BECHERの写真

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・18日
毎年11月の第三木曜日に解禁されるワイン・ボジョレーヌーボー(Beaujolais nouveau)を飲む。
日本のように大騒ぎにはなっていないが、レストランや惣菜屋に行くと
店員さんがさりげなく勧めてくれる。
僕も平日の昼食にこれをさりげなく飲む。
このさりげなさ。さすが、ワイン文化が充実している。

日本でのボジョレーやスターバックスの熱狂は、
ワイン文化やカフェ文化の成熟度の違いを表している気がする。
それを証拠に、元々カフェ文化があるパリでは、スターバックが入り込む余地が無く
観光客エリアに二店舗しかない。

・20日
Center pompiduで行われているBERND ET HILLA BECHER展へ。
時代、国籍、文脈が異なる一つの『工業建築・設備』を同じ視点で撮影し、
即物的な『もの』でさえも、それを取り囲む時代や状況によって
様々に変化するということをあらわにするタイポロジー(Typology)。
BERND ET HILLA BECHERはこの技法で有名なドイツ人写真家。

今回の展覧会では下記の10作品が展示されていた。
給水塔(Chateaux d’ eau)
冷却塔(Tours de refrigeration)
ガスタンク(Gazometres)
縦坑(Chevalements)
加工工場(Usine de traitement)
砂利倉庫(Gravieres)
炉(Fours a chaux)
穀物サイロ(Silos a cereales)
石炭サイロ(Silos a charbon)
溶鉱炉(Hauts fourneaux)
パイプ群の詳細(Details)
生産工場(Halles de production)

光が均等に当たる曇りを選んで撮影された写真群からは、
正面のアングルとも相まって
グラフィックデザインのような二次元的印象を強く受けた。
被写体は形態が似ているのにも関わらず、
そこに張り付く「素材」や「スケール」が様々に変化しているので
まるで3Dグラフィックのマッピングスタディーを見ているよう。

「特定の素材が連続していく」という『工業建築・設備』に特有の『表面』構成は、
一般的な「建築」のデザインに適用できる十分な魅力を持っている。
(※写真は展覧会カタログの写真)

「紙」と「お寿司」と「浮世絵」と

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・ 10日
坂茂パリ事務所の岡田君に誘われて坂事務所見学へ。
Center pompiduの最上階にはjakob+macfarlane設計のレストラン「George」が。
それを横目に進んでいくと仮設テントとして設けられた事務所が見えてくる。
建物は坂茂さんの「ブランドロゴ」となった紙管による構造。
断熱材に薄い発泡スチロールを使っていて、夜になると光が透けてとてもきれい。
「設置場所」も、「日本人による紙建築」であるということも含め
この建築自体が展示物と化していました。
さすがポンピドーセンター。色々なことがかなり戦略的です。

・ 14日
事務所のみんなを招待して、手巻き寿司パーティー。
早朝に市に買出しに行った甲斐あってかなり好評。

・ 15日
Galeries Nationales du Grand Palaisで行われている「Images du monde flottant」展へ。
Images du monde flottantとは、絵・世・浮。つまり日本の浮世絵の展示です。
フランスで見る日本の展示は何か不思議。
展示よりもフランス人の反応に興味が向いてしまう。

すごい量の浮世絵をまとめて見るのは今回が初めて。
西洋絵画は、あるテーマ(例えば「受胎告知」)に沿って全ての要素が構成されている。
それは絵画の中に一つの(「時間」とも呼べる)物語が存在している。
一方、(特に多人数が描かれた)浮世絵の画面では、ある者は歌い・踊り、ある者は決闘し
そしてあるものは寝ていたりする。
つまり、画面の様々な部分にそれぞれの物語(「時間」)が流れている。

表現方法としては、物の大小関係・位置関係、記号的表現など、
やはり西洋的絵画とはかなり違ていることを再々確認。
とくに、勝川春潮が描いた「EDOcho dans quartier de YOSHIKAWA(江戸よしかわ地区/正式名称不明)」
が興味深い。
道沿った幾つかの建物があって、全ての建物はそれぞれの消失点をもった遠近法で、
道をまたぐ門はアクソノメトリックで描かれている。
先日見た歌舞伎の舞台装置にもった感想と同じで、遠近感が曖昧に設定されているから
見かたによって遠近関係がかなり変化してくる。
無自覚にこの操作を行っているんだろうけど、ホルバインの絵よりやってることが面白い。

