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あさみ隊長

携帯から投稿。 チュミのはローザンヌの再開発が初めて見た作品。 印象でしかないが建築家らしくないなと思った。その次にラヴィレットを見た。僕も南から上がるだけでかなり時間がかかったので点在する建築を見れなかった。 なんだかデザインには興味ないんだなぁ コルビジェが白く抽象的なものを、実現する建築にまでとことん追求した姿勢のほうが建築家としては素直な気がする。 だって、汚いからなぁチュミは。 携帯でコメントが見れる事がわかった。でも返信出来ず自分のブログに投稿。 添付は昨日のシミアケ送る会より。写真は本文と何の関係もありあません(笑)

日記 | Posted by at September 26, 2004 21:47 | Comments (6) | TrackBack (0)

上野毛の家

デザインワークショップ。一週間かんづめで住宅の設計をやりました。

KMNGe.gif

適切な空間という不的確さを貫く強い形式を欲した。
アクティビティのイメージが主張することへの不満。など批判的なことがもりもり。
ただ、共有できるよい風景(イメージ)を発見出来なかったので、そこまでやりきれていない。
あるアイデアに向かって、詰め切ると次の展開が、続き間のようにでてくる感覚にスタディの徹底という事を学んだ。

建築, portfolio | Posted by at September 13, 2004 21:50 | Comments (2) | TrackBack (0)

blogで何をしたいのか

なぜブログ?という話にこたえるかたち。
僕のスタンスは、波風を立てたいステッィキーズと言ったところ。
マックにはpost itのように、デスクトップ上に貼り込んでいけるステッィキーズというアプリケーションがある。
そのアプリケーションが持つ構造によって起因する行動が、言葉を生み、集積し、波風を立てる強大なバタフライとなる。
そんな妄想誇大な緊張感を、日常の中に潜む狂気の中に見いだしていく。
シンプルなblogという構造が、ウェブ上で共有できる知となるように、日々頑張る。
そんなところ。
もっと触発したいし、されたい。
なにより建築の外部と、積極にも、ゆるくも繋がっていける。
そんなblogは楽しそうだ。

stick[stuck]:V
暴力を行使する。書き留める。固着する。行き詰まる。(言葉などが)口からでない。(要求などが)飲めない。がんばってやり抜く。突き出る。突き出す。たゆまず続ける。論題などから脱線しない。

stick[stik]:N
棒切れ

blog | Posted by at September 10, 2004 23:40 | TrackBack (1)

梅林の家のじつはのところ

そもそも建築家がなにをもって建築家なのかは決まっていない。
ちょっといじわるに一般化してしまえば、
都市への事も、都市でのこと、現代的なテーマ、どれもを素通りして、
ただ、室と室がどうくっついているかといういう話に始まりそれに終わっている。
確かに、新しい。確かに生活が想像できる。
悪質な言い方をすれば、せじまさんはセンスの極みの頂点。とぎすますタイプの建築家。ただ、女性だからだろうか(笑)とぎすましすぎない。様なふりをしているのか、本能なのか。
まぁ、そこは、自明的なところで、議論にはならない。
話のついでに、建築家が建築家としてやる仕事ではないと50年代後半の時点で、言っている磯崎なんかは、やはりきれきれだ。(「現在の小住宅の設計というのは、せいぜいそれくらいの利用価値としての前衛的な歴史的対象としての前衛的な歴史的使命はすでにおわってしまった。設計の対象として問題にすべきものは、もうほとんど残っていない」)僕もどちらかと言えば、この意見に賛同していて、住宅だけをやっていって、自分の理想や追求は物足りない?!目立ちたがり屋で恥ずかしがり屋だから?困った(笑)
せじまさんが、新建築のインタビュー最後のほうで、スタッドシアターのプランを発見した時にそれを、断面的に使いたいと思ったといっていて。勢い任せに言わされたのかなぁとおもったりしながらも、どこが断面的にいっているのかがちょっとわからない(現時点では)。どっちかというと断片的?

そういえばどっから小住宅っていうの?扱えあるパラメータが極端に少ない建築のことをいうのかなぁ。今日、高宮さんにやりたいことありすぎて、一個でいいんだよ。小さいんだからと言われました。

建築 | Posted by at September 10, 2004 19:33 | TrackBack (0)

ルイヴィトン

毎日新聞の写真を拝借。
LV.jpg

昨日のスマステに村上隆が出ていて、ふつうのおっさんだった。
ルイヴィトンの特集のようで、青木淳もさらっと。スマステ風のプレゼンで出てきた。
NYや並木通りのルイヴィトンを見ると、かつてのような異様さが無くなってきた気がする。
消費の中でデザインすることは、そういうことなのか。
GAを見る限り、設計の話自体は、芸の域だな。
隆が、二年前のパリでやっていたカルティエ財団の展示を思い出した。
このまま新手のジャパニズムというレッテルを引っ張る?のかな。
僕が知ったときは、すでにビックになっていたので、それという愛着はわかない。

建築, art | Posted by at September 5, 2004 10:03 | TrackBack (0)