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墨東まち見世2010見学会

2010年10月23日(土)、2010年度第1回ゼミナールとして、「墨東まち見世2010」の見学会が行われた。以下はその見学会に対するレポートである。

「墨東まち見世2010」見学会レポート
箙景美
 墨東エリアは曳舟、京島、東向島、八広、押上などで、下町と言われるところである。下町と言われているところに行ったことがないので町を見てまわるだけで新鮮だった。人工的に作ろうとしても出来ない個性やおもしろい風景を見ることが出来た。さらにアートプロジェクトを通して町の面白さや魅力など普段気付けないところまで発見できるのだろう。
 一番初めに行ったyasiro 8は町工場を改装したところである。色が濃くなり雰囲気も出ている梁、柱、床が魅力的であった。その魅力を残しつつ改装していたのがよかったと思った。アートなどのイベントを行い、色々な人がイベントを楽しみつつ、この昔の住宅のような落ち着く空間も楽しめていいなと思った。「墨東まち見世2010」において町影という企画をやっていて当日は「アートスペースについて、話そう」という座談会が行われていた。どうやって切り盛りしていくかみたいな話しをしていた。
 玉の井SHOW ROOMでは作品展示が行われていた。作品の一部である水槽の中に魚がいて、会期中、作品は少しずつ変化します。とパンフレットに書いてあったのが理解できた。
 旧アトレウス家に行った。そのときイエス/ノーゲームが行われていた。2番から質問が始まっていた。イエスかノーを答え、指示されたところに行き次の質問を再び答えるというものであった。途中の質問で2番に再び戻ることになり無限ループになっているとわかった。これによって質問をさがして家の細かいところや普段見ないところを色々見ることが出来てよかった。イエス/ノーゲームで普段では見ないところや気付かないことを発見させてもらう機会をもらっていた。
 アートプロジェクトを通してコミュニケーションがとれる。いらない靴下を集めて巨大靴下をつくるという「サンタさんやって来て!」プロジェクトでは靴下を通してコミュニケーションがとれていいと思った。また、アートプロジェクトは展示やパフォーマンスだけがおもしろいわけでなくインフォメーション屋台などのよりイベントを楽しむためのサービスも魅力であると思う。
 墨東エリアの魅力を色々な形で体験できてよかったと思う。もともと住んでいる人たちも新たに魅力が発見できたと思うしコミュニケーションもとれてよいイベントだと思った。

墨東まち見世2010を見学して
堀木彩乃
 墨東まち見世2010というプロジェクト。初耳だった。アートとプロジェクトというと、設置された会場でアーティストが制作活動をしたり個展を開いたりする、そういうイメージがあった。
 まちとアーティストなどのプログラムをつなぐ。拠点としているエリアをそのまま見せてしまう。そして時に、その経営方法や指針なども、「座談会」という話し合いの場をつくり公開する。かたちのあるプロジェクトというよりは流動的なプロジェクトという印象を受けた。
 見学した『町のアートスペースについて、話そう』は、静かなものだったが、このプロジェクトがどのようなものか少し理解する手助けになった。
 会場となっていたyahiro8は土間が印象的な懐かしい雰囲気のある一軒家であった。土間は外と中が侵蝕しあう合間で、出会いや創造が生まれやすい空間だという。ぼんやりとだが、なるほどなと思った。家の中だが外でもあるような空間では、一段上がったスペースに出来た輪にも、土間から自然と加わることができた。といっても一方的に聞いているだけであったし、計画になかった突然の見学だったため途中で退出したが、面白い体験だった。
 座談会の内容は、主に、どのような趣旨で活動をしていて、どのように資金を調達しているか。というものだった。印象的だったのは、ある運営者の方が、やりたいことがあるうちはやるが、なくなったらやらないというように、活動を決まりごとにはせずに自由気ままに縛られずに運営していくという意向を語っていたことだ。資金調達の方法にしても、ラスクを売って賃貸料の足しにしている運営者がいたり様々で、こうした意見の交換を通じてまた新しい活動を始める人もいるのではないかと思った。
 座談会を抜け出し、また散策をした中に見つけたいくつかのプロジェクト。現代美術館として使われているという場所もあった。どのような作品が展示されるのか気になったのだが、最近は活動が少なく、当日も閉まっていたのが残念だった。
 ほとんどは小さな空間を使ったプログラムで、無人の場所があれば若いアーティストの工房を特別に見せていただいたり、なかなか素朴であった。きっとこのようなプロジェクトがあると知っていても、ピンポイントで開催時間が決まっている訳でも、決まった会場が1つある訳でもないため、訪れる個人の行動力と人脈に左右されるような気もした。なので、工房を見せていただけたのはとても嬉しかった。うす暗い車庫のような空間にホコリを被ったやかんがなんとも言えずマッチしていた。きっと冬はヒーターを持ちこんで作業するのだろうか。寒そうだが想像すると楽しそうだった。こういう自分だけの空間を持っているのは羨ましいと思った。
 墨東まち見世は、普段なら通り過ぎてしまうような当たり前にある風景の中で色々なプログラムが行われていた。実際はまちを散歩しているような感覚だが、随所にプロジェクトの拠点が点在していて、見つけては見学したり参加したりするというのは不思議な体験であった。今回私は旧アトレウス家は見学できなかったのだが、また行く計画を立てたので、そこを見た後にもう少し広い範囲を散策してみようと考えている。そしてもっと理解が深まることを期待したい。

