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黄金町バザール2014見学会

2014年10月9日(木)、2014年度第3回ゼミナールとして、「黄金町バザール2014」の見学会が行われた。以下はその見学会に対するレポートである。

瀧澤政孝
 今回訪れた黄金町は独特の歴史を持つ町であった。黄金町の高架下一帯では、昔、人身売買や麻薬取引などが行われていて、夜は一人では歩けない危険地帯であった。そこで行政が介入することで高架下一帯が一掃され、そこには新しいアートスタジオやギャラリー、カフェがつくられ、また元々高架下にあったお店は高架脇に移転することで、高架下一帯が芸術文化の発信地として生まれ変わった。スタジオやギャラリーや広場といった建築が集まる場を提供し、そこではアートによって人々が繋がっていったことで、新たな町の魅力が形成されていったのだと思う。黄金町のこの事実を知って、私は建築とアートには何かを変える力のようなものがあると感じた。しかしこの町が変わったのはそれだけではないと思う。確かに建築とアートが変わるきっかけになったと思うが、それだけでは一過性に終わってしまう可能性がある。だが黄金町では精力的に長期レジデンスアーティストの募集や黄金町バザールなどのイベントの開催、ボランティアによる町内パトロールなど、町の人々が進んで取り組みを行っている。私はこれが黄金町の新たな魅力の維持に繋がっているのだと思う。今回の黄金町バザールで高架下が見事に展示空間に変わっているのを見て驚いた。なお高架下の建築構造は、法規により高架の柱に頼ることができないので、100mm角の鉄骨柱をW型にしたものや木造のものなど、様々で表層のイメージとは異なる素材感で内部空間が構成されているのでとても面白かった。
 そして、チョンノマのコンバージョンがとても新鮮であった。外観は個室ひとつずつについている小さな窓が並んでいて、昔のチョンノマの部屋割りを示す窓割りが残されていた。また、現代の用途に合わせて表層的に区切られているのだが、それは元々の建築の境目とはずらして行われているため、近づいてみたときに少し違和感を感じたが、それがチョンノマとしての「昔」の姿とスタジオとしての「今」の姿の両方を表している独特のファサードを形成しているのが興味深かった。なかに入ってみると本当にひとつひとつの個室がとても小さく、階段も急で天井も低く、本当に最小限のスペースしかなく衝撃だった。
 多くの展示作品の中で気になったのは、李仁成さんの高架下に展示されていた様々な平面イメージを大きなパネルにした作品である。最初見たときはサーモグラフィーの画像と間違えるような鮮やかな色が印象に残っていた。思わず何が写っているのか立ち止まって考えた。
 黄金町バザールは横浜トリエンナーレと比べて規模が規模が小さかったがどの作品も強烈なインパクトのあるものばかりであった。それは町民だけではなくアーティストたちなど多くの人々がつくり出した黄金町の魅力が作品の個性を引き立たせていたのではないかと思う。今回は個性のある展示空間が作品の個性を引き立たせるという展示の魅力に少しながら気付くことができたと思う。

渡辺莞治
 明るさと暗さの二面性が強く見える黄金町。黄金町駅から日ノ出町駅間の高架下で繰り広げられている物語、そこで生まれるコミュニティ。「仮想のコミュニティは、アートのフィクションとしての性格がコミュニティに対して能動的な役割を果たすかも……」とガイドブックに書かれている。薬物売買やちょんの間などの小規模店舗という暗い過去から、行政とアートの介入によって地域の人が安心できる街へと生まれ変わっている。黄金町バザールは、国内外のアーティストが集まり実験的なアート展示を行っている。多くの作品を見てきたが、漠然としているメッセージではあったが、どれも強烈で印象深かった。警察の摘発によって無くなっている過去ではあるが、今でもちょんの間の名残が少なからず残っていて、暗い過去と明るい未来が混沌としている街。きっと黄金町の歴史からこの場で作品をつくったり展示することは、アーティストにとっても刺激的で可能性が広がるのであろう。少なからず私は、街を歩き、アートに触れ、その二面性を感じた。その中でも、李仁成さんの作品が印象的であった。 壁や柱などには、無数の傷があって、その傷には私たちの歴史が刻まれている。多くの作品が、新しい黄金町をイメージさせるようなものに感じたが、その中でも過去を消してはならないというメッセージを残しているような作品でもあるように感じた。
 小規模店舗の縦長につくられた急な階段や小さい部屋、隣同士が雑然としていて高架下に広がる路地裏のようなスペースがアート・街歩きの楽しさを加速させてくれた。アートが落とし込まれたこの街には、少しずつ能動的な空気が流れ始めている。地域住民や警察といった街全体が力を合わせなければ、街は意識的に変わることはできない。アートというツールによってつくられた新たなコミュニティは、街の人々の意識と性格を変えているのではないだろうか。今回、ヨコハマトリエンナーレと連携し、規模も大きくなり、国内外の文化的交流も含めた大きなコミュニティがつくらている。これはアートによってつくられた仮想のコミュニティであるが、このアートプロジェクトを通してリアルなコミュニティの街の安全・安心をつくりだしている。私は、黄金町を訪れ、街・人・社会・アートなどそれぞれが変わり出そうとしている力を感じた。また、ヨコハマトリエンナーレのテーマ「忘却」の「忘れる・思い出す」というものが、この街の歴史と未来に関わっているようにも感じる。地域の人は、思い出したくもない触れたくもない過去かもしれないが、完全に払拭された、言うなれば「忘却の街」には違和感を感じてしまう。アートというツールに介入され仮想のコミュニティを見せられたこの街が、今後どうなっていくのか気になる。アートで街を繋ぐという試みは、街の背景や社会・時代の状況、人の心などその街特有の問題をもアートが包み込まなければならないことが分かった。小さい街の中に大きな力とアートを感じ、仮想とリアルなコミュニティを見ることができ、その難しさとアートによって繋がれたコミュニテイの強さを感じた。

末次華奈
 黄金町の印象はなんだか人が少なく閑散としているものでした。平日だからでしょうか。私が想像していた、まち全体を主体として行われているというものではないようです。駅から少し進むとそこに会場はあります。高架下を中心とした川沿いにある昔の特殊店舗や小規模飲食店などをリノベーションした建物です。なるほど、やはり黄金町にはやはりどこか異様な雰囲気がありました。しかし建物を取り壊さずに再利用しているという点で、このまちの異様な雰囲気をも地域の特性として活かしつつ、まちづくりをしていくという意志を感じました。高架下のガラス張りのスタジオやギャラリーでは、アーティストたちが何かに取り組んでいる姿が見え、面白い風景ではありましたが近付きがたいというのが始めの印象でした。昔から住んでいる人たちにとって、アートとは興味深いものなのでしょうか。
 まちおこしになぜアートをもってきたのでしょうか。10年ほど前は、美術館でのまちおこしが流行していたといいます。黄金町のまちおこしは若手アーティストを使われなくなった昔の施設に住まわせ、人の居なくなった場所を活性化させようというものです。明るくないまちの歴史をふまえ、親しみやすいまちへと変わろうとする力を感じました。しかしこのような、まちで行われるアートのお祭りには幅広い人々が訪れるため、「予備知識が無くても楽しめる分かりやすいアート」と「複雑で難解な深いテーマのアート」の板挟みになってしまうのではないでしょうか。このような様々な問題を抱えて継続していくのは、非常に大変なことだと思いました。黄金町が日常的に人が訪れる場所に変わっていくには、どうしたら良いのか。難しい課題だと思います。
 私が気になったのは演劇センターFによる特別企画です。一見ただのバーのように見えますが、パフォーマンスの上演やワークショップが行われる手づくりのスペースです。地域を巻き込んだ演劇を上演しており、観客と役者が商店街を歩きながらお店を巡る作品や、両岸から糸電話で会話したりと面白そうなものが沢山ありました。放課後は地域の小学生たちが集まり、くつろいだり何かを企画したりしているようです。アートでまちおこしをするならば、まちに根付いてこそだと思います。異物がまちにやってくるのとは異なります。
 アートに知識のない私から言えることは、とにかくまず気軽に歩いてみるのがいいということです。様々な国のアーティストたちが自由に展示している作品は、多種多様で新しく感じます。その中でも、嫌いなものや気味が悪いものを発見するのもまた面白いです。よくわからないという感じ方も理解のうちの一つなのではないでしょうか。

