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2010年度ゼミナール情報

第6回ゼミナールは、横浜美術館で開催中の「高嶺格:とおくてよくみえない」の見学会を行います。
日時:2011年2月7日(月)
集合時間:10時
集合場所:横浜美術館正面
(2011.01.22)

第5回ゼミナールは、『完全避難マニュアル 東京版』の構成・演出の高山明さんを迎えたレクチャーを行います。
日時:2011年1月18日(火)17〜19時(時間が変更になりました)
場所:スライド室1
レクチャーに参加後、1月25日(火)までに1,200字程度の感想レポートをこちらまで送付してください。レポート提出者のみ出席印を押印します。(2010.12.14)(12.17追記)(2011.01.14追記)

第4回ゼミナールは、「墨東まち見世2010」の《100日プロジェクト》参加アーティストである山城大督さんを迎えたレクチャーを行います。
日時:12月16日(木)18〜20時
場所:スライド室2
レクチャーに参加後、12月24日(金)までに1,200字程度の感想レポートをこちらまで送付してください。レポート提出者のみ出席印を押印します。(2010.11.29)(12.17追記)

第3回ゼミナール見学先の『完全避難マニュアル 東京版』も開始しています(10月30日(土)〜11月28日(日))。ぜひ避難所へ訪れてみてください。こちらのレポートは12月4日(土)まで受け付けます。1,200字程度の感想レポートをこちらまで送付してください。レポート提出者のみ出席印を押印します。また、提出されたレポートは、このホームページ上で公開します。
本作品の構成・演出の高山明さんを迎えたレクチャーも行います。日程は決まり次第、ここで発表します。(2010.11.09)

第2回ゼミナールは、墨東エリアに位置する「旧アトレウス家」を会場としたアートプロジェクト作品を制作し、その発表を行ってもらいます。最大3人までのグループによる制作を認めます。表現方法は自由です。優れた作品は、2〜3月に実際に「旧アトレウス家」で実現できるかもしれません。
日時:11月25日(木)18〜20時
場所:スライド室2
「旧アトレウス家」を見学希望の方はこちらまで連絡ください。(2010.10.26)

第1回ゼミナールは予定通り「墨東まち見世2010」見学会を行います。
日時:10月23日(土)
集合時間:14時
(特に事前の参加者確認は行わないので、集合時間になったら出発します)
集合場所:京成曳舟駅(京成押上線)
見学予定:町影 【machi kage】 dance & music & film
     玉の井SHOW ROOM
     旧アトレウス家
     東向島珈琲店Pua mama、他
16時頃に曳舟駅(東武伊勢崎線)で解散の予定です。
見学会に参加後、10月30日(土)までに1,200字程度の感想レポートをこちらまで送付してください。レポート提出者のみ出席印を押印します。
当日は旧アトレウス家にて「福田毅ソロ3「アトレウス家・不在・福田毅」」が開催されます。有料のイベントとなるため、ゼミナール第2回課題出題のための旧アトレウス家見学は、希望者にのみ後日行う予定です。福田毅さんは、研究室が参加しているプロジェクト「墨田区在住アトレウス家」のコラボレーターです。見学会終了後、時間のある人はぜひ観てください。(2010.10.17追記)

2010年度ゼミナール情報は、決定次第、こちらのページで告知を行います。(2010.09.30)

ゼミナール | Posted by satohshinya at January 31, 2011 14:00 | TrackBack (0)

