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アサダワタルレクチャー@オウケンカフェ

2014年11月26日(水)、2014年度第6回ゼミナール@オウケンカフェとして、日常編集家のアサダワタルによるレクチャーが行われた。以下はそのレクチャーに対するレポートである。

飯田拓真
 日常編集家アサダワタルさんのレクチャーに参加して、とても楽しい時間を過ごすことができた。失礼ながら私は今回までアサダワタルさんのことは知らなかった。話の初めはこの人何やっている人なのだろうかと疑問でいっぱいだった。自己紹介が終わり、活動の話が始まるととても面白い活動だらけで一気にアサダさんに引き込まれた。日常を素材にして場を作る。このコンセプトから、日常を使って楽しんじゃおうと言わんばかりのワークショップ、活動の数々がとても新鮮で大きな衝撃を受けた。
 うちの子買い出し料理教室がいいなと思った。町を楽しみ、知るための活動のようなもので、親子で料理教室に来てもらい、簡単な料理に入れる具材を子供たちに考えてもらい、それらを買い出しに子供とスタッフだけで行くというもの。親御さんは教室に残ってもらい、子供たちの好きなように町を歩きながら買い出しに行く。それをスタッフが撮影して、料理を食べる時に鑑賞する「初めてのお使い」のようなものだ。買い出しは普通の日常であるのに、そこに子供たちの自由な行動が入ると親御さんやスタッフたちからしたら新鮮で面白いのだ。普通の料理教室なら食材は用意されており、買い出しという日常からは切り離された料理の本当に教室というような感じがするが、買い出しという日常とつなげることでこんなにも面白みが増すのかと衝撃を受けた。
 もう1つ、これは自分で遊びでやってみたいと思うものがあった。それは尾行サークルというものだ。3人ひと組で、ある1人に目星をつけて、その人と全く同じ買い物をするというものだ。ルールは何よりもバレてはならないということである。そして8品までとし4,000円を上限としたりする。そしてなにより絶対にバレてはならないのだ。これをレクチャーで聞いたときはなんてこの人は柔軟な考えを持っているのだろうかと思いつつ、それはダメだろうとも思いながら面白おかしく話を聴いてやってみたいと思ってしまった。
 アサダさんの、日常をコミュニティや場にしていく活動の住み開きは建築学科生としても考えさせられるものがあった。コミュニティやそれを誘発させる空間とはなんなのか。これはどんなに考えても完全な答えが出ることはないだろう。だからこそあらためて考えさせられた。アサダさんの日常からワークショップや最小の場の形成を図っていく活動は簡単ではないし、柔軟な発想も必要で、最初のこの人は何をやっている人なのだろうかという思考はなくなり、ただただ面白い人だなと思った。SNSが発達する今の世の中で、本当の意味でのコミュニケーションは取れているのだろうか。違う気がする。アサダさんはこう答えていた。「日常でも、SNSでも使い方通りそのまま使っていてもダメで、そんな使い方しないだろ、というような説明書にはない使い方をすることで、そこにコミュニティや場が生まれるのだと思う」という考えも答えの1つで、この他にもきっと答えはあるはずで、建築を交えた答えを提案していくことはどうすればいいのかを考えていくきっかけとなるレクチャーだった。本当に面白いレクチャーをありがとうございました。