田村将貴
 高架下建築とは現代において、珍しいことではなくなった。昭和時代から繁栄していた場所の一つであり、法規ギリギリもしくは違法であろうとも言える建築すら見られていた。日の当たらないところに影はできることのように、決して治安がよい場ではないことは一目瞭然である。黄金町の高架下もまた、犯罪によって栄えた場であった。いつの時代も人々は群れをなして生活をしてきた。動物の本能行為とも言えるこの行為は大衆だけでなく、ホームレスや犯罪者らもやはり群れをなすのである。
 群れをなすことにより様式、文化が統一された地は、実はリノベーションに適しているのではないか。犯罪の巣窟であった黄金町の高架下周辺は、地域民によってアートとそれに従ずるレジデンス空間へと生まれ変わった。前者に倣いこれもまた群れである。高架下や、周囲の建物にインスタレーションとして、美術展開されていった。私は建築とインスタレーションについて考えた。私が見てきたインスタレーションは、ホワイトキューブであったり、一定の空間が提示された中でのものだった。そういう意味では同じだが、黄金町バザールの展示空間は少々異なる。住宅などの空き家をインスタレーションとして扱うのは初めてだった。壁や天井、しつらえを変えることで自らの思いのままの空間にする。美術館などでよく見られるインスタレーションのための空間は、それに適応させようとするデザインが少しはされているのではないか。空き家のインスタレーションにはそのような慈悲は一切なく、アーティストを挑発するかのごとく無謀とも言える展示空間を叩きつけてくるのだ。黄金町バザールでみたそれらは、素晴らしかった。全てとは言わないが、アーティストの手にかかればそんなものは関係なかった。建築を強制的に従属させるわけではなく、アートで包み込むかのようだった。アートと建築は似ていると私は思っている。コンテクスト、シークエンスを読み取り、デザイン、設計をする。もちろんそこに、己の理想や思想が入るわけである。建築をインスタレーションと言っていいかとなると私は悩む。建築は決して自己満足で終えてはいけない。本来はアートのようなアイコンでもない。アートは語りかけてくれるかもしれないが、建築は語りかけるような操作をしなければいけない。設計者が逐一説明するようなことがあってはいけないのだ。あくまで建築を作品と呼んでいいのは完成当初だけではないだろうか。不特定多数の人々に使われ、人間環境に溶け込んでいくそれは、もう作品ではない。黄金町の高架下もそうして年月をかけ、人間環境の中に溶け込み、いつしか異物にも見えるインスタレーション空間が当たり前に人々の生活に刷り込まれていくのではないだろうか。犯罪は非常に繁殖力が強く、一気に人々の生活の中に根付いてしまう。アートもそうなるとは言い難いが、黄金町バザールで高架下の新たな可能性を知ることができた。やがて黄金町のアート活動が人々の生活に根付いていくことを願っている。

下村燿子
 初めて黄金町バザールへ行ったのは1年生の時でした。その頃現代アートが何かすらよく分からず、現代美術館へ行ったことのなかった私にとって、黄金町は異様な世界に映りました。黄金町駅から日ノ出町駅の間の高架下にギャラリーやアトリエや広場があり、入り組んだ狭い道を入ると周囲にはコンバージョンされたギャラリー。わくわくしながら歩いたり、見たことのない様な現代アートを見て気持ち悪い、奇妙だと感じたり。時には面白いものを発見したり。とにかく初めての詰まった場所でした。2年前は単なる好奇心のみで見ていましたが、去年と今年を経て少しずつ、アートをつくった作家の思いや、地域に住む人々の町を変えたい気持ちや、黄金町のNPOで働く人々に着目しながら町を歩けるようになってきました。
 私が今年の黄金町で一番衝撃的だったのが、太湯雅晴の展示でした。公共の場での創造的行為をテーマとして活動するアーティストです。スタジオであるハツネウィングに入ると、そこには何もなく、ただA4の紙に印刷されたドキュメントが4枚壁に貼り付けてあります(拘って書いたようなものではなく、ささっと文章のみで書かれたもの)。読むと、自身の活動について説明してあり、以下のような内容でした。スタジオに飲食店を呼び設置し、通りがかる人々を集めようと思ったが、実際に飲食店を呼ぶことが中々難しく、結局設置するに至らなかった。なのでこのスタジオには何もなく、私がここで過ごし生活した痕跡だけが残っている、と。文章を読み終わったとき、思わず笑ってしまいました。展示物がないとは無責任だけれど、逆に潔い。展示物のない展示場所。1階の奥のスペースや、2階に上がって各部屋を見ても、どこにも何もありません。物はなにもなく、ただ作家がここで過ごしていたんだよなぁと思いを巡らせるしかありませんでした。何も展示しないことが作品である空間は、この黄金町でしかできないことではないのかと思いました。
 黄金町の中で好きな場所は、ちょんの間のコンバージョンである黄金スタジオです。以前は1階が飲食店、2、3階は2畳程の部屋として使われていました。階段は急で、人がすれ違うのがやっとなほど幅が狭く、上階は天井が低く、3階に至っては窓がありません。違法に使われていた異様なこの建物が、いまはアートを展示する場所になっています。この狭さだからこそ、部屋に入ると、アートとの距離がとても近く、より作品の躍動感や、アーティストの思いを感じることができる気がします。
 黄金町は日本でここにしかない特別な場所。これほど大きく、アートによってまちづくりがなされた場所はないように感じます。黄金町がこれから先、どんどん普通の町へ変化していくに連れて、同時にアーティスト達がアートによって、良い意味で黄金町を異様な町にしてくれたら、と思います。

