風景的演劇的感動

日本中が桜色に包まれた。

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都内を歩くだけでも桜は様々な風景を演出していた。

日本の風景が持つ四季の豊かさを再認識する。

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桜が提供するのは静的風景だけれども、感動形式はその短い瞬間を楽しむ、
動的な演劇的で熱狂的な感動に近い気がする。

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日常, 映画・演劇, 都市 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at avril 6, 2009 15:05 | Comments (0) | TrackBack (0)

ライオンキングと日本の伝統

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アクアプランネットの福政社長にご招待いただき、劇団四季による「ライオンキング」を見てきました。
舞台には疎い方なのでどのような雰囲気のものか楽しみにしていた。 実際は期待以上のものだった。

アフリカが題材のミュージカルなので当然鮮やかな色彩がものであったが、それ以上に感じたのは濃厚に内包された日本的思考の舞台構成であった。 特に下記三点が印象に残った。

1.臨場感
舞台上のみならず、客席でも演者が、小物が舞う。歌舞伎の花道の延長のようなものだが、こちらは客席間の通路全て、観客と同じ高さで繰り広げられる。 ジャングルの中で動物たちに囲まれている臨場感。

2.抽象性
動物の形態、舞台美術、全てが研ぎ澄まされて抽象化されていた。 ライオンに擬態していないのにそれとわかるライオン。 いくつかの太いチューブが集まっているだけなのに見えてくる象。 それらは抽象化されているのにもかかわらず、装飾的である。 また舞台の奥行きは小物と演者の配置だけで変化していく。それは50㌔から1mくらいまで刻々と変化していた。

3.主体の入れ替わり
演者の衣装は気ぐるみと操り人情の間の状態で、どちらにも属するもの。 ある時は演者と衣装が一つのものとなるし、またある時は演者と衣装は独立して存在する。 演じる主体が人→人形→人形+人と変化していくのだ。 しかし、それはあまりにも滑らかに行われるがゆえに、意識しないとこの変化に気づけないほどだ。

「ライオンキング」の初演は1997年ニューヨークで行われたミュージカル。 上記のようは構成になっているのは当時の演出家が日本人か、「ライオンキング」自体が手塚治虫氏の「ジャングル大帝レオ」のリメイクだから日本が意識されているのかと思った。
調べて見ると、当時の演出家はアメリカ人だが、アフリカン・アートに加えて日本の伝統芸能である影絵や文楽との融合を目指したという。

日本の伝統や文化が懐古的にではなく、革新的な創造につながっている良い例だと思う。 自分もこれに寄与したいところである。

映画・演劇 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at novembre 4, 2008 11:27 | Comments (0) | TrackBack (0)

「曖昧さ」と「多様さ」

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10月17日、Theatre National de Chaillotに歌舞伎を見に行きました。

開演前に片岡市蔵さんの楽屋にお邪魔する。
色々聞きたいことがあるのに鋭い質問が出てこない
出てくるのは平凡な質問ばかり。
「何でも聞いてください。」との言葉に逆に緊張して
ただただ、メークの工程を眺めていた。
またとないチャンスだったのにと後悔し、自分の勉強不足を痛感する。

歌舞伎は非常に楽しませていただきました。
面白かったのは舞台装置による「遠近関係」の表現。
建物や背後の風景の部分部分が、
・大小関係があったり、無かったり
・ パースがかかっていたり、無かったり
する状態で同時に、同次元で舞台上に配されているので
それ単体では「距離感」が把握できない。

このように、あらかじめ「距離感の曖昧さ=多様性」を設定して置くことで
話の流れや、演者の配置によって自由に「距離感」を変更することができる。

「距離感」が明確に設定されている西洋舞台装置には
このような「距離感」の把握はあるのだろうか?
今思い起こしても、非常に不思議な体験でした。

その他にも発見が多くありました。
日本の文化はやはり注目すべき点が多い。

イベント, 建築, 映画・演劇 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at novembre 1, 2004 10:26 | Comments (0) | TrackBack (0)

「演じること」/「観察すること」

巴里で10月9日から22日にかけて
「市川海老蔵」の襲名公演が行われました。
それにあわせて多くの歌舞伎役者さん、スタッフの方々が
日本からいらっしゃったんですが、
今回、片岡市蔵さんをアテンドするという機会に恵まれました。