第一回ゼミナールレポート
堀切梨奈子
 土曜日の朝。赤い電車にのりました。最近出会ったあのまちをめざして。偶然に、向かうべき駅が違うことを知りました。だから少し、遅刻しました。

 まちを歩きました。墨東まち見世に少し絡まりながら。
 ぞろぞろ歩く私たちを、おいしそうな厚揚げを売っている豆腐屋のおじいさんは、こわい顔で睨んでいました。座談会ではまちのひとがアートスペースのつくりかたを力説。わっかになっていました。本物のほうじょうさんをみることができました。秘密基地みたいな工房や廃墟を歩いてめぐりました。踏切を渡る時、不思議な気持ちになりました。そういえばこのへんで、踏切を渡るのは初めてでした。
 自転車の旅の途中のその少年は、思いのほか長かったその髪を、後ろでひとつに束ねていました。それにしても彼らはおしゃべりに花が咲いてしまっているようで、まったく出発する気配がありませんでした。
 百花園の前のきびだんご屋のおばちゃん。ちょうど1週間前にもおだんごを買って、いっぱいおしゃべりしたのに、たくさんおまけしてくれたのに、まるっきり忘れられていました。悲しかったです。きびだんごは今日もおいしかったです。ちょっとゆですぎだったけど。

 アトレウス家不在。家主が留守のあいだに、アトレウス家の中をあっちへ行ってこっちへ行って。のぼったりおりたり。同じところになりそうだったら嘘をついてちがうところに行きました。本当は嘘をつきたくなかったけれど、3回も同じところにいってしまうと、嘘をつきたくなってきました。物置は暗かったです。だから誰かがいるなんて、思ってもみませんでした。立てかけられた梯子から伸びる足。びっくりしたけど、ゆかでした。いままででいちばん、あの家の中をじっくりみました。悔しかったことは、ハムレットを開けなかったことと、次の日筋肉痛になったことです。

 最近よく思うことは、知らない事ってとても残念だということです。知らないことがありすぎます。新しいことに出会いすぎます。このまちも、つい最近まで知らないまちでした。このまちには不思議がいっぱいでした。最初に不思議なまちと言われているからそう見えるだけかもしれませんが。どこかにつながる細い道がたくさんあって、個性あふれるガーデニングと、行くたびに成長しているスカイツリー。都会の気配をすぐそこに感じるのに、ここに都会はありません。
 新しいなにかに出会うと、自分がいままでどれだけそれに関して無意識に毎日をすごしてきたのかがわかります。そんなことするんだ。そんなこと考えるんだ。はじめてと出会うのはすごく楽しいです。楽しすぎて少し不安になるけど、楽しもうと思います。帰りは赤い電車に乗らなかったので、かえってきた気がしません。
 とりあえず、双六をつくろうと思います。こんどは自分が筋肉痛になるのではなくて、誰かを筋肉痛にさせたいです。