李智善
 アサダワタルさんのレクチャーが始まってどのくらいかは何の話か、ここからどう展開して行くのか分からなかった。もっと正直に言えば、“表現活動”、“日常の再編集”という言葉からの話が、建築とどのような関係があるのかと思いながらレクチャーを聴き始めた。面白い話が続き、ただその話に夢中になって聞いていたら、だんだんアサダワタルさんが言いたいことが分かるようになり、建築との関わりが見えてきた。また自然に日常についての私の考えと比べることになり、ちょっとだけの考え直しによって、もっと楽しい日常を作っていくことができると思った。
 レクチャーの中で日常ということは意識しないと流れてしまうことで、そのような日常の中の素材を集めて配置し、全体を取りまとめることが日常の再編集という話があった。このような活動の目的はものすごい活動をすることでなくても、流れている日常を特別に考えてそれを他の人と一緒に共感しながら楽しもうということである。そこでコミュニケーションの“場”が作られる。この考えを実践する例としてアサダワタルさんが行った活動は、ある映像を流して人が集まる場を作ったり、皆で練習して公演を開いたり、借りてそのまま忘れていたものを展示して見る人の記憶を刺激することによってそこで話の場を作り上げたり、また誰かの日常を尾行したりするなどの細心な活動から大胆な活動まで非常に幅広かった。 このように誰にでもあるようなことから人々と話し合いの場が作られることを見て、学校での私たちの普段の生活も一緒だと思った。時々、日常から離れて……という文句をテレビや本から見るが、私たちが時間の流れとともに流してしまう日常の生活がどのように扱われるかによって、その日その日の気持ちをよくすることができると思った。
 すばらしい形態を作ることではなく、人々の生活を繊細に組織する建築でもこのような考え方が重要であると思った。人たちが集まる場所にはどこでも話し合える場を作ることができ、アサダワタルさんのコミュニティーを作るやり方は建築物を作ることとは関わりが薄いかもしれない。しかし、人々が生活する空間やその環境を作る建築にとって、流れてしまう日常を軽く考える瞬間に、空間に対する繊細さを失うことにつながるかもしれないと思った。
 ある人には楽しいまた面白いことを探してそれをやることに見えるかもしれないが、周りの当然なことを大事に考え、自分なりの活動を行ったり、自分の考えを他の人にアピールしたりするアサダワタルさんから色々考えさせてもらえる時間であった。

相馬衣里
 既定概念を破るにはいつも閃きが伴います。決して簡単なことではありませんし時間が要ることをわたしの人生でも感じてきましたが、アサダワタルさんはその壁を破って自称日常編集家として今現在ご活躍されているそうで、私はどうしても気になることが出てきてしまいました。それは、どうやって自分の好きなことをお金に変えて生きているのだろうか?ということです。彼は若い頃に様々な分野の活動をされていたそうですが、現在のわたしもまた、興味の対象にはすぐに手を出してしまいます。面白いと思ったことには身体を向けずにはいられないのです。今回のレクチャーを聞いてアサダワタルさんは自分にそっくりだと感じました。わたしもアサダワタルさんのように友人に「エリは将来なにがしたいの?」とよく言われます。自分でもさっぱりわかりません。ありがたいことに不器用ではない方なので、何かに取り組むとそこそこのクオリティーは出せるし、自分で学ぶことでこなせてしまいます。しかし一定のレベルから抜け出すことができないことが悩みでもあります。大変だし体力も要るし気持ちが追いつかなくなることもありますし、もちろん失敗も多々ありますが、お金が貰えたり、人を動かしたり、評価されたことを思い出すと、つまらなかったと思ったことは一度もありません。しかし、将来的にその技術やこのままのプランニングで現代社会を生き抜いていけるとは思えません。私はアサダワタルさんのように自分に似ている人がしっかり生きている姿を目の当たりにして「あ、この人……今の私の延長線上でちゃんと生きているんだ〜。このまま行っても大丈夫かもしんないなぁ〜。」と少し安心しました。もちろん彼の生き様、苦労を全てを拝聴したわけではないのですが、少し自信が湧きました。
住み開きの活動については、空き家や空きスペースの再利用方法の提案としては魅力的な活動だと思います。私の地元もそうでしたが、田舎にはこういった問題があふれ返っています。そしてどれも極めて深刻であります。八戸のコミュニティセンターの利用方法についての提案や世田谷の民家の提案はぜひ全国に向けてもっと発信して欲しいなと思いました。秋田県もそうでしたが、田舎や錆びれた街には面白い活動が沢山あるにも関わらす、発信力に乏しい傾向があるなと以前から感じていました。それは現地の人が隠れ家的要素を含めて落ち着いた雰囲気を崩さないように構築していったものだからなのか、ただ単に発信する術を知らないのかは知りませんがとても勿体無いと思います。アサダワタルさんをはじめ、こういった活動に携わる人々にはもっと発信することの大切さを知ってほしいです。作り手だって「こう言ったものがあったらいいのにな」を考えてプランニングして行くと思うのに、作っただけで満足するのではもったいないです。東京に出てきて私は田舎に憧れを抱く人が沢山いることを知りました。田舎の人は逆に「東京から来た」と言うだけで珍しがって大歓迎!大宴会の準備スタートです。絶対に「あったらいいのにな」と感じている人は現地でも全国でも数多くいるはずです。私は高校生時代から数々の町おこし活動を見たり携わったりしては、「どうしてこうなった?」と感じるものや「税金の無駄遣いだろ」という結果に至ってしまうケースを数多く見てきました。その活動の多くは子供やお年寄りに目を向けがちだなと感じていました。しかしアサダワタルさんの住み開きのような活動はわりと若者もターゲットにしていたりします。説明しにくいですが、建前としての「若者をターゲット」ではなく、「現代の本当の若者」という意味です。私はこういった活動がもっと増えたらいいなと思いますし、それを基礎としてどんどん地方に普及していければいいなとも思います。