そういえば浮世絵も歌舞伎も江戸時代に起源を持つものですね。
この表現は時代によって共通に埋め込まれた表現形式だったのかも知れない。

写真は自宅近くで建設が続くJean Nouvel設計のmusee du quai branly
散歩中に撮影したもの。
壁面の植物が異様で魅力的。

「Biennale Venezia」という「形式」

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9th Biennale Veneziaにいってきました。
ギャラリー間の相川さんと坂茂事務所の岡田君とベニスにて待ち合わせる。

「I Giardini Della Biennale」と「Arsenale」の2会場があって
これを二日に分けて見学。

「I Giardini Della Biennale」は
カルロ・スカルパ(Carlo Scarpa)による
ベネゼーラ(Venezuela)館のディテールとテクスチャー、
スウェーデン、ノルウェイ、フィンランド(Svezia, Norvegia, Finlandia)館の
土木的ダイナミックさと、光の繊細さに心を奪われました。

我等が日本(Giappone)館は漫画によるオタクの氾濫。
日本の「まんが・オタク」が、世界規模で起こったヒッピーのような流行の
次世代的なものであって、「日本から初めて発信するワールドカルチャーである。」
といわれたら、そうかもしれないと思います。
でも、見ていて不健康で気持ちよくないというのが僕の感想です。
最先端の思想をインプットするまたとないチャンスだったのに
これを逃してしまったのかもしれない。もったいないことをしました。

「Arsenale」は、海軍倉庫の一部が会場として開放され
そこにものすごい量の作品が、分類・編集され、展示されていました。
我々JAKOB+MACFARLANEの作品もここに展示してありました。

Biennale全体の感想は言うと、新しいものは全く感じられませんでした。
次世代の運動や方向性を示すはずのBiennale Veneziaですが
その役割を演じ切れてない印象を受ける。

メディアが発達し、世界中に建築・デザインの情報が駆け巡る現在において
旧来から続く、サロン的な展示方法は次世代を標榜するにはあまりにも
効力を失効した形式なのかもしれないと感じる展示でした。

「Biennale Venezia」という「形式」

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9th Biennale Veneziaにいってきました。
ギャラリー間の相川さんと坂茂事務所の岡田君とベニスにて待ち合わせる。

「I Giardini Della Biennale」と「Arsenale」の2会場があって
これを二日に分けて見学。

「I Giardini Della Biennale」は
カルロ・スカルパ(Carlo Scarpa)による
ベネゼーラ(Venezuela)館のディテールとテクスチャー、
スウェーデン、ノルウェイ、フィンランド(Svezia, Norvegia, Finlandia)館の
土木的ダイナミックさと、光の繊細さに心を奪われました。

我等が日本(Giappone)館は漫画によるオタクの氾濫。
日本の「まんが・オタク」が、世界規模で起こったヒッピーのような流行の
次世代的なものであって、「日本から初めて発信するワールドカルチャーである。」
といわれたら、そうかもしれないと思います。
でも、見ていて不健康で気持ちよくないというのが僕の感想です。
最先端の思想をインプットするまたとないチャンスだったのに
これを逃してしまったのかもしれない。もったいないことをしました。

「Arsenale」は、海軍倉庫の一部が会場として開放され
そこにものすごい量の作品が、分類・編集され、展示されていました。
我々JAKOB+MACFARLANEの作品もここに展示してありました。

Biennale全体の感想は言うと、新しいものは全く感じられませんでした。
次世代の運動や方向性を示すはずのBiennale Veneziaですが
その役割を演じ切れてない印象を受ける。

メディアが発達し、世界中に建築・デザインの情報が駆け巡る現在において
旧来から続く、サロン的な展示方法は次世代を標榜するにはあまりにも
効力を失効した形式なのかもしれないと感じる展示でした。

「曖昧さ」と「多様さ」

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10月17日、Theatre National de Chaillotに歌舞伎を見に行きました。

開演前に片岡市蔵さんの楽屋にお邪魔する。
色々聞きたいことがあるのに鋭い質問が出てこない
出てくるのは平凡な質問ばかり。
「何でも聞いてください。」との言葉に逆に緊張して
ただただ、メークの工程を眺めていた。
またとないチャンスだったのにと後悔し、自分の勉強不足を痛感する。

歌舞伎は非常に楽しませていただきました。
面白かったのは舞台装置による「遠近関係」の表現。
建物や背後の風景の部分部分が、
・大小関係があったり、無かったり
・ パースがかかっていたり、無かったり
する状態で同時に、同次元で舞台上に配されているので
それ単体では「距離感」が把握できない。

