いかに建築は社会的に構想されるのか

移転先

|Posted by simon at January 26, 2005 08:52 PM | TrackBack(1)
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「住宅は芸術である」と言ったのは篠原一男氏。
《住宅は建築といわれている領土から離れて独立をすることを、それは意味している。
国籍は絵画や彫刻、あるいは文学等々と同じく芸術という共同体に移されなければならない。》篠原一男『住宅論』1970
誤解を恐れずに言えば、こんなアナクロニズムにこそ、もう1つの可能性を感じる。例えば『湯島もみじ』。ぼくにとっては、これは純粋芸術。もちろん、純粋芸術(美術)が拡張した結果ではあるのだけれど、もはや純粋建築ではない。
さあ、みんな、今こそ『住宅論』を読もう! 就職活動には役立たないけど。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4306050491/250-3253166-2544214

Posted by: shinya at January 27, 2005 05:41 AM

『住宅はきのこである』とか言ってたのも
住宅論でしたっけ?
篠原一男はかっこいいです。

さあ、みんな図書館にこもって新建築の
バックナンバーを見よう!!!
先先には役に立つ!!!はず?

Posted by: sugawara at January 27, 2005 10:02 AM

「作品と呼べるのは、住宅(建築写真)だけ」と言ったのも。
住宅論だっき?。続だっき?。何はともあれ名著。
建築家の文章に対して無垢な頃に読んだから、
もう一回読み直してもいいかも。
純粋芸術でも建築でもいいんだけど。おもろいもん作りたいわな。
どちらのピュアをも、表現として経験すると、
次にどんな展開があるのでしょうか?

Posted by: simon at January 27, 2005 11:20 PM
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