吉田泰基
 日常を素材にして「場」を起こす。このテーマをもとにアサダワタルさんは、文化や音楽や映像、時には街の人までも素材にして環境づくりをおこなっているという。しかし、単に場を起こすと言っても、それには大きな問題が伴う。予算や公共性、政治、建物、時間などが密接に関わるためプロジェクトとそのものがそれらにより打ち切りになったこともあるという。よって、これらのことに振り回されない、もっと身の丈にあった小さな場のプロデュースを考えたという。それは場の最小単位でもある家に着目した、「住み開き」というアートプロジェクトである。家を代表としたプライベートな生活空間などを、本来の使い方ではなくもっとクリエイティブな手法で、セミパブリックな場として開放し、たくさんの文化やコミュニケーションを融合しようという試みである。例えば、お寺を劇場にしトークイベントやワークショプ、銭湯の休館日に浴室内をホール代わりに多岐にわたるアーティストを招いてインベントを行うなどがあった。単なる場が、表現をきっかけにいろんな分野のいろんなコミュニティを編み直すことができていたのは驚いた。建築のソフトな部分の編集ではあるが、ここまで変わることは、これから建築を考える上でハードの部分と合わせて考えていけたら良いと感じた。私は、はじめそのような行為はデザインや用途、建築などを否定するかのように思われたので、講義の中盤からは、とても興味深く聞くことができた。他に面白いと感じたのは借りパクしたCDでコミュニケーションを誘発することであった。日常の中の何気ないことを場に落とし込むことによって、新たなコミュニティを生み出していた。
 そして、全体を通して場としての記憶も繋げているのではないかと感じた。岡さんの家のように本来その家に眠っている記憶を場として開くことによって繋げていた。住み開きに対して建築だけでなくたくさんの良い可能性がまだまだ秘めているように感じた。
 私も、通過していく何気ない日常の中のちょっとした発見や楽しいことのあらゆる可能性を考えられるように意識して過ごしていきたい。

