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曲面には曲面を

バーニー展を見に金沢に
工事囲いもガラスに負けじとカーブしてる
二時間半の映像はなかなかの大作。クライマックスは狂気の乱舞。

日記 | Posted by at August 17, 2005 20:23 | Comments (5) | TrackBack (0)

なぜ人口は減り始めたのか?

始めて男性の人口が減る
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いままで当然増加していた街から、人が引き始める反動となった原因を知りたい。まずは原因と結果の関係を、手段と目的の関係に置き換えることで問題解決の方法をさぐってみるもの。多摩NTは国策という使命のもと生まれたと言って過言ではない。その重みは社会学、建築学、都市計画学、民間のシンクタンク。それらの分析や言及の量からだけでも十分に察することができる。しかし、どれも人口減少の理由に挙げているのは、ステレオタイプのご託と言わざる得ない。狭隘・老朽化。モータリゼーションによる近隣センターの衰退。高齢者施設の不在。加齢に対応していないバリア。どれも多摩NTの特異性に触れず、どこの街でも起こっていそうな問題ばかりである。

おそらく、個別に対応しても、NTの構造を奮わせるせるようなことには成らないだろうという勘を働かせ。ハワードの近隣住区論を読みかえて構成した街の構造が破綻している。という仮説をたててみる。住区論にもとづき構成された近代的な街並みは始め人気が高く、うまくいっていた。変容をもたらしたのは、自家用車の普及と言えるのではないだろうか。当初は、ホワイトカラーの人々が終電間際に襲来し、闇タクでなんとか家にたどりついたというような時代の中で、NT作りは始まっている。自然との近接というコンセプトのもと容積率は50%まで抑えられ、団地と団地の間の緑地は子供の遊び場になっていた。次第に、足の不便を改善したい欲求が高まり、高度経済に支えられた所得の増加という社会の波にのって、一家に一台という時代が到来し、団地と団地の間はすべて駐車場へ変容し、駅まで自家用車で送り迎えするのが当たり前になっていった。ここからは、想像通り、車に目をつけたターミナル型の大型店舗の成功によって、近隣センターの衰退が始まり、車が扱えないと生活が充足できない街へ成り行きで変容し、住区論の夢はくずれた。この例はネガティブな変容ではあるが、そういう簡単なきっかけにのって街の構造を同時にかえていくというのがいいな。

車が扱えないと生活が充足できない街というのは、街に適応できる生活者の選択肢をせばめている。改善する余地がある。車を使わなくても生活が出来る。すなわち、歩いて生活出来るようになるには、効率的な「密度」によって解決できないだろうか。この仮説を解いていく具体的なパーツをまずは探す。現在、狭隘と老朽化にともない具体的な動きとなっている永山駅前の諏訪二丁目団地の建て替え計画が挙げられる。そこで「一団地規制を解体し、容積率を150%まであげ、土地を余剰させコストを捻出する」ということが決まっている。これから想定可能なのは駅前に三倍の人が住めるようになること。狭隘と老朽化に伴う建て替えによって、同じ土地に密度を獲得することができる。NTは、同時に造られていることから、同じ問題を地域全体で抱えており、建て替えの促進につながる。駅前の6.4haに三倍の人が住めるようになれば、現在の地域面積は三分の一で事足りることになる。建て替えというきっかけによって、街に効率的な密度をもたらし、同時に街の骨格をかえていくことは可能ではないだろうか。

一旦街を縮小し、同時に近隣住区論によりそった街の骨格を解体する。こういうテンションでいきたい。

new town | Posted by at August 1, 2005 11:02 | TrackBack (0)