コンピュータ・ミュージックが演奏される場所

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「LAC2006 - 4th International Linux Audio Conference」というイベントがZKMで行われた.コンピュータ・ミュージックを制作するアプリケーションを巡って,いくつかの発表と討議が行われるとともに,ワークショップ,コンサートも開催された.これもまた,Institut für Musik und Akustikによるもの.

詳しいことはよくわからないが,コンピュータ・ミュージックを制作するアプリケーションにはさまざまな種類があるらしい.それぞれ特長があって,可能な作業が異なるため,使用するアプリケーションの機能が完成する作品にも影響を与えるそうだ.
コンサートはKubusにて2回行われた.コンピュータ・ミュージックは基本的にコンピュータのハードディスクから直接演奏される.観客は舞台方向を向いて並べられた客席に座って鑑賞するのだが,もちろん舞台上には演奏者が存在しないために照明は当てられていない.場内は全体的に薄暗く,そんな中で全員が一方向を向き続けている.演奏,というよりも再生のための操作は,一般的なコンサートにおける音響卓と同様に客席後方に位置している.
作品によっては,と言うよりも多くの作品が,方向性を持ったものとして作られている.4チャンネル以上の立体音響(このコンサートではKlangdomが使われているので,最大40チャンネル)を用いて作品が作られているため,どちら側に向いて作品を聞くかが決まってくる.つまり,作品自体が前後左右(上下)を持つ空間であるため,鑑賞する観客の向きが限定されてしまう.例えば映画の音響を考えてみると,サラウンドの場合,画面の奥で爆発が起こった場合には前面のスピーカから爆発音が聞こえるし,客席後方のスピーカから爆発音が聞こえれば,カメラ(画面の手前)側で爆発が起こっており,それを眺めている人物の顔のアップが映し出されるというように使われる.このように画面が伴っている場合には,立体音響による空間の存在や向きは容易に理解できるだろう.もちろん,会場内を歩き回ることができるような,いわゆるサウンド・インスタレーションと呼ばれるものに近い作品もあって,それらは限定した向きを持たないかもしれないが,その辺りの音楽作品としての違いはよくわからない.
何れにしてもハードディスクから再生されるものがオリジナルであるという事実には,どうしても不思議な印象を受けてしまう.あくまでも4チャンネルで作られたものは4チャンで,8チャンは8チャンで再生されることがオリジナルであることをキープする必要条件で,CD(2チャン)化されたりすると,それはもうオリジナルとは呼べないことになる.専門外の立場で考えると同じ作曲された曲ではないかと思うのだが,極端に言えば,絵画とその原寸大の印刷物の違いみたいなものがあるのだろう.
一方で,再生される場所は作品に影響を与えないのかと言えば,もちろん与えるだろう.同じ8チャンであったとしても,広い場所と狭い場所では異なるだろうし,響きのある場所と響かない場所でも異なるだろう.Kubusはそれほど広い空間ではなく,電気音響によるパフォーマンスを前提としているため,音響的にはデッドな空間となっている.コンピュータ・ミュージックの場合は,予め必要な響きを作品に含み込むことができるため,演奏空間自体が響きを生み出す必要がないらしい.例えば従来のコンサートホールでは,楽器から発する音を適切に響かせることで,その実際の空間による効果(響き)を含めて作品が完成するのに対し,コンピュータ・ミュージックでは,作品そのものに予め空間が内包しているように思える.無理を承知で例えるならば,美術において,額縁の中に納まる絵画が,空間そのものを作品とするインスタレーションへと変化していったようなものではないだろうか.
そう考えたとき,鑑賞者の位置と向きをどのように考えるべきかが問題となる.Klangdomはドーム状にスピーカが配されているのに対し,客席は平面的に広がっているため,スピーカとの関係が最も効果的と考えられるドームの中心に位置できる観客はわずかである.作者が作品を完成するために位置する場所がもっとも作品を鑑賞するために適切な位置であると考えると,それは一般的に中心となるだろう.更に例えるならば,演劇でも演出家は客席のある位置を中心として作品を完成させていくから,最前列の端の席であったり,最後列の席であったりすると,作品鑑賞という意味からは問題が生じる可能性が大きい.そのため,客席の位置などによって入場料が異なったりするわけだが,そうだとしても,一般的には舞台と客席が明確に分かれているため,鑑賞者の向きが限定される必然性は理解できる.しかし,視覚的な要素の存在しない立体音響による音楽作品が持つ方向性は,どのように強度を持ち得るのだろうか?
話が少し脱線してしまったが,とにかく「LAC2006」のコンサートの話である.1夜目は「Opening Concert」と題されて8曲が演奏された.何人かの作曲家はイベントに参加していたので,曲が終わると本人が立ち上がり拍手を受けていた.もちろん作曲家や演奏家がいなかったとしても,普通のコンサートと同様に曲が終わる度に拍手が起こっていた.しかし,この拍手は誰に向けたものだろう? コンピュータを操作している人たち?
最後の曲Agostino Di Scipioの「Modes of Interference」だけは,トランペット奏者とともに作曲家が舞台上に登場.トランペットの音(といっても,いわゆる曲を演奏するのではなく,音を出しているだけという感じ)を何やらコンピュータでリアルタイムで制御.この時だけは,普通のコンサートという感じだった.
コンサートを含む詳細は,当日に印刷して販売されていたプログラムに掲載されており,ここからpdfでダウンロード可能.曲の解説,作曲家の紹介などもある.

@karlsruhe, 音楽 | Posted by satohshinya at May 23, 2006 10:38


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