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<title>simon</title>
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<copyright>Copyright 2008</copyright>
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<title>不確実なままに</title>
<description><![CDATA[<p><a href="http://72.14.235.104/search?q=cache:Y3gVHx4jEYcJ:www.u-tokyo.ac.jp/gen01/b_message20_02_j.html+%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E7%B7%8F%E9%95%B7%E3%80%80%E4%B8%8D%E7%A2%BA%E5%AE%9F%E3%81%AA%E6%99%82%E4%BB%A3&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp&lr=lang_ja&client=firefox">東大総長の祝辞</a>がヤフーのトップニュースにリンクされていたので見てみると、「現代は不確実な時代であり、過去の成功例や常識が必ずしも通用しない時代です。～この２１世紀を、私たちは、過去の権威に頼ったり、明治時代のように欧米諸国に頼ったりするのではなく、自ら先導していく必要があります。」などなど。（個人的な事情ですが、最近熱っぽい話題に触れたいがために、明治維新あたりを読んだり、<a href="http://www.nhk.or.jp/taiga/">篤姫</a>も見ちゃったりしているのです。宮﨑あおいはかわいいです。）明治という言葉に引っかかっただけなんですが、ともかくこの不確実な時代の中でどのようにデザインしていくのか、非常に興味があるわけです。マスの時代からの移行期間にある不確実な時代を不確実なままやるしかないわけですが予見するかたちや考え方には敏感でありたい。僕の考えとしては、マスが解体され、個しかないというのは、単純すぎる話であって、やはり話題や議論、時代を動かす技術やデザインはこれからも生まれるはずであり、そこに至る仕組み、プロセスが今までとは違うものになっていくということに違いありません。ミニブログやtwitter、SNSなんていうのは、今までになかった個と個のつながりを生み出す仕組みであって、人気が出るというのは現社会の枠組みを反映したものなんだと思います。行政の資料をよんているとICTというキーワードをよく目にするのですが、ITにコミュニケーションのCを挟んだ表現で、インフォメーションテクノロジーはコミュニケーションを生み出す技術という定義が、社会認知されたという事なのかもしれないと最近思いました。</p>

<p>ところで、熱っぽいつながりで昨日<a href="http://www.city.machida.tokyo.jp/shisei/shingikai/turukawa_ekimae/puropo_annai/index.html">鶴川のコンペ</a>の審査会を見てきました。審査会場まで足を運ぶのは久しぶりで良い刺激をもらいました。今日の朝、結果がホームページに出ていて、すくなくとも僕の印象とは違う結果となり、審査員の勇気に朝っぱらからすこし心打たれました。１等の案は、民間の理論で作られた３０ｍ級のマンションが林立している中で、公共建築にしかできない「低くたてる」とうコンセプトを最後まで貫きたいというのが評価されたのだと思います。まず、目に入ってくる大きい屋根は、マンションによって切れてしまいそうな丘陵地帯の生態を連続させるために、屋根面を緑化し、コミュニティ施設が入るこの大きい屋根の中では生態環境ができるような積極的な緑化も目指す。屋根の下に、図書館があり、地下がホール。ホールのフライタワーがメガストラクチャーになっていて、建築を支え、建築のイメージとなる本棚にもなっていた。そのメガストラクチャーはみんなで使う棚であって、壁を使って展示をするなど、使い方を一緒に考えていきたいと。地下利用が難しいという話が審査中出ていたのですが、そのあたりがどうなるかはよくわからない。<br />
かつてのコンペは、アイデアとプランニングを含めた「かたち」を評価してきた。最近主流になりつつあるプロポーザルは人と考え方を評価するので、「かたち」だけで戦うのではなく、市民や街をまきこむ仕組みをデザインするということが主眼になっている。それは、時に具体的な建築を組み立てる部品であったり、今回のように低くたてるという言葉であったり、建築がわかりやすくなっていく断片が感じられる。すこし感動したというのは、わかりやすくすることは、平均値、つまらなくなることではない。という審査員の意志を結果から感じられ、「かたち」に鋭さを持ったものが選ばれたことにほっとしたわけです。<br />
２等の案の都市環境に訴えかける提案も充分に評価出来ると思います。創造の塔と呼ばれる強い構造体の周りに緑のかごと呼ぶ自由な空間を作っていました。７ｍ位のレベルに持ち上げられた緑のかごを街に開放するため、歩道橋という都市装置を１５００人くらい居住している丘へつなぐ。その歩道橋は都で毎年１３件程度出ている中古の歩道橋から、ちょうど良い幅のものを買い取ればいいと。審査員が皆うなっていた。（土木工事になるので、通常１０何億とか。空前の値段で可能とプレゼンしていた。）当然のように、丘陵の緑をつなぐことも言っていましたが、具体的にアクセスできるようにした。さすが都市を考える人。ただ、一階が閉鎖的だったことがよくなかった。<br />
みんな、プレゼンの前にネタを仕込んでいて、仙田さんは子供を育てた町田に建築をつくりたい。町田に近くにある<a href="http://scienceportal.jp/HotTopics/interview/interview4/">子供の国</a>は建築家としての初めての仕事だった。としょっぱなから、コンペに勝つためなら、持てる武器を乱れ打つ感じも面白かった。</p>]]></description>
<link>http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2008/04/post_187.php</link>
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<category>005)建築</category>
<pubDate>Sun, 13 Apr 2008 19:16:58 +0900</pubDate>
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<title>カン</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="CAEN.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/images/CAEN.jpg" width="282" height="376" /></p>

<p>先月１０日ほど<a href="http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&q=Can%C3%A9,+32700+Lectoure,+Gers,+Midi-Pyr%C3%A9n%C3%A9es,+%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9&ie=UTF8&cd=1&geocode=0,43.914439,0.697412&t=h&ll=49.189894,-0.361433&spn=0.059124,0.21698&z=13">フランスのカン</a>に行ってきました。ノルマンディ作戦で焼けた街の一つで、半世紀と少しの間に作り上げた新しい街です。段差はどこまでもなく、街中はトラムと徒歩で移動出来る見事なコンパクトシティです。写真にある二棟並ぶ家型は、焼かれずに残った300年前の建物で改修され今も街の一部として機能していました。ハーバー近くのパークアンドライド施設では週末、車が一掃され、市場が展開していました。どのようなオペレーションで行われているか知りたいところです。</p>]]></description>
<link>http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2008/03/post_186.php</link>
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<category>005)建築</category>
<pubDate>Sat, 15 Mar 2008 18:22:30 +0900</pubDate>
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<title>多様性の中の日常</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="LANBJN.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/images/LANBJN.jpg" width="369" height="190" /><br />
蘭（北京）by Philippe Starck　</p>

<p>最近、<a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071117-00000088-san-int">１００ドルパソコン（初期モデルは１８８ドル）の量産が始まった。</a>ネット格差を是正したい理想を掲げている。そこで世界６０億のうち１０億人しかネットにアクセスできていないというデータが示されていた。そもそもネット格差というのは何だろうか。ネットについての今のところの整理としては「<a href="http://blog.moura.jp/geetstate/interview/interview002.html#read">ネットは仮想空間ではない、人を接続するツールだ</a>」というのが個人的には腑に落ちている。ネットはまだまだ使う人の入れ込み具合で価値のあるものかそうでないかが分かれるような使い勝手である。社会的には全面的にネットの有用性を認知されていない。まだまだ走り出した時期であるために、善にも悪にも簡単に振り分けられてしまう危険性がある。だから、社会学的な認識レベルでも経済レベルでも日常にどのように着地させていくのかという明るい試みが顕在化し始めている時期である。そのひとつが１００ドルパソコンと言えるのかもしれない。ネットは多様性を集積させ何かを顕在化させる新しいツールとなるのだろうか。グーグルだったか、政治の決定は全人民がネットにアクセスできる状況になれば、集計さえとれば精度の高い結論が得られるなんて仮説を挙げていた気がする。</p>

