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雪のエッフェル・耐震問題?

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今週は初雪が降った。
手袋をしていてもその上から氷の矢がプスプスと刺さるような、散歩しているだけで「かき氷」を食したあとの「キーン」とした感じが、暗雲と共に僕らの心に忍び込む冬。
とうとう薄暗く、芯から冷える「憂鬱な巴里」が始まった。

そんな中、建築技術者Effeleを思い浮かべながら、雪のEffeleを塔を眺めた写真。

日本では耐震設計に絡む「建築士の責任」などが話題になっているということはなんとなく耳に入っている。
これを聞いて一級建築士の一人として恥ずかしさと怒りを覚えた。また、建設途中の検査でなぜこの事態が食い止められなかったのか?と、行政監視機能に対しても疑問を覚えた。しかし、それと同時に、日本の建設・建築業界で起こるべくして起こった事件だとも思った。

その前提として、「建築家・建築士」と言う職能を簡単に説明してみる。
「建築」にまつわる業務(建築物の設計、管理)を行う「建築家」と、建築士法所定の国家試験によって行政機関(一級の場合は国土交通大臣)から建築家兼高等技術保持者として免状を交付される「建築士」。
どちらも「建築」と言う言葉が付くが、元々日本語に存在した言葉ではない。江戸末期に海外から概念と共に輸入された言葉「architecture」の訳語である。加えて、我々「建築家・建築士」は日本の建築の歴史から見れば、最近出来たばかりの職能である。それまでは「設計・施工」を行う、大工達が僕らの場所にいた。その職能は現在も日本特有の「ゼネコン」と言う形で継承されている。

日本では自称すればみんながなれる「建築家」含めると話がややこしくなる。ここでは国家資格保持者の「建築士」に限定して話を進めたい。
建築基準法では、施主(消費者)/建築士/施工者の独立した「三角関係」を奨励している。これは小学校で習った「三権分立」に近いあり方で、建築士と施工者の関係を分節し、専門知識のない施主(消費者)を保護するためのものである。
この状況を考慮すると、日本の現状では大きく3つの事柄が原因として挙げられる。

1番目に、最終的な消費者である「住人」が建築性能のチェック機能から排除されている点。「三角関係」でいう「施主」が、「住人」ではなく建築士・施工者と協力に結びついた「デベロッパー」となる。専門技術を持たない実際の「住人」は見えないブラックボックスの中で作成された「性能表示」を信じるしかない。「デベロッパー」は、住空間を綺麗にラッピングされた「商品」として扱う。これは住空間を他の品物と変わらない「商品」として、経済の中で流通させる重要な役目をはたしている。一方で、住人を建築が生成される場所から遠ざけ、知識のない消費者に変えてしまう危険性を持っている。

2番目に、住人の建築に対する無関心さがあると思う。
ヨーロッパでは都市や建築に対する一般層の意識が非常に高い。街づくりや空間に対して「あーだ、こーだ」と議論している。少なくとも思考する対象にはなっている。もともとの家が汚いということもあるが、パリだと新しい住居に引っ越した場合、まずBricolage(日曜大工)することが多い。それは空間を自分らしくカスタマイズしていく行為、つまり着慣れない洋服を自分の体にフィットさせていくような行為である。住空間を「ただの箱」とは考えず、「住人に特性を与えられた場所」とする精神がBricolageという行為に現れている。日本の場合、建売住宅産業が発展していることから分かるように、「ただの箱」としての住空間を求める消費者が多い。つまり、建築に関わる様々な手続きを排除して、一つの「完成された商品」としての住空間を手に入れたいという思考である。これは住空間に限らず、全ての(ことにフランスに比べ)サービスが成熟したことで、幼稚化していく日本人全体の気質に関わる問題だろう。

最後の3番目は、設計が「施工のおまけ」として扱われている点。
日本の建物の文化は歴史的に見て「大工制度」によって支えられてきた。棟梁の顔は見えていたし、施主は皇族であったり、貴族だったり、武士達だったりした。日本の伝統建築が素晴らしいのは、棟梁達が頑固で気高く、仕事に誇りを持ってた(?)からかもしれない。一方で手抜きが発覚したらその場で切り捨てられる緊張感もあっただろう。
その後、日本は様々な面で成長をとげ、国民全体の生活水準も向上した。これによって「建築」の目的は「権力」から「民衆」と民主化されていた。
その過程でも「設計・施工」が一体化した「大工制度」の部分は残った。それは一昔前、「設計施工一環業務」のゼネコンが使っていた「うちは設計料は取りません」という営業文句につながる。
実際は全ての技術的水準と空間としての質を保証するために、「建築士」が膨大な労力を使っているはずだ。しかし、見えない「設計」と言う過程は数値化された価値を獲得することなく、施工の裏帳簿からその業務代が支払われた。
つまり、一般的に義務も権利も、もみ消された存在だった。今回の事件は重大だ。しかし、実状として建築士としての「責任」だけを追及しても問題の解決は難しい。 もみ消された「義務=責任」を明確にしつつも、我々の「権利=設計業務の存在と価値」が一般的に認知されなければ、構造的な解決は図られないだろう。

他の理由としては、建築士の質のばらつきもあるだろう。これは激しいが定量的に見分けることは困難だ。ちょっと乱暴だけど、数値化された違いを言えば、近年登録された一級建築士は、合格率6%の超難関を突破している。一方で、高度経済成長期の時代はみんなが取れた「一級建築士」である。近年の合格者とそれ以前の免状保持者で、公的に何か区別化を図らなければならないとも思う。

設計競技の量、国民性、経済的問題、社会性の問題・・・・・。今回の事件を生んだ原因は様々だろう。
しかし、時間が経ったら重大な事件を忘れる、いつもの日本のようにはなって欲しくない。この事件を、状況を問題を改善する区切りとし、建築の制度や社会的責任を見直すだけでなく、「国民一人ひとりが建築行為にそのように関わるべきか?」「建築や都市がどうあるべきか?」を一般レベルで議論して欲しい。これが日本が建築先進国へ発展していく過程であって欲しいと願う。

Architecture Space / 建築, News / 新着情報, Paris / パリ | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 11 28, 2005 11:52 | TrackBack (0)

FETE

今日はパリ在住のアーティスト黒田アキさんにお誘い頂き
FETE(パーティー)に行ってきました。
文学者、建築家、アーティスト、物理学者・・・・・・・・・・・・・。
フランスの大物がゴロゴロいて普段大胆な僕もちじこまってしまった。
それに加えて、パリ第七大学と東大の共同学会でいらっしゃっていた
小林康夫先生もいらっしゃっていた。
黒田さんと小林さんは昔からのなからしい。

黒田さんの「物凄さ」を再確認するとともに、
僕のやるべきことが、予想を超えて膨大な量であることに気づく。
正直、体がいくつあっても足りないな・・・・・・。

Event Lecture / イベント, Paris / パリ | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 11 21, 2005 10:16 | TrackBack (0)