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空間を空間で表現すること

皆さんコメントありがとう.前回のエントリーの続き.
いくつかはっきりした点.どうも僕自身が,「建築」「美術」「美術館」という制度にこだわりすぎていることがわかった.それと,前回のエントリーは何も「谷口展」を擁護しようという目的ではなく,そもそも建築展というものが,なぜ,またはどのように存在するのかを考えてみようと思っただけ.
mosakiさんたちの《来場者の種類に関わらず建築展なるものは,その対象となる建築・建築家の空間・思想・背景……∞がそこへ空間として表現されていてほしい》《建築展は,子供から老人まで,ユニバーサルに受け入れられるような,建築に対する意識をより拡張させられるような,そんな意識を必ず持っていてほしい》という定義を聞くと,その意味で「谷口展」への批判が行われたことはよく理解できる.しかし,この両者を同時に満たすことを必要条件だとすると,その展示に建築家自身が直接的に関与することは難しいだろう.
前者の定義で気になることは,《空間として表現されていてほしい》という点.sugawaraさんの《インスタレーション系への移行》というのも同じような意識かもしれない.しかし,僕自身はこの点には少し懐疑的.mosakiさんの定義では,建築そのものが空間であるとするならば,それを更に空間に置換し直すことを要求することになる.もちろん,空間で置換することを否定するわけではないけれど,もう少し違った形に変換するべきではないかと思う.実際に見ていないからなんともいえないけれど,1つの例かもしれないOMA展は,空間というよりもテキストをつくっているように思う.一方で,《模型が実作よりも建築家の理想世界を表す》という文脈であれば理解できなくもない.しかし,この場合は展示そのものが(建築)作品であるということだろうから,少し文脈が異なる.《建築に対する視点が,対象視から環境視に移行している》というのもおもしろい指摘だけれど,mosakiさんの定義はそれとは異なる背景にあるだろう.どちらかというとmosakiさんが紹介しているFOA展が,この移行を象徴しているのではないだろうか.

ちなみに,そのFOA展は日本でもTNプローブでやっていた.ブラックライトのインスタレーション部分はなかったけれど,展示されている図面類(アメリカ展の写真)の構成は日本展と同様.少なくとも日本展は,ブラックライトを使っていなかったせいか,それほど特徴的な展示ではなかった.
それと,小沢剛氏の作品は『相談芸術カフェ』.表面的にはsugawaraさんのイメージに近いかもしれないけれど,意味合いはまったく違う.むしろ,こういうものは建築家がやらない方がおもしろいものができる(笑).

建築 | Posted by satohshinya at June 21, 2005 7:26 | Comments (4) | TrackBack (0)

STAR WARS episode III

『スター・ウォーズ シスの復讐』が,先々行オールナイトとして6月25日に公開.既に公開中のアメリカでの評判は,V→IV→III→VI→II→I.『帝国の逆襲』『新たなる希望』に続くならば期待は十分.

recommendation | Posted by satohshinya at June 21, 2005 6:03 | Comments (3) | TrackBack (1)

1000000人のキャンドルナイト

「1000000人のキャンドルナイト」が18,19,20,夏至の21日に行われます.20時から22時まで,電気を消して,ロウソクの灯りで過ごしましょう.

recommendation | Posted by satohshinya at June 17, 2005 23:21 | Comments (1) | TrackBack (1)