<p>建築の話ですが、最近考えるキーワードのひとつに、「全体を構成するシステムの中でいかに多様であることを受容していくのか」ということを考えている。おもしろいなと思っている。べつに新しいフレーズではないのですが、今それを考えるとどうなるのか。今後それをずっと考えていくとどのようにおもしろくなるのか。写真にある北京にあったスタルク設計の蘭はちょっとやられたのです。今年見た中ではNo1です。完成した内装だけを見る限りでは一体何を考えてやったか見えてきません。個人の狂気が最大限に拡大し生まれた偶然という、奇跡のような空間だと思います。きっと今の日本では実現できない、中国バブルを体感できるとも言える。この何もかもが混在した空間が巨大であるということも面白いと思った。それがスタルクにしかできないものなのか、何か普遍性があるもので、僕らにもリミックスの余地があるのか。一番やられたなぁと思ったのは日本人のデザインは同じような型の中で微妙な差を味わうところがあるが、スタルク主義というような個人の世界に引き込むようなデザインというのはあまり見たことがない。</p>]]></description>
<link>http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2007/11/post_184.php</link>
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<category>002)blog</category>
<pubDate>Sun, 18 Nov 2007 13:55:44 +0900</pubDate>
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<title>北京経由　東京</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="YKSKMUSE.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/images/YKSKMUSE.jpg" width="368" height="277" /></p>

<p>ブログ再開。ちょうど藤森展の最終日に東京に戻ってきた。かれこれ時間が経ってしまった。新しい仕事も始めている。現代建築と距離をとりたかったという一応の念願はかなったのでないかと思っている。自分の興味を拡げていきたい。現状を破壊する手段として、外へ出るというのはいいなと思った。ただ、建築をつくる作業の中で重要であろう物語をつくるだけでなく、技術を組み立てていくことも同時にしたいと強く思うようになり、帰国することにした。北京スタイルが割とはまってしまえばそのまま突っ走ることも考えていたが、あっちが成長するのを待つより、こちらが急速に成長してしまいたい。いずれまた見に行きたいところである。</p>

<p>あまり整理せず、思いついたことを書いてみる。確かに目に入れたら痛い問題はあったけれども、何も無くたってともかく楽しく生活する体臭が漂う中での生活は刺激的だった。良いのか悪いのかは別にして日本の無表情な戸建てが永遠と続く風景の異様さを再認識した。変てこな様式を取り込んだ外観が並んでいる様子を見てキッチュでカワイイと見違える余裕すら得た。現代建築の分脈にほとんど犯されずにやってきた今の中国は、かつての日本がモダンという様式をとりこみはじめた時期と重なる緊張感というのか期待感があると思う。その中でも海外建築家のブランド、スタイルごと大量に持ち込んでしまう状況はアジアの中でもかなり特異だ。日本だと折衷を選択してきた。日本が明治維新以降の100年くらいで達成しようとしたことを数十年でかつ何倍もの規模でやろうとしているのだから、そんなことくらい起きてしまうのだろうという感じだった。</p>]]></description>
<link>http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2007/10/post_182.php</link>
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<category>005)建築</category>
<pubDate>Sun, 28 Oct 2007 12:52:49 +0900</pubDate>
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<title>4000</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="SHNHI.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/SHNHI.jpg" width="368" height="279" /></p>

<p>たまたま晴れ渡っていた北京から上海までの空路の間、窓からずっと地上を眺めていた。丘陵地以外は徹底的に農地、都市化されていた。そしてずっと色がない。初めて見たという不気味さがあった。</p>

<p>写真は上海の陸家嘴（lù jiā zuǐ）に建つ有名な<a href="http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&hl=ja&om=1&z=15&ll=31.242343,121.495013&spn=0.025868,0.040169&t=k">電波塔（東方明珠タワー）</a>から外灘方面を見たものだ。陸家嘴は、中国国内で初めてCBDという概念を持ち出して、国際コンペを行った地区である。日本からは伊東豊雄も参加している。森ビルが通称上海ヒルズを建設している地区としても知られている。</p>

<p>上海。この都市には４０００本のタワーが建っているらしい。虹橋国際空港から市街地へ向かう際、高速を利用した。確かに高層ビルが目立っていた。この高密度の立体の間を自由に行き来するような感覚は爽快である。これら（<a href="http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&hl=ja&z=17&ll=31.18628,121.354498&spn=0.006471,0.010042&t=k&om=1">ジャンクション１</a>、<a href="http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&hl=ja&om=1&z=18&ll=31.22633,121.464468&spn=0.003234,0.005021&t=k">２</a>、<a href="http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&hl=ja&om=1&z=18&ll=31.247278,121.457757&spn=0.003233,0.005021&t=k">３</a>）を見れば納得いくと思うが、道は上限がないかのように積み重ねられ、高いところでは建物の八階かそれ以上をいく。余談だが攻殻機動隊の押井シリーズは上海を舞台にしている。彼がなぜ舞台の参照元として上海を選択したのか興味ある点ではある。なぜ、この高密度は人を誘うのか？その欲望は加速させていいのか？　一点だけ指摘できるのは、人はバブルと言う桃源郷を求める性質があるという点ではないだろうか。その後の行き先は誰も知らない。</p>

<p>アジア。中国を見る視線の土台には、やはり日本がある。日本と中国の差異を見いだす前に、まずアジアの中で成熟した日本。その戦後の成長の中に中国とリンクする部分を整理する必要があると思う。アジア主義なんて大それたことは言わないが、<a href="http://www.miyadai.com/index.php?itemid=491">宮台真司のコメント</a>を借りると「民主制も資本制も単独では回りません。政治や経済が回ることと社会が回ることとが両立するためのバックボーン的リソースが必要です。ところが日本には米国のような宗教的リソースもなく、欧州のような階級的リソースや地域共同体的リソースもない。 」という、社会を制御するリソースが無くなったという指摘はうなずける。中国も僕の認識の中では現在模索中という感覚がある。共産主義を強化することよりも資本主義の良い点とうまく折衝して新たなものを見いだそうとしている。加えて、彼の最近の言動を見ているとアジア的な発見を促そうとする姿勢も読み取れる。その姿勢を受け入れて、しばらく考えてみたい。日本が今まで、成熟したアメリカやヨーロッパを参照してきたように、よいところを吸収しながら中国的な成長を見いだすのであろう、そこにアジアというキーワードを意識するというのが、なんとなく気に入っている。</p>

<p>東京。バブルという桃源郷を経験し、行き先を求め彷徨っている。人口減少をきっかけに、都市の生産から都市の制御へシフトしようとしている。東京の位置づけをどのようなものにするのか、都市デザインが求められていくだろう。しばらく「東京」をテーマにした出版（FiberCity　東京から考える　等々）も続きそうだし。大きな夢の想像力を競うよりも、現状を編集していくための態度を考えていかなくてはならない傾向は、間違った読みではないと思う。未だに２０世紀的な夢物語（例えばSF的なもの　アトム、サイバーパンク、電脳…）が、未来像なのではないか、という部分を乗り越えていない。その危機感をうまく乗りこなしていきたい。<a href="http://blog.moura.jp/geetstate/">ギートステート</a>も<a href="http://ga3.gagaga-lululu.jp/talk/">ガガガ</a>も。もしかしてエバの再始動もその叫びとして話を聞いてみたい。</p>

