音楽と映画と美術館

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ZKMMedienmuseumに新しいスペースが登場した.「Das Museum der zeitbasierten Künste : Musik und Museum - Film und Museum」展と題し,音楽と映画という時間芸術を美術館の展示スペース内に組み込むためのものであり,音楽(Institut für Musik & Akustik)と映画(Filminstitut)のそれぞれの部門を持つZKMならではの試みである.

コンサート映像を上映するKonzertRaum,電子音楽アーカイブを常設するHörRaum,映画を上映するFilmRaumの3室が新たに作られた.とは言っても,ビデオインスタレーションを上映していた展示室を改造しただけで,残念ながら特別に建築的な仕掛けがあるわけではない.しかし,企画展に関連した映像を上映するだけでなく,美術館に展示されている作品として映画や音楽を扱うとことはあまり例がないように思う.
KonzertRaumでは「Ein Viertel der Neuen Musik」と題し,ルイジ・ノーノヴォルフガング・リームヘルムート・ラッヘンマンなどの現代音楽家による作品のコンサート映像に解説テキストを被せたものが上映されている.HörRaumでは,国際的な電子音楽アーカイブであるIDEAMA(The International Digital ElectroAcoustic Music Archive)から好きな作品を自由に選び出して鑑賞することができる.FilmRaumではアニエス・ヴァルダの作品や,FilminstitutのディレクターであるAndrei Ujica自身による宇宙飛行士のドキュメンタリー作品などが上映されている.残念ながらフィルムではなくビデオプロジェクターを用いているのだが,貴重な作品を見ることができる.
しかし,確かにおもしろい試みではあるのだが,美術館に長時間滞在して映像を見続けるのは骨が折れる.これはこのスペースに限らず,ビデオアートの持つ問題でもあるだろう.美術館で日常的に貴重なコンサート映像や映画を見ることができる,という意味では画期的であるかもしれないが,既に映像を見るアートがこれだけ溢れている現在において,この行為にどのような意味があるのかを考えなければならない.もし上映(展示)される場所やクオリティがどのようなものでもかまわないのであれば,いっそのことYouTubeで見ることができればもっと画期的なのかもしれないけれど.

@karlsruhe, 映画, 美術, 音楽 | Posted by satohshinya at October 27, 2006 17:40 | TrackBack (0)

動く美術,そして音楽と建築@basel

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ジャン・ティンゲリーはスイスのフリブールで生まれ,バーゼルで育った.そして「Museum Tinguely(ティンゲリー美術館)」が,スイス人建築家マリオ・ボッタの設計によって,1996年にバーゼルに建てられた.

凸レンズ型の屋根架構を用いることで,天井高のある巨大な無柱展示室を実現させており,自然光は妻側のガラス面から入ってくる.坂倉準三と村田豊設計による「岡本太郎邸(現岡本太郎記念館)」(1953)の大型版といった感じ.展示空間としてはどちらかというと大雑把な印象で,普通の絵画の展示には不向きに思えるが,ティンゲリーのような作品にはこのくらいの場所がふさわしい(ここの写真参照).地階にもティンゲリーの作品が並んでいて,作品の中には光やプロジェクタを用いているものもあるために薄暗い展示室が用意されている.2,3階には企画展示室があって,企画展ではティンゲリーの友人などの展示が行われるらしい.
さすがにティンゲリーの作品はどれも素晴らしいものばかり.もちろん初めて見るものが多く,通常は他の作品鑑賞が騒音によって妨げられるために稼働を制限している場合が多いが,ここの作品は全てボタンが足下にあり,全ての作品を子どもでも稼働させることができる(実際には稼働後に再び稼働可能となるためにはインターバルが必要なため,動いている様子を全て見るためには時間が掛かる).ティンゲリーの作品は動かなければ意味がなく,やはり実際に動くところを見るととても楽しい.しかし,ティンゲリー以降にキネティック・アートで特筆すべき作家が現れていないのは残念で,これらのローテクノロジーを用いたアートは,ハイテクノロジーを用いたメディア・アートへと形を変えてしまったのかもしれない.
企画展示室はホワイトキューブによる普通の美術館.そこでは前衛音楽家エドガー・ヴァレーズを紹介する「Komponist Klangforscher Visionär」展が開催されていた.楽譜などの様々な展示をはじめ,もちろん音楽作品も聞くことができる.音楽に関して詳しい知識がないのが残念だが,時間があれば隅々まで見て,聞いて回ると楽しい展示だろう(参考リンク:).ル・コルビュジエとヤニス・クセナキス設計の「ブリュッセル万博フィリップス館」(1958)に関する展示も行われていたが,建築はもちろん知っていたけれども,ここでヴァレーズの作品が演奏されていたことは知らなかった(参考リンク:).展示に併せて分厚いカタログも作られていて,おそらく資料的な価値も高い貴重な展示であったと思う.
この建物はライン川沿いに建てられていて,そのライン川を望むことのできるガラス張りの空間があるのだが,これが単なる1階から2階に上がるスロープ状の動線空間.しかも建物本体とブリッジで接続する分棟配置.ティンゲリーの作品を展示することは設計時から明らかなのだから,絶好の場所をこんな建築的表現で使用するよりは,作品と一体となった空間とすべきであった.非常に無駄な空間になっている.
庭園にはティンゲリーの噴水があり,これがまたすばらしい.噴水を作らせるとティンゲリーの右に出る人はいないのではないかと本気で考えてしまう.建物はともかく,これらのティンゲリー作品を見るためだけに,この美術館を訪れる価値は十分にあるだろう.

