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成層圏の光

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色温度が20,000ケルビンのライト。この色温度は地球上では存在していないもので成層圏にあるそうです。ちなみに太陽光は直射光が6,000ケルビンで雲からの反射光が8,000ケルビン、そう考えると20,000という数字がいかに高いかがわかる。確かに光を浴びたあと、蛍光灯でさえ少し黄色く見えた。

architecuture | Posted by at 6 21, 2005 23:46 | Comments (1) | TrackBack (0)

原理主義と純粋さ

上原の家はすべての部分が本棚柱による構造ではない、それに対してハンガートンネルはすべてハンガーで同じ組方でつくれている。上原の家はリアルな住まい手がいる住宅という建築、そのためコストや住まい手の与件、作り手の表現などをバランスよくまとめあげ最終的なモノとなる。そのため作り手の思いで己の表現をよりよくするために原理主義的にすべてが本棚柱となって美しくなった?としても様々な与件の中でクライアントと話ながらバランスが悪いと判断した場合、その原理主義は排除されべきだと思っている。ただ、それが見方によっては場当たり的にとらえられる。でも最終的にクライアントにとって建築家の原理主義がどこまで理解され必要とされているのだろうか?
またハンガートンネルは扱い的にはギャラリーのアプローチ工事なのだが住宅などのいわゆる建築とは若干違う扱いと思っていて、どちらかというとその場の空間を読み込んでつくったパブリックアートに近いものと考えている。そのため作り手の表現がより強度をもて見る人により印象的になるように1/1で試行錯誤をくり返し制作した。その制作プロセスは住宅の場合と違い、どちらかというと作り手の表現がより伝わるように純粋さを大事に考えていく、それはある種の原理主義に近い。美術をつくっていく上でその原理主義がどこまで大事かは未だにぼんやりとしているが、ただ良いか悪いかは別として表現をわかりやすくするには原理主義と純粋さは大事なのだと感じているし、その反面、建築ではどこまで必要かも???である。

architecuture | Posted by at 6 15, 2005 2:51 | Comments (3) | TrackBack (0)

部屋着の暮らし

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日曜日、鶴見のオープンハウスにいってきた。敷地は駅から徒歩15分ぐらいはなれた小高い丘の上にあり、道は坂道が多く幅の狭く交通量も限られている場所。建物1階はピロティ形式でオープンな大きなガレージと玄関と寝室があり、2階は居間を中心に台所、浴室、テラスが隣接している。居間は敷地の樹木をたよりに短手方向に大きな開口があけられており、片方はテラスとの連続を獲得し、もう一方は1階からの階段部分も含めて潔くかなりな大開口となっており開放感がある。ちになみに個人的には階段部分の雰囲気が開口のおかげで浮遊感を感じ一番好き。またこの階段部分の大開口が建物のフォルムを特徴づけており、写真ではわかりにくいがかなり複雑な形となっていて施工監理の精度に関心した。ただ一つ話を聞いてわからなかったのがプランニングである。かなりドライに住宅を機能分化しそれにあわせて個室が配列されており、パジャマ以外に気の利いた部屋着が似合う暮らしが展開できそうだ。部屋着によるきちんした暮らしを望む施主には理想なプランなのかもしれないが、設計者としてそのきちんとした暮らしについてどう考えているのだろうか?設計者の役割は施主の与件を満たすことはあたりまえで、さらに設計のコミュニケーションの中でその与件をもっと拡げられそれを引き受けられるものがつくれればお互いハッピーだと考えている僕にとってあるくらし方を続けるというのは僕にはなかなか難しいかなとも思ったりした。(uheさん、率直に書かせてもらいました、ご勘弁を。)

architecuture | Posted by at 6 1, 2005 21:44 | Comments (1) | TrackBack (0)