<p>変わらない建築。例えば、携帯という技術を作った技術者の夢はどのようなものだったのだろうか。電車の中で<a href="http://blog.moura.jp/geetstate/interview/interview003.html#read">「みんなが片手に携帯している姿は、 "四六時中、人とコミュニケーションしたい"という、人間の欲望によって生まれた景色なんです。」</a>という言葉にすると冗談のような光景が日常として抵抗なく入り込んできている。新しい生活を支える理想を思考し新しい技術を社会に供出した結果、新しい関係性が生まれるというのは、建築にも共通する部分があると思う。建築は問題を解決するが、その解答(かたち)は問題（意味）と必ずしもイコールの関係でなくて良いと思う。むしろ、同じ予条件下でも絶対同じ解答が出てこないことを意識する必要がある。極端な話、建築家がいなくても、建築を建てる技術を持った人がサポートすれば、誰もが建築を構想することができる。そこで建築家が前に立ち、何をするのかというのは慎重に考える必要がある。個人主義、スタイルを徹底したいというのは一つの回答だと思うが、やはり関係性を探し出し、新たな普遍性を見つけたいという態度の中で、作業を繰り返すのが基本だと思う。建築家という振る舞いの中で流れ込んでくる潮流をどのように編んでいくかという意志に、社会に対してどう批評をするのかという側面が自ずと含まれているように思う。どこまで自覚的に操作するのかというレベルから、自分がどのように見えていた方がいいのか。どのような環境の中にいればいいのか。もしくは環境から作ってしまうのか。考える対象は尽きない。</p>

<p>中国での仕事。クライアントはもっぱら表層に興味がある。内部空間をどれだけ豊かにするのか、という感覚は日本的なものではないだろうか。空間の構成を追求すればするほど、クライアントとの会話はどんどんすれ違っていくことになる。加えて、建築の表層に具体的なイメージを求める。裏を返せば、「概念的なもの」に対する興味が著しく低い。具象と意味を直結する方向に話が流れやすいので、その点は必ずこちらから提案する必要がある。抽象的なイメージをどのように実現化させていくのかという手続きでは、これまた誰も共感してくれない。そこで、<a href="http://www.operacity.jp/ag/exh82/">藤森さんの建築</a>が少し気になる。彼は抽象化を追求する建築界に風穴を開けたという点でも評価されている。中国的状況と彼の意志はどこか関連性があるのかもしれないという点で見るのもいいかもしれない。藤森さんの発言を勝手に抽出してみる。「建築を構成する外的条件を先に決めてしまう。例えば、どのように見えるようにしたいか。」「どの材料（具象）を使いたいか。」「空間は、結果の産物でしかない。」琴線に触れるコメントが続出するのだ。</p>]]></description>
<link>http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2007/04/4000_1.php</link>
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<category>005)建築</category>
<pubDate>Mon, 23 Apr 2007 22:56:16 +0900</pubDate>
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<title>とりあえず一年。結構ダメなところがあっても一旦無視して耕してきたつもり</title>
<description><![CDATA[<p>黒川紀章設計　中日青年交流中心　劇場　1987年<br />
<img alt="KRKW.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/KRKW.jpg" width="372" height="279" /></p>

<p>さて、北京に来て一年経とうとしている。何を得たのか？　肉が付いた。いや、何も得ていない。どちらかというと焦りがある。鼻からぶっちゃけます。建築って大変だなぁってほんと思う。僕らは、きっちりつくる事を前提に教育を受けてきたし、メディアも、実際に働いている先達もそのポイントをはずしていない。なのに、何も作れない。なんなんだろうか。でも中国も面白いなと思える部分はある。フロンティアなんだから、はったりかませば良いんじゃないかという雰囲気がある。</p>

<p>受けてきた教育は否定できない。建築家的ジレンマを生む歴史と、巨大な社会が要請する現実的な問題。この果てしなく遠い距離にどのように折り合いを付けるのか。なんで、こんなほぼ乖離している振れ幅の中で頑張らなくちゃ行けないのか。だれかなんとかしろ。ほぼ乖離しているんだから、なにやってもいい。でも、振り切りすぎると歴史から葬られる。なにやってもいいテンションと建築家的ジレンマのどこかにスポットを当てながら、それでもやっちゃう運動体にならなければ建築家として面白くない。と思ってしまう自分。</p>

<p>話は飛ぶ。建築家的コンセプトがはっきり表現に出ているものでないとメディアに相手にされない。でも、それによってどのような効果があるのかはよくわからない。むしろ、よくないんじゃないかという方が多い気がする。それに嫌気がさして今の建築はダメだという人の意見はよくわかる。そのなかでも、こなれたコンセプトで、全体と局部。構想と現実をハンドリングしようとしている建築家は何人かはいる（と思う）。そのへんでどのようなストーリーを生み出すかが宿命。かつては、建築が足りなくて、建築に対する社会からの要請はハッキリしていた。今は、建築家的なしがらみにおいては達成されているポイントがあるものの、ハッキリしない時代なんだからと割り切って（言い換えると、社会とはそんなに関わり合いがあるかどうかなんてわからないんだから）建築家的ジレンマばかりを研ぎ澄ましていくことでは、社会から建築家がいらないという時代が来るんじゃないかなって想像しちゃう。今の政治家みたいにステージの上でピエロ化するのか？　そもそも建築家業が儲からない図式は前々から普遍だから、勝手に減るでしょ。そう、ハッキリしない時代。東浩紀風に言えば、大きな物語（みんなで暗黙に共有しているテーマ）は崩壊した。だから、個別が強くなっていくことが社会から要請されている自然な結果であって、それぞれがどのように繋がっていけばいいのかを見いだす時代だと思う。ウェブ論があついのは、技術が新しい関係性を生むという期待があるからであって…。</p>

<p>で。建築家の活動を大局から外れているからつまらないと言ってしまうメディア（発言力のある建築家も同じ）はよくない。でも、社会との接点を積極的に見いださずに考現学（考古学に対する造語）的なポイントにこそ新しい何かが！というイズムもなんだか気持ち悪い。建築家がその点をないがしろにしてきたんじゃないかという、歴史を参照した結果、発生したジレンマであることは分かるけど、それだけしか研ぎ澄ますことができないというのも、どのような関係性を生んでいくのだろうか。一方で、売れなきゃ生きていけないメディアを参照しつつも、みんながおもしろいものはおもしろいとちゃんと言える風土を作って行かなくちゃならない。おもしろいんだから、発展的解釈を生めるような関係性を生み出して行かなくちゃならない。そんな活動は実現できないのだろうか。と、考えながら、<a href="http://www.toto.co.jp/gallerma/ex070308/index.htm">アトリエ・ワン展</a>を見ていた。</p>

<p>じゃぁ、僕はどのような立場で建築を建てていくポーズをとっていけばいいのか。それを見つけたい。いまは、たくさん候補を見いだしている段階だけど、ある徹底を始める段階がいつくるかも分からない。イズムとかスタイルじゃなくて、建築家が社会にどのように関わっていくという部分、すなわち型を見つけたいなぁ。</p>]]></description>
<link>http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2007/03/post_180.php</link>
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<category>005)建築</category>
<pubDate>Tue, 27 Mar 2007 22:40:10 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>今日の中国都市計画</title>
<description><![CDATA[<p><a href="http://www.inax.co.jp/publish/book/detail/d_138.html">［１０＋１］　特集 都市の危機／都市の再生 ―アーバニズムは可能か？　INAX出版</a><br />
「今日の中国都市計画」（P87ー94）の翻訳校正を担当しました。<br />
都市の視点から見た中国的状況に関する概要になっていると思います。</p>