木村肇
 黄金町とは、京浜急行本線で横浜より三駅目の「黄金町」駅と、手前の二駅目「日ノ出」駅との間、大岡川沿いの地域を指す。現地を訪れたところ何か特別な事が行われているような印象は受けなかった。しかし、黄金町の本性は駅前ではなく、京浜急行本線の高架下周辺にあった。黄金町の高架下や小規模な建物や既存の店舗、空地などを会場にして行われるアートフェスティバルが「黄金町バザール」である。今年で6年目になる今回のテーマは「仮想のコミュニティ・アジア」で、公募審査により選考された国内外のアーティストの新作を黄金町の町中に展開し、横浜をアジアにおける文化の重要な発信拠点として位置づける試みをしている。
 黄金町は独特な歴史を持っている。第二次大戦後、人々が集まり闇市が形成され高架下などの飲食店では違法な買春行為が行われるようになった。間口1間ほどの1階の店舗で酒などを提供し、狭い階段を上った2階の1~3畳の部屋で買春を行う形態の店舗が多く「ちょんの間」と呼ばれていた。麻薬も流れ込み、「麻薬銀座」として悪名を馳せていた。その後、阪神淡路大震災を受け、高架の耐震工事により約100件の店舗が周辺に拡散してしまい、まちが急速に壊れていった。これに危機感を覚えた地域住人の働きにより違法店舗は一掃されたが、閉鎖された250もの空き店舗をどうするかという問題が生まれた。そこでアーティストを呼び込みまちの活性化を図った。平成20年の「第3回ヨコハマトリエンナーレ」に合わせ、空き店舗を利用してアートベントを開催した。それが「黄金町バザール」の始まりである。
 この歴史を元に今回のアート作品について見てみると、原田賢幸さんが作成した「机の染みは昨日のものか。それとも。」はちょんの間の跡地に身近な家電製品や日用品と音(声)を融合させたインスタレーションで、感情の喚起と共に、日常の変容を試みた作品は麻薬銀座時代の黄金町を彷彿とさせる薄気味の悪い混沌とした雰囲気を醸し出していた。他にも、フィリピン人アーティストのポール・モンドックさんが作成した「スメバミヤコ」は、廃車や積み上げられた金のレンガ、剥製の鳥や植物など異質な素材を巧みに組み合わせて、創り出された不思議な世界は高架下の空地に設置されている。ここにあった少女を模した能面が毛布に包まっている作品は買春をしている少女の姿を現しているのだと思った。
 全体を通して見てみると、様々な国のアーティストが集まっているだけあって黄金町周辺は異世界の様な奇妙な雰囲気があり、1つ1つの作品を見て回っているとあっという間に時間が経っていた。
 暗い歴史を持つ黄金町だが、「黄金町バザール」などのイベントにより、今は様々なアーティストの集うまちに変わりつつあると感じた。そこで起こる人々の交流は様々な化学変化をもたらし、昔の犯罪者達がつくり上げた悪く暗い混沌とは違う、新しいこれからに向けて輝く奇妙な混沌が今の黄金町の特徴なのだろう。

ゼミナール | Posted by satohshinya at October 29, 2014 15:57 | TrackBack (0)

ヨコハマトリエンナーレ2014見学会

2014年10月4日(土)、2014年度第2回ゼミナールとして、「ヨコハマトリエンナーレ2014」の見学会が行われた。以下はその見学会に対するレポートである。

瀧澤政孝
 今回訪れた横浜トリエンナーレは、横浜美術館と新港ピアの2箇所のメイン会場の他に、その周辺の町中にも作品が展示されていた。横浜の町が大きな美術館となっているのだ。町中の作品はどれも町並みにとけ込みながらも独特の存在感を発揮しているように見え、印象的であった。町中に展示されている作品は幾何学的で抽象的であったり、ヴィム・デルボアの「低層トレーラー」のような機械的であったように、都市にとけ込む要素を持つものが多く展示されていて、展示空間である都市と作品の関係が考えられた上での選択ではないかと感じた。作品が空間の一部として成り立ちながらもそれぞれの存在感や個性を示している今回のような展示空間を体験することができ、とても勉強になった。
 また美術館は展示空間をつくり込みすぎないことが大切であることを知った。あまりつくり込んでしまうと展示空間が限定的になり、作品に合わせた自由な展示が行えなくなってしまい、使いにくい展示空間になってしまうとのことであった。ある程度フレキシブルな空間である方が様々な作品をより効果的な方法で展示することが可能となる。今回のような映像や写真をはじめとする様々な表現形式の作品が一ヶ所に集まる企画展では特に重要なことである、と感じた。これは他の建築にも言えることであると思う。建物を設計する段階でつくり込み、各室で機能や人の行動を完全に分けるよりも、あえてシンプルな空間をつくることで様々な状況に対応することができ、それによって新たな活動が生まれる可能性もあるのだ。
 そして、もっとも印象に残ったのが横浜美術館内のTemporary Foundationである。円形の空間を壁が二分して、それぞれでテニスコートと裁判所の法廷が再現されていた。テニスコートの方は壁が鏡になっていて円形の空間内にテニスコートだけがあるように感じられる。テニスコートは空間の半分しかないのだが、まるでコート一面がそこに存在するように見えるのである。薄い壁によって同じ空間でも全く違う空間体験をすることができるのがとてもおもしろかった。そしてこれは建築にも応用できるのではないかと思った。敷地がとても狭い場所であっても、鏡の設置によって空間を実際よりも広く見せたり、ないはずの奥行きを視覚的に生み出すことができるので、より多様な空間を生み出すことができるのではないかと考える。
 今回のゼミで展示空間を考える際には作品の個性やそれを実際に展示する過程、その空間を体験する人が何を感じるのかを理解しておく必要があることを学んだ。今はまだこのことを知っただけであるので、これからは作品や空間体験をについてゼミを通して学び、展示空間を考えられるようになっていきたいと思う。また今回はあまり見れなかったが、照明計画などの光の扱い方も学んでいきたいと思う。

吉田泰基
 トリエンナーレと呼ばれる美術展覧会を訪れるのは初めてである。トリエンナーレのそもそもの意味が3年に1回開催される美術展覧会と聞き、もっと壮大で分かりやすいアートを想像していた。初めは期待通り、ゴシック建築の繊細な窓をモチーフにしたヴィム・デルボアの低床トレーラーが壮大さを予感させるかのように展示されていた。また、エントランスにも、マイケル・ランディの巨大なアート・ビンというゴミ箱が展示されていた。ゴミ箱を「忘却の容れ物」と解釈し、そのゴミ箱を美術館の中心に置くことによって、私たちの大事な忘れ物がよく見えてくる。ここまでは、私的妄想と合わせて理解ができる。
 しかし、その期待はあっさり裏切られた。第1話から入り、最初の部屋には、ガジミール・マレーヴィチのシュプレマティスムの小品が何の説明もなく展示されてある。だが、はたしてアートにそれほど馴染みのない人がいきなりこれを見て、それが何なのか、何がいいたいのかわかるだろうか。その後も、ミニマル・アートのほとんど白紙の如き絵画がやはり何の説明もなく展示されている。ここで、ようやく現代アートの難解さに気付かされる。以降、難解すぎるアートと向き合いながら進み、釜ヶ崎大学エリアに入る。ここは、雑然と作品が展示されているが、今までとのギャップなのか、暖かみを感じる分かりやすいアートであった。3話、4話、5話は、1話と比べると比較的背景なども想像しやすく、リラックスして鑑賞することができた。そして、今回一番心に残っているが第6話である。いつの間にか監獄のような趣向が出てきたり、赤く塗られた法廷など、説明や理屈抜きに訴えてくる作品が多かった。素人の私には、このような監獄や法廷などのインスタレーションに身を置いて感じ取る、楽しくも知的なアートが分かりやすい。新港ピアの方の第11話の「忘却の海に漂う」は、一番まじまじと時間を掛けて見ていたように思う。特に、原爆の被害者などの一個人を対象にしたスナップ写真。普段は、メディアなどを通して漠然とした被害の数値や概要を見てきたが、ここでは生活感を感じさせる物が多く、一個人の存在をリアルに感じることができた。正直、鳥肌が立ちっぱなしであった。
 全てを回り終えて、今回のヨコハマトリエンナーレのキーワードである「忘却」について、まだぼんやりとだが、森村さんが表現したかったことが見えてきた。「忘却」というキーワードは、大したインパクトのあるわけでもなく、未来志向でもないが不思議な世界を演出してくれた。これをきっかけに、小さな物が大きく見えるようになった気がする。