渡辺莞治
 日常を再編集することで、自分自身や人との繋がり、あるいは社会の本質が見えてくる。人は安定しているものに居心地の良さを感じ、日常を心の拠り所とする。在り来たりな日常を再編集することで、自分自身や社会が作り出した壁を取り除くことができる。流れていく時間と感情を止め、少しの表現する場を組み入れることでコミュニティを形成させる。その中で現実的な話として、公共性という壁から予算や費用といったお金や場の継続に左右されることなく、日常であるからには、自分たちの等身大のスケールで表現することが大切であることが分かった。
 「家」は私的で人のスケールが感じやすい日常空間である。小さいけれど豊かな空間を、少しだけ地域に開くことでコミュニケーションも豊かになっていく。ここで重要なことが、自分のペースで無理なく行っていくことだと気付かされた。それぞれの地域の生活環境の中で「住み開き」が育っていく。また、この「住み開き」のニーズが高齢者に高いことも分かった。空き部屋や高齢者の孤独死などが増えている現代社会の問題を、日常を再編することで解消していく。日常的に生活していても隣人の日常は、まったくと言っていいほど覗くことができない。もちろん、ある程度のプライベートは確保しなければならない。ちょっとだけ開きちょっとだけ場を共有することで、コミュニティの繋がりは大きくなる。人が日常の中で出会うコミュニティは限られているが、若者と大人、高齢者のように幅広い新たなる出会いを生み出す。表現をきっかけとし、ジャンル、コミュニティ関係なく再編集されていく。建築を地域に開くことはハード、ソフトの両面で重要である。情報化、多目的化した社会や震災の影響を見ると地域の繋がりの力を感じさせる。「住み開き」の活動の他に「八戸の棚Remix!」で私の興味が湧いたことが、料理教室の買い出しとして商店やスーパーをまわることで街を楽しみながら再発見できることだ。人の生活を決定づける街は、興味のあることや通勤通学といった職業などに左右され、人それぞれの街の日常がある。その街を再編集することで、今まで気づかなかった街の新しい場との出会いがある。
 また、アサダワタルさんのお話の中で、アール・ブリュットをもとに日常から生まれる表現を大切にしている福島の「はじまりの美術館」の話題が挙がった。この土地は、明治からの時代の継承と酒蔵やダンスホール、縫製工場といった用途の変化があった場を受け継いでいる。私も、この土地を見て、様々な要素が絡み合った場がまだ地域についていけてないように思えた。もちろん、これからがはじまりであるから、これから少しずつ地域と共に成長していくことを期待している。今回も、地域とアートといえど、地域それぞれのスケールがあり、そのスケールに合わせてプロジェクトを組み立てていかなければいけないことを感じた。人のスケールに合った日常を感じやすい「家」から再編集していくことで、現代の社会に効率よくコミュニティを形成していく。私は、これから物事の整理、抽出、混在という再編集のステップを自分自身のスケールで表現していきたい。

ゼミナール | Posted by satohshinya at December 3, 2014 13:08 | TrackBack (0)

大館・北秋田芸術祭2014見学会

2014年10月26日(日)、2014年度第4回ゼミナールとして、「大館・北秋田芸術祭2014」の見学会が行われた。以下はその見学会に対するレポートである。

瀧澤政孝
 大館・北秋田芸術祭はこれまで訪れた芸術祭と違い、秋田内陸縦貫鉄道の沿線の北秋田と大館商店街を中心とする大館市にまたがって展開し、地域に根差したアートの展示が行われている。私は秋田という自然の豊かな地域の特徴を活かした展示にとても興味を持った。「美術館ロッジプロジェクト」では森吉山の森吉神社避難小屋にアート作品を展示し、小屋につくまでの登山や登山道からの美しい景色等を楽しみながら感覚を研ぎ澄ませた状態で鑑賞させる試みで、そこでは町中や美術館を訪れて作品を鑑賞するといったありふれた行為では得られない感覚や発想が生まれるのである。また「秋田 森のテラス」では秋田の原風景の中を散策することで、懐かしい感覚を思い出したり、自然だけに囲まれるという非日常体験をすることができる。これらは豊かな自然を持つ秋田だからこそできた独自性のあるアート空間であり、地域の魅力をより一層引き立たせると思う。
 大館・大町商店街での展示は商店街内の店舗に作品を展示するものであった。大町商店街は、昔は秋田のメインストリートの1つで最も賑わっていた場所であったが、今では閑散としてしまっている。実際使われなくなった建物の中に入ることで、作品と共に商店街の現状というものがひしひしと伝わってくるようだった。現在ではもう一度昔の活気を取り戻そうとする地元の人々の働きで、正札竹村デパートをアートホテルや展示スペース、集会場を完備したアートセンターにリノベーションすることが提案されている。こうした動きの中で、芸術祭によりさらに商店街が注目され、町の再興がより早く進むものと考えられる。私は今回芸術祭とはアートのためのものだけではなく、その地域、そして人々のためのものであることに気づかされた。
 またアートだけでなく建築にも触れる機会があった。「大館樹海ドーム」は木造のドーム建築で、格子状の構造体は美しくて迫力があった。ここは多くの人が集まるスポーツ施設やイベント会場として、地元の人々に交流の場を提供していた。周辺には人々の集まる集会施設が見当たらなかったので、このドームの地域への貢献はとても大きなものであると感じた。また空き家になっている民家を再利用するための「民家リノベーションコンペティション」では実際に応募作品を見ることができた。土地の形状や方向性をそのまま利用したり、民家の要素を抽出して形態は全く変えてしまったりと、色々な人のリノベーションへの考え方を見ることができてとても勉強になった。
 今回のゼミでは色々なアート作品に出会えたと同時に、地域再興にも利用されるほどのアートの影響力を学ぶことができた。これからもアートの色々な側面を見て学んでいきたいと思う。