<p>個人的な感覚ではありますが、今日まで中国へ視線を向ける動機付けがあまり無かったように思います。しかしながら、新規性に溢れ、あらゆる限界を拡大し続ける状況を迎えているのは確かなようです。例えば、急速な都市化、日本の外貨貯蓄高越え、増え続ける人口、日本海を越えた環境汚染、独自の宇宙開発…。中国に関する情報を無視できなくなった。すなわち、中国に対する解釈と実践が必然の時代となったと言えます。</p>

<p>９５年から始めた<a href="http://www.amazon.co.jp/Great-Leap-Forward-Harvard-Specials/dp/3822860484">長江流域地帯のリサーチ</a>。<a href="http://picasaweb.google.com/nihei.simon/CCTV">建設が進んでいる北京のＣＣＴＶ</a>。最近では<a href="http://www.dezeen.com/2007/01/11/new-shenzhen-images-from-oma/">深圳の証券取引所のコンペにも勝利</a>したOMA。中国的状況を利用した上で建築家としての興味を突き進めている<a href="http://www.praemiumimperiale.org/jp/laureates/koolhaashtmlpages/koolhaaslecturecontent1.html">レムの解釈</a>を以下に抜粋。</p>

<blockquote>中国に関して、誤解があるように思います。中国は何のためらいもなく、資本主義国家になろうとしているというのは誤解です。実際には、中国は独自のシステムも維持しようとしています。これまでのシステムの長所と新しいシステムとをどのように統合すべきか、模索していると思います。</blockquote>

<p>また、建築に関わる事情として、世界の中で見れば建築家の数が極端に少なく、圧倒的に建設量が多いということも指摘しています。一方で、先進国のような建築をつくる際の社会的、経済的、文化的な相互制御能力がない。つまり建築が簡単につくられすぎる。という警笛も鳴らしています。</p>

<p>手っ取り早く今の中国を説明するとすれば、７０年代前半まで１０年ほど続いた文化大革命によって引き起こしてしまった歴史の切断。それ以降、アジア的と言える経済成長を前提にした都市の発展傾向の中で、世界の中で見ても最も規模が大きく、最も速度が速い状況を迎合している中国が、２１世紀的国家の体格を身につけようという流れの中、０８'北京オリンピック、１０'上海万博の開催が待ち遠しいというが今の気運と言えようか。中国語のウェブサイトではありますが<a href="http://view.news.qq.com/a/20061121/000043.htm">1978-2002 中国25年流行全記録</a>の中にあるイメージを見るだけでもその流れが伝わるような気がします。</p>

<p>なぜ、文化革命以降を意識するのかという点を補足するならば、日本における言説空間の中でよく指摘される歴史的な分水嶺として、戦争による文化の切断からの再起動がある。その後、日本でも６４'東京オリンピック、７０'大阪万博によって誘引された都市化、以後の都市膨張、バブルの崩壊に至るまでの一連の流れ。その中で孕んできた現代化のエネルギーをさらに圧縮した状態が、今の中国的状況に近いものがあるかもしれない。同じアジアにおいて、そのような見方で一旦見比べる価値はあると思う。そう言った視点の一つとして、オリンピックを迎える前年６３'に亡くなった小津安二郎監督作品全集を、今、見ている。すなわち、オリンピック時に行われた首都高などの都市改造を受ける前の東京とその近郊が舞台となった映画の中の世界を見ながら、今の北京との現状の差異を見定めたいなんて思っている。</p>

<p><a href="http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&q=%E5%88%9D%E5%8F%B0&ie=UTF8&z=19&ll=35.682462,139.688204&spn=0.001196,0.00339&t=h&om=1">初台の交差点</a><br />
<img alt="htdihigwy.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/htdihigwy.jpg" width="372" height="279" /></p>

<p>ともかく中国に対する解釈を必要としているタイミングに、中国の都市計画についての簡単な概要をまとめる機会を得ることができました。</p>

<p>以下、翻訳した内容の中から。</p>

<p>・２００５から １０年は中国の第１１次「国民経済と社会発展」の５カ年計画の期間である。今期から、元の「五年計划（jì huà）」から「五年規划（guī huà）」に変わり、一字の違いだけではあるが中央政府が市場化を推し進める決意を具体的に示したと言える。<br />
・５０年代、中国の人口は５億人程度であったが、２０００年には１３億人にまで達し、２０３０年頃には１６億人に到達する見込みである。（ちなみに、文化革命時に人口が２億人増えたと<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%80%88%E4%B8%8A%E3%80%89-%E3%83%A6%E3%83%B3-%E3%83%81%E3%82%A2%E3%83%B3/dp/4062637723/sr=8-4/qid=1170216968/ref=sr_1_4/249-8111745-9515553?ie=UTF8&s=books">ユン・チアン著のワイルドスワン</a>には書いてあった。）<br />
・「都市化（大都市の発展を重点とする）」と「城鎮化（小さな都市と街の発展を重点とする）」をめぐる論争の中で）「都市化」という言い方に断固として反対する意見もある。都市化と言えば必ず「二次元構造」、すなわち都市と農村の分断といった、従来と同じ問題を繰り返すこととなり、これは地域格差をさらに広げ、都市部と農村部の対立を引き起こし、都市インフラ施設の不足、都市部への農民の過度な流入、都市環境汚染などの難題が起こり、それらに応対するのが困難であるからだ。さまざまな議論の結果「城鎮化」に対する賛成のほうが多かった。＊城鎮(chéng	zhèn)＝都市より規模が小さい町の略称<br />
・もともと土地の所有権および使用権は国のものだった。土地使用権改革は所有権と使用権を分け、土地使用を有償とした。その資金を元手に、都市の更新やインフラ整備に多額の投資が可能となった。また、土地の価値と資本の配分によって都市構造の調整を導き、都市の新陳代謝をより合理化、高度化させる。　～現在の体制では、土地の収益は税収を除き都市政府の二番目の財政源であり、政府収入３０－６０パーセントをも占めている。このような制度下では、都市政府は都市開発の当事者となり、政府と開発業者は実質上の利益享受の共同体である。政府は土地収益を上げ、開発業者は不動産収益を上げる。都市政府は利益ある開発グループのひとつとなった。　～多くの都市（特に首長）は不動産を利用して、GDP成長を牽引することを望み、様々なレベルの都市政府は「都市経営」に努める。<br />
など。</p>]]></description>
<link>http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2007/01/post_181.php</link>
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<category>005)建築</category>
<pubDate>Wed, 31 Jan 2007 01:50:56 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>やっと2007年始動</title>
<description><![CDATA[<p>年明けに撮影したCCTV<br />
<img alt="70107CCTV.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/70107CCTV.jpg" width="370" height="278" /></p>

<p>鉄骨の建方が進むCCTV。現在のところ一週間にバツ一個分くらいのペースですね。昼夜問わず工事してます。国家プロジェクトとはいえ、２月の春節の間は止まるのでしょうか。</p>

<p>CCTV関係で、掲載紙のお知らせです。<br />
<a href="http://www.axisinc.co.jp/AXIS.html">［ＡＸＩＳ］ｖｏｌ．１２５　２００７年１月１日発売　特集「２００８」</a><br />
ブログで使用した<a href="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2006/12/12cctv.php">CCTVの工事現場の写真</a>がP26-27にまたがって掲載されています。</p>

<p>日本ではあまり報道されていないと思いますが、年末の台湾地震の影響で全くブログを更新できませんでした。ネットの特性として「場所に関係なく情報のやりとりが出来る」という基本的な部分が、非常に脆弱に出来ているなぁと。深海何千メートルのケーブルを部分改修するのか、ひき直すのか、中国側は国家の機密に関わると言うことで、詳細を明らかにしていませんが、今月末には完全復旧する見込み。</p>