僕が参加するプロダクトレーベル「TOM products」からその大役を授かったのですが
実は「片岡市蔵襲名記念品」を「TOM products」が手掛けていたりしている。

アテンドさせていただいて感じたのは、非常に鋭い洞察力の持ち主であること。
僕の解説に対してそれをより発展させるようなご質問を常にいただいたことです。

さすが「芸を極めている方」。
「演じること」とは、つまり「演じる対象を鋭く観察する」ことに他ならない。

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パリ, 映画・演劇 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at novembre 1, 2004 10:17 | Comments (0) | TrackBack (0)

「東京」と「パリ」を往復した一日

■僕の自宅で夕食・兼映画鑑賞会。

映画は「LOST IN TRANSLATION」。
Sofia Coppolaの最新作で、日本ではまだ映画館で公開しているらしい。

この映画は僕の中で特別の映画作品である。
なぜかと言うと、事務所の仲間や海外で出会った人々が
僕が「東京」から来たというと必ず「ダイスケは見たかとがあるか?」聞かれる映画だからだ。

「東京」に行ったことがある無に関わらず、彼らにとっては
この映画の中の「TOKYO」が「東京」であるようだ。

見ていて思ったのが、Sofia Coppolaが大都市・「東京」の「孤独感」しっかり見抜いていること。
−女性主人公が大都会を見下ろしながら涙する孤独感。
−「トンチンカンな通訳」によって、話し合っているのに、本質的には分かり合えていない会話。
−ホテル(海外)では声を掛けられるのに、街(東京)に出ると誰にも気づかれない匿名性。
など。

これらは、普段「東京」に暮らしている僕らの胸に、「ふっ」とした時に染み出てくる感覚だ。

Sofiaは東京が好きで、年に何度も「東京」に来るらしいが、
彼女は東京の暮らしが持つ「表」と「裏」を理解しながら「東京」を「愛している」気がする。
「恋している」という感覚のほうが近いのかもしれない。

各シーンで、少々大げさな表現もあるが、外国に暮らしてみると
外国人の心の中に切り取られている「TOKYO」を生のままで表現するとこうなると思う。

僕はこの映画で、アルファベットの「TOKYO」を眺めながら
漢字の「東京」に里帰りすることが出来た。

映像としての「東京」ではなく、心象としての「東京」を。


■「東京」に里帰りした後は、PARISで開催された「NUIT BLANCHE」へ。

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パリ市庁舎、オペラ座、国立図書館、ノートルダム、ポンピドーセンターなど、
パリを代表する施設郡が一晩中開放され、様々なイベントが開催されるというもの。

一番面白かったのが、パリの老舗百貨店「Printemps」で行われた「Creme de Singe」。
いつもと変わらず電気が煌々と点灯し、エスカレータが動き、商品が並ぶ店内。
ただ一つだけ違うのは、「人間」の変わりに二匹の「さる」店内を歩き回っていること。

彼らは各階をさまよい、好きな商品を手にし、たまに休憩する。
それをショーウィンドウに設置された数台のカメラで眺めるというもの。
愛らしい「さるたち」の行動に、思わず笑ってしまう。

彼らの行動は服を脱いだ人間のように、「買い物をする人間」の動き再表現している。
しかし、これを撮影しているのは店内の監視カメラであるということに、ある時気づく。

どこに居ても映し出される「サル」の映像は、
「買い物をする人間」が常に監視されている事実を再表現しているともいえる。

ふっと笑った後に、少し背中が寒くなる作品だった。

「NUIT BLANCHE」全体の感想としては、全てのイベントがまだリンクしていないという状態。
あと5年続いたら成熟するのかなと思う。

それにしても、パリは都市全体の自覚的な演出が非常に上手い。
東京の自然発生的な魅力も僕にとっては十分に心地良いのだが、
組織的な都市の魅力を志向するパリの意識には頭が下がる。

LOST IN TRANSLATION」と「NUIT BLANCHE」。
「東京」と「パリ」を往復した一日でした。

イベント, パリ, 映画・演劇, 美術, 都市 | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at octobre 11, 2004 7:51 | Comments (0) | TrackBack (0)