余生

丹下健三氏の教え子であった磯崎新氏が,「朝日新聞」3月23日の夕刊に見事な追悼文「描き続けた国家の肖像」を寄せていた.
磯崎氏は,丹下氏によって《20世紀の第3四半世紀》に次々につくり出した作品を《日本という近代国家とあれ程の蜜月を結び,その濃密な肖像を築きあげることができた》と讃辞した上で,《最後の四半世紀》を《国家とすれ違っていた後からのの丹下氏は本来の姿と違ってみえる》と評す.そして最後に,こう締め括る.
《あらゆる無理を覚悟で骨太の軸線を引き続けた,あの時代の姿こそが,建築家丹下健三だったと今も思う.列島改造に引き出されて後は,もう余生だったのだ.新東京都庁舎なんか,伝丹下健三としておいてもらいたい.弟子の身びいきで勝手にそう考えている.》
それを読んでから,磯崎氏自身のことを考えたとき,最近のカタールをはじめとする一連の作品はどう位置づけられるのだろうか? しかし,それはまた,歴史が評価をすることになるのだろう.とりあえず,今は期待を持って見ていきたいと思っている.

建築 | Posted by satohshinya at March 24, 2005 7:13


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» 丹下健三氏、没 from 谷中M類栖
Excerpt: 2005年3月22日に亡くなった丹下健三を追悼する。

Tracked: March 24, 2005 1:02 PM




Comments

「国民建築家」の死 八束はじめ|artscape
うむ。己の文化的アイデンティティを体現=創出することを同時に求められた。国民建築家か。
「批評と理論」の状況〈1〉—丹下健三あるいは建築状況 2005
本に関連したシンポジウムですね。より発散的? 発展的な議論があるのでしょうか。

Posted by simon at April 20, 2005 11:40 AM