相馬衣里
 約2年前、上京したての私が初めて行った美術館も横浜美術館でした。前回は奈良美智の展示で、キャッチーな作品が大方でしたが、今回の横浜トリエンナーレは、人間に関する倫理的な題材をモチーフにした作品が多く、鑑賞していて少し気分が重くなりました。展示によってこんなにも建物の印象、空気、雰囲気がガラッと変わるものなのかとすごく印象的に残っています。
 それでは、今回私の印象に残っている作品についてお話したいと思います。まずは、横浜美術館に出展されている毛利悠子さんです。私は見学会の数日前に、今3331 Arts Chiyodaにて行われている「DOMMUNE UNIVERSITY OF THE ARTS」の展示を見に行ったばかりだったため、そこでも同じくインスタレーションの作品を展示していた毛利さんの作品が印象に残っています。どちらも日用品から家電、楽器などをモーターで規則的に稼働させる作品で、その佇まいは両作品とも似ていたのですが、その場に立った瞬間に感じるものは全く違っていて驚かされました。DOMMUNEの方は明るい雰囲気と未来に向けたエネルギーを感じられる作品でしたがこちらは真逆で、背徳的で情緒的で脆く湿ったようなものを感じました。例えるならば陰と陽です。もしかすると、彼女は同時期にこの二つの作品の製作にかかっていたのかもしれません。どのようなことを考えながら製作に取り組んでいたのかとても気になって眠れませんでした。それから、アンディー・ウォーホルの撮る写真の作品が意外と良いことに驚きました。私は、絵画の人だと思っていたので、彼の写真作品にお目にかかれて光栄でしたし、その作品がまた私の好きなタイプの写真だったため、彼の活動に今まで興味がありませんでしたが惹かれました。写真に関して言うと、来月から東京国立美術館で展示会を控えている奈良原一高の王国の一部も観覧することができて良かったです。構図も素敵ですが、皮肉がたっぷりこめられたような作品に、私は「頭がいい人の写真は格好付けていてダサいのに可愛さがあるなあ」と思いながら感慨に耽ました。
 普段このヨコハマトリエンナーレのように、人間やメディア媒体に関する風刺であったり、シニカルな作品が多い展覧会はその雰囲気が苦手で自主的には赴かなかったのですが、今回はやはり市民に向けた展示ということもあり、楽しく観覧できました。しかしながら、今期私の中で一世風靡をもたらしたDIC川村美術館で絶賛開催中の五木田智央展を超える作品に出会えなかったのは残念でした。私はよく音楽のライブを見に行くのですが、良いライブを見た後は必ず早く家に帰ってギター弾こう!という気持ちになります。この法則に乗っ取ると、様々なアーティストの本気に触れて、私の中でもなにか沸き立つものがあったので、このメラメラが消えないうちに私も何かに昇華しようと思えたため、この展示は良い展示だったということになります。無駄にしないようにわたしの人生に取り組んでいきたいと思います。

渡辺莞治
 「世界の中心には忘却の海がある」とつけられたタイトルは、難しい内容であって漠然としている。その不思議な世界の中に私たちのリアルさが放り込まれている。私たちが忘れていたものや目を背けていたものを思い出すためにも、マイケル・ランディの「アートビン」という巨大なゴミ箱が美術館に置かれていたかのようにも思える。今まで見てきたアート作品で、廃材を使った作品はあったが、このように作品を捨てるという行為から生まれる参加型の作品は初めて見た。今回見たのは、あくまで作品の途中経過であり、また後日見たら違った印象になるのかと思うと、わくわくする。ものがありふれている現代社会に生きる私たちを真っ新な状態にする、今作品の「忘却」 に相応しい序章である。人は無意識のうちに取捨選択して生きているが、意識的に忘れる・思い出すことが今作品に触れ行える。
 沈黙とささやきをテーマとした中で、ジョン・ケージの「4分33秒」という作品があった。休符で構成された楽曲は、ざわめきや吐息、風の音などが聞こえる。この不確定な音たちは演奏ごとに変わっていくために、作品はその場その場で変化し、いわば、かたちを持たない作品である。このような音に耳を傾けるもので、マリー・シェーファーが提唱した「サウンドスケープ」という思想がある。この思想は、日常生活や暮らし、環境などに耳を傾けるもので、音から情報を読み取るというものである。私たち自身に能動的に委ねられた作品によって、今までは目を向けなかった物事に気づき新しい発見が生まれる。
 とくに私の印象に残った作品は、作者を非人称にすることで作品全体からはみ出している「非人称の漂流」である。作品自体からも脱却する試みの斬新さは、他の展示にはない違和感があった。この違和感がよりリアルな現実へと、私たちの気持ちをスイッチさせる。手放す、捨てる、あるいは忘れる。捨てることで新しく得たものは、いずれまた捨てられるかもしれない。ここに、社会の変容性を感じた。建築も芸術もこれまでに新しい試みが行われ、数々のアヴァンギャルドな作品が生まれてきたが、現代アートのような実験的アプローチによって、今日の私たちはリアルに気づかされる。
 現代アートの国際展である、ヨコハマトリエンナーレ。横浜美術館、新港ピアをはじめ様々な会場で連携し、作品が展示されている。同時多発的な、このアート会場の連携は、アート作品に触れるだけではなく、街歩きをする楽しさもある。普段、横浜にいる人たちにとってもいつもと違った街の風景が演出される。一般的に難解な現代アートを街の中に落とし込むことで、人は能動的な時間を過ごす。会場が美術館やエントランスだけでなく、 カフェや書店の中など様々な場所に展示されていて、街と混ざり合う面白さとより街の中にアートを配置している印象を受けた。会場間の無料バスも便利であり、まわりやすかったが、同時に作品と展示会場の誘導する難しさを感じた。この見学会で、街と作品との向き合い方や展示構成・配置などについて勉強することができた。このような大きいスケールの展示に触れ合い貴重な体験であった。