高山明レクチャー

2011年1月18日(火)、2010年度第5回ゼミナールとして、演出家の高山明によりレクチャーが行われた。以下はそのレクチャーに対するレポートである。

高山さんのレクチャーを聞いて
堀木彩乃
 今回の高山さんのレクチャーを聞いて、私は考えなければならないことが増えました。考えなくてはならないのではなく、考えられる物事の枠が広くなったと言った方が良いかもしれません。今まで自分の中になかった場所が、急にパッと照らされたような気分です。それは、レクチャーを聞かなければずっと脳みその端っこに追いやられて気付かなかったであろう気付きです。
 私は、高山さんのお話を聞いて初めて、外界との関わりによって生まれる意識について考えました。そしてその意識は、私を作り上げています。なので、私は初めて、外界との関係に影響されて無意識に完成した私自身について考えた事になります。
高山さんは、熊のいる森での事故の体験をお話してくださいました。その中で、森の中にいる間、足音や血のにおいや息づかいまでもをありありと感じ取ったとおっしゃていました。『野生の中では意識が全く違うものになった。』この言葉は、人の意識が、環境との関係で何にでもなり得る事を示していると思います。
 私は、私を作っているのは私自身の内側からくる思考や意識だと思っていましたが、それは少し違うみたいです。その意識が外界からの影響を受けているとすれば、私を作っているのは、結局のところ、私を取り巻く環境であると思いました。それはすこし残念な発見でもありました。私は電車がすぐそばを通っても逃げません。夜のネオン街にパニックを起こしたりもしません。生まれた時から、私の周りにあった世界では電車もネオンも当たり前のものとしていました。だから私は特に気にするわけでもなく、当たり前のものとして受け入れていました。しかし、もし全く違う環境で育っていたら、電車やネオンを当たり前と思う私は存在していなかったと思います。
 完全避難マニュアル 東京版は、そんな当たり前になってしまった周りの環境を、意識を意図的に操作することによって違う視点から見るプロジェクトだったと思います。地図や言葉の誘導でお客さんに役を与えたりしながらいつもの自分とはちょっと違う意識のもと街を歩く。目的地に向かう。私が実際に体験した中でも、いつもの風景をとても新鮮なものとして映し出すことができました。変わらずに通り過ぎる人々をくぐりながら避難所へ向かう過程は、現実世界にいながら現実とは少し違っていて不思議な体験でした。
 高山さんは、常にたくさんの事に思考を巡らせている方だという印象でした。きっと私の物事を考えられる範囲の倍の倍の倍くらいの枠が高山さんの中には広がっているような気がします。人は知識の範囲内でしか考えごとや発言ができません。だから今回のレクチャーを全て完璧に理解できた自信が私にはありません。わたしももう少し様々なことを知って、今度は建築の空間と演劇の時間について深く考えてみたいと思いました。

高山明さんレクチャーの感想
里井レミ
 高山サンのお話の中で一番印象的だったのは、ギリシャ時代に演劇という言葉は客席を意味していたというところです。舞台で行なわれていることよりもその周りを取り囲む客席でなされる議論が大事だというところからだそうですが、これは建築にも同じことが言えるのかもしれないと思いました。単純にハードウェアとしての「建物」はとくに意識もされずごくごく普通に人間がそこで仕事を行なうような建物です。「建築」と呼ばれているのはそうではなくて、その中で過ごしたり、生活したりする人にその建物に対して何かしらの感情(きれい、気持ち良い、かわいい、素敵、おしゃれ、きもちわるい、好きじゃない、なんでもいいけれど)を抱かせるような場所なのではないかと思います。そして、その感情は壁や床、天井などの目に見える具体的な物質よりも領域の取り方だったり、空間の使い方だったり、光の具合だったりに寄るものであり、それらは建築にとっていちばん大事な気がします。壁床天井などのデザインや素材はあとからついてくるもので、自分が建築に起こさせたい感情や感動を演出できるようなものでなくては意味がないと思います。
 また、お話の後半で演劇を見に来る事はある意味、現実から避難しているようなものだというところも面白いなと感じました。日常に近い建築は演劇ほどの避難の要素は必要ないと思いますが、確かに昨年の夏ヨーロッパ旅行で訪れた美術館や教会の数々は現実を忘れさせるようなものばかりでした。まさか演劇と建築が「避難」という言葉で繋がるとは思っても居ませんでしたが、これを機に建築と演劇の関係について考えてみたいです。そして今年は色々な演劇を観に行ってみようかと思います。