「墨東まち見世」見学会レポート
丹下幸太
《yahiro 8》座談会『町のアートスペースについて、話そう』
 スタジオ兼アートスペースとして工場であった建物を、コンテンポラリーダンサーのオカザキ恭和さんがリフォームを進めている、アートスペース。当日は座談会が開かれ、yahiro 8のようなアートスペースを実際主宰として運営している方々が集い、現状などを話し合っていた。家賃として3万円台から20万円を超えるところまであり、それぞれのスペースが場所や規模も様々であり、運営の仕方も「毎日なにかしらのイベントをやっている」ところもあれば、「近くのパン屋でもらったパンでラスクを作り、それを売って運営費の足しにしている」といったところまでと5つのグループでもそれぞれ違った話が聞けた。アートや自分の好きなことを貫くのは大事なことであるが、とても難しいことなんだと改めて感じた話であった。
《SOURCE Factory》
 使われなくなった古屋を利用しているアーティスト・イン・レジデンス。アトリエとして使われていた家の奥の部分は本当に古く、見学させてもらった際には生活の不安を感じたが、これこそがアートなんだといった創作に満ちた印象を受けた。道路に面した部分はきれいに改装され、小さなギャラリーとなっていた。まだきちんとした展示はされていなかったのだが、いつか機会があれば訪れてみたい。
《玉の井SHOW ROOM》
 工務店の空いている1階スペースに設けられたもの。展示しているものはよく意味が分かんなかったが、このような個人の協力というのが、アートプロジェクトやまちづくり、発展には必要となってくる要素なのだと感じた。
《旧アトレウス家》福田毅ソロ「アトレウス家・不在・福田毅」
 座談会などで時間が押してしまい、結局最終目的地となってしまった旧アトレウス家。個人的には2度目の訪問であったが、今回は福田毅さんのソロ公演が行なわれており、また前回の訪問が昼間だったこともあり、夕方の訪問で異なる感想を持てた。「アトレウス家・不在・福田毅」は演劇ではなく、紙に書かれた質問を答えること、言わば YES/NOゲームで家の中を巡るもので、トイレや屋根の上、ポストの中や物置きの中まで質問が隠されており、無意識のままに家の隅々まで見入ってしまった。特に印象に残ったのは階段上と押し入れを繋ぐ穴や、押し入れを上から覗ける2階の木板の隙間であった。役者さんのソロ公演と聞きどんなものかと考えていたが、単純なゲームの反復により身体的な「記憶」としてアトレウス家とは何ぞやということを残し、ゲームの終えた後にその本質を見せる。ゲームとしては同じ質問のループを繰り返してしまい、個人的に楽しかったとは言いづらいが、アトレウス家を経験するということに関しては素晴らしい機会となった。夜になり日が暮れるとアトレウス家はさらに奇妙さを増し、さらに興味深い空間であった。これからも行なわれるイベントに期待したい。
《墨田まち見世を見て》
 今回のゼミナールを通して、全体は回れなかったがこのイベントの雰囲気やコンセプチュアルな部分は多いに楽しめた。今年で20年続いているイベントなので、これからも続いて、なおかつイベントとしてどんどん大きくなって欲しいと思う。自身としても今回のように小さなイベントにも率先して参加し、これからも色々と勉強したいと感じた。

無題
福田朱根
フォロー、リムーブ、フォロー、リムーブ。
ワンクリックで相手の発言をタイムラインという自分のお皿に取り分けることが出来る、ツイッター。
申請や承認といった手順を踏まずに、追う事が出来る。さて今度は、相手に興味がなくなったら、こちらもワンクリック。
誰だか分からない相手にも、なぜか興味を持たれたり、見切られたりする。それは相互に可視化されて、伝わる。逆に、相手のタイムラインだけでなく、フォローを見ると、その人の関心の対象や、人脈等が垣間みられる。
yahiro8に行ったその帰りの電車で私はツイッターを見ていた。タイムライン検索で’yahiro8’と打った。

>子供に「仲良くしなさい」と教える前に、「仲に入れてもらえない」時の対処を教えたい。努力を教える前に、挫折からの立ち直りを教えたい。(@sohbunshu )

よく見るとその前にRTの二文字があった。そのツイートをリツイートしたのが、yahiro8に参加されていた方の一人であった、往来信太さんだった。(@ShintaRaiju)

>yahiro8での座談会に参加してきました。自分的には100点中47点。なんだか、話の内容が、運営の実務的なことに終始してしまった感じ。いまRAFTでやっている自分なりの挑戦や、これからのビジョンについてしっかり伝えられなかった。もっと事前に話す内容を整理するべきだった(引用)

後悔ともとれる言葉が並ぶ。続けて、

>でも、この座談会に呼んでいただけて、よかったです。yahiro8は、風通しが良く、とても明るい空間でした。だれもが気軽に立ち寄れて、居心地の良い空間を大切に作っている感じがしました。また遊びに行きたいです。(引用)

それでもなお、参加して良かったとの感想を述べている。タイムラインを遡る。
10月17日。

>ダンサーのオカザキ恭和さんが墨田区八広にアートスペースをオープン。オープンに先がけ『町のアートスペースについて、話そう』という座談会を開催。その座談会に僕も参加します。人前で話すのとか苦手だな〜、大丈夫かな?自分?でも、せっかく声をかけてくれたので、参加してきます!(引用)