<p>と言うことで、簡単ではありますが、今年もよろしくお願いします。<br />
ブログの目標としては、少しだけ積極的に、関わっているプロジェクトからの視点を入れたエントリーをしたいと思います。</p>]]></description>
<link>http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2007/01/2007.php</link>
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<category>media</category>
<pubDate>Mon, 22 Jan 2007 14:01:07 +0900</pubDate>
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<item>
<title>深さと若さ－中国のディベロッパーから見た日本</title>
<description><![CDATA[<p>［<a href="http://news-sv.aij.or.jp/jabs/s1/">建築雑誌</a>］2006年12月号・日本建築学会</p>

<p>その中にある８本のインタビューの１つ。<a href="http://www.sohochina.com/chinese/index.html">SOHO CHINA</a>の社長 Zhang Xinへのインタビューの翻訳をさせて頂きました。本号は<a href="http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E6%9D%BE%E5%8E%9F%E5%BC%98%E5%85%B8&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=">松原弘典</a>さんが“特集［中国 ］そこに日本の建築世界はどう関われるか”というタイトルで構成を担当されています。本全体の書評が<a href="http://pf1.jp/blog/index.php?ID=489&cID=16">建築雑誌オールレビュー</a>に掲載されています。</p>

<p>荒訳された日本語と原文を並べて翻訳を進めたのですが、荒訳のテキストからも彼女の経験に基づく聡明さを感じることが出来ました。言葉は多少劣化しても意図を拾い集めれば、筋が通っているストーリーかそうでないかは、わかるのだなぁと感じながら翻訳させていただきました。インタビューの筋書きをオフィスで議論してから行ったので、意図していたことに共鳴してくれたとも言えるかもしれません。別の機会にオフィスを拝見したことがあります。世界中の建築家のポートフォリオが山積みされ、各プロジェクトの落選案を含めた模型が陳列してあり、世界の建築の先端は中国にあるという錯覚に少し身震いさえ感じました。（参照LINK:<a href="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2006/09/post_166.php">SOHO CHINAのロビーから外を眺望した写真が含まれているエントリー</a>）他の項目で、面白いと思ったのは、清華大学の教授と北京大学の助教授へのインタビューの中にある”（グローバリゼーションという）共通性の強い大きな環境では、むしろ個々の「わずかな差」こそが大切です。”という文言に惹かれました。</p>

<p>建築雑誌は一般書店で手に入れることは出来きません。<a href="http://ci.nii.ac.jp/naid/110004997261/">CiNii｜建築雑誌</a>で、過去のものを見ることが出来ます。</p>

<p>参照LINK：松原研究室のブログ　<a href="http://matsubara-labo.sfc.keio.ac.jp/blog/2006/12/200612.html">Matsubara-labo.sfc｜「建築雑誌」2006年12月号</a><br />
参照LINK：インタビュアーの一人、山代 悟さんのブログ　<a href="http://d.hatena.ne.jp/syamashiro0531/20061205/1165303499">ヤマシログ｜都市を診る</a></p>]]></description>
<link>http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2006/12/post_176.php</link>
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<category>005)建築</category>
<pubDate>Fri, 22 Dec 2006 12:00:18 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>修士設計インデックス</title>
<description><![CDATA[<p><a href="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/RevitalizationTamaNewTown.pdf">→四枚稿PDF DOWNLOAD</a></p>

<p>多摩ニュータウン縮小計画　-諏訪二丁目団地の再生を通して- <br />
Revitalization Tama New Town　- Restructuring the Public Housing in Suwa 2 chome -<br />
<a href="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/syushi_niehi_2005_plan.php" onclick="window.open('http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/syushi_niehi_2005_plan.php','popup','width=1279,height=992,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/syushi_niehi_2005_plan-thumb.jpg" width="370" height="286" alt="" /></a></p>

<p>概要：作りすぎた多摩ニュータウンのサイズを是正していく必要がある。問題が最も顕在化している諏訪二丁目にたつ既存の団地を残しながら、住棟同士をつなぐボリュームを付加することで、床面積と居住人口を増やす。郊外的な様々なスケール感を維持したまま、居住専用の団地から、居住空間の規模の中で達成できる機能が一体となった新しい団地を計画する。この提案が原型となり、駅前から高密度に建て替えていくことで、サイズを縮小できる。</p>

<p>LINK<br />
<a href="http://tkmy.net/blog/activity/archives/2006/02/post_66.php">takamiya studio | ACTIVITY LOG </a><br />
<a href="http://tkmy.net/cgi-bin/mt-xsearch.cgi?blog_id=4&search_key=Tagwire&search=%E4%BF%AE%E5%A3%AB">simon｜修士Archives</a></p>]]></description>
<link>http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2006/12/post_179.php</link>
<guid>http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2006/12/post_179.php</guid>
<category>005)建築</category>
<pubDate>Sun, 17 Dec 2006 17:30:18 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>12月2日のCCTV</title>
<description><![CDATA[<p>久しぶりに晴れた<br />
<img alt="CCTV1202.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/CCTV1202.jpg" width="520" height="390" /></p>

<p><a href="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2006/11/cctv.php">前回</a>と比べてどこが変わったのか？ 今日の北京の気温は最高５度 最低-３度 快晴</p>]]></description>
<link>http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2006/12/12cctv.php</link>
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<category>005)建築</category>
<pubDate>Sat, 02 Dec 2006 14:42:25 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>日本してきた</title>
<description><![CDATA[<p>建築ばかり並べてみました。ブログのレイアウト上すっきりする横アングルで語ってみる。</p>

<p><img alt="ANDLIB.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/ANDLIB.jpg" width="372" height="279" /><br />
新潟の豊栄にある安藤忠雄設計の<a href="http://www.library.ne.jp/toyosaka/index.html">市立図書館</a><br />
新潟に行ってみてあることに気づき、行ってきた。そんなノリの旅。写真にある階段の下に小さな部屋があったり、四角と丸がぶつかった単純な平面構成の中、ぶつかった時に出来てしまう余ったように感じる部分を利用している空間や、図形の輻射によって出現した新たな図形を利用して空間をしつらえていたりしていた。いろいろな場所ができている作り込み感がよかった。庭自体はどうったこと無かったが、庭と内部の関係は良かった。色々な場所を作りたい建築家的感覚がちょうどいいくらいにあった。住宅が少し大きくなったくらいの規模が安藤さん的な空間の作り込みにちょうど良かったのかな。外の構成は良く覚えていない。ま、壁が続いていた。なぜ、あんなに閉鎖的な外観にしたのだろう？別に幹線道路に面しているわけでもなく。そうか、冬の雪に耐えるためか。だから内部の印象が強く豊かなのか。<a href="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2005/01/post_67.php">光の教会の時のような感覚</a>を思い出す。写真にある階段を下りると、いろいろな空間が目に飛び込んできたのでシャッターを切った。</p>

<p><img alt="ANDSCHL.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/ANDSCHL.jpg" width="372" height="279" /><br />
新潟の豊栄にある安藤忠雄設計の地域施設（中学校＋コミュニティセンター）<br />
これも新潟に行ったらあるよって、教えてもらった。たなぼた見学。先の図書館の近く。アプローチ道路からみると、スタジアムなのかと思うくらいにでかい。鳥の片翼をひろげたようなゆるやかなカーブを描く外観。ボリュームの奥行きが薄く、足下も浮いていいて、良い感じで横長連続窓ガラスに夕暮れの空が映り込んでいて、グワァっと飛びそうな感じがした。車でスピードにのってアプローチしたのもこの感覚に関与しているだろう。予想だが、この翼は校庭側に強い北西風が吹き込まないための壁としての構成だと思う。翼の片側に卵のような形をした体育館がいる。体育館と校舎は内部で接続していると思いきや、しっかり外部ブリッジだった。２メートルくらいだけど。コミュニティセンタと学校の関係は階層で隔てており、見えたりはしない。ただ、中の音楽室や図書館などの機能を共有しているらしい（管理人談）。写真は校庭側からピロティを見抜いているアングル。校庭側の窓辺に立つと、いかにも行きたくなるガラスのボックスが飛び出している。行ってみると、椅子がおいてあって、妙に広い廊下？ギャラリー？があって、使いこなせるのか心配な場所ではあった。屋上にもちゃっかり上がらせてもらい、これから向かう遊水館と潟博物館を目視。もう新潟市に合併されたけど元豊栄市長は建築に見識があったのか？　街の規模の割に建築家が設計した建築の数が多い。作る必要があると言った元市長はすばらしい。</p>