柳スルキ
 この3日間の秋田の芸術祭巡りはただただ楽しかった。秋田犬、忠犬ハチ公と米のイメージしかなかった秋田には住んだことはないけれども、どこか懐かしさや最近の時間の流れを感じた。今回の作品の多くはおばあちゃんを題材にしている作品が多かったような気がする。中でも2年次から注目していた折元立身さんのおばあちゃん全開の作品は、とても不思議で見ていてとても楽しかった。他には増田拓史さんの「食の記憶」や都築響一さんの「おかんアート」などが地元のおばあちゃんをピックアップしていて、街が成り立っている基盤のようなものを感じた。
 廃れていってしまう商店街や街にアートを持ってくることに不思議な感覚が残る。純粋にアートが凄いと思うと共にこの街は大丈夫なのかと不安になる。皮肉のようでならない。このようなプロジェクトによって引き付けられたのに代わりはなく、むしろこのプロジェクトがなければこの街には来なかっただろう。アートで人と人とが出会うけれどもその先はどうなっていくのだろう。もちろん、コミュニティやアートや街の未来について考えたいと思う。アートの押し付けから発展していく何かについて、もっと考えるべきなのかなと感じた。

渡辺莞治
 大館市大町商店街の空き店舗を展示スペースとして使用している「ゼロダテ美術展」。多くのアート作品を鑑賞すると同時に商店街を歩き、大館の空気感を味わうことができた。商店街の魅力のひとつに安心して歩けることが挙げられる。地域の人の生活と関わる商店街では、広い歩道の確保が大切である。大分県の豆田町商店街の事例を挙げると、自動車優先の道となっていて、安心して歩けるものではなく、歩行者の姿はほとんどない閑散とした状態である。商店街は、あくまでも観光客目当てではなく、地域に密着したものでなければならない。今回、印象深かったことは、ハチ公小径の休憩所での出会いであった。この場所は老舗百貨店である正札竹村デパートの一部を解体して、その跡地にイベントが行える通路を設けたものである。私が訪れたときには、学生のバンド演奏が行われていて、パンケーキやホットコーヒーが無料で提供されていた。メインストリートから旧正札竹村デパートに入り、壁に設置された照明によって、ここに導かれたような感じがした。 様々なアートに触れ合っている中で、つかの間の休息と現実といったところでしょうか。学生という将来を担う若い世代が、どのように商店街と接していくか考えなければならない。バンド演奏が終わるとテーブルとイスは片づけられてしまい寂しい雰囲気もあったが、かつて文化の発信地であったこのビル周辺から今後の熱気を感じ取れたような気がした。
 「アート」と「商店街」というキーワードの組み合わせに期待を込めて、もっと盛り上がりのある情景を想像していた。私たちの世代は商店街との関わりは薄く、今では多くの商店街がシャッター商店街となっている。商店街の衰退の理由として、社会のニーズの変化だけでなく、商店街に関わる商店支援者や商店主の意欲の欠落が挙げられるのではないだろうか。近年では、商店街衰退の策として、レトロ、キャラクター、B級グルメ商店街など多くの町おこしが行われたが、成功例は数少ない。他の土地での成功例をそのまま模倣しただけでは失敗してしまう。今回の「ゼロダテ」を含め、アートによって地域を盛り上げようとするプロジェクトにおいて重要なのが、その土地にあったアートを介入させなければならないことである。なんでもかんでもアートを地域に落とし込めば良いのかという疑問点が、私の中で浮上した。中村政人さんのトークの中で「もっと地方のアートプロジェクトを増やすべきである」と言っていたが、もちろんその通りだと感じた。 様々なアートプロジェクトが地方で行われても、その活動や作品を知っている人はほんの一部で、まだまだ地域密着型アートの認知度は低い。 「ゼロダテ美術展」も今年で8年目である。繋がりとしてのアートは、芸術という孤高の存在であるかのように地域から切り離されてしまっては、アートのひとり歩きになり、街の文化が取り残されてしまう。同じ東北人として、今後の秋田でのアートプロジェクトに注目と期待をしている。閉ざされた商店街をどう開いていくか、地域とアートの関わり方と今後の展開を試行錯誤していく必要性を感じた。