建築展における困難

hanaさんの「怒髪点!〜MoMA谷口吉生のミュージアム」を受けて.hanaさんの怒りはよくわかる.しかし,それではいかなる建築展であるべきだったのか?
NY展と日本展について,その企画はMoMAのテレンス・ライリー氏と谷口氏によるもので,展示構成に至るまで完全にコントロールされたはずだから,もしこの怒りがオペラシティのキュレーターに向けられたものだとするならば,それはお門違いではないだろうか? むしろ怒りは,この2人に向けられるべき.その意味では,個人的な感想としては,よくも悪くも非常に谷口作品的な展示であったと思う.《建築展に来るようなひとは谷口さんの仕事,知ってるっつーの.》という前提に立つか立たないかが,まずは大きな違いだろう.おそらく2人はその前提に立っていない.《NYと同様,谷口さんをあまり知らないひとが多く見に来るという想定》だったろう.
そこで,疑問の1つ目.そもそも建築展は誰が見に行くの?
今はどうだか知らないが,今はなきセゾン美術館で建築展をやっていた頃,通常の美術展よりも建築展の方が来場者が多いと聞いたことがある.美術展の場合は対象者の興味が美術に限られてしまうが,建築展の場合はデザインや美術などに興味を持つ人も含めて幅広く見に来る可能性があるらしい.そうだとすると,建築家の仕事を知っている人が来るという前提は疑うべきではないだろうかと思う.しかし,本当に誰が見に行ってるのか?
2つ目の疑問.《建築展における新鮮な情報,新鮮な視点,新鮮な展示方法》とは?
今回の谷口展に関していえば,元々がMoMAの企画.彼らは建築に関する模型やドローイングを美術品だと考えている.確かにMoMAの建築コレクションは美術品的な価値がある(歴史的評価を抜きにしても).これらを美術品としてそのまま展示するという方法.例えば森ビルの展示.かつてのセゾンにおけるコルビュジエ展,アアルト展などもこれ.
その対極にあるのが,建築家が美術作品を作ってしまうもの.例えばみかんぐみの展示.建築家が空間を扱う職業であることを考えると,そのバリエーションとしてインスタレーション作品を作ってしまうのはよくわかる.クルト・シュヴィッタース『メルツバウ』最初のインスタレーション作品と言われていて,そもそもインスタレーション自体が建築的な行為であったということを示している.
そして,《建築展における新鮮な情報,新鮮な視点,新鮮な展示方法》を目指したであろうもの.図面とドローイングを展示用に再製作・再構成するもの.例えば金沢でのSANAA展(写真は長尾亜子さん提供.コンペ当選案の1/20模型).

sanaa_1.jpg sanaa_2.jpg

ギャラリー間などの建築専門ギャラリーでは,この手のものがよくある.1つ目のヴァリエーションかな?
更にこの場合は,建築家としてのマニフェストへと発展することが多い.例えばOMA展.模型やドローイングを美術品にするわけでもなく,展示自体を空間的な作品にするわけでもない.強いて言うならばコンセプチュアル・アートみたいなもの.2つ目のヴァリエーションかな?
そして,最後の疑問.そうまでして,なぜ美術館で建築展は開かれなければならないのか?
誰か一緒に考えてください.

建築 | Posted by satohshinya at June 10, 2005 10:29 | Comments (6) | TrackBack (3)

同じ都立だけれどこっちの方がよっぽど現代美術館

「超(メタ)ヴィジュアル」東京都写真美術館)を見た.写美の地下にある映像展示室でやっているのだが,この場所が時々意外な展示を行う.美術館の名前は写真だが,このフロアでは映像に関係する作品が展示される.先日もOTAKU展が行われたばかり.今回は開館10周年記念による特別展としてコレクションが展示されているのだが,その辺(例えば東京)の現代美術館よりもよっぽど質の高い作品が集められている.
岩井俊雄氏の『時間層2』は何度も見たことのある作品だが,やはりすばらしい.最初期の作品でありながら,非常に高いレベルで完成している.もう1つの岩井作品(題名忘れた)は立体視による作品で,これも気持ちよい.名和晃平氏の作品も気持ちよい(というより気持ち悪い).名和氏の作品は,先日見学に行った竹中工務店東京本店新社屋のエントランスロビーにもあったのだが,どうせならこちらを置いてほしかった.竹中の作品はつまらない.minim++の『Tool's Life』も楽しい.ほとんどふざけた作品しか作らないタムラサトル氏の近作もある.石野卓球氏の『The Rising Suns』のプロモーションビデオ(田中秀幸氏)も,ついつい見とれてしまう.他にもiPod photoを用いた作品として,何人かの作家のアニメーション作品が展示されている.新しい使い方だ.その中に,なぜか舞城王太郎氏の例の山手線漫画が全て収められている.山手線以降のものも含まれていて,55枚(?)による大作として(多分)完成している.本屋で直筆の絵を見て回るのも楽しかったが,iPod photoをクルクル回しながら小さい画面で見るのもまたふざけていておもしろかった.
この展示は今週末までが前期で,部分的に展示替えをして後期が開催される.行っても損はない.

美術 | Posted by satohshinya at June 2, 2005 6:37 | Comments (1) | TrackBack (0)