に、クールハウス、ジャンヌーベル、MVRDV。
建設は2007年からオリンピックがある(かも知れない)2012年まで。
フランスでもっとも注目されているコンペだたのですが
彼に決まったのは意外です。

しっかりした情報は改めて。
出社前なので取り急ぎ。

La Saline Royale D’Arc-et-Senans

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・ 11日
松田達さんに誘っていただきFete de la maisonへ。
スペイン人建築家の家で行われたのですが
話してみると、そこにいるほとんどの人が建築家、もしくはstagiaire(研修生)。
国籍はフランス、スペイン、イタリアなど。
僕がたどたどしくフランス語を並べている横で松田さんはスペイン語を話していた。
フランス語と似ているとはいえ、すごい。
翌朝を考慮して、この日は悔しくも早めに帰宅。

・ 12日
La Saline Royale D’Arc-et-Senans(ショーの製塩工場)へ。
18世紀にClaude−Nicolas Ledoux(クロード・ニコラ・ルドゥー)によって建設された
王立の製塩工場で1982年にUNESCOの世界遺産に登録されている。

幾何学的な構成・密度の多様性・方向によって異なる「見え」。
全ての操作は非常に精密であると共に狂気じみたものであった。

正直、今までLedoux(ルドゥー)にはあまり関心が無かったのだけれども、
「もの」を見た後は、その魅力に取り付かれたしまった。
あまりの情報量の多さに上手く消化できていないので
これは、改めてまとめてみたいと思う。

DIJON(ディジョン)へ
午後はブルゴーニュ地方の町、DIJON(ディジョン)に行く。
Arc-et-Senans(アーケセナン)からの乗り継ぎが上手くいかず、
名産のmoutard(マスタード)は買うことが出来たが、
escargot(エスカルゴー)とvin(ワイン)をいただくことができなかった。

しかし、300ページにも及ぶLedoux(ルドゥー)の図版集を
手に入れることが出来たので全く悔しさが残らなかった。
むしろ、これをどう料理(解釈)しようかで頭がいっぱいになる。

ギャラリーエス

突っ込まれるのを覚悟で、M美術館の的な告知です。

渋谷のギャラリーエスで僕が参加するTOM PRODUCTSを含めた
展示兼販売販売会があります。
よろしければ足をお運びください。

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ギャラリーエス企画展のご案内
「GIFT! 〜アートディーラーが選ぶクリスマスギフトショップ〜」
【出品作家】
オリビエ・ガニエール 鈴木尚和
アヤコタナカ Tom products
村田朋子 クレト・ムナーリ
ワルヤ・ラバテル(敬称略)

【開催日・時間】
2004年12月14日(火) 〜 25日(土)12月20日(月)休廊
12時〜20時 (日曜日12時〜18時) 

クリスマスパーティ:12月22日(水)18:30〜20:30

【会場】
ギャラリー・エス
〒150−0001 渋谷区神宮前5−46−13ツインエスビル1階
03−3407−1234(TEL) 03−3400−0187(FAX)

今展の掲載誌
・日経マネー

予定しているもの
・モダンリビング1月号  毎偶月7日発売
・日経ウーマン  毎月7日発売
・カーサブルータス 毎月10日発売
・Hanako 12/15発売号

巴里のイルミネーション

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12月に入り、巴里でもクリスマスイルミネーションが始まった。
久しぶりに街をブラブラしながらこれを見に行く。

写真は
Galeries Lafayette 内部
Printemps 外観
Galeries Lafayette 外観
巴里市内
Chanms Elysees

巴里は東京に比べて、都市空間・室内共に明るさが半分くらいしかない。
クリスマスイルミネーションも、本場ヨーロッパより
東京のほうが圧倒的な光量を使っている。

競い合うように輝く東京のイルミネーションも好きだけれども
都市の中で要所々々がささやかに輝く
巴里のイルミネーションも味があって好きです。

古谷誠章氏来仏

・24日
建築家で僕の恩師でもある古谷誠章氏がUNESCO/UIA会議出席のため、来仏なさった。
これを機に古谷研究室のパリ会が開かれた。
というのも現在、
−AJN勤務なさっていて最近母親になられた山添なおりさん
−坂茂パリ事務所に勤務する岡田大海さん。
ラビレット建築大学に交換留学している伊藤玲央くん。
−僕
の早稲田大学古谷研出身者・在籍者4人がパリにいるからだ。

