“もの”としての“グラフィック”

平面系中心の“グラフィック”と空間系中心の建築が
自分の中でより自然に繋がってきた。

その大きなきっかけをくださったのは、ADの師と勝手に仰いでいるgdc水野学さんと、
尊敬する同年代画家、内海聖史さん。
御二人のお仕事と製作に対する考え方は平面系と空間系の境界を横断する。

水野さんの制作物は、2次元的なグラフィックの美しさはさることながら、
素材選び、印刷法、加工法へのこだわりと選択がものすごい。
これによって、一般的に“グラフィック”と呼ばれるポスター、カタログ、その他ツールが
質感をもち、“もの”としての佇まいを持っている。

内海さんの絵は、森や水の奥行き感が見て取れる。 それ以上に重要なのは、展示空間での人の動きと絵の見え方を、絵画の探求として考えていらっしゃる点。 それは、“庭の部屋からの見え方を考え、庭を立体的に作っていく”建築家や庭師の仕事に似ている。

これで気づいたこと。
僕の中で“グラフィック”=“平面上の厚みのないデザイン/図像”という誤解。
その重大な誤解を生んだのは、近代のマスメディア広告と、それを可能にした大量印刷技術。

“グラフィック”の始まりであろう昔の絵画では、キャンバスも絵具も素材感をもっていた。
森は荒々しく、小川はつややかさを持った素材感で表現され、
画家たちはこれを自由自在に扱っていた。
それが、大量生産大量消費によって失われ、“グラフィック”=“平面上の図像”という
空気感につながった気がする。(各時代の巨匠はそんなことはないけど)

水野さんや内海さんの仕事は、「存在する全てのものは平面も含め”もの“である」という
当たり前の本質を気付かせてくれる。

“もの”としての“グラフィック”
思考の幅が、より広がりそうです。

http://sugawaradaisuke.com/

Art Direction / アートディレクション | Posted by SUGAWARADAISUKE | 菅原大輔 at 9 14, 2009 13:24


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