田村将貴
 物事には常に限界がある。物理的なことや、精神論でもある。限界がきたものは朽ち果てていったり、新たなものに生まれ変わったり。建築は生き物ではない。時代が進むにつれ取り残されていくものもある。意外にも街はそのようなものであふれているのではないか。活気づいた街を保つことは非常に難しい。都市開発のプロセスがあり、時代の流行り廃り、地域の特色など様々なことに順応していかなくてはならない。今回訪れた北秋田、大舘もそうであった。昔ながらの商店街は朽ち、主要道路沿いに大型ショッピングセンターなどが立ち並ぶ典型的な市街地へと化してしまった。大舘・北秋田芸術祭では、「発展途上になった街を見直し、アートというプログラムで新たな街づくりをしようと試みる」というのが自分の見解である。一貫してこの芸術祭で印象にあったのは過去の話。「わたしが若いころには……」と語りかけてくるような姿勢だ。朽ちた商店街は後ろめたい過去になってしまうのだろうか。過去をしっかりと受け止めることで見えなかったものも見えてくる。それがアートを通して現代の人々に伝わっていくのだ。地域性に富んでいると過去の話も富んでいる。「昔ながら」とはまさにそういうこと。アートという媒体を通して、「昔ながら」を形態化することで人々の記憶にとどまるだけでなく、「モノ」としてあり続けることが重要ではないかと感じた。アートでの街おこしはやはり難しい。ファサードのないものであるため、内部互換でやりくりするのにはやはり限界があると思う。アートの基準点を探すことが良いのではと自分のなかで思った。アイコンとしての建築が終わりを迎えるように、作品としてのアートも立場が変化していかなければならないのではないか。今回の芸術祭は、地域性がテーマのようにも思えたが、結果論であるようにも思えた。地元を愛する心や、思いを体現していくうちに自然と出来上がったように思えた。求心力、話題力が非常に強いアート作品は、一種のメディアとしてそこにおかれていたのではないか。地域性をアピールし、地元民にすらも地元を回帰させるようなメディアとして人々に訴えかけていたように見えた。これにより箱モノとしてのアートの敷居が低くなり、人々の日常の中に落ちついていくような存在になった。大舘・北秋田で伝わってきた「昔ながら」の話を過去の話というのは失礼だと最後に感じた。なぜなら今もなお伝わる形を変えながら、生きているからである。