美術, 音楽 | Posted by satohshinya at August 13, 2006 6:56 | TrackBack (0)

電子音楽いろいろ

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LAC2006のもう1つのコンサートについて.タイトルは「Open Source Sounds」.今回は,前回のようなコンピュータ・ミュージックだけではない試みが多く見られた.

特に興味深かったのがOrm Finnendahlの「Fälschung」.舞台上には弦楽器を手にしたカルテットとともに,コンピュータを前にした作曲家自身が並んでいる.カルテットはそれぞれ異なったデッキ(CD? MD?)を持ち,ヘッドフォンからその再生音を聞きながら演奏を始める.演奏する曲は,西欧人にとって「エキゾチック」に聞こえるらしい東欧の音楽で,それがコンピュータに取り込まれて繰り返され,更にその繰り返しに合わせて演奏が重ねられ,曲自体は断片的になるとともに複雑になっていく(作曲家自身がホームページに,この曲の構成について書いている).最近の坂本龍一のピアノ・ライブや先日のHfGでのポップソングもそうだったが,その場でHDレコーディングしたものを再生し,更にその上に実際の演奏を重ねていく手法は,今では一般的なものなのかもしれない.しかしこの曲では,途中からヘッドフォンのジャックを抜き,更にデッキのスピーカからの再生音も加わり,迫力のある演奏となっていく.
単なるコンピュータ・ミュージックの再生と比べると,演奏者が舞台上にいて,更にそれがライブ感を持って複雑に変化していくことは,より観客を演奏に集中させることができるだろう.もちろん,コンピュータを用いた精密な作曲という現代音楽的なアプローチとは異なるが,コンピュータを用いることによって,肉体による演奏だけでは成立しないパフォーマンスを行っているという意味では,もちろんこれもコンピュータ・ミュージックの一種であるのだろう.しかし,その違いは大きい.そう感じてしまうのはぼく自身に原因があるのかもしれないが,パフォーマンスとしての観客に対するアピールが大きく異なると思う.
もう1曲,Martin KaltenbrunnerとMarcos Alonsoによる「reac Table*」は,円形テーブルの上に装置を置くと音が出るというもので,装置の種類によって音の種類が異なり,装置同士の距離や向きによって音が変化する.2人の演奏者が登場し,ボードゲームのように交代で装置の数を増やしたり動かしたりすることで,その結果の音が曲となるというもの.更に装置を置くとテーブルがさまざまな模様に発光し,音の変化などを視覚的に表現している.つまり,この装置自体が1つのサウンド・インスタレーション作品のようになっていて,それを用いた演奏という趣向である.そのテーブル上のパフォーマンスは撮影され,舞台上のスクリーンに映し出されている.
これもまたコンピュータ・ミュージックなのだろうが,作曲とするという行為からは大きく離れているように思う.確かに1つの楽器を発明しているようなインターフェイスのデザインは興味深いが,演奏自体はほとんど即興的なもののように思え,一方のコンピュータ・ミュージックが厳密な音の演奏を企てることと比べると,大きく異なる.
Ludger Brümmerの「Repetitions」は,4チャンネルであった曲を20チャンネルに作曲し直したもので,もちろんKubusのKlangdomを意識したものであろう.ここでのコンピュータは,40個のスピーカに対して20チャンネルの音源の正確な演奏(再生)を厳密に制御するために働いている.
コンサート終了後,ホワイエに面するMusikbalkon(と言っても内部)で「Linux Sound Night」が行われた.写真はその準備風景.VJ付きのクラブという感じなのだが,これもまた確かにコンピュータ・ミュージック.しかもプログラムには曲解説まで付いている.