古谷さん自身がスイスで修行されているんだけれども、それが理由なのか
うちの研究室は毎年一人の割合で海外に就職する人がいる。
そして現在、なぜかその人々がパリに集中している。

デザインにおいて、最近あまり元気がないフランスだが
やはり「パリはヨーロッパの中心」ということなのかもしれない。

BECHERの写真

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・18日
毎年11月の第三木曜日に解禁されるワイン・ボジョレーヌーボー(Beaujolais nouveau)を飲む。
日本のように大騒ぎにはなっていないが、レストランや惣菜屋に行くと
店員さんがさりげなく勧めてくれる。
僕も平日の昼食にこれをさりげなく飲む。
このさりげなさ。さすが、ワイン文化が充実している。

日本でのボジョレーやスターバックスの熱狂は、
ワイン文化やカフェ文化の成熟度の違いを表している気がする。
それを証拠に、元々カフェ文化があるパリでは、スターバックが入り込む余地が無く
観光客エリアに二店舗しかない。

・20日
Center pompiduで行われているBERND ET HILLA BECHER展へ。
時代、国籍、文脈が異なる一つの『工業建築・設備』を同じ視点で撮影し、
即物的な『もの』でさえも、それを取り囲む時代や状況によって
様々に変化するということをあらわにするタイポロジー(Typology)。
BERND ET HILLA BECHERはこの技法で有名なドイツ人写真家。

今回の展覧会では下記の10作品が展示されていた。
給水塔(Chateaux d’ eau)
冷却塔(Tours de refrigeration)
ガスタンク(Gazometres)
縦坑(Chevalements)
加工工場(Usine de traitement)
砂利倉庫(Gravieres)
炉(Fours a chaux)
穀物サイロ(Silos a cereales)
石炭サイロ(Silos a charbon)
溶鉱炉(Hauts fourneaux)
パイプ群の詳細(Details)
生産工場(Halles de production)

光が均等に当たる曇りを選んで撮影された写真群からは、
正面のアングルとも相まって
グラフィックデザインのような二次元的印象を強く受けた。
被写体は形態が似ているのにも関わらず、
そこに張り付く「素材」や「スケール」が様々に変化しているので
まるで3Dグラフィックのマッピングスタディーを見ているよう。

「特定の素材が連続していく」という『工業建築・設備』に特有の『表面』構成は、
一般的な「建築」のデザインに適用できる十分な魅力を持っている。
(※写真は展覧会カタログの写真)

Centre de communication pour RENAULT

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仕事でCentre de communication pour RENAULTの現場へ。

フランスの自動車会社ルノー(RENAULT)が展示・会議・その他催し物を行う施設。
設計競技によって獲得した仕事で、元々あるルノーの工場を改修することで作られます。

既に世界中の建築本や雑誌に取り上げられているので
ご存知の方も多いかもしれません。

我々の計画は、工場の『ノコギリ採光天井』が持つ魅力を最大限に生かし
改修後に作られる諸室群全てを、この『ノコギリ表面』の拡張形態として構成すること。

規模や性質によって、『ノコギリ表面』と各諸室の関係性は変化し
これによって多様性のある空間群の構成を可能としている。
中央の『ガランドウ』空間では、工場が元々持っていた
ダイナミックなスケールを体感することができる。

完成は12月末の予定です。

敷地はパリの外れにある、ルノー地帯と呼ばれるルノーの施設が集まる場所。
その地域は現在、パリの一大文化再開発地区になろうとしていて、
すぐ近くには日本人建築家・安藤忠雄さんの美術館などが建設予定。