<p><img alt="YSIKN.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/YSIKN.jpg" width="372" height="279" /><br />
新潟の豊栄にある青木淳設計の<a href="http://www.aokijun.com/ja/works/017">市営プール</a><br />
先二件の安藤さんの建築の前にすでに完成していた遊水館。どうやら丸い形が好きな市長だったらしいと、おじさんが言っていた。駐車場に降りた瞬間、青木さんの表面の作り込みの趣味性を感じてしまった。近くまで寄って、どうやってウロコのような木を貼っているのかを見たが、わざとインテリア的な作り込み感にしたのかと思わせる雰囲気が漂っていた。なんか素材自体の質感を欺して使っている。この表情だったらこの素材でなくてもよかった気がすると普通は思うところに何か問いかけがあるのか？　先に木の質感のイメージがあったのか？　この木の質感を持つウロコとやたら白くのぺっとした表情の部分とのギャップは、ちぐはぐな感じ。張りぼて感をわざと強調したのかなぁ。それともこの木を使うプログラムが設計時に組み込まれていたのか？そんな気もしてきた、このはぐらかし感。内観はいたってオーソドックスだったと、話をまとめると非難囂々だと思うが、特にこれって感じがしなかった。構成が決まった瞬間、さぁ作り込むぞぉっ！てノリがそのまま表現に出てる感じ。すべり台とか階段とか、のぞき窓とか手すりとか。そんなことより、建築家的な感覚の何かを意図的に放置して作ってないか？　青木さんの建築これが始めて。ここちよくないこのズレ。</p>

<p><img alt="GATA.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/GATA.jpg" width="372" height="279" /><br />
新潟の豊栄にある青木淳設計の<a href="http://www.aokijun.com/ja/works/019">潟博物館</a><br />
閉館時刻が迫ってきていたので、流れ込むように潟博物館（９７’）に。外装や内装が嫌でも目に入ってくるので、それ以外のことを考えたいと決意して入った。こちらの建築も先の遊水館（９７’）も、平面の構成が強い。円が主体で、そこに階段が巻き付いたり、意図的に引き延ばされたようにみえるブリッジなどが貫通したり、接続したりしてる。潟博物館の設計が先行していて、遊水館はそのテンションの中で潟では表現できなかったことをやろうとしたのか。これは親子として見た方がいいな。同じ公園内だし意識しただろう。この写真は接道をまたぐ歩道橋から撮ったものだ。この橋、普通なら土木の仕事。他の領域を引き込むのはもうすでに建築家の仕事の基本なのか？それとも建築に見識がありそうな元市長のガハハ親父ぶりが発揮されたのか？　そんなことよりも、妹島さんのなかへち美術館（９７’）、マルチメディア工房（９６’）、森の別荘（９４’）などと、どこか似た時代感覚がないだろうか。主体をキープしたまま、付属要素を拡大、延長させている。古くからある身体感覚をキープした主体と新しい身体感覚を目指した付属要素とのぶつかり合い。わかりやすい関係性の演出だけど、そこに何かを期待する建築家的な感覚はわかる。かつてであれば、バランスがわるく気持ち悪いとも思えるこの操作、奇妙な身体性とも呼ぼうか。バブルの反動として過ごした９０年代の閉塞感、かつての手法を覆すCADの台頭、ネット空間に対する期待感。それらを、自然に表現したものと言えるだろう。しかし、あくまで平面の操作にとどめている。立体にした時のプロポーションは特に新しいわけでもなく、ただ良い。では、その時代感覚を一旦消去して、潟博物館と遊水館の親子で追求したイメージは何だったのだろうか？　青木さんに対する個人的な伏線をここで挙げてみる。大学入試を意識したころ、梅田の紀伊国屋でふらふらっと建築のコーナーに立ち寄った。そもそも親父の影響で建築の仕事はイメージしやすかったので、とりあえず無意識に興味があった。その時、目に入ったのが青木さんの<a href="http://www.aokijun.com/ja/works/024">B（９９’）</a>が表紙になっていた住宅特集だった。はっきり言ってものすごい衝撃的だった。学生身分で２０００円も雑誌に払うという敷居の高さを忘れて、即買い。住宅に全く見えないし、書いてあるコンセプトも全く意味が分からない（当時は分からなかった）。へぇ、建築って危ないと素直に思った（笑）。その時のコンセプトには確か、ナカミとカタチの関係性を断ち切った方法論を組み立てたいと言った主旨のことを書いてあった。今に思えば、既存の建築を完全否定するようなポーズをとるスタイルが、この潟親子の時からすでにあったのだろう。ただ、コルビジェも磯崎さんも建築の源流を裏切るポーズをとるものの、それをまた裏切るようにきっちり作りこむのに対し、青木さんの建築は実際の建築で再びあさっての方向を向きながら裏切っている。僕にはそれがあまり心地よくない。古くからある身体に対する理解と新しい身体を目指す姿勢がうまく融合していない奇形である。そこには何が？</p>

<p><img alt="MKT.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/MKT.jpg" width="372" height="279" /><br />
山形の上山にある谷口吉郎設計谷口吉生改修の<a href="http://e-museum.jp/modules/weblinks/singlelink.php?lid=815">斎藤茂吉記念館<br />
</a>奇形にうなされた気もしたが、まばゆい光をまとうコシヒカリを見た瞬間にそんな事も忘れ、次の日には山形を目指した。この写真の前に撮った写真が一番良かった。が、消してしまっていた…。それはつまり、階段を上りきった後、銅像を正面に捉えるのではなく、エントランスに首を振った瞬間のアングル。たしか、記念スタンプの構図もそれだった気がする。今の僕がこの建築をどのように評価するのかは難しい。下手するとただの懐古になってしまうからだ。（少し前に聞いたPodCast <a href="http://www.tbsradio.jp/life/">文化系トークラジオLife</a>の中で三丁目の夕日は昔の日本は隣人関係家族間などのコミュニケーションが豊かで良かったという感覚を促すばかりで、実際はものすごい悪臭が漂っていたりする現実にあった空間を無視することによって、今、これからの日本を抱えていく行為を放棄しろと言っているのに等しいという文言を思い出す。）素直によいと思ったことだけを書いておく。なにせ、田舎だ。駅を降りてすぐのところに建っているが、無人駅だし、空気はいいし、紅葉しているし、とにかく非日常の世界に導入から引き込まれる。この敷地を選択したのも建築家の提案だったのか？　それとも、この場所が茂吉に由来しているかは忘れてしまった。しかし、アクセスのしにくさのおかげで、久しぶりに美術館の空気を独占した状態で堪能できた（最近は子供が走り回っていたり、興味もない人をも強引に連れてくる授業の学生達など、団体さんに囲まれての展示を見ることが多かったので…）。展示されているものは、茂吉の人生そのものにすぎないが、世界に入り込む心の準備を促す環境作りは申し分ない。建築のかたちだけでは直接提案できないような環境作りに寄与するくらいのポジションに立つ建築家の仕事は好きだ。</p>