今村文悟
 大館・北秋田芸術祭は大館市の商店街と北秋田市の山深い秋田内陸縦貫鉄道沿線を舞台としている。秋田の自然の中を歩きながらみるアート、商店街を歩きながらみるアートは、秋田の日常の中に非日常が挿入されていて面白い空間になっていると感じた。
 「森のテラス」では秋田の自然の中を歩き、緑画をみるという自然の価値を再認識できる場所になっていた。旧浦田小学校での「魚座造船所」は小学校が新たな集いの場となっていた。「美術館ロッジプロジェクト」は森吉山の避難小屋という何の設備もない美術館とはかけ離れた場所での展示。山を歩くことで普段とは違う感覚になってから普段入ることのない場所で、作品をみる視覚以外でも感じることのできる作品だった。
 大館大町商店街は現在では使われていない店舗での展示が主だった。ランプシェードを作るワークショップも開かれていて、参加型のプログラムがあったことも印象に残った。商店街を再生させる試みとして旧正札竹村デパートを正札アートセンタとする構想がある。残されたハードに新しいソフトを入れることで、新しいコミュニティの場を作り出すことができる。このような取り組みがこれからは大切になっていくのだと思う。人口縮小時代にはいっている現在、ハードの整備よりも先にソフトの整備が必要だと感じている。
 この芸術祭はアートプロジェクトを通してコミュニティデザインを行っていると思う。大町商店街でも鷹巣でも無料で誰でも利用できる休憩所があった。そこを一つのコミュニティの拠点としょうとしている。テーブルとイスもある、テレビもある、卓球台もある、でも使う人は見掛けなかった。ハードの整備やアートによって商店街に活気を取り戻すよりも先に、まずそこに住んでいる人たちのコミュニティを考え直すことが必要だと思う。そこに住んでいる人たちが参加できる、参加しやすいプログラムを住人と一緒に考えることが次の段階へ進むきっかけになると思う。それができて初めてソフトとハードを一緒に作るアーキテクチャが意味を発揮するのではないかと思う。自分が生まれた北九州でも最近はシャッターをおろしている店が多くなった。駅の近くにはマンションが建ち、どことも変わらない風景になりつつある。これは日本のどこでも起こっていることで自分たちが考えていかなければいけない問題だと思う。大館・北秋田芸術祭を見たことでアートによるコミュニティデザインの可能性を感じることができた。これからも「建築」「アート」「コミュニティデザイン」について考えていきたいと思う。

永田琴乃
 私はほとんどアートについての知識もないが、時々美術館へ行くことはあり、芸術祭に訪れるのも今回の研修旅行で数回目のことだった。ただ、夜行バスで行けば片道約半日もかかる秋田県に訪れるのは初めてで、出発前は現地の気温のことばかり心配していた。運が良かったのか心配のしすぎだったのか、着いてみれば思っていたよりもうんと暖かく過ごし易い、2泊3日の研修旅行はとても楽しく充実した3日間であった。
 初日に訪れた旧浦田小学校、ここで強く印象に残ったのは、芸術家によるアート作品ではなく、何気なく飾られた学生達の写る航空写真だった。昇降口を入ってすぐ、下駄箱の上に飾られていた記念写真らしきものにふと目が奪われる。50人いるかいないかの学生と、おそらく先生も参加しているように思う「130周年 浦田小学校 2005」の人文字に、何故かとても胸が締め付けられた。航空写真では一人一人の表情はまったく伺うことが出来ないが、なんだかとても楽しそうで、撮影時の様子が頭に広がった。そんな記念写真が、今はもう使われていない小学校の玄関に飾られている。こうして芸術祭に訪れた人たちでさえじっくり見るか見ないかわからないような、写真の中の幸福感とのギャップに、心地悪さと切なさのような感情を持ったのかもしれない。
 2日目に訪れた大館大町商店街での“対談:岩井成照×中村政人”では、後半に岩井さんが発した「人がいないことに価値を」という言葉が印象的であった。街とアートを結びつけたその意図には、かつての賑やかさを取り戻したいという希望が込められているように、私は終始感じていた。だとすると、岩井さんの言葉を素直に飲み込むことは難しい。しかし、日々の中で「人がいない豊かさ」を私自身感じることは多々ある。あえて自分がどちらかと言うのならば、この大館・北秋田芸術祭、特に大館大町商店街でも、人気の無い静かな通りを様々なところからやってきた私たちのような観光客が点在する。地図を持ちアート作品を探し彷徨っている光景を、どこか不思議で面白く感じ、楽しんでいたようにも思うのだ。
 しかし、時々出逢う街の人々はというと、やはり嬉しそうにこの街のことを話してくれたり、「どこから来たのか?」と気さくに話しかけてくれたりする。「昔は賑やかだったの」と懐かしそうに寂しそうに聴かせてくれる。そして街の人たちと小さな関わりを思い返した後には、この芸術祭の向かう先が「人がいない価値」では無く、もっと活気のあるものに進化していくことであると、改めて確信するのであった。 
 住人の思いとは裏腹に街は何かしらの変化を続ける。そこに、例えばアートこそが寄り添い彼らの思いと街を紡いでいくことが出来るのではないか。この大館・北秋田芸術祭ではその始まりを覗き見ることが出来たように思う。