@karlsruhe, 音楽 | Posted by satohshinya at June 2, 2006 13:32 | TrackBack (0)

コンピュータ・ミュージックが演奏される場所

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「LAC2006 - 4th International Linux Audio Conference」というイベントがZKMで行われた.コンピュータ・ミュージックを制作するアプリケーションを巡って,いくつかの発表と討議が行われるとともに,ワークショップ,コンサートも開催された.これもまた,Institut für Musik und Akustikによるもの.

詳しいことはよくわからないが,コンピュータ・ミュージックを制作するアプリケーションにはさまざまな種類があるらしい.それぞれ特長があって,可能な作業が異なるため,使用するアプリケーションの機能が完成する作品にも影響を与えるそうだ.
コンサートはKubusにて2回行われた.コンピュータ・ミュージックは基本的にコンピュータのハードディスクから直接演奏される.観客は舞台方向を向いて並べられた客席に座って鑑賞するのだが,もちろん舞台上には演奏者が存在しないために照明は当てられていない.場内は全体的に薄暗く,そんな中で全員が一方向を向き続けている.演奏,というよりも再生のための操作は,一般的なコンサートにおける音響卓と同様に客席後方に位置している.
作品によっては,と言うよりも多くの作品が,方向性を持ったものとして作られている.4チャンネル以上の立体音響(このコンサートではKlangdomが使われているので,最大40チャンネル)を用いて作品が作られているため,どちら側に向いて作品を聞くかが決まってくる.つまり,作品自体が前後左右(上下)を持つ空間であるため,鑑賞する観客の向きが限定されてしまう.例えば映画の音響を考えてみると,サラウンドの場合,画面の奥で爆発が起こった場合には前面のスピーカから爆発音が聞こえるし,客席後方のスピーカから爆発音が聞こえれば,カメラ(画面の手前)側で爆発が起こっており,それを眺めている人物の顔のアップが映し出されるというように使われる.このように画面が伴っている場合には,立体音響による空間の存在や向きは容易に理解できるだろう.もちろん,会場内を歩き回ることができるような,いわゆるサウンド・インスタレーションと呼ばれるものに近い作品もあって,それらは限定した向きを持たないかもしれないが,その辺りの音楽作品としての違いはよくわからない.
何れにしてもハードディスクから再生されるものがオリジナルであるという事実には,どうしても不思議な印象を受けてしまう.あくまでも4チャンネルで作られたものは4チャンで,8チャンは8チャンで再生されることがオリジナルであることをキープする必要条件で,CD(2チャン)化されたりすると,それはもうオリジナルとは呼べないことになる.専門外の立場で考えると同じ作曲された曲ではないかと思うのだが,極端に言えば,絵画とその原寸大の印刷物の違いみたいなものがあるのだろう.
一方で,再生される場所は作品に影響を与えないのかと言えば,もちろん与えるだろう.同じ8チャンであったとしても,広い場所と狭い場所では異なるだろうし,響きのある場所と響かない場所でも異なるだろう.Kubusはそれほど広い空間ではなく,電気音響によるパフォーマンスを前提としているため,音響的にはデッドな空間となっている.コンピュータ・ミュージックの場合は,予め必要な響きを作品に含み込むことができるため,演奏空間自体が響きを生み出す必要がないらしい.例えば従来のコンサートホールでは,楽器から発する音を適切に響かせることで,その実際の空間による効果(響き)を含めて作品が完成するのに対し,コンピュータ・ミュージックでは,作品そのものに予め空間が内包しているように思える.無理を承知で例えるならば,美術において,額縁の中に納まる絵画が,空間そのものを作品とするインスタレーションへと変化していったようなものではないだろうか.
そう考えたとき,鑑賞者の位置と向きをどのように考えるべきかが問題となる.Klangdomはドーム状にスピーカが配されているのに対し,客席は平面的に広がっているため,スピーカとの関係が最も効果的と考えられるドームの中心に位置できる観客はわずかである.作者が作品を完成するために位置する場所がもっとも作品を鑑賞するために適切な位置であると考えると,それは一般的に中心となるだろう.更に例えるならば,演劇でも演出家は客席のある位置を中心として作品を完成させていくから,最前列の端の席であったり,最後列の席であったりすると,作品鑑賞という意味からは問題が生じる可能性が大きい.そのため,客席の位置などによって入場料が異なったりするわけだが,そうだとしても,一般的には舞台と客席が明確に分かれているため,鑑賞者の向きが限定される必然性は理解できる.しかし,視覚的な要素の存在しない立体音響による音楽作品が持つ方向性は,どのように強度を持ち得るのだろうか?
話が少し脱線してしまったが,とにかく「LAC2006」のコンサートの話である.1夜目は「Opening Concert」と題されて8曲が演奏された.何人かの作曲家はイベントに参加していたので,曲が終わると本人が立ち上がり拍手を受けていた.もちろん作曲家や演奏家がいなかったとしても,普通のコンサートと同様に曲が終わる度に拍手が起こっていた.しかし,この拍手は誰に向けたものだろう? コンピュータを操作している人たち?
最後の曲Agostino Di Scipioの「Modes of Interference」だけは,トランペット奏者とともに作曲家が舞台上に登場.トランペットの音(といっても,いわゆる曲を演奏するのではなく,音を出しているだけという感じ)を何やらコンピュータでリアルタイムで制御.この時だけは,普通のコンサートという感じだった.
コンサートを含む詳細は,当日に印刷して販売されていたプログラムに掲載されており,ここからpdfでダウンロード可能.曲の解説,作曲家の紹介などもある.