元々高級住宅地のであるこの一帯ですが、
この開発によってさらに地価が上がったらしいです。

Tom productsのHPが更新しました。

菅原大輔が参加するTom productsのHPが新しくなりました。

商品写真や。TOKYO DESIGNERS BLOCKのディスプレー
販売店舗一覧などを見ることが出来ます。

ぜひ、覗いてみて下さい。

かみのけんちく

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リクエストにお答えして・・・・・・・・・坂茂さんの事務所情報を。

外観はこんな感じです。
ガラス越しだから上手く撮れませんでした。

場所はレストラン「george」と最上階の展示室をつなぐ廊下に面した
中庭に設置されています。

内観は・・・・・ごめんなさい。プライベートスペースなので記載できません。。

「紙」と「お寿司」と「浮世絵」と

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・ 10日
坂茂パリ事務所の岡田君に誘われて坂事務所見学へ。
Center pompiduの最上階にはjakob+macfarlane設計のレストラン「George」が。
それを横目に進んでいくと仮設テントとして設けられた事務所が見えてくる。
建物は坂茂さんの「ブランドロゴ」となった紙管による構造。
断熱材に薄い発泡スチロールを使っていて、夜になると光が透けてとてもきれい。
「設置場所」も、「日本人による紙建築」であるということも含め
この建築自体が展示物と化していました。
さすがポンピドーセンター。色々なことがかなり戦略的です。

・ 14日
事務所のみんなを招待して、手巻き寿司パーティー。
早朝に市に買出しに行った甲斐あってかなり好評。

・ 15日
Galeries Nationales du Grand Palaisで行われている「Images du monde flottant」展へ。
Images du monde flottantとは、絵・世・浮。つまり日本の浮世絵の展示です。
フランスで見る日本の展示は何か不思議。
展示よりもフランス人の反応に興味が向いてしまう。

すごい量の浮世絵をまとめて見るのは今回が初めて。
西洋絵画は、あるテーマ(例えば「受胎告知」)に沿って全ての要素が構成されている。
それは絵画の中に一つの(「時間」とも呼べる)物語が存在している。
一方、(特に多人数が描かれた)浮世絵の画面では、ある者は歌い・踊り、ある者は決闘し
そしてあるものは寝ていたりする。
つまり、画面の様々な部分にそれぞれの物語(「時間」)が流れている。

表現方法としては、物の大小関係・位置関係、記号的表現など、
やはり西洋的絵画とはかなり違ていることを再々確認。
とくに、勝川春潮が描いた「EDOcho dans quartier de YOSHIKAWA(江戸よしかわ地区/正式名称不明)」
が興味深い。
道沿った幾つかの建物があって、全ての建物はそれぞれの消失点をもった遠近法で、
道をまたぐ門はアクソノメトリックで描かれている。
先日見た歌舞伎の舞台装置にもった感想と同じで、遠近感が曖昧に設定されているから
見かたによって遠近関係がかなり変化してくる。
無自覚にこの操作を行っているんだろうけど、ホルバインの絵よりやってることが面白い。

そういえば浮世絵も歌舞伎も江戸時代に起源を持つものですね。
この表現は時代によって共通に埋め込まれた表現形式だったのかも知れない。

写真は自宅近くで建設が続くJean Nouvel設計のmusee du quai branly
散歩中に撮影したもの。
壁面の植物が異様で魅力的。

「1984年」の「言語」と「思考」

ジョージ・オーエル(Gorge Orwell)の代表作「1984年(1984)」(新庄哲夫訳/ハヤカワ文庫)を読む。

生活の全てが監視される全体主義社会の中で話が繰り広げられる。
色々な切り口で楽しめる内容でした。
特に興味深かったのは「思考」と「言語」の関係を描いている点。

「独裁者(=偉大な兄弟)」は自分達の独裁支配を延命させるために
様々な方法で国民を支配しようとする。
その中で、もっとも恐るべきかつ完璧な方法が「ニュースピーク(new speak)」
と呼ばれる統一言語の導入。
書き言葉、話し言葉を含めた<全ての言葉>を単純化、合理化し
単語数を圧倒的に減らしていく。
これによって人間の<思想範囲>は縮小され、
最終的には思想犯罪(自由や革命を求める思考)自体をも
不可能にしてしまうというもの。