末次華奈
 どうして人は忘却するのでしょうか。目を背けたいような見たく無いものや、見えないもの、記憶からこぼれ落ちたものたちが思いも寄らず、実は世界の中心に広大な海として静かに存在している。そんな忘却めぐりが今回のヨコハマトリエンナーレのテーマです。
 このような芸術祭に初めて参加したので、目に留まるもの全てが新しく新鮮で非常に面白いと思いました。始めにエントランスホールで私たちが見たのは、ショーケースにも見える巨大なゴミ箱でした。マイケル・ランディの「アートビン」です。芸術のためのゴミ箱を創造的失敗のモニュメントと彼は言っています。ゴミ箱の中身は成功のために生まれた失敗たちですが、人からは忘却され捨てられてしまいます。ゴミ箱を生活の中心に置いてみると、こうした大切な失敗に改めて目を向けることができ、これからの成功や輝かしいものに繋がるのではないでしょうか。こちらの作品を見て、今回のテーマを実感することができました。
 忘却されたものは沈黙しています。沈黙しているものは、声に出して語られた言葉よりもずっと深く、真実を語るのだと気付かされました。木村浩さんの「言葉」は絵画作品でありながら私たちに言葉を使って語りかけてきます。「このことについては、黙っていることにする。」ゾッとしました。嫌なところに触れられたような、触れられたくない過去を知られているような。誰に向けて描かれたものなのかはっきりしませんが、見た者の心を揺さぶる強いメッセージを感じました。
 芸術家達は、このように人々が知らないふりをしていたり、うっかり見落としてしまった忘却されたものに敏感に反応し、作品を通して問いかけます。第6話「おそるべき子供たちの独り芝居」という表題に、お前たちは大人になって見えていたものが見えなくなってしまったんだと叩きつけられ悔しくなりました。芸術家たちのひとり遊びに多くのことを気付かされ、ただひたすら欲望するだけの子供時代に嫉妬してしまいます。坂上チユキさんの微細な作品には強い意志を感じました。「師走の毛虫」「くるくる回りすぎて首が雑巾絞りになった水鳥」「鳥の接吻」描く対象は子供のようで純粋な響きを帯びていますが、あまりにも緻密で複雑な描写に驚きました。大人になりきれなかった子供たちのひとり遊びは、確かな技術を伴うおそるべき子供たちの遊びだといえます。
 曇った眼で様々なものを忘却してしまった私たちは、こうした芸術家たちが発する微かな囁きを生き方や考え方を捉えなおすヒントとして大切にしなければなりません。横浜というまちは決して人が少ないというわけではありませんが、アートによって人々がつながり、まちづくりが行われ、ここから世界に発信していくという力を感じました。私のような芸術にあまり知識のない人でも、何かを得られるものだと思います。

柳スルキ
 ヨコハマトリエンナーレとは、何を目的としているのだろうか。おそらく、アートでまちづくりを測ろうということなのだろうが、把握しきれい部分がある。ガイドブックには、『ヨコハマトリエンナーレは、現代アートの最先端を提示しつつ、多くの市民や団体などと連携をとることで、アートを通じてまちにひろがり、世界とつながることで、横浜のまちづくり、そして日本全体の芸術文化の発展に寄与することを目指しています。』とある。現代アートは、知識や国の文化や背景などの事前知識などの必要がなくとも、多くの人にとって平等のように思える。現代アートの形はさまざまあるので、とっつきやすいのかもしれない。これらの点で国内はじめ世界の現代アートが言語を介せずとも受け入れられるからこそ、このようなイベントがまちづくりとして適しているのかもしれない。しかし、海外研修旅行でもさまざまなアートにふれたが、私にとって現代アートは私たちに訴えかけるよりも前にそれ自体で完結しているような感覚にさせる。
 今回のヨコハマトリエンナーレでは、アートのとりいれ方に疑問をもった。実際回れたところが横浜美術館と新港ピアと象の鼻テラスだけだったのもあると思うが。そもそも、横浜は観光地でもあり、国際線の船まで出ているので人は少なくないはずだ。横浜美術館を回ったときは触れる作品が少なく、誤って触れてしまうとすかさず係の人が注意にかかる。これは当たり前のことだが、係の人と少しばかりもめる人もみうけた。これは当事者だけでなくその空間にいる人全体のストレスになっていた。残念ながら、アートで人がつながるような感覚はなかった。新港ピアでは盲目の方が連れの人と腕を組みながら回っていた。五体満足で身体的に何も不自由のない自分にとってはとても新鮮で、どのようにアートを体験するのかが気になる点だ。せっかく、いろいろな人を受け入れ、つなげていく場所ならば、主催側から専門の知識を持った人が案内をしてもいいはずだと思った。その後に向かった象の鼻テラスでは、ちょうど森永さんの聴く服やライゾマティクスとソウル・ファミリーの触覚デバイスの用いた共同プロジェクトが展示してあった。これは、事前に雑誌で確認していたので、大変興味深かった。ここでは、ワークショップが行われているようで目的に合致しているように思えた。しかし、常時は端の方に展示が追いやられていて、多くの人は展示よりも休憩しにくるという感覚のようであった。
 まちづくりにアートを持っていくことに反対するというわけではない。2年の夏と冬に瀬戸内国際芸術祭に行ったことがある。このときは、アートが人を、まちを活性化させることに対しての臨場感を感じた。もともと禿山状態だった島に緑とアートをとりいれると、どんなに暑かろうが長蛇の列をもって人が尽きなかったのだ。これは、瀬戸内海の島の状態に適しているアートのとりいれ方だったからだと思う。
 現代アートでも、海外研修中に行ったティンゲリー美術館のようにスイッチ式で体験のできる展示ならもっとおもしろく幅が広がるのではないかと思った。今回は現代アート特有の自己完結な感覚が強いように思えた。自分自身もアートとまちの関係についてより考えていきたいと思えた1日だった。会期中に回っていないところにも足を運ぼうと思う。

武井菜美保
 紙の燃える温度とその世界に在る忘却の海、というのが今回の題であった。これに対するイメージは、いらない雑誌を燃やすような火ではなくて、もっと暴力的で戦争に用いられるような炎だ。しかし燃え始めの部分は既に炭化しきっていて、黒々と広がっていく。燃える前と後では、同じ場所であったはずでも別世界である。
 序章2の巨大なゴミ箱の中身は真っ白な箱に飾られているときと、くちゃくちゃになってゴミ箱の中にいるときとでは、同じものであるはずなのに見え方や感じ方が全く異なる。むしろゴミ箱にあるときのほうが印象的であるような気もする。そんなゴミ箱が忘却だけを語る容れ物だなんて嘘である。
 序章で語られたことは1~4話からも読み取れるように思う。その中の釜ヶ崎芸術大学に関する話を聞けたのは、今回の展示の流れを読み取るのに大きな助けになった。釜ヶ崎に暮らす彼らは、その日の暮らしのためにただただ働くことに集中し、その日をどうにか生き抜いていく。夜思い返すのはただひたすらにまっさらな情景で、疲れていて眠る。そういったまっさらなところに居た人々が、その情景に物足りなくなって、芸術を用いて色をつけていく。そうして個々の扉が開き、やがては釜ヶ崎からも出て、横浜までにも色が広がってきた。そういう芸術の色により見出された希望のようなものが、あの色とりどりの空間から強く感じられた。
 しかし第3話では、先ほどの絵に描いたような充実が何か暴力的なものによって燃えてしまう。人々は無くしたり、亡くなったりする。また皆が扉を閉ざしてしまう。しかし誰もが「一からスタートしてみたい」と思ったことがあるであろう。これが、つまりはスタートにもなりうる。忘却の海は、新しい創造を可能としている。こうして人々は忘却の海に解放された。
 第6章の「恐るべき子供たちの独り芝居」という題からは、ジャン・コクトーの恐るべき子供たちを彷彿とさせられた。海で漂流する人々は、この小説の姉弟と同じように巧妙に自分だけの世界をつくりだす。でもその世界のつくりかたはあまりにも異様で、その世界はあまりにも狭いので、端から見たら異様だ。しかしそういった世界をもってるということと、その世界の狭いがゆえの完成度に魅了される。しかしこの展示はもっと先をも語ろうとしている。
 10、11章は、それまでよりも受け取りやすかったり、明るかったり、その世界観に私を巻き込もうとしていた。ただそれは、無理やりにではなく、皆一緒に手を繋ごうというような半強制的な似非平和集団でもなく、私達に語りかけながらも入るか入らないかの選択肢は確実に自らの手の内にあるといった感覚である。それとともに、またここが忘却の海になることもありうることも理解しつつも、それをスタートととらえる感性をもっていて、励もうというような明るさがあった。これはもしかすると芸術家や、なにか創るようなことに携わる人に向けたメッセージなのだろうか。
 トリエンナーレの展示は私の自己解釈であるにしろ物語の流れが見えた。全く別々のアーティストの作品を並べることで空間は確実につながっていた。こういった方法で空間を操作できるというのはとても大きくて私には重たいけれども勉強になった。またその後みた「東アジアの夢」の展示ではポップコーンの香りや石油の匂い、目玉や骨など一つ一つの作品が力強く、個々で成立していて刺激的だった。これはきっと物語としての大きな流れがないからだ。トリエンナーレでは個々の印象よりも全体の流れのほうが印象的であった。
 別の展示と比較することで気づくことができる。今度は別の展示をしているときに横浜美術館に行って今回の印象と比べて見ようと思う。