@karlsruhe, 音楽 | Posted by satohshinya at May 23, 2006 10:38 | TrackBack (0)

自己満足のドイツ人と既視感の日本人

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IchiigaiというHfGのレーベル(大学が持っているレーベル?)によるコンサートが,Badischer Kunstvereinで行われた.Ichiigaiとは「1以外」という日本語.20時頃から始まり,やっぱり夜中まで様々なグループが登場するのだが,ぼくが見たのはその中の2つだけ.

1つは,このコンサートに誘ってくれたHfGの学生であるシンゴ君とその先輩による,自作の楽器を用いた3曲のパフォーマンス.テルミンとチェロを組み合わせたような不思議な電子楽器を用いて,漫才のような掛け合いとともに演奏が進む.日本人のぼくから見ると,その漫才的な間合いとか,明和電気の楽器のようなユーモラスなパフォーマンスは既視感を生んでしまうが,ドイツ人による自己満足的な演奏(しかも長時間)と比べると,プレゼンテーションすることに意識的であるという意見を聞いた.日本人はそういったことが,比較的に自然とできるのではないかとのこと(これはZKMのアーティスト・イン・レジデンスであるイシイさんより聞いたもの.彼女はドイツ在住の作曲家).
写真は,ドイツ人による自己満足的演奏のもの.左では何十個と並んだツマミを動かしながらサウンドをコントロールし,右のおじさんがサックスを途切れ途切れに吹いている.確かに観客を置き去りにしていた.

@karlsruhe, 音楽 | Posted by satohshinya at May 15, 2006 17:18 | TrackBack (0)

怪しげなポップソング

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先日紹介したHfGのアトリウムでコンサートが行われた."THE ERRORISTS"という怪しい名前のバンドで,エレクトリック・チェロとヴォーカル兼ヴィジュアルという,ますます怪しげな2人組であった.おまけにaudio-visual Popsongsだそうだ.大学の校舎内にも関わらず,開始は21時から.昼間から何やら設営していたのだが,完成したものは,自動車が取り付いた金属製のフレームによるステージの前に,透明ビニール製のソファや椅子が適当に並べられ,客席の背後にはさまざまな照明が一面に吊されて,さまざまな色の電球が取り付けられている.

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実際の音楽は思った以上におもしろく,その場でサンプリングしたチェロに,更に音を重ねていくといったようなもの.そして,昼間に見ると粗末にすら見えた照明もおもしろい効果を出していて,なかなかの雰囲気だった.ちなみに,『田無の家』で選んだ照明まで使われていた.しかし,これってどこの主催だったのかな? ZKM? ホームページにも宣伝しているところを見るとZKMらしいが,こんなイベントがたまに行われているらしい.

@karlsruhe, 音楽 | Posted by satohshinya at April 20, 2006 23:10 | TrackBack (0)

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