<p><img alt="GINZNSPA.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/GINZNSPA.jpg" width="372" height="279" /><br />
山形の尾花沢にある隈研吾設計の藤屋<br />
ここは女将が有名です。AC公共広告機構のCMで「ニッポン人には、日本が足りない」というのでわかりますね。タクシーで向かったのですが、この町ではやはり有名らしく。日本で五本の指に入る建築士さんが建てたって聞いてますわぁ。へぇ五本なんやぁ。あとの四本は？　時期でもないサクランボに思いを馳せながら行ってきました。旅館どうこうではなく、女将勝ち。今回の旅は訳あり三人組だったので、満足していただいたようでよかったです（笑）。女将がどこかでコメントしていたのですが、これからの銀山温泉を考えていかなければいけないという姿勢を、建て替えるという行為で具体的に示したというようなことを言っていた。実際に、周辺の旅館も改修などを始めている様子だった。人の力が街の力に繋がる瞬間を見れてよかった。</p>

<p><img alt="MSM.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/MSM.jpg" width="372" height="279" /><br />
山形の村山にある高宮眞介設計の<a href="http://www.city.murayama.yamagata.jp/0190bunkakankou/shisetsu/mashimo/index_01.htm">真下慶治記念美術館</a><br />
まるで、エントランスに向かっているようでしょ？　ちなみに、この写真は<a href="http://www.reedjp-form.com/dj04/archives/2006/08/post.html">こちらのブログ</a>の逆アングルです（すげぇ広角レンズじゃないか？ぴこさん）。ひっそりしたエントランスと、最上川や山々を含めた周辺環境と一体となれるロビー空間を演出し、あとは好きにしていいよって感じ。エントランスの素朴な雰囲気を感じるしつらえと、最上川を一望できる操作のために出現した中庭周りのイメージはあまり関係性がないように感じた。その大きな2つの要素を含めた全体のイメージが無いものを狙ったのかもしれない。ロビーの窓辺から見えた周辺と一体となった空間が鮮やかに記憶に残っていることは確かだ。</p>

<p><img alt="SMT06.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/SMT06.jpg" width="372" height="279" /><br />
宮城の仙台にある伊東豊雄設計の<a href="http://www.smt.city.sendai.jp/">せんだいメディアテーク<br />
</a>東京のオペラシティで開催されている<a href="http://www.operacity.jp/ag/exh77/">建築｜新しいリアル</a>展を見に行くつもりだったので、五年ぶりに再びメディアテークに行きたくなった。青森へ向かうには仙台に寄る必要があったので、行ってきた。青木さんのBの次に大きな衝撃を受けたのはメディアテークのコンペ時の模型を見た時だった。伊東さんの話題はどこへ行っても絶対するし、好きな建築家の一人だ。北京では「女子高生になれないオヤジ」という通称で通っている。と言ってもすごい狭い範囲だけど（笑）。どうしてそんな呼び方をするかっていうのは、伊東さんの中にあるジレンマを比喩しているつもり。例えばこのメディアテークで言えばもともと、模型のように柔らかいイメージから始まったものの、火花散る力強い現場と好き放題言ってくる様々な雑音から距離を保つ作法として、自然と強いものを求めた。でもやっぱり出来上がった建築の仕上がりは、チューブの鉄骨を白く塗り、ちょっと抽象度を上げ？　というよりお化粧したぐらいの感覚のチューブとそれに接続する床を、幅の太いのっぺっとしたゴムみたいな素材でつないでいる仕上げにびっくり。なんか、気持ち悪くない？　決して、デザインが悪いとか言っているわけじゃないし、地震時の逃げの問題であったり、防火区画などの外的条件などから決まった部分もあるのではという想像もつく。僕の偏った見方を極端にして言っているので、アホかと思われるかもしれないけれど、ぼくには女子高生みたいな…ほらかつて伊東さんが言っていたノマドのイメージは都市を軽やかに生きる若い女性じゃない。その身体感覚に惚れたものの、いつのまにか自分はオヤジになってしまった。でも、やっぱりあこがれるという、この流れが同時となって設計時に立ち現れ、ジレンマとなるという図式で見るのも面白いんじゃないかと言いたいだけ。女兄弟に囲まれて育った幼少期も捨てがたい事実。別事例として、イノセンスを発表した後に行われたユリイカに収められている神山監督と東浩紀の対談の中であった、押井守は自分の身体では表現できない「何か」をこの映画に求めているといったコメントが、引っかっている。無いものを求めるという感覚が、伊東さんと押井さんの間でなんとなく共通している気がして、僕の中では繋がっている。そういう世代感覚なのか？それとも戦略なのかはよくわからない。そうそう、写真を見て何かに気づいた人はいるかな？　２Fの椅子はもともと、白のクローバーだったけど。黒に変わっている。いろいろ想像しちゃうけど、空間を維持する意志はちゃんと引き継がれているのだなと安心した瞬間でした。おまけに伊東さんがデザインしたスケッチペンも買っちゃいました。じゃぁまずは海藻…あ、ぽいぽい。ぽいなぁ。</p>

<p><img alt="AMUSE.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/AMUSE.jpg" width="372" height="279" /><br />
青森市内にある青木淳設計の<a href="http://www.aokijun.com/ja/works/048">県立美術館</a><br />
朝一番に向かった。自衛隊の駐屯地が近くにあり、発砲音を聞きながらアプローチ道路をゆっくり歩いていた。縄文と現代という展示を見てきた。外観の割に、内包する空間は大きく、展示量が多かったのと、多少強引な解釈と（僕自身と展示から得られる）浅い情報量のデフレスパイラルで、途中から飽きていた。とにかく、この建築も奇形だ。この建築の主役は間違いなく内部空間であろう。その内部空間を構成する全体には、古い身体感覚がしっかりと刻まれている。この建築でいうなればホワイトキューブがその古い身体云々であると言って差し支えないだろうか。でも局部、特に表層は徹底的にはぐらかそうとしている。この全体と局部の乖離している関係性が巨大な内部空間のあらゆるところで実践されていた。例えば、ボリュームとボリュームがすごい点で接していたり、巨大なボリュームがちょっと隙間をあけて浮いていたり…、ボリュームとボイド（内部空間）の関係に今までのボキャブラリーを全て注いだという感覚を受けた。ただ、パッケージとしての印象としては、異常な局部（表層の操作）や部分的に拡大されたスケール（シャガールの展示空間）や引き延ばされた動線（スロープ）が、あまり意識されない程度になっていたのも事実。それらは、破綻を誘うような、既存を突き破るような存在としては扱われていなかった。外部空間との関係が少なかったのも気になった。寒いという地域性が関係しているのか？　たたきの仕上げもどこか、ケミカルな雰囲気、もはや土というより、土色をした仕上げという質感だった。当然性能を維持する必要があったのだろうが、白と茶の関係に新しさを感じなかった。　じゃぁどこ？　もしかして、空間を作ろうとしていないのか。空間をイメージせずして、何に向かって設計しているのか？　この美術館は今までの青木さんの集大成と言え、次の展開を期待していいのではないだろうか。結局夕方近くまでいた。</p>

<p><img alt="ACAC.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/ACAC.jpg" width="372" height="279" /><br />
青森市内にある安藤忠雄設計の<a href="http://www.acac-aomori.jp/">国際芸術センター</a><br />
青森市内はバスで移動していたので、一旦青森駅に戻るというルートの上、駅から４０分くらいかかるという位置に建つACAC。アーティストインレジデンスのプログラムを持つ美術館である。これも意外とよかった。今回の旅は同じようなプログラムを持つ建築たちの奇形と王道の反復の旅だったなぁ。おかげで、それぞれの葛藤を鮮やかに感じることができた気がした。</p>

