「紙」と「お寿司」と「浮世絵」と

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・ 10日
坂茂パリ事務所の岡田君に誘われて坂事務所見学へ。
Center pompiduの最上階にはjakob+macfarlane設計のレストラン「George」が。
それを横目に進んでいくと仮設テントとして設けられた事務所が見えてくる。
建物は坂茂さんの「ブランドロゴ」となった紙管による構造。
断熱材に薄い発泡スチロールを使っていて、夜になると光が透けてとてもきれい。
「設置場所」も、「日本人による紙建築」であるということも含め
この建築自体が展示物と化していました。
さすがポンピドーセンター。色々なことがかなり戦略的です。

・ 14日
事務所のみんなを招待して、手巻き寿司パーティー。
早朝に市に買出しに行った甲斐あってかなり好評。

・ 15日
Galeries Nationales du Grand Palaisで行われている「Images du monde flottant」展へ。
Images du monde flottantとは、絵・世・浮。つまり日本の浮世絵の展示です。
フランスで見る日本の展示は何か不思議。
展示よりもフランス人の反応に興味が向いてしまう。

すごい量の浮世絵をまとめて見るのは今回が初めて。
西洋絵画は、あるテーマ(例えば「受胎告知」)に沿って全ての要素が構成されている。
それは絵画の中に一つの(「時間」とも呼べる)物語が存在している。
一方、(特に多人数が描かれた)浮世絵の画面では、ある者は歌い・踊り、ある者は決闘し
そしてあるものは寝ていたりする。
つまり、画面の様々な部分にそれぞれの物語(「時間」)が流れている。

表現方法としては、物の大小関係・位置関係、記号的表現など、
やはり西洋的絵画とはかなり違ていることを再々確認。
とくに、勝川春潮が描いた「EDOcho dans quartier de YOSHIKAWA(江戸よしかわ地区/正式名称不明)」
が興味深い。
道沿った幾つかの建物があって、全ての建物はそれぞれの消失点をもった遠近法で、
道をまたぐ門はアクソノメトリックで描かれている。
先日見た歌舞伎の舞台装置にもった感想と同じで、遠近感が曖昧に設定されているから
見かたによって遠近関係がかなり変化してくる。
無自覚にこの操作を行っているんだろうけど、ホルバインの絵よりやってることが面白い。

そういえば浮世絵も歌舞伎も江戸時代に起源を持つものですね。
この表現は時代によって共通に埋め込まれた表現形式だったのかも知れない。

写真は自宅近くで建設が続くJean Nouvel設計のmusee du quai branly
散歩中に撮影したもの。
壁面の植物が異様で魅力的。

「1984年」の「言語」と「思考」

ジョージ・オーエル(Gorge Orwell)の代表作「1984年(1984)」(新庄哲夫訳/ハヤカワ文庫)を読む。

生活の全てが監視される全体主義社会の中で話が繰り広げられる。
色々な切り口で楽しめる内容でした。
特に興味深かったのは「思考」と「言語」の関係を描いている点。

「独裁者(=偉大な兄弟)」は自分達の独裁支配を延命させるために
様々な方法で国民を支配しようとする。
その中で、もっとも恐るべきかつ完璧な方法が「ニュースピーク(new speak)」
と呼ばれる統一言語の導入。
書き言葉、話し言葉を含めた<全ての言葉>を単純化、合理化し
単語数を圧倒的に減らしていく。
これによって人間の<思想範囲>は縮小され、
最終的には思想犯罪(自由や革命を求める思考)自体をも
不可能にしてしまうというもの。

なぜ、「思考」と「言語」の関係に興味を持ったかと言うと
外国で仕事をしている僕にとって「作る行為(思考)」と「言語」の関係は
常に目の前をちらついている問題だからです。

例えば、建築の設計における<空間>と<空間>の境界の話。
<空間>と<空間>の「曖昧」な<境界設定>は、
中間的な・言い切らない日本語の「言語表現」によって複数の人に共有され、
その<設定>によって設計を進めていく事が可能となる。
一方で、言い切ることで成り立っている英語やフランス語などの言語では
「曖昧であること」は、「決定していないこと」と等しい。
つまり、「曖昧である」という<設定>自体が<設定>として成立しないこととなります。

同僚とのデザインの話をしていても、
僕は「自分の把握できる日本語」という<フレーム>の中でしか思考できないし、
その<フレーム>の中でしか英語やフランス語の表現を行うことが出来ない。
つまり、僕の「日本語の能力」自体が、僕の全ての表現を決定しているという事実。
(外国語自体、そんなに話せないことをこっそりと告白しておきますが。)

哲学者・ヴィトゲンシュタインの名言、「世界が私の世界であるということは、
私が理解する唯一の言語の限界が私の限界をいみすることに示されている。」

「1984年(1984)」は、この言葉を肌身に感じさせ、僕の思考を
少し整理してくれた本でした。

「Biennale Venezia」という「形式」

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9th Biennale Veneziaにいってきました。
ギャラリー間の相川さんと坂茂事務所の岡田君とベニスにて待ち合わせる。

「I Giardini Della Biennale」と「Arsenale」の2会場があって
これを二日に分けて見学。

「I Giardini Della Biennale」は
カルロ・スカルパ(Carlo Scarpa)による
ベネゼーラ(Venezuela)館のディテールとテクスチャー、
スウェーデン、ノルウェイ、フィンランド(Svezia, Norvegia, Finlandia)館の
土木的ダイナミックさと、光の繊細さに心を奪われました。

我等が日本(Giappone)館は漫画によるオタクの氾濫。
日本の「まんが・オタク」が、世界規模で起こったヒッピーのような流行の
次世代的なものであって、「日本から初めて発信するワールドカルチャーである。」
といわれたら、そうかもしれないと思います。
でも、見ていて不健康で気持ちよくないというのが僕の感想です。
最先端の思想をインプットするまたとないチャンスだったのに
これを逃してしまったのかもしれない。もったいないことをしました。

「Arsenale」は、海軍倉庫の一部が会場として開放され
そこにものすごい量の作品が、分類・編集され、展示されていました。
我々JAKOB+MACFARLANEの作品もここに展示してありました。

Biennale全体の感想は言うと、新しいものは全く感じられませんでした。
次世代の運動や方向性を示すはずのBiennale Veneziaですが
その役割を演じ切れてない印象を受ける。

メディアが発達し、世界中に建築・デザインの情報が駆け巡る現在において
旧来から続く、サロン的な展示方法は次世代を標榜するにはあまりにも
効力を失効した形式なのかもしれないと感じる展示でした。