不安をかかえての参加だと述べた上で、さらに続けてこう告知する。

>座談会に参加することで、他の方々の活動から刺激をもらえると思うし、人前で話すことで整理されることもあると思うので。詳細は〜(中略)。ご興味あればぜひ!(引用)

と。自分の苦手な事に立ち向かって参加し、結果に満足していないようだが、他の方からの刺激は受けられたのだろうか。
往来さんは’だれもが気軽に立ち寄れて’とツイートしていたが、私はそう思わなかった。扉が半開きになっているにも関わらず、入りにくいと感じた。中に入ってみると、外観からは想像しなかった、爽やかな風が抜け、思ったより明るく、居心地のよい空間になっているという印象を受けた。
今回伺った座談会に地域住民や民間がどれだけ関心を示しているのか知りたくて、車内で検索をかけた。キーワードこそ極めて具体的であったために、これだけでもの申すのも気が引けるが、検索結果に一人しか引っかからなかったのは、大変遺憾である。
archiTV2010を彷彿させてしまいそうだが、今回の座談会のようなものは、それ自体が終わったあとに議論が出てくる事で、次に繋がるものになると思う。それが墨田区のアートを介して活性化していくときの鍵となってくるのではないかと思う。その場があるのか否かを調べるのが今の私の課題である。
このように、見ず知らずの女子大生に自らの作文を引用される時代である。この人ダンサーが好きなのかな、などと推測されてしまうシステムがある。レポートを書くためにフォローし、こうしてレポートを書きおえたらリムーブしようとしている私がいるのである。
無我夢中でオニから逃げ回ったり、家の戸を開け放したままペンキ塗りをしたり、のんきに道ばたで丸くなっている場合だろうか。
ただ、墨田区にあったその風景は、手のひらの冷たい空間に相反して、暖かく、魅力的であった。

見学会レポート
伊藤由華
 今回、墨東まち見世2010を見学した。
 私はこのアートプロジェクトに過去訪れたことはなく、今回見学するにあたって下調べを行った。そこで「地域に息づく多様な文化の視点を通し、これからのまちと暮らしを多方面から探っていく」とあった。数が少ないのか、そこまでまちに作用しているイメージはなかったが、 まちの中で自然にアートプロジェクトが進行しており、新しいまちと暮らしの形を垣間見ることができた。
 特に座談会の後急きょ見学させてもらえることになったアトリエが強く印象に残っている。このアトリエは、最近越してきたばかりらしい。小さな町工場をそのまま利用しており、広さは十分、住むのに少し難があり、2階には空につながる扉が設けられた物件であった。最近、このようにアートプロジェクトがきっかけで墨東エリアに移り住んでくる人が増えているらしい。見学したのが土曜日だったためか子供が多く、活気のあるイメージを受けた。今後も移り住む人が増加していき、昔ながらの住宅街の景観を残しつつ、その実、芸術家たちばかりが暮らす芸術家村のようなまちになったら、さらには、子供たちの活気とうまく合わさった芸術家村ができたら、とても楽しいのではないだろうかと思った。
 そのあと向かったアトレウス家では、Yes Noゲームを久しぶりにした。建築がおばあちゃん家を思い出させる雰囲気だったからか、小学校ぶりのゲームだったからか、場所見知りすることもなく終始リラックスした空気であった。あのゲームをこの歳でやることになるとは。また、階段屋根上の破損部分を生かした照明や、2階の床の隙間から見える倉庫のはしごなど、興味深い点が多々あった。次の課題ではあそこで冬にやることを考えるわけだが、あの空気感を生かすことができるような企画を考えていきたいと思った。
 まとめると今回の見学会は、おいしいキビ団子も食べれたし、建設中のスカイツリーも初めて見ることができたしと、いいこと尽くしな見学会だったように思う。