<p>そうそう、ギャラリー小柳の杉本博司の新作を見逃したのが悔やまれる。</p>]]></description>
<link>http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2006/11/post_178.php</link>
<guid>http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2006/11/post_178.php</guid>
<category>005)建築</category>
<pubDate>Fri, 24 Nov 2006 04:04:42 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>今日のCCTV</title>
<description><![CDATA[<p>霧でかすむCCTV<br />
<img alt="CCTV1121.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/CCTV1121.jpg" width="520" height="390" /></p>

<p>昨日、日本から帰ってきました。霧の影響で北京空港が閉鎖され、上海で待機となりクタクタでした。おかげで<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062637723/sr=8-1/qid=1164109578/ref=sr_1_1/250-1233995-6151411?ie=UTF8&s=books">ワイルドスワン上巻</a>読み切っちゃいました。今回の帰国でカメラもPCも落っことしてしまい、なんだか調子が悪いです。調べてみると<a href="http://www.ricoh.co.jp/dc/gr/digital/firmware.html">GR DIGITALのファームウェアアップデート</a>明日出ますね。システムの初期化とかできないかなぁ、挙動がおかしい。日本滞在中に僕が卒業した研究室の卒業生、現役が集まる会がありました。そこで中国の話題を少し話したのですが、CCTVのことに全く触れませんでした。遠くからでも撮影映えするくらいに立ち上がってきたので、今後撮影した日に写真をアップする試みを始めようかと思います。ちなみに、今回の写真はクライアントのオフィスから撮影しました。</p>]]></description>
<link>http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2006/11/cctv.php</link>
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<category>005)建築</category>
<pubDate>Tue, 21 Nov 2006 19:41:12 +0900</pubDate>
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<title>建築したくなってきた</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="temple.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/temple.jpg" width="279" height="370" /></p>

<p>北京に来たのは、自分の意志というよりも、縁です。したがって、どんなことでもいいので何かを見いだしたいと考えています。唯一の武器は、建築はおもしろいと知っていること。芸術にも工学にも寄り切れない曖昧な部分に、あらゆるドラマ（解釈と実践の快楽と裏切り）を内包出来る建築と付き合っていきたい。<br />
では、現在の自分が建築にどうやって立ち向かっていけばいいのか？　イメージはなんとなくある。ざっくり言うと、きまぐれな風貌で、混乱と倦怠を手の内におさめながら、狂気ある瞬間を確実にしとめいくような態度でやっていきたい。この意味不明なパーソナリティはおそらく消えも隠れもしない。もはや生かすしかないとすらあきらめている。この際（<a href="http://uaaws06.exblog.jp/i7">この夏のワークショップ</a>の成果レポートを書いている）、もう少しこの問いを深めよう。</p>

<p>今までの建築は、テクノロジーによって人々の暮らしを豊かにするというイデオロギーを孕んでいました。逆説的には、政治/経済と対立することで、そのイデオロギーを正当化してきたともいえます。この解釈に現在的な視点を書き加えるとすれば、その対立が無効化した時代に突入していると言えるのではないでしょうか。この仮説は、モダニズムの反動ではなく、あくまで過去との地続き感を携帯しつつ、新たな展開へ向かいたいという意志による考えです。もうすこし言いすすめるならば、そのイデオロギーは個人レベルにまで解体されたという整理が適当ではないかと考えている。そして、その個人にまで還元された、個別の潮流を<a href="http://ised-glocom.g.hatena.ne.jp/keyword/なめらか">ゆるやかに束ねる</a>新しいテクノロジーが生まれようとしている時代に生きていると思う。文化、時代が動く瞬間は必ず訪れるのだ。</p>

<p>一方で、「そんな」イデオロギーに純粋ではいられないという自己矛盾を孕むことは、建築に立ち向かう上で、必然的についてまわります。その自己矛盾を超える手法を様々なレベルで検証し、実践することで、乗り越えられる。そこで、<a href="http://blog.so-net.ne.jp/hashiba-in-stuttgart/2006-07-25">おもしろいテキスト</a>を見つけました。以下抜粋。<br />
<blockquote>社会経済学に「不純物の理論」というのがあります。歴史経済学者ジェフリー・ホジソンが言い出したことだと思います。簡単に説明すると、どんな形の社会で あれ、社会が成熟していくと、その社会が抱える問題も成熟していく。その解決のために社会は純粋ではいられなくなる、つまり不純物が必要になる、というような理論です。例えば資本主義社会が成熟していくと、資本主義の枠組みでは解決できない問題が出てきて、それを抑えるために社会主義的なシステム（不純物）を採り入れる……など。</blockquote></p>

<p>中国は、文化大革命以降、社会主義と資本主義という２つのシステムを実装してきました。社会主義ばかりではたちゆかないことに気づき、一方で社会主義的なイデオロギーによって可能な「何か」をも知っているこの国にはものすごいポテンシャルがあるのかもしれません。僕個人のレベルで感じているその凄みの一端を書いておこうと思います。建築を作る際の制度にあってないようなゆるさがあります（折衝で変更できてしまう）。言い換えると、建築行為そのものがその場所の制度を作ることと直結します。すなわち、中国的な状況によって、ものすごく建築のピュアな部分を試されている気がします。</p>]]></description>
<link>http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2006/10/post_177.php</link>
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<category>005)建築</category>
<pubDate>Sun, 22 Oct 2006 01:45:59 +0900</pubDate>
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<title>中国での仕事は如何ですか</title>
<description><![CDATA[<p><img alt="jinrimeishuguan.jpg" src="http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/images/jinrimeishuguan.jpg" width="370" height="278" /></p>

<p>まぁまぁ。うまくやっています。<br />
きっちり物まで作りきるには、困難な環境ではありますが、日本の現在が最適ではないと言うことがよく見えます。<br />
例えば、昨日、日本へ旅行に行っていたローカルスタッフのスライドを見ていましたが、彼は海を見たことがないと言っていて、驚いたのですが、逆に僕は砂漠を見たことがないのです。このように、自分で強く意識しなくとも、当たり前だったことが様々なレベルでここちよくも、そうでなくとも覆され、いろいろと考える機会がころがっています。<br />
はじめは、おなかを毎週下していましたが、いつの間にか慣れました。こちらの人も日本へ行くとおなかを下すようなので、特に中国が不衛生という訳ではないようです。<br />
真剣に考えている人もそうでない人も日本と同じようにいます。真剣に考えている人たちと一緒に何かを達成できるのであれば、まだ成長過程にある中国に、多くの伸びしろを感じます。<br />
文化大革命以降、開放へ向かい、その教育を受けた人たちで、経済も政治も動いているので、どこへ打ち合わせに行ってもみな３０代です。トップにくだらない首長がどんと座っていたりして、コンセンサスを考慮せずに全てをくつがえされることもありますが、根気よくやるしかないです。<br />
北京オリンピック関連の事業は、すでに竣工直前を迎えている状況で、傍観するほかないのですが、この勃興している雰囲気は、なかなか味わえません。日本もかつてそうだったのではないだろうかと考えます。<br />
余暇は、美術館に行ったり、日本から持ち込んでいる本を読んだり、１００円くらいのコピーＤＶＤを見たりして、夜はだいたいこちらで活動している日本人とよく飲んでいます。様々なジャンルの人たちがこちらに来ているので、凝縮した日本のように感じられ得した気分になります。添付した写真は、住んでいる居住区内に先週末オープンした美術館です。それでは。</p>]]></description>
<link>http://tkmy.net/blog/personal/simon/archives/2006/10/post_174.php</link>
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<category>monologue</category>
<pubDate>Wed, 11 Oct 2006 10:16:25 +0900</pubDate>
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