このように、あらかじめ「距離感の曖昧さ=多様性」を設定して置くことで
話の流れや、演者の配置によって自由に「距離感」を変更することができる。

「距離感」が明確に設定されている西洋舞台装置には
このような「距離感」の把握はあるのだろうか?
今思い起こしても、非常に不思議な体験でした。

その他にも発見が多くありました。
日本の文化はやはり注目すべき点が多い。

ビエンナーレ

日記を一週間サボってしまいました。
来週初めの更新を狙ってはいるんですが、今週末ベネチア・ビエンナーレに向かいます。

ビエンナーレに、現在僕が勤務しているJAKOB+MACFARLANEが
フランス代表として出展していて、そのプレゼンの一部を僕が担当しました。
11月初めの会期終了前にそれを見るのが今回の目的です。

現地では、ギャラリー間のキュレーター相川さん、
パリの坂茂事務所で勤務する岡田さんと
落ち合う予定です。
もしかしたらC+Aの小嶋さんともお会いできるかもしれません。

この文章を書きながらも、メンバーの豪華さに驚いています。

っと言うこともあり来週末も日記が更新できないかもしれません。
週一回の更新でも「日記」ではないのに
三週間サボったら何と呼べばいいんだろう。

書き留めておきたいことは溜まっているので、
近いうちに一気に更新したいと思います。

「東京」と「パリ」を往復した一日

■僕の自宅で夕食・兼映画鑑賞会。

映画は「LOST IN TRANSLATION」。
Sofia Coppolaの最新作で、日本ではまだ映画館で公開しているらしい。

この映画は僕の中で特別の映画作品である。
なぜかと言うと、事務所の仲間や海外で出会った人々が
僕が「東京」から来たというと必ず「ダイスケは見たかとがあるか?」聞かれる映画だからだ。

「東京」に行ったことがある無に関わらず、彼らにとっては
この映画の中の「TOKYO」が「東京」であるようだ。

見ていて思ったのが、Sofia Coppolaが大都市・「東京」の「孤独感」しっかり見抜いていること。
−女性主人公が大都会を見下ろしながら涙する孤独感。
−「トンチンカンな通訳」によって、話し合っているのに、本質的には分かり合えていない会話。
−ホテル(海外)では声を掛けられるのに、街(東京)に出ると誰にも気づかれない匿名性。
など。

これらは、普段「東京」に暮らしている僕らの胸に、「ふっ」とした時に染み出てくる感覚だ。

Sofiaは東京が好きで、年に何度も「東京」に来るらしいが、
彼女は東京の暮らしが持つ「表」と「裏」を理解しながら「東京」を「愛している」気がする。
「恋している」という感覚のほうが近いのかもしれない。

各シーンで、少々大げさな表現もあるが、外国に暮らしてみると
外国人の心の中に切り取られている「TOKYO」を生のままで表現するとこうなると思う。

僕はこの映画で、アルファベットの「TOKYO」を眺めながら
漢字の「東京」に里帰りすることが出来た。

映像としての「東京」ではなく、心象としての「東京」を。


■「東京」に里帰りした後は、PARISで開催された「NUIT BLANCHE」へ。

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パリ市庁舎、オペラ座、国立図書館、ノートルダム、ポンピドーセンターなど、
パリを代表する施設郡が一晩中開放され、様々なイベントが開催されるというもの。

一番面白かったのが、パリの老舗百貨店「Printemps」で行われた「Creme de Singe」。
いつもと変わらず電気が煌々と点灯し、エスカレータが動き、商品が並ぶ店内。
ただ一つだけ違うのは、「人間」の変わりに二匹の「さる」店内を歩き回っていること。

彼らは各階をさまよい、好きな商品を手にし、たまに休憩する。
それをショーウィンドウに設置された数台のカメラで眺めるというもの。
愛らしい「さるたち」の行動に、思わず笑ってしまう。

彼らの行動は服を脱いだ人間のように、「買い物をする人間」の動き再表現している。
しかし、これを撮影しているのは店内の監視カメラであるということに、ある時気づく。

どこに居ても映し出される「サル」の映像は、
「買い物をする人間」が常に監視されている事実を再表現しているともいえる。

ふっと笑った後に、少し背中が寒くなる作品だった。

「NUIT BLANCHE」全体の感想としては、全てのイベントがまだリンクしていないという状態。
あと5年続いたら成熟するのかなと思う。

それにしても、パリは都市全体の自覚的な演出が非常に上手い。
東京の自然発生的な魅力も僕にとっては十分に心地良いのだが、
組織的な都市の魅力を志向するパリの意識には頭が下がる。

LOST IN TRANSLATION」と「NUIT BLANCHE」。
「東京」と「パリ」を往復した一日でした。