江澤暢一
 私にとって現代アートとはよく分からないものだ。
 美術品の価値を理解できているわけではないし、よく分からないというのは見ていて「つまらない」「退屈」ということではない。漠然と「きれい」「こちらの方がいい」などといった感想は人並みに持っていると思う。しかしその作品について考えたとき、その作品が何を表し、作者が何を表現したかったのか? そのようなことまで感じとれたことはほとんどないと思う。今年の夏に海外研修旅行でさまざまな美術品を見てきたが、キャンバスを白く塗った作品など、どういう作品なのか理解できないものもあった。
 今回見学を行ったヨコハマトリエンナーレも漠然とした感想を持つ程度で終わってしまうような気がしていた。しかし、実際はそんなことばかりではなかった。今回の展示は各国のアーティストの作品をストーリー上に乗せて、ある一定の区域ごとに1話・2話……と設定されており、1つずつにテーマが設けられていた。ただ眺めるだけで終わってしまっていたかもしれない作品も、これがあったからこそ私は自分なりにその他の作品と比べるなどして楽しむことができた気がする。第1話にあったJohn CAGEの「4分33秒」という作品もそのひとつだと感じている。いつもなら遠目で見るだけの作品だったかもしれないが、「沈黙とささやきに耳をかたむける」という全体のテーマがあったからこそ考えることができたと思う。展示の中で最も印象に残ったものがGregor SCHNEIDERの作品である。作品が目の前にある扉かとも最初は思ったが、扉の中に入ると中に広がる空間と湿度に驚きを覚えた。先に進むとすぐにブロック塀に囲まれた沼地にたどり着いた。そこにはひとつ照明が用意され、泥が照らされているだけの展示だったが、光に照らされた空間は非常に美しく、思わずいたる所で何回もシャッターを切った。興味を持ったので帰ってから調べてみたが、開催当初は実際に沼地に入ることもできたようで、作品に触れて体験することができること自体がインスタレーションの醍醐味なのだろうと感じる一方、その体験をできなかったことが悔しいと思った。もう1つは新港ピアでみた土田ヒロミさんの写真作品である。本来、時間の一瞬を切り取る写真で時代を超えた2枚の写真の対比だけでも印象深いが、被写体の広島の人々の写真はカメラ目線だけれども笑っているだけでなく、ひとりひとり複雑でさまざまな表情を見せていた。そんな作品が印象的であった。
 今回、展示されていた現代アートも適切な解釈がどれほどできたのかはわからないし、正しい解釈はほぼできていないだろう。そういった意味では、よく分からないといった状況に変化はない。しかし、私はトリエンナーレを通して「どんな作品なのか?」考えることが現代アートの楽しみ方のひとつなのだと思った。また、そういった機会がひとつの街を巻き込むような規模で、トリエンナーレのような企画が日本中さまざまな場所で見られるようになればいいなと思った。今回はゼミナールというきっかけであったが、今後はきっかけがなくとも自ら足を運ぼうと思う。

ゼミナール | Posted by satohshinya at October 29, 2014 0:41 | TrackBack (0)

北澤潤レクチャー@オウケンカフェ

2014年9月24日(水)、2014年度第1回ゼミナール@オウケンカフェとして、現代美術家の北澤潤によるレクチャーが行われた。以下はそのレクチャーに対するレポートである。

下村燿子
 現代美術家ときいて、今まで見てきた現代アートを想像した。誰かに説明してもらって、作品の意図が理解できたり、単に見ることで何かを感じたり、想像を掻き立てられるもの。北澤さんが紹介したのは、“作品”ではなく、自身の活動や、それによって生じた空間・人々の新しい関わりについてだった。はじめは、これは現代アートであるのか?と思った。
 私が面白いと思ったプロジェクトは2つあって、ひとつは「リビングルーム」。商店街の空き店舗にカーペットを敷き、近くの団地に住む人からいらない家具を譲ってもらい、そこに居間をつくる。そこにある家具は、欲しいものがあれば自分の家から持ってきた家具と交換して、もらうことができる。子供たちがリビングルームで過ごし、近所の人は家具を交換しにやって来る。ピアノがやってきた時はコンサートをし、調理器具がやってきた時はレストランをし、映写機がやってきた時はホームシアターをし……。リビングルームはその時々そこにあるもので、空間の役割が変わり、リビングルームにいる人々は、空間によって役割が変わる。どんどん変わっていく空間と、物を交換しにくる人のようす、変わっていく人の役割。できごと自体は異常なのに、リビングルームのなかで皆がしていることは日常のこと、それがとても面白いと思った。
 もうひとつは「マイタウンマーケット」。被災地の仮設住宅で、手作りのゴザをつくり、その上にまちをつくる。ゴザひとつに対してまちをつくる建物(銀行、図書館、美術館、プラネタリウム……)がひとつ。子供たちがつくりたいと思ったまちを考え、大人たちに手伝ってもらいながら、マイタウンマーケットが開催される日に向けて準備をする。一見、文化祭のようでもあるが、子供一人がひとつの建物を担当する。やりたい建物が自由につくれて、大げさに言えば、夢を叶えられる。こんな建物をつくって、自分が館長さん!という夢。子供の、創造したい欲を掻き立てて、実現できるプロジェクトだ。普段は住むだけの仮設住宅街に、まちができて、皆がそこで遊ぶようすはとても楽しそうで、スライドでみた写真の子供たちは、生き生きとして、マイタウンマーケットを開催する側として活躍し、大人びて見えた。
 どちらのプロジェクトも、つくられているのは“もうひとつの日常”で、そのなかでつくられる、普段から逸脱した人々のコミュニティを、“コミュニタス”と呼ぶと北澤さんは説明した。“もうひとつの日常”のなかで、“もうひとりの自分”になれるそうだ。そもそも、北澤さんが“もうひとつの日常”をつくりはじめたのは、ある作品をつくる時に、その作品をつくろうと思った自分は何がつくったのか?という疑問があったから。作品をつくる過程をつくったのは“日常”であり、そこで北澤さんは、日常をもうひとつ意図的につくり、そこで過ごしたそうだ。“もうひとつの日常”で過ごすことは、何かを創造したいと思う“もうひとりの自分”になること。それがとても不思議で、小さい頃からこういった体験ができた子供たちが、羨ましくも感じた。
 北澤さんのプロジェクトのなかで過ごした人々は、「創造すること」を思い出す。北澤さんのつくった空間のなかで、過ごし、たくさんの創造をする。それは、リビングルームの変わり続ける空間であったり、マイタウンマーケットのまちなみであったり、そこで新しくできた人々の繋がりであったり。目に見えないものが多いけれど、あえて言うなら北澤さんの作品とは、プロジェクトそのものではなく(北澤さんはプロジェクトを作品と言わなかったが)、人々の新しい繋がりや、子供たちがつくったものや、“もうひとつの日常”で過ごした思い出、だと思った。
 今回のオウケンカフェで、また新しい種類のアートの話を聞いて勉強になった。自分の知らない世界の話を聞くと、次の日から少しまわりが違って見える。これからも色々な人の話を聞きたいと思った。