いまここ/あたしジカンをつくれます。
福田朱根
 音楽家の特技はジカンを作れる事と表現したのが印象的でした。二時間半、赤く発光するスクリーンを前に、スライド室1で私はそれを視界の端に、高山明さんの言葉と向き合いました。難しくて、同じで、明るくて、楽しみになりました
 観客が観客でなくなるときのデザインをしたいのだという高山さん。観客がスラッシュになるような作品をつくりたいとおっしゃいました。作品はこれからつくらなくてもいいかもしれないとも。演劇は誰かの思考や世界に浸ったり、誰かの役を担うことを言い、観客という役や、そこで思考したり感動すること自体がその場の雰囲気やエンゲキの構成要素になるというお話はとっても興味深かったです。
 キュレーター、キュレーションの時代であるともおっしゃいました。これから人があつまるときに、一回性、ライブ性だけでは人は集まらなくなってくる、+αが必要であるとおっしゃいました。これを聞いて、上京したての自分を思い出しました。これだけ情報過多の時代、社会で、なにかモノを作るよりもそれらを新しく組み替えることこそクリエイティブなのではないかということでした。ネットや様々な媒体を経由して氾濫する情報。手軽に様々な情報をてにいれられるようになったいま、今度はそれらを制限するフィルターの役目が活躍するのではないかということです。ジェームズ・w・ヤングがアイデアの作り方という本の中でこう述べていました。「アイデアは既存のものの新しい組み合わせ方である」と。
 また、高山さんがいくつか質問する中で聞けた慎也先生の学生時代の話やレム・コールハースの話も興味深く聞かせていただきました。レム・コールハースが五号館を気に入っていたというのは意外でしたし、息子に買ったお土産の小ネタも面白かったです。また、このスライド室1で講義していたのかと思うとぞくぞくしました。
 観客が観客でなくなるという事が、今回の完全避難マニュアルを通じて経験した不思議な感覚の要素のひとつだったんだと思いました。観客がスラッシュになるような作品というのは今の私にはまだ難しかったのですが、その内わかるようになりたいと思いました。次回作品に行きつくまでの思考を覗けた事がとても貴重な体験でしたし、面白かったです。時間軸を共有することで出来るコミュニティーという響きはとってもロマンチックだなとおもいました。今回高山さんとそれからあの場にいたみなさんと時間軸を共有したことで、なにか今後変化あるかなと思うと、どきどきします。同じように考えると、就職活動や他愛ない日常の出来ごと、場面、色んなことがもっと楽しめるようになりそうです。
 公開企画会議、とっても面白かったです。ありがとうございました。

無題
田島雄一
 完全避難マニュアルに参加するなかで疑問に思っていたこと、気付かずにいたことがたくさんあったのですが、作品の説明だけでなく作品を制作するにいたった動機や高山さん自身の体験など制作者の内面にせまった貴重なお話が聞け、多くの発見がありました。
 レクチャーで高山さんは建築ができてから10年、20年、50年と年をかさねるとどうなるのかとても気にしていらっしゃいました。その様子からは作品をつくるまでのプロセスや、出来上がってから社会にどういった影響を与えるかといったような作品を点ではなく線でとらえて表現しようとしている姿勢を感じ、演劇に通じているのだろうなと思いました。
 「枠組みがあって、それがぴったり合う設計ではなくて、使っていくうちに当てはまっていく設計が好き」「webも現実もフラットにとらえた劇場がつくりたい」という言葉は、形態やデザインといった外面で建築を見がちな自分にとって、どこからが建築なのか、建築にはどんな可能性があるのかを考えさせられるレクチャーでした。もしTwitterに集まる人たちを現実の世界でも集められたとしたら、新しいコミュニケーションの手段を提供する場所や装置はきっと新しいコミュニティーを生み出すと思います。
 レクチャーの後半は、建築に踏み込んだ話になりましたが、ソフトからハードが決まっていくというルイス・サリヴァンと同じ考えや姿勢、またレクチャーの中で何度もレム・コールハースについて意見を求めている様子がとても印象に残りました。「演劇的な思考から都市に切り込みたい」といったように、建築を演出家目線でとらえたレクチャーは今までにない視点、物のとらえ方を発見するきっかけとなりました。
 完全避難マニュアルに参加している間、いつも自分を取り巻く環境と全く別の環境におかれたことで、日常とは全く違う時間の流れを感じていました。何とも言えない感覚を言葉にできずにいたのですが、「演劇は時間の設計」という一言で納得ができました。完全避難マニュアルは都市を舞台にした大演劇だったと、今改めて思います。

| Posted by satohshinya at January 22, 2011 6:45 | TrackBack (0)