なぜ、「思考」と「言語」の関係に興味を持ったかと言うと
外国で仕事をしている僕にとって「作る行為(思考)」と「言語」の関係は
常に目の前をちらついている問題だからです。

例えば、建築の設計における<空間>と<空間>の境界の話。
<空間>と<空間>の「曖昧」な<境界設定>は、
中間的な・言い切らない日本語の「言語表現」によって複数の人に共有され、
その<設定>によって設計を進めていく事が可能となる。
一方で、言い切ることで成り立っている英語やフランス語などの言語では
「曖昧であること」は、「決定していないこと」と等しい。
つまり、「曖昧である」という<設定>自体が<設定>として成立しないこととなります。

同僚とのデザインの話をしていても、
僕は「自分の把握できる日本語」という<フレーム>の中でしか思考できないし、
その<フレーム>の中でしか英語やフランス語の表現を行うことが出来ない。
つまり、僕の「日本語の能力」自体が、僕の全ての表現を決定しているという事実。
(外国語自体、そんなに話せないことをこっそりと告白しておきますが。)

哲学者・ヴィトゲンシュタインの名言、「世界が私の世界であるということは、
私が理解する唯一の言語の限界が私の限界をいみすることに示されている。」

「1984年(1984)」は、この言葉を肌身に感じさせ、僕の思考を
少し整理してくれた本でした。

「Biennale Venezia」という「形式」

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9th Biennale Veneziaにいってきました。
ギャラリー間の相川さんと坂茂事務所の岡田君とベニスにて待ち合わせる。

「I Giardini Della Biennale」と「Arsenale」の2会場があって
これを二日に分けて見学。

「I Giardini Della Biennale」は
カルロ・スカルパ(Carlo Scarpa)による
ベネゼーラ(Venezuela)館のディテールとテクスチャー、
スウェーデン、ノルウェイ、フィンランド(Svezia, Norvegia, Finlandia)館の
土木的ダイナミックさと、光の繊細さに心を奪われました。

我等が日本(Giappone)館は漫画によるオタクの氾濫。
日本の「まんが・オタク」が、世界規模で起こったヒッピーのような流行の
次世代的なものであって、「日本から初めて発信するワールドカルチャーである。」
といわれたら、そうかもしれないと思います。
でも、見ていて不健康で気持ちよくないというのが僕の感想です。
最先端の思想をインプットするまたとないチャンスだったのに
これを逃してしまったのかもしれない。もったいないことをしました。

「Arsenale」は、海軍倉庫の一部が会場として開放され
そこにものすごい量の作品が、分類・編集され、展示されていました。
我々JAKOB+MACFARLANEの作品もここに展示してありました。

Biennale全体の感想は言うと、新しいものは全く感じられませんでした。
次世代の運動や方向性を示すはずのBiennale Veneziaですが
その役割を演じ切れてない印象を受ける。

メディアが発達し、世界中に建築・デザインの情報が駆け巡る現在において
旧来から続く、サロン的な展示方法は次世代を標榜するにはあまりにも
効力を失効した形式なのかもしれないと感じる展示でした。

「曖昧さ」と「多様さ」

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10月17日、Theatre National de Chaillotに歌舞伎を見に行きました。

開演前に片岡市蔵さんの楽屋にお邪魔する。
色々聞きたいことがあるのに鋭い質問が出てこない
出てくるのは平凡な質問ばかり。
「何でも聞いてください。」との言葉に逆に緊張して
ただただ、メークの工程を眺めていた。
またとないチャンスだったのにと後悔し、自分の勉強不足を痛感する。