渡辺莞治
 作品ではなく、きっかけづくりを試行し提案しながら活動している現代美術家の北澤潤さん。「芸術の現場を社会に」これは、社会に分かりやすいように芸術のプログラムを配置することと、地域の人たちが積極的に参加することで形成されている。「リビングルーム」では、関わっている人やものを常に変化させていくことで、多機能であり多目的な空間をつくっている。場所は変わらないのに、物々交換というルールのみで時間と共に空間の機能や質が変化していく。これは、既存の建築に手を加えて機能を変えていくリノベーションのようだが、意図していることはそれだけではない。北澤潤さんは、何気なく過ごす日常に問いかけを投げかけることで、人が持つ好奇心や欲求に揺さぶりをかけている。専門的知識を持ったアーティストではなくても、人は誰もがパフォーマーになれる。それは、「何かをやってみたい」という第二次的欲求を形にすることから始まる。イギリスの演出家のピーター・ブルックは、「何もない空間にひとりの人間が横切り、 それを別の誰かが見ている。演劇行為が成立するためには、これだけで十分なのである」と述べている。ジャンルに縛られない空間だからこそ、地域の人たちのイマジネーションが掻き立てられて、プログラムを知っている人も知らない人も誰でも気軽に参加することができる。そこには、たまたま通りかかって参加した人もいるかもしれない。美術館や劇場内で行われる作品は、鑑賞目当ての目的を持った人たちが集客される。しかし、街そのものを巻き込むパフォーマンスは、芸術に触れるという目的をもたない人たちも芸術と出会うことができる。これこそ、 「芸術の現場を社会に持ち込む」という彼の意図することではないのか。
 街に揺さぶりと問いかけを起こした人物に劇作家である寺山修司がいる。彼は、「街は、いますぐ劇場になりたがっている。さあ、台本を捨てよ、街へ」と述べている。市街劇「ノック」は、地域住民の玄関のドアを突然ノックすることで物語が始まる。 演劇という世界に巻き込まれた地域住民は、何も知らずに観客になったり、時にはパフォーマーになることができる。彼は、団欒となったリビングや居心地の良い地域に安心しきった人たちに揺さぶりをかけ、もうひとつの日常をつくらせている。これは、街の日常を非日常的な演劇に落とし込み、曖昧な時間と空間にしている。
 もうひとつの日常を生み出すアートは、新しいコミュニティをつくり出す。現在のアートプロジェクトにおいて、アーティスト自体の存在価値が変化しているのではないのか。私は、アートも建築もコミュニティ形成の一つのツールであると考えている。北澤潤さんも、芸術と生活の境界線である「限界芸術」について触れていたが、アールブリュットやアウトサイダーアートのような芸術という枠にとらわれないアートを尊重する社会が今後必要になってくるではないのか。今日、地域性が問われている中で、アートや建築といったツールを通して地域から発信されるものを私たちは読み取らなければならない。私は、もっと「建築と地域」「アートと地域」「建築とアート」について探りたくなった。

末次華奈
 現代美術家の北澤潤さんに貴重なお話をして頂きました。北澤さんの芸術は作品のない特殊なもので、芸術家といったら良いのか、何なのか悩みました。
 北澤さんは発端として、日常に違和感を感じたとおっしゃいました。日々自分を形成していく日常に対し、常に受け身である自らから脱出するため、日常をどう主体的に更新するのか考えた末、もう一つの架空の日常の創造ということに辿り着いたそうです。これが非日常というわけです。この思想から浮島やリビングルームなどのプロジェクトへの具体化が北澤さんの表現の部分なのだと気が付きました。北澤さんは作品をつくっているわけではありませんが、確かに現代アートを手掛けるアーティストであると納得しました。
 私は特にサンセルフホテルに興味を持ちました。ホテルマンを団地の人たちが務め、団地の空き住戸が客室に変身します。客室にはホテルマンの優しい工夫が凝らしてあり、年齢に関係なく人をおもてなしする気持ちがこもっています。そして宿泊者は自ら太陽の光を集め、生活に必要な電気を発電します。非常にユニークです。そして一日の終わりにはホテルマンと宿泊者が協力して団地を照らす太陽をつくります。最後には関わっていた全ての人たちが夜の太陽に照らされて、一つの空間を共有することでアートプロジェクトの一体感を得ることが出来るのではないでしょうか。北澤さんのアートプロジェクトには二つの立場から参加することが出来ます。サンセルフホテルの場合は、ホテルマンと宿泊者です。どちらもアートプロジェクトのお客様であり、主催者でもあるのです。北澤さん自身はプロジェクトの立案のみで、微かな助言をするだけです。あくまで、地域の人たちのプロジェクトということにこだわりがあるようです。
 どのプロジェクトも大変前向きなものです。北澤さんが提案した新しいプロジェクトに地域の人たちが反応して集まり、地域の人たちによる地域の人たちのためのものに変化していきます。この現象は一見自然で、温かいものに見えますが、現代の人々の行動と一致しないような気がしてなかなか受け入れられませんでした。好奇心だけで人を集めることが可能なのでしょうか。ネガティブな方向からしか物事を見られない自分が嫌になりましたが、これらのプロジェクトに現実味を感じられませんでした。参加して見なければわからないものなのかもしれません。しかし、この点にこそ北澤さんの技術と徹底した工夫が施されており、これがこのプロジェクトのタネです。
 これは誰しもが抱える変わらない日常への不満を打破するプロジェクトであり、非日常に存在する自分を思うとワクワクしました。