墨東まち見世2010を巡って
長尾芽生
 もともと現代アートに興味があった。ホワイトキューブの中に展示されているアートも素敵だけれど、私は町全体が展示会場になっているような空間が好きだ。例えば、越後妻有トリエンナーレや、瀬戸内国際芸術祭、ベネチアビエンナーレなどで見られる表現方法だ。普段は際立った特徴もなくゆるやかに時間が流れている町も、このイベントの期間は異なる顔をみせる。全国各地から多くの人が集まり、町が活気付く。それは、ある種の起爆剤のようなもので、その土地に秘められたパワーみたいなものを一気に爆発させる舞台である。
 去年、越後妻有トリエンナーレに友人と行ってきた。新潟の山奥を舞台にして行われていたこともあり、歩きでは到底巡れなかった。バスやタクシーを使って何箇所かは回れたが少し道に迷ってしまった。そんな時、1台の車が停まった。声をかけてくれたのは50歳くらいの地元で体育教師をやっている女性だった。彼女は山をまたいで何百と展示されている作品を全て回ったのだという。自分の住む町が注目されているのが嬉しく、地元に住んでるからにはぜひ参加しなければと思い立ったそうである。これこそが町をつかってアートプロジェクトを行う醍醐味である。芸術祭の設営や運営には地域住民の協力なくしては成立しない。そして、その活動が地域住民へのいい刺激となり、その土地を愛していこう、より知ってもらおうという気持ちを生むのではないだろうか。そんな気持ちにさせるイベントであったらいいと思う。
 しかしながら女性は、期間限定なのが寂しいねぇとも言っていた。ここに住んでいる人はイベントが終わったらまた普段どおりの町と共に過ごしていく。そしてまた2年後なのか3年後なのか……それは当然のことだが残される者の切ない気持ちというのは理解できる。
 今回の墨東まち見世で大変感銘を受けたのは外から来た運営側が実際にその地に家を借り、住みながら運営を行っているという点であった。yahiro8で初めて実際に現地に住みアートプロジェクトの運営に携わっている方のお話を聞けたのは大変勉強になった。実際にお仕事と両立させて運営されてる方もいればほぼプロジェクトの運営だけで生活を成り立たせている人もいる。形態は様々でいろんなやり方があるんだなぁと思うと同時に一気に近くなった気がした。自分でもできるのではないか。今回のような会合に参加している人はいつか自分もと思って参加しているのだろうか。そうやって新たな文化発信の種をまき続けていくことはすごく大変なことであると同時にすごく重要なことであるのだと思う。新潟のトリエンナーレにもこのように現地にとどまって活動している人がいるのだろうか。もしいたらその方のお話も聞いてみたいと思った。そして私も自分のなかに芽生えた何かを大切にして今回のアトレウス家を始めとするプロジェクトに関わっていけたらいいなと思う。

『町のアートスペースについて、話そう』座談会を聞いて
田島雄一
 時間の関係もあり全てを聞くことはできませんでしたが、行田市でRUSKというアートスペースを運営されている野本さんのおっしゃった『アートとは触れ合いの場をつくること』という言葉がとても印象に残りました。というのも、今まで僕は「アートとは創作活動をとうしての自己の表現」だと思っていたからです。何かを作り出すという行為は建築家と同じですが、自己の表現に重きを置いている点が大きく異なるのだと考えていました。しかし、実際にスペースを運営されている方達のお話を聞くと、野本さんを含めて今回アートスペースを運営している五人の方たちがそのスペースを使って行っている活動は創作活動だけでなく様々でした。スペースの利用の仕方も作品の展示場所としてだけではなくスタジオやアトリエなど作品の制作や練習の場所としても使用していて、自分たちの活動の結果を見せるためだけでなくその結果に至るまでのプロセスを見せることを大切にしている点が共通していました。作品が完成してから展示や公開の場所としてスペースを開放するのではなく、アートスペースでワークショップを定期的に行ったり、ときにはパーティーをひらいたりすることで生まれる地域との交流を何よりも大切にされていることなどアートスペースのあり方について理解が深まったと思います。
 また、意見交換のなかで「物件(ハード)はあるのだけれど、そこでやること(ソフト)がない」という問題点があがっていたのですが、物件をデザインする建築家とそのなかで行われる行為をデザインするアーティストとがお互いに意見を出し合うことでおもしろい解決案が生まれるような気がしました。町おこしをするために新しく何かをつくるのではなく、これまであったものを使って新しいことを考えるというアーティストの方たちの意見はいつも建築というハードを学んでいる僕にとって、ソフトの大切さを知ることができた貴重な経験となりました。
 これまではアートと建築の関係についていまいちわかっていないことがあったのですが、地域とのコミュニケーションや周囲の環境を考え作品をつくることや制作のプロセスを大切にする姿勢は建築で設計を行っていく上でもとても大切なことであり、両者の接点がここにあるような気がしました。建築を考える際にその土地のコミュニティに入ってコミュニケーションをとりそこで得られた情報や経験もとにデザインしていくとう手法は今回のアートスペースを運営している方たちの行っていることと同様で、改めてとても大切なことなのだと感じました。

ゼミナール | Posted by satohshinya at November 1, 2010 5:48 | TrackBack (0)