歌舞伎は非常に楽しませていただきました。
面白かったのは舞台装置による「遠近関係」の表現。
建物や背後の風景の部分部分が、
・大小関係があったり、無かったり
・ パースがかかっていたり、無かったり
する状態で同時に、同次元で舞台上に配されているので
それ単体では「距離感」が把握できない。

このように、あらかじめ「距離感の曖昧さ=多様性」を設定して置くことで
話の流れや、演者の配置によって自由に「距離感」を変更することができる。

「距離感」が明確に設定されている西洋舞台装置には
このような「距離感」の把握はあるのだろうか?
今思い起こしても、非常に不思議な体験でした。

その他にも発見が多くありました。
日本の文化はやはり注目すべき点が多い。

「演じること」/「観察すること」

巴里で10月9日から22日にかけて
「市川海老蔵」の襲名公演が行われました。
それにあわせて多くの歌舞伎役者さん、スタッフの方々が
日本からいらっしゃったんですが、
今回、片岡市蔵さんをアテンドするという機会に恵まれました。

僕が参加するプロダクトレーベル「TOM products」からその大役を授かったのですが
実は「片岡市蔵襲名記念品」を「TOM products」が手掛けていたりしている。

アテンドさせていただいて感じたのは、非常に鋭い洞察力の持ち主であること。
僕の解説に対してそれをより発展させるようなご質問を常にいただいたことです。

さすが「芸を極めている方」。
「演じること」とは、つまり「演じる対象を鋭く観察する」ことに他ならない。

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坂口恭平さんとお会いする

美術家の坂口恭平さんとお会いする。
坂口さん自体自分の職業が何であるのかわからないというので
とりあえず「美術家」と呼ばせていただくことにする。

彼の代表作は
東京の浮浪者の家をガンガン撮影し続けた写真集「0円ハウス」
貯水タンクの中で生活する彼自身を撮影し続けた「貯水タンクに棲む」
などがある。

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彼は早稲田大学建築学科石山研究室の卒業生なのですが
高校時代から建築に対する情熱が物凄く、石山修武に会うために
早稲田に入ったという人物。

お話をしていて「建築を愛する」と言う情熱を物凄く感じました。

現在、彼は「建築ど真ん中」というよりも、「建築の周縁」の活動を行っている。
建築を愛しすぎるがゆえに、その中心に触れることに対する恐怖が
彼を「建築の周縁」へと向かわせている気がします。
彼は否定していましたが。

そんな彼もいつか建築を作りたいらしい。
そのお手伝いができれば、大きな刺激を与えてもらえる気がしました。

建築のどのような「周縁」をついてくるのか?
次の作品が楽しみです。

ビエンナーレ

日記を一週間サボってしまいました。
来週初めの更新を狙ってはいるんですが、今週末ベネチア・ビエンナーレに向かいます。

ビエンナーレに、現在僕が勤務しているJAKOB+MACFARLANEが
フランス代表として出展していて、そのプレゼンの一部を僕が担当しました。
11月初めの会期終了前にそれを見るのが今回の目的です。

現地では、ギャラリー間のキュレーター相川さん、
パリの坂茂事務所で勤務する岡田さんと
落ち合う予定です。
もしかしたらC+Aの小嶋さんともお会いできるかもしれません。

この文章を書きながらも、メンバーの豪華さに驚いています。

っと言うこともあり来週末も日記が更新できないかもしれません。
週一回の更新でも「日記」ではないのに
三週間サボったら何と呼べばいいんだろう。

書き留めておきたいことは溜まっているので、
近いうちに一気に更新したいと思います。

「東京」と「パリ」を往復した一日

■僕の自宅で夕食・兼映画鑑賞会。

映画は「LOST IN TRANSLATION」。
Sofia Coppolaの最新作で、日本ではまだ映画館で公開しているらしい。

この映画は僕の中で特別の映画作品である。
なぜかと言うと、事務所の仲間や海外で出会った人々が
僕が「東京」から来たというと必ず「ダイスケは見たかとがあるか?」聞かれる映画だからだ。