江澤暢一
 大館・北秋田芸術祭は今まで体験してきた芸術祭の中でも特異なものであったと感じている。今まで行ったことのある芸術祭は公園などの広場の中や複数の施設など限られた空間の中に並べられているイメージが大きかったが、今回の大館・北秋田芸術祭は会場の広さ・展示物の大きさなどスケールに大きな差があった。大館・北秋田芸術祭の中で印象に残ったものの1つが「森のテラス」内にあった自然の音を聞くための展示である。今までの展示の多くは創作物を鑑賞するものであり、自然との関係もただ自然の中に配置されている程度であった。しかし森のテラスにあった展示は、そもそも展示といえるのかわからないが、自然そのものが芸術品であり、自然とのかかわりが希薄になった現代こそできるアートなのだと思い、これこそ現代アートなのではないかと思った。また、同じく「森のテラス」内にあった村山修二郎さんの緑画という作品も酸化などのためごく短期間で表情を変えてしまう。そういった刻一刻と表情を変化させるアートも現代アートならではなのだと感じた。一方で、旧正礼竹村デパートの再利用のように過疎化してしまった商店街にアートを持ち込み、そこで芸術祭を行うという取り組みも見ることができた。こちらのエリアは前者の自然の中にあった展示品と異なり地元の人ともふれあい、会話をしながら芸術品を楽しむことができ、こちらにも独特の面白さがあった。特にxCHANGEやリビングルームなどは実際に地元の人と会話したり、地元の人が芸術祭自体に参加しながらも生活をしているというのがヨコハマトリエンナーレなどにはなかった特徴であり、よさでもあると感じた。日本全国で同様の芸術祭が行われているとの話を講義にて聞くことができたが、ただ地方に人を呼び込むためだけでなく、地域のコミュニケーションの活性化の一端を担っていると勝手に感じていた。しかしその考えは一方的なものであったとすぐ私は気づかされた。最終日ふと立ち寄った地元の和菓子屋さんは直接芸術祭に関わっていない方だったのだが、その人の話では4回目となるこの大館・北秋田芸術祭だが、「プラスの影響はなんらない」との話を聞いた。「芸術祭の開催中もそれ以外も商店街を通る人に大差はないし、芸術祭を見に来た人は商店街など素通りしてしまう」とのことであった。地域復興などに芸術が用いられることが多く、それ自体は楽しい企画だと思うが、上記のような意見が地域住民の中にある以上、全国各地で行われている芸術祭もそういった主催者側と地域住民との相違点があるのではないかと考えることとなった。
 2泊3日の大館・北秋田芸術祭見学会は芸術祭で多くのアートや使用しなくなった建築物などの再利用方法などを見ることができた以上に、講義や現地の人の話を実際に聞くことができた点で学校の講義で学ぶことは難しい事柄も勉強でき、とてもいい経験になったと思う。

ゼミナール | Posted by satohshinya at December 3, 2014 12:41 | TrackBack (0)