竹田実紅
 私にとって現代芸術とは少し変わったもの、不思議なものと感じ、美術館などで作品を見ても、善し悪しがいまいちわからないものであった。今回のオウケンカフェでは、現代美術家のお話を聞けるということだったので久しぶりに参加した。「もう一つの日常を生み出すアートプロジェクトについて」と題し、北澤潤さんが今まで行ってきたプロジェクトの紹介をしてくださった。商店街の空き店舗を居間にするプロジェクト、仮設住宅をマイタウンマーケットにするプロジェクト、アパートの一室をホテルにするプロジェクト。どれも興味の持てるものだった。それは、北澤さんが現代美術のフィールドで活躍するアーティストではあるが、活動内容は建築家が行ってきたことと似ているからかもしれない。しかし、内容は難しくレクチャーが終わった後は何か自分の中に大きな衝撃、刺激を受けたような実感はあるもののそれが何なのか、どう感じたのかを自分の言葉で説明することが出来なくもどかしさすら感じた。「なにかをつくる」その時の思考は家族や友達、日常で体験したことなどが影響している、つまり日常によってつくらされているのかもしれないという考えは、今までの私にはなくはっとさせられた。その日常をゆるく揺さぶるためにもう一つの日常をつくっているのだという。レクチャーを聞いていると北澤さんの考えがスーっと入ってくるが、ふと考えるとやはりまだ理解できない。でもなんか面白そうで楽しそう。これも北澤さんのテクニックなのだろうか。一番心に残っているのは「きっかけをつくるのがアーティストの仕事」という言葉だ。市民が係わるきっかけをつくる、手法や技術で好奇心やワクワクをひっかけ引っ張り出すのがアーティストだという。問いかけをし、見えない設計をする。紹介してくださったプロジェクトはどれも今では市民の方が主導となり、活動しているということだった。あくまでもきっかけをつくるだけ、なのだろう。これは建築家としても同じだと思う。独りよがりな建築、自分の作品なのだ、とするのではなく、市民の人に建築やその空間によって好奇心やワクワクを引き出す、何か考える、行動するきっかけを与えられるような建築をつくれたらと思った。今いる日常が当たり前だと感じ、疑問も持たずに生活していたが、ふと視点を変えたら見えてくるものがあるのかもしれない。これからは、オウケンカフェだけでなく様々なイベントやプロジェクトに参加していきたい。

大川碧望
 現代美術家の北澤潤さんは物をつくるのではなく空間をつくることで現代美術を表現していた。活動内容は、国内外の自治体や公共団体などと協力し、その地域住民の日常を取り込むプロジェクトである。今回の講演を聞いて考えたことは、現代美術家とはなんなのかということである。美術家ではなく現代美術家と呼ばれるのはなぜか。現代につくっているから現代美術家と呼ばれるわけではないと感じる。今回の講演を聞き、現代美術家は今の社会だからこそできることをやっていると感じた。
 今回北澤さんが紹介したプロジェクトは「マイタウンマーケット」、「リビングルーム」、「SUN SELF HOTEL」である。「マイタウンマーケット」では、仮設住宅の中に新たな領地をござや囲いでつくっていき、自分たちのつくったお金や店舗、役割で一日過ごしていく。主体は子供であり、大人は子供たちのやりたいことを手伝っていく。「リビングルーム」では、空き店舗にいらないものを集め居間をつくり、物々交換というルールをもうけることで毎日変化する空間をつくっていく。「SUN SELF HOTEL」では、空き部屋を太陽光発電で電機を集め、地域住民のもてなしによってホテルをつくっていく。どのプロジェクトにも共通していることは、「刹那的であること」、「もうひとつの何かを感じること」だと感じた。刹那的であることは、見逃したくない衝動を感じさせその場所にとどまること、やる気向上を促すと考える。また、今回の講演で何度も登場した「もうひとつの日常」はいつもと違うもうひとりの自分、いつもと違うもうひとつの場所では、非日常を味わうことで日常に戻っても次の自分になることができる。北澤さんのアートプロジェクトでは「もうひとつの日常」をつくり出すことで「もうひとりの自分」を感じ本来の創造性を思い出すこと掲げている。
 北澤さんのプロジェクトでは、現代の祭りを地域のものでなく観光にしてしまっていること。通過儀礼がなくなってしまっていること。現代の社会になくなっている「人間の創造性」を呼びおこし変えていくという一種の社会に対する問いかけとなっていると感じた。現代美術家が美術家と呼ばれないのは絵画や彫刻、銅像などわかりやすい「物」をつくっていないからということもあるが、現代社会の現状や問題を取り込み、アートというツールを使い社会へと問いかけるからではないかと感じた。これは、建築家にも必要なことだと考える。
 私がアートプロジェクトを考えるときに一番考えてしまうのは人や空間よりも箱になってしまうのではないかと思う。今回のアートプロジェクトはその空間よりもツールをどのように設定するかがよく考えられていると感じた。建築家という言葉にとらわれることなく、その場所で人が過ごすことで変わっていく日常を意識したいと思った。私たちが提供できるのはツールだけであり、その空間を限定することはできても支配することはできないと感じた。その空間を限定する方法を表現することが必要だと考える。今回の講演では違う視点で建築を考え直すことができた。建築家は、日常と非日常を考えることが多いと考える。日々の日常で問題を発見し建築を考え、自分の限定方法を探りたいと思う。

菊池毅
 このたびのオウケンカフェでは現代美術家の北澤潤さんに貴重なお話をお聞きする機会に恵まれた。
 北澤さんの活動は行政、教育機関、医療機関、企業、商店街、町内会、NPOなどさまざまな人たちを巻き込み展開されている。その内容というのはこのレクチャーのなかでお話をして頂いたなかからおさらいをしてみると、リビングルーム、マイタウンマーケット、サンセルフホテルといったものだ。これらについてもう少し詳しく以下に触れてみたい。
 まずはリビングルームから。これは商店街のとある空き店舗にカーペットを敷き、地域住民のための誰でも過ごせる居間空間をつくってしまったものだ。そしてこの居間を構成するものは居間に集まった人々と彼らによって持ち込まれた物たち。どこにでもあるかのような居間の空間は構成する人と物が絶えず変化・更新をし続け、どこにも無い居間の状況をかたちづくる。
 マイタウンマーケットでは、震災の為かつて暮らしを営んでいた場所に留まることが叶わなくなった人たちが住む仮設住宅に手づくりの町の姿を立ち現させる。仮設住宅の集会所からはじまるこの手づくりの町は、そこに住む人の思い思いをつなぎ合わせて映画館、図書館、カフェ、銭湯、バス停などのさまざまな姿をつくり上げ、これから再建されるであろう町について思考するきっかけをつくっている。
 サンセルフホテルにおいては団地の空き部屋から人と人、人と自然の新しい関係性の在り方を問いかける。太陽という存在を介在させて、サンセルフホテルに泊まりに来た宿泊客とホテルマンは協働作業で客室の空間をつくり出す。
 これらのプロジェクトを通して、このたびのお話を伺って思うのは北澤さんの肩書きを形容することばはアーティストでは足りないように思う。そもそもアートというものに疎い私には、はじめてこれらの出来事を目の前で示されたときには正直なところ何が起きているのかわからなかった。自分のアートの認識を修正しなければ成らないことが起きている。カントが定義した美ともゲオルグ・ガダマーが認識する芸術にも当てはまらないことではないだろうか。ただ確かなのは彼が手掛けるアートプロジェクトによってさまざまな人が非日常の空間、光景に参加させられ知らず知らずのうち何かしらの役を演じそれに耽いっている。
 ダダイズムのマルセル・デュシャンは美術とは何かを問い、アンディ・ウォーホルが芸術を大衆化させたように北澤さんのアートプロジェクトは自分のなかのアートの認識を変えようとしている。北澤さんのこれからの活躍に期待させられるお話の機会であった。

ゼミナール | Posted by satohshinya at October 29, 2014 0:15 | TrackBack (0)