「東京」に行ったことがある無に関わらず、彼らにとっては
この映画の中の「TOKYO」が「東京」であるようだ。

見ていて思ったのが、Sofia Coppolaが大都市・「東京」の「孤独感」しっかり見抜いていること。
−女性主人公が大都会を見下ろしながら涙する孤独感。
−「トンチンカンな通訳」によって、話し合っているのに、本質的には分かり合えていない会話。
−ホテル(海外)では声を掛けられるのに、街(東京)に出ると誰にも気づかれない匿名性。
など。

これらは、普段「東京」に暮らしている僕らの胸に、「ふっ」とした時に染み出てくる感覚だ。

Sofiaは東京が好きで、年に何度も「東京」に来るらしいが、
彼女は東京の暮らしが持つ「表」と「裏」を理解しながら「東京」を「愛している」気がする。
「恋している」という感覚のほうが近いのかもしれない。

各シーンで、少々大げさな表現もあるが、外国に暮らしてみると
外国人の心の中に切り取られている「TOKYO」を生のままで表現するとこうなると思う。

僕はこの映画で、アルファベットの「TOKYO」を眺めながら
漢字の「東京」に里帰りすることが出来た。

映像としての「東京」ではなく、心象としての「東京」を。


■「東京」に里帰りした後は、PARISで開催された「NUIT BLANCHE」へ。

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パリ市庁舎、オペラ座、国立図書館、ノートルダム、ポンピドーセンターなど、
パリを代表する施設郡が一晩中開放され、様々なイベントが開催されるというもの。

一番面白かったのが、パリの老舗百貨店「Printemps」で行われた「Creme de Singe」。
いつもと変わらず電気が煌々と点灯し、エスカレータが動き、商品が並ぶ店内。
ただ一つだけ違うのは、「人間」の変わりに二匹の「さる」店内を歩き回っていること。

彼らは各階をさまよい、好きな商品を手にし、たまに休憩する。
それをショーウィンドウに設置された数台のカメラで眺めるというもの。
愛らしい「さるたち」の行動に、思わず笑ってしまう。

彼らの行動は服を脱いだ人間のように、「買い物をする人間」の動き再表現している。
しかし、これを撮影しているのは店内の監視カメラであるということに、ある時気づく。

どこに居ても映し出される「サル」の映像は、
「買い物をする人間」が常に監視されている事実を再表現しているともいえる。

ふっと笑った後に、少し背中が寒くなる作品だった。

「NUIT BLANCHE」全体の感想としては、全てのイベントがまだリンクしていないという状態。
あと5年続いたら成熟するのかなと思う。

それにしても、パリは都市全体の自覚的な演出が非常に上手い。
東京の自然発生的な魅力も僕にとっては十分に心地良いのだが、
組織的な都市の魅力を志向するパリの意識には頭が下がる。

LOST IN TRANSLATION」と「NUIT BLANCHE」。
「東京」と「パリ」を往復した一日でした。

武山まどか展へ

■パリのCite international des artsで開催されていた、武山まどか展へ。

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武山さんは、千切り絵の手法で大画面を構成するコラージュアーティスト。
雑誌の切抜きを「色」別に分類し、「方向性」を持った要素として扱う。
それをちょうどスーラの絵のように色として貼り付けながら、
「方向性」の組み合わせで気象予報図のような様相を作り出します。

製作時に「色」と「方向性」しか持っていなかった要素が
鑑賞時には、雑誌の中で本来持っていた、唇や彫刻、魚といった、
「意味」を回復するので、シュールレアリスムのような印象を受ける。

この画面サイズがまた非常に大きくて、
作品の「うねり」が、置かれた空間にまで「うねり」を与えているような感じ。
非常に心地よい。
自分の絵画鑑賞の経験を思い返すと、どうやら僕は大きな絵画が好きなようだ。

test with a image.

ronchamp[1].gif

ふむふむ、こんなかんじか。